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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 妹を連れて父親が帰ると、まるで嵐が去ったかのようだった。まだ答えが出ていないのではないか、と心配する透馬に誓子が「ここにいていいからね」と言う。
「綾から聞いてる。きちんと元気に学校へ通っているって。友達も増えて遊びに行ったり、部活やったり、あと、字も習っているそうね」
「……母さん、大丈夫?」
「私のこと? 平気よ。それよりも、」
 透馬の隣に座した綾の方を向いた。綾は長机に肘をついて、眉間をしきりに揉んでいる。
「ここはもうおひらきにしてしまいましょう。綾を休ませないと」
 よく見れば綾の顔色は青白い。はっとして綾に手を伸ばしたのと、綾が机に突っ伏すのとが同時だった。
「――伯父さん!」
「……大丈夫」
 綾の背に手をやると、白いシャツ越しにうすい身体の骨の感触が伝わった。不安になる危うさに、猛烈に淋しくなった。誓子に指示を出され、綾を連れて一足先に会場を離れる。タクシーで家に戻り、留守をしてくれていた近所のおばさんにも手伝ってもらいながら綾の寝室に布団を敷く。
 祖父の容体が危ない、と言われていた頃からずっと気を張りながらも仕事をして、いざ死んでしまえば葬式の手配から会計、喪主、と無理の続いた身体だ。元が強い人ではない。これからも続くだろう疲労のことを考えると、どうしてこんなに役立たずなのかと、自分の非力さが情けなかった。
 布団に横たわる綾の首元に手を伸ばし、黒いネクタイを取り去り、ボタンをひとつ外す。喉元の白い肌が露わになる。しっとりと汗ばんでいる肌は表面だけひやりとつめたく、だが奥は熱い。少し熱が出ているようだと気付く。
 今日は一日なにも食べていなかった。食べている姿を見ていない。伯父さん、と心の中で呟きながらただ傍に正座していた。台所に透馬が立たずとも、おばさんがなにか喉に通るものを煮てくれている。
 無力だ。なんにも出来ない。
 すらっと襖があいて、入ってきたのは誓子だった。小盆に湯呑と椀を乗せている。この人も疲れているだろうに、と盆を受け取りながら思う。珍しく化粧崩れしていて、髪も一本二本と乱れている。
「綾、おばさんには帰ってもらったから。大事にね、って」
 誓子も傍に腰を下ろした。綾は起き上がる気配がなかったが、ちいさく頷いた。
「親戚もみんな、今日のところは帰るそうよ」
「……母さんは?」
「私はここに泊まってゆくわ」
 綾が食べる気を見せない盆から匙を取って、自分で一口食べた。温かいつゆにそうめんを入れて煮たものらしかった。「しょっぱいわ」と、でも嬉しそうに食べる。
「透馬、大きくなったね」
 透馬の姿をしげしげと見て、誓子は言った。適度な運動が成長期の身体にちょうど作用したのか、二年に上がってから透馬の身長は一気に伸びた。のっぽの柿内ほどとはいかないが、男子の平均身長はクリアした。ほぼ一年ぶりに会う誓子が驚くのも無理はなかった。
「もう十四歳になるんだものね」
「そうだよ」
「身長も伸びて、あの人にもきちんと自分の意見が言えたね」
「……」
「ごめんね」
 誓子はそう言って、透馬の手を握った。祈るように首を垂れるので、恥ずかしいから放せよ、なんて言葉は飲みこんだ。肩まである髪がさらりと分かれ、うなじの骨がくっきりと浮き出たのを見下ろした。
 伯父と合わせてやせっぽちな兄妹だが、こんなに頼りない身体だっただろうかと母に手を握られて思った。明らかに疲労しているのは、青井のせいに違いない。以前はそう思うと訳の分からぬ怒りが身体に押し寄せたものだが、いまはただ純粋に淋しかった。誓子も綾も青井のエネルギーの前ではこんな状態になってしまうことが。
 母の手を握り返しながら「どうして父さんはおれを嫌うのかな」と呟く。誓子はそっと顔を上げた。
「……相性かな、」
「そんな理由?」
「彩湖に対してはすごく甘いし楽しそうにするのよ、青井は。よく可愛がってるし、彩湖も青井に懐いてる。透馬は待望の男の子で、小さい頃から厳しくしつけられていたでしょう。性格も大人しくてあまり青井には懐かなかった、それが面白くないのかな……」
「そんな理由でおれ、全寮制の学校に入らなきゃいけないの?」
「青井自身、あまり実父にかわいがられた記憶のない人なのよ。どうしていいのか、分からないんじゃない」
「あれはまるきり子どもなんだ、」
 突然綾が口を挟んだ。寝入ったかと思っていたのでとても驚いた。
「透馬を、与えられたおもちゃのようにしか思っていない。自分の好き勝手にしたいだけで、理由はないんだ。気まぐれだ」
「……」口数少ない綾がここまで言うのは珍しく、言葉が出なかった。
「同じ男だし、ライバル心の方が強いんだろう」
「ライバル? そうなの?」
「誓子や家庭を取られる、と思ってるんだ」
 そこで綾は大きく息を吐いた。気に入らない、という風だ。
 綾の見当がどこまであてに出来るものなのか分からないのだが、たったそれだけの理由でこんなめに遭っているのだとしたらやりきれなかった。地面をひたりと這う蛇がいつの間に足にからみつき、身体から首へ、じわじわ締めてくる。そうやって多数の人間を犠牲にして、社会的には大きな富を産む成功者として認められている厭な男が、透馬の父だ。
 全寮制の男子校など本当に行きたくなかった。誓子は再度「行かなくていい」と言ったが、青井のやることだから何がどう転ぶか分からない。明日にはこの家から引越しをさせられるかもしれない、と思うと眠れないほど心臓が痛んだ。


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「なんだ真城綾」父親はさも苦々しげに言った。
「いえ、あなたがあまりにも大声で話すものだから、皆が気にしているんです。それに透馬のことだったら、私も全くの無関係ではありませんから」
「いや、関係ない。透馬はここから引っ越させる。今日あす中にでも引き上げる。なにか異論が?」
「ありますね。透馬が嫌がっている」
 綾は優しい顔で透馬を見た。すがる思いで透馬は頷く。父親は「ここは環境が悪すぎるのだ」とため息を吐きながら言った。
「しかるべき保護者もいない。食事も満足に与えられない」
「私がいます。食事なら、透馬が自分から望んで用意してくれている。自発的にやろうとするものほど、伸びるものです。この数ヶ月で格段に上達している」
 普段の食事を綾が特に褒めることはなかった。そんな風に評価されていたとは知らなかった。
 父親は「それに問題がある」と当然ながら譲らない。
「料理など覚える必要がない。勉強も遅れている」
「そんなことはありません。料理は一人で生きる術を身につけることであるし、栄養学的にも道徳的にも学ぶことが多い。学校だって問題ありません。学習指導要領にきちんとのっとった教育をしています。そして重要なのは、あなたも先ほどおっしゃいましたが、透馬が自分から学校に通っている、という事実です」
 綾は饒舌で弁が立った。下手をすれば最低限の挨拶のみで一日を終えてしまういつもの倍も三倍も一息に喋る。一瞬、父親は言葉に詰まった。上手な反論を思いつかなかったらしく、「おまえのような男の傍にいてもね」と皮肉を吐いた。
「――良かったな、父親が死んで」
 綾の眉がわずかに動いた。明らかに綾を侮蔑する発言に、透馬の身体にざあっと怒りが湧く。「伯父さんにあんた、なんてこと」
「親に向かってあんた、とはなんだ透馬」
 一睨みされて言葉を失う。
「おまえは黙っていなさい、透馬」
「黙っていなさい、とは酷い。透馬自身のことに透馬自身が黙っていられるはずがないでしょう。そもそもあなたは、よそでの苛立ちやストレスを透馬にあてこすっているだけだ。子どものやることと変わらない」
 子ども、と言われて父親は怒りをあらわにした。みるみるうちに透馬の大嫌いな形相になる。
「真城綾、透馬の養育費を支払っているのはこちらだ。透馬にも貴様にも決定権はない」
「心の問題を金で解決しないで頂きたい」
「は、」父親は嘲る息を吐いた。「解決するだけの金もないからな」
「もうやめて」
 制したのは母親の誓子だった。聞いていられなくなったとばかりに首を横に振る。
「もうやめて。お願いだから、透馬の気持ちを聞いてちょうだい」
 そう言って誓子は透馬の傍へ近寄った。
「……透馬、どうしたい?」
「透馬の意見は聞いていない」父親は険しい表情で言ったが、誓子が毅然と「いいえ」と言い放った。
「透馬、どうしたい?」
 家に戻るか、この家にいるか、全寮制の学校へ転校するか。答えはもうひとつしかなかった。
「おれ、ここがいい」
「――話にならん」
 透馬にそう答えて、父親は席を立った。「彩湖、帰るぞ」


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 祖父とは一緒の時間をろくに過ごせなかった。中学二年の夏、祖父、綾と誓子の父親が逝った。八十歳、なかなかの往生だと思ったのだが、周囲からは「まだまだ元気に長生きしてほしかった」と惜しむ声が多かった。
 元々、足を悪くして車椅子の生活ではあった。それでもボケとは無縁で、いつ話しかけても冴え冴えと明快な答えを返してくれる人物であったが、一昨年肺に癌が見つかってからは病院と家との往復生活となった。冬から春にかけ、肺炎にかかった時は助からないかと思われたが、なんとか持ち直す。けれどそれも夏までで、酷暑も手伝って日に日に弱り、夏のさなかに死んだ。
 祖父の葬式は賑やかだった。生前世話になったという教え子や友人知人、同僚、一言では表しきれない様々な間柄の人間がひっきりなしにやって来て線香をあげて行った。当然ながら長男である綾は通夜の晩からずっと来客対応に葬式の手配、喪主まですべて勤めた。正直、死んだ祖父のことよりも綾の方がぶっ倒れやしないかとひやひやしていた。
 坊主があげる読経の声を聞きながら、透馬は生前の祖父の会話を思い出していた。見舞いに訪れた病室で、弱々しい声ながらもはっきりと、祖父は「綾をよろしくな」と言ったのだ。
 暁永といい、祖父といい、綾は様々な人間の心配の種になっているようだった(本人が望む望まずに関係なく)。こういうことかな、と喪主の座るべき場所に正座して静かに目を閉じている綾の方向を気にしながら思う。今回のことだって、透馬にはなにひとつ指示を出さずに、すべて綾ひとりでこなしてしまった。
 頼ってくれればいいのに、と思う。だが自分がまだ頼りない年齢であることや、父親に言わせれば「だめなやつ」だと言うことも知っている。自分のことでいっぱいの人間が他人を助けられるものだろうか。大人になれば違うのだったら、早く大人になりたい。暁永のように人を絶妙なタイミングで助けられる大人だ。
 その暁永は式には参列していないし、姿も見せていない。一通り弔問客をぐるりと見渡して、透馬は分からぬようにそっとため息をつく。当然と言えば当然、今日は青井の父親が誓子・彩湖を伴ってやって来ている。
 誓子自身は父親が亡くなった知らせを受けてすぐにやって来たが、青井がやって来たのは今朝になってからだ。多忙な人間がよく抜けて来られたと思うと同時に、来なくて良かったのにと苦々しい思いが湧く。久々に会った息子に「元気か」の一言はなく、青井はただ「葬儀が終わったら話がある」と言うのだった。それが嫌でいやで、逃げ出したいのを透馬はぐっとこらえている。頭が痛い。
 最後のお別れには祖父が大好きだったという百合の花を添えた。白く黄色い顔をしている祖父はちいさく、ああ死んだのだ、と妙な説得力を与えた。あの子猫の時と同じかなしみを抱きながらも、受ける衝撃はそれ以上。これが現実。透馬の絵や字を褒めては飴玉や饅頭をくれた祖父は、もういない。
 焼いて骨にしたところを骨壺に収めてしまうと、さらに妙な気持だった。淋しいとはまた違う、心の芯へずしりと響く重量感。
 祖父のことで心を締め付けられていたから、最後の会食が始まる頃には父親の憂鬱を忘れかけていた。「透馬」と冷酷な声で我に返った。ここへ来なさいというジェスチャーをされたので、しぶしぶ父親の傍へ寄った。
 目上の者を見下げてはいけない、と教えられている。父親に目線が合うよう隣の座布団へ正座すると、父親は「ここでの暮らしはどうだ」と淡々と喋った。
 父親の向こうで誓子が心配そうにこちらを見ているのが分かる。同じ目をした妹の彩湖がさらに向こうにいる。言葉に詰まった透馬に、父親は「学校へは通えていると聞いている」と続けた。
「だがここでは田舎すぎて勉強もろくに身に着かないし、おまえと真城とで生活は成り立たない。学校へ通えるようになったのだから、もう十分だ。透馬、おまえをここから引っ越させることに決めた。夏休み中に手配をする。Yヶ崎学園の中等部」
「――――えっ」
 有名私立高で、金持ちが通う、厳しい学校だと聞いている。学力テストの全国順位平均も高い。いきなりの決定に、透馬は言葉が出なかった。誓子も知らなかったのか、背後で目を丸くしている。
「どうして」
「同じことを何度も言わせるな。ここは田舎でまともな勉強が出来ない上に、ろくな生活ができていない、と言っているんだ」
「そんなわけない」青井の家にいた時の方がよっぽどろくな生活を送れていなかった。
「そうだろうが。食事をおまえが作っているだと? 笑わせるなよ、そんなことをさせるためにここへやったわけではない。無駄な時間だ」
「あなたそれは」
「おまえが口を挟むことではない、誓子」
 かろうじて反論しようとした母親も、父親にぴしりと言われ黙った。ようやく馴染み、失う怖さも知ってそれでも、というところで父親のこの決定。心にざわざわと不安が湧いて、視界がかすむ。
「嫌だ、嫌です」ここにいたい。
「おまえに拒否権はない。子は親に従うものだ」
「……」
「透馬」
 ぽんと手が肩に触れ、耳元につめたい息が吹きかかった、気がした。振り返ると綾が立っていた。透馬の肩に手を置きつつ、青井に鋭いまなざしを向けている。


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 暁永襲来以降、綾は徐々に回復した。薬が効いたのだろうし、暁永の食事が良かったのだろう。透馬の看病が効いたかどうかは分からない。分からないが、起き上がれるようになった綾は透馬に「ありがとう」と言った。
「――伯父さん、」
 正面切ってそう言うのはとても勇気が要った。「みっつお願いがあります」
「なんだろう」
 綾は途端に険しい顔をした。ひるんではいけない。
「暁永さん来てくれなかったらおれには色々とどうしようもなかったから、……ひとりでやろうとしないで、もっとあらかじめ、頼ってほしかったよ」
 喋りながら「どうしようもない奴に頼ってどうすんだ?」とか「風邪って前もって言えないよな」などと矛盾を思ったが、うまく言えない。言えないでいる透馬のことを綾は理解したらしく、神妙な顔つきで「わかった、悪かった」と言った。
「それと、二つ目。めし、おれが作ろうと思う」
「……それは、」
「作り方分かんないんだけど。暁永さん見てて、作れるようになりてえなって思ったし、ほら、ええと同級生の柿内、のおふくろさんに教えてもらえばいいしさ」
 料理が出来ればこの家の、そして透馬自身の淋しさが紛らわせる気がしたのだ。柿内の母親を出したのは綾を納得させたかったからで、まだ申し込んでもいない。それでもどうしても、綾に「うん」と頷かせたかった。
 綾は「それも悪かった」と言った。
「気にしてたんだ、育ち盛りに弁当ばかりでいいのかっていうのは。はじめは誓子も一緒にここで暮らすって聞いていたからいいと思っていたんだけど、…おまえの父さんが許さなくてね、」
「……」それは全く知らない話だった。青井は一体、どこまで人の首を締めたがるのだろう。
「透馬に頼めるなら、そうしたい」
「はい」
「うん」
 食料の調達方法や食費の算段はまた相談し合うことになった。「みっつめは?」と綾の方から尋ねてきたので、素直に「絵を教わりたい」と言った。さすがに驚きだったのか、表情が渋く苦く変化した。
「伯父さんの絵、見たい。で、おれも描いてみたい」
「字ならいくらでも」淡々と綾は答えた。「字は、役に立つ。絵なんか描けてもなんのプラスにならない」
 はっきりとした拒絶は、しかし予想済みだった。ひるまずに「絵がいい」と言うが、頑固なのは綾も同じで、首を縦に振らない。
「字にしなさい」「絵がいい」と両者譲らぬまま互いを睨みあう。あんまりかたくなに見詰め合っていて、吹き出したのは綾の方だった。意外なポイントで笑う。
「血だな」綾は言った。「真城も青井も、頑固が詰まってるからな」
「字も習うって言うなら絵も少しだけ教えようか」
「……ほんと?」
「だけど透馬、大変だよ。料理も習って字も絵も習って、部活も入るんだろう」
「部活のこと、知ってんの?」部活に入ろうかという話は、まだ綾にしていなかった。
「聞こえたんだ」
 綾の部屋は居間の隣だ。暁永との会話はすべて聞こえていたと言う。
「それと当然、勉強も」
「……どれか一個減らしていいかな」
「だめだ、全部やりなさい。……まあ、出来るだろう、おまえは」
 何の根拠があってそう言うのか分からなかったが、認められたようでなんだか嬉しかった。ふと綾の手を取ってみる。骨ばっていて硬く、つめたい。白く、ペンだこの出来ている節立った手。
 それを頭の上に当ててみた。綾は怪訝そうな顔で「どうした?」と訊ねる。
「――いや、なんとなく」
「ん?」
 心の中で、この手にこうしてほしい、という思いがあった。暁永が触れた時、想像したのはこの手だ。
 この人とやっていけそうだ、とこの時思ったのだ。なんとなくぼんやりとした、でも清々しい気分で。


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 箸を止めた隙に透馬を窺った暁永は、「誓子に似てるな」と言った。
「歳、いくつ?」
「十三です。中学一年、」
「あー、ってことは来月二年にあがるのか。いい頃だな。退屈だろ、ここ」
「……そう、でもないです。四月からは部活も入る予定だし」
「へえ。何部?」
「バレー部、」
「おまえ運動できなさそうだけどできんのかよ」
 言い方にかちんと来たが、事実はその通りだ。柿内がバレー部だからどうかと誘われて入ろうとしている部活動で、練習もそこそこで解散するし上位に食い込むようなチームでもない、と聞いている。特にやることがなくて暇だから入ろうとしている部活動だ。
 だが暁永に言われたくはなかった。透馬の不機嫌を感じ取ったか取っていないのか、暁永は「だって綾も誓子も運動はからっきしだめだからさ」と微妙に話の方向を変えた。
「二人して家にこもってばっかりいるんだもんな。絵ぇ描いたり、本読んだり」
「……伯父さんも絵ぇ描くの?」
「あれ、見たことないか」
 笑顔のまま、暁永は鶏肉に箸をつける。咀嚼して飲みこんでから「細密画ばっかりな」と説明を足した。
「誓子は風景画も描いたけど、綾は植物や虫の細かい絵ばっかりさ。今度見せてもらえばいい、見せてもらえるもんなら」
「まだ描いてる?」
「描くさ。なに、興味ある?」
「……ちょっと」
 そう答えると、暁永は「やっぱ真城の家の子だな」と笑った。よく笑う男だ。綾とは正反対に思える。
「綾も誓子も絵や字が上手くて、そこらへんの賞ばっかり取ってよく表彰されてたよ。もう死んじまったけど、真城のおばさん…おまえのばあさんな、が多才な人だった」
 それから暁永はこの家のあらゆる歴史を教えてくれた。綾はかつてホテルの筆耕部門に勤めていたことや、高校時代の綾も誓子も描いた絵が全国巡回展で展示されたこと、誓子は美大で日本画を専攻していたが青井との縁談が持ち上がって道を諦めたこと。
 綾と暁永と誓子の仲の深さも聞いた。綾と暁永が同い年で仲が良く、誓子がよく引っ付いて来た。早くに祖母が亡くなり誓子が嫁に出てからは誰も食事を作る人がいないと言って、帰省するたびに暁永は真城の家に直行して食事を作ってやるのがいつもだそうだ。
 透馬がこの家に来てから半年ほど経っている。それまで暁永の姿を見たことはなかった。こういう親しい人間がいるならば早く来てほしかったと思う。この家の生活感のうすさの前で、暁永の頼もしさと言ったら。
 暁永は「悪いな」と悪びれずに言った。
「まあ、おれさ、ほんっとに大学の研究が楽しいんだ。実家はすぐそこだけど研究にばっかり夢中になっちまうバカでさ。F大って言っても施設はN県にあるから主にそっちだし、状況によっちゃ海外まで行くからな。……ま、綾のことよく見てやってよ。あいつは、身体が薄いからすぐ風邪をひく」
「……」
「めしの作り方、教えてやるよ。とりあえず今日たまごの割り方知れて良かったな」
 一緒に食器を下げて洗い、暁永は小一時間ばかり仮眠を取った。本当に慣れた家であるらしい。それから綾の様子をもう一度みて、透馬にもこれからの指示を出してくれた。ホームドクターの連絡先、タクシー会社の番号、看病の仕方、食事の温め直し方。
 泊まってはゆかずに、帰宅(N県にだ)するという。帰り際に「そういえば」と透馬を振り向いた。
「おまえの姉ちゃん、わかるか」
 姉のことはよく知らないが、いる、という話だけ知っている。確か十歳離れていて、青井の父親がごくまれに呼び出しているようだと聞いたことはある。
「まあ、姉ちゃんって言っても腹違いのな」
「それは、知ってるけど」
「あれ、いまうちの大学にいるぞ。同じ研究室でな、いま院生」
「――えっ」
「会ったことないか?」
「ない」会おうとも思ったことがなかった。
「今度会わせてやるな。多分おまえたちは仲良くなるぜ」
 透馬の頭をぽんぽんと叩いて暁永は去っていった。大人の男に頭を撫でられたのに嫌悪感がない。青井とはまったく違う温かみだった。



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

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甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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