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二.先生


 草刈早(くさかりさき)の家系はいわゆる「めくら」の人間が多かった。遺伝性のもののように思う。早の父が目の見えない人で、早の六人いる兄弟のうち早の兄と弟ふたりは、生まれたときには見えていたけれど、後に失明した。早と早の妹ふたりは視力に問題がなかったが、彼女らの息子はひどい弱視で、ゆくゆくは失明するだろうと言われている。これだけ身近に盲の人間がいると、これはもう間違いなく血のせいだと思えた。男性にだけ遺伝する、めくらの血。だから早は子どもを産まない選択をした。子は授かりもの、けれどもし男児が生まれて、彼が失明するようなことがあれば、早の方が息子を導けない、と思ったのだ。それはもう恐怖でしかなかった。
 結婚が遅かったことも関係する。夫とは三十代の終わりに知りあい、四十代のはじまりで入籍した。お互いに初婚で、子どもは無理だろうというのは言わなくても通じた。いまのように高齢出産が当たり前で、妊活が、不妊治療が、などとは言わない時代だった。夫とは始終穏やかな日々を過ごし、満ち足りたまま、夫は静かに息を引き取った。それが三年前のことだ。
 大学教授だった夫と中学校の美術教師だった早が知りあったきっかけは、教え子だった。早の教え子が中学校を卒業し、その後の進路で夫のいる大学に進み、夫が指導するゼミで学んだのだ。その教え子が結婚するときに、早は式に呼ばれた。そのときに同じテーブルについたのが、やはり式に呼ばれた夫だったのだ。
 夫と出会えて、早は本当に幸福だったと思っている。だが夫との出会いを回想すると、いつも教え子の披露宴を思い出す。あのときこぼれんばかりの笑みを浮かべていた教え子と花嫁は、果たして幸福な結婚をしたのだろうかと。その後のことを思うとやるせなくなる。
 湯を沸かしていると、ポン、とインターフォンが鳴った。火を止めて早は玄関へと向かう。解錠して扉を放つと、そこには痩せた男とのっぽの男が立っていた。痩せている方が塩谷暁登、確か二十代のはじめの年齢で、背の高い方が岩永樹生、彼はちょうど三十歳になったと夏前に聞いた。
「樹生さんが一緒に来るなんて、珍しいですね」と早が言うと、樹生は照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。
「今日、用事があるので。ついでに暁登を送りに」
「あ、じゃあ今日、暁登さんはバイクではないのですね」
 そう言うと、暁登は「ええ、まあ」と答えた。
「どうしましょうか。持って行ってもらおうと思って、銀杏のおこわと五目いなりを作ったのですけど」
 それらはすでに重箱に詰めてあった。この男ふたりはルームシェアをしていて、男ふたりだから食事は適当になりがちだと聞いている。だからというわけではないが、夫を亡くして子どももいない早は、食事を作る喜びを、このふたりに当てている。
 樹生が「用事が済んだら、暁登を回収しに来ます」と言った。
「そのとき持ってけばいい。あ、もし先生さえよければ、ここでめし食ってってもいいですか? その、銀杏のおこわといなり」
「ああ、いいですね。今夜もひとりの食事だったんです」
「よかった。じゃあ、おれはなにかおかずになるようなもの、買ってきます。夕方には顔出せると思う」
「今日はどこへ?」
 と言ってから、早はすぐに愚問だったと気付いた。その戸惑いに樹生もまた気付いただろうが、しれっと「姉に会うんですよ」と言った。
「ああ、そうなんですね」
「どうしても『いづみ』の干菓子を買って来いってうるさくて」
 樹生は微笑んだ。これは彼本来の笑みではないと早にはわかる。もう何度も作って馴れてしまったから、自然と出てしまう厭な笑みだ。
「じゃあ、おれは行きます。あき、またな」
 そう言って樹生はブルゾンのポケットから車の鍵を取り出しながら身をひるがえした。早はその背中に「お姉さんにもよろしくお伝えくださいね」と声をかける。彼は振り向かないまま、手だけ挙げて応えた。
「さて、まずはお茶にしませんか?」
 と、暁登に声をかける。はじめて彼がこの家を訪ねて来たときも樹生が一緒だったが、樹生は用事があるからと言って一足先に帰った。あのとき、暁登は置いて行かれたという思いが強かったのだろう、ひどく心細い顔をした。いまでは早に馴れたか、家に馴れたか、そのような表情は見せなくなった。
 暁登は、「出がけに『いづみ』へ寄ったから、早先生にお土産があるんです」と言った。
「一緒に食べようと思って。栗餡のどら焼きと、落雁」
「気を遣ってくださってすみません。好きですよ、『いづみ』のお菓子」
「よかった」
「中へどうぞ。暖かいですよ」
「お邪魔します」
 暁登を伴って玄関をくぐった。

 暁登が早の元を訪れるようになったのは、一年半前にさかのぼる。
 街は新緑のころだった。亡くなった夫のものを片付けなければならないと思いつつどうしてよいやらほったらかしている、という話をいつか樹生にしていて、それを思い出したのか、「先生の助手を務められる人間がいるんですけど」と申し出があった。
 それが暁登だった。はじめて樹生に伴われてこの家にやってきた暁登は、痩せていて、目線をうまく合わせられず、緊張していただろう、出したお茶の湯呑を持つ手が震えていて、ぎこちなかった。樹生が「そんなに緊張しなくてもさ」と暁登の背を叩いた、あのときのやわらかなまなざしを早は覚えている。
 樹生の年齢と暁登の年齢とを考えると、なぜこの組みあわせなのかが早には疑問だった。それを率直に尋ねると、樹生が「おれの前の職場の部下というか、後輩です」と答えた。
 当時の樹生は、正社員になって異動し、新しい職場になって一年か二年か、そんなころだったと思う。前の職場ということは、樹生が非正規雇用社員のころから勤めていた集配局のことで、だから早は暁登も郵便配達員なのだと思った。
「でも、お勤めがあるでしょう」と早は暁登に問いかけた。すると暁登は困った顔をして、樹生を見た。
 樹生は苦笑した。
「おれが転勤したあとわりとすぐのタイミングで、辞めちゃってるんですよ。だから、フリー」
「そうなのですか」
「時間はいくらでもあります。買い物でも掃除でもなんでも、使ってやってください」
 と樹生は言ったが、そうですか、ではよろしくお願いします、というのは気が引けた。樹生が頼んでくるぐらいなので悪い人間ではないのだろう。だが、いくら時間に余裕があったとして、まるきりボランティアでお願いするのはどうかと思った。
「申し出はありがたいのですけど、……あまりたいした額は出せません」というと、樹生と暁登は揃って目をまるくした。そしてお互いの顔を見合い、また揃って早の方を見た。
「金が欲しいんじゃないです」と言ったのは暁登の方だった。
「いや、あるに越したことはないと思うんです。けど、小遣いぐらいだったらおれは稼いでますので」
「あら、そうなのですか?」
「朝二・三時間ぐらいですけど、新聞の配達をしています」
「まあ、……郵便配達を辞めて新聞配達なんて、配達のお仕事が好きなのですねえ」
 というと、暁登は苦く笑った。ちいさな声で「これぐらいしかできないので」と呟く。
「先生、おれはさ」
 と会話を引き継いだのは樹生だった。
「新聞配達以外で外に出なくて、ずっと家にいるこいつに、先生を会わせたかったんです。多分、おれと先生よりも仲が良くなると思う。話も合いそうだし」
 樹生は暁登の好きなものを羅列で説明した。小説を読むのが好きなこと、英語が得意でとりわけリーディングに長けていること、映画鑑賞も好きなこと、夏から秋には登山もすること、最近はバードウォッチングにも興味があること、など。
 早が「私も亡くなった主人とはよく、山に登ったものですよ」と答えると、樹生は暁登に「な」と言った。
「そうですね、樹生さんはゲームや漫画ばかりが好きで、……正直、私や主人とはまったく合いませんでしたねえ」
 そう言うと、樹生は「はは」と笑い声をあげた。
「分かりました。あなたにお手伝いをお願いすることにしましょう。正直ね、とてもありがたいのです。最近は腰痛がつらくてね、主人の残した本やら論文やらをまとめたいのですけど、重たいものは持てなくて」
 そうして暁登が定期的に早の家に足を運ぶようになった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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