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目を開けると、模様の入った壁紙の天井が見えた。
その模様は小刀に入っていた細工に似ており、瞬時になにをしていたのかを思い出す。反射的に起き上がろうとして、痛みが走って起き上がれなかった。腹が熱く脈打っていて、ずきずきするのは頬で、口の中だった。
「やめとけって。おまえ、腹に銃弾食らってんだから。あちこち殴られて切ってるしな」
傍で声がして、そちらへ目線を向ける。いままで見たことのないようなさっぱりとしたスーツ姿で夜鷹が傍らの椅子に腰掛けていた。こんな土地に出向だとはいえ、一応フォーマルなものを持参していたのだと知る。
「ヨダカ、無事? 銃は?」
「肩先かすっただけだ。まあ動かしにくいし痕も残るだろうけど、身体に不自由は残らない。おまえもラッキーだった。あんな至近距離で銃弾食らっといて、脇腹抉った程度で済んだんだ。内臓に損傷はないとよ。まあ当分山歩きは出来ねえだろうがな」
「ここ、どこ?」
「隣町の病院。しばらく療養だろうな」
大人しくしとけ、と言われ、慧はほっと目を閉じる。夜鷹が無事でよかった。だがそればかりで安心していられないとすぐに思い出した。ウルやその仲間はどうなっただろう。
慧の不安を見透かすように、「ウルってやつは友達だったんだってな」と夜鷹が言った。
「そう、幼なじみなんだ。ウルは?」
「刺しただろ、おまえが。小刀で」
事実を突きつけられ、ひゅっと喉が鳴った。
「太腿を、裏側から、深くな。おかげであいつも歩けない。生きちゃいるよ。騒ぎに気づいたおれの仲間らに通報されて、おれたちと一緒にこの病院に運び込まれた」
「手当てしてもらえた?」
「ああ。でももういない。軽傷だったあいつの仲間の手引きで病院から逃げた」
その答えは、慧から言葉を奪う。
「あいつはあいつで、別の村議を首謀に事件を起こすようにけしかけられてたんだ。いまおまえの村は大変だよ。二派で対立してるが、どちらも自分たちのこと棚に上げてお互いを罵っている。おれたちをここに呼んだ議員は企業から金を積まれてたって話だし、今回の暴動を計画した議員はよりにもよって面倒臭い外国人のおれを巻き込んじまったしな。国際問題に発展すれば、ぼんくらとは言え地元の警察も動かざるを得ない。メディアもかなり入ってる。まあ、怪我で動けないあいつが向こうにとって価値のあるものになるかどうかは不明だ。友達ってんなら、最悪の事態になる前に早急に動くべきだが、おまえも動けねえな」
「……」
「考えて、喋れることが幸いだ。よく話せ」
「ヨダカ」
「あ?」
「ヨダカはどこかへ逃げるのか?」
彼の傍らにはスーツケースがあった。シルバーのスーツケースは歴代の長旅で傷だらけだが、覚えている。これを引っ張って夜鷹はここへやって来た。
「退去命令」と夜鷹は答えた。
「暴動が起こるような危険な地域からは逃げろ、とおれのボスからの命令だ。まるっきり納得は行かねえが、おれが首を突っ込んでると事態はますますややこしくなるから潮時なのかもしれない。ついでに休暇をたんまりともらった。から、帰る」
「帰る?」
「東京へ」
聞いたことのない単語を耳にしたかのようだった。夜鷹が東京へ。帰国する。あんなに嫌悪していた遠い街へ。
「おまえのこと、ずっとあいつと重ねてた。似てもいねえのにな」と夜鷹は言った。
「……アガタセイ?」
「察しがいいな。察せられるおれも愚かか。……おれはな、ずっとあいつのことを考えていて、思っていて、抱かれたくて、叶わなくて、叶わないことは分かっていたから、先まわりして逃げてたんだ。ずっとな」
「……どれくらい?」
「三十年」
「――」
気の遠くなるような年月を、夜鷹はさらりと口にする。
「忘れたかったが、忘れられなかったから、忘れないで生きていこうと思ったが、それは地獄だよな。未練がましく望遠鏡も大事にしてさ、趣味でもないのに星を眺めて。なんつーか、おまえはあいつにちっとも似ちゃいないが、でもあいつにこうされたいと思う願望が透けてたのか、それをおまえに叶えられる時があってさ。それはそれで、幸福だったんだと思う」
「……東京に戻って、どうするの?」
「会いに行く。奪ってみるか、奪えるのか、ぼろくそになってまた逃げるかは分かんないが。だめなんだ。あいつに会えばおれは傷つくし、逃げたくなるほどうんざりする。だがあいつにつけられる傷ならおれは喜ぶ。だから会ってみる。……故意に離してたがやっぱりどうしても会いたいと、銃に撃たれてようやく思ったよ」
「……」
「死んでからじゃだめだ。身体があるうちに会いたい」
夜鷹が泣いた気がした。何事にも上から目線で、すれていて、気の強い夜鷹が。でもそれは気のせいだった。夜鷹は立ち上がり、「そろそろ頼んでいた車が来る」と言って左手の指輪を外した。
それを慧の手に握らせる。
「これはおまえにやるよ」
「……また戻ってくる?」
「ぼろくそに捨てられてやけくそにでもなったら、ここでおまえと骨埋めてやろうか」
「……」
「健康で。安全に過ごせ。楽しかったよ」
ガーゼの貼られた頬に軽く触れ、夜鷹は笑った。「じゃあな」と言い、スーツケースを片手に引っ張って病室を出ていく。
なんとなく分かっていることだった。夜鷹の心は慧にはない。けれど交えた肉体も年月もあり、その一切を断たれた悲しみに浸るというよりは、ただ呆然と目を閉じる。握らされた指輪は夜鷹の温もりか、慧の温もりか、生暖かくてしみる。
しばらくして祖父が病室に顔を見せた。父親も一緒だった。首都で医師として働く父は、慧の状態と安全を考えて父の勤務する病院に転院させると言った。慧はそれをぼんやりと聞く。忙しい父が去り、祖父とふたりきりになってようやく祖父が口をひらいた。
「村は荒れる。しばらく治まらんだろう」
「……じいちゃん、はじめからおれが鉱脈のガイドをするのは、反対だった?」
慧の疑問に、祖父は首を振った。
「おまえにはおまえの道があると思っている。おまえの父親がこんな田舎は嫌だと言って医者になったように。あの村におまえを縛り付けておくのは疑問があった。だから外の連中と交流を持つのも、いいと思ったのは確かだ」
「でもじいちゃんは、山が好きだっただろ?」
「だがおれは先に生まれた人間だ。してやれるのは、後に残る人間のためになることだ。……おれも町に降りろとおまえの父親には言われたがな、おれは残る。どう転ぶか分からないが、残って、片付けをして、種は撒かないとな」
「……」
「おまえがどうするかは、おまえの自由だ。このまま首都の病院に転院して居を移しても、止むを得ないと言える。逃げではない」
慧は手の中の指輪を握り直す。
「じいちゃんに付き合うよ。おれも村に残る。父さんには反対されるだろうけど」
「いいのか?」
「ただしどっちにもつかない。どっちも両立する方向を探るんだ。ウルも、鉱山の労働者も、みんなをおれは知ってるから」
「……険しくて厳しい道だぞ」
「分かってる」
「そうか。おまえがいると色々とありがたい。……次に来るときはなにか美味いもんでも持ってこよう。まずは傷を癒す体力をつけないとな」
「家に戻るの? じいちゃんの安全が心配だよ」
「おれはな、なんとでもならあ。山のことなら誰よりも知ってる。おまえが案内せずに鉱山技術者たちも見逃した安全な逃げ場所があるから心配するな」
そう言って祖父は去った。慧はなんとか起き上がり、痛む身体を引きずって病室の窓を開ける。高地から下りたせいか、湿り気を帯びた重たい空気を感じた。手を振り上げ、指輪を遠くへ放り投げる。
それは一瞬だけ陽光に反射して光り、草むらに落ちた。窓を閉める。夜鷹に愛されたかったなと思った。真っ黒い髪、真っ黒い目、人を小馬鹿にした態度。三十年抱えた恋心。
そんなのどうしようもねえよ、と慧はひとりごちる。慧が生まれるはるか前から夜鷹の心を占めている男のことなど。どうかそいつと幸福で、とは思わない。ただ夜鷹を恨む気持ちはどこにもない。
乱暴なくせに不思議と心地よかった。慧はそれを噛み締めて、ベッドに横たわる。一筋伝った涙が、シーツに染みた。
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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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