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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 ずき、と心臓が痛み、顔を上げた。
「そのモビール、青沼への誕生日プレゼントか」
「……」
「ばかだな。こんな天気の日に、いつまでも大切に持って」
「……先生は赤城先生と青沼のこと、知ってたんですね」
「まあな」
「赤城先生から聞いた?」
「気付いただけだ」
「どうやって?」
「見てりゃ馬鹿でも気付くさ。……見てりゃあな」
 そこで柾木は息をつく。思うことあって顔をあげた。向かいにいる柾木はこちらを見ていない。頬杖をつき、窓の外を見ていた。案外通った鼻筋をしているのだと気付いた。
 この人もか、と答えが導き出される。
「赤城先生が好きですか」
「ノーコメント」
「いつから?」
「ノーコメント」
「おれが青沼を意識したのは二年にあがってはじまりぐらいでした。進路が同じで話すようになったころ。赤城先生と柾木先生も、高校の同級生だったんですよね。やっぱりそのぐらいのころから、とか?」
「……ノーコメント」
「……おれたちばかですね」
「それは」
 柾木は頬杖を外してこちらを見た。驚くぐらいに暗い目をしていた。S美に進路希望を出したはじめの面談のころより遥かにずっと。
「そう思うよ」
 絶望がそこに横たわっている。行く手を塞ぎ、遮り、阻み、後退さえ許さないような。
 思い出し、スマートフォンをひらいた。画面を操作してピクチャを表示させる。あれから何か月も経ってしまったのでその後に次々と撮った写真に埋もれてなかなか操作が思うようにゆかない。それでもようやくたどり着き、それを柾木に見せた。
 柾木はすっと目を細め、そのまま目を閉じた。見たくない、というふうに。
「誰だか分かんないですね、こうやって改めて見ると」
「いや、分かる。……いつ撮った?」
「去年の大晦日」
「SNSでばら撒いてないだろうな」
「そんなことはしないです。でもバックアップは取ってある。……この写真、ひどいのに好きなんですよ。賞に応募でもしたいぐらい。自分で自分の胸ひらいてずたずたに切り裂いてるような気分になるのに、どうしても消せない。あいつらこんなにお互いが好きだって、……いいな、って」
 しばらく画面はそれを映していたが、やがてモニターがオフになって暗く消えた。カフェラテは冷めてしまっている。もう飲む気にもなれなかった。
「これ撮ったとき、こんなひどいことがあるのか、と思いました。好きなやつがいて、そいつと誰かが抱き合ってるところなんて見たくもなかった。でもおれの中でなにかが衝動を叫んでて、いつの間にか撮影してた。自分がふたりいることを自覚して気持ちがばらばらで、ぐちゃぐちゃで。けど、どこかで、……これを青沼に知らせたらおれは共犯者みたいになれるのかな、そういう結びつきだったら青沼はおれをただの友達以上にして、離れられなくなるかなって、……思った、それが、本当に狡くて、醜くて、嫌で」
 柾木は黙って目を閉じている。
「程度の淡い、どうでもいいような恋だと思ってました。話せるだけで嬉しい、みたいな感じです。それでいいと思ってたのに、ちゃんと最低な感情は用意されていて、この写真撮ったきっかけでいまや赤城先生と青沼の話ならたいがい知ってる。聞くたびに胸が苦しくて、痛い。でもどこかで自分は望んでるんです。おれにだったら青沼はなんでも話してくれるっていう変な自負で、ばかみたいに嬉しいんです」
 蓋をしてきた台詞をあらかた吐いた。泣きそうになるほど鼻の奥がツンと痛いのに、涙は出てこなかった。もし柾木が変に同情でもしてきたら泣いていたかもしれない。けれど柾木は自身の痛みと慈朗のそれを、分けた。自分自身の想いはその人だけのもので、決して共有できないと、柾木は知っていた。
 そのことこそが、慈朗にとって優しかった。
「……すみません、喋りすぎました」
「モビール」
「え?」
「その紙袋の中身。おれがもらう」
「でも、さっき落として、部品外れたり曲がったりしてるみたいで」
「直す気、あるか? 直して、青沼に渡す気が」
「……いえ、……ごみにでも出したい気分です」
「だろうな。やめとけ。おれがもらう」
「……」
「帰るか」
 と、柾木は立ちあがる。ふたりともコーヒーは飲みかけだった。荷物を入れていたかごから柾木はさっと紙袋を掴み、乱暴に横抱えにする。そんな雑に扱うんだ、と思ったら、暴風雨のように荒れていた心がちょっとだけましになった。
「S美のポートフォリオ、まずは作ってみろ。で、見せろ。最初から完璧なやつが来るとは思えないからな。それにおれが直しを入れる。そうやって何度も手直しをして作ってく」
 店を出ていきなり言われたのは、進路の話だった。慈朗は面食らう。
「鉛筆デッサンは、下手でも一応続けろ。いつかもしかしたらの選択肢になるから」
「はい」
「気をつけて帰れよ」
 じゃあな、と言って柾木は紙袋を抱えて立ち去ろうとする。ふと慈朗は空を見あげる。みぞれはおさまっていて、雲が割れて、ぼんやりとした月が出ていた。
「先生」
 つい叫んでいた。柾木が振り向く。慈朗は天に指をさした。
「月が綺麗です」
「いきなりなんの告白だ」
「え?」
「いや、いい」
 興味なさそうに、それでも束の間空を見あげ、おやすみ、と言って柾木は足早に去った。


 四月になって三年生になった。無事に進級を果たしたその日、柾木に用事があって進路指導室を訪れたがいないと言われ、美術準備室に足を運んだがやはり見つけられなかった。
 準備室にいたもうひとりの美術教諭に「午後から半休で帰られたよ」と言われ、そうですかと去ろうとしたときに慈朗は窓際にぶら下がる模型を見つけた。
 ひしゃげた金属は別の形になっていたし、破けた羽には色紙が足されていた。決して元通りではなく、慈朗が作った繊細な形とは遠い。
 けれど丁寧に手を入れたことは分かる。陽の光に当たってきらきらと眩く揺れる、飛行船のようなモビールがそこに吊るされていた。


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 そんな声で呼ぶんだな、と思った。
「あれ? アヤも一緒だ」
 アヤ? と聞き慣れぬ音に戸惑いながらも赤城の視線の方向に目を凝らす。青沼と歩調を同じにこちらへやって来る影がひとつあった。ふたりは信号機を待ってちょうど道路の向かい側に並んだ。よく見ればひとつの傘をふたりで分けてつかっている。
「青沼、と、柾木……先生?」
「そうだね。ふたりともこっちに気付いたかな」
 本屋の入口へ向かう赤城を追いかける。歩きながら「アヤって呼んでるんですか」と疑問を口にした。
「柾木先生のこと」
「うん、学生のころからの癖だね。学校では柾木先生と呼ぶけど、こういう咄嗟のときはどうしてもね、下の名前で呼んじゃう」
「下の名前?」
「そうだよ、下の名前」
 やがて信号機が変わり、ふたりはこちらへ進んできた。赤城と慈朗も本屋を出る。本屋の軒下でふたりと合流した。気付いた青沼は「珍しい組み合わせだな」と慈朗にはにかんだ。
「スマホ、返事しなくて悪かったな。予備校行っててさ。今日が初日だったから緊張してて、返信してる余裕なかった。実技のあいだはミュートにしてたし」
「いや、お疲れ。なんで柾木……先生と一緒?」
「そこですれ違った。先生、傘差してなかったから駅まで入りますか、って」
 傘を畳み、ようやく青沼は赤城と目を合わせた。「先生、こんばんは」とよそよそしく言う。だがその声音にはなんとも甘い響きがあった。赤城も嬉しそうに「予備校お疲れ様」と言う。
「アヤもお疲れ様」と赤城は柾木に言った。柾木は憮然とした表情で「ああ」とだけ言う。それから赤城に伴っていた慈朗を上から下までじっとりと見て、「なんでおまえはまだこんなところにいるんだ」と聞く。
「進路指導室の片付けしながら、つい過去の受験ファイルとか眺めちゃってました」
「S美の映像科をあの高校から受けようってやつはおまえがはじめてだったと思うぞ」
「うん、――じゃない、はい。だから別の学科のも、美大のも、色々とあれこれ参考に」
「まだそれ持ってたのか」
「え?」
「モビールだろ、紙袋。濡れないか」
 柾木が指摘したのは先ほど柾木に調子に乗って見せた、青沼に渡すはずのモビールだった。それでつい頬を赤くしてしまった。慌てている慈朗に、青沼は「モビール?」とこちらを向く。
「あ、そうなんだ、作って、……それで、」
「え、見たいなあ」
 青沼のひとことが嬉しかった。同時にとてつもない虚しさに襲われた。これは青沼にあげるものだからと頭の中で台詞を考えつつ青沼へ紙袋を渡そうとして、紙袋はするりと慈朗の指先から落下した。みぞれがいけなかったらしい。水分でふやけた紙袋の持ち手が切れてしまったのだ。
 金属のこすれる鋭敏な音がした。
「――あっと、すまん、おれがちゃんと受け取らなかったから、……大丈夫?」
「いや、だいぶ繊細な造りだったからわかんない、見てみないと……」だが紙袋の底面に手を当てて状況は語らずとも分かった。部品が離れ、カチャカチャと音がする。おそらく金属も変形している。
「……また家に持ち帰ってちゃんと見てみるよ。今日は、ちょっと、」
「なんかごめん、……直るといいけど」
「気にすんなって。直せばいいんだ」
 隠すように紙袋を掻き抱く。すまん、と青沼は必死で謝り倒してくれたが、慈朗の中ではそんなことよりもこの自信作を今日渡せない、ということの方がよっぽど悔しかった。もっとも、今日渡すとは告げていない。「またな」と言うと青沼は申し訳なさそうに「うん」と答えた。
 もう、この場にいたくなかった。慈朗は咄嗟に柾木の腕を掴む。
「先生、ちょっと進路のことで相談したいことあるんで、一緒に帰りがてら話聞いてくださいよ」
「え?」
「おれ、行くな。赤城先生、青沼、さようなら。また明日」
「あ、うん……」
 半ば強引に、剥がすように赤城と青沼から離れて駅の構内へと向かう。急ぎ足で、でも柾木の上着の袖は掴んだままで、強引に歩く。ある程度ふたりから離れたところで、柾木に「どっか入りませんか」と言った。「寒い」
 柾木もなにかを察したようで、「そこでいいか」とコーヒーチェーン店を指した。
 店内はさほど混んではいなかった。レジカウンターで注文と会計を済ませ、甘ったるいカフェラテを手に席に着く。柾木はブラックコーヒーだった。情けないと思いつつ、手を額の辺りで組んで、はあ、とうなだれた。
 柾木はなにも言わない。聞こうとしない。その沈黙がありがたかった。慈朗には話したいことがたくさんある。
 温かなカフェラテをひと口飲み、「先生って、アヤって言うんですか」と関係のないことを喋った。
 面白くなさそうな顔で柾木は「そうだよ」と言う。
「柾木理(まさきあや)」
「そうだな」
「理科の理って、そう読むんですね。てっきり、オサムとか、サトシとかだと思ってました」
「字は気に入っているが、読みは気に入らねえんだ。呼ぶなよ」
「おれが呼んだら変じゃないですか」
「おまえらの年齢はすぐに調子に乗るからな」
 また沈黙が出来る。諦めて慈朗は「今日、誕生日なんですよ」と告白した。
「おまえの?」
「青沼の。……だから赤城先生はプレゼントの包み抱えて駅前の本屋で青沼を待ってたんですね」
「ああ、……」
「高い写真集まで衝動買いしちゃってさ。おれなんか欲しくても買うのにためらうような本。……それで、これから、……あのふたり、」
「そこまで考えんのは野暮だから、やめな」
「うん、……」
 柾木はコーヒーを口にする。慈朗の体の中は、ぐるぐると嫌な感情が渦巻いていた。あのモビールを、完ぺきだったはずのモビールを、青沼に渡して、見せて、あっと驚かせて、それからはにかむ顔が見たかった。――叶わなかった。
 しばらく黙っていた柾木が、コーヒーの紙コップを置いた。それからうなだれる慈朗に「青沼が好きなんだな」と言った。


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 雨が当たっていた。雪が混じっていたのでみぞれと呼ぶべきかもしれない。紙袋に包んだモビールがまだ手の中にあることに途方に暮れていた。連絡を試みたが、青沼からの返事はなかった。
 自転車通学、傘は持っていなかった。それでもなんとか駅前まで出たが、天候はひどくなる一方だった。駅の駐輪場に自転車を置き、家に帰ろうかと考える。いつもならこういう日は迎えに来てくれる父や祖父も、今日に限って職場の飲み会だとか、シルバーなんとやらで、めどが立たなかった。
 紙袋の中身がなによりも大切で、怖くて学校には置いていけなかったほどだ。駅の西側にある駐輪場に自転車をなんとか停めて、構内へと歩いてく。青沼からの連絡はまだない。予備校に行っているかもしれなかった。今日会えなかったら明日、また学校へ行けば会えるだろう。そう思うのに、今日にこだわっている自分がちいさく厭らしいように思えた。
 本屋の前を通ると、熱心に棚を見ている人とふとした隙に目が合った。どこかで見たことがある、と思ったら相手は笑った。笑って手を振る。大人の男とは思えぬ天真爛漫な笑みを見てつられるように本屋の入り口をくぐった。歩いている最中に名が出てくる。国語科の赤城詠智(あかぎえいち)だった。
 青沼が好いている男だ。
 こんばんは、と挨拶すると、赤城は「まだ帰ってなかったの」と制服姿を認めて微笑んだ。
「――いや、なんとなく逃しちゃって、その、帰るタイミングを」
「ああ、そういうときあるよね」
「赤城先生は職員会終わったんですか?」
「うん? そう、終わった。終わってちょっと、待ってるところ」
 赤城が見ている棚は雑誌の類の並ぶ棚だった。実用書から趣味寄り、といったところだ。不意に赤城が手を伸ばす。伸ばされた手の先にあるのは、花の雑誌だった。
「先生、ガーデニングとかするんですか?」
「いや、しないけど、興味はあるよ。この雑誌ね、えーと、多分この辺の」
 そう言ってパラパラとページをめくる。「ここだ」と言ってひらいたページには、土壁を背景に真っ青な花器に活けられた黄色い砂糖菓子みたいな花が写っていた。
「この雑誌のこのコーナーが好きなんだ」
「生け花ですか?」
「うん。この花はミモザだよね。このページを持っている人、その道では有名な華道家なんだ。この人がすごくてね。どんな花器でも花材でも、どこでも、その人の世界観で活けてしまう。昔からずっと好き」
 赤城は本をじっくりと見つめている。人目を気にせず、没頭しているのが傍にいてよく分かった。しばらくして「あ、新刊が出てるんだ、この人」と呟き、何度かタイトルらしきものを口にすると、すうっと隣から移動した。どうしてよいやら、とりあえずついて行く。レジまでやって来て先ほどのタイトルと作家名を告げ、店員に案内させて今度やって来たのは動物やペットのコーナーだった。
「あ、これか」と言い、赤城は平置きされた本を取る。先ほどのページにあったような花はそのままに、羽の美しい鳥が横に止まっていた。華道家が活けた花と動物とを組み合わせて写真に収めた写真集、というような趣向らしかった。
「――これは大胆なコンセプトだな。画面が華やかで綺麗。目を惹く」
「すごいですね。全部、鳥と?」
「猫や犬もいるみたいだよ、蝶とか」
 魅入るに充分な内容だった。大判なので重たいだろうに、赤城は熱心に一ページをめくる。中でも慈朗は椿の写真にやられてしまった。細い首をした銀色の花器に真白い椿が活けてあり、そこにいるのはやはり真っ白な鼠だった。
 呆けたように手元に見入っていると、気付いたのか赤城は「気に入った?」と訊く。
「――はい、すごいです」
「じゃあこれは、きみにも」
 そう言うなり赤城は本を閉じ、平置きされた同書をもう一冊取ってレジへと向かった。写真集だからいい値段がするのに、二冊あっさりと買ってしまう。別々の紙袋に入れられた本の片方を、どうぞ、と言って赤城は寄越した。
「受験、頑張って」
「おれに?」
「この本は写真家の腕もいいよね。動物を相手にするなんて根気もいったはずだし。参考にして、励んで」
 言いながらもう一冊を、片手に提げていた紙袋に添える。てっきり自分用にも買ったのだと思ったのだが、紙袋のふくらみを見てさすがに察した。今夜こんな時間でも待っている相手。今日という日にちのこと。
「もう一冊は、あの、」
「ん? あ、」
 と、訊ねるタイミングで赤城が顔を上げた。ウインドウの向こうを見ている。夜まで営業している店舗や街灯や信号機といった種々の明かりを背にして男が歩いてくる。コートの下に制服が見えた。「青沼」と赤城が、ちいさな蝋燭の火でもぽっと灯したかのように言う。


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「実績があるんだから、これ以上の説得力はないだろう。こういう作品を軸にいくつか自分の写真をまとめて、それを提出する。ただしポートフォリオ提出者の二次試験は必ず面接だ。だから様々な先生に面接指導もお願いする。その方向にしろ」
「……S美、受験していいんですか、おれ」
「受験したがってんのはおまえだろ」
「そうですけど、……柾木先生はだめだって言うんだと思ってました」
 だから進路指導の顧問でも応援してくれるはずがない、とも思っていた。
「おまえが希望してれば、それに沿うしかないだろ」
「青沼は?」
「あいつはデッサンがそこそこ出来るからな。このまま工芸科の一般入試でいいだろ。まあ、一、二浪ぐらいは味わうかもしれないがな」
「……先生って」
 ちゃんと先生なんですね、と言おうとしたが、きっと恐ろしい眼力で睨み返してくるだろうと思ったから言わなかった。だが柾木の、意外な真摯ぶりに、ただただ驚いている。
 目の前の教諭は、だるそうに肘をついた。
「写真が楽しいんだろ。楽しいことは、ちょっと苦しくなってもやれる。やりきったら、それだけ伸びる。伸びた分だけ楽しみが増える。そういう、連鎖」
 と言う。その台詞そのままを、このアングルでここから記録したいと思った。柾木の細い吊り目、ところどころに伸びた無精ひげ、癖毛でうねる黒髪。やけに色白な節のある手。オリーブグリーンのセーターとワイシャツの袖口から覗くヴィンテージの腕時計。
 衝立の向こうにいた別の教諭が「柾木先生、職員会の時間ですよ」と声をかけた。「行きます」と返事をした柾木は席を立ちあがる。「それ、片付けとけよ」とテーブルの上を指し、ふと慈朗の足元に置かれた紙袋に目を止めた。
「ホールのケーキでも家庭科で作ったのか?」
「違いますけど、……先生にも見せます。自信作ですから」
「食い物?」
「違うって……」
 箱から取り出し、慎重に包みをほどく。現れた模型に、柾木は分かりやすく目を丸くした。
「飛行船、……みたいなイメージの、モビール」
「モビール? 吊るすのか」
「はい」
「おまえが作った?」
「はい。設計図書いて、材料買って……」
 柾木はモビールには触れようとはしなかった。ただしげしげとよく眺めている。あまりにじっくりと見られるのでこちらの内心まで透かして見られているようで心もとなかった。
「おまえはさ」
 ひとりごとのように柾木は呟く。
「案外繊細で、芸術肌だな。進路は、――向いてんのかもしれない」
「……先生は?」
「あ?」
「S美行って、どうだったんですか?」
 尋ねると、目を直接覗き込むように睨み返された。「は」と嘲る吐息が漏れる。怒らせたような気がした。
 だが聞いておきたかった。
「憧れってのには一生手が届かないから憧れるんだなって、自分のふがいなさを痛いぐらい実感しただけだったよ」
「……」
「いまのはつまんねえ質問だな、雨森」
 片付けておけよ、と再度告げて柾木は行ってしまった。


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拍手[7回]


 まずは設計図を描く。いつも持ち歩いている小さなクロッキー帳にアイディアスケッチだけはしてあった。それをもとに、方眼紙に線を引っ張っていく。こういう線の方が格好いいかなとか、この角度はもっと鋭角にしたいな、とか。わりと緻密に描いたそれを元に、材料を買ってくる。ホームセンターで太めの銅線を、文具屋で紙を幾種類か。それとボンド、糸や紐、糊、筆。
 設計図に描いたとおりに銅線をペンチで曲げていく。空き瓶などを使って綺麗な弧を描くように巻き付ける。形が出来たらそこに紙を貼っていく。でんぷん糊を水で溶き、筆でつけて綺麗にピンと貼れるように、慎重に作業する。羽根が出来る。何枚も、大きさを変えて作る。
 ふと思いつき、それをまた設計図にした。イメージとしては飛行船の枠組みで、銅線で大きさの違う円を作り、繋げていった。重さが気になったがさほど重量感は出なかった。円形の胴体に紙は貼らない。銅線で作った円が綺麗だと思い、それを見せたかった。
 胴体の部分に羽根を組んでいく。吊るしながら、バランスを見て羽根を取り付ける。結構没頭してしまい、何日かに分けて作業することになった。仕上げに余分についた糊を丁寧に剥がし、やすりで整え、紐をつけて、部屋に一時的に張った洗濯紐にぶら下げてみた。
 紙の色は淡いグリーンからブルーにした。透かせば影が出来て綺麗だった。触れるとゆらゆらと揺れる。我ながらいい出来だった。いつか青沼に言われたモビールが完成した。飛行船に羽根がついたような造形で、モビールというよりは模型のようだったが、青沼は気に入ってくれるように思った。
 先日、三月のはじめに卒業式が済んだ。卒業していく先輩に「これで写真撮ろうぜ」と渡されたのはインスタントカメラだった。液晶もないので仕上がりが確認できないが、そこは機材を楽しめる性分だけあって、写真部の仲間と面白い写真が撮れたと思う。まだ現像はしていない。うまい写真が撮れたら先輩たちの実家や新居に送る手筈で住所も聞きだしている。
 慈朗の中にはまだ、わだかまりがあった。青沼という人間についてこのまま素直に付きあっていていいのかどうか。それでも慈朗は青沼のあの反応が嬉しくて、こうやってモビールを作ってしまった。渡すかどうかは決めかねているが、ひとまず梱包はした。
 どうするべきなんだろうか。
 青沼が悪いのか、そうでないのか。それでも青沼の中学校時代にひとりの人間の予定未来が崩れてしまったことは確かだし、それに伴って周囲も巻き込まれたのだ。その反省があるのかないのか、ひとまず青沼と赤城の関係は表沙汰にはなっていない。誤って噂にされた慈朗だったが、時間が経てば次第に落ち着いて来た。
 三年生はもう学校には来ないが、一・二学年はまだ授業が残っている。学校に行く際に迷って、結局梱包したモビールを紙袋に詰めて持って行くことにした。青沼に見せたかった。見せて、反応が欲しかった。
 自転車のためにしっかりと防寒をして、通学路を辿る。少しずつ風はぬるみ始めている。登校して授業を受けている合間に、同級生から「進路指導室に来いって柾木先生が呼んでる」と聞かされた。青沼も呼ばれているのかなと思いつつ、放課後、進路指導室に向かう。
 青沼もいるのかと思ったが、呼ばれたのは慈朗だけだった。机の上いっぱいに紙が広げてあった。よく見ればそれは慈朗がこれまでに描いてきた鉛筆デッサンだった。
「酷いもんだな」と柾木は嫌味っぽく言った。
「二年の終わりの時点でこれだけ描けてないくせに、おまえは本当にS美目指してますって言えるのか?」
「……来月から美大予備校通う予定なんで、そしたら」
「もっと伸びるってか? 形も取れない、ハッチングの線すらまともに引けないこんな絵が」
 柾木はまた、あの人を小ばかにしているような目でじっとりと慈朗のデッサンを見るのだった。そのほとんどは放課後、美術室で美術部員に混ざって描いたものだ。柾木は美術部の顧問のくせにろくに指導をしない。だからデッサンをしている部員に教わって、見よう見まねで描いた。デッサンの基礎など知るはずもなかった。
「――S美映像科の入試情報を改めて調べた」
 そう言って柾木は面倒くさそうに分厚いファイルを取り出した。中には過去にこの学校から美大進学を目指した学生による入試情報が挟んであり、他の大学に比べればこんなファイルは情報も頼りなく薄い内容のものだった。それでも一応ある。慈朗も何度かは覗いたことがあった。だが柾木が示したのはウェブから引っ張って来たと思われる入試要項だった。「この春から出願の方法が変わる」と柾木は言う。
「国語・数学・英語の三教科の基礎テスト、加えて鉛筆デッサンの実技と、二次試験は面接か小論文。これがいままでの入試方法だった。が、来年度から入試が変わる。三教科と面接または小論文は変わらない。だが、鉛筆デッサンの実技もしくはポートフォリオの提出に変わった」
「ポートフォリオ?」
「要は自分がこれまで撮って来た写真を集めてファイリングした、自作の作品集だ。もちろん規定はあるからこれに則って作らにゃならんが、おまえの場合、実技で勝負するよりは自分の作品を提示して臨んだ方が絶対にいい。おまえ、去年、全国高校総合文化祭の写真部門に県代表で出品してるな」
 そこまで柾木が把握していたことに驚いた。驚きつつ「はい」と答えると柾木はさらにファイルの他にいくつかのカメラ雑誌を取り出した。所々に付箋が貼ってある。「一般写真雑誌のユース部門にも何度か入選している」
 柾木は雑誌をぱらぱらとめくった。確かにカメラ雑誌には何度も投稿していた。慈朗はぱちぱちと目を瞬く。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

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短編「月の椅子」
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