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叔父に後のことを託し、Nから東京へ向かう新幹線に乗る。
車中、夜鷹はずっと眠っていた。青の肩に頬を置いて、目を開けることはなかった。
車窓を向くと、暗闇に光る車内で自分の顔が鏡のように映った。その顔を見て、青は妻が亡くなった十二年前のことを思い出す。あのとき、夜鷹は博士課程の途中での帰国だった。たった四年足らずで終焉を迎えた夫婦生活のこと聞いて、夜鷹は「自分の顔見てみろよ」と言ったのだ。
「いまの顔、覚えておけよ。辛い気持ちを忘れるな、あとで生きると言ったのは、おれの親父だ」
あのとき、夜鷹が心底うらやましかった。いい親の元、いい家庭に育ったのだと思った。
青の母親は、本来の体質から言えば身体の強い人ではなかった。それでも大学まで進み、教員養成課程を修了して教員免許を取り、公立学校の国語科教員として勤めた。教材販売の営業に来ていた父親と知り合い、結婚する。父親の勤め先に合わせて引っ越したため、青の出生地はいまの実家がある土地ではなかった。
母親は身体の弱さが影響して、青ひとりしか産むことが出来なかった。父親は子だくさんの家庭を望んでいたというから、夫婦の方向性はずれていた。結局父親は浮気をして、それを許せなかった母親に離縁を申し込まれて別れた。父親は青を引き取りたがったそうだが、母親が「子は母といるべきものだ」という考えを捨てられず、青は母親の元、祖父母のいたいまの家にやって来た。小学校に進学する年の冬の終わりだった。
「子は母といるべきもの」。母の人生はこれに執着した、と言っていい。青が智美らと仲良くなって帰宅が遅くなると、必ず注意された。サマースクールに行ってみたいと申し出ても、「まだ早い」と理詰めで諭される。ようやく許されたのは地元の少年自然の家で行われるサマースクールで、そこで夜鷹と出会えたのは奇跡のようだった。
勉学の楽しみを知る人ではあったので、青がそれを望めば、与えてくれはした。けれど離婚した父親に会うのは許されなかった。一度、夜鷹と交わした手紙を読んでいる母を目撃したことがある。青より先に封を開けることはしなかったが、青が封を切った後で保管しておいた菓子の缶から手紙を抜き、母は無表情で読んでいた。青に見られているとは気づかず、また青も、言い出せなかった。
県外のサマースクールは、渋い顔をされた。それでも祖父母が生きていたころだったので、彼らがなんとか説得してくれた。夜鷹が短期留学をしたと聞いて青も市の交換留学生の制度に申し込みたいと言ったのだが、これは却下された。子どもだけで海外などとんでもない、という話だった。
「でも、夜鷹は同い年でもう何度か海外へ行っている」と言うと、母親は「東京の子ね」と言った。
「彼は両親健在で非常にアカデミックな環境に育っているから、構わないのよ。そんな子と同じだと思ってはいけない。青、あなたにはお母さんしかいないのよ。あなたにもお母さんしかいないの。その中で身の丈に合った暮らしをしなければならない。海外なんてとんでもない。普通に暮らせるだけ私たちは幸せなのよ」
ことごとく「普通」を望まれた。奢らず、卑下せず、一般的な、よくある家庭。望みすぎてはならず、かと言って非行に走ってはいけない。それは紛れもない抑圧であり、反発するように陸上部で走った。「健康な身体になる」と許された部活動。けれど上位に食い込む結果は、やはり母の期待を裏切るものだった。欲を出してはいけない。一番になれるなどとんでもないから、高みを目指してはいけない。
東京の私大への進学を後押ししてくれたのは、母ではなく、祖父だった。
母は地元の国立大学に進学し、市役所職員などの公務員に就くことを望んでいた。そう示された。夜鷹に誘われたのだけが理由ではなかったが、それには抗った。とにかく家を出て東京に行きたかった。夜鷹の傍で暮らしてみたかった。私大の対策講座の費用を出してくれたのは祖父で、自営業で細々と貯めた金を孫の青のために惜しまなかった。こっそり会っていた実父も、「家には幼い子がいてあまり出せないけど」と言いながら進学費用を支援してくれた。青が東京へ向かう日、母は「すぐに帰ってくるのよ」と言ったが、守るつもりはなかった。実際、帰りはしなかった。
夜鷹への気持ちを恋だと意識したのは、思春期の割と早い時期だった。「普通」を望む母に言える事柄ではなかった。胸に仕舞い込んだまま夜鷹の傍にいられる喜びの一心で上京し、それでも就職活動のころになると胸は塞いだ。連日のように寮あてに母親から電話があった。こっちへ戻ってくるのなら就職先はここ、公務員試験の対策講座が、という内容で、青が東京での進路を考えていることは、全く考慮の外だった。
夜鷹と一緒にいたかった。傍で生きてみたかった。けれど「普通」の足かせが常に青の両足に嵌まっていた。そんなころに浅野千勢と出会えて、話が出来たのは、神様の指針なのだと思った。これに乗らないと強制的に地元に連れ戻され、母の傍で母の望む女性と暮らす選択肢しかない。そう思い、母への言い訳じみて千勢との婚約を決めた。そのうち子どもでも出来たらそっちで暮らすのもいいと思うから。いまは彼女とこっちで暮らすから。
淋しさが常に心臓に膜を張って覆い込んでいた。満たされない思いを淋しいと口にし、他人からの抑圧を淋しいと表現した。酔って夜鷹とキスをしたとき、歓喜と、自制が、交差して渦を巻いた。こうやって夜鷹と共にいたい。母を裏切れない。普通でいなさい、と脳内で母が通る声で道を示す。叫び声にも聞こえた。
普通を。普通でいなさい。普通で一番よ。
淋しい。淋しくて寒くて、震えが止まらない。
大学生活を終えて夜鷹も遠くへ行った。千勢との生活が始まる。青の就職先は医療機器の開発とメンテナンスを請け負う会社の技術開発部門だった。天文とはもうなにも関わらない。星空を見上げない。
千勢は優しく、青に寄り添ってくれたが、青を満たす存在ではなく、彼女にとってもそれは同じことだった。
彼女は愛されたかったのだな、と思う。いまならよく分かる。お互いに優しすぎて、踏み込めなかった。他人行儀のまま進行した夫婦生活を、誰もが責めることが出来うると思う。千勢が事故に遭ったと聞いたときは心臓が冷えたが、一緒に亡くなった男がいたと聞いてどこか安堵もしてしまった。
帰国していた夜鷹を呼び出して、駅近くの居酒屋で飲んだ。妻の訃報を聞いた夜鷹は、いつも通りの乱暴さで「痛い自分の顔をよく見とけ」と言った。それがいいなと思った。目をそらしてかわいそうと、夜鷹は言わない。
だから青も淋しいと口にしたい気持ちを何度もこらえた。淋しくない。淋しくはない。これぐらいの痛みには、耐えられるはずだ。
事故の後、かろうじて出席した葬儀から帰る途中の母の台詞の方が、よっぽど青を痛みで裂いた。
『でも、浮気されるなんてよくある話程度に、おまえが普通でよかったわ』
義理でも娘となった女性の死を悼む言葉ではなかった。
「次は東京、東京です」
車内にアナウンスが流れる。窓の外に建物からの明かりが増えて来た。肩にもたれて眠っている夜鷹を起こそうとして、首を傾ける。髪を切ったばかりの夜鷹の、独特の整髪剤のにおいが鼻先をかすめた。
母親がくも膜下出血で死ぬぐらいの普通でよかったじゃないか、と夜鷹なら言うだろうか。
いや、かわいそうだなと夜鷹は同情もせず嘲笑するだろう。青は夜鷹の髪に顔を埋めた。
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短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
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甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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