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「おやまあ、これはこれは」
「ご無沙汰しております」
玄関で出迎えてくれたのは、夜鷹の父親だった。大学にはまだ勤めているが、退官間近だとは聞いている。ずいぶんと老けたが、年数の経過は青も同じだ。夜鷹の父親は「やつはそのうち戻ると思うから上がって」と昔と変わらぬ気安さで家に招いてくれた。
「これ、すぐそこで買ったもので申し訳ないんですが、」
「お、枇杷だ。美味しいよねえ。ありがとう」
「お邪魔でなかったですか? 大学は?」
「今日は午後からでね。もう間もなく出る。でも夜鷹が戻るから、ああ、夜鷹の部屋で待つかい?」
通されかかった居間の手前で足が止まる。
「夜鷹の部屋、まだあるんですか?」
「あるよ。もっともベッドと机と本棚程度だけどね。孫たちがたまに泊まりに来るってのもあってそのままにしてる。でもまあ、この先は分からないかな。大学を退職したらミラノに移住する予定でいま準備してるんだ」
「イタリア?」初耳だった。
「うん。奥さんも仕事を退職したから、いい機会だと思って。孫もだいぶ大きくなったし。夜鷹がこっちへ戻ってくる可能性もあるようなら家自体の処分は先延ばしてもいいかもしれないけど、こればっかりはやつと話さないとなんとも言えない」
「そうですか……」
「青くんもイタリアに遊びにおいで。案内するよ。パスポートは持ったかい?」
「新婚旅行のために取得はしましたが、その後はどこにも行かずで期限切れです」
「じゃあ手続きは夜鷹にでも任せればいい。療養休暇で暇してるらしいからね」
「……夜鷹の部屋に行っていいですか?」
「どうぞ。僕はそろそろ出るから、お構いも出来ずに申し訳ないね。ゆっくりして行って」
「ありがとうございます」
階段を上がり、部屋の扉を押し開けた。まめに換気が行われているらしい部屋は、以前よりはるかにものがなく、すっきりと片付いていた。ベッドに腰掛ける。この部屋の窓から様々なものを見た。夜になれば望遠鏡を構えた。バイトから帰宅する夜鷹の頭のてっぺんも見た。息を吸い込んでベッドに横たわる。夜鷹。夜鷹。
目を閉じる。雨音が耳に心地よい。うとうととまどろみ、目覚めると夜鷹が部屋の窓に背を向けて青を見ていた。あの黒い目で。
「――傷、診てもらえた?」
「ああ。経過はいいから、あとは抜糸のときでいいってさ。――ずいぶんと派手な傘だな」
「借り物なんだ。あれの下で歩くのはおれも恥ずかしかった。夜鷹、」
「あ?」
「夜鷹とおふくろに関係性はないと思っていた。会わせたことはないはずだから。でも、それにしてもやけにおふくろに詳しいし、感情を持ってるよな。なにか、……おまえもおれに喋っていないことが、あるか?」
そう訊ねると、夜鷹はふーっとため息をついた。
「ようやくそこへ辿り着いたか」
「……なにがあった、」
「電話がかかってきただけだ。一回目の電話は高校一年のとき。いつも息子に手紙をありがとう、と言われた。感謝の体裁で中身は非難だったよ。釘を刺したんだ。あんまり息子に近づいて、余計なことを吹き込むな、と」
「……二回目は?」
「高校三年のとき。息子が東京の私立大学に行きたいと言うのは、おれのせいかと言われた。そんなのは青が決めることだから知らねえ、と言ったがな。おれはおまえにとってよくない友人であるようだから、交流を控えてくれと言われた。守りはしなかったけどな」
「……三度目が、あるか?」
「大学四年のときだ。息子は就職と結婚が決まったから、もう関わらないでくれと言われた。普通の道を進ませたいから。おれみたいにアカデミックな環境に育ってなんでも学歴で解決できる才能は息子にはない、普通以上を望ませたくないと言った。くそくらえだ。親の価値観を子どもに押し付けるんじゃねえよと罵ったが、火に油だったな。金輪際関わるなと言われた。電話はそれきりだ」
「……」
「なあ、青。母親に『普通』を望まれていた事情はなんとなく分かったよ。昼間の道を、と言っていたおまえの言葉を理解した。でもな、『普通』ってなんだ? おまえは『普通』を選択したが、結果はこの有様だ。淋しいと口にして、ひとりぼっちだろ」
「おまえに言われてからは、言わないように我慢してるよ」
「おまえは寝相に癖があるな。身体を丸めて、自分の身体を自分で抱いて寝るんだ。変わってねえなと今朝思った。……人は、ひとりだ。個体でしか生きられない。ひとつの身体にひとつの心臓で生きる。淋しかったら自分で慰めるしかないってのを、おまえはとっくに分かっている。それを理解と言うんだが、どうしても拒んでいるよな。共有や共感を得たい。それで散々足掻いた結果が現状だ。いまのおまえだ」
「……」
「母親からプレッシャーがあって、抗って浅野と結婚するんだって話を、おまえはおれにすればよかったんだ」
「……夜鷹に話しても意味がない。共感はされないから」
「おれは、おまえに本当に必要なのは、共感でも慰めでもなく、肯定だったと思うけどな」
青ははっとして夜鷹の顔を見た。夜鷹は笑っている。
「おまえはおまえでいいんだ、という、肯定。自分で決定した意思を、もしくは自分という人間の元からの性質を、認められること」
「……」
「おれはおまえを否定しない。おれたちは同化することはないが、おまえがおれと別の身体と思考を持った別の個体であるから、おれはどこへでも行ける。いいか青、おれはおまえがおまえの身体と精神であることの方が重要なんだ。違っている、ということは生物の進化そのものだ」
「進化か」
「違っているから生き延びて繁栄してんだよ。この星でな。おれもおまえも同じだったら、おれはおまえを愛してなんかいない」
「……分かる、」
青は頷いた。
「なら、いい」
「夜鷹、帰ろう」
「おれの家ここだけど」
「おれの部屋にしばらく泊めろ、とおまえは言った」
「そうだっけな」
夜鷹は頭を掻いて青の傍へ寄った。
「今夜はひとり寝にさせるなよ」
曖昧に笑うと、不服そうに鼻を摘まれた。
← 29
→ 31
「ご無沙汰しております」
玄関で出迎えてくれたのは、夜鷹の父親だった。大学にはまだ勤めているが、退官間近だとは聞いている。ずいぶんと老けたが、年数の経過は青も同じだ。夜鷹の父親は「やつはそのうち戻ると思うから上がって」と昔と変わらぬ気安さで家に招いてくれた。
「これ、すぐそこで買ったもので申し訳ないんですが、」
「お、枇杷だ。美味しいよねえ。ありがとう」
「お邪魔でなかったですか? 大学は?」
「今日は午後からでね。もう間もなく出る。でも夜鷹が戻るから、ああ、夜鷹の部屋で待つかい?」
通されかかった居間の手前で足が止まる。
「夜鷹の部屋、まだあるんですか?」
「あるよ。もっともベッドと机と本棚程度だけどね。孫たちがたまに泊まりに来るってのもあってそのままにしてる。でもまあ、この先は分からないかな。大学を退職したらミラノに移住する予定でいま準備してるんだ」
「イタリア?」初耳だった。
「うん。奥さんも仕事を退職したから、いい機会だと思って。孫もだいぶ大きくなったし。夜鷹がこっちへ戻ってくる可能性もあるようなら家自体の処分は先延ばしてもいいかもしれないけど、こればっかりはやつと話さないとなんとも言えない」
「そうですか……」
「青くんもイタリアに遊びにおいで。案内するよ。パスポートは持ったかい?」
「新婚旅行のために取得はしましたが、その後はどこにも行かずで期限切れです」
「じゃあ手続きは夜鷹にでも任せればいい。療養休暇で暇してるらしいからね」
「……夜鷹の部屋に行っていいですか?」
「どうぞ。僕はそろそろ出るから、お構いも出来ずに申し訳ないね。ゆっくりして行って」
「ありがとうございます」
階段を上がり、部屋の扉を押し開けた。まめに換気が行われているらしい部屋は、以前よりはるかにものがなく、すっきりと片付いていた。ベッドに腰掛ける。この部屋の窓から様々なものを見た。夜になれば望遠鏡を構えた。バイトから帰宅する夜鷹の頭のてっぺんも見た。息を吸い込んでベッドに横たわる。夜鷹。夜鷹。
目を閉じる。雨音が耳に心地よい。うとうととまどろみ、目覚めると夜鷹が部屋の窓に背を向けて青を見ていた。あの黒い目で。
「――傷、診てもらえた?」
「ああ。経過はいいから、あとは抜糸のときでいいってさ。――ずいぶんと派手な傘だな」
「借り物なんだ。あれの下で歩くのはおれも恥ずかしかった。夜鷹、」
「あ?」
「夜鷹とおふくろに関係性はないと思っていた。会わせたことはないはずだから。でも、それにしてもやけにおふくろに詳しいし、感情を持ってるよな。なにか、……おまえもおれに喋っていないことが、あるか?」
そう訊ねると、夜鷹はふーっとため息をついた。
「ようやくそこへ辿り着いたか」
「……なにがあった、」
「電話がかかってきただけだ。一回目の電話は高校一年のとき。いつも息子に手紙をありがとう、と言われた。感謝の体裁で中身は非難だったよ。釘を刺したんだ。あんまり息子に近づいて、余計なことを吹き込むな、と」
「……二回目は?」
「高校三年のとき。息子が東京の私立大学に行きたいと言うのは、おれのせいかと言われた。そんなのは青が決めることだから知らねえ、と言ったがな。おれはおまえにとってよくない友人であるようだから、交流を控えてくれと言われた。守りはしなかったけどな」
「……三度目が、あるか?」
「大学四年のときだ。息子は就職と結婚が決まったから、もう関わらないでくれと言われた。普通の道を進ませたいから。おれみたいにアカデミックな環境に育ってなんでも学歴で解決できる才能は息子にはない、普通以上を望ませたくないと言った。くそくらえだ。親の価値観を子どもに押し付けるんじゃねえよと罵ったが、火に油だったな。金輪際関わるなと言われた。電話はそれきりだ」
「……」
「なあ、青。母親に『普通』を望まれていた事情はなんとなく分かったよ。昼間の道を、と言っていたおまえの言葉を理解した。でもな、『普通』ってなんだ? おまえは『普通』を選択したが、結果はこの有様だ。淋しいと口にして、ひとりぼっちだろ」
「おまえに言われてからは、言わないように我慢してるよ」
「おまえは寝相に癖があるな。身体を丸めて、自分の身体を自分で抱いて寝るんだ。変わってねえなと今朝思った。……人は、ひとりだ。個体でしか生きられない。ひとつの身体にひとつの心臓で生きる。淋しかったら自分で慰めるしかないってのを、おまえはとっくに分かっている。それを理解と言うんだが、どうしても拒んでいるよな。共有や共感を得たい。それで散々足掻いた結果が現状だ。いまのおまえだ」
「……」
「母親からプレッシャーがあって、抗って浅野と結婚するんだって話を、おまえはおれにすればよかったんだ」
「……夜鷹に話しても意味がない。共感はされないから」
「おれは、おまえに本当に必要なのは、共感でも慰めでもなく、肯定だったと思うけどな」
青ははっとして夜鷹の顔を見た。夜鷹は笑っている。
「おまえはおまえでいいんだ、という、肯定。自分で決定した意思を、もしくは自分という人間の元からの性質を、認められること」
「……」
「おれはおまえを否定しない。おれたちは同化することはないが、おまえがおれと別の身体と思考を持った別の個体であるから、おれはどこへでも行ける。いいか青、おれはおまえがおまえの身体と精神であることの方が重要なんだ。違っている、ということは生物の進化そのものだ」
「進化か」
「違っているから生き延びて繁栄してんだよ。この星でな。おれもおまえも同じだったら、おれはおまえを愛してなんかいない」
「……分かる、」
青は頷いた。
「なら、いい」
「夜鷹、帰ろう」
「おれの家ここだけど」
「おれの部屋にしばらく泊めろ、とおまえは言った」
「そうだっけな」
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「今夜はひとり寝にさせるなよ」
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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