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 樹生の車にふたりで乗り込む。今日、茉莉は自家用車を家に置いて駅まで公共交通機関を使って来ていた。付き合って、というからにはまっすぐ駅に送っていい訳ではないのだろう。「どこ行くの」と訊ねると、繁華街に最近オープンしたショッピングモールの名を出した。
「お店が色々と入ってるみたいだから、覗こうと思って」
「こういうのは藍(あい)や茜(あかね)と来た方が楽しいんじゃないの?」
 と、樹生はふたりの姪の名前を出した。しかし姉は「いま私にその権利はないからね」と答えた。
「え?」
「出て行ったの、曜一郎(よういちろう)。藍も茜も連れて実家に帰ったわ」
「いつ、」
「もうけっこう前よ。先月あんたと会った、そのすぐ後ぐらい」
 樹生は黙るほかなかった。思い当たる節ならいくらでもあるからだ。
 傍目に見て、茉莉の生活は実に順調で幸福だ。若いうちに結婚し、ふたりの愛らしい娘を生み育て、稼ぎのよい誠実な夫のおかげで街からあまり離れない一等地に一軒家を持ち、家族四人で暮らしている。夫はこの辺りでは一流の企業に勤め、いまでは若いながらも多数の部下を束ねる立場であるし、娘たちはまた、入学が難しいとされる大学附属の学校に通っている。また、茉莉自身も専門学校時代からの仲間と店を構えていた。ドライフラワーとアンティークの小物を置く店で、店舗は小さいがその手のことが好きな婦人たちには絶大な人気を誇る店だ。その店で、茉莉は主にアンティークの買い付けを担当している。
 誰もが羨む暮らしぶりである。だがその裏で、茉莉には酷い悪癖があった。曜一郎というパートナーがいながら、茉莉はこれまで幾度となく不貞を繰り返してきた。「浮気という言葉通りのことはしていない。浮ついた心じゃないから」と平気で言うほどなのだから質が悪い。
 茉莉の言い分によれば、曜一郎との間に子どもが欲しいと思ったが、結婚するしないはどちらでもよかったらしい。結婚というかたちの方が子どもをより安全に育てられると思ったからそうしたという。けれど茉莉いわく、「曜一郎は下手」だ。夫とのセックスは苦痛でしかなく、しかし「たまるものは女だってたまる」。そういう時に会って発散させてくれる男が茉莉には幾人かいる。「向き不向きは誰にでもある。上手い人を求めるのは当然でしょう」といつか茉莉は平然と言い放った。「子どもは曜一郎との間にしか欲しくない。だからそんなヘマはしない」とも。
 このことは、曜一郎も知っている。知っていてよくここまで家庭を保っていられるものだと、義兄に対して樹生は申し訳ないやら感心するやら、複雑な思いでいた。出て行った事は「ようやく」と言えるかもしれなかった。義兄の堪忍袋の緒は、ようやく正常に切れたのだ。
「楽よ」と茉莉は言った。
「深夜に帰宅する夫を待って遅くまで起きていなくていいし、脱ぎ散らかした娘の衣類を片付けなくていい。食事も洗濯も睡眠も仕事も、全部自分の為にある。そういう生活はあと十年は先だと思っていたから、思いのほか早くやって来て、こんなに楽かと驚いているわ」
「……」
 樹生は家庭を持ったことがない。持ったとして、妻や母としての茉莉の立場に男の樹生は立てない。だから想像も難しい。難しいが、不快に思った。
「茉莉」と樹生は車を発進させながら言った。
「元は他人だからさ、夫婦間のことはこの際どうでもいいよ。けど、子どもに対して『楽』とか言うのは」
「母親は常に母親であれ、と? 子どもを持ってしまったら子どもが第一で自分は常に二の次でいい、そういう事? そういうの私は大嫌い。母親なんだからとか、子どもの為に正しくいろとか、反吐が出る」
 と、樹生の台詞をばっさりと切り捨てた。樹生はまた黙り込む。この感情の激しい、突飛な発想をする姉に対して樹生はいつも戸惑う。なにか意見しようと思っても、言っても無駄である、と結局は諦めてしまう。姉が激しい性格なら、弟の樹生は事なかれ主義だ。それはきっとこんな姉を持ってしまったが故かな、と思う。
 ショッピングモールは平日でも混んでいた。適当なフードコートに入って軽食を取り、あとは並ぶ店を覗きながらぼんやりと歩いた。デパートの地下ではないが、それに似た食品を売る店の集まりがあり、樹生はその一角に出店していた中華の惣菜店で春巻きと焼売を買った。
 茉莉は主にスイーツの店舗を覗いていた。その中から結局はチョコレートを売る店で買い物をした。ひとりの家に帰るにしてはかなりの大箱で買う。チョコレートなので少しずつ消費するつもりかもしれなかった。
 歩き疲れて、ふたりはカフェに腰を据えた。茉莉はコーヒーを、樹生は甘いカフェラテを頼んだ。子どもみたいだなんだと言われても、樹生はこういう甘い飲み物が好きだ。
 コーヒーを口にしてから、茉莉は「ひとりだから、進捗状況もいいのよ」と言った。
「あいつの居場所が掴めそう」
「……まじで?」これには、樹生は前のめりになって訊ね返してしまった。茉莉はうっすらと微笑む。
「多分Kにいるわ。あいつの昔からの馴染みがそこにいて、身を寄せてるっぽい。これから厳冬期に入るのに、あんな避暑地に誰も来ないでしょ? 冬場のKなんか極寒なんだから、それを利用してそんなところにいるのかも」
「Kか……」ここからさほど遠くない、冬の深い街だ。割合と近くにいるだろうことに樹生は驚く。
「絶対見つける……」と茉莉は樹生に対してではなく、自分に言い聞かせるように呟いた。
 カフェには、あまり長居はしなかった。再び駐車場に戻り、茉莉を駅に送るべく樹生は車を出す。運転しながら、ふと思い立って樹生は茉莉に疑問を投げた。「あの男見つけ出して、茉莉はどうする?」
 茉莉は「殺す」と即答した。あまりにも感情が込められていない、そっけない「殺す」だったので、却ってストレートに殺意を樹生に伝え、樹生は思わず身震いした。
「茉莉、」
「まさか、殺さないわ。殺すぐらいなら死ぬよりもっと苦しい生き地獄を味わわせる。母さんをあんなにした男よ。生きる価値はないけど死ぬ価値もないのよ」
 と、茉莉は前を向いたまま言い放った。樹生は適切な答えを見失う。車内ではラジオがかろうじて最新ポップスを流していた。
 駅のロータリーへ車を滑らせる。送迎用のスペースへ停車させた。茉莉は「じゃあね樹生」と扉を開ける前に言った。
「進捗はまた連絡する。その時が来たら付き合ってくれる約束よね」
「……まあ、」
「次はまた一ケ月後かしら。風邪引くんじゃないのよ。元気でね」
 一方的にそう言い、茉莉は車を降りる。だが車のドアを閉める前に、「今日はこれから曜一郎と娘たちに会うのよ」と言った。
「曜一郎が話がしたい、て言うから会うの。私ね、別に曜一郎や娘たちが嫌いな訳じゃないのよ」
「……」
「むしろ好きだわ。愛してる」
 茉莉はそう言って微笑んだ。そして扉を唐突に閉め、さっさと歩を進めて雑踏に紛れて消えてしまった。
 樹生は呆然としていた。そういえば茉莉は甘いものを好まない。チョコレートなどもってのほかであることに、そのときようやく気付いた。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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