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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 暁登が早の家にやって来る、その時間を特に定めてはいない。作業内容もこれとはっきり決まっているわけではないからと、早が決めなかった。暁登にはなんでもやってもらっている。主には夫の遺品の整理だったはずだが、早のひとり暮らしぶりを見て暁登が自分から申し出てくれた。日々に必要な買い物、電球の交換、庭木の落ち葉掃きや選定、たまに来客があった日などはその対応までしてくれるので、暁登の存在は介護ヘルパーに近い、などと早は思う。
 何時でも都合の良いときに来て下さい、と言ってはあるが、暁登はおおむね昼前にやって来る。そして早めの昼食をともに取るかちょっとした軽食を取るかして、少しお喋りなんかも楽しんで、作業をするのは主に午後だ。
 その日も暁登が持参した菓子でまずはティータイムとなった。早も暁登もあまりお喋りが得意な方ではないのだが、だからと言って嫌いな訳ではない。暁登に「樹生さんと最近はどうですか?」とルームシェアの塩梅を尋ねると、暁登は「それなりに」と答えた。
「岩永さんはいま、忙しいみたいで」
「お仕事が?」
 と訊ねてから、早は我ながら愚問だったなと思い直した。お歳暮の配達に年賀状の販売、そして仕分け、配達。樹生の仕事はこれからがいよいよ繁忙期であることを、長年の樹生を見ているからよく知っていた。
 暁登は動作だけで頷いてみせた。
「暁登さんはどうですか?」
 と訊ねる。暁登はしばらく考えて、また「それなりに」と言った。
「新聞配達の仕事が、配達区が増えました。ここの区間も配ってほしいと言われて、地図とにらめっこしています」
「そうなのですね。でも、地図を読むのは得意でしょう」
「……まあ、慣れました」
 暁登の前職は樹生と同じく郵便配達員だった。辞めた理由を聞いてはいないが、地図読みは業務上必要最低限に身についているだろう。
 しばらく間が出来た。早は暁登の空になった湯呑みにお茶を注ぎ足す。暁登はそれをひとくち口にしてから、ぽつりと「こんなんでいいのかな、と思います」とこぼした。
「こんなん?」
「岩永さんと暮らしているから余計にそう思うんだと思うんですけど……いまの生活でいいのかな、と」
「不満がありますか?」
「不満というか……ちゃんと、働かなきゃな、って」
「暁登さんも働いていますよ。立派に新聞配達のお仕事を務められて」
「そうじゃなくて、……なんか、ちゃんと、」 
 と言うので、早はその真意を図りかねた。
「正規雇用で、とか、フルタイムで、とか、そういうことですか?」
「……なんか、うまく言えないんですけど……」
 と言ったきり、暁登は黙ってしまった。
 塩谷暁登という青年と対峙するとき、いつも早はこの青年の焦りや憤り、不安、そういったものを感じ取る。いまの生活に満足してはいないのだ。しかし満足していないからと言って、だったらどんな生活であれば良いのかを、おそらくこの青年は思い描いてはいない。漠然とした不安だ。本人がうまく言えないということはそういうことなんだろう。
 その点、暁登と樹生は正反対だ。樹生には確かに描く夢があり、野望があり、理想がある。彼はそれを手にしたくて必死だ。そのことをこの若い同居人には伝えていないと聞く。なぜこのふたりが同居生活など始めたのかを早は訊ねたことはなかったが、樹生が言わないことを自分から話すのは違うような気がして、早も暁登に告げてはいない。
 黙している間に、古い掛け時計がボーンと一音だけ音を鳴らした。正午を知らせたのだ。この掛け時計は早の父から結婚の際に譲り受けたものだった。これはsomething fourになぞらえている。なにか古いもの、なにか新しいもの、なにか借りたもの、なにか青いものを身につけて結婚式を行うと幸せになれるという遠い国の習慣だ。
 掛け時計は当然だが身につけられない。だがそもそも早たち夫婦は晩婚だからと披露宴自体を行わなかった。ならばなんでもよかろう、ということになり、父から何が欲しいと訊かれたときに早は時計を所望した。この古い時計が時を刻む音を聞く時間が、早は本当に好きだった。
 音の鳴る時計は、盲の父にとっても重要なものであった。彼はこの時計の音で時刻を確認していた。早が、これが欲しいけれど父さんには必要だものね、と遠慮しようとしたとき、父は「もうおれはそんなに長くは生きないだろうから」と言い、快く早に時計を譲った。そのころの父は末期ガンに冒されており、いつまでも嫁に行かぬ長女のことを心配していたが、ようやく良い人が見つかったと喜んでいた。だから尚のこと、自分にとっての大切なものを娘に譲る時が来たと嬉しそうにしていた。彼は満足して遠い空へ旅立った。早が入籍してから半年後のことだった。
 時計の音を聞いて、早は「そろそろ始めましょうか」と暁登に告げた。
「早くしないと樹生さんが来てしまいますから」
「今日はなにを?」と暁登が訊ねる。
「書斎の整理をお願い出来ますか? 私の生活に関しては、今日のところは大丈夫ですので」
「分かりました」
 ごちそうさまでした、と暁登は頭を下げ、早の分の湯呑みや小皿を引き取って食器を片付けはじめる。男ふたりで雑な暮らしです、といつか樹生が言っていたが、そうは言っても必要最低限のことはこなしているのだろう。暁登が食器を濯ぐ手つきはなめらかで、洗われた器を早はふきんで拭う。
 終わると暁登は家の奥に進んだ。廊下の突き当たりには夫が使っていた部屋がある。書斎と執筆部屋と以前はふた部屋だったのだが、本を取りに行くのにいちいち扉を開け閉めするのが面倒だと言って、夫はリフォーム業者を呼んだ。ふたつの部屋の壁をぶち抜いてもらい、半地下にまた書斎まで作ってしまったから、とても広い。広いがそこは夫の収集した大量の本と資料、執筆した論文などで埋まっている。
 今日の暁登は、それらを整理するのが仕事だ。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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