忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 あれこれと考えた結果、やはり青には会いたいという結論に達した。だが青の連絡先は実家の電話番号ぐらいしか知らない。青が実家にいる可能性にかけて、家電にコールした。これで青に繋がらなかったらそれまでのこと、と思うことにした。
 電話に出たのは、青本人だった。名乗ると青は『トモ?』と懐かしい呼び名で智美を呼んだ。
『すごいな、トモだ。うわ、久しぶり。よく電話かけてきてくれたな』
「新聞のお悔やみ欄見てさ。もしかしてせいちゃんが帰って来てるんじゃないかって思ったんだ。繋がってほっとした。元気か?」
『ああ、元気だよ。……と、言いたいけどな。色々あるから、やっぱりちょっと、疲れてるかな』
 肉親を亡くしたのだ。無理もないと思う。自分はただ青に会いたい一心でこうして電話をかけてしまったが、それは青にとって迷惑なことではなかっただろうか、という思いがよぎる。だが青は『トモは実家なのか?』と訊ね返した。早く切りたい電話ではないことが伝わった。
「うん、実家。ああ、建て替えは考えてるんだけどね。……せいちゃんは? まだ東京にいるのか?」
『そうだな、ずっと東京だ』
「こっちにはいつまで?」
『忌引きをもらったから、しばらくは。……とはいっても、向こうと行ったり来たりになりそうだな。あらかた整理のめどはついたから、明日いったん、東京に戻るんだ』
「それ、何時? もしよければ会えないかな? 香典、渡したいし」
『香典は別にいいんだけど、……じゃあ、明日の昼を一緒にどうだろう?』
 それはいいな、と話はまとまり、昼前の早い時間に待ちあわせることになった。
『おれのケータイの番号教えておくよ。直通だから』
「おー、さんきゅ。ならおれの方も教えとくな」
 お互いに電話番号を教えあい、電話を切った。


 翌日の日曜日、妻の機嫌はよくなかった。「せいちゃんに会いに行ってくるよ」と告げると途端に顔を顰めたのだ。要するに、日曜日でもなんの家事もやらずに出掛けてしまう夫に不満があるらしい。仕方なくふたりの息子の面倒は智美が見ることになった。
 長男は地元の少年野球チームの練習に行くと言うので車で町のグラウンドまで送り、次男は伴うことにした。途中、寄った本屋で次男に少年漫画雑誌を買ってやる。待ち合わせた繁華街の蕎麦屋の前に、時間通りに青はいた。高い上背に黒い上着を腕に掛け、私服ではあったが、黒っぽい服装は喪に服す者そのものだった。そこだけ冬が佇んでいるかのようだ。
 梅雨間近、春の終わりの強い陽光を浴びていても、ちっとも温まらない。こんな雰囲気の男だったかと、あまりの淋しげな立ち姿にぎくりとした。
 息子の手を引いて、努めて明るく「せいちゃん」と声をかける。パッと顔をあげた青は智美を見るなり目もとを綻ばせた。
「――すごいな、トモ。ちっちゃいトモがいる。昔を一気に思い出した」
「悪い。ひとりで来るはずだったんだけど、嫁に押しつけられた。次男だよ」
「嫁って上野さんだよな」
「あれ? 知ってたっけ?」
「高校のころクラスが一緒だったから。五組」
 いつまでも立ち話をしているのも、ということで店内に入る。和のしつらえの店内は開店時間間もなくで、どことなく涼しかった。
 四人がけのテーブル席に通され、次男を隣に、青とは向かい合わせに座る。メニューを眺めながら智美は喋る。「ここは蕎麦ももちろん美味いけど、鶏料理も美味いよ。親子丼とか、とり天とか」
「へえ、じゃあおれは親子丼にしようかな」
 聞けば息子も親子丼がいいと言うので、蕎麦屋だったが親子丼を三人前注文した。
「よく来るの、ここ」と青が訊ねる。
「うん。嫁がめし作るの面倒ってときに来るよ。あっちに座敷席があって、ああいうのはファミリーには助かるし。子どもも蕎麦好きだし」
「上野さん、実家に入ってるの?」
「うん、入ってくれた。姑と同居とかフツーは嫌がるよな。けどまあ、学生のころからの付き合いだからかな、抵抗もそんなになかったっぽい。嫁姑問題はないわけじゃないけど、でも上手くやってると思う。手が多い方が子育てにはいいよな。おふくろも面倒見てくれるから、どっちもありがたくて頭あがんね」
「そっか。長いよな、上野さんと。付き合い始めたの、高校何年生だっけ?」
「二年。二年の終わりからだからもう――二十年以上か」
 ふ、と息をついた。確かに妻とは付き合いは長いが、知り合ってからの年数ならば青の方がはるかに長い。それでもいま智美は青の暮らしぶりを知らず、それは青も同じだからこうして質問が来るのだ。人と人との出会いや、距離感のことを考える。妻は家族だ。青は、他人だ。
「……せいちゃんは、独身なのか?」
 訊くのに、少しためらった。訊いてはいけないような気がしたのだ。蕎麦屋の軒下の淋しげな立ち姿のことを思い起こしたからかもしれない。
 案の定、青は黙った。なにかを言おうとして迷っている素振りだ。
「ごめん。――人それぞれに事情はあるよな。言いたくなければいいんだ」
「いや、……だめだな、こんな歳になっても未だにこういうことにはどう答えていいのか分からないんだ。違うな、……なにを明らかにして、なにを黙っているのがいいのか分からない、というか」
 それは素直な返答で、幼いころの青らしいな、と思った。智美には黙していたいことがあり、知って欲しいこともあるということか。高校時代の、なんでも秘めた雰囲気を纏いはじめた、遠くに感じた青のことを思うと、迷ってくれているという事実は、なんだか嬉しかった。
「……話しにくいことは無理に話さなくてもいいんだよ」
「ん、……でもそうだな、とりあえず、独身だ」
「そっか」
「……望んでそうなったのか、望まなかったのかは、よく、分からない」
「え?」
 もっと訊ねようと思ったタイミングで、料理が運ばれてきた。美味そうだ、と呟いて青は箸を取る。
 食べるだけ食べれば、店に用事はない。青にこのあとの予定を訊ねると、まだ東京行きの電車の切符は取っておらず、ひとまず駅に向かうという。ここから駅まではさほどの距離ではなかったが、こちらは車で来ているので、駅まで送っていくことにした。悪いなと青は言ったが、ちらちらと時計を確認するので、急いでいるのかと思い店を後にする。


← 1

→ 3



拍手[7回]

PR
一.智美と青(orange and dark blue)



「青くん、帰って来てるのかしら」と新聞を見ながら母親が呟いた。懐かしい名であり、誰かの口からそれを聞くのは本当に久しぶりだったので、一瞬誰のことなのか真剣に分からなかった。先に反応したのは妻の方で、「吾田くんなんて懐かしいなあ」と言う。
「せい? 吾田青(あがたせい)のこと?」
「それ以外にいないでしょうが。あんた、あんなに仲良かったのに」
「だって全然連絡取ってねえもん。……なんで、せいちゃん?」
「あらやだもう、新聞読んでないのね」
 母親はため息をつきながらこちらに新聞を寄越す。足の爪を切る手を止めて、それを受け取った。母親が「ここ」と指したのはお悔やみ欄だった。『吾田雪子 脳出血のため二十七日に死去 六十五歳』
「……え、これもしかしてせいちゃんちのおばさん?」
「そうよ、雪子さん。亡くなったのね。……嫌になるわね、私より若いのに。教師だったけど、退職された後ってことかしら」
「吾田くんのお母さん?」妻も食器を洗う手を止めて傍へやって来た。三人で新聞を眺め、母親は「一緒にPTAの役員もやったわ」とため息をまたこぼす。
「……あんまり身体が強い方じゃないとは聞いてはいたけど、嘘だろ? だって六十五歳じゃ、まだ全然だし、」
「吾田くんのお母さん、トモくんは会ったことあるの?」
「あるよ。せいちゃんち、何度も行ったし」
 妻と会話しながらも、突然の訃報に言葉が出なかった。新聞には葬儀の場所と日時の記載もあるが、吾田雪子の葬儀は「三十日に近親者のみで行われた」とあった。
「え、どーしよ、こういうの。……香典渡した方がいいのかな」
「あんたと青くんの仲が近いなら渡すか送る方がいいと思うけど……」
「ホント、高校卒業してから全然会ってねえんだよな。あーでも、せいちゃん帰って来てんなら会いたいかな」
「青くんの連絡先は?」
「家電(いえでん)しか」
 どうしようかとしばらく思案していると、風呂からわあわあと騒ぎながらふたりの息子が居間へ戻ってきた。「おばーちゃんアイスあるー?」と身体もろくに拭かないままやって来るので、妻は「ちゃんと拭きなさい! あと夜なんだから静かにしなさい!」と息子らの元へ寄る。
 母もかわいい孫のために、いそいそと立ちあがって行ってしまった。温かく賑やかな家の中、今度はこちらがため息をつく番だった。小学校以来の幼馴染の母親が、死んだ。


 吾田青と飯田智美(いいだともみ)は、小学校入学時からの付き合いだ。「あがた」と「いいだ」で名簿順が前後していたことがきっかけで仲良くなった。クラス替えの機会は何度もあったのに、小学校六年間、続く中学校三年間、一度もクラスが離れたことがなかった。おまけに小学校四年生からふたり揃って陸上部に所属した。青は中・長距離、智美は短距離と種目は異なったが、朝から晩までよくつるんだ。親友、と言ってよかった。
 青は比較的おとなしい方ではあったが、その静かな雰囲気がいい、と周囲の女子からは人気があった。普段は涼やかで穏やかな顔をしているくせに、いざ気を許して笑うと顔をくしゃくしゃにする、その屈託のなさも受けていたように思う。成長期にぐんと身長が伸び、さらに魅力的になった。身近ながら青は格好いいやつだな、と、智美は自分のことのように嬉しく思っていた。
 ふたりは同じ高校に進学したが、そこでようやくクラスが離れた。それでも部活動は相変わらず陸上部でいたので、朝と放課後は顔を合わせたし、練習や大会のある休日も、やはり一緒だった。けれど智美の感覚では、このころから青は「遠くなった」。教科書やノートの貸し借りはしたし、廊下ですれ違えば挨拶はしたがそれだけで、家に遊びに行ったり、一緒にテスト勉強をする機会はなくなった。
 青が天文部を掛け持ちしだしたせいだとも思ったが、青はどこかよそよそしく、智美の冗談にも薄く笑うだけだった。そのうち智美には彼女が出来、部活だデートだ受験だと、青のことを考える日も減った。高校三年生、青は東京の私立大学を受験し、現役で合格した。智美の進路先は地元の大学だった。特に連絡先の交換も行わないまま高校を卒業し、青は卒業式を終えた三月初旬、早々にこの町を出て行った。
 青は向こうに行ったきり全く帰って来なかった。よっぽど向こうの生活が楽しかったのかどうなのか。せめて成人式ぐらいは戻って来るだろうと思っていたが空振りで、青がどんな会社に就職したのか、結婚したのか、そんなことすら分からなかった。
 それでも一度だけ、青に会おうと決意して上京したことがある。
 とはいえ、青はついでだったのかもしれない。地元の大学に進学した智美は、それでも就職というタイミングで故郷を離れてみてもいいのではないかと思い、東京で開かれた合同の就職説明会に参加したのだ。複数の企業が同じ会場で一斉に説明会を開くものだった。日帰りで行くにはちょっと厳しかったので宿を探そうという段になって、青のことを思い出した。東京で暮らしている青に、ひと晩の宿を頼めないかと思ったのだ。
 青の実家に電話をして、青の連絡先を教えてもらった。青は寮住まいだと言い、電話番号は寮のものだった。寮に電話をかけると青とはすんなりつながった。事情を説明すると青は「うーん」と唸る。青の暮らす寮は四人部屋で、さすがに外部の人間を泊めるのは色々と難しいとの返事だった。
『でもさ、トモがせっかく来るんだから、飯ぐらいどっかで食おうか』
「あ、それいいな」
『じゃあ、五時にT駅で待ちあわせな』
 話が決まって迎えた当日、しかし青には会えなかった。急用ができてしまった、と前日に連絡が入ったのだ。就職説明会を終えた智美は、バスターミナルの周辺で適当に食事を取り、バスの時間まで周辺をうろうろして、最終バスで帰った。青には会えず、学生のころはあんなにばかみたいに一緒の時間を過ごしたのに、タイミングが合わないときってあるんだな、と思いながらバスに乗車して発車を待っていると、窓の外に高い上背の男が走っているのを見た。人混みに紛れてしっかりと判別しなかったのだが、あれは青だった、といまでも思う。古い友人を見送りに来るぐらいの誠実さは、青に確かにあった。
 その後地元に戻った智美は、やはり地元での就職を決めた。社会人になって二年目に結婚し、いまでは二児の父親である。だがそのことを青は知らないのだと思う。自分が青のことを何も知らないように、青もまた智美のことを知りようがない。



→ 2



ご無沙汰しております。なんだかここ数年は一年で書きためたものを夏に更新するようなスタイルになって来ました。
現時点で40話程度ですが延びる気がしています。
しばらくお付き合い頂けますと幸いです。








拍手[9回]

 目が覚めたのは明け方で、それはやはり隣から地鳴りのように読経が聴こえてきたからだった。わりと遅くまでパソコンに向かっていたつもりだったが、いつの間にか布団に潜って眠っていた。隣で柾木も起きていた。目を見あわせ、漏れ伝わる宗教のリズムにふたりでちいさく笑った。
「来い」
 柾木が布団を軽く持ちあげた。慈朗は布団から這い出て、柾木の腕の中に納まる。寝起きの柾木の体臭がして安心する。寝相ではだけた浴衣から覗いて当たる素肌がたまらなかった。
「お経って不気味な感じがしてたけど、こうやって聴くと音楽みたいに聴こえる」
 囁き声でそう漏らすと、「そうだな」と低く掠れた返事があった。
「音楽なんだろうな。言葉だから」
「言葉は音楽?」
「言葉は音だろ。音に意味がくっついてるだけだ」
「……絵は、なんなんですか、先生」
 昔っぽくいたずらめいてそう尋ねると、「ふ」と鼻から吐息を漏らした。
「写真はなんだ? 雨森」と柾木も笑って訊ね返す。
「おれの場合だけど、記録、だと思う」
「ああ」
「見たままを写せる。そこに意味を込めるのは見た人それぞれの感覚や感性でいい。……昔は違ってた。おれはこういう光景を見て感動したからその感動を他の人も味わってほしいって思ってた。けど、大学出て西門先生のアシスタントしてたら意識が変わった。いまのおれが撮るのは媒体みたいな感じ。昔ほど自己主張しないねって言われるけど、いいんだ。記録だから」
「なんだっけ、……amplifier」
「アンプリファイア?」
「増幅器。バンドマンがアンプアンプっていうあれだよ。確かにここんとこのおまえの写真はそんな感じがするな。おまえはただみんなが気付かないような些細なものに気付いてそれを拾って収めてるだけ。見た人がはじめてそれに気付いて感動する、……みたいな」
「おんなじようなこと、こないだ言われたよ。パーティで知り合った出版社の人」
「ならあながちおれの審美眼も間違ってねえな」
「写真は、記録。……絵は、写真みたいなリアリズムで描く人もいるけど、やっぱり自己表現なんだと思う。感性を拡大させてる」
「……そうだな」
「工芸やデザインは生活。これは離せない。――青沼と連絡取れたよ」
 唐突な台詞にさすがに驚いたのか、柾木は半身を起こした。慈朗は寝転がったまま喋る。
「昨夜、青沼宛にメール送ったんだ。事故のニュース読んだけど無事か? って。いまどこにいんの、って」
「返信、あったのか?」
「タイミングがよかったみたい。返信代わりにすぐ電話が来た。事故の連絡受けて青沼も赤城先生の滞在先に飛んだんだって。赤城先生はまだ病院。落ちた先にあったペインティングナイフで腕を深く切って、腱まで切れたから繋げる手術をしたって。それと、あちこち骨折や打撲」
「……」
「でもそういう傷を除けば、命にかかわるような異常はないらしい。脊髄の損傷とか、頭を打ったとか、折れた骨が内臓に刺さって内出血してるとか、そういうのはない。けど、リハビリしないと元の生活には戻れないよって言われたって。赤城先生落ち込んでるかと思ったんだけど、青沼、笑ってたよ。そりゃひやっとしたけど、あの人は描くんだよって。右手がだめなら左手で描くし、両手が使えなかったら足でも口でも使って描くって。腕に麻痺が残るんなら、麻痺で描ける色を楽しむって。だから心配すんなって言われた。――大丈夫だよ、理」
 そう言うと、柾木は眉根を寄せ、泣きたいような顔をした。だがそれも一瞬で、次の瞬間には身体を倒して枕に顔を伏せた。
「――そうだよな」
 とくぐもった声で言う。
「あいつは結局、描くんだ」
「うん」
「そういうやつなんだ」
「うん」
 相変わらず隣の部屋からは静かに読経が響いてくる。その音を微かに聞きながら柾木の腕が慈朗に伸ばされ、慈朗は応じる。はだけた浴衣の下をまさぐって、声を殺してセックスをした。漏れそうになればシーツを噛みしめ、それでも止まらないときは柾木の唇で塞いでもらった。なんの準備をしていなくても慈朗は柾木を受け入れる。もう身体は作り替えられた。柾木の手で。
 いつの間にか経は止み、ふたりとも頂を迎えて脱力していた。熱い柾木の肌が気持ちがいい。荒い呼吸を整えながら、ついばむようにキスをする。
「――歩くか」
 誘われて外へ出る。
 朝市はさほど繁盛しているわけではなかった。個人がテントの下で野菜や果物や漬物、名産品を販売しているが、時期が時期なのであまり豊富にあるわけではない。これなんだろう、と土産物を売る店で売られている赤い小さな人形を眺めていると、横から柾木に「それはサルだ」と言われた。そういえばあちこちで見かけた形だ。頭巾をかぶったような赤い人形はサルの赤ん坊であるという。だから頭を覆い腹掛けもしている。
「すごく赤、って感じの赤」
「それはねえ、子どもがよく育ちますようにっていうお守だよう」
 店番をしている老年の女性にそう言われた。
「安産とか、良縁とか、無病息災。お兄さんたちいい男だから、一個買ったらもう一個つけてあげる」
「おばあちゃん、それはサービスしすぎだって」
「あれ、漬物の方がいいかい? かぶが美味しいよ」
 あれやこれやと言われ、結局ストラップになっているお守りを一個買った。柾木はいらないだろうから断ろうと思ったが、おまけの二個目も貰ってしまった。「いいよ」と柾木はお守りをひとつひょいと取った。「車の鍵にでもつける」
 朝早くから営業している喫茶店でモーニングを食べた。コーヒーを頼むとトーストやらサラダまでついてくるお得なセットを黙々と食べる。食べ終えてから「理」と呼んだ。コーヒーを飲んでいた理は眼鏡の奥の無防備な目をこちらに寄越した。
「――写真、撮ろう」
 柾木は写真を嫌がる。承知で言った。
「こないだのパーティでね、出版社の人と名刺交換したんだ。あまり大きくない出版社だけど、いい写真集や画集を扱うから、前から名前は知ってた。そこの編集の人、おれの写真のことも知ってたんだって。まあ、西門先生の紹介なんだけど。それで、今度あなたも写真集を出しませんかって言われた。まだ企画もなにも立ててないから題材も決まってなくて、だからなにがいいとかあれがいいとか色々話した。あなたが撮りたいものはなんですかと言われて、……理はすごく嫌だと思うだろうけど、写真が記録なら、おれが撮りたいのは理だと思った」
「……」
「記憶に残ってるなら写真は必要ないと思う。でも忘れちゃうから。理があのときあんな顔してたって、おれは記録に残したいんだ。……別に、理だけの写真集を作るつもりはない。おれの周囲の人間とか、生活とか、なんか、そういうものを撮りたいなって思った。撮りたいものの話だから、この企画も通るか分かんないけどね」
「……」
「でもさ、理の了承を、得られるなら」
 そう言うと理はため息をついた。それからコーヒーを飲み干し、頬杖をついて窓の外を見遣る。
「ならおれは、おまえを描くかな」
「――え?」
「油彩。いや、デッサンでもいいか。なんならクロッキーでもいい。とにかく、久々に学生の指導だけじゃなくて、自分のための制作をしたくなった」
 言われて慈朗は目をぱちぱちと瞬かせる。柾木が絵の指導をしているところを見たことはある。教材にするから、と絵の見本を制作しているところを見たこともある。だが柾木自身が自分のために絵を描いているところは見たことがない。そういうことはしないのだと思い込んでいた。
 柾木はこちらを見る。やわらかく微笑んでいた。
「おまえがいてよかったんだと、思う」
「そうだよ――」
 慈朗も微笑む。お互いに拒否権の行使はしない。
 その後店を出て、町をもう少しうろつき、宿を引き払った後は柾木の運転で神社へ寄った。そこで三脚とタイマーを使って写真を撮った。設定をして画角を決めているあいだは柾木をひとりで立たせていたのだが、そこはこちらもプロなので、作業はスムーズに進む。柾木はどうしていいのか分からない、という顔をしなかった。ただ慈朗の手際を感心したふうに見ている。
 手は繋がない。腕も組まない。特別いい格好をしているわけでもない。
 けれど並んで写真を撮った。ふたりで撮るのははじめてのことだった。


End.



← (3)




これにて今回の更新はいったんおしまいです。楽しい時間でした。またお会いしましょう。





拍手[20回]


 陽が落ちればあっという間に闇に飲まれる。外はいかにも冷たい風が吹いていそうだった。暑いと思うぐらいで風呂から上がり、しっかりと髪を乾かしてコートを着込み、また外へ出た。夕飯は地元の名物や特産品を出す居酒屋で、これは宿の従業員に教えてもらった。酒を飲まずとも定食のメニューも充実していて利用する人は多いという。こじんまりとした店構えだったが、平日だからか人も少なくてのんびり寛げた。定食よりはあれこれつまんで食べたいという話になり、酒の肴のような単品メニューと玄米の焼きおにぎりと味噌汁を頼んだ。慈朗が気に入ったのは地元特産牛に味噌を載せて焼いたものだ。柾木はつきだしのおからの煮物が美味いと言って食べていた。食欲はある。
 散歩がてら水辺を歩き、月に照らされた道を戻る。商店街は外灯だけ残して閉まっていた。朝はあちこちで朝市が開かれると観光センター発行のガイドブックに書かれていた。地元の人による農産品や特産品の出店が並ぶのだ。せっかくだから行こうかと話す。
 宿に戻ると、狭い部屋でも一応宿の人間が入って布団が敷かれていた。二組並べばぎゅうぎゅうで、荷物を置く場所さえない。慈朗は身体が冷えたのでまた湯に浸かりに行った。慈朗が部屋から出たとき、柾木は窓を軽く開けて風に当たっていた。
 湯に浸かりがてら、売店を覗く。売られている土産ものはそれでも昼間歩いた街並みの中にあった土産物屋と内容は変わりなかった。アイスクリームが売られていたので柾木の分も買って戻ろうかと考え、やめた。宿の浴衣を着てぽくぽく歩いて部屋に戻る。
 室内は暗かった。ポーチのオレンジ色の明かりしか灯っていない。柾木は窓際の椅子に座り、やはり窓から吹く風に身体を当てていた。手元にはスマートフォンがあり、それをなんともなしに眺めている。
「それ、誰から」
 戻った慈朗に気付きもしない没頭ぶりだ。電灯をつけたことでようやく気付いたようだった。普段なら柾木のスマートフォンを覗き見るようなことはしないし、内容も尋ねることはない。けれど訊いた。よっぽどのことが書いてあるのだろうと瞬間的に思った。
 柾木が慈朗を見る。目はいつも通りの険しさで、だがほんの少し迷いがあることを、慈朗は見抜けた。
「言いたくないなら別に、いいけど」
 雑に詰め込んで持ってきた衣類を鞄から出し、丁寧に畳み直しながら言う。
「でも理、ずーっと上の空だ」
 布団の上しか居場所がないので、荷物も布団の上に広げる。柾木は黙ったままだったが、「誰からってことはねえよ」と返事があった。
「ニュース見て情報収集してただけ」
「ニュース?」
「おまえ、青沼からなにか聞いてないか」
 青沼。それはもはや懐かしい名前だった。最近はとんと連絡を取り合っていない。本人は確か何年か前に陶芸分野の世界的なコンペティションで入選したとかで話題になったが、そのとき連絡を少し取ったぐらいで、それきりだった。
「いや、特に。……青沼が、ニュース?」
「違う。聞いてないならいい、というより、それどころじゃないんだろう」
「……どういうこと」
「――黙ってても、仕方がないよな」
 そう言って柾木はため息をつき、慈朗を手招きした。柾木の座る籐椅子まで近寄る。柾木が寄越したスマートフォンにはどこかのニュースサイトの記事が掲載されていた。英語ではなかった。ただ掲載されていた顔写真を見てドキっとした。画質は荒いが、赤城に見える。
 スマートフォンを操作して、翻訳版に切り替える。太字の見出しは「芸術祭参加アーティスト、設備の落下で重傷」とあった。
「――え?」
 柾木は頭をがりがりと掻く。
「おれも翻訳使ってでしか情報をすくえてないから詳細までは分からないんだがな。赤城が怪我をしたらしい。国際的な芸術祭への出展で、地元の美大生たちとでっかい壁画を描いてたんだが、脚立の強度が足りなかった。高さ二メートルから、落ちた。そのとき強打したのが右側面。主には、右手」
 右手、それがなにを意味するのかこういう職業でなくとも安易に想像がつく。つまり利き手を負傷した。アーティストとして活動を始めた赤城の、よりにもよって商売道具の手だった。
「昨日、赤城のおふくろさんから連絡があったんだ。それで色々調べたり赤城本人と連絡を取ろうと試みたんだが、思うようにいかなかった。嫌になって。――つい、仕事さぼってこんなとこ来ちまった。おまえまで巻き込んでな」
「青沼は? 青沼とは連絡取れた?」
「そこまではしていない。おれは青沼の個人的なアドレスを知らないしな。そもそもあいつらの拠点はハワイだ。青沼はそこに工房を構えて作陶している。今回の芸術祭はアーティスト・イン・レジデンスだと言うから、赤城だけ出向してたんだろう。そこでの事故だから、青沼に一報が行っていればいまごろ慌てて駆けつけてるはずだ。尚更連絡は取りづらい。……軽傷ならいいんだけど、軽傷ならニュースにならん」
 そして再びふーっと長くため息をつき、柾木は椅子に深く沈み込む。それからぽつりと「まあ、いずれ死ぬからな」と言った、
「遅いか早いかだけだ」
「……赤城先生、まだ死んでないよ」
「そうだといいな」
「死んでないよ……」
 祈るような台詞になった。柾木は答えない。
 どういう気持ちなんだろうか、と考えるが、慈朗には思いもしないような様々な感情が柾木にはあるだろう、としか考えつかなかった。貧困な想像力と観察眼しか持ち合わせていない自分が恨めしい。赤城は、柾木にとって憧れそのものだったはずだ。柾木に持っていないものをすべて持ち、魅了し、恋をしたが恋仲にはなれず、近いときには近くてあるときいきなり遠くへ行く。平気で行く。慈朗が赤城であり、柾木のことを思うなら、意地でも傍にいたいと思う。けれど赤城はいつだって柾木を引きはがす。――こうやって。
 赤城がアーティストとして復帰したことを何よりも待ち望んでいたのは柾木だと知っている。赤城の活動情報を収集しては密かに喜んでいることは、近い距離にいるからこそ分かることだった。だからと言って赤城を羨ましく思ったり、妬んだりはしない。赤城の情報以上に柾木はいま、慈朗自身の活動のことも収集しては詳しい。そういう距離に自分はいる。
 思い焦がれて手の届かない人。それが柾木にとっての赤城だ。その神の子のような存在がいま危うい。柾木も正気ではいられないのだろう。だから慈朗を誘ってこんなところへ来た。日常から離れてまで忘れたいのに、赤城の安否を気にしてしまう柾木を哀れだと思う。哀れで、悲しく、可哀想で、いとおしい。
 ああ、と柾木が小さく唸る。ずっと気を張っていたのだろう、ここへ来て疲労が見えた。大きく伸びをして眠そうにあくびをする。「休むか」と言い、立ちあがった。
「んー、おれもう少しここで月見てる」
「そうか」
「明日何時に起きる?」
「そういや朝食のこと考えてなかった。ここ素泊まりなんだ」
「なら、朝市行ってから考える?」
「そうだな」
 布団の元まで行き、柾木は潜って横になった。すぐに寝息が聞こえてきた。柾木を起こさぬよう、慈朗は鞄からノートブックを取り出す。仕事で使っているものだ。古い宿でもWi-Fiは飛んでいた。インターネットにつなぎ、静かにキーを叩く。


← (2)

→ (4)






拍手[8回]


 翌日、SのバスターミナルからTのバスセンターへと飛んだ。長距離のバス移動を最近ではしないので、昔を思い出して懐かしかった。大学時代、柾木の家に通う際には、安いからという理由でTから高速バスを利用したものだ。あのころはバスの車内にいろんな感情を詰め込んでいた。いまから会える期待、共に過ごせる時間への喜び、帰るときの名残り惜しさ、淋しさ、どうしようもないせつなさ。
 渋滞にはまることもなくすいすいとバスは進み、予定時刻より早くバスセンターに着いた。指定されたカフェに向かう。柾木は窓際のシートに座って頬杖をついて外を見ていた。その横顔があまりにも浮かないもので、これから旅行なのになんでそんな顔してんだよと、危うげな感じに心動かされついシャッターを切った。隠し撮りだ。
 柾木は音に気付かない。窓の外から目線を外したのは、音に気付いたからではなく、時計を確かめたからだった。その顔が持ち上がって慈朗を捉える。手を挙げると柾木も軽く手を挙げて合図をした。
「なにか飲むか」
 そう訊かれてメニューを渡されたが、柾木の手元にある、おそらくコーヒーが入っていたと思われるカップは空だった。「それより腹減ったな」と言うと、時間を再び確認して「そうだな」と頷き、柾木は立ちあがった。シャツに薄手のニットを着ていたが、その上に上着を羽織った。
「ここから少し歩くが、地場産の牛肉を食える店がある。あとはラーメンとカフェとベーカリーと食べ歩き。どれがいい?」
「迷うなあ」
「じゃあ歩きながら決めてくれ」
 店を出る。車はどこに停めたのかと訊くと、宿の駐車場をつかわせてもらっているとの返事だった。宿、ということはここに泊まるのだ。本当に旅行なんだな、と不思議な感覚に陥る。そういえば柾木とこうやって揃って出かけるのははじめてだった。
 駅前をまっすぐ進むと商店街に出た。商店街の裏手はすぐ川になっている。橋を渡ると唐突に古い町並みが並んでいて驚いた。ここはかつて江戸幕府の直轄地であり、古い家々は現在では景観条例を出して保護している町並みだという。
 そのくせに並んでいる店は食べ物を商うものばかりだ。団子、コロッケ、串焼きにビール、からあげ、汁粉、ソフトクリームには金箔が貼られている。苦笑しつつこういう場所は嫌いではなかった。柾木の方がこういうところは嫌がりそうだと思ったが、本人は慈朗の心配をよそに「色々あるな」と呟く。
「食べ歩こうよ。でさ、夕飯に豪勢なの食おうぜ」
「ああ」
 串焼きの店で焼いた肉を買い、今夜はここに宿泊で車の運転もないと言うのでビールを買った。もっとも慈朗はあまりアルコールには強くないし、柾木も積極的には飲まない。だから一杯のビールをちびちびとふたりで分けながら飲んだ。
 団子は焼きたてで、メンチカツもその場で揚げてもらえた。観光客は多かったがほとんどが外国人観光客のようで、日本人の方がかえって少ない。少しでもぼうっとしていると即座に英語で語りかけられる始末だ。適当なところでベンチを見つけてそこに腰掛ける。結構腹は膨れた。
 さわさわと秋の風が吹き抜ける。アルコールのおかげで身体が火照っていて、心地よい。
「シロ、酔った?」
「んー、ちょっと」
「宿、行くか?」
「もう少しこの町歩きたいな。写真撮りたい」食べ歩きだと手が塞がるので、カメラを構えることは出来なかった。
「じゃあ、もう少しここで休んでから」そう言って柾木は遠くを見た。まただ、と思う。今日は何度も見ている。柾木の視線が、表情が遠い。物憂げで普段以上に静謐。もしくは澄んだ水底に沈んだ澱。つまり、秘して黙していることがある。
 なにか思うことがあってのこの旅行なのかと考えるが、自分の関することでは原因を思いつくことは出来ない。なにかあれば話すだろうと思い、柾木のリアクションを待つことにした。
 結局そのベンチにしばらくいて、写真は撮らずに酔い覚ましに歩いて宿まで戻った。「急に取ったからいい部屋じゃない」と言うだけあって、狭くて施錠も不安になるような和室だった。旅館自体は様々な民芸品が雑多に置かれていてその秩序のなさがかえって楽しい。ただ慈朗たちの部屋は壁も薄く、隣の部屋から細々と読経が聴こえてくるのには閉口した。寺社が近い。
 気分転換に内湯に向かった。部屋にはトイレしかついておらず、身体を流すには大浴場に行くしかなかったのだ。時間が早かったせいか人はおらず、贅沢に使えた。髪と身体を洗って鈍色の濁り湯に浸かる。大きく開いたガラス窓の向こうに山並みが見え、そこへ陽が落ちていく。「落日」と柾木が呟いた。
「こういう風景は見慣れないな」と言う。柾木と慈朗の暮らす町にはそもそも山並みがない。
「理は海派? 山派?」
「分からん。考えたこともない。そういうのは育ちが影響しそうだとは思う」
「海の傍で育っていれば海派?」
「まあ、海を身近に感じれば郷愁の要因にはなりそうだよな。山も同じ」
「おれらの町、なんもないもんな。中途半端で」
 山はなく、海も遠からずされど近からず。平野のど真ん中にあって、広い川が流れている。柾木の生家は樹木だけは旺盛だ。そういう意味では、彼にとって植物は身近なものかもしれない。見せてもらったことはないが、そういうものをモチーフに描いていた、と学生時代を振り返って聞いたことがある。



← (1)

→ (3)


拍手[9回]

«前のページ]  [HOME]  [次のページ»
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501