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三.夜鷹と青(blue × blue)
国際線のゲートをくぐるだけではその国の気候がどうであるかは判別しない。まだ空港の外に出ていないからだ。機内で見た東京の予報は晴れだったが、あてになったためしがない。痛む身体のあちこちを庇いつつ左手で荷物を引き、腹が減っていたので空港内のフードコートでうどんを食べた。久しぶりの和食は、安い食堂なのにちゃんと出汁がきいていて美味いな、と思った。出汁の味が分かるのも教育だといつか真面目に言っていた男のことを思い出す。親がきちんと味覚を育てたおかげなのだと。ばからしいと思いながら通路を進む。ここからは東京に向かう電車に乗る。
電話をしようか迷っているうちに、向こうから電話が来た。いつもの気安さを心がけて電話に出る。「ハロー」と言うと、『おまえはいつもどこにいるのか分かんないな』と相手はため息をついた。
「居場所を言ってもおまえは大して驚かないだろ、いつも」
『ああ今回はそんなに遠地か、って思うぐらいだよ。いま、いいか?』
「おれがいいときを見計らって電話を寄越したことなんかないだろ。どうした?」
『――おふくろが死んだんだ……』
それは長年願っていたことだったが、早々に叶うことだとは思っていなかった。軽口を叩くはずが言葉は出ず、素直にうろたえて反応が一瞬遅れる。
「……あのばあさんからじゃ大した遺産も取れんだろ。ちゃんと保険金はかけたんだろうな?」
『ばか。千勢(ちせ)の事故と同じ月で、嫌になる……』
「諸々一回で済んで楽だろ。よかったな」
様々な言語でひっきりなしにアナウンスが流れる中を、歩きスマホで進む。口調と裏腹に心臓は冷え切っていた。こんなに、こんなに自分が望んだ状況が訪れて、どうしてうろたえているんだろう。
ひどい淋しがりで、だが圧迫に負けて、自分を偽って早々に結婚した男。そんなんで夫婦生活もうまくゆかず、妻に先立たれ、唯一の肉親もいま亡くした男。
ひとりきりになった男を、待ち望んでいたはずだった。
地下鉄の改札まで来て、両手が塞がった状態では改札を抜けられないと気づいて諦めた。カフェの窓ガラスを背に荷物からは手を離さない。どこの空港でも旅の基本は同じだ。いくら母国で治安のいい日本だからと言って油断はしない。
「晴れてひとりぼっちだな。また結婚でもするか?」
『もうそんなことは出来ない……』
「……いまどこにいるんだ」
『実家。N』
実家にひとり残した母が亡くなったなら、それもそうなのかもしれなかった。Nの澄んで寒々しい空気を思い出す。緯度も経度も標高も気候も違うが、東京よりはこのあいだまで夜鷹がいた場所と遠くない気がした。
『夜鷹、淋しいよ』と男は感情の乏しい声で言った。
「……」
『淋しい。おかしくなる……』
声に、電話を落としそうになるほど震えがこみあげた。ぞくぞくする。これを聞きたかったのに、興奮と冷感が交互に顔を出す。淋しいと言わせたかった。自分を求めて欲しかった。でも淋しいからと言って、この男が自分を求める選択をしたことはなかった。三十年、ずっと。
都合の悪いときだけ夜鷹に甘え縋る。それは間違っていることだと自分を正して、いつもよそへ向かう。その逃げ場が、背後の道が、昼間の道が、ない。
「約束したよな。覚えてるか?」と笑った。
『覚えてる……忘れたことはなかった』
「いい子だな。慰めてやろう」
『……また珍しいもんだとか言って、現地のやばいAVでも送って寄越すなよ』
「なんだよ、かわいい前フリなんかしちゃっておねだりか? 溜まってんなら合法でいいのもあるぜ。意識飛ぶぐらいいいって」
『夜鷹、おまえなあ』
「ナリタ」
電話の向こうで男が怪訝に『ん?』と問い返した。
「ちょうどこっちに戻ってきたところだった。いま成田だ。これから東京に戻ってしばらく実家に滞在するつもりだったが、このままNに向かってもいい。国内線と列車、どっちがいいんだっけ」
『……戻ってる? 成田? いま?』
「事情があって休暇を取らされた。療養も兼ねてな」
『療養? どういうことだ、夜鷹?』
男は慌てたそぶりで問いを重ねる。気持ちがいいな、と思った。よく見知った仲、夜鷹のことひとつひとつに驚く時期を過ぎて、でもまだ男が慌ててくれている。それが気持ちがいい。
「どっちがいいんだ、飛行機と電車と。バスやタクシーもあるか?」
『……国内線だと便が少ない。こっちの空港からのうちまでのアクセスも悪い。バスは直通があるが時間がかかる。東京へ出てそこから新幹線がいいと思う』
「分かった。駅まで迎えに来いよな」
『夜鷹……』
「んな泣きそうな声出してんじゃねえよ。たっぷり慰めてやるからさ。何年ぶりだ? 十年? もっとか?」
『十二年ぶりだ』
「お互い老けたんだろーな」
『……いいのか? 夜鷹』
「いいよ」
電話の向こうで青は絞るような声で『夜鷹』と呟いた。
「東京駅で新幹線乗り換えたら連絡する」
『待ってる』
通話を切る。カフェの前から移動し、券売機の前に立った。十二年ぶりだから勝手が違っている。ひとまず駅員を捕まえ、Nまで行きたい旨を伝えた。
電車での移動中、地上へ出た電車の中からようやく外を見た。夏間際の日差しは眩く、夜鷹は目を閉じる。天気予報、たまには当たったな。
青、会えるんだな。なんとなく拳を握った。青に会うためにここへ来た。もう逃げないし、逃さない。
← 12
→ 14
電話をしようか迷っているうちに、向こうから電話が来た。いつもの気安さを心がけて電話に出る。「ハロー」と言うと、『おまえはいつもどこにいるのか分かんないな』と相手はため息をついた。
「居場所を言ってもおまえは大して驚かないだろ、いつも」
『ああ今回はそんなに遠地か、って思うぐらいだよ。いま、いいか?』
「おれがいいときを見計らって電話を寄越したことなんかないだろ。どうした?」
『――おふくろが死んだんだ……』
それは長年願っていたことだったが、早々に叶うことだとは思っていなかった。軽口を叩くはずが言葉は出ず、素直にうろたえて反応が一瞬遅れる。
「……あのばあさんからじゃ大した遺産も取れんだろ。ちゃんと保険金はかけたんだろうな?」
『ばか。千勢(ちせ)の事故と同じ月で、嫌になる……』
「諸々一回で済んで楽だろ。よかったな」
様々な言語でひっきりなしにアナウンスが流れる中を、歩きスマホで進む。口調と裏腹に心臓は冷え切っていた。こんなに、こんなに自分が望んだ状況が訪れて、どうしてうろたえているんだろう。
ひどい淋しがりで、だが圧迫に負けて、自分を偽って早々に結婚した男。そんなんで夫婦生活もうまくゆかず、妻に先立たれ、唯一の肉親もいま亡くした男。
ひとりきりになった男を、待ち望んでいたはずだった。
地下鉄の改札まで来て、両手が塞がった状態では改札を抜けられないと気づいて諦めた。カフェの窓ガラスを背に荷物からは手を離さない。どこの空港でも旅の基本は同じだ。いくら母国で治安のいい日本だからと言って油断はしない。
「晴れてひとりぼっちだな。また結婚でもするか?」
『もうそんなことは出来ない……』
「……いまどこにいるんだ」
『実家。N』
実家にひとり残した母が亡くなったなら、それもそうなのかもしれなかった。Nの澄んで寒々しい空気を思い出す。緯度も経度も標高も気候も違うが、東京よりはこのあいだまで夜鷹がいた場所と遠くない気がした。
『夜鷹、淋しいよ』と男は感情の乏しい声で言った。
「……」
『淋しい。おかしくなる……』
声に、電話を落としそうになるほど震えがこみあげた。ぞくぞくする。これを聞きたかったのに、興奮と冷感が交互に顔を出す。淋しいと言わせたかった。自分を求めて欲しかった。でも淋しいからと言って、この男が自分を求める選択をしたことはなかった。三十年、ずっと。
都合の悪いときだけ夜鷹に甘え縋る。それは間違っていることだと自分を正して、いつもよそへ向かう。その逃げ場が、背後の道が、昼間の道が、ない。
「約束したよな。覚えてるか?」と笑った。
『覚えてる……忘れたことはなかった』
「いい子だな。慰めてやろう」
『……また珍しいもんだとか言って、現地のやばいAVでも送って寄越すなよ』
「なんだよ、かわいい前フリなんかしちゃっておねだりか? 溜まってんなら合法でいいのもあるぜ。意識飛ぶぐらいいいって」
『夜鷹、おまえなあ』
「ナリタ」
電話の向こうで男が怪訝に『ん?』と問い返した。
「ちょうどこっちに戻ってきたところだった。いま成田だ。これから東京に戻ってしばらく実家に滞在するつもりだったが、このままNに向かってもいい。国内線と列車、どっちがいいんだっけ」
『……戻ってる? 成田? いま?』
「事情があって休暇を取らされた。療養も兼ねてな」
『療養? どういうことだ、夜鷹?』
男は慌てたそぶりで問いを重ねる。気持ちがいいな、と思った。よく見知った仲、夜鷹のことひとつひとつに驚く時期を過ぎて、でもまだ男が慌ててくれている。それが気持ちがいい。
「どっちがいいんだ、飛行機と電車と。バスやタクシーもあるか?」
『……国内線だと便が少ない。こっちの空港からのうちまでのアクセスも悪い。バスは直通があるが時間がかかる。東京へ出てそこから新幹線がいいと思う』
「分かった。駅まで迎えに来いよな」
『夜鷹……』
「んな泣きそうな声出してんじゃねえよ。たっぷり慰めてやるからさ。何年ぶりだ? 十年? もっとか?」
『十二年ぶりだ』
「お互い老けたんだろーな」
『……いいのか? 夜鷹』
「いいよ」
電話の向こうで青は絞るような声で『夜鷹』と呟いた。
「東京駅で新幹線乗り換えたら連絡する」
『待ってる』
通話を切る。カフェの前から移動し、券売機の前に立った。十二年ぶりだから勝手が違っている。ひとまず駅員を捕まえ、Nまで行きたい旨を伝えた。
電車での移動中、地上へ出た電車の中からようやく外を見た。夏間際の日差しは眩く、夜鷹は目を閉じる。天気予報、たまには当たったな。
青、会えるんだな。なんとなく拳を握った。青に会うためにここへ来た。もう逃げないし、逃さない。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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