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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「アキ、郵便」
 馨が部屋にやってきたとき、僕はソファに寝そべって海を眺めていた。この家からは海が見える。開け放した窓からは潮風が吹きなびき、カーテンをふくらませている。
「机、置いといて」
「置いといてもいいけどこの風じゃ飛んじまうぞ。もういいだろ、海なんか。この部屋寒いぞ」
 そう言って、僕の答えも訊かずに窓を閉めてしまった。
「そんなに海好きだったか?」
「いや、そうでもない。この家を僕にくれた人はな、こだわりがあったようやけど」
 潮風に当たったせいで唇は乾き鼻はぐずついた。それをすぐに悟って、「風に長いこと当たるのもよくないんだろ」と言いながらティッシュとニットカーディガンを渡された。
「ん、……すまんな、」
「ここに来るまであんまり意識したことなかったけど、海って、いろんな音するよな」
「ん?」
「乱打ちのリズムで毎日お祭りみたいだ。毎日なにかが生まれたり死んだりしている場所だからかな。生誕祭とか、野辺送りとか、そういうごちゃ混ぜの音」
 窓を閉めても、打ち寄せる波音が地鳴りのように響いている。風が窓ガラスを鳴らす。時折、海からの強い風に潮が混じって打ちつける。海鳥が鳴いている。
「この家をアキにくれた人って、どんな人」
 意外な方面からの質問に、即座に反応できなかった。
「――え?」
「言いたくないならいいけど、……手紙、よく来てるみたいだから。心配してるんじゃないかなって」
 机の上にいくつも積み重なった同じ筆跡同じ封筒の手紙。そのどれもが開封に至っていない。
「……あれは、ちゃうねん」
「違う?」
「海の亡霊が寄越す恨みごとや」
「全然わかんないんだけど」
「知らん方がええで。知らんでおく方が、この家出るときにな、すっきり出られる」
「……」
「おまえは居場所がほかに見つかったら、行かなあかんやろ。そういう人やろ。せやから余計なことは背負わん方がええ」
「おれ、ほかに行く場所なんかないよ」
「あるよ」
「本当に、ないんだよ。うたっちゃだめだからな」
 机の上の未開封の手紙を手に取り、もてあそぶ。
「うたっちゃだめなら、どこでも暮らせないんだよ」
 そう言って、部屋を出て行った。


 眠りづらい夜を、そっと窓をあけて風を入れることで過ごした。本当は夜風はよくない、と言われている。そんな昭和の映画じゃあるまいし、とばかばかしい気持ちで、酒も入れる。ちびちびと舐めるように入れるウイスキーも、やはりよくない、と言われている。
 こんな身体になる前は、それなりに自由に過ごしていた。大学のころは徹夜でレポートを仕上げて授業に出る、バイトにも行く、飲み明かす、なんてこともやったし、社会人になってからは、残業で会社に残りつつ、恋仲の男に電話するような日もあった。酒も煙草も、娯楽もスポーツも、それなりにやっていたのだ。この身体はせわしく動きたい僕によく付きあってくれた。
 もっとも、それらの反動だったのかもしれない。僕の身体は、ある日突然停止した。正確には、心臓が。そのまま向こう岸へ渡らなかったことは、若さとしか言いようがなかったらしい。このままじゃ死にますよと、連絡を受けた家族は医師から説明を受け、同意した。僕がちゃんと気づいたときには、この身体にはペースメーカーが埋め込まれていて、いろんなことが禁止、禁止、規制、となっていた。
 自宅療養からある程度回復し、この家に移ると告げたとき、両親には反対された。このままうちにいていいじゃないの、あんたひとりで誰も面倒みられないのに、と言われた。両親には本当のことを言わないまま、もう成人して家を出てる息子なんだから、と押し切ってここへ引っ越した。本当は僕と一緒に暮らしてくれる人がいた。
 その人とは、二か月ぐらいをともに過ごした。それがその人の限界だった。そのうち本当にひとりになって、このままこの家で死んだら孤独死というやつで、この家は事故物件ということになるのかなあ、などと思っていた。馨を呼んだのは、淋しかったからにちがいなかった。
 けい、とそっとくちにしてみる。歌で返してもらえそうな気がした。でもそんなのは、馨の歌を聞いた誰もが抱く幻想だろう。けい、と再びくちにする。高校のころは近いのが当たり前、でもどこかで畏敬していた。この人はとてつもなく大きなものを持っていて、いつかどこかで、なにかを成す人だ、という予感。
 だからいまの生活は、心臓止めてまで生き延びてしまった僕の人生におけるボーナストラックで、馨のことは時が来たら、手放す覚悟でいなきゃいけない。
 馨に与えた部屋には、僕は一切立ち入らないことにしている。入ってしまったら、むせかえるような馨の「生きている気配」にやられて戻れなくなるような気がしている。でもその気配は、月日を経るごとに家の隅々にまで満ちてしまった。たとえば馨のつかったマグカップがダイニングに放置されているとか。庭に僕と馨の洗濯物が仲良く日差しを浴びていることとか。朝のアルバイトを終えた馨が帰宅してたてる鍵のまわる音で目が覚めることとか。僕が発作でつらい夜にやってきて、こういうときおれはどうすればいいのかな、と、言いながらも傍にいて、あやすように歌をうたってくれて迎えた最初の朝の記憶とか。起きたら沸かされていたコーヒーの香りの信じ難い多幸感とか。
 馨がいる。馨がいる馨がいる馨がいる。僕の生活に馨がいる。歌が聴こえる。馨のにおいのする毛布が居間のソファに丸まっていて、馨がかぶっていた帽子が玄関の靴箱の上にかけられている。風呂に浸かっている馨の立てる水音が、海の音に紛れず届く。郵便、と言って、馨が封筒を置いていく。
 僕はもう、戻れないところへ来てしまった。馨を手放す覚悟はない。また淋しさを味わうのか、という絶望よりなにより、馨への恋親しさに耐えられない。
 身体を丸めて、けい、とうめくように呟く。けい、けい、けい。一度止まった心臓を、馨にそのたび握りつぶされる。そのまま潰して本当に動かなくなってしまえば、僕は本望なのかな?
 風が動いた、と思った。窓の隙間から漏れるだけの風が、一気に動いて部屋をすり抜けた。それは部屋の扉があけられたからだと気づくのに時間がかかった。無言で僕のベッドまでやってきた馨は、ベッドに乱暴に腰かけると、「なんで泣いてるの」とぶっきらぼうに言った。
「――なんでって、馨こそ、なんで、」
「泣いてる気がしたから。発作かなって思ったけど、ちがったかな。なんで泣くの、」
「なんで、って……」
 馨がこの家にいて、僕の傍で生活しているから。馨が言った通りに、馨なしではだめな身体にされてしまったから。こんな夜に気配を悟って、やってくるから。なのにこの生活を続けてはいけないだろうから。
 いろんな言葉が感情に重なって、僕がぶれる。ぶれて震えて、本当に発作のように、僕はついにしゃくりあげて泣いた。泣けてしまった。
 馨は黙って僕の頭を抱いた。こんな人の胸で泣かせてもらえるなんてと、呼び水でさらにしゃくりあげた。うめくように泣いていると、頬を持ちあげられる。そのままキスなんかされてしまったので、僕はびっくりした。
 ただ唇を押しつけるだけの、簡単な交接。でもしばらくそうされていた。唇を離して目をあわせ、「泣き止んだ」と言われた。
「……なんでキスしたん、」
「泣きやませたかったから」
「泣いてる人がいたらおまえはキスするんか、誰でも」
「しねえよ、そんな見境なくは」
 それから僕をまた胸に抱き、背中を馨に向けるように肩をまわされた。背後から僕をくるむと、馨は背を壁とクッションに預けて、はーっ、と、長く息をついた。
「半年間訊かなかったけど、訊いたり話したりしないといけないな、と思った」
「……いまから?」
「どうせお互いに眠れない夜だろ、」
 僕が泣く前までくちにつけていたウイスキーのグラスを取り、馨もそれをくちにした。
「夜は、海の音がはっきり聴こえるな」
「……うん」
「おまえにはわるいとは思ったけど、もう色々といまさらだからってひらきなおることにした。これ、封切って読んだ」
 馨がポケットから取り出したのは、僕の机からさらっていった例の未開封の封筒だった。ここの住所に、僕の名前、切手と消印。裏には名前だけ書かれているものだ。『舘川みかこ』と。それらは流れるように綺麗なボールペンで記されている。
「……おまえがこれを封きれない理由がわかった。これを海の亡霊からの恨みごとだと言ったけど、死んだやつから恨みごとが届くわけないから、生きてる人間からの恨みごとだよな。びっくりした。……A4用紙に細かい字でびっしりと、ただひたすら、おまえへの妬みや、僻みや、恨み、怒り、とにかくおまえへの執着と怨念がすごい」
 読まれてしまったら、僕には説明するしかなかった。馨と触れる背中には、馨からの熱より冷や汗が滲む。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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