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 青とはじめて会ったのはお互い八歳のときで、N県の高地にある社会教育施設で行われたサマースクールの参加者同士だった。東京から参加した夜鷹はすべての行程をひとりでこなした。すなわち、東京駅を出て、電車を乗り継ぎ、最寄り駅から参加者が乗ることになっているマイクロバスに乗るまで、親の関与の一切を断った。親も親で、八歳ながらにして大人顔負けの行動力と思考力、知識量を備える夜鷹のことは放置に近かった。夜鷹より四つ年上の姉がてんかんの発作持ちで、彼女の容態が安定しなかった時期であったので、そちらにかかりきりだったことも関係したかもしれない。
 それでもまめな報告の義務は課された。どこどこ駅へ着いた、これからバスに乗る、という報告義務。これぐらいはしなさいという判断は正しい。携帯電話を持たない時代だった。駅の公衆電話からテレフォンカードを使ってかけたが、いまでもあのカードの柄を時折思い出す。ぼやけた黄色地にチューリップの描かれた、地味でなんとも無害なカードだった。
 マイクロバスに乗ったとき、出発までの時間で駅舎を見ていた。同じくバスに乗ってサマースクールに参加するのであろう子どもたちが、送迎に来た親になにかを言い渡されて、神妙に頷いている。大きなリュックサックを背負い、中には泣きべそをかくやつまでいた。こんなやつらと十日間もやっていかなきゃならないかと思うとうんざりしたが、東京の博物館ではもう夜鷹の興味を満たせなかったのだから仕方がないと我慢した。
 その中のひとりに、同じ年頃だろう子どもがいた。身長が同じぐらいで、という意味だ。このサマースクールは対象年齢が「小学三年から六年まで」と幅があり、内容からしても高学年の参加者の方が多かった。夜鷹くらいの身長の方が少なくて目立つ。すらりと伸びた手足が、やけにバランスのよいと感じる少年だった。細すぎず、太くもなく、子どもらしい体格なのに、不思議と目を引く。彼は送ってくれたと思われる母親らしき女性に手を振り、バスへやって来た。席順は決まっていなかったが、後方から詰めて座れという指示がある。少年は夜鷹の隣の座席を指して「いい?」と訊いた。夜鷹は頷く。そのときまともに少年の顔を見た。くっきりとした眉とはっきりした強い目をしている。けれど顔立ち全体の雰囲気はやわらかく、やさしい雰囲気を持つ。誰にでも好かれそうな典型的ないいやつっぽいなと、そのときは思った。
 座席に着き、少年は水筒を取り出して飲料を口にした。その際に彼が飲んだ錠剤を見て、乗り物酔いがあるのだと悟る。隣でゲロでもぶちまかれたら嫌だなと思った。この先は山の上に進むので、悪路が予想される。だから夜鷹は座席の裏に一枚ずつセットされているビニール袋を掴み、それを少年に押し付けた。
「なに?」と少年は幼い瞳で訊ねる。
「ゲロ袋。おれいらねーから」
「ああ、そっか」
 と、少年はすんなり受け入れる。大抵は夜鷹のぶっきらぼうでぞんざいな口調と態度を嫌味として受け取る人間が多いので、その素直さに、やっぱりいいやつの部類か、と少し呆れた。
「酔い止め飲めば大丈夫だよ。念のためだし」
「我慢できなくなってもおれはそういう面倒見ないからな」
「いいやつだね。ありがとう」
 夜鷹に対して「いいやつ」と評価を下す少年にちょっと興味が湧いた。「おまえ、何年生?」と訊く。
「小三」
「同じだ。おれも小三」
「名前は?」
「夜鷹」
「ヨダカ?」
「前嶋夜鷹。おまえは?」
「ヨダカって、夜の鷹の、のヨダカ?」
「そーだよ」
 少年は微笑む。天真爛漫がぴったりくる無邪気で純朴な笑顔を向けられて、おまえはキリスト絵画の天使像かよ、と突っ込みたくなった。
 アガタセイ、と少年は答えた。
「セイ?」
「青い、って書くんだ」
「青、な」
 やがてバスは定員を埋め、発車した。


 十日間のサマースクールに参加したのは全国から三十名ほどで、そのほとんどが男子だった。ラジオの電話相談室の内容をそのまま実習に移しましたというような内容で、専門家が毎日入れ替わりで講義や講演や実習を行なった。フィールドワークやオリエンテーリングも多く、ボーイスカウトなど野外実習に慣れている子どももいたが、はじめて参加する夜鷹にはおおむね魅力的に映った。昆虫の専門家が来てフィールドで昆虫採集と観察をして、夜は天文学者が来て星の観測と解説をする。野鳥の専門家によるバードウォッチングが早朝からあり、座学でフィボナッチ数列について教わる。樹木についてまた専門家とともにフィールドワークに出る。夜鷹は貝の化石のクリーニング作業が思いのほか面白くて夢中になった。
 食事と風呂の時間は決まっているし、掃除の時間だってあるし、集団行動はやかましい。けれど参加する子どもらは皆こういうことに興味を持つぐらいなので、衝突は起こらず、自己の興味の追求に徹している辺りが夜鷹には心地よかった。夜鷹は都立の小学校に通っていたが、そこではこんな関係性はどうしたって生まれない。クラスメイトはうるさく、陰湿で、鬱屈していた。参加者を募ってのサマースクールという、フィルターを一枚かけるだけでこうも違うのかと思った。だから夜鷹はその時点で中学校からは受験してフィルターをかけようと心に決めた。
 青は同い年だと分かってから、行動が一緒になることが多かった。三年生という参加者が少なかったこともある。縦割りで決められた部屋や班は違ったが、自由時間や班分けのないときにはなんとなく傍にいてお互いの学校のことなどを話した。青は地元N県からの参加で、公立の小学校に通い、離婚して実家に戻った母親と、祖父母の、四人暮らしだと言った。
 青はとりわけ星に興味を持った風で、夜間の観測を楽しみにしていた。天文学者に積極的に質問に行き、それが嬉しかった様子の学者から「今度うちの天文館においで。もっと遠くの星をたくさん見られるよ」と誘われていた。
「夜鷹も行こうよ」と青は嬉しそうに言った。
「おれあんまり星には興味ない」と答える。はじめて見た月のクレーターには驚いたが。
「夜鷹が面白かった講座ってなに?」
「地層やマグマの話。あと川でやったパンニングが面白かった」
「ああ、石みっけたやつ」
 施設から歩いた先にある沢で、地質学者の指導の元に「宝石を見つけよう!」という講座がひらかれた。川ですくった砂利を何度もふるいにかけて、最終的に鉱物を取り出す作業だ。希少価値のある石を見つけられたわけではなかったが、たとえただの堆積岩だったとしても、夜鷹には不思議と魅力的に映った。
「先生が言ってたけど、星も岩石で出来てるんだって」
「ガスや氷の星もあるだろ」
 知っている話だったので適当に答えた。だが青は嬉しそうに話す。
「夜鷹が川で見つけた石だって、宇宙にあれば星になるんだな。流れ星の大きさは数ミリだって先生言ってたのが面白かった。おれたちが河原で見つけた石と同じぐらいだ」
「……まーな」
 その思考はロマンチックで馬鹿げていると思ったが、青が言えばなんだか笑えなかった。途端、川で採取した石が光を放ったように思える。あんな米粒ぐらいの石でも、夜空に尾を引いて発光する。
 十日間のサマースクールはあっという間に過ぎた。時間が惜しくてもどかしい。バスに揺られて駅まで戻る道中で、青は「来年も来る?」と夜鷹に聞いた。
「来てえな」
「じゃあ来年もまた会おう。おれも参加する」
 去り際にお互いの住所を記したメモを交換した。青は手紙を書くと言い、夜鷹が東京に戻った三日後には本当に手紙が届いた。天文学者に誘われた科学館に行ったらしく、売店で売られていたという天体のポストカードが添えられていた。
『こと座のベガを見た。青かったんだよ』
 ふん、と息をついてポストカードは机の下敷きに挟み込んだ。手紙の返事に夜鷹は「石の図鑑を買ってもらった」と書いて送った。
 何度も手紙のやり取りをした。そして夏が来れば共にサマースクールで再会し、お互いの興味にふける。それは何年も続いた。年に数日の交流は重たく密度を放つようになった。このままの質量ではブラックホール化しそうな交流が、夜鷹はどういう感情から来るものか、歳と共に理解するようになった。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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