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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 崩れるようにシーツに沈む。樹生は着ていたシャツを脱ぎ捨て、暁登の上にのしかかってくる。無我夢中でキスをした。暁登は樹生の両の頬を包んだし、樹生は樹生で暁登の体をまさぐり、衣類を簡単に剥がした。
 ふたりとも互いの体を残らず喰ってやろうと躍起になる。キスの痕ぐらいは簡単で、舐めるよりは噛んだし、噛むよりは齧った。手でひっかいては爪痕を残し、体がしなれば、そこばかり嬲った。擦って、すすり、吸いあげる。思いがけず樹生の精液を顔で受け止めるはめになっても、夢中で全く気にならず、むしろ喜んでそれを舐め、体に取り入れる。
 男の長いもので体を割りひらかれて、暁登は歓喜の声をあげた。同時に猛烈な寒気を感じて、気付けば射精していた。つま先が反り返る。いつもなら一度出してしまうと男に動かれるのがつらくて、出した後はすこし待ってくれと頼んでいた。それをよく分かっている男は、暁登がいったのを確認して動きを止める。浅く息を吐きながらも快感を殺している。それが今夜ばかりは、もったいない気がした。
 動いていい、と伝えると、樹生は戸惑うそぶりを見せた。
「辛いんだろ、」
「辛くていい」
「いいの?」
「いい。――おれ、多分、きっと、いままでで最高にどうにかなってるから、あんたもなってよ」
 言うと同時に奥の奥まで押し込まれて、息が詰まった。内部が熱く男に絡んでいるのが分かる。樹生とのセックスはいつも優しく、気遣われてばかりだった。樹生以外の他の誰とも経験はないし、これからもするつもりはないから比較しようがないが、こんなに擦り切れそうに肌を合わせておいてもどこかに「気遣い」という隙間があった。ほんの少しのゆとり、もしくは境界。
 そんなの惜しいに決まっているのに、いままで気付かなかったな。
 激しく腰をつかわれて、暁登も樹生の腰にしっかりと足を巻き付けて応える。ふたりしてヘッドボードへずり上がっていくのを樹生の腕がとどめ、態勢を変えてまた貫かれた。酩酊していく意識の底で、暁登には不思議と昼間の川名の発音が響いていた。これはね、恋人同士がつかう表現なんだって。愛している、よりは少しニュアンスが親密なの。
 乾いていた土は樹生でいっぱいに満たされる。満たされて、飽和する。
 ――ウォシャンニィ。
 貫かれたままたくさんキスをした。その合間、吐息とともに唇から言葉がこぼれ出る。樹生は低く呻いて暁登の中に熱く精を放つ。乗っ取られたみたいで、同化したみたいで、――それが本当に気持ちよかった。


 湯を浴びるとやんちゃをしたせいで体のあちこちがヒリヒリした。あー、こんなとこ引っ掻いたな、などと思いながらも遠慮なくシャワーをつかわせてもらう。朝の光が浴室を金色に染めていて、自身についた傷もよく確認出来た。
 約束は約束なので、暁登はこれから洗濯などの家事を担当する。ついでに弁当も作る。休みの日だからベッドで寝こけて樹生を見送らない選択をしても良かったのだが、どうせ炊いた米を握るぐらいしかしないしな、と思って起きた。シャワーを浴び終えて脱衣所を出ると、樹生は洗面台で髭をそっていた。おはよ、おはよう、と短く挨拶をする。
「昨夜、なんて言ったの?」と訊かれ、暁登は素直にとぼけた。
「なんとかかんとかって」
「なんとかかんとか」
「早口で聞き取れなかった。けど、あんな風に囁かれたらもう、だめになるよ」
 頭をかりかりと掻いて照れを逃している恋人を見て、あああれかと思い至る。飽和してしみ出したあの言葉。
「xiǎng」
「シャン?」
「うん。あんたはそれだけ分かってればいい」
「いや、全然分かんないんだけど」
「おれはあんたに対していつもそうだよ、ってこと」
 心底分からない、という顔をしていたから、その眉間を指で軽く突く。いて、と樹生はのけぞる。
「それっておれが自由に解釈してもいいってこと?」
「そうだね、お好きに」
「そういやおれ、暁登くんから好きだとか愛してるとか言われたことないよね」
「あんたも言わないだろ」
「恥ずかしいじゃん」
「そうだな」
 適当に答える中で、でも分かってしまった。恥ずかしいから口にしないだけで、想ってくれている、ということ。
「なあー、シャンってなにー?」
「ほら、着替えろって。遅刻すっぞ」
 暁登ぉ、とうだうだ言う大きな体をのかして、暁登はキッチンへ歩いて行く。
 ウォシャンニィ。よくも咄嗟に出て来たな、と暁登は思う。
『我想你(ウォシャンニィ)は、文字通り“あなたを想っているよ”って意味。我愛你(ウォアイニィ)はアイラブユー、とてもストレートで強い言葉だけど、親密な仲になるほどそういうのって使わない気がする。だからかな、こういう表現を持ってくるってのが、この人の詩がすごく深いところに突き刺さるっていうか』
 川名は、こう説明してくれた。早く出版にならないかな。暁登もそう思う。
 好きだ、も、愛してる、も、暁登は今後も言わないだろう。咄嗟に出た我想你でさえもきっとあれで最後だ。大事なことはいちばん伝えたいときに伝えられた。
 もう二度と言わない言葉の数々。けれど出版された愛の詩集は、恋人に贈るだろう。暁登からの数少ない贈り物。恋人は活字なんかまどろっこしくて嫌いだから、きっと読まない。三行読んで眠るのはもう分かりきっている。それでも贈りたい。
 あなたがかけがえなく大切で大好きだと、いつも思っている。あなただってそうなのだと、昨日よく教えてもらった。
(同じところに帰ろうよ)
 早と、樹生と、暁登と、三人で暮らすなんて。
 そんな夢みたいなこと。


End.


← 4


「秘密」は番外編も含めてこれでいったんおしまいとなります。
4月から約4か月間、ほぼ毎日お付き合いくださってありがとうございました。
この間、過去作を含め拍手をいただいたり、コメントをいただいたりと、あらゆる方にご訪問いただきました。こういうことが久しぶりでしたので、単純に嬉しかったです。
またしばらく地下潜伏に戻るわけですが、浮上した際には、よろしくお願いいたします。

暑く、災害の多い夏ですが、楽しい日々でありますよう。





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 週の半分ぐらいは早の家に入り浸るので、樹生の部屋は「最低限確保している」という感じがする。ホテルに近いかもしれない。眠る場所、食べる場所、排せつする場所、清潔を保つ場所。訪問のたびに生活の気配が薄れていくのは、暁登が留学先から帰国して再び日本のこの地で暮らし始めて、樹生がいていい場所がまたひとつ確保されてしまったことも要因のひとつだと思う。思い上がりかもしれないけれど。
 早先生と暮らしたら、と言ったら、樹生はしばらく考えて、「暁登にだから話すけど」と真面目な顔をした。
「先生、あの家売るんだって」
「――え、」
「うん。もう、いつ死ぬかなんてわからない年齢だから、家の処分を考えないといけない、って言ってて」
 シンクへと向かった樹生は、そのままコップに水を汲んで飲んだ。暁登にも「何か飲む?」と聞いてくれたが、水ぐらいしかないのだとは分かったので、首を振って辞退する。
 それよりもいま聞かされた話に、心臓が痛いぐらいに鳴り始めた。確かに早も高齢なので、自分が死ぬときの「後始末」のことを考えてもおかしくはない。子どものいない人なので、全くもって冷静な判断だと言える。けれどあの家は樹生が暮らした家だ。樹生にとって必要な場所だった。それはいまでも変わらない。樹生のことを全く無視してその判断はできない、と思った。
 なにより暁登自身が、あの家がなくなることが嫌だった。違う、よその家になってしまうことが。
 コトン、とコップをシンクに置いた樹生は、わずかに首を傾げて暁登を見た。思いがけず優しい目をしていた。
「それで、おれがあの家を買おうと思ってて」
 その台詞には二重に驚く。いまきっと自分の目は大げさなくらいにひらかれているだろうなと思いながらも、言葉が出てこなかった。
 シンクに腰を寄せて、樹生は腕組をした。この人の、大事なことを話そうとする姿勢はいつもこれだ。相手の反応を窺いながら、考えて話してくれる。
「おれと早先生は、親子関係に当たらないからね。引き取ってもらったけど、養子縁組はしなかった。未成年後見人、ってやつ。相続っていう意味じゃあ、全くの他人に贈与ってかたちになるのかな。よく分かんないんだけど」
「うん、」
「早先生が家の始末を考えているって話をしてくれたとき、だけどあなたにこの家を譲りたい気持ちがある、って言ってくれて、……嬉しかったな。そういう『気持ち』だけでとどめておけばよかったんだけど、欲が出た。だから色々と話し合った。おれと早先生が納得するかたちで、あの家で暮らせるようにするにはってのをさ。ない知恵絞って出たのがこの案。まあでも、おれに買える家かどうかも分かんないし。もっと別の方法があるかもしれないし。だから今度専門家に相談しましょうってなって、そういう方面に詳しい人が惣先生の繋がりでいるみたいだから、その人にいま連絡とってて」
「そっか」
「うん、いまのところは、そんな感じ」
 それを聞いて暁登はなんだか気が抜けてしまった。息を吐きながら暁登はその場にへたり込む。うなだれていると、男が近づく気配があった。
「塩谷暁登さん」
 低音でフルネームを丁寧に発音され、背筋がぞくぞくした。顔を上げる。
「おれが家を買ったら、またきみと暮らせないかな」
 そこには切実な表情があった。答えを怖がる風に、でも、決意している顔。
「あの家に、おれと、早先生と、きみの、三人」
  どう答えようかと迷っていると、樹生は「同じところに帰ろうよ」ととどめを刺した。
「――だめ、」
「どうして」
「早先生にさすがにばれるから」
「おれときみのこと?」
「うん」
 少し考えて、樹生は「もうばれてるんじゃないかな」と言った。
「表向き気付かないふりしてくれてるだけで」
「じゃあそうだったとして、表現を変える。早先生の前だとさすがに、……ちょっと、色々」
「なにが?」
「分かるだろ、」
 含んだ意味を汲み取って、樹生はちいさく笑った。「おれも確かにそう思うよ」
「だろ?」
「その時はそのとき考えればいいんじゃない? どっか出かけるとかさ、早先生の留守を狙うとか」
「なんだかな」
「暁登、」
 近いところに、男の顔がある。だったらいま思いきりしよう、と発情を隠さない目と声音で殺される。眼鏡を外され、鼻の頭が触れあう。吐息が熱く唇を湿らせた。おそらく暁登のそれもそうなのだと思う。
「あっち行こう」
 なんとか立ちあがって、手を引かれてベッドへ行った。


→ 5

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 早の家に着くと居間がだいぶ様変わりしていて驚いた。大きな段ボール箱が転がり、見たことのなかったボードが組み立てられ、その上には小型ながらもテレビが載っていた。そのテレビに向かって樹生が設定をいじっている。
 台所から早が出てきて、「おかえりなさい」と声をかけてくれた。
「テレビ、買ったんですか?」
「はい。正確には、買っていただきました」
「誰に?」
「樹生さんにです」
 それを訊いて驚く。岩永樹生という男は、誰かになにかを買ってやる、プレゼントを贈る、と思考する部分が完全に欠落している。樹生とわりない仲になってもう長いこと経つが、彼からなにかを贈られたことは一度もない。それは暁登も別に求めてはいないので、なおさらふたりの間に「贈り物」の習慣が存在しない。
 ある程度の設定を終えたらしい樹生がようやく振り返って暁登を見た。
「あき、おつかれ」
「どうしたの、テレビ。この家にそんなのなかったじゃん」
「あ? うん、なかったね。でも早先生が欲しいって言ったから」
 それで早の方を見ると、彼女はやわらかく微笑みながら「見たくなったんです、テレビ」と言った。
 この家に暁登が出入りするようになった時点でもう、テレビという存在はなかった。樹生がここで暮らしていたときはどうだったか知らないが、いつか早が言ったのは「必要ないですから」だった。早は情報を主にはラジオと新聞とで得ている。それで充分だと言い切っていた。
 その心境の変化は一体どういうことなのだろうか。と暁登が訊ねる前に、早が自分から話してくれた。
「少し前に、私の古い学友が『テレビ取材されたから放映日になったら見てね』と連絡をくださったんです。全国放送で大きく取り上げられたみたいで。遠いところに住んでいる友人ですからなかなか会えないのもあって、それは見たいと思ったんです。はじめは樹生さんに頼んで録画をしてもらおうと思ったんですが、考えてみれば録画していただいてもうちにはそれを再生する機器が存在しないな、と。それを樹生さんにお話しして、色々相談した結果、買いましょうということになったんです」
 樹生を見ると、「まあおれも見るからさ」と答えた。
「現品限りの展示品で、小型だから、そんなに高いものじゃなかった。レコーダーも買ったから録画も再生も自在」
 よし、と樹生は立ちあがり、いったんテレビの電源を落とした。リモコンに電池を入れ、再びテレビの電源を入れる。買ったばかりの新品は、正確な配線のおかげですんなりと映像を流し始めた。
「ついたついた」
「綺麗に映るな」
「早先生、場所はどうです? ここでいいなら据え付けちゃいますけど」
「大丈夫ですよ」
「じゃあちゃんと置こう。あき、手伝ってくれる?」
 樹生の依頼に頷いて、暁登は傍に寄る。テレビボードを動かし、固定して、配線を綺麗にまとめた。箱を片付け、操作説明書と保証書は早に渡す。彼女はそれをファイリングして、棚に仕舞った。
「食事にしましょうか」
 早がそう言って、居間のテーブルをざっと台拭きで拭う。暁登も手を洗い、配膳を手伝った。樹生はまだなんとなくテレビの動作を確認していたが、やがてチャンネルをニュース番組にすると、自身も手を洗いに行った。
 今夜の草刈家の夕飯メニューは、魚がメインだった。「フェンネルを収穫したので」と早は嬉しそうにしていたので、暁登も嬉しい。白身魚を香草で包んでオーブンで焼く調理法を、暁登は留学先で知った。帰国後に早にそれを教えると「食べてみたいですね」と好奇心を覗かせたので、暁登みずからが包丁を握って早にふるまった。早はそれが気に入った様子で、フェンネルの種をどこからか仕入れると家庭菜園の一角でそれを育て始めてしまったぐらいだ。
 香草焼きのほかには、夏の終わりでもまだ収穫されるトマトやナスを使った炒め物や、丁寧に出汁を取った味噌汁、きゅうりの漬物などが並ぶ。こうして三人で食事を取る機会は、最近とみに増えた。樹生など自分のアパートにいる機会よりも草刈家にいる方が多いようだから、変な意地を張ってひとり暮らしを続けるよりも、またこの家で一緒に住んでしまえばいいのに、と暁登は思う。
 テレビはニュースと気象情報を終えて、コマーシャルを挟んでドキュメンタリー番組へと移った。はじめのうちはものものしい音楽が流れても食事にありついていたからさして気にならなかった。けれど食事を終え、食器類を下げ、三人それぞれでくつろぎ始めると、内容の重さが痛々しく伝わった。交通事故で当時未成年だった子どもを亡くした、親の話だった。ナレーションが淡々としている分、親の痛みが切々と伝わる。こんなの見ていて大丈夫なんだろうかと樹生や早の様子を窺ったが、樹生はいつの間にか横になって眠っていて、早は縫い物をしていたので、なんだいいのか、とこの家の住人たちの逞しさに心の中で息をつく。
 そろそろ帰ろう、となったのは、十時に届こうかという時間だった。明日、暁登は休みの予定だったが、樹生は仕事なので泊まらずにアパートへ戻ると言った。早に別れを告げ、互いの車を停めたスペースまで歩く。夜は秋風が吹いて、虫の音がうるさいぐらいになった。わずかな道を辿る途中、樹生がふと「覚えてなきゃいけないもんかね」と呟いた。
 なんのことか、はじめは分からなかった。
「さっきのドキュメンタリー。いつまでも子どもが死んだことにしがみついて、もう死んで何年も経ってるってのに泣いてたじゃん。悲しいくせに忘れたくないとか言って部屋をそのまんま残してたり、後悔の言葉を口にしたり。……子どもは死んだけど、あんたは生きてんだから、だったら忘れたくないって過去の出来事を振り返って泣き暮らすより、忘れても楽しく生きてる方がいいって、おれは思うんだけど」
「寝てたんじゃなかったの、」
「音声は聞こえてた」
 樹生はややうんざりした口調で続けた。
「なんで忘れることを嫌がるんだろうな」
 その台詞の方が、先ほどのドキュメンタリーよりもぐっと胸に迫った。
 この人が歩んできた人生は、傍から見れば壮絶に痛ましく、同情を禁じ得ない。それでも彼はいまの生活を楽しんでいるし、思い煩うこともさほどないのだと言う。樹生いわく「おれは忘れっぽいから」だとかで、けれど彼を苦しめた事実は間違いなく存在する。彼の姉の場合はそれが「復讐」という形になったようだが、樹生の場合は「淋しい」という感情となって表れた。極度の淋しがりやを、暁登はそう解釈している。
「ま」と車までやって来て、樹生は暁登の背を軽く叩いた。
「ひとり言。あんま気にしないで」
 背に置かれた手は自然に離れ、樹生は車のキーを取り出す。
「あき、またな」
「樹生さん」
 そう呼ぶと、樹生はまんまびっくりした顔をこちらに寄越した。
「今日これから、部屋に行ってもいい?」
「……」
「明日仕事で朝早いって、分かってる。なんにもしないから。ちょっと、同じところに帰ってみたくなっただけ」
「いや、」
 驚きを樹生は苦笑に変えた。
「そこはなんかしようよ」
「あー、じゃあ洗濯か掃除でも引き受けるよ」
「そうじゃないやつ」
「朝起こしてやろうか」
「あき、」
 甘える響きが胸に染みる。
「――いいよ」
「うれしい」
 男は喜びを素直に口にした。


→ 4

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 終業後、駐車場に停めた車のキーをポケットから探っていると、背後から足音がして同時に「塩谷くん」と呼ばれた。
「川名さん」
「お疲れ様」
「先に帰ったんじゃないの?」
「んー、みんなにお土産ばら撒いてたら遅くなっちゃって」
 川名の車は、暁登の車の隣に停めてあった。彼女は傍に寄りつつ、「ちょっとだけいい?」と暁登を呼び止めた。
「――なにかあった?」
「……塩谷くん、そんなに思いつめて聞く話でもないから」
 軽く肩をはたかれ、暁登は瞬間的に昔を思い出した。「やだなあそんなに心配しなくても大丈夫だよ」とかつて彼女は暁登の肩を叩いてそう言った。修学旅行で、ちょっと友達と悪ふざけして一時行方をくらました彼女を、いたく気を揉みながら先生と必死で探して見つけ出した、その時の台詞と行動だった。
 それを告げると、川名は「あった、あった、そんなこと」と情けなさそうに笑った。
「あれは京都だったよね。ちょっと夜の京都を歩いてみない? って、エミちゃんたちと夕飯後に宿抜け出して。覚えてる? エミちゃん。いま警察官やってんだよ」
「え、意外。ヤンキーみたいになってなかった?」
「中高のときはね。でもその時お世話になった福祉のボランティアさんにすっごい影響受けて、頑張って警察学校入って、出て、警察官になったんだよ」
「へえ、すごいな」
「福祉ボランティアさんに、『きみの中には正義がある』って言われて、その気になっちゃったんだって。好きな人にそんなこと言われたらもう、目指すしかないよねえ」
「好きな人だったんだ、その、ボランティア」
「うん。恋はかなわなかったけどね」
「詳しいね」
「仲いいんだよ。結婚式の時も来てもらったし」
 川名はそう言ってスマートフォンを操作し、フォルダに収めたピクチャを見せてくれた。川名の結婚披露宴の写真は社内でも数回見たが(出席した女性社員に見せられたのだ)、新郎と新婦の背後にかつての級友らがいる写真ははじめて見た。なんだかんだ面影が残る写真は、単純に懐かしかった。
「元気そう」
「元気だよ、みんな」
 そう言うも、川名がスマートフォンの電源を落としたので、画面はすぐに暗転した。
「こないだも集まったんだ。お酒飲みながらねー、誰ちゃんは誰くんが好きだったとか、嫌いだったとか、そんな話したの。あのね、さっきの詩を見て思い出したよ」
「ん?」話がころころと変わるのでついていくのに必死だ。
「エミちゃんには、川名の初恋は絶対に三組のショウマくんでしょ、って言われて、私もそうそう、なんて言ってさ。確かにショウマくんのこと好きだったけど、でももっとたんぱくでシンプルに好きだった人がいる、って。それを思い出した。きみだよ」
 きみ、なんて滅多につかわない言葉で指されて、暁登は思わず目をひらく。きみ、と暁登を呼ぶ誰かがいるとしたら、あの人だけだと思っていた。
「え?」
「私、ちゃんと塩谷くんのこと好きだった時期が、あったよ」
 正面きって言われて、どうしていいのか分からずうろたえた。だが川名の方は大したことではないようで、「昔の話だよー」といたずらっぽい笑みで手をひらひら振った。
「あ、いや、」
「塩谷くん、ひとりだけなんていうのか、雰囲気あったもん。静かに滾ってる感じ。それが好きだなって思ったの」
「そうなんだ」
「そうだったんだよ」
「いや、なんか、……ありがとうございます、っていうか、ご愁傷様です、っていうか」
「ご愁傷様なんて言ったら、彼女が泣くんじゃない?」
「彼女? 誰?」
「いるんでしょ? すきな人」
 と言ってから、川名は「大事な人か」と言い直した。
「……うん、いる」
「だよね。よかった」
「どうして」
「告白しないまま終わった恋だったけど、あのころの私が報われた気がするから」
 川名の感情がいまひとつ汲めないまま、しかし彼女は「初恋ってそういうもんだよね」と続けた。
「あの詩集、早く出版にならないかな。エミちゃんとか、いろんな人に薦めたい。そういう、はやる気持ちにさせるよね。読んで、想像して、わーっていろんな感情に浸されたい」
「川名さん、それでおれにこんなこと話してくれてんの?」
「ならない? なんか大事な人にすぐ会いたくなっちゃうような気持ち。昔を懐かしんで惜しむような気持ち。不思議なあったかみ、みたいなの」
 私は旦那さんの顔が見たいよ、と川名に優しく押され、暁登は目を細めた。
「――そうかもしれない」
「ねー」
 今夜約束をしていても。
 あの人に会いたい。



→ 3

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 土はスカスカで乾いていた方が水を含む、といつか早が言っていたことを思い出した。
 異国の言語もそういうものかな、と暁登は思う。飢えていた方が吸収する。いままで乾いてひび割れていた場所にひとたび水が落ちれば、それをあっという間に吸い込まれる。乾く前に次の水が欲しい。欲しい、欲しいと切実に欲しがっていたら、雨水は猛烈なスコールとなって暁登に降り注いだ。
 いくら乾いていたとはいえ、ある程度の容量しか含むことは出来ない。そこへまだ水が注がれるなら、飽和する。いまの自分は多分そこにいるんだと暁登は想像した。飽和すれば、溢れ出す。どこへ溢れるのか。――体の内側に言語を留めておけなくなったのだ。つまり、言葉として勝手にこぼれる。
 塩谷くん、と呼ばれて我に返る。昼過ぎにメールで届いた原稿を読みふけっていて時間を忘れていた。気付けば三時をまわっており、事務の川名がコーヒーを入れたカップを手に傍らにいた。
「休憩しましょうって社長が」
「――あ、悪い、集中して全然気付かなかった」
「何回も呼んだのに」
「ごめん。ありがとう」
 カップを受け取ると菓子もまわってきた。個包装のそれの中身はレーズンとクリームを挟んだビスケットのようだ。今夜は樹生に会うので持っていってやろうかと考えて、やめた。包装を剥がしてビスケットを齧る。
「あ、美味い」
 誰に聞かれても聞かれていなくてもどうでもいいようなひとり言のつもりだったが、隣の椅子に移動してきた川名が「でしょう?」と嬉しそうに答えた。
「お土産なんだから、それ」
「ああ、新婚旅行の。北海道だっけ」
「そう」
「せっかくなら海外に行けばよかったのに」
「いいんだよ、新婚旅行なんだから。見知らぬ海外行ってなにも分かんなくて苛ついて喧嘩したなんて思い出作るより、絶対にアタリだと分かってる場所で楽しい気分でいた方が」
 そう言って川名はころころと笑う。カップを持つ手が揺れて、川名の左手薬指にはまった結婚指輪の存在を意識した。
 川名柚葉(かわな ゆずは)は暁登の中学校時代の同級生だった。三年間同じクラスで、臨海学校やら修学旅行などの野外活動時に同じ班で行動もしたのでわりとよく覚えていた。高校から違ったが、暁登の再就職先であるこの「詩烏出版」に事務として雇われていて、再会となった。そしてこの冬の終わりに入籍し、隙を見て新婚旅行に行ったのがつい先週のことだ。
 結婚したのだから姓が変わったのだが、本人は「手続きが面倒だから」と言って職場では当分は旧姓で通すという。かつての同級生同士、あれやこれやの全てを知っている訳ではないが、気心は知れている。成長期のお互いを知っているというだけだが、いちから説明しなくていい分、楽だ。気安く話せる人がひとりでもいると違うものだな、と暁登は川名の存在をありがたく思っている。
 熱心になに読んでたの、と机に据え付けのデスクトップパソコンを川名が覗き込んでくる。暁登は椅子を下げてモニターを見やすいようにしてやった。
「――ああ、メイ先生の?」
「うん。原稿の翻訳。さっき届いて」
 ふたりが勤めるこの詩烏出版は、絵本や図鑑、地域に関する本の出版がメインだが、海外の作家の本を翻訳して出すこともしている。国もジャンルも様々で、担当者が「この本」「この作家」と思ったものを見つけてはいち早く連絡を取り、出版にこぎつける。暁登はこのいわゆる「海外部門」に採用されているので、作家とのやり取りも他言語を使うことが多かった。
 もっとも、作品の翻訳はプロに依頼している。暁登はただ仲介をして、編集をするだけだ。それでもやりがいを感じている。アルバイトで採用された身だが、留学の面倒を見てもらったばかりかその後正社員として雇ってもらえた時は、本当に嬉しかった。
 いま暁登が担当しているのは、台湾出身の作家の書いた詩集だ。作家自身は親日家で、日本語に堪能なのでメールや電話のやり取りは苦労しない。ただ、原稿は中国語で書いている。受け取った原稿を翻訳家に渡し、その訳が戻ってきたところだった。
 この作家は詩烏出版からすでに二冊、本を出している。今回は三作目だ。センシティブに見えて強かな詩は、地味ながらもじわじわと販売数を伸ばしている。今回の出版を心待ちにしているファンもいる。
 翻訳家が示してきた日本語訳を読んでいると、原詩に目を通してみたい気持ちになった。これは毎回、どの国のどの作家に対しても思う。ウインドウをひらき直して中国語の詩と日本語訳とを比べて読んでいた。だから暁登のデスクトップにはいまいくつかの窓が開いていた。
 今回は恋の歌が多い。作者がそういう恋をしているのかと錯覚するようだ。三作目にして、これは大きく当たるだろうな、という予感がしていた。ついのめり込んで読んでしまった自分がいるのだから、きっとそうだ。
 川名が「これ知ってる」というので驚いて隣を振り返った。
「知ってる?」
「うん」
「え、それってちょっと」既に発表されているのだとしたら、大きな問題だ。
「ああ、そういうことじゃないの。この文章を読んだことがある、ってことじゃなくて、この表現を知ってる、ってこと。ここの意味が分かる、ってことかな。よく使う言い回しだから」
「そういうこと」単純にほっとする。
「川名さん、中国語が出来るんだ?」
「出来るってほど出来るわけじゃないよ。大学時の第二外国語で選択してただけ。ただまあ、こんな会社の事務とかしてますからねえ。言葉や言語に全く興味がないわけじゃないのよ」
「それもそうか」
「そうそう」
 どこ、と彼女が「知ってる」と言った箇所を訊ねた。川名はマウスを動かし、その部分だけくるくるとデスクトップ上に円を描いた。
「なんて読むの?」
「xiǎng」
「あ? なに?」
「ふふ。この漢字は、xiǎng。ここはね、――」
 そう言って川名は詩の一節を流暢に発音した。


→ 2



暁登が留学先から帰ってきたその後の話。
「秘密」番外編もこれでいったんラストの予定です。(5話ほど。)
最後までお付き合いください。





拍手[18回]

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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

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