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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 居間のソファで睡眠を取り、目覚めると朝で、誰もいなかった。そんなに深く眠った気はしないのに、いつの間にか日が高い。テーブルの上にメモが一枚置かれていた。流れるような筆跡はよく見慣れたものだった。
『病院から実家 今夜は戻らない 夜鷹』
 瞬時に、逃げられた、と思った。ついに。とうとう。また。いろんな副詞が浮かんでは瞬いて消える。当たり前か。青は夜鷹に淋しいと縋っておいて、なにも行動を起こさなかった。夜鷹に求められれば応じたけれど、自分から向かう勇気がない。
 母の「普通」を理由にしている。まだ「普通」に戻れると思っている。
 妻を心から愛せなかったことを罪に思っている。自分から婚姻を望んだのに、それが裏切りのはじまりであったことは青の過ちだ。
 夜鷹の真っ黒な瞳に怖じている。あの目で全て見透かされて、青が怖くて開けられない蓋をやすやすと開けてしまわれそうで、怖い。
 もしくは「おまえはそんなものだ」と見限られてしまうのが。
 頭をガリガリと掻き、シャワーを浴びて身支度を整え、出社した。
 所属する部署に顔を出し、上司にこちらの状況と仕事の進捗を聞いた。「いまは手が空いている方だから休暇は問題ない」とのことで、「なんなら溜まっている有休を消化してくれると助かる」と軽く笑われた。だからという訳ではないが、総務課に確認すると青の有休は確かにたっぷりとあった。忌引きの後は有休扱いにしてもらうようその場で書類を書き、しばらく出社しないことにして会社を後にした。
「吾田くん」
 会社のエントランスを抜けようとしたところで呼び止められた。同期の女子社員だった。「これからお昼買いに行くとこ。途中まで一緒にいい?」と言われ、断る理由を見つけられない。
「あ、雨。吾田くん傘持ってる?」
「いや、」
「あたし折り畳みあるんだ。旦那以外の男と相合傘とか久々」
「旦那さんと相合傘するんだ」
「するよ。デートの時はね。わざわざ傘を忘れて出かけるの。どっちも持ってないと雨宿りになって、それも楽しい。そういうのが夫婦円満的な、うちのコツ」
「うまくやってるんだ」
 苦笑しつつ、背の低い同期から傘の柄をさらって歩き出す。駅へ向かう途中にあるベーカリーで昼食を買う予定だと言い、黄色い派手な花柄の傘の下を並んで歩く。
「梅雨入りしたみたい、今日」と隣から声がした。
「ああ、そうなんだ」
「でもあたし、梅雨ってみんなが言うほど嫌いじゃない。雨の日、好きだし」
「雨の日にデートするぐらいだもんな」
「そうそう」
 パラパラと小粒の雨が傘を叩く。傘からはみ出る青の肩も濡らす。夜鷹の肩はいまどうだろうかと考えた。病院に行って、経過を診てもらえただろうか。
「おれは、嫌い」と答える。同期が顔を上げたがその顔は見ない。
「雨が降れば観測は出来ないし。夏休みまでまだ先だし。この時期は焦れて鬱屈するんだ」
「観測? 星でも見る趣味あったっけ?」
「子どもの頃の話。早く梅雨明けないかなってずっと思ってた。いまも憂鬱になるな。親を亡くして、間もないからかも」
「吾田くんてさ、奥さん亡くしたのもこんな時期じゃなかった?」
「……よくご存知で」
「よく覚えてるもん。同期入社の人があっという間に結婚して、あっという間に独り身になったなって思ってたから」
「そう」
「その後、いい人いないの?」
「……色々と難しくて、」
「ご存知でしょうけど、あたし病気で仕事も子どもも両方だめです、って時期があって。結局子ども諦めて職場復帰できただけいいよねってなってるんだけど、」
 ベーカリー手前にある橋に差し掛かり、同期は足を止めた。
「健康な身体のうちにやっとくべきことがたくさんあったなって、思ってるよ」
「……」どこかで聞いた話に声が出ない。
「だから吾田くんにいい人がいて、その人も吾田くんも身体がいまの形を保っているうちに、やれることやっといた方がいいよって、そういう話。充分分かってると思うけど、身体から魂抜けちゃったらなんにも出来なくなるからね」
 青を見上げる同期の顔には、入社したての頃には見えなかった皺があった。まだ三十八歳、けれどもう三十八歳。いまの身体を保てる時間なんて、すぐ終わる。
「……なんだか最近は、生死を彷徨って生還した人から叱られることが多いよ」
「え?」
 青の台詞に、車の往来が重なった。聞こえなかったらしく、同期は「ごめんもう一度言って」と答える。
「いや、ありがとうって言ったんだ」
「そ? じゃああたしここで。次会うの来月かな?」
「そうかもしれない」
「あんまり落ち込まないで、元気にしてて」
 ベーカリーの前で同期は青に傘を押しつけた。
「いいよ。会社まで戻るのに濡れるだろ」
「元気で戻ってきた証拠に返してもらうから。この先まだ駅まで道があるからね。じゃ」
 颯爽と店内に入っていく同期の背を見送り、頭を下げて予定を変更した。スマートフォンで呼び出したが応答はなかった。鳴らすのを諦めて別の方向へ向かう電車に乗る。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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