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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 身体はくたくたにくたびれているはずなのに、気は昂ぶって眠れそうになかった。自室でベッドに寝転んで眠気を待ったが、先ほどの衝撃から救われない。透馬がH学院大へ進学すると言えば綾はこの家で静かな暮らしが続けられる。もし透馬がF大へ行きたいといえば、自宅を仕事場とする自営業であるから、綾は仕事も共に失うことになる。
 この家は綾にとても合っている。広くても慎ましやかで、静かで、穏やかな暮らし。たとえば都会で暮らす綾を想像してみるが、まったく似合わない。ダストや喧噪、様々なものにやられてすぐ伏せってしまいそうな綾のはかなさを想うと、胸がきゅうと絞られる。
 外から足音がして、綾が家に戻ってくる気配が分かった。とっさに時計を見ると、午前零時をまわっている。てっきり一晩あっちだと思った、と透馬は意を決して起き上がった。
 居間では誓子が布団を敷いて就寝している。それを起こさぬようにそっと床を踏み、綾の部屋の襖をあけた。「―伯父さん」
 ベッドのスタンドだけを点けて、綾は部屋の中で着替えていた。夏の盛りでも真っ白な肌、陰影が濃く身体に落ちている。透馬は目を細めた。
「透馬、」
「眠れない。……話、しても?」
「ああ、……いいよ」
 就寝時にいつも着ているTシャツに着替えると、綾はそのまま文机の前の座椅子に座り込んだ。透馬はベッドに腰をおろして言葉を探す。話をしても、と聞いてはみたが、なにを話していいのかまったく分からないでいる。
 黙り込んだ透馬に、綾は「話聞いたか」と静かに言った。
「……借金のこと」
「ああ」
「この家がそんな風になってたなんて、知らなかった」
「おまえが気にすることでもなかったから」
「……知ってたかった」
 綾ひとりで苦悩を抱えていたんじゃないかと思うと、胸が抉られるようだった。心臓を直にわしづかみにされるよりきっと痛い。綾のことだからこんなにつらい。恋をすることがこの痛みを永遠に続けるものだとすれば、透馬には到底無理だと思った。
「大人だけで話し合って決めて、ずりいよ」
「そうだな、大人はずるい」
「そうやってすぐに認めるところ」
「ああ、ごめん」
 だからそういう、非を自分でかぶるところだ。言ってもきりがないのは透馬にも分かっている。もうそれほど子どもではなかったが、やっぱり苛ついた。
 綾のベッドの上に足を持ち上げて、膝を抱える。「H学院大に行かなきゃだめかな」と弱々しい声音で訊ねると、綾はしばらく黙った。
「透馬がF大の工学部に行きたいのは、デザインをやりたいからなんだよな」
「――うん」
「工学部デザイン科…人間工学分野、だっけか」
 あってる? と綾は透馬に尋ねる。以前ちらっと話しただけだったのにそこまで覚えていてくれていたから、嬉しかった。「あってる」
「……家具のデザイナーになりたいんだって言ってたな」
「そう。伯父さんが楽に仕事出来るようなでっかい机とか、座って楽になれる椅子とか。あとはほら、おれがいま使ってる机って、元々伯父さんがつかってた机なんだろ? あれ、すごく気に入ってるんだ。ああいうの…デザインして、つくってみたい。F大は工学部のデザイン関係、すげえ強いとこだから」
 これは前々からの興味だった。綾が植物に興味を持って絵を描くように、透馬の興味の先は建築物、あるいは製品だった。部屋にある椅子や机や地球儀はなんどもスケッチブックに写した。高校でもいま、試験に必要になるからと言って美術科の教師に頼んでデッサンを教えてもらっている。
 アオイ化学工業とは微妙に分野違いだ。しかも青井の父が「経済学部」と指示したからにはおそらくは経営学を学べという意味で、デザインなどやらせてもらえなさそうだった。そういう意味で、今回の件は二重に辛い。夢を諦めなければならないのか、…そもそも夢など持ってしまったからいけないのか。父はあの青井だというのに。
「透馬のその夢、とても素敵だと思う」
 綾ははっきりとそう言った。「出来ることなら応援してやりたい」
「H学院大にも工学部があるんだからそこへ、とも思ったけど、それじゃ意味ないんだよな。…でもぼくも、家を取られている」
「……うん」
「……いっそ、家なんかなくていいのか……」
 綾の言い方にぎょっとした。文机の盤面に肘をついて、綾は悔しそうに頭を掻く。


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 日暮れ、ベッドから出ないままの羽村に「早く戻んな」と促され、シャワーだけ浴びて帰宅した。さっき誰か来たみたいだと、隣家ならではの物音の伝わり方で察していた。正直を言えば透馬は眠りたかったのだが、帰宅して待っていたのは誓子だった。
「おかえりなさい」
 台所で夕飯の支度をしてくれている。居間の座卓には綾が憮然とした顔つきで座って冷茶を飲んでいた。
 こんなに勢ぞろいだと先ほどまでしていたことが知られるんじゃないかと焦ったが、二人はいつも通りだった。「いきなりどうしたの?」と誓子に尋ねると、誓子は決まり悪そうに「ちょっと話があってね」と言った。
「来年からのこと」
「――」
「でも、食事を終えてからにしましょう」
 誓子が用意してくれたのは冷麦と吸い物、それとお土産に買って来たという焼売だった。簡単な食事だが、母の手料理は久々だ。それを三人で食べ、食後にアイスクリームという贅沢もさせてもらって、一息ついた頃に誓子が口をひらいた。
「青井がね……志望校を変更しろ、って」
 大体予想通りの台詞だった。透馬の志望するF大学は国立大で、偏差値も高い。だが青井が納得するような大学ではないということもまた、承知だった。国立よりも私立、その気になれば裏金をつかってでも入学させよう、というのが青井という人間だ。
「……どこに変えろって言ってんの」
「H学院大。あそこはアオイグループと技術提携しているから。そこの、経済学部に」
「おれ、志望は工学部だよ。経済学部なんて、おれに跡を継げだなんてちっとも思っちゃいないくせに」
 透馬のすれた物言いに、誓子は悲しそうな顔をした。
 透馬自身、応じるつもりはなかった。「H学院大でなければ学費は出さないと言っているの」という誓子の台詞にも、じゃあ死ぬほどバイトでもなんでもしてF大に通ってやる、とさえ思った。青井の思い通りの人生がどういうものか読めないが、まっぴらごめんだ。いまは無力な中学生じゃない、年齢が上がって身体も大きくなり、出来ることが増えた。だからこそ透馬は強い態度で「嫌だ」と言った。
 だが透馬の想いと裏腹に、驚くことに綾が「H学院大もいい大学だぞ」と言い出した。
 綾だけは味方だと思っていた――透馬は驚いて綾を見た。「え?」
「……ここから通えるって言ったって、F大は駅まで遠いし、大学の最寄駅からも遠い。学費も出ないと言うなら、透馬の負担は大きすぎる」
「……なんだそれ」
「H学院大なら実家から通える。ここより都会で人も集まる。透馬に……いい刺激になるだろう」
「なんで伯父さんがそんなこと言うんだよ!」
 思わず声を荒げると、綾はこちらがひるむような目つきを透馬に向けた。
「ぼくがここの家主だからだ。そして透馬、おまえの保護者は青井だ」
「……でも」綾に裏切られたという絶望が煮えて、うまく言い返せない。今日はなんて日だろうか。綾への恋心を自覚させられて、綾ではない人間とはじめてセックスをして、帰ってくればこの有様。
「……もう色々と限界だろう、二人じゃ」
 それだけ言って綾は立ち上がった。どこ行くの? という誓子の問いに綾は「仕事」と答える。本当に仕事があるのかどうか、離れへと行ってしまった。
 怒りで肩をふうふうと上下させている透馬に、誓子が「仕方がないの」と謝った。
「なにが仕方ないのさ。おれが、本気でF大に進学したいって言っていても?」
「この家、借金があるの」
 誓子の台詞に透馬は今までの怒りを一瞬忘れた。
「え?」
「父さんは、実はひどい浪費家だった。あちこちに借金をつくってね、それを死んだときにだいぶ清算して、まだ残ってしまった。綾が苦労してなんとか返しているけれど、途方もなくて。…それを青井が引き受けたのよ」
 透馬にとって、知らない話だった。借金があったことも、それを綾が密かに返し続けていたことも、なにもかも。
「その代わりに土地と家を寄越せと青井は言ってきた。それから透馬を返せ、と。いまこの家の権利は青井にあるわ。透馬が戻らなければ家は潰すと言った。綾は路頭に迷うことになる」
「……それが、おれがH学院大に進まなきゃいけない理由?」
「だからって透馬の進路を曲げていい理由にはならないわよね。…青井のわがまま、今回だけは防いでやれなかった。……ごめんなさい、透馬」
 そう言って誓子は祈るように深くうなだれた。すすり泣く声がする。綾の生活を取られてしまっては、これじゃ、と透馬は思った。これじゃどうしようもないじゃないか。
 どうしてここまで青井に嫌われなければならないのだろう。
 どうして綾と二人で暮らしてはいけないのだろう?
 羽村は「すきならいいじゃん」と言ってくれた。たった半日前に言われたあの言葉がどれだけ嬉しかったか。いま無性に羽村に会いたい、と思った。会って、慰められたい。いまの透馬を肯定してほしい。
 そして綾の本心を訊きたいと思った。
 本当に透馬に家を出て行けと思っているのかどうか。そうせざるを得ない状況下でも、綾の気持ちを訊きたい。


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「いいもんあるから、使おうぜ」
 そう言って一度はベッドから離れた羽村は、ベッド下の引き出しから小さなプラスチックボトルを取り出した。「ローション。AVに付録でついてたお試し用だけど」
「これで中濡らして馴らして広げたら、透馬の入るから」
 濡らして馴らして広げる。受験の必須科目を覚えるかのように羽村の台詞を暗唱すると、羽村は「熱心」と笑った。
「ゴムもある」
 コンドームの小さなパッケージは、はい、と手のひらに渡された。保健体育の授業で見たことはあっても、使ったことはなかった。
「最初だからな、セーフティ覚えとこうな」
「羽村さん、先生みたいですね」
「ビギナー相手だからな。無理やり突っ走られて痛い思いして困るの、こっちだし」
 その慣れた物言いがなんとなく気に障り、「どうせ初めてですよ」とすねたまま透馬は羽村を押し倒した。先程羽村が自分で示した場所にそっと指で触れてみる。きゅうっと窄まって、弾力があった。
 ローション使って、と指示を出される。使って、と言われても使ったことがないから使い方が分からないのを、羽村は嬉しそうに微笑む。羽村の手で掌に絞り出されたそれを指にまとわせて、羽村の奥を押してみる。思いのほかスムーズに指は飲みこまれていった。
「ゆっくり、奥まで入れてみて」羽村の呼吸が少し荒い。「それで左右に揺すって」
「……羽村さん、痛く、ねえの?」
「――平気…。透馬、二本目いれてみ」
 ローションのおかげで内部はすべりよく、熱くねっとりしたものが指に絡みつく感触は透馬をさらに興奮させた。一度引き抜いた指をふたつまとめて再び羽村の奥へ進めた時、羽村はびくりと膝を引き攣らせた。なんだろう、と思ってもう一度同じ動きをしてみる。今まで余裕綽々に見えていた羽村の瞳が潤みだし、透馬の動きに合わせて「あっ」と余裕のない声をあげた。
「そこっ……」
「……感じる、ってこと?」内部に盛りあがった部分があることに、気付いていた。そこをこりこりと押す。
「あっ、ああっ……いいっ、透馬っ」
 羽村は長い髪をぱさぱさと振って透馬の指に悶えている。感じている様子にそそられ、さらに指を動かす。中が緩んでゆくのが分かった。羽村に言われずとも三本目も足して、ローションも足す。淫猥な音が室内に響き、窓の外まで聞こえそうだった。
「あっ……透馬、も、入れていい……っ……」
「ここに……?」
「入れて……突いて、……」
 潤んだ瞳で懇願されるとたまらなかった。コンドームで苦戦しながらも、羽村の密やかな奥へとゆっくりと腰を進める。いれていく先からねっとりと熱い粘膜に包み込まれ、ぎゅっと締め付けられる。たまらず、透馬は呻いた。
「あ、透馬っ……いいっ……」
 透馬の質量を羽村が喜んでいることが、台詞からも表情からも、内部の蠢きからも分かった。吸いついて透馬を離さない、羽村の潤んだ内部。もっと快感を追いかけたくて腰を動かす。ここから先は本能の領域だった。
「と、うまっ、透馬っ」
 夢中で出し入れしていると、羽村は切羽詰って透馬を呼んだ。「なに?」と組み敷いた男の顔を覗き込む。動きを止めるとじんと腰が痺れて、早く動かしたくてたまらないのに。
「あ、もっとゆっくり、して……」
 余裕のない透馬に散々突き上げられて、羽村はつらかったようだ。
「ゆっくりって、おれ、もたない……」
「やだ」ぎゅ、と透馬の腰を足で抱え込む。余計に締め付けられ、沸点がちらつく。
「羽村さん」
「……じゃあ何回いってもいいから、いっぱいして、な」
 困った表情を見せる透馬の眉間をやさしく撫でて、羽村はくちをあけた。そうするのだと分かったから、キスをした。くちびるをくっつけているだけで完結するのだと思っていた事柄は、実はもっと深くいやらしく、みだらで、透馬の性感を直接突く。
 ふと綾は、セックスでどんな顔になるのだろうと思った。いま組み敷いている身体が綾だったとしたら。白く細い身体がびくびくとのぼりつめる、これが綾だったら。
 どんな声で。
 透馬は羽村の中で何度もいった。途中、コンドームを取り替えるのが手間ではずしてしまったから、透馬が何度も注ぎ込んだ精液で羽村の内部はより一層すべり、透馬をずっとずっと夢中にさせた。


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 次に誰かを抱く時はおれの真似すればいいから、と羽村は言った。羽村のベッドに裸に剥かれて押し倒されて、透馬は身動きが取れないでいる。羽村が舌でてんてんと身体を辿ってゆくのが恥ずかしくて、くすぐったくて、ドキドキした。身体の自由がきかないぐらいに。
 鎖骨の窪みに舌を入れられて驚く。そのままつうっと辿り下りた舌で乳首を舐め、ぷくりと膨らんで来れば甘噛みされて、押しつぶされた。思わず漏れた声に、羽村が「感じた?」と訊く。
「……わかんなっ……」
「でも、透馬の起ってる」
 勃起した若い欲望のことを指摘されると、さらに羞恥が募った。
「うれしいな。不感症より感じやすいぐらいが全然いーよ」
「……くすぐったいです」
「そーいうの、感じる、って言うんだよ。おれにもしてくれる?」
 透馬の手を取り羽村の胸へと導く。「女の子だったらここやわらかくて気持ちいいんだけどな」と言いつつも、「でも興奮するだろ」と透馬の迷っている指先に自分の手を重ねる。「舐めて」と言われて、透馬はくちびるを寄せた。舌で押しこんでみたり、吸ってみたりと、先ほど羽村にされたことを真似する。加減が分からなくて力がこめられない。やさしくもどかしい触れ方に、羽村は何度も「もっといいから」「もっと」と透馬の髪を梳いた。
「痛いぐらいがおれ、すきなの。噛んだっていーよ」
「それは……」
「透馬の触り方、初々しくてそそるけどね」
 ほら、と手を取られて羽村の勃起に触れた。透馬よりも色が濃く、太さがあった。透馬を再び押し倒して透馬の上に馬乗りになると、性器と性器を合わせて扱き始める。はじめて他人に施される手淫は、容赦なく快感をもたらした。目元を腕で覆って怒涛の勢いでやって来る羞恥と性感に悶えていると、羽村はその腕を外してしまう。「ちゃんと見てて」と言った。「おれと透馬とでセックスしてるってこと。おれがいくとこも透馬がいくのも全部、見てて」
 重なったふたつの欲望は、透馬の手で擦るように促された。自分の好きなリズムで扱いているのに、たわむれに羽村が腰を揺するからひとりでしている時と全然ちがう。夢中になって擦っていると、唐突に羽村がキスをしてきた。はじめて誰かとするキスで、くちびる同士をくっつけただけだったけれど、衝撃に打たれていた。くちびるを離した羽村は「順番まちがっちゃった」とへらりと笑った。
「すきな人とは、大事にして、な」
 そう言って羽村は腰を大きくグラインドさせた。裏側を擦られてたまらず、透馬は精を吐きだした。透馬はいったのに羽村はまだ自分の欲望を追いかけていて、残液まで搾り取るようにして扱かれた。
 透馬の腹に二人分の精液が散る。それを羽村は「たくさん出た」と喜び、舌で舐め取る。
「――あっ、羽村さ」
 咎めても羽村はやめない。そのまま性器を口に含まれ、再び勃起した。
 ある程度舐めてから透馬のものを取り出した羽村は、ここ、と言って透馬の前で足を大きく広げてみせた。
「男同士ってここ使うの。分かる?」
 尻を自分で割って、奥の窄まりを透馬に晒す。淡く赤い場所は普段人目にさらさないのだ。ごく、と喉が鳴った。
 ここまで来たら受け身でいるばかりではいられない、と透馬は覚悟した。いまは羽村と気持ちの良いことを追いかけたい。先程惚けて唾液の垂れた口元をぐいと拭い、「どうやるの?」と聞いた。積極になった透馬に羽村は微笑む。


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 夕食の一件以降、羽村はよく真城家を訪れた。最初の頃の強引さ通りに「淋しいから一緒にめし食っていい?」と唐突にやって来る。弁当持参で来るときもあれば、「これでなにか作って」と食材を一品か二品持ち込むときもあった。
 羽村が食卓に訪れると特に綾にとっては大幅にテンポが乱されるものらしかった。羽村がやって来るとあからさまに不機嫌な顔をして部屋に引っ込んでしまうので、そのうち透馬自身が羽村の家へ行くようになった。
 透馬にとって、大学を出たての羽村は憧れでもあった。洒落ていて、技術を持っていて、労働のおかげで自由な金もある。二十代、男の一人暮らし。羽村の生活は気ままなもので、部屋に落ちている雑誌が北欧家具の特集だったりするだけで透馬には新鮮に映った。綾だって雑誌を読まないわけではないが、年齢がずれているので若い男性向けのファッション雑誌などまずお目にかからない。透馬がよく買うような漫画雑誌でもなく綾が愛読している文芸誌でもない、という辺りが透馬の興味をそそった。
 着ている服だって趣味がいい。ちょっと奇抜な気もするが、それが美大出身であるという羽村を裏付けているようで、好ましかった。出身大学にも興味がある。羽村のする話は面白く、透馬の知的好奇心をくすぐる。
 家でやれば済む勉強道具をわざわざ羽村の家に持ち込んでまで行っていたのは、そこまで羽村に懐いてしまったからだ。夏休み、受験シーズンへ向けてアルバイトはしていない。時間はたっぷりあった。
 羽村の仕事休みの日、羽村の家で数学に取り掛かっていた透馬は、ふと「透馬はさあ」の呼びかけに顔を上げた。
 羽村はベッドに寝転んでファッション関連の雑誌をめくっていたのだが、飽きたらしい。風が通り、羽村が染め織ったというのれんを揺らし、ガラスの風鈴がちんと音を立てた。
「どこ行くの、ダイガク」
 羽村の発音はいつもゆっくりで、知っている言葉でも聞きなれない外国語のような響きを持つ。独特なリズムを自身で築いているのだと思う。それが羽村という人間の主義主張であるような気がしてからは、はじめの頃よりも好感を持つようになった。
 羽村の質問に、透馬は「F大です」と答えた。
「へえ、すげえじゃん国立じゃん。アタマいーんだ」
「F大だったらあの家から通えるからです。行きたい学部、あるし」
「あーそっか。あすこ、デザインできるんだってなー」
 透馬が以前羨んでいたことを思い出し、羽村は微笑した。
「一人暮らししようとか思わないの?」
「――あんまり考えたことは」
 一人暮らし。してみたいとは思わなかった。透馬はいまの暮らしが続くことの方が嬉しい。綾との静かな暮らしは、しかし青井の気まぐれでいつ終わるかだって分からないのだ。
 今だって恐怖している。高校三年、この時期になっても青井が沈黙を決め込んでいることを。透馬にすっかり興味を失くしたのだったらそれが良かった。だが青井は分からない。ある日突然、アオイ化学が技術提携を結んでいる私立大や青井自身の母校へ「行け」と言われてもおかしくはない、と考える。学費を含めた諸々の養育費は青井が支払っている。
 羽村は唐突に、「透馬は男同士の恋愛って考えたことある?」と聞いた。
 話が突拍子すぎて、一瞬面食らった。それから言葉の意味を考えて、よぎったのが綾の白い腕や指だったりするので心臓がずきっと痛んだ。羽村の顔が普段となんら変わりないので、からかわれているのだと思った。
「話が繋がってませんよ」
「いや、つながってるさ。F大に行って、家を出ないんだろ。それってずっとって考えてる? あの家を出ることは思惑の外? あの伯父さんとずっと二人で暮らしてゆきたいと思ってるんだろ?」
 羽村の口調が速まったので透馬はびっくりした。こんなにすらすらと喋れる人間だったとは。そして羽村の台詞にも心臓を高ぶらせていた。うすうす自分でも気づいていたことを、いま、羽村は指摘しようとしている。
「透馬ってさ、伯父さんのことが好きなんだろ」
 言葉は暴力だ、とその時はじめて痛感した。口にした途端におそろしい破壊力を持って相手を殴りにかかる。羽村の言葉に、透馬は芯までじんと打たれて動けない。
「ちがう?」
 違わなかった。
 ずっと綾の傍にいたいと思っている。朝も昼も夜も、帰れる場所が綾の元であることがどんなに喜びであることか。そして一方で、飢えるばかりだ。綾には一生手出しをしてはいけないのだ、という血の背徳感と、日を増すごとに膨れ上がる、綾を制圧したいという欲。
 正直、透馬の中だけにその秘密を置いておくことはきつかった。誰かに喋ってしまいたくても、咎められるのが怖くて口に出来ないでいる。それを羽村に言い当てられて、透馬は焦りと同時に安心を覚えた。どうしていいのか分からないまま身体の中に渦巻かせている黒々と淀んだ流れを、羽村が少しでも変えてくれたように思えたのだ。
「……伯父さんのこと、好きです」
 今まで怖くてひとり言でさえ口にしなかった想いを発音してみると、ほろっと自分自身が崩れ出した気がした。がけ崩れ、土石流、そんな天災に例えられるほどの衝撃で。
「伯父さんに出て行けと言われたら、多分生きていけない」
「そんなに好きなんだ」
「でもいけないことなので」
「なんで? 男同士だから?」
「血も繋がってる」
「ふうん。でも、それが?」
 羽村の言い方にはっと顔を上げた。「好きなら好きでいいんじゃん」と屈託なく言う。
 そのものの言い方にとても救われた。泣きそうになり、顔をしかめる。羽村が「なんちゅう顔して恋してんの」と笑う。
 笑ったのだが、羽村もまた切なそうに眉根を寄せる。「羽村さん?」と訊ねると、羽村は「いやおれいま失恋が確定したから」と答えた。
「きみのこと好きだよ」
 透馬はびっくりした。クラスメイトから告白されたことは何度かあったが、面と向かってストレートに言われたことはなく、その大人びた告白に呼吸を一息ぶん忘れた。
「はじめて見た時、こいつおれのものになんねえかなーって思ったし。でもって透馬が誰が好きなのか分かっちゃうぐらいに見ちゃってるしな。セックスとか、超したい」
「セッ……っ……」
「なに、口にするのも恥ずかしいお年頃? 興味あるだろ、セックスセックスセックス」
 透馬に向かってわざと連呼する。羽村の言う通りで、興味はあった。綾に内緒でインターネットを使ってアダルトサイトの無料動画を漁ることもあるし、友人の体験談を興味深く聞いたことだってある。朝も夜も自慰にふけってまだ足りないような日だってある。
 透馬にとって、対象は綾でしかありえなかった。それがいま、綾以外の人間からあからさまに「したい」と言われている状況。好奇心は充分ある。だが迂闊にしていいものなのかどうか、分からない。
「はじめては好きな人じゃないと嫌? それとももう、とっくにはじめてじゃないとか?」
 羽村はベッドから降りた。顔と顔が近付く。他人の息が触れかかる距離が透馬には新鮮で、肌の表面がざわめいた。
「おれ、みっともなくて必死。……なあ、おれとしてみない?」
「羽村さ」
「透馬、抱いてよ」
 やり方教えるからさ。羽村はそう言って透馬の耳を甘く食んだ。



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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