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 青にとって勉学とスポーツは両立するようで、双方がなければならないものだった。身体にとっても脳にとっても、実に効率の良いやり方だ。陸上部で中・長距離走の選手として走り続けた青は、県大会でも入賞するぐらいには有能な選手でいられた。ただし「競争心がないから」とのことで、そういう意味では素質はなかったのかもしれない。ただ、走ることと天体観測は朝晩の日課としてやめなかった。
 一方夜鷹は、次第に野山をひとりで勝手に歩くようになった。地図を広げコンパスを見て、方角と現在地を知る。地図に記された地形や高低差を自身の足で歩いて確認する作業に没頭するようになったのは、いつかのサマースクールのフィールドワーク由来だった。高校には山岳部があったので、そこに所属する部員のひとりに話しかけて紛れ込み、はじめて登山もした。植物も動物も見るのは楽しかったが、なにより夜鷹が惹かれるのは地形で、地質だった。チャートに砂岩、泥岩に花崗岩。どうしてこの地質がここに現れ、このような地形を作り、またいま踏み締めている大地を覆うのは一体なんなのだろう、という興味。視力の悪い夜鷹だったが、山歩きの才能はあったらしく、歩き方を覚えるとどんな傾斜の道でも、あるいはひどい悪路であっても、進むことが出来た。青みたいな美しい筋肉のつき方をしない貧弱な身体は、しかし実のところ体幹に優れており、アレルギーにさえ気を遣えば夜鷹はどこでも歩けた。
 春からハイキング程度ではじめて、夏場は登山をする。気分転換をしたいとか、珍しい風景の場所を歩いてみたいとか、もしくは体力の限界に挑戦したいとか、そういう人間とは目的が違ったので登山部に入部はしなかったが、山小屋で体力自慢の男たちの話を耳にしているのは、悪くなかった。中には勘違いも甚だしい人間もいたが、案外まともな見識で登山に来ているグループもいるのだと分かった。サマースクールしか知らなかったが、それはそれで狭い中にいたのだと知る。
 山小屋から雷雲を見た。雲の位置の方が低く、山の腹に雷雲が溜まり、それが発光するのだ。こんな距離で雷雲を見下ろす経験はなかった。見上げれば雲のない空に星がまぶされている。青、おまえってすごいな、と思った。いままで馬鹿にしていたが、青の興味をまともに知った気がした。
 夏休みに青とどこかの講座に参加する行事は相変わらずで、だが高三の夏に青ははっきりと「東京へ行くよ」と宣言した。母親を説得し、模試の判定も悪くなかったという。そして夜鷹が大学へ進学した春、青も上京して夜鷹と共に同じ大学へ入学した。
 夜鷹は実家から通ったが、青は実家の経済状況の都合で寮生活を選んだ。母子家庭なのに無理に私立大学への進学を決めたのだから仕方がないと、賑やかな四人部屋を諦めたような顔で笑っていた。それでも新しい生活が待ち受けている。お互いを夏でしか知らないから、一年を通して親交がもたらされる喜びは、晴れて大学生になった喜びに増して夜鷹の胸に存在した。
 大学へ進学して、青は夜鷹の家にやって来るようになった。東京にある一軒家はそれでもこの近辺に比べれば広い敷地面積を持つのだが、狭く感じるのは、家自体が本で埋め尽くされているからだった。区立図書館の司書として働く母親と、美術史の研究者として大学で教鞭を取る父親。彼らが本を読むのはもちろんで、夜鷹も片っ端から読んだから、家には本が溢れかえっていた。目を白黒させる青に、「これでも減った方なんだぜ」と言ってやる。
「減った? 処分したの?」
「いや、姉貴が結婚して家出たから」
「お姉さん、四つ上だっけ。二十二歳? 早いよな」
「向こうにしたら遅いんだ」
 階段を上がり、自室に青を招いてキッチンからさらってきたポットの紅茶をマグに注ぐ。
「向こうって?」
「旦那の方。おれの義理の兄な。姉貴がてんかん発作持ちで小児科にずっとかかってたのは話したことあったよな。そこの小児科医なんだ。姉貴とは年が二十歳離れてる。だからもう四十二歳とか。初婚らしいけど」
 マグを受け取りながら、青はさらに目を点にしていた。夜鷹は注いだ紅茶を半分ほど一気に飲むと、マグを積んだ本の上に置いてベッドに寝転んだ。
「自分が面倒見てた患者とそういう関係になるってどういう性嗜好してんのかね、って思っちまう。ロリコン趣味でもあったら知らねえけど、でもロリコンなら成長した姉貴に興味なんか持たねえよな。もう大人の女なんだし、これから歳食ってく一方なんだしさ。まあ、どうだっていいけどね。おれだって自分の嗜好を理解されるとは思わねえし」
 喋りながら枕元に置いてあった本をめくった。洋書で、鉱物の細密画の載っている古書だった。金銭的な意味で手に入れるのに苦労したが、こうやってめくって喜びを感じる。
 所在なさげに夜鷹の勉強机の椅子に腰掛けて紅茶を口にしていた青が、「夜鷹の嗜好ってなに?」と訊いてきた。
「知りてえのかよ」
「そういえば知らないなって思ったから。夜鷹って外見だけならもてそうだけど、物言いが悪いから、そういうのに耐えられる女、とか? そういえば巨乳に顔埋めたいんだっけ」
「いつの話引きずってんだよ」
「あのときのおまえの話、全部覚えてる。忘れない。……その後、おまえの『浸水』はどうなったんだ? 成就した? デートぐらいしたか?」
「どうもなってねえな」
 ため息をつき、夜鷹は天井を向いた。椅子に座った青と目が合う。「え?」という分かりやすい顔をしていた。
「夜鷹が?」
「浸水しっぱなしだよ」
「おれ、てっきりとっくにいい仲にでもなってるかも、って」
 夜鷹は起きあがり、マグを手に壁に背を預けた。本棚になっているから、地震でも来たら本の山に埋もれて死ぬだろう設計になってしまった部屋だ。
「どうにもなんねえ。男だし」
「え?」
「何度も言わせんな。おれの性嗜好知りてえんだろ。おれが好きなのは男だ。そいつに対してだけなのか、女もいけんのか、生粋のホモなのかは知んねえけど。この話、よそじゃすんなよ。あんまりいい嗜好じゃねえからな」
「……そいつのこと、まだ好き?」
「言っただろ、浸水中だって」
「ずっと?」
「多分な」
「……叶わなくても?」
「それを不幸だと思わない。苦しいし痛いに変わりないけど、それはおれだけが味わえるおれの特権だ。それに異性と恋愛したってそういうもんじゃねえの」
「……」
「おまえだから話した。親にも言ってねえし言う気はない。おまえがこれ聞いておれを気持ち悪いと思って離れるのも自由。同情は受け取らねえ」
 階下から「夕飯だよ」と父親の声がした。「食ってけよ」と青の肩を軽くはたいて部屋を出ようとする。
 だが青は「淋しくない?」と言った。
「淋しい。けど、おまえの淋しさとは違うから。ごまかし方も覚えたし。それはそれで悪くねえ」
「でも、夜鷹、」
「ひとりの覚悟なら出来てる。その方が性に合ってる」
 行こうぜ、と再度背を叩いて部屋を出る。今夜母親は職場の仲間と飲み会だとかで不在で、父親が夕食を作って食卓を整えていた。在宅で仕事をすることが多い父にとって、これは珍しいことではない。
「青くんは理工学部の専攻は? 天文?」と着席するなり父親は好奇心を発揮した。
「あ、工業技術です。物づくりの方。技術側です」
「なんだ、てっきり天文かと思ってた」
「……ものすごく遠くまで見える望遠鏡を作ってみたい、と思って」
「ああ、なるほど。元の畑は一緒か」
 作った焼うどんをすすりながら、「僕は美術史、古代ローマの彫刻が専門だ」と父親は答えた。
「海外にも行くんですか?」
「そうだね。研究で行くよ。イタリアには知人も友人もいて詳しい。いつか案内しようか」
「僕は日本を出たことがなくて、パスポートもないんです。夜鷹はもう何度か短期留学してるみたいだけど」
「おれ、イタリアの地質にはいまのところ興味ねえから。それよりエチオピアの火山が見てえ」
「火山ならイタリアのポンペイの話は有名だよ。ヴェスヴィオ火山」
「ハワイもいいよな。キラウエア」
「ハワイにビーチ目的じゃないとか、面白い息子だよね」
 父親のいない青にとって、夜鷹の父親は自身の喪失を埋めるような存在となりつつあるようだった。次第に夜鷹がいてもいなくても、勝手に家に上がり込んで本を読んだり、父親と話し込んだりする機会が増え、いつしか当たり前になった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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