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 二度目に羽村に話しかけられたのは、庭の洗濯物を取り込んでいる時だった。急な雨になりそうだから取り込んでおいてくれ、と綾が出先から電話を寄越してはじめて、夕立が来そうな空の色に気付いた。それまで夢中で綾の手本を見ながら文字を書いていた。いま透馬が写しているのは綾の好きな詩人の詩集で、あと三分の一も書けば一冊写し終える、というところまで来ていた。
 電話を受け取ってから急いで庭の洗濯物を取り入れる。と、隣人も同じ空を見て同じことをしていた。透馬に気付き、またやわらかく微笑む。「雨、近いね」と空には目もくれずに透馬を見たまま言うので一瞬なんのことを言われているのか分からなかった。
 今日は長い髪を後ろで一結びにしていた。この時期にしては厚い綿地の半そでのTシャツは、白地に巨大な藍のトンボの飛ぶ斬新なデザインだった。藍色は濃く、羽村の腕も染まってしまいそうなぐらいのゆきすぎた青をしていた。
「それ、自分で染めたんですか?」思わず訊ねた。手の中を洗濯物でいっぱいにしているので顎でしか指せない。「シャツ」
「ああ、これね。うーんと、おれが染めた」
「職場で?」
「いや、大学時代に仲間と作ったやつだよ。化学染料だから色落ちしにくいのさ」
 ほーら、と羽村はくるりとその場でまわって見せた。右側にだけトンボの半身が大きく染め抜かれており、羽の紋様が美しい。
「羽村、だからハネなの、ハネ。これはー、オニヤンマ」
「かっこいいすね」
「お、こーゆうの好き?」
「だって普通にかっこいいですよ」
 素直にそう思ったから言うと、思いのほか羽村は照れた。はにかんで見せた表情が普段よりも幼い。それがかわいく思え、そう思った自分の感情に戸惑っていると頬にぽつっとぬるいものが当たった。
 雨が降って来た。
 取り込み中だった洗濯物を急いで縁側の内側へ放り込む。羽村も同じくそうしたが、「そっち行っていー?」と雨だれの中大声で訊ねられた。戸惑っているうちに、羽村は垣根を抜けてやって来る。不法侵入だ、と言ってもいいぐらいの強引さと狡さだった。
「まあまあ、雨がやむまでお話でもしましょうよ、青井透馬くん」
「勝手に人をあげると怒られるから嫌なんですけど」
 と言ってみたが、綾はそんなことで怒らない。不愉快な顔はして、客がいるうちは部屋に引っ込んでいるかぐらいはしそうだが。
 隣人だしいいか、と思って家にあげた。
 お茶、と図々しく言うのでグラスに氷を落とし、沸かしたての麦茶を急冷させて出してやる。せっかくだから先日の暁永襲来の際(例によって綾が長梅雨で体調を壊した絶妙のタイミングでやって来た)に暁永が持参したイギリス土産のビスケットも一緒に出す。王室御用達がどうのこうの、というやつだ。羽村は「なんかすごいの出て来たな」と、思いがけないもてなしを単純に喜んだ。幼い笑みをいっぱいに浮かべる。
 羽村は調子よく喋った。いわく「知らない土地に一人暮らしで淋しかった」と言う。ここへやって来たのは就職口があったからで、市で斡旋してもらえて賃貸でも格安でこんなにいい家に住めた。だが友人知人はみな大学周辺に留まっている。元より人の少ない土地だ。職場の人間以外に頼れる者がおらず、だから隣人の透馬を見て思わず嬉しくなってしまった、と。
「? おれ、嬉しかったですか?」
「タイプだな、と思ったからさ」
 話についてゆけないでいると、外から車のエンジン音が聞こえた。綾が帰宅したのだ。自家用車だったとは言え、駐車スペースから家屋までは案外に距離があるから濡れるかもしれない。強い雨だ。タオルを持って慌てて玄関へ出迎えた。
 二駅向こうのカルチャースクールで習字の講師として勤めた帰りに夕飯の買い出しを頼んでいた。ビニール袋を両手で抱えた綾は、案の定頭の先を濡らしていた。
「伯父さん、おかえり」
「……誰か来てる?」
 玄関に脱ぎ捨てられた見慣れぬサンダルに目をやってから、透馬からタオルを受け取って顔を拭う。
「隣の、羽村さんて人」
 さも興味なさ気に、あるいは非常に面倒臭そうに、綾は「ふうん」と頷いた。
「先にシャワーつかう」
「あ、洗濯物取り込んだだけで全然畳んでない。タオル、」
「いい、これつかうから」
 透馬に買い物袋を預けると、そのまま洗面台へ向かった。コース的には羽村と全く顔を合わさなかった。夏場は食品の足が早いからと羽村を放って透馬は食品を仕舞い込み始めた。それを居間の座卓で、羽村はのんびりと眺めている。
「おなか減ったなあ。ごはん食べたいなあ」
 様子を鋭く嗅ぎ取った羽村にそう言われ、年上に対してであるのに思わず透馬は「白々しい」と突っ込んだ。
「いいすよ、どうせついでだから。食べてってください」
「やったー」
 過剰に手を頭の横でひらひらさせて羽村は喜びを示す。口調がのんびりだから、本当に喜んでいるのかさっぱり分からないのだが。
「強盗みたい」
「失礼だなあ。なんにも盗ってきゃしないよ」
「今日が魚じゃなくて良かったすね。魚の日だったら、一人だけ白米でしたよ」
 喋りながら、そういえば暁永は自分のことを「押しかけ女房」と名乗ったな、と初対面時を思い出していた。周囲にはどうやら、ちょっと強引な奴らが多い。
 夕飯を作るよりも先に、と急いで透馬は洗面台へ向かった。「伯父さん?」と声をかけてから脱衣所の扉を開ける。
 湯気で煙ったすりガラスの向こうに肌色の影がある。それが動きを止め、同時にシャワーの音も止まった。
「なに?」
 ガラス戸を隔てて、風呂場から綾が答えた。
「羽村さん、めし食ってきたい、って」
「そう」
「……いい、んだよね、」
「もう了承しちゃったんだろう」
 笑うと同時にまた水音がはじまった。曇りガラスの向こうの、おそらくは背中を向けて身体を洗っている綾の裸体を想像する。見たい、触りたい。焦燥を引きちぎるかのように透馬は声を出した。「今夜は鶏にすっから」
 脱衣所を出てもまだ心臓がはやっている。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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