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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 その日、それでも馨は早朝の二時間をつかってバイトに出かけた。僕は僕で眠れず、ポータブルミュージックプレイヤーに落とした馨の音源をイヤフォンで聴いてすごした。彼らの音楽はジャンルで言えばオルタナティブ、ということになるらしいが、それがロックやポップスとどうちがうのか、僕にはよくわからない。曲調でいえば僕はバンドよりはソロシンガーの奏でる楽器一本だけの音楽の方を好むので、好みから外れる、といえば外れる。けれど馨の歌声、それだけで僕の心に響き、僕を深海に落とし込む。低い声、高い声、ファルセット、ビブラート、コーラスの重なり、裏打ちのリズムに乗せた言霊。ラップのような韻の踏み方、転調、ハスキーにも、透き通る音にも、自在にうごめき、耳元から注がれる大量の麻薬。
 こんなの、陶酔しないほうが無理な話だ。これを聴きたくてたまらない気持ちは、欲望そのものだろう。渇望、とも言えるかもしれない。耳への幸福というよりは、飢餓。圧倒的な才能にもたらされる渇き。
 夜が明けるころ、馨は戻ってきた。外気の気配をまとわせたまま、僕の部屋へじかにやってくる。音楽を聴きながら寝転んでいた僕は、起きあがって馨を迎えて、腹を決めた。馨は僕を欲しがっていて、僕は馨を欲しがっていることが、お互いくちにしないことで、了承されていた。
 きつく抱きすくめられ、秋の真ん中の、枯れ草混じりの潮風を上着から嗅ぎ取った。馨は震えていた。身体がとても冷たくて、脱がせていいものか戸惑うほどで、でも僕は馨の肌をじかに知りたかった。くちづけを交わしながら服を脱がせ、ベッドに重なる。僕が聴いていたイヤフォンを耳に当てた馨は苦笑して、それから僕の心臓の音を聴いていいかと訊ねた。
 ――ここに、機械はまってんだろ。どんな音がすんのかなって、ずっと気になってた。
 ――別に機械仕掛けの心臓になったわけやないから、変わらんで。
 ――激しい運動はしちゃだめなんだっけ。
 ――セックス止められとるわけやない。そこまで制限も出来んのやろ。ゆっくりやってくれんか。そしたら大丈夫やから。
 ――これ以上ないぐらいやさしくしてやるよ。
 心拍を聴き、身体のラインをなぞる。病気をしてから僕は体重が落ちたので、あまり自慢できるような身体ではないのだが、馨は、こういうのがおまえはだめなんだ、とかなんとか言って、丁寧に辿っていった。欲望があったはずなのに、それを二の次に置いて、お互いの身体を確かめる行為に没頭する。腕をまわし、指でなぶり、舌で舐めて、すすり、歯を当て、足を絡ませて、腰を揺らす。髪をかきまわし、額にくちづけて、耳を食み、肩に縋る。肩甲骨の形を確かめて、うわずった声を、そっくり音階で真似された。歌いはじめるかのように馨は音を出し、それはそのうち、ちいさくわずかな、鼻歌になった。低い声が、身体の上をかすめていく。
 ――心臓やぶけそうや。
 そう言ったら、馨は急に険しい顔つきになって、大丈夫か、と訊いた。
 ――やめるか?
 ――いやや、あかん。いまやめられたらそれこそ死んでまう。やめんといて。
 ――心臓の音聴いていい?
 ――確認せんでもええで。
 馨は身体をずらし、僕の裸体の真上に耳を重ねた。
 ――本当だ、唸ってる。海の音みたいだ。
 ――馨の音は?
 ――聴くか? 全身でうたってるよ。
 馨の裸体の胸に導かれ、僕は馨の音を聴く。
 馨の声を聴いて、馨に触れられているうちに、僕はまた深海へ沈んでいく心地になった。深い海溝へ、どこまでもゆっくり、静かに、沈んでいく。そこへひときわ巨大な魚がやって来て、バレーボールぐらいの大きさの目で、僕を見た。その魚は、歌をうたっていた。僕には理解できない音階と、音域で、うたいながら泳いでいた。
 魚は、大きなくちをあける。そのくちの中へ飲み込まれる。真っ黒であるような、真っ白であるような。圧倒的な洞窟へと落ちていく。
 ――けい。
 ――なに?
 ――苦しいな。
 ――そうだな。
 ――けい。
 ――なんだよ。
 ――僕、もう、壊れてまいそうや。こんなん、たまらん。
 ――なら、一緒に壊れてしまおう。
 ――一緒か。
 ――ひとりで壊れるより、いくらかましなんじゃないの。
 そうして荒い呼吸で浮上したとき、僕はようやく我にかえり、馨の手で射精し絶頂を見ていたことも、馨も僕の中で果てていたことも、知った。
 大きな魚は相変わらず僕を背後から抱きしめて、離さないでと言わんばかりに、僕の肩に額をつけて寝息を立てていた。
 どうすんの、おれ。おれたち。こんなふうにだめになって、どうしたらいいんだよ。
 僕はすこしだけ泣いて、馨の腕に手をまわして目を閉じた。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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