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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 目が覚めたのは明け方で、それはやはり隣から地鳴りのように読経が聴こえてきたからだった。わりと遅くまでパソコンに向かっていたつもりだったが、いつの間にか布団に潜って眠っていた。隣で柾木も起きていた。目を見あわせ、漏れ伝わる宗教のリズムにふたりでちいさく笑った。
「来い」
 柾木が布団を軽く持ちあげた。慈朗は布団から這い出て、柾木の腕の中に納まる。寝起きの柾木の体臭がして安心する。寝相ではだけた浴衣から覗いて当たる素肌がたまらなかった。
「お経って不気味な感じがしてたけど、こうやって聴くと音楽みたいに聴こえる」
 囁き声でそう漏らすと、「そうだな」と低く掠れた返事があった。
「音楽なんだろうな。言葉だから」
「言葉は音楽?」
「言葉は音だろ。音に意味がくっついてるだけだ」
「……絵は、なんなんですか、先生」
 昔っぽくいたずらめいてそう尋ねると、「ふ」と鼻から吐息を漏らした。
「写真はなんだ? 雨森」と柾木も笑って訊ね返す。
「おれの場合だけど、記録、だと思う」
「ああ」
「見たままを写せる。そこに意味を込めるのは見た人それぞれの感覚や感性でいい。……昔は違ってた。おれはこういう光景を見て感動したからその感動を他の人も味わってほしいって思ってた。けど、大学出て西門先生のアシスタントしてたら意識が変わった。いまのおれが撮るのは媒体みたいな感じ。昔ほど自己主張しないねって言われるけど、いいんだ。記録だから」
「なんだっけ、……amplifier」
「アンプリファイア?」
「増幅器。バンドマンがアンプアンプっていうあれだよ。確かにここんとこのおまえの写真はそんな感じがするな。おまえはただみんなが気付かないような些細なものに気付いてそれを拾って収めてるだけ。見た人がはじめてそれに気付いて感動する、……みたいな」
「おんなじようなこと、こないだ言われたよ。パーティで知り合った出版社の人」
「ならあながちおれの審美眼も間違ってねえな」
「写真は、記録。……絵は、写真みたいなリアリズムで描く人もいるけど、やっぱり自己表現なんだと思う。感性を拡大させてる」
「……そうだな」
「工芸やデザインは生活。これは離せない。――青沼と連絡取れたよ」
 唐突な台詞にさすがに驚いたのか、柾木は半身を起こした。慈朗は寝転がったまま喋る。
「昨夜、青沼宛にメール送ったんだ。事故のニュース読んだけど無事か? って。いまどこにいんの、って」
「返信、あったのか?」
「タイミングがよかったみたい。返信代わりにすぐ電話が来た。事故の連絡受けて青沼も赤城先生の滞在先に飛んだんだって。赤城先生はまだ病院。落ちた先にあったペインティングナイフで腕を深く切って、腱まで切れたから繋げる手術をしたって。それと、あちこち骨折や打撲」
「……」
「でもそういう傷を除けば、命にかかわるような異常はないらしい。脊髄の損傷とか、頭を打ったとか、折れた骨が内臓に刺さって内出血してるとか、そういうのはない。けど、リハビリしないと元の生活には戻れないよって言われたって。赤城先生落ち込んでるかと思ったんだけど、青沼、笑ってたよ。そりゃひやっとしたけど、あの人は描くんだよって。右手がだめなら左手で描くし、両手が使えなかったら足でも口でも使って描くって。腕に麻痺が残るんなら、麻痺で描ける色を楽しむって。だから心配すんなって言われた。――大丈夫だよ、理」
 そう言うと、柾木は眉根を寄せ、泣きたいような顔をした。だがそれも一瞬で、次の瞬間には身体を倒して枕に顔を伏せた。
「――そうだよな」
 とくぐもった声で言う。
「あいつは結局、描くんだ」
「うん」
「そういうやつなんだ」
「うん」
 相変わらず隣の部屋からは静かに読経が響いてくる。その音を微かに聞きながら柾木の腕が慈朗に伸ばされ、慈朗は応じる。はだけた浴衣の下をまさぐって、声を殺してセックスをした。漏れそうになればシーツを噛みしめ、それでも止まらないときは柾木の唇で塞いでもらった。なんの準備をしていなくても慈朗は柾木を受け入れる。もう身体は作り替えられた。柾木の手で。
 いつの間にか経は止み、ふたりとも頂を迎えて脱力していた。熱い柾木の肌が気持ちがいい。荒い呼吸を整えながら、ついばむようにキスをする。
「――歩くか」
 誘われて外へ出る。
 朝市はさほど繁盛しているわけではなかった。個人がテントの下で野菜や果物や漬物、名産品を販売しているが、時期が時期なのであまり豊富にあるわけではない。これなんだろう、と土産物を売る店で売られている赤い小さな人形を眺めていると、横から柾木に「それはサルだ」と言われた。そういえばあちこちで見かけた形だ。頭巾をかぶったような赤い人形はサルの赤ん坊であるという。だから頭を覆い腹掛けもしている。
「すごく赤、って感じの赤」
「それはねえ、子どもがよく育ちますようにっていうお守だよう」
 店番をしている老年の女性にそう言われた。
「安産とか、良縁とか、無病息災。お兄さんたちいい男だから、一個買ったらもう一個つけてあげる」
「おばあちゃん、それはサービスしすぎだって」
「あれ、漬物の方がいいかい? かぶが美味しいよ」
 あれやこれやと言われ、結局ストラップになっているお守りを一個買った。柾木はいらないだろうから断ろうと思ったが、おまけの二個目も貰ってしまった。「いいよ」と柾木はお守りをひとつひょいと取った。「車の鍵にでもつける」
 朝早くから営業している喫茶店でモーニングを食べた。コーヒーを頼むとトーストやらサラダまでついてくるお得なセットを黙々と食べる。食べ終えてから「理」と呼んだ。コーヒーを飲んでいた理は眼鏡の奥の無防備な目をこちらに寄越した。
「――写真、撮ろう」
 柾木は写真を嫌がる。承知で言った。
「こないだのパーティでね、出版社の人と名刺交換したんだ。あまり大きくない出版社だけど、いい写真集や画集を扱うから、前から名前は知ってた。そこの編集の人、おれの写真のことも知ってたんだって。まあ、西門先生の紹介なんだけど。それで、今度あなたも写真集を出しませんかって言われた。まだ企画もなにも立ててないから題材も決まってなくて、だからなにがいいとかあれがいいとか色々話した。あなたが撮りたいものはなんですかと言われて、……理はすごく嫌だと思うだろうけど、写真が記録なら、おれが撮りたいのは理だと思った」
「……」
「記憶に残ってるなら写真は必要ないと思う。でも忘れちゃうから。理があのときあんな顔してたって、おれは記録に残したいんだ。……別に、理だけの写真集を作るつもりはない。おれの周囲の人間とか、生活とか、なんか、そういうものを撮りたいなって思った。撮りたいものの話だから、この企画も通るか分かんないけどね」
「……」
「でもさ、理の了承を、得られるなら」
 そう言うと理はため息をついた。それからコーヒーを飲み干し、頬杖をついて窓の外を見遣る。
「ならおれは、おまえを描くかな」
「――え?」
「油彩。いや、デッサンでもいいか。なんならクロッキーでもいい。とにかく、久々に学生の指導だけじゃなくて、自分のための制作をしたくなった」
 言われて慈朗は目をぱちぱちと瞬かせる。柾木が絵の指導をしているところを見たことはある。教材にするから、と絵の見本を制作しているところを見たこともある。だが柾木自身が自分のために絵を描いているところは見たことがない。そういうことはしないのだと思い込んでいた。
 柾木はこちらを見る。やわらかく微笑んでいた。
「おまえがいてよかったんだと、思う」
「そうだよ――」
 慈朗も微笑む。お互いに拒否権の行使はしない。
 その後店を出て、町をもう少しうろつき、宿を引き払った後は柾木の運転で神社へ寄った。そこで三脚とタイマーを使って写真を撮った。設定をして画角を決めているあいだは柾木をひとりで立たせていたのだが、そこはこちらもプロなので、作業はスムーズに進む。柾木はどうしていいのか分からない、という顔をしなかった。ただ慈朗の手際を感心したふうに見ている。
 手は繋がない。腕も組まない。特別いい格好をしているわけでもない。
 けれど並んで写真を撮った。ふたりで撮るのははじめてのことだった。


End.



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これにて今回の更新はいったんおしまいです。楽しい時間でした。またお会いしましょう。





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沙羅さま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
7月から始めた更新もようやく終わりました。長くお付き合いいただけて嬉しかったです。この間(それより前からもですが)慈朗と柾木のことばかり考えていて、それは私にとって幸福なことでした。
赤城にとって絵を描くことは呼吸することと同義であるように思いますが、柾木にとってはどうだろうとずっと考えていました。自分の絵を否定され続けて来た人ですから、スキルを持ち合わせていたとしても絵に向き合いたくはないですよね。慈朗も慈朗で、写真はずっと好きであるのと同時に、好きでい続ける努力も必要だと様々な経験から学んだはずです。そういう「その後」の話を考えるときりがないのですが、いい意味で変化していくふたりを私自身も楽しんでいました。
等身大のふたりの写真を見てみたいとおっしゃっていただけて、書けてよかったと思いました。
しばらくはこのふたりから離れて新しい主人公を、と思っているのですが、なにかのきっかけでまた出会えるといいなと思うふたりです。もちろん、赤城と青沼もですね。
しばらくはまた構想の日々に潜りますが、また上昇した際にはぜひお付き合いください。
拍手・コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2019/09/09(Mon)09:06:17 編集
拍手コメントでお名前のない方へ
読んでくださってありがとうございます。
登場人物の名に関して、大抵一筋縄ではいかない読み方をさせております。ご苦労をおかけしておりますが、なんというか、名づけは私の楽しみみたいな部分でもありますので、お許しください。
文中のふたりが何歳差だとかいまいくつだとかをあまり明らかにはしませんでしたが、歳を経てからでも「楽しく」やっているふたりだと思います。今頃どうしてるかなと想像を巡らせていただけるようなふたりだといいなと思っております。
また浮上の際にはよろしくお願いいたします。拍手・コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2019/09/09(Mon)18:23:06 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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