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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 透馬用に夏人が調理し直した料理を出して、また乾杯となる。特に透馬に合わせて焼いて出してくれたパイスープは、中身のブラウンシチューが絶妙で、皆でため息をついた。
「こんなところでプロの料理が食えて、おれ得しちゃいました」
 透馬の台詞に、柳田が「プロの酒だって飲めるぞ」と見た目の華やかなカクテルを出してくれた。底から表面にかけてブルーからイエローにグラデーションとなり、パイナップルの飾り切りが添えられている。明らかにアオイ化学を意識した出来で、瑛佑は一瞬ひやりとしたが、透馬が「おおすげえ!」と興奮しきって声を出したので特にフォローするのはやめた。元より透馬に人を引き合わせてうまくゆかない想像をしていない。すぐ懐くだろうと思ったが案の定で、柳田などは特に透馬を気に入り、熱心に話し込んでいた。夏人も混ざっている。
 透馬の買って来たスイーツをかけてじゃんけん大会を開いたり、眠くなった子どもたちがぐずって秀実が困ったりと、夜は賑やかに進行した。一足先に帰った柳田夫妻を見送ってから、そのままそっと玄関先の壁にもたれた。酔いが、思ったよりも身体の奥深くまで浸みてめぐりまわっている。眠い。少し飲みすぎたな、と今現在の自分の身体の作動能力を確認して、バルコニーへ出た。つめたい北風に吹かれて飲酒飲食によって上昇した熱と乗じて降りかかる眠気とを醒ましたかった。
 背後で窓ガラスのあく音がした。「風邪引いちゃいますよ」白い息を吐きながら、透馬もバルコニーに降りてくる。
「酔い醒めたら、中に入るよ」
「けっこう飲んだんすか」
「おれにしたら、だいぶ」
 そのまま二人でぼんやりと手すりに寄りかかってネオンの光る街並みやそのあいだにある紺色の空を見ていた。火照った身体にも十分「寒い」と言える風が吹いたが、もう少しだけ暖かな部屋には戻らない選択をする。
「瑛佑さんがおれの性癖についてあれこれ気にしないのって、やっぱあの人たちが知り合いだからですか?」唐突に、透馬が言った。「高坂さんと、日野くん」
 隣を振り向けば、透馬は目線を遠くへ固定したままでいた。夜で、しかも部屋からの逆光で影になるというのに、透馬の横顔の輪郭線がはっきりと見えた。どこにも曖昧なかたちのない、綺麗なラインだ。半端に開いた唇のかたちでさえ、意識してその位置に置かれているのかと思うぐらいだった。
「――別に」思いがけず魅入ってしまったので、返事のタイミングが遅れた。「それだけが理由じゃないよ。おれは留学経験あるって、前に話したな。向こうには透馬みたいなのって割と普通で当たり前だった。友人にもいたし、あ、そうだ口説かれたこともある」
「え、まじで?」魅力的な横顔を一瞬でほどき、透馬がこちらを向いた。興味津々、よりは少し苛立つかのように眉根を寄せる。「聞きたい。どんな風に? どんなやつに?」
「どんなやつに、ってか、まあ、普通に町でだよ。友達とバーに入って飲んでて、友達が席を立った時にすっと男が横に入って来てさ。『どこから来たの』『向こうで一緒に飲まない』っていう、オーソドックスな流れだった。『瞳がクールでとっても素敵だよ』って耳元で言われた時はさすがに鳥肌立って、逃げた」
「うわ、超積極的」
「友達いたから、笑い事で済んだ。後で聞いたら『アジア人は肌が綺麗で童顔だからもてるんだ』って言われて、びびったな」
「うーわー」透馬は顔をしかめた。「それって逆にさ、偏見材料になっちゃわなかったですか?」
「ならなかったな。さすがにそいつは生理的には受け付けなかったけど、あ、こういう人もいるんだなって自覚したというか。…やっぱ、知り合いにはいい奴多いし、つか、普通に普通だろ。向こうの友達も、高坂さんと夏人も」
「……あの二人、いいですよね」明るい背後へ透馬は顔を向けた。「穏やかで、静かで、当たり前で」
「……――いいな」
「…………」
 とても切実な羨望だった。どう返していいか分からないほど、剥き出された本心にうろたえた。事情を少しだけ知っている分、無理もないと思った。
 透馬と不倫相手がどういう経緯でそこへ至ったのかは分からない。恋愛感情があって成立しているものかどうかも、透馬が語らないからそれ以上は知らない。声をかけようがなくて黙っている。
 ただ、透馬はきちんと恋をした方がいいんじゃないかと思った。身も心も潔くきれいでまともな、いい奴とまっとうな恋をした方がいい。そういうの現れてくれないか、と。
「おれもそう思うよ」
 考えて、そう答えた。透馬が瑛佑の顔を見る。
「男同士がとか言うんじゃなくて、人としてあの二人いいなと思う」
「……うん」
「中、入るか」
「……すね。さすがにもう、頬が痛いよ」
 バルコニーから室内に入る際、もう一度振り向くと空には冴え冴えと月が光っていた。細く鋭い銀細工のような月を眺めてから、部屋へと足を踏み入れた。


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 夕方六時をまわって透馬から「いま駅まで来た」というメールを受け取った。夏人に告げると時計を見てオーブンの準備を始める。十五分ぐらいして「多分近くまで来た」というメール。続いてすぐに電話が鳴った。
『スターヒルマンション五〇三号室、って言いましたよね』
「着いた?」電話に秀実も反応して、瑛佑の隣でうざったいぐらいに耳をそばだてている。
『多分いま、エントランスの前に。これ五〇三って押してピンポン?』
「うん、そう――あ、いま下まで降りるわ」高坂から鍵を借り、部屋を出た。おれも、と言って秀実もついてくる。柳田の息子を肩に乗せたままだ。
 エレベーター内についている鏡を見てふと、高坂と夏人が子どもを本気で欲しがったらこうなるだろうか、と想像した。二歳児とすっかり楽しくなっている秀実の横顔をまじまじと見る。
「――ん、なに?」
「いや、おまえって子どもを肩車するために生まれてきたぐらいそれ似合うな、と思って」
「おれえーすけも肩車出来るよ。後でやろうぜ」
「いやだよ、ばか」
「遠慮すんなよ、おにーちゃん」
 筋肉自慢の出来る秀実ならレスリング選手のように、そりゃ軽々と瑛佑を肩車してみせるのだろう。ごめんだ、と思った。本気で嫌がるとわき腹をたわむれに突かれる。揺れに、頭上で子どもが笑っている。落っことさないかひやひやする。
 合流した透馬は冬の匂いがした。外気温が相当下がっていることをそこで実感した。ひやりとした空気をウールの縮絨コートにたっぷりと含ませて、透馬は「仲いいなあ」と秀実と瑛佑に近寄った。
「ヒデくん久々」
「トーマぁ」子どもの両足を片手で押さえ、片腕を透馬に伸ばして再会のハグをする。だから子ども落っことすなよ、と、瑛佑は慌てて秀実から二歳児を引き剥がして抱いた。
 ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、透馬は「いたいって」と悲鳴をあげた。腕を秀実の身体の外へ必死で突っ張り、ケーキの箱を死守している。人の顔を見てハグをするのは秀実の基本で、誰にでもやる。両親の結婚で義兄弟になると決まった時も、留学先から帰国した時も、遠地勤務を終えて再びこの街に引っ越して来た時も、全部やられた。
 夕方、マンションのエントランスは全くの無人ではない。帰宅した女子高生らしき少女がオートロックを解除した途端ぎょっとした顔で通り過ぎて行った。行こう、とエレベーターへ引っ張る。
「ていうかそれ、瑛佑さんの子どもですか」瑛佑の抱いている子どもを見て、透馬が訝しむ。
「まさか。着いたら紹介するけど、職場の人のお子さん」
「はは、っすよね。子どもがいるなんてわかってたら、もうちょっとかわいいスイーツ買って来たなあ」
「なに買って来た?」秀実がわくわくして訊ねる。
「人数九人って聞いたからこのショーケースのここからここまで一個ずつください、っていうのやった。種類の指定はなかったし」
 実際にそこにケーキのショーケースがあるかのように、透馬は右の人差し指と左の人差し指でジェスチャーする。
「一度やってみたかった」
 鏡越しに目が合い、瑛佑も微笑む。
 マンションの部屋までたどり着いて、透馬は入るなり「あったか!」と叫んだ。外は北風がびゅうびゅう吹いて歩くのに耳が痛かった、とこぼす。冷たい風を浴びても顔は赤らまず、どこもかしこも白いままだ。美術館に置かれた石膏のような質感の手首が、上着を脱いだ際に視界にちらついた。
 柳田ファミリー、高坂、夏人と初対面組を引き合わせて紹介したのは秀実だ。フルネームを聞いた高坂と柳田はさすが勘が良く、透馬の正体にすぐに気付いて驚いていた。秀実は透馬からばかみたいに派手なラメ入りのファーを首にかけられて、「スターみてえ」とご機嫌だ。


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「――ていうかさ」仕切り直される。「子どもに恵まれない夫婦が積極的にバザーやボランティア活動に関わっていく動機、みたいなの」
 また、間。
「――いや、やっぱりちょっと違うか。…うまく説明にならないな」
「子ども、ほしいんですか、高坂さん」
 だったとしたらとても生々しくて切実で、生半可には返事をしてはいけないと思った。同性愛者の婚姻やパートナー制度についていま各国どうなっていたんだっけと頭の中をフル回転させ、注意深く訊ねる。
「いや、そうじゃない。ほしいわけじゃないし、ほしくなったとしても無理じゃん。海外行きゃ少しは現実的になるのかもしれないけど、それにしたって絶対におれと夏のだけの子どもってならないし。それは違うんだけど」
 夏、と呼んだことをなんとなく頭の中で反芻した。普段は「夏人」と潔く呼んでいる。
「子どもいる夫婦なら、例えば柳田みたいな家族だったら、育ててかなきゃいけないからどうしたって人と関わっていくだろ、当たり前に。人も寄ってくるだろうしな。おれと夏はそれがないから、孤立する可能性がある」
「人から、ですか。社会から? 考えすぎですよ」
 二人とも働いているし、おまけに接客商売だ。人を嫌う人たちでもない。あり得ない、と即座に首を横に振ったが、高坂は深く息を吐いた。
「おれたちの性質みたいなもんだよ。黙ってても一日過ごせてしまう、ずっと二人っきりで閉じたまんまで、なんにも困らねえんだ。付き合いはじめの頃は本当にさ、夏とだけで人生終わっていいと思ったんだよ。夏が死んだらおれも死んで、おれが死んだら夏も死んで、おしまい。でも、いっせーの、で死ねないからさ、現実は」
 いつの間にか高坂は両手を組んでソファに深く沈み込んでいる。その手に強く力が込められている訳ではない。指輪もはまらないなめらかな指だが、重なっているのは夏人の無骨な指なんじゃないかという気がして、心臓がひやりとした。
「二人きりじゃいけないよな、っていう話をしたんだ。夏が言った。もっと誰かと関わっていこうって。なにかの拍子にひとりになることは避けなきゃならない。それを望んだりはしていない。いつかなんらかの理由で別れる時が来てしまっても、お互いの人生はきちんと全うすること。そのためには、他人も混ぜていかないと」
 なあ、夏。そう言って高坂が斜め上を見た。夏人が高坂の背後に立っていたことに、視界に入っていたはずなのに気付かなかった。
 夏人は無言で頷いて、「後から来る子、連絡来た?」と瑛佑に訊いた。瑛佑が首を横に振るのを見て、やはり無言で頷き返す、のを高坂が「やっぱおまえら面白いよな」と笑った。
「夏人、今日たのしいか?」
 高坂が夏人に訊く。
「楽しいよ。滋樹も楽しいだろ。瑛佑くんも楽しい?」訊かれたので頷く。「よな。みんなそれぞれに楽しく過ごしている。そうやって集まってる。それでいいんだ」
「ってのが、夏人の持論」
 推し量るにはちょっと足りない単語数をそうまとめられた。多分、二人だけに通じる言語なんだろう。
 夏人の手が、そっと高坂の肩に触れている。そういやうちの新・両親たちも外出先じゃ手をつないで歩く。ここ数年、彼女のいない瑛佑にはない触れ方が、唐突に恋しく、懐かしくなった。
 いいなと思ったから、瑛佑は頷いた。「おれもそれ、持論にします」


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「夏人がなんか作るから、適当に人呼んで、飲んで食って。秀実の『失恋パーティ』とでも銘打とうか」
 高坂はにやりと笑った。
「そんなことして大丈夫ですか? ただでさえ貴重な休日が、台無しになりますよ」
「夏人がメシ作って、おれが酒を用意するんだ。台無しになるわけあるかよ」
 高坂の台詞に、改めて高坂の顔を見た。そりゃそうか、と納得した。夏人の食事が美味くないはずがないし、高坂の酒が外れるわけがないし、最高の料理とドリンクが振る舞われて、楽しくないはずがない。
 シフトを擦り合わせて、十二月中旬の水曜日に決行となった。高坂たちはこの手のことが意外に好きで、こんな忙しいシーズンでなければ何度か呼ばれたことがある。高坂は「柳田も呼んだら来るかなー」と同僚の名を挙げた。それで瑛佑も、透馬を呼んでみるのもいいかもしれない、と思った。
 メールのやり取りは毎日あっても、顔は全く合わせていない。夏人の店にだって連れて行けていないから、料理を食べさせるのにいい機会じゃないかと思った。誘いのメールをしてみると即座に「行きます」と返信があった。
『あ、でも水曜日なら仕事だ。夜までやってますか?』
『夜までやるような予定にしてもらうよ。初対面な上に無口が揃うけど大丈夫か?』
『慣れてる、って言ったでしょ。それにヒデくん来るんですよね』
『あいつが主役で花だから』
『うわー、調子乗ってそうなヒデくんが思い浮かぶ。おれ花輪持って行ってやろうかな』
『想像でもう気持ち悪い』
『おれが行く頃に、シメになります? 食後はケーキ? アイス? ご希望のスイーツ、引き受けますよ』
 それで甘えることにした。仕事帰り、透馬がどこかに寄って甘いものを買ってくる。その話を高坂にしたら「夏人が気にしてる洋菓子屋があるんだけど」と早々と店を指定され、秀実にしたら「おれもなにかしたい!」と張り合った。なに言ってんだか。楽しくなる。
 迎えた当日はひどい寒波がやって来て、芯から冷える日だった。瑛佑は夜勤明けで、昼ごろまで仮眠を取ってから出かけた。寒いので、アウターの上からマフラーをぐるぐる巻く。街行く人も重たい身なりの人間が多かった。
 秀実が食材の買い出しをして、あらかじめ高坂と夏人の家に向かう手筈だ。高坂の同僚の柳田も妻と子ども二人の一家四人でやって来ていた。後から来る透馬も入れれば九人の、普段の瑛佑の交友なら信じられない人数だった。
 昼過ぎに現れた瑛佑を見て、柳田は「場に華がない!」と明るく唸った。柳田の妻と、四歳になる上の娘とを除けば後は男。瑛佑は「しょうがないでしょう」と苦笑した。
「カノジョ連れてくるかと思ってたら連れは男だって言うから、おれもうあからさまにえーって高坂にゆっちゃったよ」
「秀実の気に入りです、久々に会うらしいんで勘弁してやってください」
「ヒデのお気に入りはいいけどさあ、野郎ばっかじゃ失恋の慰めにはならんだろ」
 準備でせわしない高坂が「野郎ばっかじゃ」の部分で通りかかりに柳田と目を合わせ、お互いに半笑いしていた。
「あいつはいいんですよ、楽しけりゃなんでも。柳田さんの奥さんとお嬢さんとで華は十分です」
「まあ、そうだよな」
 真顔で言う。四年ほど前に結婚して、柳田はますます明るくなった。柳田の子どもたちのために途中で買い求めたクッキーの小包を出すと、赤と金色のラッピングのそれを素直な笑顔で喜び、子どもたちを呼んでくれた。
 失恋会のメニュー。香草とピラフを詰めた鶏の丸焼き。ホタテとエビと玉ねぎとジャガイモのフライ盛り合わせ。白身魚とトマトの煮込み。ホワイトソースのオムレツ。野菜だしのスープ。蒸し野菜にソース三種類。普段夏人が作る料理よりも家庭的なのは、子どもに合わせて考えたからだ。秀実も味覚が子どもなので、肉と揚げ物ばかりだと単純に喜ぶ。柳田の下の息子とすっかり意気投合して、喋ったり食べたり食べたり飲んだりと忙しい。
 料理は舌の上で踊るように美味で、あまり飲めない瑛佑にも酒がするりと入ってしまう。日野は主に柳田夫妻と、瑛佑は高坂ととりとめもなく話をしながら飲んでいた。各々に好きに休憩を挟みながら、休みながら、適度にくつろいだ時間が流れる。
 夕方、腹休めに高坂の蔵書をめくりながら透馬からの連絡を待っている間に、再び高坂が近付いてきた。
「なんか読みたい本でもあったら貸すよ」そう言って手渡してくれたのは、ライムとレモンのスライスの入ったソーダ水だった。
「連れ、何時頃来るの」
「多分そろそろ」
「どんな奴?」
「んー……秀実二号、みたいな奴です」
 と言ったら高坂は「えっ」と声を上げた。「そりゃやかましくなるな」と吹き出す。
「や、バカでハッピーって意味ではなくて、お喋りで淋しがりで子どもっぽいかと思えば実はちゃんと大人で、その逆で、おれにとっては正体のつかめない地球外生物な辺りが」
「ふうん、複雑なやつと付き合ってんだな」
「高坂さん、今日のこと色々と、ありがとうございます」
「いや、おれたちも騒ぎたかっただけだから。礼言うほどのことじゃないって」
 そう一度はひらひらと手を振った高坂だが、しばらく考えて、「んー、と」と言葉を探り始めた。なんだろうか、珍しい。


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 終業後に携帯電話をひらいてメールの新着をチェックする、それが楽しみになった。
 大抵は一通、透馬から他愛のないものが届いている。「学食で新発売されたプリンがまじうまくて最高」とか、「学生から彼女いないでんですかって訊かれました」とか。
 忙しいとほったらかしてしまうが、向こうもそれを承知であれこれ送ってくるのだと分かっているから気負いがなくて済んだ。本当に無口の扱いを心得ていると言うか。秀実だったら、まどろっこしくなって電話を寄越す、時間も都合も全く構わず。
 たまに突っ込んだ話題もあって、そういう時は出来るだけ早く返信をした。瑛佑自身も透馬の興味の行方が面白かった。例えば先日は、「ホテルと結婚式場がくっついてると、夜はそのホテルのスイートに泊まれたりするんですよね。あれって公認で『どうぞお励みなさい』って言ってるようなものだと思わないですか」だった。一体なんのきっかけでどう考えたらその思い付きをするのか、突拍子もなくてつい笑った。
――『なんでそんなこと考えたんだ?』
――『妹がまさにそれだったはずだから』
――『新婚の夜に励まないでいつ励むんだよ』
――『それはそうですけども』
――『ホテルって、要するに巣だと思ってる。仮宿だったとしても寝る人は寝るしする奴はするだろ。それをいちいち調べたり把握したりはしない』
――『うーん、そういうもん? か。そっか』
――『海外のベッドのCMって見たことないか? 子どもが寝るのに使う、ティーンが腰かけて雑誌をめくるのに使う、夫婦が営みに使う、ってさ。そういうの全部込みが当然なんだ』
――『CM、見たことないな。それ日本で放映してたやつ? そもそもおれ海外なんかちっちゃい頃に一度だけだし』
――『留学先でかな。おれ外語大で、アメリカ留学してた、多分そこで』
――『うわすっげ、っつか、だからホテル勤務すよね。あーいま納得した。すげえな、英語喋れるんだ瑛佑さん』
――『そっちの方が意外。海外なんかぽーんと行ってそうなのに』
――『おれ、庶民ですから』
――『なんだその理屈』
 というようなメールを繰り返す。たまに、不倫相手や青井の家族のことを書くときもあった。特に反応を窺っているわけではなく、吐き出し口だと思えたので黙って受け取った。不倫相手は透馬より十歳年上なこと、家にはお手伝いさんがいること、妹の結婚を機にますます家に帰りにくくなったこと等の情報が少しずつ公開される。わずかでも瑛佑が迷うそぶりを見せればきっと「全部冗談でした」とでも言って、引っ込めてまた隠してしまうような慎重さで。
 十二月、はっきり言えばめちゃくちゃ忙しい。クリスマスに正月とイベントは目白押しで、透馬の言い分を借りれば「公認」で「お励みなさい」と言う機会も増えるし、演出しなければならない場合もある。利用客が多くなれば、単純に忙しい。フロントがパンク状態になるほど混みあう日もある。ここはあくまでもホテルの顔。正しい言葉づかいと身のこなし、要求を的確に掬い上げ各部署へ素早くまわすこと、それが仕事と、忙しい分普段よりしつこく丁寧に自分に言い聞かせて立ち回る。
 飲食部門で働く高坂も飲食店を経営する夏人も同じように多忙なはずだが、ジムのインストラクターとして勤める秀実はむしろ「みんな遊びに行くから客が減る」とぼやき、「遊ぼうよ」の一点張りだった。あんまりうるさいのでどうにかしたいんだけど、となにかの拍子で高坂と会った時に話すと、「じゃあうち来る?」と驚くべき答えが返ってきた。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
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