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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 口の中に吐き出された白濁を飲み下す。脱力して荒く息を吐きながらも、夜鷹は「おまえな」と呆れた口調だった。
「おれが病気持ってるかも分かんねえのに、セーフティセックスをする気はねえのか」
「ないよ。夜鷹だから。それに夜鷹のことだから、奔放だったんだろうけど、その辺りはきっちりしてたんだろ」
「……おまえのも見せろ、」
 手を引かれ、ベッドの上に乗り上げた。夜鷹の上に重なり、シャツを脱ぐ。下着も脱ぎ去って裸体を晒すと、夜鷹は目をさらにきつくさせた。
「Can I kiss you?」
「Yes, please. ……なんで急に英語だ?」
「Emblasse-moiもいいな」
「何語なんだよ」
「大学の第三外国語で習わなかったか?」
「習ってないな。おれは中国語だった」
「なら好性感啊が燃えるか」
「フツーに日本語にしてくれないか。……夜鷹、焦ってる?」
「焦るだろ。おまえのことだから急にやめるとか言い出してもおかしくねえ。必死に口説いてんだよ」
「分かるように口説けって」
 苦笑しつつ減らず口の夜鷹の唇を忙しく奪う。
「やめない。次の瞬間この星の自転が止まりますって言われてもやめないから大丈夫だ。安心して日本語で口説いてくれ」
「脱がせろよ、青」
「……いいよ」
 夜鷹のシャツのボタンを外し、上半身を露出させる。肩のガーゼに障りそうで、体勢を入れ替えて青が下になった。上に重なった夜鷹が、青の頬を包む。吐息が混ざり合う。夜鷹は少し笑っている。口を塞いで音を立てた。キスの合間に呼ばれる「青」がどんな睦言よりも胸を騒がせる。
 じゅ、じゅ、とキスをしている合間に、夜鷹のズボンから下着まで脱がせた。濡れた性器は硬さを取り戻し、青の腹に触れる。夜鷹は熱心に唇を吸いながら、青の性器に触れた。そこもとうに硬く兆し、夜鷹に触れられて身体に痺れが駆け抜ける。
「浅野としたのか」と至近距離で訊ねられた。
「はじめは。……でもすぐにセックスレス。おれが千勢には興奮できなかった」
「おまえにガキが出来たらそいつをもらってやろうと思ってた」
 夜鷹は意地悪く笑う。
「男でも女でも。昔話の魔女みたいに。塔の上に閉じ込めておれしか知らないようにする」
「怖いな……」
「最悪の不幸を味わわせてやろうと思ったが、そうならなかったな」
 じゅ、と音を立てて頬を吸われた。青は夜鷹からキスを受けながら身体を撫でまわし、腰を掴んで尻を揉んだ。
 夜鷹が甘やかな吐息を鼻から漏らす。
「夜鷹こそ、おれ以外に本気になったやつぐらい、いただろう」
「いたよ。本気ではなかったが、まあ、いいやつだった」
 それは予想済みの答えであったにしろ、青の胸は塞いだ。
「わりと続いたが、暴動騒ぎで離れた。傷、治ったかな」
「その人も怪我を?」
「腹を撃たれてね。おれよりひどい怪我だった」
「……惜しいと思うか?」
「思わない。あいつの人生だ」
 その声音は、さっぱりと乾いていた。ああ、信頼していた人だったのだな、と分かる。夜鷹が他人は他人だと言い切る人間は、実のところさほど多くない。近い人ほど離したがる。それは実感であり、言い聞かせであるのかもしれなかった。
 残酷なようで、真実を突きつける夜鷹の優しさだ。
「おい、青。集中しろよ」
「……してるよ」
「このままおまえボトムにいるとおれが突っ込むぞ」
「それは断る。だって仕方がないだろう。夜鷹を下手に下になんかして、傷に障ったらどうする」
「浅野としたのが最後?」
「……そうでもない」
「いい。健全だ」
 夜鷹は伸び上がり、勝手にベッドのヘッドボードに置かれた物入れを探る。ティッシュだの時計だの目薬だの、雑多なものが適当に投げ込まれた箱だ。中身を探り、夜鷹は「ねえな」とこぼした。潤滑剤の類ならこの部屋では使いようがないので、準備がない。
「ハンドクリームとかそういうのも。キッチン行けば油があるか?」
「もっといたわりのあるやり方がいいよ。三分クッキングじゃないんだから」
「いまから薬局行くのか」
「舐めてやるからこっちに向けろ」
「サービスがいいな」
「おれのもしゃぶってくれ」
「As you say」
 互い違いになるように身体を入れ替え、向けられた性器を舐め、尻たぶを割って最奥に舌を這わせた。夜鷹は熱心に青の性器を咥える。水音が響き、外の雨音より卑猥に部屋を満たした。
 濡らした部分に、指を這わせる。唾液を足しながら指を進める。夜鷹の身体は情事に素直で、青の指を飲み込み、欲しがってひくついた。ここだと思う箇所を押すと、くぐもった声が上がり、性器ピンと漲った。
「ここだな」
「あ、……青、」
「痛かったら言って」
「痛い方がいい……」
「そういう趣味か?」
 茶化して訊ねると、夜鷹は青の性器をしゃぶりはじめた。
「夜鷹、」
「……痛い方がいいだろ。おれとおまえが、別の身体でセックスしてるんだって、嫌でも分かる」
 それは夜鷹らしい言い分で、だが青は「嫌だ」と抗った。
「痛みより快楽を得たい。自分勝手でいいから、お互いに気持ちがいいと思うことをしたい。……どうせ身体が溶けてひとつになるなんて結果は待ってないんだ。傷はつけたくない」
「痛くてもひとつになるなら、そっちを取る?」
「別個体だから快楽ってものがあるのかな」
「……そうかもしれないな」
 唾液を足して指を差し込み、広げて指を足す。それで頃合いというころには、夜鷹は性感に耐えきれず、青の腹に崩れていた。
「夜鷹、起きろ」
 半身を起こして、ぐずぐずになった夜鷹をこちらに向かせる。
「入りたい。おまえが上になってくれ。傷を掴みたくはないから」
「……騎乗位がお好みとか、とんでもねえ変態だな」
「夜鷹」
「分かってるよ……」
 夜鷹は起き上がり、青の性器の上に最奥をあてがった。丸い先端が夜鷹の中に潜り込んでいく感覚は、鳥肌が立った。締め付けられてくらくらする。夜鷹も声を上げ、ゆっくりと落としていた腰は、最終的にはいきなり奥まで収まった。夜鷹の中心からとろりと透明な体液が溢れる。
「青っ……」
 腕を伸ばし、しがみつかれた。青はその身体をしっかりと抱きとめる。夜鷹の耳たぶを食み、耳の中に舌を差し入れる。夜鷹は震え、太腿を強張らせ、吐息を漏らす。腰を揺すると嬌声が上がった。
 お互いが気持ち良いように腰を揺らす。強烈な刺激にはもの足りず、ようやく繋がったけれど、喉はずっと渇いている。望んでいたことが叶えられる充足感よりも、はるかに飢えを感じていた。それは夜鷹も同じだったと思う。
 もっと、もっと夜鷹の一番近いところへ行きたい。皮膚一枚をまだ探る。裏の裏まで。
 夜鷹の黒い目が、間近で青を見つめている。視線を外さないまま唇を重ねた。このまま死んでも後悔するほど渇いていた。飢えがひどい。夜鷹との同化を、やはり自分はどこかで望んでいる。
 だが別々の身体を持って生まれたから、そうはならないんだろう。
「動けよ……」とせがまれた。
「夜鷹が動け」
「……変態、」
「そんなにマイナーなプレイはしてないよ」
 青の腹に手をつき、腰を上下させる。熱心に快楽を追う夜鷹を見ているのはとても良いものだったが、次第に我慢ならなくなり、夜鷹の手首を掴んで下から突き上げた。夜鷹が声を上げる。大きく揺さぶると、痙攣して、夜鷹は白濁を散らした。締め付けに耐えきれず、青も夜鷹の中に遠慮なく放つ。あっけなく迎えた絶頂はあまりにもシンプルで、セックスの純粋なエッセンスだけを抽出して放ったかのようだった。
 放出のこわばりが解け、脱力した夜鷹は青の上にぺたりと肌を合わせて倒れ込んできた。
「はじめておまえとした」と言うと、夜鷹は「ああ」と頷いた。
「なんだろうな、この感じ。……一番野性的な部分だけ汲み取られたっていうか。してみたらすごくシンプルだったと気付かされた感じだ」
「おまえはおれのもので、おれはおまえのもの、っていう勘違いが吹き飛ぶだろう」
「飛ぶ。……誰としてもこんな感覚はなかった。ずっと物足りないっていうか、ますます飢えるっていうか。ーー夜鷹は夜鷹で、おれはおれなんだな」
 そう言うと、夜鷹は青の髪を撫でた。優しく梳くように撫でられる。
「愛してるよ、青」
 それは学生時代と寸分変わらぬ意味合いで、青はやはり焦燥に駆られる。他人は他人、夜鷹は夜鷹。夜鷹は青に境界を示す。青も夜鷹には距離を許す。ふたりの最大許容値の際の際。
 隣り合っているけれど、絶望的な溝がある。これ以上はもう近づけない。この先どんなに肌を合わせても、合わせなくても、それは変わらない。
 悲しくなるほど残酷な愛情を放つセックスだと思った。夜鷹の愛し方が、染みる。
 体勢を入れ替え、夜鷹を下に組み敷いた。肩のガーゼに鼻先を寄せ、顔を見合い、キスをする。
 まだ出来るかと問うと、夜鷹は満足げに笑って「来いよ」と青を誘った。



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 夜間、もしくは早朝のランニングを、ここのところは怠けていた。したくなかったというよりは、単に時間を見失っていたり、疲労しきっていたせいだ。久しぶりにいつものコースを走ろうと思い立って着替えていると、夜鷹は「どこ行く気だよ」と不満をあらわにした。
「ランニング。この時間はいつもしてるんだ」
「雨降ってるぜ」
「久々だし、ちょっとその辺回ってくるだけだ」
 大きく腕を振り上げ、ストレッチをする。夜鷹はすっかり呆れた顔で、青の寝室に入ってしまった。咄嗟にそれを追いかける。
「夜鷹」
「寝る。ようやく睡眠のリズムが日本になってきたし」
「千勢が死んだとき、母親に『浮気されるぐらいおまえが普通でよかった』と言われた」
 脈絡もなく唐突に告げた事実を、夜鷹は視線をきつくこちらへ寄越すことで応じた。
「結局、あの人にとって千勢は嫁でもなんでもなく、おれを『普通』にするためのアイテムでしかなかった。それを謝りたいとようやく思った。だから千勢の墓前にはそのうち行こうと思う」
「T県?」
「新幹線で行ける。付き合ってくれないか」
「あのばあさんの尻拭いになんでおれがついてくんだ。おまえひとりで行きな」
「ひどい話だろ。夜鷹に『あのくそばばあ』とかって罵って欲しかったけど、それはそれでおれへの共感だから、おまえはしないんだろう」
「おまえが望むならあのばあさんのひとりやふたり、うまく処分できる手順は知ってる」
「機を逃したな。おふくろは死んだ」
「因果応報だと思うか?」
「思おうとしたときもあったけど、やめたんだ。物理だったと思う。ここが出血したから死んでしまった、という物理」
「正しいよ」
「おふくろの死を悼むことは、出来ない。おれにとって息の詰まる人だった」
「そういう関係性なんか世の中に腐る程ある。いろんな感情ががんじがらめで繋がってんのさ。気にすることじゃねえ」
 夜鷹は手をひらひらと振り、着替えを拾って浴室へと消えた。
 伸ばすところをしっかりと伸ばして、走り出す。はじめはゆっくりと、次第にペースを上げる。走っていなかった期間にストレッチすらしなかったから、身体はこわばり、すぐに息が切れた。小雨が顔を打つ。二十分ほど走って折り返し、徐々にペースを緩めて歩いた。家々の軒先に紫陽花が花をひらき、夜でもほのかに存在感を放っている。
 小一時間ほどして部屋に戻った。マンションの明かりは玄関を残して消えている。シャワーを終え、夜鷹は休んだようだった。そっと寝室を覗くと青のベッドに横になり、その肩は規則正しく上下していた。もう自分で手当てができる程度に傷は回復の傾向にあるのだろう。汗と雨で濡れたスポーツウェアを脱ぎ、青も浴室へ向かう。
 湯船はまだ温かかった。汗を流し、湯船に浸かってぼんやりと考える。あんな母親だったけれど、だからと言って恨む気持ちはなかった。肉親とは恐ろしいものだと思う。死んで楽になったことは確かだし、悲しみも沸かないが、喪失感はある。これを淋しいと表現するのかもしれなかった。だとしたら夜鷹、やっぱりおれは、淋しいままだよ。
 うっかり寝かけて、ようやく湯船から上がった。五分袖のシャツと、下は下着だけ身につけて冷蔵庫に向かい、ミネラルウォーターを飲んだ。ふと寝室から「せい」と呼ばれた気がして、そちらへ進む。そっと扉を開けて中を窺うと、明かりを落とした室内で、夜鷹が自慰をしていた。
 青の枕に顔を押し付け、声を殺して懸命に自身の性器を擦っている。力のこもった身体が時折大きく跳ねる。まだ眠りとの境にいる中で、青の名前を呼びながら自慰をする夜鷹を、愛したいと思った。触れたい。手にしてみたい。肉欲に満たされて溺れる。息苦しくなる。夜鷹はいまなにを想像しているのだろう。想像の中の青は、夜鷹にどう触れているのだろう。
 夜鷹の手の動きが早まる。あと少し、というところで、青は寝室の扉を大きな音でノックした。
 夜鷹ががばりと起き上がり、きつくこちらを見た。寝室に入り、扉を閉める。
 夜鷹は人を小馬鹿にしたあの顔で、ベッドに沈み直した。
「あんまりにも誰かさんから手を出されないからな。結局マスターベーションだ。たまって仕方ねえ」
「それは悪かった」
「おまえはランニングで性欲も消え去ったか」
「いや、やっぱり別物だと思う。じっとしてろ」
 横たわった夜鷹の、中途半端で止められた性器を口に含んだ。先端から滲む体液が舌を刺激する。あっさりと硬さを戻し、夜鷹は青の髪をクシャリと掴んだ。
「青……」
 頬を絞ることで幹に圧をかけ、先端を舌で嬲る。小さな穴からじわじわと腺液が滲んだ。口を上下に動かしていると青の髪を掴む夜鷹の手に力がこもり、夜鷹は身体を大きく震わせて射精した。



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「おやまあ、これはこれは」
「ご無沙汰しております」
 玄関で出迎えてくれたのは、夜鷹の父親だった。大学にはまだ勤めているが、退官間近だとは聞いている。ずいぶんと老けたが、年数の経過は青も同じだ。夜鷹の父親は「やつはそのうち戻ると思うから上がって」と昔と変わらぬ気安さで家に招いてくれた。
「これ、すぐそこで買ったもので申し訳ないんですが、」
「お、枇杷だ。美味しいよねえ。ありがとう」
「お邪魔でなかったですか? 大学は?」
「今日は午後からでね。もう間もなく出る。でも夜鷹が戻るから、ああ、夜鷹の部屋で待つかい?」
 通されかかった居間の手前で足が止まる。
「夜鷹の部屋、まだあるんですか?」
「あるよ。もっともベッドと机と本棚程度だけどね。孫たちがたまに泊まりに来るってのもあってそのままにしてる。でもまあ、この先は分からないかな。大学を退職したらミラノに移住する予定でいま準備してるんだ」
「イタリア?」初耳だった。
「うん。奥さんも仕事を退職したから、いい機会だと思って。孫もだいぶ大きくなったし。夜鷹がこっちへ戻ってくる可能性もあるようなら家自体の処分は先延ばしてもいいかもしれないけど、こればっかりはやつと話さないとなんとも言えない」
「そうですか……」
「青くんもイタリアに遊びにおいで。案内するよ。パスポートは持ったかい?」
「新婚旅行のために取得はしましたが、その後はどこにも行かずで期限切れです」
「じゃあ手続きは夜鷹にでも任せればいい。療養休暇で暇してるらしいからね」
「……夜鷹の部屋に行っていいですか?」
「どうぞ。僕はそろそろ出るから、お構いも出来ずに申し訳ないね。ゆっくりして行って」
「ありがとうございます」
 階段を上がり、部屋の扉を押し開けた。まめに換気が行われているらしい部屋は、以前よりはるかにものがなく、すっきりと片付いていた。ベッドに腰掛ける。この部屋の窓から様々なものを見た。夜になれば望遠鏡を構えた。バイトから帰宅する夜鷹の頭のてっぺんも見た。息を吸い込んでベッドに横たわる。夜鷹。夜鷹。
 目を閉じる。雨音が耳に心地よい。うとうととまどろみ、目覚めると夜鷹が部屋の窓に背を向けて青を見ていた。あの黒い目で。
「――傷、診てもらえた?」
「ああ。経過はいいから、あとは抜糸のときでいいってさ。――ずいぶんと派手な傘だな」
「借り物なんだ。あれの下で歩くのはおれも恥ずかしかった。夜鷹、」
「あ?」
「夜鷹とおふくろに関係性はないと思っていた。会わせたことはないはずだから。でも、それにしてもやけにおふくろに詳しいし、感情を持ってるよな。なにか、……おまえもおれに喋っていないことが、あるか?」
 そう訊ねると、夜鷹はふーっとため息をついた。
「ようやくそこへ辿り着いたか」
「……なにがあった、」
「電話がかかってきただけだ。一回目の電話は高校一年のとき。いつも息子に手紙をありがとう、と言われた。感謝の体裁で中身は非難だったよ。釘を刺したんだ。あんまり息子に近づいて、余計なことを吹き込むな、と」
「……二回目は?」
「高校三年のとき。息子が東京の私立大学に行きたいと言うのは、おれのせいかと言われた。そんなのは青が決めることだから知らねえ、と言ったがな。おれはおまえにとってよくない友人であるようだから、交流を控えてくれと言われた。守りはしなかったけどな」
「……三度目が、あるか?」
「大学四年のときだ。息子は就職と結婚が決まったから、もう関わらないでくれと言われた。普通の道を進ませたいから。おれみたいにアカデミックな環境に育ってなんでも学歴で解決できる才能は息子にはない、普通以上を望ませたくないと言った。くそくらえだ。親の価値観を子どもに押し付けるんじゃねえよと罵ったが、火に油だったな。金輪際関わるなと言われた。電話はそれきりだ」
「……」
「なあ、青。母親に『普通』を望まれていた事情はなんとなく分かったよ。昼間の道を、と言っていたおまえの言葉を理解した。でもな、『普通』ってなんだ? おまえは『普通』を選択したが、結果はこの有様だ。淋しいと口にして、ひとりぼっちだろ」
「おまえに言われてからは、言わないように我慢してるよ」
「おまえは寝相に癖があるな。身体を丸めて、自分の身体を自分で抱いて寝るんだ。変わってねえなと今朝思った。……人は、ひとりだ。個体でしか生きられない。ひとつの身体にひとつの心臓で生きる。淋しかったら自分で慰めるしかないってのを、おまえはとっくに分かっている。それを理解と言うんだが、どうしても拒んでいるよな。共有や共感を得たい。それで散々足掻いた結果が現状だ。いまのおまえだ」
「……」
「母親からプレッシャーがあって、抗って浅野と結婚するんだって話を、おまえはおれにすればよかったんだ」
「……夜鷹に話しても意味がない。共感はされないから」
「おれは、おまえに本当に必要なのは、共感でも慰めでもなく、肯定だったと思うけどな」
 青ははっとして夜鷹の顔を見た。夜鷹は笑っている。
「おまえはおまえでいいんだ、という、肯定。自分で決定した意思を、もしくは自分という人間の元からの性質を、認められること」
「……」
「おれはおまえを否定しない。おれたちは同化することはないが、おまえがおれと別の身体と思考を持った別の個体であるから、おれはどこへでも行ける。いいか青、おれはおまえがおまえの身体と精神であることの方が重要なんだ。違っている、ということは生物の進化そのものだ」
「進化か」
「違っているから生き延びて繁栄してんだよ。この星でな。おれもおまえも同じだったら、おれはおまえを愛してなんかいない」
「……分かる、」
 青は頷いた。
「なら、いい」
「夜鷹、帰ろう」
「おれの家ここだけど」
「おれの部屋にしばらく泊めろ、とおまえは言った」
「そうだっけな」
 夜鷹は頭を掻いて青の傍へ寄った。
「今夜はひとり寝にさせるなよ」
 曖昧に笑うと、不服そうに鼻を摘まれた。



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 居間のソファで睡眠を取り、目覚めると朝で、誰もいなかった。そんなに深く眠った気はしないのに、いつの間にか日が高い。テーブルの上にメモが一枚置かれていた。流れるような筆跡はよく見慣れたものだった。
『病院から実家 今夜は戻らない 夜鷹』
 瞬時に、逃げられた、と思った。ついに。とうとう。また。いろんな副詞が浮かんでは瞬いて消える。当たり前か。青は夜鷹に淋しいと縋っておいて、なにも行動を起こさなかった。夜鷹に求められれば応じたけれど、自分から向かう勇気がない。
 母の「普通」を理由にしている。まだ「普通」に戻れると思っている。
 妻を心から愛せなかったことを罪に思っている。自分から婚姻を望んだのに、それが裏切りのはじまりであったことは青の過ちだ。
 夜鷹の真っ黒な瞳に怖じている。あの目で全て見透かされて、青が怖くて開けられない蓋をやすやすと開けてしまわれそうで、怖い。
 もしくは「おまえはそんなものだ」と見限られてしまうのが。
 頭をガリガリと掻き、シャワーを浴びて身支度を整え、出社した。
 所属する部署に顔を出し、上司にこちらの状況と仕事の進捗を聞いた。「いまは手が空いている方だから休暇は問題ない」とのことで、「なんなら溜まっている有休を消化してくれると助かる」と軽く笑われた。だからという訳ではないが、総務課に確認すると青の有休は確かにたっぷりとあった。忌引きの後は有休扱いにしてもらうようその場で書類を書き、しばらく出社しないことにして会社を後にした。
「吾田くん」
 会社のエントランスを抜けようとしたところで呼び止められた。同期の女子社員だった。「これからお昼買いに行くとこ。途中まで一緒にいい?」と言われ、断る理由を見つけられない。
「あ、雨。吾田くん傘持ってる?」
「いや、」
「あたし折り畳みあるんだ。旦那以外の男と相合傘とか久々」
「旦那さんと相合傘するんだ」
「するよ。デートの時はね。わざわざ傘を忘れて出かけるの。どっちも持ってないと雨宿りになって、それも楽しい。そういうのが夫婦円満的な、うちのコツ」
「うまくやってるんだ」
 苦笑しつつ、背の低い同期から傘の柄をさらって歩き出す。駅へ向かう途中にあるベーカリーで昼食を買う予定だと言い、黄色い派手な花柄の傘の下を並んで歩く。
「梅雨入りしたみたい、今日」と隣から声がした。
「ああ、そうなんだ」
「でもあたし、梅雨ってみんなが言うほど嫌いじゃない。雨の日、好きだし」
「雨の日にデートするぐらいだもんな」
「そうそう」
 パラパラと小粒の雨が傘を叩く。傘からはみ出る青の肩も濡らす。夜鷹の肩はいまどうだろうかと考えた。病院に行って、経過を診てもらえただろうか。
「おれは、嫌い」と答える。同期が顔を上げたがその顔は見ない。
「雨が降れば観測は出来ないし。夏休みまでまだ先だし。この時期は焦れて鬱屈するんだ」
「観測? 星でも見る趣味あったっけ?」
「子どもの頃の話。早く梅雨明けないかなってずっと思ってた。いまも憂鬱になるな。親を亡くして、間もないからかも」
「吾田くんてさ、奥さん亡くしたのもこんな時期じゃなかった?」
「……よくご存知で」
「よく覚えてるもん。同期入社の人があっという間に結婚して、あっという間に独り身になったなって思ってたから」
「そう」
「その後、いい人いないの?」
「……色々と難しくて、」
「ご存知でしょうけど、あたし病気で仕事も子どもも両方だめです、って時期があって。結局子ども諦めて職場復帰できただけいいよねってなってるんだけど、」
 ベーカリー手前にある橋に差し掛かり、同期は足を止めた。
「健康な身体のうちにやっとくべきことがたくさんあったなって、思ってるよ」
「……」どこかで聞いた話に声が出ない。
「だから吾田くんにいい人がいて、その人も吾田くんも身体がいまの形を保っているうちに、やれることやっといた方がいいよって、そういう話。充分分かってると思うけど、身体から魂抜けちゃったらなんにも出来なくなるからね」
 青を見上げる同期の顔には、入社したての頃には見えなかった皺があった。まだ三十八歳、けれどもう三十八歳。いまの身体を保てる時間なんて、すぐ終わる。
「……なんだか最近は、生死を彷徨って生還した人から叱られることが多いよ」
「え?」
 青の台詞に、車の往来が重なった。聞こえなかったらしく、同期は「ごめんもう一度言って」と答える。
「いや、ありがとうって言ったんだ」
「そ? じゃああたしここで。次会うの来月かな?」
「そうかもしれない」
「あんまり落ち込まないで、元気にしてて」
 ベーカリーの前で同期は青に傘を押しつけた。
「いいよ。会社まで戻るのに濡れるだろ」
「元気で戻ってきた証拠に返してもらうから。この先まだ駅まで道があるからね。じゃ」
 颯爽と店内に入っていく同期の背を見送り、頭を下げて予定を変更した。スマートフォンで呼び出したが応答はなかった。鳴らすのを諦めて別の方向へ向かう電車に乗る。



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 東京駅に着き、構内に入る飲食店で夕食を取ってから私鉄に乗り換えて青の暮らすマンションのある街まで戻る。妻と四年弱を過ごした部屋からはとうに引っ越し、単身に手頃なマンションへと居を移している。青の部屋に入るなり夜鷹は寝室に進み、ベッドに倒れ込んだ。新幹線の車内であれだけ眠ったくせに、まだ寝足りない様子だ。
「おい夜鷹、家主をほっぽらないでくれ」
「どうせおまえには同じベッドに潜り込んでくる度胸はねえんだろ。昨夜だって隣の部屋にわざわざ布団敷きやがって」
「……」
「時差ぼけしてんだ。ねみい」
 そのまま眠るかと思っていたが、いきなりがばりと起きた。スーツケースを漁る。
「青、この部屋Wi-Fi飛んでるか?」
「ああ、つながるよ。そこにルーターあるから、パスワード見て打ち込んで」
「読んで」
 スーツケースから引っ張り出したのはシルバーのノートパソコンだった。ルーターに記されている暗号キーを読んでやると、カタカタと打ち込んで、Wi-Fiに接続させた。
「メール?」
「一応、日本に着いて治療も受けたっていう報告を、ボスに」
「夜鷹のボスって変わってない? 大学の研究施設の所長。もうだいぶ長いだろ?」
「さすがに歳でな。あちこちするの諦めて最近じゃ大学で教える方が多い。ボスの他に大学で教鞭取ってる仲間もいるけどな。そういうのは歳食ってからの仕事だとか言って、若い奴は世界中あっちこっちに派遣されるのがいまのボスのやり方だ」
「それでおまえのあのパスポートの出来上がりか」
「まー、そう遠くないうちにトップは代わる。退官後の話を最近はよくしているから、ボス本人も考えるところがあるんだろう。そのときにはおれもいまの待遇かは分からん。大学で教鞭取るようになるかもしんないし、別の施設に移るのもあり得る。研究員の中じゃおれはまだ若い方だが、それでももっと若いやつは増えてきた」
「……日本に戻ることは、あるのか?」
「そのときのボスの方針次第。現状ではまあ、あり得ない話でもない。うちの研究所は日本の大学や研究施設ともつながりがある。日本、ならな」
「どういうことだ?」
「東京じゃねえ、って話だ」
 喋りながら夜鷹はパソコンのキーボードを叩き、勢いよくエンターキーを押して「終了」とパソコンを閉じかけた。
「あ、おねだりのAV見るか?」と訊く。
「そこに入れてんのか。寝ろよ、もう」
「いや、青の部屋にいるな、と思ったら目がギンギンに冴えてもうガッチガチで」
「いい子だから寝てくれ。ベッドなら使っていいから」
 青もパソコンをひらき、届いていたメールとネットニュースをチェックする。しばらく向かい合って互いの画面に向かっていたが、夜鷹はふあ、と大きなあくびをした。
「青、明日は?」
「ああ、会社に一応。まだ休暇中だけど、事務手続きで顔だけ出してくる」
「ふうん」
「夜鷹、明日は医者に行けよ」
「ガーゼだけ取り替えてりゃ抜糸まで行く必要ねえんじゃねえ?」
「今日替えたか?」
「一緒にいりゃ分かるだろ」
 パソコンを閉じ、夜鷹を手招いた。傍にやって来た夜鷹は自分からシャツのボタンを外した。
 右肩の、肩先よりやや腕にずれたところに傷がある。ガーゼをそっと剥がすと、昨日よりははるかに状態のよい傷口が晒された。赤く腫れてはいるが、熱を持って化膿している様子はなかった。乾いている。
「化膿止めは?」
「これ」
「貸して」
 処方された塗り薬を塗り、新しいガーゼで覆う。それにしたってひどい傷だ。削れた肉を繋ぎ止めている縫い方が痛々しかった。
 テープを剥がして止め、「終了」と先ほどの夜鷹の口調を真似て言った。
「まだ痛む?」
「そこそこ。痛み止め飲んでるけど、疼く、って感じ」
「今夜も飲んでおけよ」
「この傷を作ってくれたやつを、おれはおまえからもらった天体望遠鏡の三脚で殴った」
 そう言われて、傷口から夜鷹の顔に目線を移した。夜鷹は皮肉とばかりに笑っている。
「先に手を出したのはあっちだ。おれの部屋を荒らして望遠鏡も壊された。一発殴って蹴りも入れたが、銃で撃たれてこの有様だ」
「そいつはどうなったんだ? 捕まったのか?」
「別のやつに刺されて動けなくなった。病院に揃って運ばれたが、おれが帰るころには仲間の手引きでとんずらこいてたからその後は知らない」
「じゃあ元気なのかな」
「消されてたりするかもな」
「元気だといいな。捕まってても、なくても」
「おれそいつに撃たれてるんだけど」
「夜鷹に恨みがあるならおれも恨むかもしれないが、そうじゃないだろ。夜鷹は許してる。生きてる方がいいよ」
 死んで「普通でよかった」と言われるより、ずっといい。
 夜鷹が顔を上げた。黒い目が青を捉え、「なにを隠してる?」と言われた。
「なにを黙秘してる? か」
「……」
「身体があるうちに、身体でしか出来ないことを」
 夜鷹は目を逸らさずに、そう言った。
「それがいまのおれの物理なんだよ」
 シャツを羽織りながら、夜鷹は寝室に消えた。後を追いかけられず、青は居間の床に寝転んだ。
 


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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