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樹生の車にふたりで乗り込む。今日、茉莉は自家用車を家に置いて駅まで公共交通機関を使って来ていた。付き合って、というからにはまっすぐ駅に送っていい訳ではないのだろう。「どこ行くの」と訊ねると、繁華街に最近オープンしたショッピングモールの名を出した。
「お店が色々と入ってるみたいだから、覗こうと思って」
「こういうのは藍(あい)や茜(あかね)と来た方が楽しいんじゃないの?」
と、樹生はふたりの姪の名前を出した。しかし姉は「いま私にその権利はないからね」と答えた。
「え?」
「出て行ったの、曜一郎(よういちろう)。藍も茜も連れて実家に帰ったわ」
「いつ、」
「もうけっこう前よ。先月あんたと会った、そのすぐ後ぐらい」
樹生は黙るほかなかった。思い当たる節ならいくらでもあるからだ。
傍目に見て、茉莉の生活は実に順調で幸福だ。若いうちに結婚し、ふたりの愛らしい娘を生み育て、稼ぎのよい誠実な夫のおかげで街からあまり離れない一等地に一軒家を持ち、家族四人で暮らしている。夫はこの辺りでは一流の企業に勤め、いまでは若いながらも多数の部下を束ねる立場であるし、娘たちはまた、入学が難しいとされる大学附属の学校に通っている。また、茉莉自身も専門学校時代からの仲間と店を構えていた。ドライフラワーとアンティークの小物を置く店で、店舗は小さいがその手のことが好きな婦人たちには絶大な人気を誇る店だ。その店で、茉莉は主にアンティークの買い付けを担当している。
誰もが羨む暮らしぶりである。だがその裏で、茉莉には酷い悪癖があった。曜一郎というパートナーがいながら、茉莉はこれまで幾度となく不貞を繰り返してきた。「浮気という言葉通りのことはしていない。浮ついた心じゃないから」と平気で言うほどなのだから質が悪い。
茉莉の言い分によれば、曜一郎との間に子どもが欲しいと思ったが、結婚するしないはどちらでもよかったらしい。結婚というかたちの方が子どもをより安全に育てられると思ったからそうしたという。けれど茉莉いわく、「曜一郎は下手」だ。夫とのセックスは苦痛でしかなく、しかし「たまるものは女だってたまる」。そういう時に会って発散させてくれる男が茉莉には幾人かいる。「向き不向きは誰にでもある。上手い人を求めるのは当然でしょう」といつか茉莉は平然と言い放った。「子どもは曜一郎との間にしか欲しくない。だからそんなヘマはしない」とも。
このことは、曜一郎も知っている。知っていてよくここまで家庭を保っていられるものだと、義兄に対して樹生は申し訳ないやら感心するやら、複雑な思いでいた。出て行った事は「ようやく」と言えるかもしれなかった。義兄の堪忍袋の緒は、ようやく正常に切れたのだ。
「楽よ」と茉莉は言った。
「深夜に帰宅する夫を待って遅くまで起きていなくていいし、脱ぎ散らかした娘の衣類を片付けなくていい。食事も洗濯も睡眠も仕事も、全部自分の為にある。そういう生活はあと十年は先だと思っていたから、思いのほか早くやって来て、こんなに楽かと驚いているわ」
「……」
樹生は家庭を持ったことがない。持ったとして、妻や母としての茉莉の立場に男の樹生は立てない。だから想像も難しい。難しいが、不快に思った。
「茉莉」と樹生は車を発進させながら言った。
「元は他人だからさ、夫婦間のことはこの際どうでもいいよ。けど、子どもに対して『楽』とか言うのは」
「母親は常に母親であれ、と? 子どもを持ってしまったら子どもが第一で自分は常に二の次でいい、そういう事? そういうの私は大嫌い。母親なんだからとか、子どもの為に正しくいろとか、反吐が出る」
と、樹生の台詞をばっさりと切り捨てた。樹生はまた黙り込む。この感情の激しい、突飛な発想をする姉に対して樹生はいつも戸惑う。なにか意見しようと思っても、言っても無駄である、と結局は諦めてしまう。姉が激しい性格なら、弟の樹生は事なかれ主義だ。それはきっとこんな姉を持ってしまったが故かな、と思う。
ショッピングモールは平日でも混んでいた。適当なフードコートに入って軽食を取り、あとは並ぶ店を覗きながらぼんやりと歩いた。デパートの地下ではないが、それに似た食品を売る店の集まりがあり、樹生はその一角に出店していた中華の惣菜店で春巻きと焼売を買った。
茉莉は主にスイーツの店舗を覗いていた。その中から結局はチョコレートを売る店で買い物をした。ひとりの家に帰るにしてはかなりの大箱で買う。チョコレートなので少しずつ消費するつもりかもしれなかった。
歩き疲れて、ふたりはカフェに腰を据えた。茉莉はコーヒーを、樹生は甘いカフェラテを頼んだ。子どもみたいだなんだと言われても、樹生はこういう甘い飲み物が好きだ。
コーヒーを口にしてから、茉莉は「ひとりだから、進捗状況もいいのよ」と言った。
「あいつの居場所が掴めそう」
「……まじで?」これには、樹生は前のめりになって訊ね返してしまった。茉莉はうっすらと微笑む。
「多分Kにいるわ。あいつの昔からの馴染みがそこにいて、身を寄せてるっぽい。これから厳冬期に入るのに、あんな避暑地に誰も来ないでしょ? 冬場のKなんか極寒なんだから、それを利用してそんなところにいるのかも」
「Kか……」ここからさほど遠くない、冬の深い街だ。割合と近くにいるだろうことに樹生は驚く。
「絶対見つける……」と茉莉は樹生に対してではなく、自分に言い聞かせるように呟いた。
カフェには、あまり長居はしなかった。再び駐車場に戻り、茉莉を駅に送るべく樹生は車を出す。運転しながら、ふと思い立って樹生は茉莉に疑問を投げた。「あの男見つけ出して、茉莉はどうする?」
茉莉は「殺す」と即答した。あまりにも感情が込められていない、そっけない「殺す」だったので、却ってストレートに殺意を樹生に伝え、樹生は思わず身震いした。
「茉莉、」
「まさか、殺さないわ。殺すぐらいなら死ぬよりもっと苦しい生き地獄を味わわせる。母さんをあんなにした男よ。生きる価値はないけど死ぬ価値もないのよ」
と、茉莉は前を向いたまま言い放った。樹生は適切な答えを見失う。車内ではラジオがかろうじて最新ポップスを流していた。
駅のロータリーへ車を滑らせる。送迎用のスペースへ停車させた。茉莉は「じゃあね樹生」と扉を開ける前に言った。
「進捗はまた連絡する。その時が来たら付き合ってくれる約束よね」
「……まあ、」
「次はまた一ケ月後かしら。風邪引くんじゃないのよ。元気でね」
一方的にそう言い、茉莉は車を降りる。だが車のドアを閉める前に、「今日はこれから曜一郎と娘たちに会うのよ」と言った。
「曜一郎が話がしたい、て言うから会うの。私ね、別に曜一郎や娘たちが嫌いな訳じゃないのよ」
「……」
「むしろ好きだわ。愛してる」
茉莉はそう言って微笑んだ。そして扉を唐突に閉め、さっさと歩を進めて雑踏に紛れて消えてしまった。
樹生は呆然としていた。そういえば茉莉は甘いものを好まない。チョコレートなどもってのほかであることに、そのときようやく気付いた。
→ 8
← 6
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姉の茉莉(まつり)がくしゅっとくしゃみをした。何度か立て続いたので樹生は「風邪?」と訊ねる。茉莉は鼻にハンカチを当てながら「埃かなんかでしょ」と答えた。
「風が強い。空気も乾燥してるし、今日はお線香はやめた方がいいかもね」
「そうだな。じゃあ、掃除だけ」
と樹生は言ったが、墓掃除なんてものを真剣に心を込めて行うつもりはなかった。形骸的な儀式みたいなもので、せいぜいこの墓の前にいる時間は十五分にも満たないだろう。茉莉も同じ気持ちでいるはずだ。もしくは樹生よりも今日この儀式を煩わしく思っているかもしれなかった。
強い風に流されて、茉莉の長い髪がなびく。その一筋の艶やかな黒髪を見て、まるで魔女だな、と樹生は思う。手入れが良いというよりは茉莉の場合は元からの素質で、歳を重ねても髪にはハリがあり、白髪の一本も知らない。これで今年は四十歳になった女とは思えなかった。顔立ちも、どことなくほうれい線や目尻のしわなどが分かるが、そうでなければくすみなくただただ美しい。
老いを知らない姉に対して、同時に樹生は母のことを連想する。茉莉は母に生き写しだった。どこにも血を混ぜた形跡がなく、進化を忘れたかと思うぐらいだ。もしくは細胞からクローンでも育てたか。だから姉に会う度に樹生はその面影を追想する。
そんなことをぼんやりと考えていた樹生を知らずか、茉莉は「水を汲んできて」と指示を出した。樹生は大人しくそれに従う。霊園の入口に据えられた水道は、凍結防止の為に元栓が締められていた。それをひねって開け、水を手桶に汲む。まだ十一月であると言うのに凍結の心配をするのは、それだけこの霊園のある場所が繁華街から離れた田舎の高台にあるせいだし、今年は寒波がやって来るのが早く、ここの管理人が気を遣ったからに違いなかった。
樹生が手桶を提げて墓の前に戻ると、墓前には茉莉の手で花が並べられていた。献花用に購入した花束をまたばらして、花瓶に生けなおしているのだ。樹生は墓の背後にまわり、柄杓で水を掬って墓にかける。持参したブラシで軽く擦って苔や泥を落とす。姉は花を、弟は掃除を。この分担はあまりにも長いこと墓に通ううちにいつの間にか出来てしまった役割であった。
花を生けながら、茉莉は「今日あんたのかわいい子は?」と訊ねてきた。樹生には同居人がいて、かつわりない仲であることをこの姉にだけは告げてあった。
「先生のところ」と樹生は答える。
「まだ通ってるんだ」
「まあな」
「そうね……。あんたにとってはあの人がほとんど親だものね」
茉莉は花を生け終え、墓前に菓子を供えると、手をパンパンと叩く。樹生も墓の前にまわった。ふたりで掌を合わせて静かに頭を垂れる。樹生が顔を上げると茉莉はまだ目を閉じていたので、顔が上がるのを待つ。
「樹生、この後なんかある?」
と頭を上げた茉莉が言った。
「ないならちょっと付き合って」
「夕方までなら」
「そんなにかかんないわ。なに、用事?」
「んー、先生の家に迎えに行きがてらめし食うだけ」
「そう」
「茉莉こそいいのか? 家事とか子どもの迎えとか」
と、樹生は茉莉にいる家族のことを訊ねた。茉莉は十四年前に三歳年上の男と結婚し、翌年には長女を、その翌年に次女を出産している。子どもたちが幼い頃は月一の姉弟の会合に伴うこともあったぐらいだが、ここ数年は樹生も義兄や姪には会っていない。義兄は仕事が忙しく、姪たちは学校に通いながら塾や習い事に精を出していると聞いていた。
樹生の問いに、姉はそっけなく「そうね」と答えただけだった。供えた菓子を引き上げると、墓と墓の間を抜け、入口の水道で手を洗い桶を返し、駐車場へと歩いていく。先をずんずんと進む姉に、樹生は声をかけられない。
→ 7
← 5
暁登が早の家にやって来る、その時間を特に定めてはいない。作業内容もこれとはっきり決まっているわけではないからと、早が決めなかった。暁登にはなんでもやってもらっている。主には夫の遺品の整理だったはずだが、早のひとり暮らしぶりを見て暁登が自分から申し出てくれた。日々に必要な買い物、電球の交換、庭木の落ち葉掃きや選定、たまに来客があった日などはその対応までしてくれるので、暁登の存在は介護ヘルパーに近い、などと早は思う。
何時でも都合の良いときに来て下さい、と言ってはあるが、暁登はおおむね昼前にやって来る。そして早めの昼食をともに取るかちょっとした軽食を取るかして、少しお喋りなんかも楽しんで、作業をするのは主に午後だ。
その日も暁登が持参した菓子でまずはティータイムとなった。早も暁登もあまりお喋りが得意な方ではないのだが、だからと言って嫌いな訳ではない。暁登に「樹生さんと最近はどうですか?」とルームシェアの塩梅を尋ねると、暁登は「それなりに」と答えた。
「岩永さんはいま、忙しいみたいで」
「お仕事が?」
と訊ねてから、早は我ながら愚問だったなと思い直した。お歳暮の配達に年賀状の販売、そして仕分け、配達。樹生の仕事はこれからがいよいよ繁忙期であることを、長年の樹生を見ているからよく知っていた。
暁登は動作だけで頷いてみせた。
「暁登さんはどうですか?」
と訊ねる。暁登はしばらく考えて、また「それなりに」と言った。
「新聞配達の仕事が、配達区が増えました。ここの区間も配ってほしいと言われて、地図とにらめっこしています」
「そうなのですね。でも、地図を読むのは得意でしょう」
「……まあ、慣れました」
暁登の前職は樹生と同じく郵便配達員だった。辞めた理由を聞いてはいないが、地図読みは業務上必要最低限に身についているだろう。
しばらく間が出来た。早は暁登の空になった湯呑みにお茶を注ぎ足す。暁登はそれをひとくち口にしてから、ぽつりと「こんなんでいいのかな、と思います」とこぼした。
「こんなん?」
「岩永さんと暮らしているから余計にそう思うんだと思うんですけど……いまの生活でいいのかな、と」
「不満がありますか?」
「不満というか……ちゃんと、働かなきゃな、って」
「暁登さんも働いていますよ。立派に新聞配達のお仕事を務められて」
「そうじゃなくて、……なんか、ちゃんと、」
と言うので、早はその真意を図りかねた。
「正規雇用で、とか、フルタイムで、とか、そういうことですか?」
「……なんか、うまく言えないんですけど……」
と言ったきり、暁登は黙ってしまった。
塩谷暁登という青年と対峙するとき、いつも早はこの青年の焦りや憤り、不安、そういったものを感じ取る。いまの生活に満足してはいないのだ。しかし満足していないからと言って、だったらどんな生活であれば良いのかを、おそらくこの青年は思い描いてはいない。漠然とした不安だ。本人がうまく言えないということはそういうことなんだろう。
その点、暁登と樹生は正反対だ。樹生には確かに描く夢があり、野望があり、理想がある。彼はそれを手にしたくて必死だ。そのことをこの若い同居人には伝えていないと聞く。なぜこのふたりが同居生活など始めたのかを早は訊ねたことはなかったが、樹生が言わないことを自分から話すのは違うような気がして、早も暁登に告げてはいない。
黙している間に、古い掛け時計がボーンと一音だけ音を鳴らした。正午を知らせたのだ。この掛け時計は早の父から結婚の際に譲り受けたものだった。これはsomething fourになぞらえている。なにか古いもの、なにか新しいもの、なにか借りたもの、なにか青いものを身につけて結婚式を行うと幸せになれるという遠い国の習慣だ。
掛け時計は当然だが身につけられない。だがそもそも早たち夫婦は晩婚だからと披露宴自体を行わなかった。ならばなんでもよかろう、ということになり、父から何が欲しいと訊かれたときに早は時計を所望した。この古い時計が時を刻む音を聞く時間が、早は本当に好きだった。
音の鳴る時計は、盲の父にとっても重要なものであった。彼はこの時計の音で時刻を確認していた。早が、これが欲しいけれど父さんには必要だものね、と遠慮しようとしたとき、父は「もうおれはそんなに長くは生きないだろうから」と言い、快く早に時計を譲った。そのころの父は末期ガンに冒されており、いつまでも嫁に行かぬ長女のことを心配していたが、ようやく良い人が見つかったと喜んでいた。だから尚のこと、自分にとっての大切なものを娘に譲る時が来たと嬉しそうにしていた。彼は満足して遠い空へ旅立った。早が入籍してから半年後のことだった。
時計の音を聞いて、早は「そろそろ始めましょうか」と暁登に告げた。
「早くしないと樹生さんが来てしまいますから」
「今日はなにを?」と暁登が訊ねる。
「書斎の整理をお願い出来ますか? 私の生活に関しては、今日のところは大丈夫ですので」
「分かりました」
ごちそうさまでした、と暁登は頭を下げ、早の分の湯呑みや小皿を引き取って食器を片付けはじめる。男ふたりで雑な暮らしです、といつか樹生が言っていたが、そうは言っても必要最低限のことはこなしているのだろう。暁登が食器を濯ぐ手つきはなめらかで、洗われた器を早はふきんで拭う。
終わると暁登は家の奥に進んだ。廊下の突き当たりには夫が使っていた部屋がある。書斎と執筆部屋と以前はふた部屋だったのだが、本を取りに行くのにいちいち扉を開け閉めするのが面倒だと言って、夫はリフォーム業者を呼んだ。ふたつの部屋の壁をぶち抜いてもらい、半地下にまた書斎まで作ってしまったから、とても広い。広いがそこは夫の収集した大量の本と資料、執筆した論文などで埋まっている。
今日の暁登は、それらを整理するのが仕事だ。
→ 6
← 4
二.先生
草刈早(くさかりさき)の家系はいわゆる「めくら」の人間が多かった。遺伝性のもののように思う。早の父が目の見えない人で、早の六人いる兄弟のうち早の兄と弟ふたりは、生まれたときには見えていたけれど、後に失明した。早と早の妹ふたりは視力に問題がなかったが、彼女らの息子はひどい弱視で、ゆくゆくは失明するだろうと言われている。これだけ身近に盲の人間がいると、これはもう間違いなく血のせいだと思えた。男性にだけ遺伝する、めくらの血。だから早は子どもを産まない選択をした。子は授かりもの、けれどもし男児が生まれて、彼が失明するようなことがあれば、早の方が息子を導けない、と思ったのだ。それはもう恐怖でしかなかった。
結婚が遅かったことも関係する。夫とは三十代の終わりに知りあい、四十代のはじまりで入籍した。お互いに初婚で、子どもは無理だろうというのは言わなくても通じた。いまのように高齢出産が当たり前で、妊活が、不妊治療が、などとは言わない時代だった。夫とは始終穏やかな日々を過ごし、満ち足りたまま、夫は静かに息を引き取った。それが三年前のことだ。
大学教授だった夫と中学校の美術教師だった早が知りあったきっかけは、教え子だった。早の教え子が中学校を卒業し、その後の進路で夫のいる大学に進み、夫が指導するゼミで学んだのだ。その教え子が結婚するときに、早は式に呼ばれた。そのときに同じテーブルについたのが、やはり式に呼ばれた夫だったのだ。
夫と出会えて、早は本当に幸福だったと思っている。だが夫との出会いを回想すると、いつも教え子の披露宴を思い出す。あのときこぼれんばかりの笑みを浮かべていた教え子と花嫁は、果たして幸福な結婚をしたのだろうかと。その後のことを思うとやるせなくなる。
湯を沸かしていると、ポン、とインターフォンが鳴った。火を止めて早は玄関へと向かう。解錠して扉を放つと、そこには痩せた男とのっぽの男が立っていた。痩せている方が塩谷暁登、確か二十代のはじめの年齢で、背の高い方が岩永樹生、彼はちょうど三十歳になったと夏前に聞いた。
「樹生さんが一緒に来るなんて、珍しいですね」と早が言うと、樹生は照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。
「今日、用事があるので。ついでに暁登を送りに」
「あ、じゃあ今日、暁登さんはバイクではないのですね」
そう言うと、暁登は「ええ、まあ」と答えた。
「どうしましょうか。持って行ってもらおうと思って、銀杏のおこわと五目いなりを作ったのですけど」
それらはすでに重箱に詰めてあった。この男ふたりはルームシェアをしていて、男ふたりだから食事は適当になりがちだと聞いている。だからというわけではないが、夫を亡くして子どももいない早は、食事を作る喜びを、このふたりに当てている。
樹生が「用事が済んだら、暁登を回収しに来ます」と言った。
「そのとき持ってけばいい。あ、もし先生さえよければ、ここでめし食ってってもいいですか? その、銀杏のおこわといなり」
「ああ、いいですね。今夜もひとりの食事だったんです」
「よかった。じゃあ、おれはなにかおかずになるようなもの、買ってきます。夕方には顔出せると思う」
「今日はどこへ?」
と言ってから、早はすぐに愚問だったと気付いた。その戸惑いに樹生もまた気付いただろうが、しれっと「姉に会うんですよ」と言った。
「ああ、そうなんですね」
「どうしても『いづみ』の干菓子を買って来いってうるさくて」
樹生は微笑んだ。これは彼本来の笑みではないと早にはわかる。もう何度も作って馴れてしまったから、自然と出てしまう厭な笑みだ。
「じゃあ、おれは行きます。あき、またな」
そう言って樹生はブルゾンのポケットから車の鍵を取り出しながら身をひるがえした。早はその背中に「お姉さんにもよろしくお伝えくださいね」と声をかける。彼は振り向かないまま、手だけ挙げて応えた。
「さて、まずはお茶にしませんか?」
と、暁登に声をかける。はじめて彼がこの家を訪ねて来たときも樹生が一緒だったが、樹生は用事があるからと言って一足先に帰った。あのとき、暁登は置いて行かれたという思いが強かったのだろう、ひどく心細い顔をした。いまでは早に馴れたか、家に馴れたか、そのような表情は見せなくなった。
暁登は、「出がけに『いづみ』へ寄ったから、早先生にお土産があるんです」と言った。
「一緒に食べようと思って。栗餡のどら焼きと、落雁」
「気を遣ってくださってすみません。好きですよ、『いづみ』のお菓子」
「よかった」
「中へどうぞ。暖かいですよ」
「お邪魔します」
暁登を伴って玄関をくぐった。
結婚が遅かったことも関係する。夫とは三十代の終わりに知りあい、四十代のはじまりで入籍した。お互いに初婚で、子どもは無理だろうというのは言わなくても通じた。いまのように高齢出産が当たり前で、妊活が、不妊治療が、などとは言わない時代だった。夫とは始終穏やかな日々を過ごし、満ち足りたまま、夫は静かに息を引き取った。それが三年前のことだ。
大学教授だった夫と中学校の美術教師だった早が知りあったきっかけは、教え子だった。早の教え子が中学校を卒業し、その後の進路で夫のいる大学に進み、夫が指導するゼミで学んだのだ。その教え子が結婚するときに、早は式に呼ばれた。そのときに同じテーブルについたのが、やはり式に呼ばれた夫だったのだ。
夫と出会えて、早は本当に幸福だったと思っている。だが夫との出会いを回想すると、いつも教え子の披露宴を思い出す。あのときこぼれんばかりの笑みを浮かべていた教え子と花嫁は、果たして幸福な結婚をしたのだろうかと。その後のことを思うとやるせなくなる。
湯を沸かしていると、ポン、とインターフォンが鳴った。火を止めて早は玄関へと向かう。解錠して扉を放つと、そこには痩せた男とのっぽの男が立っていた。痩せている方が塩谷暁登、確か二十代のはじめの年齢で、背の高い方が岩永樹生、彼はちょうど三十歳になったと夏前に聞いた。
「樹生さんが一緒に来るなんて、珍しいですね」と早が言うと、樹生は照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。
「今日、用事があるので。ついでに暁登を送りに」
「あ、じゃあ今日、暁登さんはバイクではないのですね」
そう言うと、暁登は「ええ、まあ」と答えた。
「どうしましょうか。持って行ってもらおうと思って、銀杏のおこわと五目いなりを作ったのですけど」
それらはすでに重箱に詰めてあった。この男ふたりはルームシェアをしていて、男ふたりだから食事は適当になりがちだと聞いている。だからというわけではないが、夫を亡くして子どももいない早は、食事を作る喜びを、このふたりに当てている。
樹生が「用事が済んだら、暁登を回収しに来ます」と言った。
「そのとき持ってけばいい。あ、もし先生さえよければ、ここでめし食ってってもいいですか? その、銀杏のおこわといなり」
「ああ、いいですね。今夜もひとりの食事だったんです」
「よかった。じゃあ、おれはなにかおかずになるようなもの、買ってきます。夕方には顔出せると思う」
「今日はどこへ?」
と言ってから、早はすぐに愚問だったと気付いた。その戸惑いに樹生もまた気付いただろうが、しれっと「姉に会うんですよ」と言った。
「ああ、そうなんですね」
「どうしても『いづみ』の干菓子を買って来いってうるさくて」
樹生は微笑んだ。これは彼本来の笑みではないと早にはわかる。もう何度も作って馴れてしまったから、自然と出てしまう厭な笑みだ。
「じゃあ、おれは行きます。あき、またな」
そう言って樹生はブルゾンのポケットから車の鍵を取り出しながら身をひるがえした。早はその背中に「お姉さんにもよろしくお伝えくださいね」と声をかける。彼は振り向かないまま、手だけ挙げて応えた。
「さて、まずはお茶にしませんか?」
と、暁登に声をかける。はじめて彼がこの家を訪ねて来たときも樹生が一緒だったが、樹生は用事があるからと言って一足先に帰った。あのとき、暁登は置いて行かれたという思いが強かったのだろう、ひどく心細い顔をした。いまでは早に馴れたか、家に馴れたか、そのような表情は見せなくなった。
暁登は、「出がけに『いづみ』へ寄ったから、早先生にお土産があるんです」と言った。
「一緒に食べようと思って。栗餡のどら焼きと、落雁」
「気を遣ってくださってすみません。好きですよ、『いづみ』のお菓子」
「よかった」
「中へどうぞ。暖かいですよ」
「お邪魔します」
暁登を伴って玄関をくぐった。
暁登が早の元を訪れるようになったのは、一年半前にさかのぼる。
街は新緑のころだった。亡くなった夫のものを片付けなければならないと思いつつどうしてよいやらほったらかしている、という話をいつか樹生にしていて、それを思い出したのか、「先生の助手を務められる人間がいるんですけど」と申し出があった。
それが暁登だった。はじめて樹生に伴われてこの家にやってきた暁登は、痩せていて、目線をうまく合わせられず、緊張していただろう、出したお茶の湯呑を持つ手が震えていて、ぎこちなかった。樹生が「そんなに緊張しなくてもさ」と暁登の背を叩いた、あのときのやわらかなまなざしを早は覚えている。
樹生の年齢と暁登の年齢とを考えると、なぜこの組みあわせなのかが早には疑問だった。それを率直に尋ねると、樹生が「おれの前の職場の部下というか、後輩です」と答えた。
当時の樹生は、正社員になって異動し、新しい職場になって一年か二年か、そんなころだったと思う。前の職場ということは、樹生が非正規雇用社員のころから勤めていた集配局のことで、だから早は暁登も郵便配達員なのだと思った。
「でも、お勤めがあるでしょう」と早は暁登に問いかけた。すると暁登は困った顔をして、樹生を見た。
樹生は苦笑した。
「おれが転勤したあとわりとすぐのタイミングで、辞めちゃってるんですよ。だから、フリー」
「そうなのですか」
「時間はいくらでもあります。買い物でも掃除でもなんでも、使ってやってください」
と樹生は言ったが、そうですか、ではよろしくお願いします、というのは気が引けた。樹生が頼んでくるぐらいなので悪い人間ではないのだろう。だが、いくら時間に余裕があったとして、まるきりボランティアでお願いするのはどうかと思った。
「申し出はありがたいのですけど、……あまりたいした額は出せません」というと、樹生と暁登は揃って目をまるくした。そしてお互いの顔を見合い、また揃って早の方を見た。
「金が欲しいんじゃないです」と言ったのは暁登の方だった。
「いや、あるに越したことはないと思うんです。けど、小遣いぐらいだったらおれは稼いでますので」
「あら、そうなのですか?」
「朝二・三時間ぐらいですけど、新聞の配達をしています」
「まあ、……郵便配達を辞めて新聞配達なんて、配達のお仕事が好きなのですねえ」
というと、暁登は苦く笑った。ちいさな声で「これぐらいしかできないので」と呟く。
「先生、おれはさ」
と会話を引き継いだのは樹生だった。
「新聞配達以外で外に出なくて、ずっと家にいるこいつに、先生を会わせたかったんです。多分、おれと先生よりも仲が良くなると思う。話も合いそうだし」
樹生は暁登の好きなものを羅列で説明した。小説を読むのが好きなこと、英語が得意でとりわけリーディングに長けていること、映画鑑賞も好きなこと、夏から秋には登山もすること、最近はバードウォッチングにも興味があること、など。
早が「私も亡くなった主人とはよく、山に登ったものですよ」と答えると、樹生は暁登に「な」と言った。
「そうですね、樹生さんはゲームや漫画ばかりが好きで、……正直、私や主人とはまったく合いませんでしたねえ」
そう言うと、樹生は「はは」と笑い声をあげた。
「分かりました。あなたにお手伝いをお願いすることにしましょう。正直ね、とてもありがたいのです。最近は腰痛がつらくてね、主人の残した本やら論文やらをまとめたいのですけど、重たいものは持てなくて」
そうして暁登が定期的に早の家に足を運ぶようになった。
→ 5
← 3
街は新緑のころだった。亡くなった夫のものを片付けなければならないと思いつつどうしてよいやらほったらかしている、という話をいつか樹生にしていて、それを思い出したのか、「先生の助手を務められる人間がいるんですけど」と申し出があった。
それが暁登だった。はじめて樹生に伴われてこの家にやってきた暁登は、痩せていて、目線をうまく合わせられず、緊張していただろう、出したお茶の湯呑を持つ手が震えていて、ぎこちなかった。樹生が「そんなに緊張しなくてもさ」と暁登の背を叩いた、あのときのやわらかなまなざしを早は覚えている。
樹生の年齢と暁登の年齢とを考えると、なぜこの組みあわせなのかが早には疑問だった。それを率直に尋ねると、樹生が「おれの前の職場の部下というか、後輩です」と答えた。
当時の樹生は、正社員になって異動し、新しい職場になって一年か二年か、そんなころだったと思う。前の職場ということは、樹生が非正規雇用社員のころから勤めていた集配局のことで、だから早は暁登も郵便配達員なのだと思った。
「でも、お勤めがあるでしょう」と早は暁登に問いかけた。すると暁登は困った顔をして、樹生を見た。
樹生は苦笑した。
「おれが転勤したあとわりとすぐのタイミングで、辞めちゃってるんですよ。だから、フリー」
「そうなのですか」
「時間はいくらでもあります。買い物でも掃除でもなんでも、使ってやってください」
と樹生は言ったが、そうですか、ではよろしくお願いします、というのは気が引けた。樹生が頼んでくるぐらいなので悪い人間ではないのだろう。だが、いくら時間に余裕があったとして、まるきりボランティアでお願いするのはどうかと思った。
「申し出はありがたいのですけど、……あまりたいした額は出せません」というと、樹生と暁登は揃って目をまるくした。そしてお互いの顔を見合い、また揃って早の方を見た。
「金が欲しいんじゃないです」と言ったのは暁登の方だった。
「いや、あるに越したことはないと思うんです。けど、小遣いぐらいだったらおれは稼いでますので」
「あら、そうなのですか?」
「朝二・三時間ぐらいですけど、新聞の配達をしています」
「まあ、……郵便配達を辞めて新聞配達なんて、配達のお仕事が好きなのですねえ」
というと、暁登は苦く笑った。ちいさな声で「これぐらいしかできないので」と呟く。
「先生、おれはさ」
と会話を引き継いだのは樹生だった。
「新聞配達以外で外に出なくて、ずっと家にいるこいつに、先生を会わせたかったんです。多分、おれと先生よりも仲が良くなると思う。話も合いそうだし」
樹生は暁登の好きなものを羅列で説明した。小説を読むのが好きなこと、英語が得意でとりわけリーディングに長けていること、映画鑑賞も好きなこと、夏から秋には登山もすること、最近はバードウォッチングにも興味があること、など。
早が「私も亡くなった主人とはよく、山に登ったものですよ」と答えると、樹生は暁登に「な」と言った。
「そうですね、樹生さんはゲームや漫画ばかりが好きで、……正直、私や主人とはまったく合いませんでしたねえ」
そう言うと、樹生は「はは」と笑い声をあげた。
「分かりました。あなたにお手伝いをお願いすることにしましょう。正直ね、とてもありがたいのです。最近は腰痛がつらくてね、主人の残した本やら論文やらをまとめたいのですけど、重たいものは持てなくて」
そうして暁登が定期的に早の家に足を運ぶようになった。
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「あっ」と暁登は声を漏らし、同時にびくりと腿を引きつらせた。内部に樹生を迎え入れるまではひと言も漏らすまいと拳を握って必死で枕に顔を押し付けていたが、樹生が確かな質量で侵入して動き始めると、鼓膜を溶かすような甘い声で啼きはじめた。もう暁登の体には何度も猛った雄を押し込んできていて、体は樹生のかたちを覚えてぴったりと隙間なく抱きあえるようになった。だというのに暁登の反応は常に硬い。体は素直だ。気持ちがよいことを突き詰めようと樹生をねっとりと咥え込む。心だけが未だに樹生に馴れてくれない。
そういう態度をされると、樹生の胸の内では意地の悪い気持ちが浮かぶ。もっと啼かせて落としたくなる。だから樹生は声などお構いなしに体を揺する。
何度もしていることだから、暁登の気持ちの良い場所はわかるし、どうされると泣きだすかも知っている。きっと暁登ですら分かっていなかった芽みたいなものを自分が芽吹かせたのだと思うと心臓がきゅっと締まる。一拍呼吸を忘れて、苦しくなる。
荒く息を吐きながら暁登の細い腰をしっかりと掴み、背後から暁登のよい場所を探った。この辺り、と思う場所を穿つと、暁登が切ない声をあげた。はじめは強めに押して、あとは小刻みに動く。しばらくそうしてたわむれに幾度か押すと、暁登は観念したかのようにびしゃびしゃとシーツの上に射精した。
ぐったりと放心する体を、やさしく扱うつもりはなかった。ゆっくりと自身を引き抜いてから暁登の体を仰向けに転がす。そうして膝を掴んで足を開かせ、再び自身を押し込む。また内部をこすられて、刺激に、暁登はついに「やめろ」と言う。
「いやだ、少し待って、……つらい、」
「残念。こっちはそうもいかない」そう言いながらぐるりと暁登の内部を掻きまわすと、暁登はまた嬌声をあげた。それが悔しいのか、腕で口元を覆い、手首を齧る。暁登がいつもする癖だ。
早く終わらせてあげたいとは思う。だが暁登の痴態を見ていたい気持ちも沸く。沸騰に届くか届かないかのぎりぎりのところをいつまでも味わっていたい欲だってある。とにかく暁登の肌が気持ちよい。冬でも荒れない、みずみずしく若い体だ。
腰を抱えなおし、足を胴に巻き付けさせてぴったりと添う。暁登が噛んでいる手首のちょうど裏側に唇を這わせ軽く食むと、暁登の内部がきゅっと蠢いた。
「あき、」と、耳元で暁登に囁く。「悪いな」
それから先はすべて自分のタイミングとリズムで動いた。暁登は相当に辛そうだったが手加減はできない。暁登のこらえきれない声が漏れる。暁登自身に手を伸ばすとまた硬く立ちあがっていて、それを掌で刺激しながら、夢中で男の体をむさぼった。
そういう態度をされると、樹生の胸の内では意地の悪い気持ちが浮かぶ。もっと啼かせて落としたくなる。だから樹生は声などお構いなしに体を揺する。
何度もしていることだから、暁登の気持ちの良い場所はわかるし、どうされると泣きだすかも知っている。きっと暁登ですら分かっていなかった芽みたいなものを自分が芽吹かせたのだと思うと心臓がきゅっと締まる。一拍呼吸を忘れて、苦しくなる。
荒く息を吐きながら暁登の細い腰をしっかりと掴み、背後から暁登のよい場所を探った。この辺り、と思う場所を穿つと、暁登が切ない声をあげた。はじめは強めに押して、あとは小刻みに動く。しばらくそうしてたわむれに幾度か押すと、暁登は観念したかのようにびしゃびしゃとシーツの上に射精した。
ぐったりと放心する体を、やさしく扱うつもりはなかった。ゆっくりと自身を引き抜いてから暁登の体を仰向けに転がす。そうして膝を掴んで足を開かせ、再び自身を押し込む。また内部をこすられて、刺激に、暁登はついに「やめろ」と言う。
「いやだ、少し待って、……つらい、」
「残念。こっちはそうもいかない」そう言いながらぐるりと暁登の内部を掻きまわすと、暁登はまた嬌声をあげた。それが悔しいのか、腕で口元を覆い、手首を齧る。暁登がいつもする癖だ。
早く終わらせてあげたいとは思う。だが暁登の痴態を見ていたい気持ちも沸く。沸騰に届くか届かないかのぎりぎりのところをいつまでも味わっていたい欲だってある。とにかく暁登の肌が気持ちよい。冬でも荒れない、みずみずしく若い体だ。
腰を抱えなおし、足を胴に巻き付けさせてぴったりと添う。暁登が噛んでいる手首のちょうど裏側に唇を這わせ軽く食むと、暁登の内部がきゅっと蠢いた。
「あき、」と、耳元で暁登に囁く。「悪いな」
それから先はすべて自分のタイミングとリズムで動いた。暁登は相当に辛そうだったが手加減はできない。暁登のこらえきれない声が漏れる。暁登自身に手を伸ばすとまた硬く立ちあがっていて、それを掌で刺激しながら、夢中で男の体をむさぼった。
風呂に入り直し、あがった後で今度はしっかりとクリームを塗ってもらい、ふたりでリビングに移った。髪を拭いながら少し遅い食事の支度をする。面倒なので米とインスタントのスープでもあったらいいかと思う。暁登を見ると、誘っておいてかなり疲労したようで、リビングのフローリングにじかに寝ころんでいた。
「あき、そんなところで寝たら風邪ひく」
「んー……」
声をかけたが、暁登の反応は薄かった。仕方がないので朝炊いた白米の残りを電子レンジにかけているあいだに、暁登の傍に寄って腕を取った。
「ほら、……少しは食った方がいい、絶対に」
声をかけながら暁登を椅子まで運ぶ。取った腕が視界に入り、そこには暁登が行為の最中に噛んだ痕がうっすらと残っていて、なんだかやるせない気持ちになった。
暁登の生活そのものが、言ってしまえば生き方が、樹生にはむなしく、淋しく思える。
いつ死んでもいいとでも言うような、投げやりな行動ばかりしている。食べる気がしないから食事をしないとか、雨の日はただひたすら昏々と眠るとか。樹生が教えたから性衝動だけには正直で、でもこれも樹生が教えなければなかったことにして過ごしていただろうと思う。
電子レンジが温め終了の電子音を鳴らす。器にそれをよそい、ちょうどよく湧いた湯でインスタントスープを入れたカップに湯を注いだ。暁登はぼんやりとそれを見ていたが、「食おう」と椅子に腰かけながら言うと、彼も箸を取った。
「明日は先生のところだろ」と食事の合間に尋ねる。暁登はゆっくりと白米を噛みながら、うん、と頷いた。
「おれも明日出かけるからさ。時間が合うなら車で送るよ」
「別に時間が決まっているわけじゃない。いつも通り」
「じゃあ、乗ってけばいい。おれは十一時に駅前で待ち合わせ」
暁登はしばらく無言で食べ物を咀嚼していたが、しばらくして「どこ行くの」と聞いてきた。
「いや、姉貴に会うだけだよ」
「ああ、月一の定例会」
「まあね。帰りに買い物して帰る。なにか必要なものある?」
「……わかんない。トイレットペーパーの買い置きがなかった、気がする」
暁登は目を閉じてぼんやりと喋った。また眠りが彼の内に押し寄せているんだろう。まだ雨はやまない。
「――ま、いいや。めし食って寝ちまおう」
「うん」
「……今夜、」
と言いかけて、樹生は口をつぐんだ。本当は「一緒に寝ないか」と言いたかった。もしくは「おれの部屋に来るか」でもいい。暁登をあのままひとりの部屋に帰したくなかったし、あるいは樹生自身が、こういう夜はなにか温かなものを抱いて眠りたかった。
だが言えない。体を合わせることは出来ても、睦むことを暁登は拒絶すると分かっていた。
「冷えてるから、あったかくして寝ろよ」
結局言えたのはそんなどうでもよい言葉だった。それでも暁登は言葉に素直に頷く。
食事は、樹生の方が先に食べ終えた。けれど自室に引き下がるのも嫌で、暁登がゆっくりと食事を終えるのを待つ。
明日は姉に会う。嘘はついていない。月に一度は姉に会う約束でいるし、暁登も承知しているぐらいに日常に組み込まれたことでもある。
ただ、言わないことはある。
明日は墓参りに行く。
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「あき、そんなところで寝たら風邪ひく」
「んー……」
声をかけたが、暁登の反応は薄かった。仕方がないので朝炊いた白米の残りを電子レンジにかけているあいだに、暁登の傍に寄って腕を取った。
「ほら、……少しは食った方がいい、絶対に」
声をかけながら暁登を椅子まで運ぶ。取った腕が視界に入り、そこには暁登が行為の最中に噛んだ痕がうっすらと残っていて、なんだかやるせない気持ちになった。
暁登の生活そのものが、言ってしまえば生き方が、樹生にはむなしく、淋しく思える。
いつ死んでもいいとでも言うような、投げやりな行動ばかりしている。食べる気がしないから食事をしないとか、雨の日はただひたすら昏々と眠るとか。樹生が教えたから性衝動だけには正直で、でもこれも樹生が教えなければなかったことにして過ごしていただろうと思う。
電子レンジが温め終了の電子音を鳴らす。器にそれをよそい、ちょうどよく湧いた湯でインスタントスープを入れたカップに湯を注いだ。暁登はぼんやりとそれを見ていたが、「食おう」と椅子に腰かけながら言うと、彼も箸を取った。
「明日は先生のところだろ」と食事の合間に尋ねる。暁登はゆっくりと白米を噛みながら、うん、と頷いた。
「おれも明日出かけるからさ。時間が合うなら車で送るよ」
「別に時間が決まっているわけじゃない。いつも通り」
「じゃあ、乗ってけばいい。おれは十一時に駅前で待ち合わせ」
暁登はしばらく無言で食べ物を咀嚼していたが、しばらくして「どこ行くの」と聞いてきた。
「いや、姉貴に会うだけだよ」
「ああ、月一の定例会」
「まあね。帰りに買い物して帰る。なにか必要なものある?」
「……わかんない。トイレットペーパーの買い置きがなかった、気がする」
暁登は目を閉じてぼんやりと喋った。また眠りが彼の内に押し寄せているんだろう。まだ雨はやまない。
「――ま、いいや。めし食って寝ちまおう」
「うん」
「……今夜、」
と言いかけて、樹生は口をつぐんだ。本当は「一緒に寝ないか」と言いたかった。もしくは「おれの部屋に来るか」でもいい。暁登をあのままひとりの部屋に帰したくなかったし、あるいは樹生自身が、こういう夜はなにか温かなものを抱いて眠りたかった。
だが言えない。体を合わせることは出来ても、睦むことを暁登は拒絶すると分かっていた。
「冷えてるから、あったかくして寝ろよ」
結局言えたのはそんなどうでもよい言葉だった。それでも暁登は言葉に素直に頷く。
食事は、樹生の方が先に食べ終えた。けれど自室に引き下がるのも嫌で、暁登がゆっくりと食事を終えるのを待つ。
明日は姉に会う。嘘はついていない。月に一度は姉に会う約束でいるし、暁登も承知しているぐらいに日常に組み込まれたことでもある。
ただ、言わないことはある。
明日は墓参りに行く。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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