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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「この、舘川みかこって人は、なに? あの未開封の全部がこんな感じなら、定期的に恨みごと送ってきて、おまえこの人になにしたって言うんだ」
「……」どう話すべきか迷う。話すべきは、僕の過ちについてだからだ。
「この家に関係する人じゃないのか?」
「この人は、……」
 僕は馨から離れて話すべき事柄だと思った。甘えながら話して許してもらえるようなことは、されてはいけない。だから身体の距離を取ろうと身じろいだけれど、行くな、とばかりに胴に腕をまわされ、しっかりと抱え込まれてしまった。
「……僕のこと軽蔑するで、おまえ」
「それは話を訊いたおれが決める。そもそもさ、誰からも軽蔑されない、嫌われない行いを取りつづけて生きてこられた人間なんかいるのか? いいから話せよ」
「せめて離してくれんか? こん格好は、なんや」
「いいから話せよ」
 馨の強情を、突っぱねるほど強い意思も持たない。僕は観念して、「舘川みかこさんちゅうのは、僕にこの家をくれた人の奥さんや」と答える。
「みかこさんの旦那さんて人な。僕らより三十歳ぐらい上かな。会社の上役やっとって、金も地位もある人やった。僕は舘川さんの愛人いうかな、男でもお妾さんとか言うんかな。とにかくみかこさんの他の別宅いうんで、舘川さんに囲われる立場におった」
「それでこの家で囲われてた、ってわけ?」
「元々は舘川さんの別荘だったんをな。病気したときにここで暮らせばいいと言って、もろた。なんや馨は驚かへんのな」
「まあ、そんなに珍しい話でもないから」
「どこ業界の話してんねん」
「おれの身のまわりにあった業界の話。金と権力に差のつく業界には珍しい話じゃないんじゃない。それで?」
「それで、て」
「旦那の愛人が恨めしくてただひたすら本妻が嫌がらせの手紙を送ってくる、そういう話?」
「……そういう話や。ほんまに珍しい話やないのな」
 馨の言いくちに、なんだか拍子抜けしてしまった。こちらとしては覚悟して話すべき事柄だと思っていたのに、馨の態度は「あほくさい」と言わんばかり。けれど腹にまわした腕はどうやってもほどいてもらえなかった。
「おれがここに来た半年間で、その舘川の旦那さんて人は見たことがないんだけど、もしかして来てたりした?」
「いや、だから言うたやん。海の亡霊かて」
 それを告げると馨はようやく身体を硬くした。
「亡うなってんねん。舘川さんも、奥さんのみかこさんもな」
「じゃあこれ、誰が……」
 後ろを向き、馨の顔を覗き込んだ。ありふれた怪談話を怖がるふうより、厄介な謎を抱え込んでいる僕に同情するような顔があった。
「舘川さんな、僕が心臓わるくして療養生活になってもうたとき、ここでしばらく一緒に暮らしてくれててん。二か月ぐらいやったな。会社の仕事も家族のこともほっぽらかして、傍におってくれてん。それで、これが限界やいうて、家に戻って行った。ここで静かに暮らしてくれ、て手紙くれてな。家と、金ももろた。見舞い言うたけど、手切金のつもりやったんや思う。それから半年ぐらいして、死んだいうのを、聞いた。奥さん、……みかこさんの運転で岬から海へ突っ込んだ。アクセルとブレーキ踏み間違えた事故や聞いたけど、みかこさんが耐えられんて、連れてったのかな思た。そうでないと説明つかん。こんな、死んでからも恨みごと書いた手紙が届くなん」
「……それでも説明つくわけないだろ、こんなの」
「これ送って寄越すんはな、誰の仕業かはわかっとんねん」
「生きてる人?」
「当たり前やろ」
「じゃあ亡霊じゃないんじゃん」
 馨は、僕の肩口に、顔を埋めていた。吐息がシャツに染みてそこだけ熱く湿っている。幽霊の話をするには、僕らはあまりにも不謹慎だ。不謹慎はきわまりなく、馨はそこをがぶがぶと齧りはじめた。寒気なのか、恍惚なのか、背筋がうっすらと粟立つ。
「怖いのは亡うなった人より、生きとる人やろ。いつでもな。……最初にこの手紙が届いたときは、一緒に別の手紙が入っててん。死んだ聞いて、一か月ぐらい経ったころやったな。手紙書いたは舘川さんの娘さんやった。僕らと同世代らしい。その手紙によればな。父は愛人がいることを家族に隠しもせず、公然と僕の元に通ったと。別荘を与えて住まわせただけやなく、家をあけてまで傍に居続けたことは、母、みかこさんにとっては屈辱以外のなにものでもなく、彼女を事故まで追い詰めた。母はあなたあてにずっと手紙を書き続けていて、それが何百と溜まって箪笥を埋めてる。自分たちにも、父には家族をないがしろにされていた、という裏切られた気持ちがある。母が送るはずだった手紙をこれから手紙がなくなるまで送り続けます。これは父を奪われ父から裏切られた私たち家族の怨恨です。そう書かれとってな。そっからや。不定期に、気が遠くなるような枚数の恨みの郵便が、届く。でもこれを僕は、受け取り拒絶なんかしたらあかん思た。燃してもあかん、読まなあかん。読み続けなあかん。それぐらいの覚悟で愛人やってたはずや、って。でもな、はじめはその意気で読んでても、やっぱ辛くなってな。届くと、開封もできずに眠れんくて発作が起きるようなってもうた。あとはおまえが知っとる通りや。ほんまはひとりでどうにかせなあかんが、僕の意気地のなさで、おまえをここに呼んで、世話さして、こうやって話まで聞いてもろてな。死ぬにも死にきれん。未練と甘えの境でどっちつかずの、しょうもない男や。そう思えば僕はまだまだ甘っちょろい。ぬるま湯で生かされてるようなもんや」
 それでも僕の見解を、馨はちがうと言いたいようだった。シャツの上から肩を思いきり噛まれて、痛みに反射で身体がすくむ。「痛い」
 それでもやっぱり、どうしても、離してもらえなかった。
「痛いて。もうやめや、それ、」
「――つまりアキはさ、人の家族をだめにした自分がこんなところでのんきに生きてるんだから、手紙ぐらいは受け取っておかないととか、考えてるわけか」
「……まあ、そうやな。別にそれで許されるんは、思てもないけどな。精神的苦痛やいうて金銭せびられたり裁判沙汰になるよりは面倒がないいうんが、正直な思いや」
「本当に罰を受ける気は、あるか?」
「え?」
「人をだめにした罰を受ける気が、おまえにはあるか?」
「痛い、」また強く噛まれた。
「おれはないんだよね。自覚がないからいちばんタチがわるい。……おれも人をだめにしたよ。それこそ何百、何千、何万っていう単位で」
「なに言うて、」
「音域、ってあるだろ。おれが出せる音の幅。広さ。その中で、おれが出しやすい音ってのがあって。それにもとづいて歌を作っていくと、自然と悲恋とか、悲観とか、哀愁とか、そういう、マイナーな音を組みあげて歌うような曲になるんだと。そしてそれをおれが歌ってしまうと、みんな共鳴して、自分の失恋と重ねたり、人生のやるせなさを思ったり、故郷への愛着を思い出したり、するらしい。要するにきらきらした明るいポップスって、歌えないわけじゃないんだけど、おれは向いてないらしい」
 馨は肩を噛むのはやめてくれた。けれどそこに縋るように、告白する。
「そういう曲ばっかり売れるもんだから、あれこれ路線変えてもそこに戻っていく。おれは歌えればなんでもよかったんだけどな。学生のころから確かに言われてたことだった。烏丸くんはファミリーソングとか軍歌とか、人を和ませたり鼓舞させたりするような曲ってホント向かないよね、とかね。オペラや歌劇の課題でも、褒められるのは椿姫だのアイーダだの蝶々夫人だの、悲劇ばっか。バンドに加入して歌いはじめて、真っ先にやられたのが作詞作曲やってたギターのテツだった。おれや世間の求めに応じて書いていくほど、落っこちる感覚になるとか言って、……逃れたかったんだろうな、酒とドラッグに手を出して捕まった。同じバンドのメンバーも、素行がわるくなった。雰囲気が最悪でさ。プロデューサーとか事務所の社長とかレコード会社の重役とかいろんな人巻き込んで、結果的に『おまえの歌は毒で、人をだめにするからうたわないでくれ』と言われてしまった。そのころには事態がもう最悪で。おれの歌聴きたいって言ってくれるファンはなんかもう中毒みたいになってて、脅迫や懇願めいた手紙やメールも届いたし、ファン同士のいさかいの暴力事件も起きた。どんなに讃美歌やゴスペルみたいなものをうたったとしても、……おれの音になってしまって、おれの意図しない、し得ないような、なにか増幅されたものとして伝わってしまうらしくて。そんなのおれの知ったことかよ、と思ってしまう。けど、歌手は音に意味をこめるものだから、それが悲しいとかやるせないとかせつない、というようなマイナス要因でしか伝わらないなら、おれには歌の才能がないんだ」
「それは」
「ないんだよ。おれはただ、音で遊んでいられりゃ、よかったのにな。……おまえが手紙を受け取り続けることが罰なら、おれはうたえないことが罰なんだ」
「……」
「……おまえにはまってだめになっちゃったっていう、その、舘川さんて人の気持ち。おれはわかるよ。いままでおまえに関わってきた人ならなんとなくわかるっていうと思う。おまえってさ、無自覚で人を誘うから。目の配せ方とか、身体つきとか、言葉のはじめの掠れ具合とか、そういうのがさ。高校のころから危なっかしいなと思ってた。犯罪に巻き込まれてもおかしくねえなと思ったけど、けっこうギリギリアウトみたいなとこまで行ってたな。……最悪なのは、おまえが心臓をわるくして療養生活になって、ますます磨きがかかってしまったことだ。傍にいたかった舘川さんの気持ちはよくわかる。おれも、そう思う。操られるみたいに、もう、離れられないんだ。ここを出てく人だとか言われても、おれは受け入れられない……アキと一緒に暮らしたい気持ちと、どこにも行くあてのない状況と、両方あるんだ。おれは。だから、出て行けとか、言わないで、……」
 いままで散々歌で遊んでいた神さまの子どものような人ならざる存在が、そこでようやくひとりの、ちっぽけな男に見えた。彼はとてつもなく淋しがっている。おれがいなきゃだめな身体にしてやるよ、の台詞は、自分自身へ依存してくれる存在を求めていたからこそだ。おれを欲しがってくれよ、という要求。もしかするとそれを原動力として、彼の歌には離れられない魅力になっているのかもしれない。
 人間に見えたからと言って、彼が神さまの子どもであることは間違いがない。この人のことを、僕はどうしていいのか持て余すだろう。けれど馨が淋しがっていて、僕が淋しがっている、この求めの方向の一致だけで、一生ここにいてしまえる。そういう気配が身体からただよってくる。
 僕を背後から手放さぬように抱きながら、背中に吐息を落として、「どうする?」と馨は訊いた。
「おれも、おまえも、人をだめにしちまう才能があるらしい。世間からつまはじきにされたのは、おんなじなんだよ。あれかな、出家でもして、世間に勤労奉仕、清貧につつましく暮らせば、許されるのかね」
「……それでも僕は、おまえには歌うてほしい思う」
「……」
「音で遊んでるおまえの傍にいるのはな、僕にとっては、神さまの庭を覗かせてもらってるような心地やから。おまえはやっぱり、うたわなあかん思う」
「なら、おまえは?」
「そもそも規模が違うねんで。期待しておまえ待っとる人の分母が」
「そんだけの分母全部だめにしちゃったら、どうすんの、おれ」
「……」
「どうしたらいいんだよ」
 うたっていたいだけなんだ、と、馨は僕の背中でひっそりと泣いた。
 背中で泣かれたので、僕はじっとしていることしかできなかった。

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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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