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「……それよりも、この写真を出回らせた誰かがいるってことの方が問題なんじゃねえの、」
「まあな……」
「心当たりは?」
「ない。けど、気付いてないだけなんだと思う。おまえは疎いからって、よく言われるんだ」
「そうかな?」
「うん。ひとつに夢中になると周りが見えなくなる典型的なタイプ、らしいよ。あとは、そうだな。……どうもおれは『寄せる』タイプらしい」
「寄せる?」
「雨森には話したことなかったと思うけど、聞いたかな。なんかどうもね、おれは、おれが意図したかしないかにもかかわらず、そういうタイプの人間を寄せてしまうらしいんだ」
「そういうタイプ?」
「……男が好きな男とか、な。おれ自身にその気はないんだけど、ある一定のタイプの人間を、乱してしまうというか……」
「……」
「それがさ、おれの求めにかみ合っていればきっといいよ。きっと、赤城先生がそれだった。でも、そうじゃない人間もいるみたいで。だから中学のときに」
「……おまえが中学のときの話は、聞いた。人づての、噂の域の話だったけど」
「そっか。なら、話が早い」
あれは慈朗と青沼が付きあっていると噂が流れた際に写真部の仲間から聞かされた話で、ひどい噂だったと記憶している。もしあの噂が本当なら、当時の彼は、そして周囲は、相当に乱れたはずだ。またそれと同じことが起きようとしているかと考えると、気が塞ぐ。対処は早めにすべきだが、もうすでに親も学校に呼びされているというなら、事態はかなり深刻に、進んでいるのだろう。
「――なんとかしないとな。こういう場合、きっと責は赤城先生に重く取られるだろうから、……教師で、成人男性、という意味で」
「うん、そう、……先生、先生を辞めないよね?」
青沼の必死で悲痛な願いにも、慈朗はなんとも答えられなかった。
駅近くまで出てくると、一台の車がパンと短くクラクションを鳴らし、すっと近づいて傍に停車した。白いライトバンだ。またなにか展開があるのかととっさに身構えると、「おまえらふたりでなにやってんだ?」と運転席から声をかけてきたのは柾木だった。
「え、なんで先生? つか、車の運転できたんですか?」
「出来るよ、そりゃあな。学校には交通渋滞のこと考えて電車通勤してるだけだ」
「この車、先生の車ですか?」
「ばか、違う。学校で校務員さんが校務用に使ってるやつを借りて来た。知ってると思うけど、騒ぎがだいぶ大きくなっててな。職員は巡回に出ることになったんだ。遅くまで遊んでるやつがいないか、とかな」
それを聞いて青沼はあからさまにうつむいて見せた。「おまえがいちいち気にしても仕方ねえ、乗れ」と柾木は促す。「青沼のおふくろさん、息子がどこかへ出かけて帰らないって、学校に電話寄越したぞ」と言う。
「見つけたからには青沼を家まで送ってかなきゃいけねえ。時間も遅いしな。青沼の後で雨森も送ってってやるから、早くふたりとも乗りな」
そう言うので、青沼とふたりで後部座席に乗り込んだ。柾木が車を発進させる。思いのほか穏やかでなめらかな、車の構造を理解しきったやさしい運転だった、
「写真を流出させた犯人、見つかりましたか?」と青沼が柾木に訊ねる。
「いや、まだだ。あれだけもう拡散されているから、特定が難しくてな。……青沼、おまえ、あの写真は加工とかではなく、本物だな?」
「……そう、です。なにをしていたかまでは」
「言わなくていい。それはプライベートの話だ」
それからまた黙る。しばらくして青沼が「いま、赤城先生は」と訊いた。
「……ひとまず欠勤している。ひっきりなしに学校側と連絡は取ってて、今日、上席者が話を聞きにアパートまで行ってるらしいけどな」
「……」
「青沼、おまえは、黙ってろよ」
「え?」
「今回のこと。……事実があろうがなかろうが、おまえは黙秘してろ」
「でも、」
「こう言っちゃ悪いが、赤城も赤城だ。処分の程度は分からないが、一応、成人して働いてる大人だからな。相手が未成年、教師と生徒の間柄ってのは、本来なら教師としての枠から出ている。けど、それにしたっておまえが黙っていれば裏まで取れない。いいか、黙ってろ。大事なのは赤城よりも青沼の方だ。おまえにはこれから受験もある。受験の先には上級学校があって、さらにその先に社会がある。支えてく未来ってやつだよ。そういうおまえが、こんなことで時間を取られてる場合じゃない」
丁寧に車を動かし、滑るように青沼の暮らすアパートらしき建物も前に着いた。外には小雨が降っているというのに、アパートの軒下に女性が立っていた。どこかへ電話していたらしいが、青沼の姿を認めるとスマートフォンを仕舞って青沼の傍へ駆け寄った。「どこへ行ってたのこんな時間まで!」とか「あちこち電話して探してたのよ」と、疲労した顔で青沼に詰め寄る。
←(16)
→(18)
「まあな……」
「心当たりは?」
「ない。けど、気付いてないだけなんだと思う。おまえは疎いからって、よく言われるんだ」
「そうかな?」
「うん。ひとつに夢中になると周りが見えなくなる典型的なタイプ、らしいよ。あとは、そうだな。……どうもおれは『寄せる』タイプらしい」
「寄せる?」
「雨森には話したことなかったと思うけど、聞いたかな。なんかどうもね、おれは、おれが意図したかしないかにもかかわらず、そういうタイプの人間を寄せてしまうらしいんだ」
「そういうタイプ?」
「……男が好きな男とか、な。おれ自身にその気はないんだけど、ある一定のタイプの人間を、乱してしまうというか……」
「……」
「それがさ、おれの求めにかみ合っていればきっといいよ。きっと、赤城先生がそれだった。でも、そうじゃない人間もいるみたいで。だから中学のときに」
「……おまえが中学のときの話は、聞いた。人づての、噂の域の話だったけど」
「そっか。なら、話が早い」
あれは慈朗と青沼が付きあっていると噂が流れた際に写真部の仲間から聞かされた話で、ひどい噂だったと記憶している。もしあの噂が本当なら、当時の彼は、そして周囲は、相当に乱れたはずだ。またそれと同じことが起きようとしているかと考えると、気が塞ぐ。対処は早めにすべきだが、もうすでに親も学校に呼びされているというなら、事態はかなり深刻に、進んでいるのだろう。
「――なんとかしないとな。こういう場合、きっと責は赤城先生に重く取られるだろうから、……教師で、成人男性、という意味で」
「うん、そう、……先生、先生を辞めないよね?」
青沼の必死で悲痛な願いにも、慈朗はなんとも答えられなかった。
駅近くまで出てくると、一台の車がパンと短くクラクションを鳴らし、すっと近づいて傍に停車した。白いライトバンだ。またなにか展開があるのかととっさに身構えると、「おまえらふたりでなにやってんだ?」と運転席から声をかけてきたのは柾木だった。
「え、なんで先生? つか、車の運転できたんですか?」
「出来るよ、そりゃあな。学校には交通渋滞のこと考えて電車通勤してるだけだ」
「この車、先生の車ですか?」
「ばか、違う。学校で校務員さんが校務用に使ってるやつを借りて来た。知ってると思うけど、騒ぎがだいぶ大きくなっててな。職員は巡回に出ることになったんだ。遅くまで遊んでるやつがいないか、とかな」
それを聞いて青沼はあからさまにうつむいて見せた。「おまえがいちいち気にしても仕方ねえ、乗れ」と柾木は促す。「青沼のおふくろさん、息子がどこかへ出かけて帰らないって、学校に電話寄越したぞ」と言う。
「見つけたからには青沼を家まで送ってかなきゃいけねえ。時間も遅いしな。青沼の後で雨森も送ってってやるから、早くふたりとも乗りな」
そう言うので、青沼とふたりで後部座席に乗り込んだ。柾木が車を発進させる。思いのほか穏やかでなめらかな、車の構造を理解しきったやさしい運転だった、
「写真を流出させた犯人、見つかりましたか?」と青沼が柾木に訊ねる。
「いや、まだだ。あれだけもう拡散されているから、特定が難しくてな。……青沼、おまえ、あの写真は加工とかではなく、本物だな?」
「……そう、です。なにをしていたかまでは」
「言わなくていい。それはプライベートの話だ」
それからまた黙る。しばらくして青沼が「いま、赤城先生は」と訊いた。
「……ひとまず欠勤している。ひっきりなしに学校側と連絡は取ってて、今日、上席者が話を聞きにアパートまで行ってるらしいけどな」
「……」
「青沼、おまえは、黙ってろよ」
「え?」
「今回のこと。……事実があろうがなかろうが、おまえは黙秘してろ」
「でも、」
「こう言っちゃ悪いが、赤城も赤城だ。処分の程度は分からないが、一応、成人して働いてる大人だからな。相手が未成年、教師と生徒の間柄ってのは、本来なら教師としての枠から出ている。けど、それにしたっておまえが黙っていれば裏まで取れない。いいか、黙ってろ。大事なのは赤城よりも青沼の方だ。おまえにはこれから受験もある。受験の先には上級学校があって、さらにその先に社会がある。支えてく未来ってやつだよ。そういうおまえが、こんなことで時間を取られてる場合じゃない」
丁寧に車を動かし、滑るように青沼の暮らすアパートらしき建物も前に着いた。外には小雨が降っているというのに、アパートの軒下に女性が立っていた。どこかへ電話していたらしいが、青沼の姿を認めるとスマートフォンを仕舞って青沼の傍へ駆け寄った。「どこへ行ってたのこんな時間まで!」とか「あちこち電話して探してたのよ」と、疲労した顔で青沼に詰め寄る。
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「お茶とおにぎり置いとくわよ」と扉の向こうから声がした。部屋に入ってこない辺り、母親の察しがいい。部屋の扉を開けると盆に握り飯と魔法瓶、カップが置いてあった。「とりあえず食いな」と青沼に勧める。握り飯を受け取った青沼はなんとなく食欲がないようで、それでもひと口、ふた口と食べ始めると、あっという間にそれを腹に収め終えた。
自らも握り飯を齧りながら、慈朗はノートパソコンを立ちあげる。クローゼットの中に突っ込んでいたこれまでの写真データを収めた記録媒体も引っ張り出す。いまのところ慈朗はデジタルカメラを主に使っているので、画像はデータとして保存されている。フィルムカメラで撮ったものもないわけではないので、そちらは段ボール箱に収めていたものを青沼の前に置いた。
「これがおれの、大体だ」
「……」
「全部、とは言えないんだけど、でも大体全部。そのノーパソ使ってデータ片っ端から見てけばいいよ。フィルムは現像してないのもあるから、ライトボックス使ってネガ見て」
「……いいのか? 見られたらまずいのとか、あるんじゃ」
「そんな後ろめたい写真は撮ってない。写真をさ、おれは後から見たいんだ。ただ残したいって意味じゃなくて、ちゃんと鑑賞したいと思って撮ってる。撮れたらラッキーとかでシャッターは押さない。どのショットにも、意思を込めてる――つもりだ」
「これ、いつの分からあるの、」
「撮りはじめたころからだから、……小五くらいかな」
「それにしたら意外と数がないな」
「あ? まあ、あんまり簡単にシャッター押さないし。きちんとした一枚をきちんと収めてあれば、それ一枚で事足りるだろ? 面倒くさがりなんだ」
「……」
「好きに見な」
言い残して、自分は二段ベッドの下段に寝転んだ。なんとなく目を閉じた。カチ、カチ、と青沼がパソコンのマウスを操作する音が響く。それと雨音。
しばらく黙ってデータを見ていた青沼が、「これ、おれたち?」と呟いた。薄目を開けて青沼を確認する。慈朗の方を見ていたから、慈朗も起き上がり「どれ?」と傍に寄った。
ノートパソコンの画面に表示されていたのは、暗がりで抱きしめ合う男ふたりの写真だった。駅前の公園で撮ってしまったあの写真だ。慈朗は苦笑した。
「――そっか、あのとき撮った写真を全部は見せてなかった。スマホで撮ったから、こういう大きなモニターに映すと荒れるよな。スマホの方にはもうデータは残ってない。これはバックアップ」
「……」
「これ、いい写真だと思う。気に入ってるけど、おまえにしたら隠し撮りで気に食わないよな。それは謝る。ごめん」
慈朗はCD-Rを引き抜いた。ケースに収め、それを青沼に渡す。
「これはおまえにやるよ」
「……」
「悪かった」
まだ見るだろうと思い、青沼の傍を離れてまたベッドに寝ころんだ。だが青沼は動かない。マウスの操作音さえ聞こえないのでそっと顔を上げると。青沼はモニターを見つめながら涙を流していた。あおぬま、と声をかけると、洟をすすって青沼は大きな手で顔をもみくちゃに揉みこんだ。
「――もういい。ありがとう、充分だ」
「見ないのか?」
「見てたいけど、今日はやめる。おまえの言った意味、分かった。雨森の撮った写真にはさ、ちゃんと主義や主張が込められてる、と思った。ただの記録じゃなくて、雨森がここに収めてあるものに感動したり、面白がったり、衝撃を受けていたり、そういうことを感じて撮ってるってことが分かるっていうかさ。……写真で鳥肌立つようなことがあるんだってはじめて味わった。だから、あんな、ネットにあっさり流してしまえるような安易な写真は雨森のわけがない。雨森がもし、どうしてもネットに載せるんだとしたら、……そこにはもっと大きな主張とか、感動が込められてる、と思う。もっと迫るような写真っていうのか、……うまく言えないんだけど、とにかく、伝わった。あの写真が雨森の撮った写真のわけが、ない」
「……そうだよ」
と、慈朗は答え、安堵の息を吐く。青沼に疑われてとても淋しかった。好いたやつから嫌われるのかと思ったら心臓が冷え込むほど痛かった。けれど疑いは晴れた。慈朗の撮った写真で、慈朗自身の感性と技術で、それを伝えることができた。
自分にはそれだけの力がきちんと備わっているのだ、と思うと、胸が温かく、そのことがすこし痛い。
「おれのわけないんだ」
「おれこそ悪かった。本当に、ごめん」
「うん。……いいよ」
ず、と洟をすするので、ティッシュボックスを投げてやった。青沼はティッシュを引き抜いて勢いよく洟をかむ。
「雨森じゃないって分かったから、今日は帰るよ」と言う。
「あの写真の山を一枚ずつ見たい気もするけど、それは時間がかかるだろうからな。いつか写真集出せよ、雨森。絶対に買うから」
「写真集かあ。夢だけどな。あ、受験用のポートフォリオ出来たよ」
「まじ? 見たい、けど、――今夜は母親残して家出て来ちゃってるんだ。帰んなきゃ」
「雨、止んだ?」
「さっきよりは音がしないな」
「駅まで送ってくよ」
窓を開けて外を覗くと小雨に変わっていた。居間に顔を出し、テレビを観ていた家族に「青沼帰るから送って来る」と告げた。母親は難しく険しい顔をしていたが、「次来るときにはちゃんと夕飯食べて行きなさいね」と青沼の頬をぺちぺちと軽く叩いた。
「すみません。お借りした服は洗って返します」
「そうね。それでまた顔見せにらっしゃい」
ぺこりと深く頭を下げ、青沼は玄関を出た。雨森も続く。傘を差し、並んで歩いた。青沼は「文化祭も受験も近いのに本当にごめん」と謝りっぱなしだ。
←(15)
→(17)
自らも握り飯を齧りながら、慈朗はノートパソコンを立ちあげる。クローゼットの中に突っ込んでいたこれまでの写真データを収めた記録媒体も引っ張り出す。いまのところ慈朗はデジタルカメラを主に使っているので、画像はデータとして保存されている。フィルムカメラで撮ったものもないわけではないので、そちらは段ボール箱に収めていたものを青沼の前に置いた。
「これがおれの、大体だ」
「……」
「全部、とは言えないんだけど、でも大体全部。そのノーパソ使ってデータ片っ端から見てけばいいよ。フィルムは現像してないのもあるから、ライトボックス使ってネガ見て」
「……いいのか? 見られたらまずいのとか、あるんじゃ」
「そんな後ろめたい写真は撮ってない。写真をさ、おれは後から見たいんだ。ただ残したいって意味じゃなくて、ちゃんと鑑賞したいと思って撮ってる。撮れたらラッキーとかでシャッターは押さない。どのショットにも、意思を込めてる――つもりだ」
「これ、いつの分からあるの、」
「撮りはじめたころからだから、……小五くらいかな」
「それにしたら意外と数がないな」
「あ? まあ、あんまり簡単にシャッター押さないし。きちんとした一枚をきちんと収めてあれば、それ一枚で事足りるだろ? 面倒くさがりなんだ」
「……」
「好きに見な」
言い残して、自分は二段ベッドの下段に寝転んだ。なんとなく目を閉じた。カチ、カチ、と青沼がパソコンのマウスを操作する音が響く。それと雨音。
しばらく黙ってデータを見ていた青沼が、「これ、おれたち?」と呟いた。薄目を開けて青沼を確認する。慈朗の方を見ていたから、慈朗も起き上がり「どれ?」と傍に寄った。
ノートパソコンの画面に表示されていたのは、暗がりで抱きしめ合う男ふたりの写真だった。駅前の公園で撮ってしまったあの写真だ。慈朗は苦笑した。
「――そっか、あのとき撮った写真を全部は見せてなかった。スマホで撮ったから、こういう大きなモニターに映すと荒れるよな。スマホの方にはもうデータは残ってない。これはバックアップ」
「……」
「これ、いい写真だと思う。気に入ってるけど、おまえにしたら隠し撮りで気に食わないよな。それは謝る。ごめん」
慈朗はCD-Rを引き抜いた。ケースに収め、それを青沼に渡す。
「これはおまえにやるよ」
「……」
「悪かった」
まだ見るだろうと思い、青沼の傍を離れてまたベッドに寝ころんだ。だが青沼は動かない。マウスの操作音さえ聞こえないのでそっと顔を上げると。青沼はモニターを見つめながら涙を流していた。あおぬま、と声をかけると、洟をすすって青沼は大きな手で顔をもみくちゃに揉みこんだ。
「――もういい。ありがとう、充分だ」
「見ないのか?」
「見てたいけど、今日はやめる。おまえの言った意味、分かった。雨森の撮った写真にはさ、ちゃんと主義や主張が込められてる、と思った。ただの記録じゃなくて、雨森がここに収めてあるものに感動したり、面白がったり、衝撃を受けていたり、そういうことを感じて撮ってるってことが分かるっていうかさ。……写真で鳥肌立つようなことがあるんだってはじめて味わった。だから、あんな、ネットにあっさり流してしまえるような安易な写真は雨森のわけがない。雨森がもし、どうしてもネットに載せるんだとしたら、……そこにはもっと大きな主張とか、感動が込められてる、と思う。もっと迫るような写真っていうのか、……うまく言えないんだけど、とにかく、伝わった。あの写真が雨森の撮った写真のわけが、ない」
「……そうだよ」
と、慈朗は答え、安堵の息を吐く。青沼に疑われてとても淋しかった。好いたやつから嫌われるのかと思ったら心臓が冷え込むほど痛かった。けれど疑いは晴れた。慈朗の撮った写真で、慈朗自身の感性と技術で、それを伝えることができた。
自分にはそれだけの力がきちんと備わっているのだ、と思うと、胸が温かく、そのことがすこし痛い。
「おれのわけないんだ」
「おれこそ悪かった。本当に、ごめん」
「うん。……いいよ」
ず、と洟をすするので、ティッシュボックスを投げてやった。青沼はティッシュを引き抜いて勢いよく洟をかむ。
「雨森じゃないって分かったから、今日は帰るよ」と言う。
「あの写真の山を一枚ずつ見たい気もするけど、それは時間がかかるだろうからな。いつか写真集出せよ、雨森。絶対に買うから」
「写真集かあ。夢だけどな。あ、受験用のポートフォリオ出来たよ」
「まじ? 見たい、けど、――今夜は母親残して家出て来ちゃってるんだ。帰んなきゃ」
「雨、止んだ?」
「さっきよりは音がしないな」
「駅まで送ってくよ」
窓を開けて外を覗くと小雨に変わっていた。居間に顔を出し、テレビを観ていた家族に「青沼帰るから送って来る」と告げた。母親は難しく険しい顔をしていたが、「次来るときにはちゃんと夕飯食べて行きなさいね」と青沼の頬をぺちぺちと軽く叩いた。
「すみません。お借りした服は洗って返します」
「そうね。それでまた顔見せにらっしゃい」
ぺこりと深く頭を下げ、青沼は玄関を出た。雨森も続く。傘を差し、並んで歩いた。青沼は「文化祭も受験も近いのに本当にごめん」と謝りっぱなしだ。
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週のはじめから頭痛どころかめまいまで起こしそうな雨も、いったんは落ち着いた。中日は晴れた。晴れた途端に暑くなる。その日、慈朗はようやくポートフォリオを完成させた。柾木に見せ、面談の中で熱心に話し込む。慈朗のポートフォリオを柾木は「いいでしょう」と、淡々と評価した。柾木らしいな、と思う。
文化祭が来週末に迫っていた。この学校ではいち早く受験対策をするから、という理由で初夏のこんな時期に文化祭を行う。慈朗に限ってはAO入試にしたために受験対策と文化祭とが被っていて毎日なにを考えてよいやら、だった。文化祭の準備をしつつ面接の練習に行く。帰宅が遅くなっていたが、夏至のころだからか日がいつまでも高く、あまり苦にならない。
金曜日、空はどんよりと曇っていた。また天気が崩れると気象予報士が注意喚起している。授業を終え、部室に少しだけ顔を出してその日は早めに帰宅した。文化祭準備期間であるので、どうせ明日も学校へ行く。少しぐらいは休もうと判断して雨の当たらぬうちに帰ったのだった。
着替え、ワイシャツを洗濯に出し、軽く眠って夕飯を食べている最中だった。部活動だと言って慈朗より遅く帰宅した妹が「シロちゃんにお客さん来てる」と声をかけて来た。誰だと思い玄関の先へ出る。細かく降り出した雨の中、傘も差さずに青沼が立っていた。
家へ直接来たのは去年の大晦日以来だ。暗い顔が気になった。「どうした?」と訊ねる。
「予備校じゃないのか?」
「これ撮ったのはおまえか?」
いきなり目の前にスマートフォンを突き付けられ、迫力に動揺する。ようやく焦点を合わせてスマートフォンの画面を見た。画像が数枚並べられている。連写のようで、アパートのようなどこかの玄関先に男がふたり立っている。時刻はいまぐらいか少し遅いぐらいだろうか。夜だ。ひとりは玄関の内側にいて、もうひとりは外側にいる。連写を追って行けばふたりは吸い込まれるように玄関の内側に入っていく。
玄関の内側にいる男の顔にはうすくモザイクがかかっている。外側の男は背を向けているので顔までは見えなかった。けれど着ている制服は慈朗たちの通う高校のものだと暗がりでも分かった。画面をスクロールすると、「激写!」と文字が現れる。品のない書体で「M高校国語科教師と男子高校生、夜の密会!」とタイトルが振ってあった。
「――え?」
思わず声を上げた。ネット上の掲示板に貼られた複数枚の画像に、様々なコメントが記されている。「国語科教師Aのアパートに通う、三年のA」「これマジもん?」「M高は男子校でホモってる噂」「キモ」などとある。
画像は多少加工されているが、知ってしまっているからにはどうしても赤城と青沼にしか見えない。というより、これは本人たちで合っているのだろう。スマートフォンから視線を外してみれば、青沼は怒りをあらわにしていた。
「――おれじゃない」と否定しても、青沼の怒りを余計に膨らませるだけのようだった。
「雨森には前科がある。少なくともおれの知る中でカメラに詳しいやつをおれはおまえ以外に知らない。おまえはおれたちのことを知ってるわけだし」
「だからって赤城のアパートで張って撮ったとでも言うのか? 赤城がどこに住んでるのかもおれは知らねえよ。大体、おれになんの得がある?」
「得があろうがなかろうが、こういうことに面白みを見出すやつはいる」
「それがおれだってこと?」
一瞬にして淋しさに襲われた。青沼はこれを雨森の仕業だと思い込んでいる。雨森は確かに一度逢瀬に出くわしているが、それが理由でそうなるのか、と思ったら悔しかった。青沼から全く信頼されていないことが。
雨が強く当たりはじめる。
「ほかにもあるのか、おれたちの写真が」
「頭冷やせよ、ばか」
「こんなのネットで流されて冷静な方がおかしいだろ!?」
普段、大人しいともいえるやつの大声に驚いた。家の内側から「ちょっと、なに?」と母親が顔を出す。開いた扉を、だが青沼が手で押し戻した。
「おい、」
「この写真おまえだろ、って昨日、帰宅途中の電車の中で見せられたんだ。他校の知らないやつだった。慌てて掲示板探し当てて、――学校ではもうかなり噂になってた。苦情やいたずらの電話が増加してるらしい。今日、学校に親も呼び出されたんだよ。事情を話せって、とにかく担任と学年主任と、教務主任とで……赤城先生は休んでて、連絡してもつながらない。……おまえが撮ったんじゃなきゃ、誰が撮るんだ。それともあれか、他のやつらに話した?」
「そんなことしてない」
「じゃあなんで? ……もう、訳が分かんねえよ……なんで、いつも、」
そうして青沼はうなだれる。うなだれながら、細い声で「おれとおまえが付きあってるって噂あったの」と言った。
「……あったな、根も葉もないのが」
「あれもおまえ由来か」
「なんでそう思う?」
「『雨森は青沼のことが好きらしいぜ』」
ぎくりとした。
「あの噂のあと、そういうことも言われたんだ。それであんな噂を雨森が流した、って」
「違う!」
「今回のこと、雨森が元になってるなら、……あてつけでそういうことをされたんだと、思って……」
青沼は沈むように声のトーンを落とす。このまま雨と一緒に側溝へ流されていきそうだった。玄関先でも雨が当たっている。ふたりともぐしゃぐしゃで、慈朗は、寒かった。
慈朗は青沼の手首をつかんだ。青沼の体がびくりとこわばる。これからなにをしようってわけでもないのに、随分と警戒されたな、と思うと冷えた体がますます冷たくなるようだった。「家、上がれよ」と青沼に言う。
「……おれが撮ったもん全部見せてやる。受験も文化祭も近くて部屋だいぶ散らかしてるけど、とにかく上がれ」
「……やっぱり雨森が撮ったのか、」
「違う、絶対に違う。ってことを証明するために部屋に来いって言ってんだよ」
玄関の扉を再び開ける。不安そうな顔で母親が出て来たので「さっきはごめん」と謝る。母親はタオルを手渡してくれた。「なんなの?」と訊く。
「ちょっと受験や文化祭のことで作戦会議。なんかさ、おにぎりとか握ってくんない? あったかいお茶と」
「いいけど、」
「来いよ、青沼」
青沼にもタオルを渡し、二階にある自室への階段を上がる。家を背にしていた慈朗はそこそこの濡れ具合だったが、その向かいにいた青沼はずぶ濡れだった。着替えを引っ張り出す。慈朗よりも上背のある青沼には、兄が置いて行ったTシャツと短パンを渡した。
←(14)
→(16)
「面談?」
「うん、柾木先生とね。でも途中で停電したから後半はどうでもいいこと喋ってたよ」
「柾木先生とどうでもいいことなんて喋れんの?」
「喋れるよ。今日は柾木先生の家の近くに捨ててあった犬の話したよ」
「へえ? あの人が、犬?」
「うん。老犬がね、ずっとポールに繋がれてたんだって。だいぶ衰弱して見てられなかったからって保護したんだって、先生」
「似合わないな、先生と犬ってところがな」
「それおれも思った。先生は動物に興味なさそうですけどって、そんな話」
それから腕時計をちらりと見て、「電車動いてるかな」と呟いた。
「これから予備校なんだ」
「あー、駅の方は停電どうだったんだろうな。M市まで通ってんだっけ?」
「そう。あそこまで行かないとアートスクールがなくてさ」
ふたりで廊下から窓の外を眺めた。雨粒というよりは水の塊が落ちてきているように思えた。もしくは巨大な水槽にどっぷりと浸けられている。
「お互い受かるといいな、S美」と青沼が言う。
「そっちは受験、近いだろ」
「ああ、そうなんだ。入試方法変えたから。――どうかな、まだポートフォリオもちゃんと決まってなくて、不安なんだけど」
「定員も少ないんだよね、確か」
「それ」
「まあ、柾木先生が行けって行ったんなら、行ける気がするけどな」
「……どうだろ。そっちはどうなん? デッサン、てか、平面構成だろ、試験」
「そうなんだ。まだコツが掴めない。――赤城先生にも色々と教わったりしてるんだけど」
「なんだ、結局のろけだ」
「そういうわけじゃないけど、そうなるか」
「なるよ」
ため息をつき、それから他愛ないことを少し喋って、青沼と別れた。反対の方向へそれぞれ歩いて行く。慈朗が進路指導室にたどり着くと、中は蒸していて、暑かった。
「先生?」と声をかける。柾木は扇風機を引っ張り出して運んでいる最中だった。
「ちょうどいい、おまえ手伝え」
「どうしたんですか。空調は?」
「停電の後から調子が悪い。ドライのはずが暖房になってるみたいで、設定をいじってるんだが戻らない。校務員さん呼んだから、ひとまず扇風機出してる」
あっちにもう二台あるから、と倉庫の方を示された。倉庫は屋外にある。このどしゃ降りの中を行くの嫌だな、と思いつつ、荷物を置いて柾木を手伝った。
進路指導室に残っている学生はいなかった。青沼でラストだったようだ。だったら扇風機の設置なんかいいじゃないかと思いつつ、そういえばと思って柾木を見る。うっすらと汗ばんでいて、柾木自身が暑いのだな、と察した。
「――犬拾ったって聞きました」プラグをコンセントに差し込みながら柾木に語りかける。
「あ? 青沼に会ったか」
「うん」
「そういうことだ」
「なに犬?」
「雑種かな。芝ぐらいの大きさだけど、毛がくりんくりんで長い。弱ってたから、とりあえず保護したんですけどって近くの動物病院にぶち込んだ。どこかで飼われてた犬っぽいから、飼い主が探してるかもしれないし」
「そうですか」
「? なんか変だぞ、おまえ」
「別に変じゃないです」
「いつもはもっと勝手に喋るじゃないか」
「……別に、」
先ほどから柾木と話していて気付いた。柾木はどうやら青沼には自らの話をするらしい。それは青沼が聞きだしているからなのかは分からない。けれど青沼は柾木のことをよく知っている。
柾木の言う通り、慈朗は柾木の前では自分のことばかり喋っている。柾木が自分からなにかをコメントするところは進路指導の一環ならあるが、それ以外ではあまりない。喋りすぎなのかな、と反省する。柾木の話をもっと聞きたいのは事実なのだが。
扇風機のスイッチを入れ、部屋の中に程よく風が行き渡るように首振りのレバーを押した。間欠的に風が慈朗の髪をなびかせる。そのまま扇風機の前でじっとしていた。
「ポートフォリオの作品、決めたか」と柾木が問う。
「……迷ってて、」
「もうそろそろ決めきって、それを元に面接の練習をしていかないと間に合わない。なにで迷ってる?」
「先生は雑誌の入選作を軸に展開してけって言いましたけど、……そうじゃない写真でもいいんじゃないか、って」
「分かりやすさは大事だ。面接官へのしっかりとしたPRになる」
「そうなんですけど、」
「なにか入れたい写真があるか」
「……」
慈朗は黙る。黙ったまま扇風機の前に屈んで風を浴びていると、柾木も椅子を引っ張って来て近くに腰掛けた。首振り機能を止め、自らの元へだけ風が来るようにする。
「先生、それおれの方に風が来ないです」
「そうだな」
「暑いんですか?」
「暑い」
「暑いの苦手?」
「嫌いの部類に入るな。寒い方がましだ」
「寒い方が辛いけどな。いいじゃん、暑いの。おれ、夏好きですよ」
「好きならいいだろ」
そう言って扇風機をひとり占めしている。柾木はシャツの襟元に手をやり、汗で張りついた布地を肌から引きはがした。そんなに暑いかな、と思う。蒸してはいるがどしゃ降りで、いつもよりは涼しさを感じている。
「――今年の冬はおれ、どうなってんですかね」
去年の冬は衝撃が大きかったな、と思い返してみる。いまは夏のことばかり考えていて、その先に待っているもののことまで想像が及ばなかった。この夏、結果が出せれば心にゆとりができるのかもしれない。出せなければいま以上に危機感を抱いて日々を過ごしているはずだ。
「おまえ次第だろ」と柾木はあっさり言う。
「余計なことごちゃごちゃ考えてないで早くポートフォリオを完成させろ」
「……はい」
それ以上言うことも思いつかず、なんとなく黙る。柾木はお喋りではないのであっという間に沈黙に支配された。ただ雨の音と、扇風機のまわる音だけがしている。
先生いますか、と声がした。同時に進路指導室に顔を覗かせたのは中年の校務員だった。
「あ、すみませんね。停電対応で慌ただしいでしょうに」柾木が立ちあがる。
「全くですよ。あちこちの階で不都合が出てます。まあ、この校舎も古いですからね。ここはどうしました?」
「空調がおかしくなってて」
「見ますか」
柾木と校務員とで話をしているうちに、慈朗も立ちあがり部屋の奥へと進んだ。棚の隅にスペースをもらって、ポートフォリオをそこで作成している。なんの写真を挟むか、挟まないか。時間的にはそろそろタイムリミットだ。
(写真撮りに行きてぇな)
唐突にそう思った。カメラだけ持ってふらっとどこかへ出かけたい。受験、受験、その対策ばかりで、最近はまともにカメラを構えていない。
振り向き、部屋の入口付近で校務員と話している柾木を見る。
(写真、撮りてぇな)
なんとなくそう思う。
←(13)
→(15)
「うん、柾木先生とね。でも途中で停電したから後半はどうでもいいこと喋ってたよ」
「柾木先生とどうでもいいことなんて喋れんの?」
「喋れるよ。今日は柾木先生の家の近くに捨ててあった犬の話したよ」
「へえ? あの人が、犬?」
「うん。老犬がね、ずっとポールに繋がれてたんだって。だいぶ衰弱して見てられなかったからって保護したんだって、先生」
「似合わないな、先生と犬ってところがな」
「それおれも思った。先生は動物に興味なさそうですけどって、そんな話」
それから腕時計をちらりと見て、「電車動いてるかな」と呟いた。
「これから予備校なんだ」
「あー、駅の方は停電どうだったんだろうな。M市まで通ってんだっけ?」
「そう。あそこまで行かないとアートスクールがなくてさ」
ふたりで廊下から窓の外を眺めた。雨粒というよりは水の塊が落ちてきているように思えた。もしくは巨大な水槽にどっぷりと浸けられている。
「お互い受かるといいな、S美」と青沼が言う。
「そっちは受験、近いだろ」
「ああ、そうなんだ。入試方法変えたから。――どうかな、まだポートフォリオもちゃんと決まってなくて、不安なんだけど」
「定員も少ないんだよね、確か」
「それ」
「まあ、柾木先生が行けって行ったんなら、行ける気がするけどな」
「……どうだろ。そっちはどうなん? デッサン、てか、平面構成だろ、試験」
「そうなんだ。まだコツが掴めない。――赤城先生にも色々と教わったりしてるんだけど」
「なんだ、結局のろけだ」
「そういうわけじゃないけど、そうなるか」
「なるよ」
ため息をつき、それから他愛ないことを少し喋って、青沼と別れた。反対の方向へそれぞれ歩いて行く。慈朗が進路指導室にたどり着くと、中は蒸していて、暑かった。
「先生?」と声をかける。柾木は扇風機を引っ張り出して運んでいる最中だった。
「ちょうどいい、おまえ手伝え」
「どうしたんですか。空調は?」
「停電の後から調子が悪い。ドライのはずが暖房になってるみたいで、設定をいじってるんだが戻らない。校務員さん呼んだから、ひとまず扇風機出してる」
あっちにもう二台あるから、と倉庫の方を示された。倉庫は屋外にある。このどしゃ降りの中を行くの嫌だな、と思いつつ、荷物を置いて柾木を手伝った。
進路指導室に残っている学生はいなかった。青沼でラストだったようだ。だったら扇風機の設置なんかいいじゃないかと思いつつ、そういえばと思って柾木を見る。うっすらと汗ばんでいて、柾木自身が暑いのだな、と察した。
「――犬拾ったって聞きました」プラグをコンセントに差し込みながら柾木に語りかける。
「あ? 青沼に会ったか」
「うん」
「そういうことだ」
「なに犬?」
「雑種かな。芝ぐらいの大きさだけど、毛がくりんくりんで長い。弱ってたから、とりあえず保護したんですけどって近くの動物病院にぶち込んだ。どこかで飼われてた犬っぽいから、飼い主が探してるかもしれないし」
「そうですか」
「? なんか変だぞ、おまえ」
「別に変じゃないです」
「いつもはもっと勝手に喋るじゃないか」
「……別に、」
先ほどから柾木と話していて気付いた。柾木はどうやら青沼には自らの話をするらしい。それは青沼が聞きだしているからなのかは分からない。けれど青沼は柾木のことをよく知っている。
柾木の言う通り、慈朗は柾木の前では自分のことばかり喋っている。柾木が自分からなにかをコメントするところは進路指導の一環ならあるが、それ以外ではあまりない。喋りすぎなのかな、と反省する。柾木の話をもっと聞きたいのは事実なのだが。
扇風機のスイッチを入れ、部屋の中に程よく風が行き渡るように首振りのレバーを押した。間欠的に風が慈朗の髪をなびかせる。そのまま扇風機の前でじっとしていた。
「ポートフォリオの作品、決めたか」と柾木が問う。
「……迷ってて、」
「もうそろそろ決めきって、それを元に面接の練習をしていかないと間に合わない。なにで迷ってる?」
「先生は雑誌の入選作を軸に展開してけって言いましたけど、……そうじゃない写真でもいいんじゃないか、って」
「分かりやすさは大事だ。面接官へのしっかりとしたPRになる」
「そうなんですけど、」
「なにか入れたい写真があるか」
「……」
慈朗は黙る。黙ったまま扇風機の前に屈んで風を浴びていると、柾木も椅子を引っ張って来て近くに腰掛けた。首振り機能を止め、自らの元へだけ風が来るようにする。
「先生、それおれの方に風が来ないです」
「そうだな」
「暑いんですか?」
「暑い」
「暑いの苦手?」
「嫌いの部類に入るな。寒い方がましだ」
「寒い方が辛いけどな。いいじゃん、暑いの。おれ、夏好きですよ」
「好きならいいだろ」
そう言って扇風機をひとり占めしている。柾木はシャツの襟元に手をやり、汗で張りついた布地を肌から引きはがした。そんなに暑いかな、と思う。蒸してはいるがどしゃ降りで、いつもよりは涼しさを感じている。
「――今年の冬はおれ、どうなってんですかね」
去年の冬は衝撃が大きかったな、と思い返してみる。いまは夏のことばかり考えていて、その先に待っているもののことまで想像が及ばなかった。この夏、結果が出せれば心にゆとりができるのかもしれない。出せなければいま以上に危機感を抱いて日々を過ごしているはずだ。
「おまえ次第だろ」と柾木はあっさり言う。
「余計なことごちゃごちゃ考えてないで早くポートフォリオを完成させろ」
「……はい」
それ以上言うことも思いつかず、なんとなく黙る。柾木はお喋りではないのであっという間に沈黙に支配された。ただ雨の音と、扇風機のまわる音だけがしている。
先生いますか、と声がした。同時に進路指導室に顔を覗かせたのは中年の校務員だった。
「あ、すみませんね。停電対応で慌ただしいでしょうに」柾木が立ちあがる。
「全くですよ。あちこちの階で不都合が出てます。まあ、この校舎も古いですからね。ここはどうしました?」
「空調がおかしくなってて」
「見ますか」
柾木と校務員とで話をしているうちに、慈朗も立ちあがり部屋の奥へと進んだ。棚の隅にスペースをもらって、ポートフォリオをそこで作成している。なんの写真を挟むか、挟まないか。時間的にはそろそろタイムリミットだ。
(写真撮りに行きてぇな)
唐突にそう思った。カメラだけ持ってふらっとどこかへ出かけたい。受験、受験、その対策ばかりで、最近はまともにカメラを構えていない。
振り向き、部屋の入口付近で校務員と話している柾木を見る。
(写真、撮りてぇな)
なんとなくそう思う。
←(13)
→(15)
B.
窓の外が鋭く発光した。光ってすぐさまけたたましい音が天から下り落ちる。元より暗かった室内がさらに暗くなった。ざあざあと雨が降りしきっている。
「――くあー、くそっ! ラン切れた!」
「ノーパソなんだから内部電源に切り替わっただろ。よかったな、データ飛ばなくて。いまのうちに保存かけてパソコンはもう作業するのやめとけよ」
「見事に停電しましたねえ」
やんややんやと、それでもわりあいと冷静に、写真部の仲間らと言いあう。部室で暗室作業をしたり、デジタルデータをいじっている最中だった。文化祭が近い。写真部としては当然、写真の展示をするわけで、それの準備をしていたのだ。
放課後、学校に居残って作業していた。梅雨もいよいよ本格的で、窓の外にはあじさいだけがぴんぴんと雨を喜んで咲き誇っている。薄暗くなった部室で、撤収の作業に取り掛かる。帰れと言われていますぐ帰れるような天候ではないが、今日の作業はもう進められるわけがない。
「雨森、おまえどーすんの。自転車だろ?」
「機材持ってるから無理しない。とりあえず家に電話して、迎えが無理そうならバスで帰るわ」
「どこで待ってんの、迎え。部室閉めちゃうよ?」
「進路室行く」
「あー、入試近いのか。AOだっけ?」
「あれ? 一般入試で行くんじゃなかったの?」
「柾木センセとあれこれ話して推薦受けることにしたの。自己推薦型だから倍率は高いだろうけど、決まれば早いぜ。このガッコ、推薦で大学受けようなんてやつまずいないからな。さっさと進路決めて誰よりもいちばんに車の免許取るんだ」
「張り切ってんねぇ」
「張り切るだろ。高三だぞ、コーサン」
持っているパソコンだのカメラだの、機材を濡らさぬようにビニールをかけたりかばんに詰めたりしながら喋る。雷鳴があるうちは皆、移動は諦めている。学校にいる方が出歩くよりも安全だ。
写真部の三学年は文化祭での展示で引退ということにしている。芸術分野での進学を希望しているのはこの中では慈朗だけだが、それでも皆好きなものなので、熱が入っていた。印刷がどうだとかパネルはどこだとかヒートンは用意してあるかとか、あれこれ言いあいながら準備を進める文化祭は楽しかった。当日はポストカードとしてプリントアウトした写真の販売もするので、細々した作業が続いている。
一方で慈朗は受験シーズンを迎えていた。入試の方法を一般入試から自己推薦型入試に変更したのだ。柾木と担任と両親を交えあれこれ話しあった結果だった。自己推薦型入試は夏に行われる。出願が迫っていた。
志望理由書とポートフォリオの提出、それを受けての面接が行われる。大方はいままでの実績重視だから、その辺の実績のある慈朗は行けるかもしれない、と柾木が踏んだのだ。S美は柾木の母校である。知り合いがいる、と言っていた。入試の情報も入って来やすい。
まだポートフォリオに入れる作品をすべて決め切っていない。風景や人物など、多岐にわたる分野で有能であることを示すか、慈朗の好きな分野だけを押し出して個性を強調するか、その辺りで根を詰めて柾木と話しあった。慈朗としては後者で行きたかったが、柾木はまだ前者の可能性を探っているふうがあった。
パッキングを終えた慈朗は、仲間に断って先に部室を出た。雷鳴は徐々に遠ざかったが今度は雨が酷いようだった。まだ停電は復旧していない。ものすごい音がしたので、どこかの電信柱にでも雷が落ちたかもしれない。学校の周辺も奇妙な静けさがあった。
校内に入り、廊下を進む。一階の南側の奥、職員室からは最も遠いところに据えられたのが進路指導室だった。進路室が通称で、出入りは自由だ。隣に面談用の部屋があり、中はパーテーションで二つに区切られている。その奥に進路指導準備室があり、柾木は美術室よりもそちらに詰めていることの方が多かった。
他の学生よりも受験の時期が早いため、柾木とじっくり話せることがいいなと思っている。去年は柾木の存在など全く意識していなかったし、進路指導の初っ端は、柾木のことなど気に食わなかった。それが実際進路の時期を迎えてみればこうして柾木を頼りにしているのだから不思議なものだと思う。
「……あんたの方だろ、向いてるのは」
ばらばらとコンクリートを叩きつける豪雨の音に紛れて呟いてみる。いつかモビールを見せた日、柾木は慈朗の希望する進路についてそうコメントしたが、それは柾木に対してこそ思う。学生と線を引いているからか、はじめは取っつきにくい。けれどこちらが真剣になればなるほど向こうもきちんと誠意を見せる。熱くなりすぎない、冷静な判断で生徒のモチベーションをさらっと上げる。青沼の話では柾木は「生活のために」美術教諭の道を選択したそうだが、どうだか、柾木には教師の素質があるように思う。
進路指導室への廊下を歩いているところで、パッと視界が明るくなった。唐突な眩しさに目を細める。停電が復旧したのだ。雨はまだ降るのかなと思案していると廊下の向こうから歩いてくる影を認めた。青沼だった。
「雨森」と彼は親しく手を挙げた。
←(12)
→(14)
「――くあー、くそっ! ラン切れた!」
「ノーパソなんだから内部電源に切り替わっただろ。よかったな、データ飛ばなくて。いまのうちに保存かけてパソコンはもう作業するのやめとけよ」
「見事に停電しましたねえ」
やんややんやと、それでもわりあいと冷静に、写真部の仲間らと言いあう。部室で暗室作業をしたり、デジタルデータをいじっている最中だった。文化祭が近い。写真部としては当然、写真の展示をするわけで、それの準備をしていたのだ。
放課後、学校に居残って作業していた。梅雨もいよいよ本格的で、窓の外にはあじさいだけがぴんぴんと雨を喜んで咲き誇っている。薄暗くなった部室で、撤収の作業に取り掛かる。帰れと言われていますぐ帰れるような天候ではないが、今日の作業はもう進められるわけがない。
「雨森、おまえどーすんの。自転車だろ?」
「機材持ってるから無理しない。とりあえず家に電話して、迎えが無理そうならバスで帰るわ」
「どこで待ってんの、迎え。部室閉めちゃうよ?」
「進路室行く」
「あー、入試近いのか。AOだっけ?」
「あれ? 一般入試で行くんじゃなかったの?」
「柾木センセとあれこれ話して推薦受けることにしたの。自己推薦型だから倍率は高いだろうけど、決まれば早いぜ。このガッコ、推薦で大学受けようなんてやつまずいないからな。さっさと進路決めて誰よりもいちばんに車の免許取るんだ」
「張り切ってんねぇ」
「張り切るだろ。高三だぞ、コーサン」
持っているパソコンだのカメラだの、機材を濡らさぬようにビニールをかけたりかばんに詰めたりしながら喋る。雷鳴があるうちは皆、移動は諦めている。学校にいる方が出歩くよりも安全だ。
写真部の三学年は文化祭での展示で引退ということにしている。芸術分野での進学を希望しているのはこの中では慈朗だけだが、それでも皆好きなものなので、熱が入っていた。印刷がどうだとかパネルはどこだとかヒートンは用意してあるかとか、あれこれ言いあいながら準備を進める文化祭は楽しかった。当日はポストカードとしてプリントアウトした写真の販売もするので、細々した作業が続いている。
一方で慈朗は受験シーズンを迎えていた。入試の方法を一般入試から自己推薦型入試に変更したのだ。柾木と担任と両親を交えあれこれ話しあった結果だった。自己推薦型入試は夏に行われる。出願が迫っていた。
志望理由書とポートフォリオの提出、それを受けての面接が行われる。大方はいままでの実績重視だから、その辺の実績のある慈朗は行けるかもしれない、と柾木が踏んだのだ。S美は柾木の母校である。知り合いがいる、と言っていた。入試の情報も入って来やすい。
まだポートフォリオに入れる作品をすべて決め切っていない。風景や人物など、多岐にわたる分野で有能であることを示すか、慈朗の好きな分野だけを押し出して個性を強調するか、その辺りで根を詰めて柾木と話しあった。慈朗としては後者で行きたかったが、柾木はまだ前者の可能性を探っているふうがあった。
パッキングを終えた慈朗は、仲間に断って先に部室を出た。雷鳴は徐々に遠ざかったが今度は雨が酷いようだった。まだ停電は復旧していない。ものすごい音がしたので、どこかの電信柱にでも雷が落ちたかもしれない。学校の周辺も奇妙な静けさがあった。
校内に入り、廊下を進む。一階の南側の奥、職員室からは最も遠いところに据えられたのが進路指導室だった。進路室が通称で、出入りは自由だ。隣に面談用の部屋があり、中はパーテーションで二つに区切られている。その奥に進路指導準備室があり、柾木は美術室よりもそちらに詰めていることの方が多かった。
他の学生よりも受験の時期が早いため、柾木とじっくり話せることがいいなと思っている。去年は柾木の存在など全く意識していなかったし、進路指導の初っ端は、柾木のことなど気に食わなかった。それが実際進路の時期を迎えてみればこうして柾木を頼りにしているのだから不思議なものだと思う。
「……あんたの方だろ、向いてるのは」
ばらばらとコンクリートを叩きつける豪雨の音に紛れて呟いてみる。いつかモビールを見せた日、柾木は慈朗の希望する進路についてそうコメントしたが、それは柾木に対してこそ思う。学生と線を引いているからか、はじめは取っつきにくい。けれどこちらが真剣になればなるほど向こうもきちんと誠意を見せる。熱くなりすぎない、冷静な判断で生徒のモチベーションをさらっと上げる。青沼の話では柾木は「生活のために」美術教諭の道を選択したそうだが、どうだか、柾木には教師の素質があるように思う。
進路指導室への廊下を歩いているところで、パッと視界が明るくなった。唐突な眩しさに目を細める。停電が復旧したのだ。雨はまだ降るのかなと思案していると廊下の向こうから歩いてくる影を認めた。青沼だった。
「雨森」と彼は親しく手を挙げた。
←(12)
→(14)
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
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短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
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