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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「ばれた、って、ばれてやましいようなこと、したのか」
『おれが有崎さんと一緒のとこ、見たんじゃないんですか?』
 やっぱり有崎か、と思った。心のどこかで、有崎ではない潔白な間柄の誰かとなにかの必要に迫られて、という可能性を信じていた。「おれじゃない、秀実が」
『そっか、ヒデくんに見られちゃってたんですね』
「……なあ、透……」
『瑛佑さん、この通りおれはろくでなしなので、別れてください』
 一方的な言い分。さっぱり訳が分からなかった。
「なに?」
『別れて、ください。今までありがとうございました。でもおれ、やっぱり有崎さんと離れらんないっていうか、身体の相性? が良くって、無理』
「本気で本心で本音か、それ」
『……有崎さんとずっと切れてなかった、って言ったら?』
 自嘲気味に透馬は笑った。『瑛佑さんに、ずっと嘘ついてました』
『瑛佑さんのことだって、好きなんかじゃなかったですよ』
「嘘だろう」
『……本当です』
「いや、嘘だ」
 透馬の必死な声を聞いてそう思った。透馬に嘘はつけない。有崎との身体の相性が? ずっと切れていなかった? ばかな嘘だと思う。
 何度も好きだと言ってくれたことを、信じている。たくさんのキスや心までほぐす愛撫がまるきり嘘だったわけがない。瑛佑がいればいいと言ったあの時の声が本心、いまを嘘だと信じる方が無理だ。
 そもそも瑛佑に対して嘘をついて恋をして、なんの得があったと言うだろう。
『……宿が欲しかっただけなんですよ、初日も、その次も。家に帰らない理由が』
「……」
『ヒデくんみたいに単純だったら住みこんじゃおうと思ったのに、瑛佑さん、誠実だったから』
「それ、どこまで本当?」
『全部本当ですよ』
「それにしたって、いまの話じゃ無理があるだろう。宿がほしかったから好きだって言うなんて」
 話しているうちに膝がふるえてきた。透馬に関して、ただただ悲しかった。
 電話の向こうから、喉元がぐっと詰まる雰囲気が伝わった。
「いままでのことが全部、嘘?」
『――大体、瑛佑さん元は女の人の方が好きなんですから、根本からうまくいきっこないんですよ』
「それは話のすり替えだ」
『……』
「透馬、一体なんなんだ」
『……』
「本当のことが聞きたい。嘘はやめてくれ。……おれと、別れたい?」
 深い悲しみが、と思った。透馬が抱えるなにかが、透馬をひどく歪めている。冷静になれないほど、こうして突き放すことしか出来ないぐらいに。
 透馬はしばらく黙っていた。瑛佑はじっと耳をすませる。やがてちいさく『瑛佑さんはいい人すぎる』と呟いた声が聞こえた。
「電話じゃ埒あかない。透馬、いま会えるか。会おう」
『無理です』
「どうして」
『離れてるから』
「離れてる、って」
『おれいま、Fにいるから』
 さすがにそれは予想だにしなかった。
「じゃあ早く帰って来い」
『無理。帰りません』
「だったらおれが行く」
『やめてください!』
 はっきりとした拒絶だった。今度は本心だと分かる。さっきまでの「別れてください」云々とはまるで別物だった。
 触られたくないものがFに存在する。
『――とにかくおれはもう帰らないので、おしまいです、瑛佑さん』
「あのな、透馬」
 慎重に言葉を選ぶ。冷静に、いまを逃したら絶対に後悔するから、確実に。
「男だとか、不倫だとか浮気だとか、とりあえずそういうの、いい。おれは透馬っていう人間が好きなんだ。別れてくださいと言われてはいそうしますって言えないぐらい、きみが好きだ。おれにとってこれは、簡単なことじゃないんだ」
『……』
「きちんと話そう。今日はひとまず、……切るから。落ち着いたら絶対に連絡をしろよ、待っているから」
『だめです』
「だめじゃない。……待っているから、」
 電話を切るのがとても怖かったが、瑛佑の方から通話を終了した。着信拒否されたら、携帯電話を替えられたら、などととりとめないことをたくさん考えた。だがそれらは悩んでも仕方のないことに思える。
 透馬のかたくなさが悲しい。浮気があったのかどうかよりも、透馬の下手な拒絶のやり方の方がずっと悲しい。淋しい。
 その場にしゃがみこみ、しばらくうなだれていた。どうすべきか考える。どうなっているのか考える。透馬は多分嘘をついている、それだけは分かってもそれ以上は分からない。


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 秀実が婚約者である梢を連れて実家へやって来たのは十一月のとてもよく晴れた日で、簡単な食事を、という話だったが義母が張り切った。そりゃそうだろう、ゆくゆくは嫁に来るのだ。別に瑛佑がこの場に存在する必要性を感じなくはなかったが、秀実がしきりに不安げな顔を向けるので、しっかりしろよと何度も背中を叩いてやった。こういう役目で良かったのだろう。
 実家で義母の作った料理を食べながら、具体的な話が進んだ。向こうの両親にはいつ挨拶に行くのか、どういうタイミングで式を執り行うのか、その前に仲人は誰に、結納は行うのか等々。瑛佑たち男には分からぬ話も義母と梢とでしていた。見る限りでは仲は悪くなさそうだ。秀実を見ると、娘が欲しい、と言っていた母親の望みを叶えられそうで感無量だ、と早くも泣き出しそうだった。
「……あほか、早いだろ」義母と梢とで揃って台所で第二弾の料理を作り始めた頃、秀実に突っ込んだ。父親はベランダで煙草を吸っている。
「えーすけ、おれもうほんと、今日の日を夢見ていたんだ」
「だからもうちょっと先までこらえてろって」
 夢見るなら結婚式当日な気がする。
「次はえーすけだよなあ」
 秀実ののんびりとした声にぎくりとしたが、「縁があるならな」と答えた。
「式、誰呼ぼう」
「柳田さんは招待しないとな」
 柳田の紹介で付き合い始めた二人だ。呼ばないわけにはいくまい。
「だよな! そうだ、なっちゃんメシ作ってくれねえかなあ」
 なっちゃん、とは夏人のことだ。
「それはおまえらの考え次第だと思うけど」
「うーん。あとは……あ、トーマ……」
 そこで秀実はなにを思い出したのか言葉を区切った。言いにくそうに、「こないださ、」と打ち明ける。
 秀実には未だに透馬との仲を話せず仕舞いでいる。とうとう知れたか、と思いきや「トーマが駅裏のラブホテルに入ってくとこ見ちゃって」と言う。
「男と一緒だった。車でさ、ほら変なのれんみたいなのくぐって入れるようになってるだろ。助手席に座ってたの、トーマだった」
 少なくとも、瑛佑には覚えがない。瑛佑ではない誰かとそんなところに行ったことになる。
「平日の昼間だったんだよ。あれトーマ、仕事じゃねえのって一瞬思ったんだ。だって一緒に乗ってるやつ男だから。でもそんなわけないよな、男同士でラブホ入るぐらいなんだから。恋人同士にしちゃちょっとつらそうな顔で、あれどういうことなんかな。腹痛かった?」
「……どんなやつだった、」努めて冷静に、冷静に口をきく。
「んー、あんまりよく見えなかったけど、車は高級車だった。年上、かな」
 ああ、有崎に間違いない、と思った。
 心臓が急激に冷え込み、秀実の言葉が遠くなった。冷静に、冷静にと言い聞かせる。もしやそれで前回の挙動が不審だったのか? ひょっとしてこれ一度ではなく、不倫は瑛佑の知らない場所で続いていた?
 いや確証はない。まだないのだけれど。
 ……これはもう不倫ではなく、浮気じゃないか。
 すぐさま透馬に連絡を取らねばならない、と思う気持ちをどうにか抑え込んで、その日をやり過ごした。決めつけてかかるのは良くないことだ。確固たる証拠がなければ動きたくなかった。それでも疑心暗鬼になる心が止められない。追い打ちをかけるように、透馬と会えない日が続く。
 一週間ぐらい迷って、決意してメールをした。いつもの他愛なさに紛らわすことなく、「先月、S駅のホテルに行った?」と直球で訊ねた。
 折り返してすぐに着信があった。
『――ばれちゃった?』
 一声に、全身が凍るようだった。


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 夏休み終了後は、しばらく透馬に会えなかった。会えない時間を、瑛佑は焦れて過ごした。いつものように家に来ればいいのにと、大学の後期授業が始まるから忙しい、という透馬の言葉にため息をつく。
 恋しくなっていると自分でも実感した。透馬の顔が見たかったり、声が聞きたかったりする。頬に触れてみたいと思う瞬間がある。ささやかなメールのやり取りを幸福に思い、いややっぱ会いてえな、と胸を痛めたりする。
 そして同時に、先日の違和感を思う。瑛佑の告白に見せた透馬の戸惑い。あれの理由がなんなのか知りたかった。
 透馬に会う前に有崎と会った。
 どうしてこう透馬と関連する奴らは瑛佑の職場へやって来るのだろう。有崎もまた透馬や新花と同じく唐突に職場へやって来て、「噂の梅原さん」と瑛佑を見るなり厭味な笑顔をつくった。瑛佑は休憩中で、わざわざ呼び出されてみれば有崎。勤務中に堂々と私的な話をされても困るので場所を改めようとすると、「大して用があるわけじゃない」と言って背後をちらりと見た。披露宴の途中の透馬みたいに、若い男をひとり連れてきていた。
 話をしたことはなくても顔は知っているし、噂も聞いている。男とセックスすんのが好きな人、と透馬が言っていた。背後に立っている透馬よりもいくつか若そうな華奢な男は、もう有崎の「それ」としか見えなかった。ラブホテルと間違えているんじゃないだろうか、という風に「ホテルに用があるんだ」と瑛佑の目の前でカードキーをかざして見せる。同僚が案内したらしい、Kホテル自慢のスイートルームのナンバーが記されていた。
 ホテルマンとしての瑛佑に用件がないのならば、いっそう腹立たしい。若い男を連れて瑛佑に一体なんの用があると言うのだろう。「どのようなご用件でしょうか」と表向きは丁寧に発言したが、不機嫌のせいで声は低かった。有崎が高く笑う。気に障る笑い声だ。
「透馬とよろしくやってんの、きみだろ」
 よろしく、という言い方が気に食わなかったので黙っている。
「あいつとうまくいくと思う?」
「それは、私と透馬のあいだの話です」
「くず、できそこない、最低、不肖の息子。あいつにつけられたレッテルは、でもあいつのせいさ。梅原さんにひとつ教えといてやろうと思って」
 にやにやと笑いながらあえて声を潜めて「本当の敵は別にいる」と有崎は言った。
 本当の敵?
 有崎を見ると、笑っているくせに目だけはうすら寒く、整っている顔立ちが余計に気味悪かった。
「どんなにあいつとうまくやろうたって、あいつの本心は別にあるのさ。おれたちはいつも裏切られている」
 そう言って踵を返し、男と連れ立ってエレベーターへと歩いて行った。「おれたちはいつも裏切られている」の台詞が強烈で、口の中でちいさくそれを復唱した。先日の件がなければ気にも留めなかったかもしれない。透馬の戸惑いが、瑛佑の中でわだかまる。

 透馬との時間がようやく重なったのは、十月がそろそろ終わるという頃だった。台風の季節が過ぎ、秋晴れの天気の続く気持ちの良い午後だ。「久々、」と笑った透馬は髪が少し伸び、痩せたようだった。笑顔が頼りない。有崎の台詞を思い出し、いったいなにを抱え込んでいるんだと口の奥に苦味を感じた。
 瑛佑の部屋へ透馬が食事を作りにやって来て、いつものように夕飯を食べる。今夜はいつか日野洋食亭の料理教室で教わったという豆乳のシチューだった。缶詰の豆がたっぷり入っている。ホテルのフレンチレストランで出しているパンを分けてもらっていたので、それと合わせて食べる。お代わりをするぐらいに美味かった。
 一方で透馬の方は食があまり進んでいない。なにやらぼうっと考え事に浸っている様子だ。目の前でここまで意識を遠くに飛ばされていると、心配を通り越して不安だ。試しにシチューをすくったスプーンを透馬の目の前に突き付けてやると、数秒かかって、透馬は「わ、」と瑛佑を見た。
「ほら、美味いよ」
「……ん、」
 口元へ運ぶと、大人しく口に含んだ。飲みこんでから「さすがおれですよね」と軽口を口にしてくれて、ほっとした。
「透馬、あのさ。なにかあるだろ」
「……いえ、」
「ちゃんと食って、眠れてる?」
「……」
「なんかこの間から――」
 瞬間、電話が鳴った。瑛佑の携帯電話で、秀実からだった。出る必要性を感じなかったのだが、透馬が「いいから」と言うので出た。内容は、彼女に改めてプロポーズをしたので今度実家に報告に行くから家族でめしでも、ということだった。
 五分で切らすつもりが長くなり、通話を終えると二十四分三十秒、の文字が画面に現れた。透馬は手持ち無沙汰に適当な雑誌をめくっていた。
「――悪い、秀実から」
「……ヒデくん、元気ですか?」
「元気。結婚するんだって」
「え、それは知らない展開」
 透馬の話を聞くつもりで話題が逸れた。秀実は大柄で胸筋があるからタキシードが似合いそうだとか、これからバタバタするんじゃないですか、とか。話しているうちに十一時をまわり、泊まっていけばいいのに透馬は「帰ります」と言った。家出するほど嫌う家に、帰ると。
 正直、透馬は泊まっていくのだと思い込んでいた。「明日の朝早いんですよ」と透馬は言う。瑛佑の頭の中では有崎の台詞がなんども蘇ってはエコーする。「おれたちはいつも」。
 駅まで一緒に歩いた。本当は途中で引き返して連れて帰りたかった。駅の西口で改めてこちらを振り向いた透馬は、「じゃあ」と言う前に意外なことを口にした。
「……たとえばおれ、Fへ帰りたいって言ったら、どうします?」
 どうする、とは。
「Fで、暮らしたいって言ったら?」
「透馬、」
 大事な話ではないのか。驚きつつも慌てて手を引く。
「それは」
「たとえばの話です、すいません。おやすみなさい」
 無理に瑛佑の手をほどいて、透馬は行ってしまった。あっという間に雑踏に飲みこまれて消える。
 透馬の手の感触や、最後の言葉の意味を反芻しながら帰宅すると、飼い猫が丸まっているブランケットの脇に小さな冊子が残されているのを発見した。スケッチブックだ。ひらくと、驚くほど細かい植物の細密画が出てきた。
 鉛筆一本のグレートーンだが、よく描きこまれている。たまに水彩や色鉛筆で着彩が施されていた。繊毛の一本一本まで緻密に描く、神経質な絵。はじめはこれが透馬の絵かと思ったが、よく見ると裏に書きこまれたサインが違った。美しく整った文字で「R. Mashiro」と読める。
 同時に一枚のページに目が留まった。マスキングテープで花が挟まれている。薄紙のような花びらは五枚。ケシの花のように思えるが植物に疎い瑛佑にはあいにくなんの花なのか分からない。干からびて乾いているのに、花弁にはうっすらと青が残っていた。
 アオイ化学の新開発した青い花かと思ったが、それよりもずっと繊細でもろい花だ。アオイ化学が公表している花はバラだのガーベラだのユリだの、とにかく肉厚な花弁の豪奢な花が多い。
 サインに書かれた文字をもう一度見る。真城――夏休みの記憶を引っ張り出す。植物画を描くことを趣味としながら、本業は筆耕をしていた、透馬の伯父。
 なぜここに残されているのか。瑛佑のものではないのだから、透馬の忘れ物には違いなかった。瑛佑に見せようと持ってきたものだったのか、いつも持ち歩いているものなのか、なにも言わずに置いて行ったのか。


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 カーナビゲーションシステムを起動させて、うわこんな道出来たんだ、と口にしながらも透馬は楽しそうだった。透馬の運転する車でまずは滝と崖を見に行き、花もなく紅葉にも早い中途半端な時期の山をそれでも堪能し、下りてからは地元で有名なラーメン店でラーメンを食べた。大汗かいた後は風呂に入る。家に帰りつく前に見かけたガラス細工のミュージアムを覗き、道の駅で特産品を見て実家と秀実、実母へとそれぞれに土産を選び出し、夕方の早い時間に帰宅をした。夕飯はおれが作りますよ、と透馬が提案したからだ。
 結局、それはずいぶんと遅い時間にあとまわしになった。今日は新花がいない、家の鍵も閉まっている、としっかり確認し合ってセックスをした。昨夜眠った部屋で、布団を敷き直して倒れ込んだ。
 目を開けて見える風景がいつもの瑛佑の部屋ではなかったりするから、どうも慣れず、慣れないのが興奮した。ゆらゆらと泣く子をあやすようにゆるやかに抱かれ、それでもしっかり突くべき箇所は突かれ、身体と心とがほどけ蕩けてゆく。透馬がおっかなびっくり、言い代えれば丁寧に、瑛佑に教え込んだ快楽だ。昨日みたいに強引にされるのは好まないが、透馬とのセックスは心の充足感が誰との何よりも勝る、と感じている。
 波が引くように理性が戻ってきて、ふと瑛佑は、畳に残る墨の痕に再び意識が向いた。
「なあ透馬」
「――ん?」透馬は衣類を拾って身に着けているところだった。
「この部屋で習字でもやった?」
「……ああ、この部屋でもたまに字ぃ書いてましたから」
「?」
 近付いて瑛佑と一緒に畳の目に残る黒い点々を覗き込む。
「伯父さん、本業は筆耕者だったんです。ほら、離れ。あそこは伯父さんの作業場」
「――へえ」
 珍しい職業だった。瑛佑の勤め先にもかつては筆耕部門があったが、現在はパソコン入力か、たまの手書きは外部へ完全依頼となっている。
「あ、でもそういうやつですよ。若い頃はホテル勤めしてたんですけど、廃止で失業しちゃって。個人でホテルや催事場や役所からまわってくる依頼を請け負ったり、カルチャースクールの講師やったり。離れでも習字教室ひらいてたし。文房具会社の開発部門からの依頼ってのもあったみたいですよ」
 そこでピンと来た。以前、透馬がホテルの宿泊簿に書いた字の美しさを。あれはここの住人が透馬に手ほどいたものだったのだ。「あ、そうかなるほど」
「だから透馬、字が綺麗なんだな」
「……そうですね、伯父を見ていたし、教えてもらったから」
「そうか」
 やっぱりこの家に来て良かった、といまこの瞬間に思った。ひとり満足しているだけでは透馬が焦れたので、考えながらも口にする。「いまの透馬の由来が見える」
「透馬ってやっぱり、この土地のこの家の人間って感じだな」
「……そう、ですか」
「来てよかったよ」
 この気持ちを、どう伝えればいいだろう。言葉に表せなくて、透馬を引き寄せる。
 はじめは宇宙人だった。社長子息で、男と不倫をして、家出して歩いているという事実だけを聞けばだらしないの一言しか出てこない。でも透馬は決してそうではない。付き合いの中ですぐに感じた違和の理由はここにあったのだ。本当は豊かで、芯が強く、感受性が強い。そのことが嬉しい。愛おしい。透馬という一人の人間が、自分の傍にいてくれて嬉しい。
 ふるえるような純粋な瞳で人を見る理由。綺麗な字を書くこと、どんな時でも背筋が丸まらないこと。人に対して丁寧であることや、裏返せば弱く頼りない触り方しか出来ないこと、すべての諸々がここに由来する。ここに瑛佑を連れてきてくれたことは喜びだ。
「うまく言えない、でも、来てよかった。――透馬が好きだ」
 透馬の身体がびくりと引き攣った。「信じられない」という顔を瑛佑に向ける。
「嘘だ、」
 掠れた声で反論される。べつになんにも嘘はない。そこを疑われても、と妙な気分になる。
「好きだよ」
「本当に?」
 気の抜けた声でそう言ってから、透馬は立ち上がる。「めし作ります」と言って台所へ下がろうとする。成り行きがまったく理解できず、とりあえず瑛佑の告白に喜びを感じての反応ではないと分かる。
 あれ、いま。いまおれは、間違ったことを言ったのか。
 ようやく答えが出せたという気がしていたが、違ったか?
「透馬?」
 背中へ声をかけてもちいさく頷くだけでこちらを見ない。もう一度「透馬」と呼ぶと、ようやく振り向いた。
 ひどい顔をしていた。泣き出しそうな、苦しそうな、淋しそうな。どうしてそんな顔をされるのか分からない。瑛佑の気持ちと透馬の気持ちとが、かみ合わない。
「どうしよう、瑛佑さん」
 ここが痛い、という風に透馬は胸の上を抑えながら言う。
「ちょっと一人にさせてください。めし、用意するから」
「いいけど、……どうしたんだ」
「いや……」
 言葉に出来ないようだった。腕を伸ばし、透馬の手にそっと触れる。あれだけ肌を合わせておいてもうつめたくなっている。透馬の拒絶が伝わってきて、瑛佑は手を放した。


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 いまは新花が管理する家なのに、新花は「知り合いのところに泊まるから」と言っていなくなってしまった。気を遣わせたな、と透馬に言うと「旦那のとこだろ」と驚愕の事実を述べた。
「――結婚、してたのか」
「してない。事実婚? ってやつです。なんかよく分かんないけど二人の取り決めで、籍は入れてないし別々に暮らしてる」
「……」分かるような分からないような。
「けど、旦那で、奥さん、なんです」
 脂や炭の焦げ付いた諸々の片付けは明日にまわすことにして、その日は簡単な片付けだけをして布団を敷いた。「伯父の」部屋だ。夕方の一件があったから今夜はなにをどう言われてもされても応じないつもりでいて、でも透馬が淋しげに「そっち行っていいですか」と訊くから、布団をぴったりと合わせて敷いて、透馬を招き入れた。
「瑛佑さん、あっついですね」
「酒飲んだから」
 互いにTシャツと下着という姿で、足と足を絡ませ、胴にタオルケットを巻きつけて、まどろみがやって来るまでしばらく話をする。りーりーりー、と虫が断続的に涼やかに羽を鳴らす。時折車が通る音が遠くで聞こえる程度で、本当に静かだった。
 こんないいところに住んでいたんだな、と言うと、透馬は「そうですかね」と瑛佑の胸の上に頭を乗せたまま答えた。
「超、ド田舎」
「さっき星の見え方が違って、感動したよ」
「でもそんなの、登山でもした方がもっとすごいでしょ。…駅は遠いし、街も遠いし、夜は暗くて、静かで、不気味で」
「……この家からずっと学校通ってたんだよな」
「……はい」胸の上で、透馬が頷いたのが動作でも分かった。
「中学も、高校も、大学も。……ええと、伯父さんと?」
「……そう、です。……じいちゃんは病気でほとんど病院で、中学の頃に死んだし」
「ネコが死んだ話も、ここ?」
「よく覚えてましたね、そんな話」
「透馬ってさ、淋しがりだけど、あんまり賑やかなのも好きじゃないだろう」
 ここで育っていれば無理もない、と思った。きっと透馬は心のどこかで、孤独を好んでいる。静けさを望んでいる。遠い顔や、人に気を遣うことや、挟まっている遠慮や。
 おなじ淋しがりでも、秀実とは決定的に違う。宇宙人だと思っていた透馬がだんだんと分かって来た。
 瑛佑の胸の上からごろりと転がって離れた透馬は、また瑛佑の肩先にすり寄って来て、「たぶん、当たりです」と言った。
「おれ、瑛佑さんがいたらそれでいい」
「……そういう話じゃ、」
「明日どこ行きたいですか?」
「あした、」急に話題の矛先を変えられ、まあ無理につつく話題でもないしと思い、明日のことを考えた。「こっちの名物が食いたいかな。うどん? 団子? ラーメン?」
「ここ来る途中のSAでも食べたじゃないですか」透馬は笑った。
「温泉でも行きます?」
「ああ、いいな」
「道の駅とか」
「うん」
「ミュージアムやウイスキーの蒸留所もあるんですよ」
「楽しそうだ」
「晴れるといいですね」
「晴れるだろ」
 不意にきつく抱きしめられた。
「おれ、瑛佑さんがいたらそれで本当に、いい」
 声が逼迫している。ぽんと軽く肩をはたき、安心させるために額にくちびるを寄せる。


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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

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