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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「なんか高いところがいい」と言う。
「ん? 高級料理店ってこと?」
「違う。値段じゃなくて標高が」
「え? 山の上?」
「違う。……眺めのいいところ。この街が見渡せるとか。ああ、でもそういうところって値段もいいのか」
「いや、そうとも限らないと思うけど。……ならちょっと海にひらけた方行こうか」
 地下鉄を使い、結局川沿いの地区に建つデパートのレストラン街へ来た。眺めを重視した結果、デパートによくあるカジュアルレストランになった。ハンバーグからパフェまでなんでもいただける。窓際の席に座れた。
「あ、川」と八束が呟く。お互いにビールとチーズの盛り合わせを注文した後だった。
「ここでも川を見るなら帰って飯食っても変わんなかったかな。昇進祝いって感じじゃなかったね」
「いいんだ。誰かと遠出したのって久々だし」
 簡単な料理とドリンクはすぐに運ばれてきた。よくあるレストランだとしても、冷えたビールグラスの金色は魅力的だった。
「昇進おめでとう」
「……ありがとう」
 グラスを合わせ、ビールをひと息に飲む。渇いた喉に刺激が心地よい。店員を呼んですぐに二杯目を頼む。ついでに料理も他にオーダーした。
「……きみはさ、婿養子にでも入ってたの、」
 テーブルに置いた眼鏡をいじりながら、八束は訊いた。ようやく来た、と思った。
「さっきの藍川先生はきみのことを、タカシマと」
「……いや、」
 私は目を伏せた。顔を突きあわせて語る勇気を探っている。
「嫁をもらったよ」
「じゃあなんでタカシマなの。というか、……セノさんの本名を知らないな」
「四季ちゃんは知ってるよ」
「なんで四季が?」
「南波家の店子の個人情報簿見たからだって。大家さんがあれをめくってるところで彼女は漢字の読み方を覚えたって言ってたよ」
「なんてところで覚えてるんだ」
「タカシマセイオンだよ」
 八束は目をひらき、すぐに疑う目つきになった。
「嘘だ。からかってるんだろ、僕がタカシマセイオンのファンだって知ってるから」
「からかってないよ。からかってはないけど、……そうだね、嘘つきました」
「ばか」
「うん、……タカシマ『セイオン』ではない。セノだよ、セノ」
「だからセノの下の名前」
「お待たせいたしました。生ビールおふたつです」
 また金色の飲み物が運ばれて、あいたグラスはお下げしますとかポテトこちらに置きますとか、そんなやり取りで会話は中断された。喉の渇いた私は間髪入れずにビールを口にした。まだ二杯目なのにまわった気がした。
 向かいでふてた顔をして、八束は息をついた。
「まあいいよ。そのうちきみが寝てる隙に免許証でも盗み見するから」
「きっとすごくびっくりするよ。信じてもらえないかも」
「そんなキラキラネームなの」
「一発で読んでもらえたことはないかな」
 グラスを置き、「セノだからね」と繰り返すと、八束は「分かった分かった」と手をひらひら振る。
「そういえば、会場のお花、すごかったな」と八束は話題を変えた。
「藍川先生という方は、よっぽど人望がある人なんだね。きみだって院のこと嫌がってる風なのに、でもお土産持参してまで母校に足を運ぶんだもんな」
「まあ、すごくお世話になった。教わった技術はどれも無駄じゃなかったし、あの人ぐらいしかおれを評価してくれなかったしね」
「退官と聞いたからもっと歳を取った教授をイメージしていたけど、とても若々しい人だった」
「あれでも娘さんはもう結婚してお孫さんが生まれたんじゃなかったかな」
「すごくモテた?」
「大人気だった」
「やっぱりね。作品も繊細で丁寧で。なんか鷹島静穏の彫刻を連想したな」
 そりゃ直接教わってますから、と心で唱えながらチキンソテーを咀嚼する。
「鷹島静穏もあの大学に在籍してたはずなんだよ」と八束は言った。
「年齢的にきみとかぶったりしないのかな。構内ですれ違ってない?」
「……八束さんはさ、目の前の男が髭剃ったらどんな顔してるのかって、想像したことない?」
 その発言は、八束にすれば藪から棒だったらしい。「え?」と訊き返された。
「どうしたの、急に」
「きっとあなたの好みだから今日はもう鷹島静穏の話しないで」
「……言ってる意味がわかんないんだけど、もしかして面白くないの、」
「別に。いたたまれないだけ」
「妬いた?」
「別に、おれは……」
 またビールを口にする。
「鷹島静穏なんてろくな男じゃないってだけ。……あなたには面白くない話だろうけど」
 自身を省みて、どうやっても評価に値しない。そんなのに憧れを抱きファンだと言ってはばからない八束には目を覚まして欲しいと思ってしまう。だがそれは八束が私への興味をなくすことでもある。それはそれで惜しいと思う自分がふがいない。
 好きなものを否定されたにもかかわらず、八束は嬉しそうに笑った。幼さが透けて見えて、三十五歳とは思えぬ表情にずきっと来た。
「……なんで笑ってるの、」
「いや、……なんかね。セノ先生にもそんな幼さがあるんだな、と思った」
「嬉しいの?」
「いい昇進祝いだよ」
 それからうらうらと食事をして、駅に戻った。土産を選んで夕方遅くの特急で町へ戻る。
 車内で八束はずっと本を読んでいた。だがその表情は明るい。心臓が痛かった。あるいは胃痛かもしれない。そんな人間ではないし、こんなことをしている場合ではない。
 私が仕事で使用しているメールアドレスに「Takeru AIKAWA」からメールが届いたのは、五月のはじめの頃だった。


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今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。




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寒椿さま(拍手コメント)
あけましておめでとうございます。新年のご挨拶をありがとうございます。
彫刻家の話は、ずっと書きたいと思っていたテーマでした。安曇野の美術館というと、荻原碌山でしょうか。大学時代に遠征した思い出があります。相馬黒光との悲恋ゆえの大作は歴史に残る素晴らしい作品ですね。
鷹島静穏の作る彫刻の、モデルにしている彫刻家はおります。今は名を出しませんが、私は実物を目にしたことがないので、いつか見たいと思っております。
コロナ禍で様々に制限され、疲弊するこの頃となってしまいましたが、その中でも「薬湯のような」と表現していただいたことが私にとっても励みになります。更新はしばらく続きますのでどうかお付き合いください。
拍手・コメント、ありがとうございました。良い年になりますよう。
粟津原栗子 2022/01/01(Sat)16:46:20 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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