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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 進学したのは私立大学附属の中学校で、中等部からの入学は多少珍しかったが、夜鷹にとっては苦になる出来事ではなかった。大学までそのまま上がるかまでは考えなかったが、少なくともいままで所属していた公立校よりは激しい能力差がなく、学力レベルにおいては桁違いだったため、こうやって差別の出来上がりだと進学当初は思った。同級らは悪い連中ではなく、だが不思議と個々に差の大きかった小学生の頃を懐かしく思う。どちらにせよ夜鷹は浮いている類に属した。やはり口の悪さか意地の悪さか。それでも夜鷹は全く構わなかった。群れる気はない。誰とも、どこでも。
 高等部に進級した際、夜鷹は学校の交換留学の制度を利用して二週間の短期ではあったが海外に行った。旅先から送ったポストカードを青は喜び、サマースクールで再会したとき、「夜鷹に将来の夢は国外?」と訊かれた。
「さあな」と答える。
「あちこち自由に行ける職がいい」
「なんだ、もう具体的な案がありそう」
「青は? 天文学者か?」
 青が小遣いを貯めてようやく天体望遠鏡を購入してから数年が経つ。暇さえあれば覗いている話で、今回のサマースクールにも特別申請を出して持参していた。
「いや、学者じゃなくてもいいんだけど」
「天文に関する仕事?」
「仕事は、なんでもいいんだ。天文は仕事にしなくてもいいかなって。まだまだ見たい星も知りたい謎もたくさんあるけど、それは趣味で叶える興味の範疇で構わない。ただ、……うまく言葉にできないんだけど、淋しい思いはしたくないから、そうならない将来がいい」
「それ夢って言うのか?」
 突っ込んだものの、本人もやはりうまく言葉にならないようで、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
「……夜鷹は好きな子って、いんのか」
 随分と悩んだ挙句の質問が恋話で、だが内容が興味本位ではないことは分かった。夜鷹はいつもの軽口を叩く口調で、あっさりと「いるよ」と答えた。
「そっか。かわいい?」
「かわいくはねえかな」
「胸が大きいとか、足が綺麗とか」
「手足は長い。背も高い。でも、身体的特徴だけで好きになってるわけじゃねえ。鳥類じゃないからな」
「でも、『だけ』ってことは身体的特徴で惹かれる部分もあるんだ」
「おまえだってあんだろ。胸のでかい女に顔埋めてみたいような欲求が」
 そう言うと、青は黙った。随分と長いこと沈黙している。そんなに黙っていては合わせた星が動くだろうがと思ったが、せっかく持参した望遠鏡を前に、本人の心はどこか上の空だった。
 夜鷹は舌打ちをして、用意した水筒に淹れた紅茶を口にした。夏と言えど高地の合宿所だったので、夜は長袖の上着を必要とするほど涼しい風が吹く。
「もう浸水してる感覚」と答える。
「浸水?」
「海でもプールでもいいけど。水の中に潜るだろ。温度差に肌が粟立って、水の重さに身体が不安定になる。呼吸もできない。けど、それにずっと浸っていると慣れて、水なしじゃいられなくなる。絶対に水の中で生きられないのは分かっているのに、肌を纏う水が恋しい。そういう感覚」
「……そいつはよっぽど近いのか、おまえに」
「そいつ以外におれに近寄らねえだけだよ」
「相手もそう思ってるのかな? 肌にぴったりそぐう感覚を、夜鷹に」
「知るか」
「相手の気持ちを確認してないのか? 夜鷹が?」
「確認してどうするんだよ。恋愛成就の方向性が全く同じのわけがない。ただ利害が一致してるだけなんだよ、実は」
「もっと夢のあること言ってくれよ。高校生なんだし」
「触りたいと思っていて、触れる身体がそこにあるから一緒にいるだけだ。好きだ愛してるって言って、それがどこに由来するかなんてお互い確認しねえんだよ。本当はな、好きだの意味なんか人の数だけ違ってんだ。夢ね。ばからしくて反吐が出る」
「……夜鷹の好き、は、『浸水』なのか」
「『溺れる』の方かもな」
 そこでまた沈黙が出来、やがて青の口から「おれの『好き』はおかしいんだと思う」と吐息がこぼれた。
「おまえはまともだよ」
「違うんだ。性格の話じゃなくて、……淋しいのが嫌で人の傍にいたいと思う。けど、傍にいても淋しさを埋められない。身体の内側がずっと冷えているんだ。それを自力でも、他力でも、温められない」
「……誰にでも?」
「……こいつの傍にいたいなと思うやつはいるよ。でもそれは、叶えちゃいけないことだから」
「決めつける意味がわかんねえな。ひとまわり上の女教師に恋でもして社会的な立場が危ないのか?」
「……その方がずっとましだ、きっと」
 横顔を窺うと、冷えで青醒めていた。夏の肌とは思えない。夜鷹は草地に寝転がり、「別に無理に話す必要もねえよ」と言った。
「話したいって言うなら聞くけど、おれは同情しないし、道筋だって示さない。おまえの『好き』なんか知ったこっちゃねえ。絶対に共有なんか出来ねえからな」
 そう言うと、青は寝転ぶ夜鷹を覗き込んだ。青ざめているが強い瞳をしていて、胸が騒がしくなる。
「どうしてそんなこと言うんだ」
「事実だろ」
「なにかを一緒に分け合って食べて、美味しいね、そうだねって、分かち合うことが出来るだろう?」
「美味しいと感じていても、そいつの美味しさを、おれは全く同じには感じられない。おれたちは個人なんだよ。同じ味覚は持たねえんだ。身体はひとつきりだ。心もな。分け合えない」
「そんなのは淋しいだろ、夜鷹」
「美味しいね、と言うことは出来る。共感ってやつだ。だがそれはやっぱりそいつだけの感情なんだ。苦しいことも、淋しさも、恋しさも、」
 夜鷹は青の胸を突いた。
「青、おまえだけのもの。おまえだけが味わう、おまえだけの人生だ」
 青は顔を歪め、胸に当たった夜鷹の手を強く掴み、うなだれた。
「それは嫌なんだ、おれは」
「だったら道はふたつだな。共感して慰めてくれる、おまえにとって都合のいい相手を見つける。そういうものだと思って諦める。後者は悟る必要性があるだろうから、宗教や哲学でもかじってみれば?」
「……おれは、ひとりになりたくない」
「いますぐ出す答えじゃねえよ。いずれ出る答えかもしれねえ。まあそれまで苦しいってんなら、憂さ晴らしぐらいは付き合ってやるから、泣くなよ」
「なにに付き合ってくれんの?」
「いまだって天体観測に付き合ってやってんだろ。もっと刺激が欲しいなら、ポルノでも見に行くか? おまえの身長なら十八禁でもいけそうだな」
「……やめとく。天体観測で充分だ」
 夜鷹の手を離し、青もまた夜鷹の隣に寝転んだ。
「夜鷹は、友達だよな」とひとりごとのように青は言った。
「おまえの定義する友達とおれの定義する友達が一致するならな」
「一致するよ、……するさ。ずっと大事な、友達だ」
 青は腕で目元を覆った。星を見る気はないらしく、夜鷹は「おまえいつまでNにいんの」と話題を変えた。
「いつまで?」
「進学考えてるだろ? 大学はこっち来いよ」
「東京?」
「年中ずっとサマースクール状態だ。会えるようになる。夏だけじゃなくな」
「……でも、母さんは地元の大学に行って欲しいって思ってるみたいで、」
「そりゃ母親の都合で、おまえの都合じゃない。親子ってのは面倒だよな。一応加味してやらないとまずいらしいあたりが、不愉快に面倒だ」
 青は困惑を隠さなかったが、「夏だけじゃないんだな」と小さく復唱した。
「……行けるなら行きたい。Nを出たい、おれも」
「ああ」
「夜鷹の傍にいたい」
「なら決まりだな。受かれよ。言っとくけどうちの大学は難関だから」
「知ってる。夜鷹はストレートで上がれるの?」
「いまの成績のままなら」
「じゃあおれも頑張ってA判定取る」
「楽しいことしようぜ、青。淋しい暇なんかねえよ」
 その答えに安堵したか、青はやわらかく微笑んで「うん」と答えた。



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「なんだこれ? 蕁麻疹?」青が慌てて身体を確かめる。
「熱持ってる」
「アレルギーだ。たまに出るんだ。日光に当たりすぎると発疹が出る」
「嘘? これまでのサマースクールであったか?」
「無理をすると熱が出たりするだろ。頭を使い過ぎると痛くなるとか。あんな感じで、コンディションによるんだ。アレルギーが出るときと、出ないとき」
「肌が出てたところだけ?」
「多分な」
 シャツの裾をためらいなく捲られた。腹は白いままだったので、青は安堵したらしい。再び腫れた患部に触れた。ひんやりと冷たい指が気持ちよくてもっと触っていて欲しかった。
 小雨も徐々に止みつつあった。青は地図を確認し、目の前の道に出来た川を見る。だいぶ水も引いていた。ルートを確認し終えた青は立ちあがり、「早く戻った方がいいと思う」と言った。
「救助は待たない。足の傷も心配だし、アレルギーも笑ってられないから。ルートは分かる。とにかく森を抜けよう」
 夜鷹の持っていたリュックサックを前に引っかけ、青は「背中に乗って」と背を向けて屈んだ。
「……歩けるよ、」
「夜鷹の足並みに合わせてたら日が暮れる。その前に森を出たい」
「……くそ、」
 青の肩に手をかけると、もっと体重を預けるように言われた。やけっぱちに背に乗る。青は夜鷹の足をしっかりと抱え込み、夜鷹には腕を自身の前にまわさせた。
「夜鷹、地図見てて。行こう」
 滑らぬよう、慎重に、だが急いで青は道を進む。道はちょっと水たまりの多い地面程度に戻りつつあった。その代わり雨水が流れ込んだ沢が轟々と音を立てている。沢を横目に森を抜け、林道を下る。夜鷹はすぐ間近にある青の首筋や、髪の生え際、耳を見る。雨の滴か汗か分からないものが伝い降りるのを見て、舐めたらどんな味がするかを想像した。
 は、は、は、と青の息遣いに合わせて、身体に備わっている確かな筋肉が動く。盛り上がり、伸び、力がこもり、解放される。夜鷹はたまらず目を閉じて、青の濡れた肩先に顔を埋めた。自分の吐息が青の首筋に熱く染みるのが分かった。
 薄暗い森の影から抜けると、里はまだ今日最後の明るさを残していた。一台の軽トラックが近づいてくる。おーい、おーいと助手席に乗った男が手を振り、夜鷹を探してくれていた大人の誰かだと理解した。
「夜鷹、帰れるみたいだ」と青が呟く。
「ああ」と頷いたが同時に、終わっちゃったな、と思った、青の傍にいて、熱と質量を感じて、――なんだっけ、熱と質量。ああそうか、エネルギーだ。
 青のエネルギーをもっと知りたいと思い、それは探究心ではなく、紛れもない飢餓だと気づいて、夜鷹は青の肩に額を擦り付けた。


 すぐに病院へ運ばれたので、その年はサマースクールどころではなくなってしまった。発疹は薬を塗ることで治まったが、膝の傷が思いのほか悪く、簡単とは言え外科治療を必要とした。翌日には東京から父親が来て、夜鷹のサマースクールはそれで終了してしまった。
 帰宅する道すがら、車のハンドルを握って父親は「失敗も経験だ」と言った。
「夜鷹でも判断を誤るってことが立証されてよかったよ。おまえは橋の下で拾ってきた物の怪の類かと思うぐらいに人間離れしてるっていうか、僕らの子どもらしくなかったから」
「父さん、あのさ。中学は私立行きたいから受験する」
「反省の色が見えないなあ」
「それで来年もまたサマースクールに参加したいなって話。これに懲りてやめろって言わないで」
「言わないさ。この失敗を生かしてまた講座に参加すればいい。まあ、足を治すのが先だ」
 帰宅して療養を余儀なくされて数日後、青から荷物が届いた。中身はノートやプリントのコピーで、サマースクールの残りの講座の内容を送ってくれたのだ。
 見舞いの品と思しき箱も入っていた。中身はプラネタリウムの製作キットだった。星なんか興味ねえよと思いつつ箱を開けると、裏面にメモが貼り付いていた。
『もう少しで天体望遠鏡が買える。買ったら一緒に星を見よう』
 ばからしいと思いながら、夜鷹は思い出す。青の熱、青の身体。雨に濡れて立ちのぼる青のこうばしいにおい。心拍の速さと確かさ。
 あれをもっと知りたいと思う。



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 小学六年生になって参加したサマースクールは、お互いに学習も進み成長していることもあって、より高度で専門的な講座を選択した。もはやNの社会教育施設ではなかった。ただフィールドワーク込みの合宿型だったので、寝泊りはともにした。
 青はこの時期に一気に背が伸びた。夜鷹も伸びたけれど、追いつかない。陸上部に所属していて走っていると言い、細い身体はよく鍛えられていた。夜鷹の目線に気づくとはにかみ、名前を呼んでくれる。屈託なく呼ばれても夜鷹は素直になれない。なる気もなかった。
 その日もフィールドワークに出た。地質の専門学者による講座で、断層を見つけ写真に収め、地図に書き記していくものだった。近くに山林の迫る田舎の集落だった。夏場の照りつける太陽光に殺意を抱きながらも興味に任せて進んでいたら、これは、と思う地層を見つけた。畑の畔だったが、明らかに地面の続きがおかしく、隣の畑と分断されている。それが面白くてその先へ、先へと進んでいたら、いつの間にやら山林の中に入っており、皆とはぐれていた。
 地図とコンパスはあるので、ひとまず現在地を探ろうと周囲と地図を見比べて見当をつける。そこへパタっと雨粒が当たり、地図を濡らした。夕立になる。避難しようと木の下に潜り込もうとして、遠雷を聞いた。雷はまずい。木の下になどいたら雷を落としてくださいと言っているようなものだ。ひとまずそこを離れ、山林を抜けることを目指す。里へ出れば家があり、家がなくても田畑の脇に小屋でもあれば、雷雨をしのげると思った。夕立なら一時で済むだろう。湿気た地図を頼りに森を抜けようとして愕然とした。一気に降り出した雨が飽和し、水が溢れ、林道は川のようになっていた。
 スニーカーだが、仕方がない。水深と水流に気をつけながら水の中を進む。だが上手く歩けず、途中で転んだ。転んだ拍子に手と膝を突き、ズボンを破って膝からは血がだいぶひどく滲んだ。
 タオルで患部を縛り、やはり進む。でも途中で嫌になった。救助は期待しない。自力で戻る。けれど上手くいかないときに下手に動いても首を締めるだけだ。藪の中で立ち尽くしていると、脇に祠を見つけた。獣霊供養の祠で、庇などはなく、石碑が立つだけだったが、充分だった。石の台座に腰掛け、ぼんやりと地面を見つめる。
 時計を確認した。騒ぎにはなっているだろうな、と予想がついた。集合時刻を過ぎており、夕立もひどい。夜鷹自身が見つけてもらうことを考えていないから、事務局は慌てているだろう。このまま死ぬ可能性は低いと断言出来たが、面倒臭い事態にはなっている。膝に当てたタオルは相変わらず血で濡れる。思いのほか傷が深く、痛みも増していた。
 どういう行動が正解か、と考える。青と離れなければ良かったと思った。断層に興味だけを持って進むことが、どれだけ危険を伴うことか分かる。青は里山を皆と離れない程度に散策していたから、そこにくっついていればよかったのだ。だがそれは青と夜鷹におけるサマースクールの意味が異なることだった。だから自分が間違ったとは思わない。判断を誤っただけだ。
 じっとしていると、頭上の木々や葉に落ちる雨粒の音がはっきりと聞こえる。それぞれに音階が違うんだな、と思った。雷鳴が鳴るたびに時間を数えて距離を測っていたが、近くもならなければ遠ざかりもしない。警察沙汰は面倒だな、と思っていると、不意に目の前の雑木が揺れ、ひょっこりと顔を出したのが青だったので素直に驚いた。
「いた、見つけた」と青は安堵と自信を同時に滲ませた表情で微笑んだ。
「青?」
「先生たちに黙って宿舎抜け出してきた。子どもたちは宿舎に戻って、あとは大人に任せろって話だったけど、おれの方が絶対に夜鷹を見つけ出す自信があったから。――怪我したのか?」
 膝に巻いた、血の滲んだタオルを見て青は表情を曇らせた。
「ばかかおまえは。こういうときに子どもの出番はないんだから、経験値だけは溜まってる大人に任せて部屋で大人しくしてろよ」
 出てきた言葉が罵倒だったので、夜鷹は自分に呆れつつ、青にも呆れていた。青は真面目な顔で「ばかはお互い様だろ」と言った。夜鷹の罵りも承知している、という口調だった。
「傷、見ていいか? どうした?」
「……転んだ。結構痛くて、とりあえずこの浸水した道を進む勇気はねえなって」
「いい判断だと思う。ひとまず雨が過ぎるのを待とう」
 青はリュックサックからチョコレートバーを取り出し、半分を夜鷹に渡し、もう半分を咥えながら夜鷹の膝の傷を確認した。
「砂がくっついてる。ちゃんと洗わないとだめだ」
「こんなところで洗えるかよ」
「それもそうだ。おれ、配られたペットボトル持ってる」
 そう言って封切られていなかった烏龍茶のペットボトルを取り出し、キャップを開けて、それをドボドボと膝にかけまわした。
「――っ」
「痛い? 傷が深いな。でも我慢して」
 洗い流したあとは、まだ血が止まっていなかったのでもう一本タオルを取り出し、直接圧迫をして止血をした。そうこうしているうちに雨が小降りになる。雷鳴も遠ざかりはじめた。
「夜鷹が怪我なんてな」と青は少し笑った。
「いつもはおれの方がちょっとした怪我で夜鷹にばかにされるのに」
「完全におれの不注意だった。反省してる。まあ、叱られたら謝るけど、怒られるなら唾でも吐いてやろうかな」
「やめろって。みんな心配してたんだ。あのさ、無事でよかったんだよ、本当に」
 葉に落ちる雨音を聞きながら、ふたりでその場にたたずむ。ちょっと顔を傾けられれば青の肩に頬を預けられると分かって、つい、夜鷹はその細い肩に縋った。
「夜鷹?」
「……変だと思ったんだ。炎天下を歩き過ぎたな……」
 上着の袖をめくり、腕を晒す、日光に当たっていた部分は赤く腫れ、発疹が出来ていた。首筋や耳も、帽子で覆いきれなかった部分は同じだった。


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 青とはじめて会ったのはお互い八歳のときで、N県の高地にある社会教育施設で行われたサマースクールの参加者同士だった。東京から参加した夜鷹はすべての行程をひとりでこなした。すなわち、東京駅を出て、電車を乗り継ぎ、最寄り駅から参加者が乗ることになっているマイクロバスに乗るまで、親の関与の一切を断った。親も親で、八歳ながらにして大人顔負けの行動力と思考力、知識量を備える夜鷹のことは放置に近かった。夜鷹より四つ年上の姉がてんかんの発作持ちで、彼女の容態が安定しなかった時期であったので、そちらにかかりきりだったことも関係したかもしれない。
 それでもまめな報告の義務は課された。どこどこ駅へ着いた、これからバスに乗る、という報告義務。これぐらいはしなさいという判断は正しい。携帯電話を持たない時代だった。駅の公衆電話からテレフォンカードを使ってかけたが、いまでもあのカードの柄を時折思い出す。ぼやけた黄色地にチューリップの描かれた、地味でなんとも無害なカードだった。
 マイクロバスに乗ったとき、出発までの時間で駅舎を見ていた。同じくバスに乗ってサマースクールに参加するのであろう子どもたちが、送迎に来た親になにかを言い渡されて、神妙に頷いている。大きなリュックサックを背負い、中には泣きべそをかくやつまでいた。こんなやつらと十日間もやっていかなきゃならないかと思うとうんざりしたが、東京の博物館ではもう夜鷹の興味を満たせなかったのだから仕方がないと我慢した。
 その中のひとりに、同じ年頃だろう子どもがいた。身長が同じぐらいで、という意味だ。このサマースクールは対象年齢が「小学三年から六年まで」と幅があり、内容からしても高学年の参加者の方が多かった。夜鷹くらいの身長の方が少なくて目立つ。すらりと伸びた手足が、やけにバランスのよいと感じる少年だった。細すぎず、太くもなく、子どもらしい体格なのに、不思議と目を引く。彼は送ってくれたと思われる母親らしき女性に手を振り、バスへやって来た。席順は決まっていなかったが、後方から詰めて座れという指示がある。少年は夜鷹の隣の座席を指して「いい?」と訊いた。夜鷹は頷く。そのときまともに少年の顔を見た。くっきりとした眉とはっきりした強い目をしている。けれど顔立ち全体の雰囲気はやわらかく、やさしい雰囲気を持つ。誰にでも好かれそうな典型的ないいやつっぽいなと、そのときは思った。
 座席に着き、少年は水筒を取り出して飲料を口にした。その際に彼が飲んだ錠剤を見て、乗り物酔いがあるのだと悟る。隣でゲロでもぶちまかれたら嫌だなと思った。この先は山の上に進むので、悪路が予想される。だから夜鷹は座席の裏に一枚ずつセットされているビニール袋を掴み、それを少年に押し付けた。
「なに?」と少年は幼い瞳で訊ねる。
「ゲロ袋。おれいらねーから」
「ああ、そっか」
 と、少年はすんなり受け入れる。大抵は夜鷹のぶっきらぼうでぞんざいな口調と態度を嫌味として受け取る人間が多いので、その素直さに、やっぱりいいやつの部類か、と少し呆れた。
「酔い止め飲めば大丈夫だよ。念のためだし」
「我慢できなくなってもおれはそういう面倒見ないからな」
「いいやつだね。ありがとう」
 夜鷹に対して「いいやつ」と評価を下す少年にちょっと興味が湧いた。「おまえ、何年生?」と訊く。
「小三」
「同じだ。おれも小三」
「名前は?」
「夜鷹」
「ヨダカ?」
「前嶋夜鷹。おまえは?」
「ヨダカって、夜の鷹の、のヨダカ?」
「そーだよ」
 少年は微笑む。天真爛漫がぴったりくる無邪気で純朴な笑顔を向けられて、おまえはキリスト絵画の天使像かよ、と突っ込みたくなった。
 アガタセイ、と少年は答えた。
「セイ?」
「青い、って書くんだ」
「青、な」
 やがてバスは定員を埋め、発車した。


 十日間のサマースクールに参加したのは全国から三十名ほどで、そのほとんどが男子だった。ラジオの電話相談室の内容をそのまま実習に移しましたというような内容で、専門家が毎日入れ替わりで講義や講演や実習を行なった。フィールドワークやオリエンテーリングも多く、ボーイスカウトなど野外実習に慣れている子どももいたが、はじめて参加する夜鷹にはおおむね魅力的に映った。昆虫の専門家が来てフィールドで昆虫採集と観察をして、夜は天文学者が来て星の観測と解説をする。野鳥の専門家によるバードウォッチングが早朝からあり、座学でフィボナッチ数列について教わる。樹木についてまた専門家とともにフィールドワークに出る。夜鷹は貝の化石のクリーニング作業が思いのほか面白くて夢中になった。
 食事と風呂の時間は決まっているし、掃除の時間だってあるし、集団行動はやかましい。けれど参加する子どもらは皆こういうことに興味を持つぐらいなので、衝突は起こらず、自己の興味の追求に徹している辺りが夜鷹には心地よかった。夜鷹は都立の小学校に通っていたが、そこではこんな関係性はどうしたって生まれない。クラスメイトはうるさく、陰湿で、鬱屈していた。参加者を募ってのサマースクールという、フィルターを一枚かけるだけでこうも違うのかと思った。だから夜鷹はその時点で中学校からは受験してフィルターをかけようと心に決めた。
 青は同い年だと分かってから、行動が一緒になることが多かった。三年生という参加者が少なかったこともある。縦割りで決められた部屋や班は違ったが、自由時間や班分けのないときにはなんとなく傍にいてお互いの学校のことなどを話した。青は地元N県からの参加で、公立の小学校に通い、離婚して実家に戻った母親と、祖父母の、四人暮らしだと言った。
 青はとりわけ星に興味を持った風で、夜間の観測を楽しみにしていた。天文学者に積極的に質問に行き、それが嬉しかった様子の学者から「今度うちの天文館においで。もっと遠くの星をたくさん見られるよ」と誘われていた。
「夜鷹も行こうよ」と青は嬉しそうに言った。
「おれあんまり星には興味ない」と答える。はじめて見た月のクレーターには驚いたが。
「夜鷹が面白かった講座ってなに?」
「地層やマグマの話。あと川でやったパンニングが面白かった」
「ああ、石みっけたやつ」
 施設から歩いた先にある沢で、地質学者の指導の元に「宝石を見つけよう!」という講座がひらかれた。川ですくった砂利を何度もふるいにかけて、最終的に鉱物を取り出す作業だ。希少価値のある石を見つけられたわけではなかったが、たとえただの堆積岩だったとしても、夜鷹には不思議と魅力的に映った。
「先生が言ってたけど、星も岩石で出来てるんだって」
「ガスや氷の星もあるだろ」
 知っている話だったので適当に答えた。だが青は嬉しそうに話す。
「夜鷹が川で見つけた石だって、宇宙にあれば星になるんだな。流れ星の大きさは数ミリだって先生言ってたのが面白かった。おれたちが河原で見つけた石と同じぐらいだ」
「……まーな」
 その思考はロマンチックで馬鹿げていると思ったが、青が言えばなんだか笑えなかった。途端、川で採取した石が光を放ったように思える。あんな米粒ぐらいの石でも、夜空に尾を引いて発光する。
 十日間のサマースクールはあっという間に過ぎた。時間が惜しくてもどかしい。バスに揺られて駅まで戻る道中で、青は「来年も来る?」と夜鷹に聞いた。
「来てえな」
「じゃあ来年もまた会おう。おれも参加する」
 去り際にお互いの住所を記したメモを交換した。青は手紙を書くと言い、夜鷹が東京に戻った三日後には本当に手紙が届いた。天文学者に誘われた科学館に行ったらしく、売店で売られていたという天体のポストカードが添えられていた。
『こと座のベガを見た。青かったんだよ』
 ふん、と息をついてポストカードは机の下敷きに挟み込んだ。手紙の返事に夜鷹は「石の図鑑を買ってもらった」と書いて送った。
 何度も手紙のやり取りをした。そして夏が来れば共にサマースクールで再会し、お互いの興味にふける。それは何年も続いた。年に数日の交流は重たく密度を放つようになった。このままの質量ではブラックホール化しそうな交流が、夜鷹はどういう感情から来るものか、歳と共に理解するようになった。



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三.夜鷹と青(blue × blue)




 国際線のゲートをくぐるだけではその国の気候がどうであるかは判別しない。まだ空港の外に出ていないからだ。機内で見た東京の予報は晴れだったが、あてになったためしがない。痛む身体のあちこちを庇いつつ左手で荷物を引き、腹が減っていたので空港内のフードコートでうどんを食べた。久しぶりの和食は、安い食堂なのにちゃんと出汁がきいていて美味いな、と思った。出汁の味が分かるのも教育だといつか真面目に言っていた男のことを思い出す。親がきちんと味覚を育てたおかげなのだと。ばからしいと思いながら通路を進む。ここからは東京に向かう電車に乗る。
 電話をしようか迷っているうちに、向こうから電話が来た。いつもの気安さを心がけて電話に出る。「ハロー」と言うと、『おまえはいつもどこにいるのか分かんないな』と相手はため息をついた。
「居場所を言ってもおまえは大して驚かないだろ、いつも」
『ああ今回はそんなに遠地か、って思うぐらいだよ。いま、いいか?』
「おれがいいときを見計らって電話を寄越したことなんかないだろ。どうした?」
『――おふくろが死んだんだ……』
 それは長年願っていたことだったが、早々に叶うことだとは思っていなかった。軽口を叩くはずが言葉は出ず、素直にうろたえて反応が一瞬遅れる。
「……あのばあさんからじゃ大した遺産も取れんだろ。ちゃんと保険金はかけたんだろうな?」
『ばか。千勢(ちせ)の事故と同じ月で、嫌になる……』
「諸々一回で済んで楽だろ。よかったな」
 様々な言語でひっきりなしにアナウンスが流れる中を、歩きスマホで進む。口調と裏腹に心臓は冷え切っていた。こんなに、こんなに自分が望んだ状況が訪れて、どうしてうろたえているんだろう。
 ひどい淋しがりで、だが圧迫に負けて、自分を偽って早々に結婚した男。そんなんで夫婦生活もうまくゆかず、妻に先立たれ、唯一の肉親もいま亡くした男。
 ひとりきりになった男を、待ち望んでいたはずだった。
 地下鉄の改札まで来て、両手が塞がった状態では改札を抜けられないと気づいて諦めた。カフェの窓ガラスを背に荷物からは手を離さない。どこの空港でも旅の基本は同じだ。いくら母国で治安のいい日本だからと言って油断はしない。
「晴れてひとりぼっちだな。また結婚でもするか?」
『もうそんなことは出来ない……』
「……いまどこにいるんだ」
『実家。N』
 実家にひとり残した母が亡くなったなら、それもそうなのかもしれなかった。Nの澄んで寒々しい空気を思い出す。緯度も経度も標高も気候も違うが、東京よりはこのあいだまで夜鷹がいた場所と遠くない気がした。
『夜鷹、淋しいよ』と男は感情の乏しい声で言った。
「……」
『淋しい。おかしくなる……』
 声に、電話を落としそうになるほど震えがこみあげた。ぞくぞくする。これを聞きたかったのに、興奮と冷感が交互に顔を出す。淋しいと言わせたかった。自分を求めて欲しかった。でも淋しいからと言って、この男が自分を求める選択をしたことはなかった。三十年、ずっと。
 都合の悪いときだけ夜鷹に甘え縋る。それは間違っていることだと自分を正して、いつもよそへ向かう。その逃げ場が、背後の道が、昼間の道が、ない。
「約束したよな。覚えてるか?」と笑った。
『覚えてる……忘れたことはなかった』
「いい子だな。慰めてやろう」
『……また珍しいもんだとか言って、現地のやばいAVでも送って寄越すなよ』
「なんだよ、かわいい前フリなんかしちゃっておねだりか? 溜まってんなら合法でいいのもあるぜ。意識飛ぶぐらいいいって」
『夜鷹、おまえなあ』
「ナリタ」
 電話の向こうで男が怪訝に『ん?』と問い返した。
「ちょうどこっちに戻ってきたところだった。いま成田だ。これから東京に戻ってしばらく実家に滞在するつもりだったが、このままNに向かってもいい。国内線と列車、どっちがいいんだっけ」
『……戻ってる? 成田? いま?』
「事情があって休暇を取らされた。療養も兼ねてな」
『療養? どういうことだ、夜鷹?』
 男は慌てたそぶりで問いを重ねる。気持ちがいいな、と思った。よく見知った仲、夜鷹のことひとつひとつに驚く時期を過ぎて、でもまだ男が慌ててくれている。それが気持ちがいい。
「どっちがいいんだ、飛行機と電車と。バスやタクシーもあるか?」
『……国内線だと便が少ない。こっちの空港からのうちまでのアクセスも悪い。バスは直通があるが時間がかかる。東京へ出てそこから新幹線がいいと思う』
「分かった。駅まで迎えに来いよな」
『夜鷹……』
「んな泣きそうな声出してんじゃねえよ。たっぷり慰めてやるからさ。何年ぶりだ? 十年? もっとか?」
『十二年ぶりだ』
「お互い老けたんだろーな」
『……いいのか? 夜鷹』
「いいよ」
 電話の向こうで青は絞るような声で『夜鷹』と呟いた。
「東京駅で新幹線乗り換えたら連絡する」
『待ってる』
 通話を切る。カフェの前から移動し、券売機の前に立った。十二年ぶりだから勝手が違っている。ひとまず駅員を捕まえ、Nまで行きたい旨を伝えた。
 電車での移動中、地上へ出た電車の中からようやく外を見た。夏間際の日差しは眩く、夜鷹は目を閉じる。天気予報、たまには当たったな。
 青、会えるんだな。なんとなく拳を握った。青に会うためにここへ来た。もう逃げないし、逃さない。



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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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