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身体はくたくたにくたびれているはずなのに、気は昂ぶって眠れそうになかった。自室でベッドに寝転んで眠気を待ったが、先ほどの衝撃から救われない。透馬がH学院大へ進学すると言えば綾はこの家で静かな暮らしが続けられる。もし透馬がF大へ行きたいといえば、自宅を仕事場とする自営業であるから、綾は仕事も共に失うことになる。
この家は綾にとても合っている。広くても慎ましやかで、静かで、穏やかな暮らし。たとえば都会で暮らす綾を想像してみるが、まったく似合わない。ダストや喧噪、様々なものにやられてすぐ伏せってしまいそうな綾のはかなさを想うと、胸がきゅうと絞られる。
外から足音がして、綾が家に戻ってくる気配が分かった。とっさに時計を見ると、午前零時をまわっている。てっきり一晩あっちだと思った、と透馬は意を決して起き上がった。
居間では誓子が布団を敷いて就寝している。それを起こさぬようにそっと床を踏み、綾の部屋の襖をあけた。「―伯父さん」
ベッドのスタンドだけを点けて、綾は部屋の中で着替えていた。夏の盛りでも真っ白な肌、陰影が濃く身体に落ちている。透馬は目を細めた。
「透馬、」
「眠れない。……話、しても?」
「ああ、……いいよ」
就寝時にいつも着ているTシャツに着替えると、綾はそのまま文机の前の座椅子に座り込んだ。透馬はベッドに腰をおろして言葉を探す。話をしても、と聞いてはみたが、なにを話していいのかまったく分からないでいる。
黙り込んだ透馬に、綾は「話聞いたか」と静かに言った。
「……借金のこと」
「ああ」
「この家がそんな風になってたなんて、知らなかった」
「おまえが気にすることでもなかったから」
「……知ってたかった」
綾ひとりで苦悩を抱えていたんじゃないかと思うと、胸が抉られるようだった。心臓を直にわしづかみにされるよりきっと痛い。綾のことだからこんなにつらい。恋をすることがこの痛みを永遠に続けるものだとすれば、透馬には到底無理だと思った。
「大人だけで話し合って決めて、ずりいよ」
「そうだな、大人はずるい」
「そうやってすぐに認めるところ」
「ああ、ごめん」
だからそういう、非を自分でかぶるところだ。言ってもきりがないのは透馬にも分かっている。もうそれほど子どもではなかったが、やっぱり苛ついた。
綾のベッドの上に足を持ち上げて、膝を抱える。「H学院大に行かなきゃだめかな」と弱々しい声音で訊ねると、綾はしばらく黙った。
「透馬がF大の工学部に行きたいのは、デザインをやりたいからなんだよな」
「――うん」
「工学部デザイン科…人間工学分野、だっけか」
あってる? と綾は透馬に尋ねる。以前ちらっと話しただけだったのにそこまで覚えていてくれていたから、嬉しかった。「あってる」
「……家具のデザイナーになりたいんだって言ってたな」
「そう。伯父さんが楽に仕事出来るようなでっかい机とか、座って楽になれる椅子とか。あとはほら、おれがいま使ってる机って、元々伯父さんがつかってた机なんだろ? あれ、すごく気に入ってるんだ。ああいうの…デザインして、つくってみたい。F大は工学部のデザイン関係、すげえ強いとこだから」
これは前々からの興味だった。綾が植物に興味を持って絵を描くように、透馬の興味の先は建築物、あるいは製品だった。部屋にある椅子や机や地球儀はなんどもスケッチブックに写した。高校でもいま、試験に必要になるからと言って美術科の教師に頼んでデッサンを教えてもらっている。
アオイ化学工業とは微妙に分野違いだ。しかも青井の父が「経済学部」と指示したからにはおそらくは経営学を学べという意味で、デザインなどやらせてもらえなさそうだった。そういう意味で、今回の件は二重に辛い。夢を諦めなければならないのか、…そもそも夢など持ってしまったからいけないのか。父はあの青井だというのに。
「透馬のその夢、とても素敵だと思う」
綾ははっきりとそう言った。「出来ることなら応援してやりたい」
「H学院大にも工学部があるんだからそこへ、とも思ったけど、それじゃ意味ないんだよな。…でもぼくも、家を取られている」
「……うん」
「……いっそ、家なんかなくていいのか……」
綾の言い方にぎょっとした。文机の盤面に肘をついて、綾は悔しそうに頭を掻く。
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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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