[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
綾と暁永
幼馴染という間柄で、お互いのことはなんでも知れている。いまさらこいつがこういう性格で好きこのみはこうなんだとか、新しい発見を日常で感じることはない。誕生日はいつ、血液型はなに、好きな食べ物はあれで嫌いな食べ物はこれ。綾は暁永のことを訊かれればなんでも答えられるし、暁永だって同じだろう。忘れていることはたくさんありそうだけれども。
長いこと身の内にくすぶらせ続けてきた初恋は、ある日突然叶った。それは綾が長いこと待ち望んでいた瞬間で、でもその日がやって来たら、単純な喜びひとつだけではなかった。ずっと暁永の日に焼けた腕の中にいる自分を想像していたというのに、暁永に手をつけられると分かった夜は、申し訳なさでいっぱいになった。誰に対して? 甥に対して。淋しいからと都合よく傍に置いた透馬のことを急に思い出した。暁永についてようやくイギリスまでやって来た夜だったのに。
急に気持ちの整理なんかつかないよな、と暁永は言い、そっと背を向ける背中を慌てて引き戻した。綾の迷いまで知られてしまっているのなら、もう隠すことはなにひとつない。歳を取り、張りなく痩せた身体に舌打ちをしたくなりながらも、綾からシャツのボタンを外した。全部脱いで暁永に見せる。発音よく実に感慨深く、暁永は「daring」と言った。
「……日本人だろ」
「いやあ、海外生活長いからな。つい出ちゃうんだ」
「うそくさい」
「待たせたな、綾」
そう言われると、こみあげるものがあった。じわりと滲む視界が嫌で目元に手を寄せると、その手は暁永に掴みとられた。親指の付け根にくちびるを寄せ、手首の内側の骨の浮き出た部分を甘噛みされた。髭が当たってくすぐったく感じたが、それ以上に恋焦がれた男にそうされている事実が、綾を高ぶらせた。
新しい涙は、いよいよ結ばれるのだ、という感動からではなかった。あけすけに言うならば、溢れかえる性感から。暁永のくちびるが肘の内側までのぼった時、それ以上は身体を保っていられずに、綾はベッドへ深く沈み込んだ。
暁永もシャツを脱ぎ捨て、綾にのしかかってくる。
「待たせてわるかった」
「……もういいよ」
ここまでかかった年月のことを、それ以上は話さなかった。下手に蒸し返してまた機会を逃すのだけは避けたかったし、気まずい空気になる前に先を読んで回避する術は備わっていた。歳を取ることは、きっと悪いことだけじゃない。若い身体で抱き合いたかった思いもないわけじゃないが、いとしい人に裸体で触れ合っている事実は、感電死しそうなぐらいの衝撃をもたらした。
スローなセックスをした。イギリスでの初めての夜、長旅の労は置いてやさしく丁寧に触れあった。はじめに思い出した透馬のことは一瞬で、あとは忘れた。どうしているかだなんて、考える方が無理だった。
夜半、雨音で目が覚めた。ずっと頭痛がしていたから降るのだという予感はあったが、何時から降り出します、なんて天気読みが出来るほど精巧なつくりでもない。降り出した雨は弱々しく、そんな微細な音でも聞き漏らさず起きてしまう自分の繊細さに、いつもながらに呆れる。
隣の布団は空だった。時計を見る、午前一時半。まだ起きているのかと思いつつ、起き上がる。水を飲むために台所へ向かった。床木はきしきしと音を立て、雨音と不思議と調和する。
結局、二年で日本へ戻って来た。日本、というよりも、Fへ。イギリスは綾に本当に合わなかった。頭のやわらかなうちに英単語のひとつでも覚えておけば良かったのか。新しいものへの拒絶は自分で想像していた以上に大きく、イギリスでの綾はただひたすらに無口で引きこもりだった。暮らしているうちに分かり始めた英語はしかし聞くだけで、発音はしない。暁永がいなければ出かけることはしなかったし、当然、仕事もしなかった。家にいてたまに庭に出て、暁永のコレクションである花々をスケッチブックに描きつける日々。
それでいいよ、と暁永は言ったが、負担は大きかったに違いない。再び転勤の話がやって来た時、暁永は相談もせずに帰国を決めた。日本のめしは美味いだろうな、と言いながら頬を撫でられ、自分がそれほど痩せきってしまったことに気付いた。
帰国して古い馴染みと顔を合わせ、Fの空気を吸って、しみじみと自分はFの人間なんだと思い知った。若いうちに暁永と結ばれていても、ここを離れられなかったに違いない。そのまま壊れて青臭い勢いのままにうまくいっていなかったかもしれないと、狭い自分を思い返す。
いまは季節がめぐり、春だ。また筆耕の仕事を少しずつ受け入れ始めた。これが出来る喜びと、あとどれくらいこうして暮らすのか、という漠然とした不安とが織り交ざって、日々はやすらかに過ぎる。綾は、いま死んでもいいと思っている。暁永とFで暮らしているから。
蛇口をひねり、コップに水を汲んで、飲む。一口、二口と口にしていると、大きなあくびをしながら暁永が台所へやって来た。
「綾」
「まだ仕事か」
「いや、もう寝る。綾の顔をちゃんと見ておくのは、久々だと思ってさ」
ここ数日、暁永は出張に出かけて留守をしていた。帰宅したのは昨日の深夜で、綾は先に就寝していた。朝起きると、すでに大学へ出かけていた。そんな風にしてすれ違って、暁永の言う通りに顔を合わせたのは約五日ぶりだった。
暁永の出張中、少し体調を崩していた。医者に行こうかどうしようか思案していた矢先に暁永は帰宅して、すれ違いの中でも綾のために食事を用意してくれていた。暁永いわく「野生の勘」は、綾に対してとても敏感だ。一時期はそれもなくなったと絶望しかけていたから、いま綾の元に向けられた愛情はより一層の感動を綾にもたらす。
暁永の手がそっと綾の額に伸びた。熱くて力強く、綾は目を閉じる。
「元気か、綾」
「――少し、」
「眠れない?」
「眠りづらい」
「まだだるいか」
暁永の問いに、首を振った。大したことじゃない。でも甘えたい。心細いが、ひとりでやりこなせる程度。これをどう頑張っても、暁永に上手に説明できる気がしない。
「明日は教室の初回だから、緊張しているのかもしれない」
つてを頼りに、また教室をひらけることになった。場所は、しばらくは区の公民館を借りる。手習いのひとつとしてどうかと講師申請すれば、ぜひお願いしますと快い返事があった。
「おれももう寝るよ。一緒にやすもう。――そうだ、昼間」
そう言って暁永はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。部屋着のズボンにそれを持ち歩くとは考えられなかったから、綾の起きた気配に、本当はこれを目的としていたのかもしれない。
画面を眺めながら、「誓子から。透馬が引っ越した、って」と暁永が嬉しそうに言う。
透馬。その名を聞いて、ああそうか透馬か、と思った。正直、いまの生活に透馬の存在はいらなかった。伯父と甥、かつては共に暮らし愛した仲であるが、透馬のことなど思い出しもしなければ、考えもしなかった。
引っ越した、ということは、あの家を出たということだ。訪れたことはないが、妹の嫁ぎ先にあまりいい印象を抱いてはいない。青井という男が嫌いだ。そこまで考えて、ようやく透馬にとっても居辛い場所だったのだと思い至った。
「すきな人と暮らすからって言って、出て行ったらしい」
暁永が見せてくれた画面には、確かに誓子と暁永のやり取りが記されていた。一通り眺め、暁永に返す。綾はこの手の類の機器を持っていないから、つかい方がよく分からない。対して暁永は若い世代との交流が必須のせいか、とても詳しい。正反対だ。
どうして一緒にいられるのだろう、と目の前の暁永を見て思った。思いが通じるまでが長かったせいか、疑い深い。この先も続くなんて信じられないから、やっぱりしあわせないまのうちに死んでしまいたい。満ちているから、いま終わっていい。
「よかったよなあ、透馬」と言った暁永の台詞は、半分ぐらいは聞いていなかった。
「――綾、なんか思いつめてる?」
問いかけられ、我に返った。
「いや、……やっぱりまだ調子、よくないのかもな」
「そうだな。寝ようか」
「ああ」
さっきまで熱心にいじっていたスマートフォンをすぐそこのテーブルへ放ると、暁永は手を握ってきた。ほっと息をつく。幼馴染だから、という理由だけでなく、暁永にはすべて理解されている。身体も、思考も、不安と安寧で完結されたFでの静かな日々をうっとうしく思いながらも愛している綾のことは全部。
揃って並ぶ布団に潜りこんだが、暁永が手を伸ばしたので、布団から手を出してまた握り合った。
「綾、おれたちはなあ、えらく元気なじいさんになるんだよ」
眠る間際に、暁永が言った。
「あのじいさんたち長生きですね、もういくつですか? ってぐらいまで、生きる」
「やだ、無理。ぼくはもたない」
「ずーっと手ぇつないで寝る仲だぜ。あと二十年? 三十年? 百年でも二百年でもなんでもいいや。とにかくいまから退屈してんなよ、綾」
「……」
「ようやく、これからだろ」
暁永の手に力がこもる。ぎゅうっと握られ、その手を綾は目元へうごかした。頬ずりをするように、いとしさが伝わるように。
本当は、信じていたい。死ぬ瞬間まで暁永が添える人生を。
「――明日、暇?」
声のボリュームを間違って、はじめの「あ」だけが大きく響いた。
「暇じゃないけど、夜はいる」
「じゃあ明日の夜、して、暁永」
「おお」
大げさでなく、暁永は驚いた声をあげた。少し期待も混じっている。「今夜じゃなくて?」
「……もう遅いだろ……」
「――ふうん、楽しみだな」
手を握ったまま、暁永は布団から這い出て顔を寄せてきた。軽く、キス。「明日はうなぎでも取るか」と言いながら離れていく身体に軽口をたたいて、目を閉じる。
頭痛はいつの間にか収まった。雨はじきにやむ。
End.
透馬と瑛佑と貴和子
瑛佑の都合がつかないようならだれか若い男をあてがってくれ、というのが先方の要望だったが、瑛佑がだめなら透馬、という図式になるのは言わずとも承知されていた。出勤する瑛佑と一緒に家を出て、駅で別れ方向の違う電車に乗る。着いた先は動物園の傍にあるカフェだ。九時開園の動物園に合わせて早朝から営業している店であり、八時半という時間にもかかわらず人がいた。
カウンターでオーダーと精算を済ませるタイプの喫茶店だ。焼きたてパンも並び、五百円でモーニングセットも頼める。朝食は済ませているので、コーヒーを頼んで店内を見渡した。窓際の二人掛けのテーブルに見たことのあるショートカットを発見し、あえて背筋を伸ばすことを意識して歩く。きっと瑛佑は、職場でこうやって歩いている、と想像しながら。
透馬に気付いた貴和子は、「おはよう」と微笑んだ。
「おはようございます。ホテル、どうでした?」
「部屋はまあまあね。マッサージは良かったわ。プールでも泳げたし」
「今日は動物園に一日、でいいんですよね」
「そう、よろしく」
「こちらこそ」
新幹線で休日を利用してわざわざこちらへやって来た瑛佑の実母・貴和子は、昨日は動物園の最寄駅ちかくのシティホテルに宿を取って「おひとりさま休暇」を楽しんだ。息子の職場でないホテルを選んだのは単に立地と電車接続の都合である。マッサージを頼みプールで泳ぎ、広いバスルームを堪能して展望レストランでの和食フルコースを楽しみ、バーでも飲む、という旺盛さだ。存分に堪能した翌日は動物園に行きたいから相手役をひとりよろしく、ということで都合のついた透馬が仰せつかることになった。話を聞いた秀実も行きたがったが、彼もまた仕事である。しかも再来週には自身の結婚披露宴が待ち構えており、実はそれどころではない。
風薫る新緑の五月だ。四月に花を散らした桜の枝は青々と若葉をしげらせ、街に緑を呼んでいる。ついこの間までは風流な家の先に藤が見事に垂れていたが、現在はばらがひらいている。もうじき近くの通りで植木市が開催される、という広告も見た。仕舞い込むのを億劫がったこいのぼりがたまに視界に泳ぐ、さわやかな季節だ。
窓の外を見て息をつく透馬に、同じことを思ったのか貴和子も「いい季節ね」とつぶやいた。
「晴れてよかった。でも紫外線がひどそうね」
「一日屋外ですから、焼けそうですね」
「透馬くんの方が気を付けた方がいいんじゃない? 見たところ、焼けると赤く腫れるタイプでしょう」
「そうなんですよ。おれとしてはヒデくんみたいに、とは言わなくても、少しは焼けて見た目の貧弱さを解消したいんですけど」
「そう気にするほど弱くは見えないし思わない。さてそろそろ行きましょうか」
貴和子の台詞にどきりとしながらも、促されて急いでコーヒーを飲み干す。紫外線対策はその年頃の女性には必需であるだろうに、貴和子はサングラスをかけただけで日傘すら差さない。薄手のタートルネックのシャツ一枚にタイトなパンツといういでたちに、体型のゆるみをゆるさない彼女の美意識が感じられる。ほんっとかっけえな。瑛佑とよく似ている、と思うと笑みがこぼれ、一方で今日いちにちはおれもかっこうよくなければ、と気を引き締めた。
開園の五分前、チケット売り場は並んでいた。透馬がひとりで買ってくるつもりでいて、貴和子も一緒にならんだ。「ひとりで待ちぼうけしててもつまんないじゃない、せっかく二人で来ているのに」と言われ、その通りだなと思い直す。瑛佑の話では「女性扱いを嫌う」と聞いていたから、余計な気を利かせるのはやめよう、と思う。
「なんで動物園ですか?」と訊けば、「水族館のリベンジ」と答えた。
「瑛佑が相手をしてくれるなら寺社詣でにしようと思ったんだけど、透馬くんが相手なら絶対に水族館か動物園か植物園にしようと決めていた。そちらの方が興味あるでしょうし、前回は笑いもしなかったしね」
冬に貴和子とKへ出かけた際のことを言っている。その節は大変もうしわけなく、と苦笑いするが、貴和子は「気にしてないから」とさっぱりと言った。
「透馬くんが笑うところを見たいと思ったのよ。動物園で楽しんで、どこかであまいものでもいただきましょう」
「……ありがとうございます」
「動物園だなんて瑛佑がちいさい時以来だわ」
「……瑛佑さん、どんな子どもでした?」
「無口で、でもやんちゃだったわ」
瑛佑のこととなると気になる透馬を微笑する。それでも聞きたい。やんちゃ、という辺りが興味をそそり、サルやゾウやキリンを眺めながらたくさん話を聞いた。貴和子もそのつもりで来たようで、透馬にたくさん話をしてくれた。
貴和子はやはり研究者らしい視点で、動物園のあちこちに貼られた表示や説明書きをよく読んだ。それを貴和子流に解釈して透馬に聞かせてくれるのも面白かった。まなざしのきつい人だから合わないんじゃないかと感じていたが、そうでもない。すきな人の母親だと思えば余計に微笑ましかった。貴和子の顔立ちや喋る癖に瑛佑を感じて。
園内は広く見飽きなかったが、そこらに点在する喫茶室のひとつに入り、貴和子とアイスクリームを食べた。チョコレートとバニラを白黒のパンダに見立て、ビスケットで目鼻まで表現されている。貴和子とはあまいもの好きという共通点がうれしい。瑛佑もつきあってくれるが、透馬ほど熱心じゃない。
ふと、きちんと伝えておくべきだと感じて、アイスクリームを食べ終わってから貴和子へと居ずまいを正した。
「? なにか?」
「すいません……おれ、瑛佑さんと」
「知ってるしってる。つきあっていることなら聞いているから」
野暮ったいことはしないで、と言わんばかりに手をひらひらと振る。彼女はまだアイスクリームを食べ終わっていない。ちゃんと最後の一口が飲みこまれるのを確認してから、透馬は口をひらいた。
「あの、たからものだと思っています。神様がおれにくれた、ご褒美」
さすがに意外だったのか、貴和子は滅多に変化させない目をひらいて透馬を見た。
「産んでくれてありがとう、って言いますか。……その、本当に会えてよかったと思っているから、」
貴和子が瑛佑を産んでくれなければ、透馬と会うこともなかった。そして貴和子が産んだ瑛佑だったからこそ透馬は瑛佑のことが好きで、瑛佑がべつの誰かだったらこの恋はきっとなかった。瑛佑が瑛佑であるみなもとの一因が貴和子だ。そのことを、感謝せずにはいられない。
長かった恋とようやく決別し、いまはあたらしい季節を踏んでいる。まいにちうれしいと思っている。伸びる新芽の背丈を測るのが心待ちであるかのように。
グラスにもらった水を一口飲み、貴和子は「それはよかった」と言った。口調こそそっけなかったが、表情はとても満足げであった。
「喜んでくれる人がいるなら、失敗だと思っていた結婚もそうでもなかったね」
「失敗だと思ってたんですか」
「思ってた。お見合いだったし、私はやりたいことがあったからね……こんな言い方はとても失礼だと承知で言うけど、結婚できないあなた方がある意味うらやましいよ」
意外なことを言われた。その真意が見えず、「え?」と問いなおした。
「恋愛でもしなきゃ一緒になろうなんて思わないでしょう。その情熱が。息子は、そういう経験をしたのねえってしみじみしちゃう。私はしないで終わりそうだから」
貴和子らしいぶっ飛んだ意見だったが、透馬は頷いてしまった。情熱が。確かにそうだと、泣きそうな思いで笑顔をつくる。瑛佑をありがとう、と。
閉園まで粘り、チャイムの音が鳴り響く中、動物園を後にした。入園した門とは反対側の門の出口で、仕事を終えた瑛佑が待っていてくれていた。あらかじめ連絡をしておいたおかげだが、誰かが待っていてくれている、というのは単純にうれしい。腕組みをしてぼんやりと空を見ていた瑛佑が、透馬と貴和子を見つけてふっと笑う、その表情の変化に思わず笑みがこぼれる。
食事をして解散の予定だったが、貴和子はまっすぐ帰るという。「お弁当でも買っておひとりさま旅を続けたいのよ」と言うから、透馬がいいと思う弁当屋に立ち寄って惣菜をテイクアウトした。ついでに瑛佑と透馬の今晩の品も。
乗り換えの駅までは三人一緒に行動した。待ち時間で、ふと瑛佑が「そういえばいまさらだけど」と貴和子に声をかけた。
「おれ、この人と暮らしているから」
そう言って透馬の肩をつかんで引き寄せる。
「一生、そういうつもりだから」
「……」
「だから結婚とか子ども、ってないけど、」
「あほか」
言い詰まった瑛佑にきっぱりと貴和子が言い放った言葉が意外だった。そういえば普段は西に暮らす人だ。透馬の前でこそ綺麗な標準語を喋ったが、ものの言い方が軽い方が馴染んでいるのだろう。
「端から期待していないわ。大体そういうのは向き不向きってあるのよ。あなたより秀ちゃんの方がよっぽど向いているでしょう」
「――かも、な」
「たのしくやんなさい」
重たげに貴和子は息を吐いた。まったく、妙な気を起こして息子をかわいがろうなんて思うもんじゃないわね、とひとりごとを言う。「あなたといい、透馬くんといい、こちらの肝をひっくりかえすようなことばっかり言う」
「もっと敬老の精神をもちなさい」
「自分を老人だとも思っちゃいないくせに。――あ、電車、」
瑛佑が言った先に、新幹線がホームへすべりこんでくる。ごお、と風が巻き、瑛佑と透馬の毛先を揺らす。
別れ際、貴和子は「二人目の息子ね」と言いながら透馬の肩をそっと叩いた。
「――じゃあおれは、二人目の母さん、って思っていいですか?」
「いいけど、母さん、と呼ぶのはやめて。いままで通り名前がいい」
「今度あそびにいきます」
「楽しみにしてる。あまいもの、用意しておきましょう。――今日はたのしかったね」
貴和子がそう微笑むのと同時に発車ベルが鳴り、ドアが閉まった。また風が揺らぎ、貴和子を乗せて列車が走る。見えなくなるまでホームにとどまる。
ところで、と瑛佑が言った。駅内は新たな電車の到着を告げるアナウンスがわんわんと響き、瑛佑の声が聞き取りづらい。一歩瑛佑に寄った。
「かあさんの肝を冷やす発言、ってなに?」
「……『瑛佑さんを産んでくれてありがとうございます』っていう話はしました」
「……」
「あの、おれさっき瑛佑さんが言ってくれたこと、すげえうれしかったですよ」
「……」
「恥ずかしかったすけど、…瑛佑さん?」
透馬の呼びかけに、瑛佑はといえば片手で口元を覆い隠していた。あれ、もしかして照れた? 思いがけない行動、たわむれに頬を突いてみれば指先に熱い感触があった。
口元に持って行った手を、耳を経由してうなじへと持って行く。明らかな照れ隠しに、透馬は笑った。胸の中がこんなにあたたかい。
おもいきり瑛佑の腰をひっぱたいた。
「――いて」
「瑛佑さん、かわいすぎる」
「透馬が変なこと言うからだろ。……恥ずかしい、ふたりしてのろけみたいなことかあさんに言っちゃった」
「すきですよ」
「……」また黙る。
「だから早く帰りましょう」
瑛佑も笑って、「接続詞がおかしい」と透馬の背中を叩き返した。地下に据えられたホームを出ると、途端に薫風につつまれる。人気の少ないのを見計らって手を握る。また夏が来るのがうれしいと、唐突に思った。
End.
一日中雪の降る日を体験したことがある。降雪量が特別に多い地域ではなかったから、あれは異常気象だったと言える。さんさんと降る雪は重たく、ただひたすらに静かだった。雪の舞い落ちる微かな音を聞いているうちに眠たくなって、雪の降っている間中寝ていた記憶。
いまそれを体験すれば、そんなのんきには過ごせない。除雪の心配、凍結の心配。雪の重みで家がつぶれないか、道はあいているか等。心配や悩み事の数だけ経験を積んで大人になった証拠だ。先日の大雪の際には川澄とずっと雪かきをしていた。
瑛佑は大雪を経験したことがないという。透馬からすればあり得ないのだが、この付近に暮らしていればまあ、雪などまずない話だ。笑っちゃえるぐらいの積雪でも、近隣の住人にとっては自然災害。瑛佑は大丈夫かな、とさらさらと舞う雪を見て思う。けっこう積もるかもしれない。
雪の降る日は眠たくなる。
綾は、低気圧の日は決まって頭痛のする人間だった。特に雨の日。気圧の変化で脳の血管が収縮して起きるものらしいよ、とどこかで聞き拾った話を他人事のように話していた。雨の日がそうなら雪の日も頭痛すんの、と訊いたが、そこまで繊細じゃないと言った、あのうすい笑み方。
綾が頭痛なら、透馬は眠気だ。寒くなるせいだと思い込んでいたが、雪の日は案外暖かいものだ。音を吸収して静かになるから? 薄曇りで暗いから? 分からないが、とにかく眠い。眠っても深い眠りなど訪れずに、浅い夢ばかり見るのだと分かってはいるのだけどつい布団に潜りこんでしまう。
飼い猫のトーフが透馬の布団にやって来た。
椅子の上で、ブランケットにくるまっているだけでは寒かったようだ。瑛佑のにおいのする布団へ、ちょいちょいと前足を出して様子を窺い、入ろうとする。そっと布団を持ち上げて迎え入れてやった。瑛佑のにおいは、このネコにとっても透馬にとっても安心するものだと知らされる。
明日はスーツを着て、会社の面接だ。まだなにも準備をしていないのに、こんなことでいいのかな、と腰の傍でまるまるネコを撫でながら思う。良くなかったとしても布団を出る気にはなれない。いまごろあの人は、と薄い背中を思い出す。ここでこんなにひどい雪なのだからFではもっとひどくて、深々と降り積もる雪に頭痛を訴えていたりするのだろうか。それでもと外に出てしろい身体を風に当てて、空を眺めたりしているのだろうか。
淋しいと思う気持ちは、瑛佑を思い出すことで薄れた。いまごろ瑛佑は、そりゃ仕事の真っ最中だろう。丁寧ではっきり通る口調で、客に応対している姿を想像する。あんなにスマートなのに、透馬のやわっちい腕の中に収まってくれる人。
ネコ一匹とヒト一人でぬくまってゆき、思考がうすらいでゆく。本当はきっとこんなことじゃいけない。聞こえないほど静かな雪の降る音を聞いて、ぽかりと白の中に浮かぶ夢を見た。
夕方、なんとか目が覚めたので瑛佑を迎えに行ってみた。やはりけっこう積もっている。雪はみぞれが混じり、道路はぐちゃぐちゃでスニーカーでは間に合わなかったが、遅い。傘は差さずにコートのフードをすっぽりとかぶり、慣れた足取りでKホテルまで向かった。道行く人は滅多に降らない雪に戸惑っている風だったが、これぐらいの雪、透馬は平気だ。
瑛佑の勤務終了は、いつもより遅かった。
雪のおかげで足止めを食らった帰宅困難者を、迅速に受け入れ始めたせいだ。ホテルまわりの雪かきにも人手を取られ、中は慌ただしかったという。終了予定時刻よりもたっぷり三時間、かかった時間は本屋でつぶした。メールを入れておいたから、待ち合わせはスムーズに出来た。
外は暗く、寒そうだった。透馬を発見するなり瑛佑は顔の前で両手を合わせて目を固く瞑った。その「ごめん」のポーズに、そんな場合じゃないのに、透馬はふっと笑った。心が暖かくなる。
今日一日、眠っていても淋しかった。寒かったせいかもしれない。早く瑛佑の顔が見たかった。三時間立ちっぱなしでもいいから顔が見たかった。
「悪い、先に帰ってもらえばよかった」
「それじゃ迎えの意味ないじゃないすか。……自転車は?」
「今日は無理。置いてく」
「だいぶひどいすね、雪」
これぐらいなら交通がマヒします、と言われても頷ける降雪量だ。瑛佑は透馬を気遣って「タクシー拾うか?」と訊いたが、首を横に振った。「駅まで行ってみて、だめそうなら、歩いて帰りましょう」
「これぐらいの雪なら、ちーっこくても雪だるまぐらい作れそうすね」
「また遊ぶのか」
「ちょっとだけ。瑛佑さん、めしは? 今夜どうすんのかなーって思って、一応肉と野菜を煮込んではあるんですけど」
「ああ、いいな。温まりそうだ」
「じゃあ手身近に遊びながら帰りましょう」
言うが早いか手近にあった雪をすくい、瑛佑のコートめがけてえいっと放る。驚いた瑛佑はとっさにかわそうとしたが、さすがにかわしきれずただ身体を捩っただけの格好になった。
あはは、と笑う。瑛佑は「やったな」とにやりと笑うと、せっかく手元に準備しかけていた折りたたみ傘を丁寧に仕舞い、透馬よりももっと俊敏な動作で同じく手元の雪を透馬に投げつけた。
「うおっと」
なんとかよけても、よけた先にまた雪。ぱん、とぼやけた雪の感触が胸に見事にヒットする。
「ちきしょー」
「透馬が先だろ、ほら」
また放られる。透馬も投げ返す。逃げたり走ったり追いかけたり。通りすがりの通行人が迷惑そうに顔をしかめて横をすり抜けて、ようやくやめた。息がすっかり上がっている。
こういう時、日頃の運動不足がたたる。瑛佑の方が鍛えているので、透馬より断然に余裕綽々だ。はあはあと息を荒げながら笑い合って、空を見上げる。次第に雨が混じり始めていた。
薄曇りの、もやもやと鈍い紺色の空。
「滑って転ぶなよ」
「うん」
もうあまり意味がなかったから傘は差さずに、駅まで歩いた。人の多さを目撃してからは顔を見合わせて、やっぱり歩くことにした。少し足が重い。濡れているから爪先が痺れている。早く風呂に浸かりたかったが、瑛佑といつまでもこの道を歩いていたい気もする。
「しりとり」
「またか」
「喋ってないと口の中まで凍りそうだからさー。今日はしり二文字を取るのにしましょう。しりとり……とり、……トリむね肉」
「ほんと主婦みたいだ。にく、……食いてえ、しか出てこない」
「はは」
「にくまれっこよにはばかる」
「お、上手い。はばかる…かる? えー? 軽井沢?」
「ざわ…難しいな。さわ、でもいい?」
「OK」
「さわ……沢木耕太郎」
「作家でしたっけ」
「うん。『深夜特急』だけ読んだ」
「おれはないなあ。うちにあります?」
「あー、どうだったかな。多分仕舞い込んでる。探すよ」
「瑛佑さんが本読むなんて、高坂さんの趣味?」
「いや、単に旅行記? だったからさ」
話をあちこちに飛び火させながら、続きの単語を言っていく。ろうそく。そくたつ。たつのおとしご。しごとつかれたよ。おつかれさまです。
家に帰りついて、順に風呂に浸かる。透馬の作った煮込みを、無言ながら瑛佑は旺盛な食欲で頬張る。その姿を見て、胸の内側がじわっときた。今日いちにち心細かった事実が瑛佑を見てせつなく蘇ってくる。
迎えに行ける誰かがいるって、なんて贅沢だろう、と噛みしめる。言葉を返してくれる。裏も表もなく、瑛佑は透馬のことが好きだ。その愛情が、全部自分のものだなんて。
面接が無事に済んだら部屋を見に行こう、と瑛佑が言った。透馬と瑛佑が暮らす予定の、二人の部屋だ。
「――それでさ、ちゃんと部屋が見つかったら、お祝いしよう」
「引越し記念、すか?」
「それもあるけど。透馬、先月――先々月か、に、誕生日来てるだろ」
そんなの透馬本人だって忘れていたし、いまさらどうこうする話でもなかった。正直、瑛佑がそんなささやかなことにこだわるとも思えない。明らかに気を遣ってくれているのだが、それが、嬉しかった。
瑛佑がいると、嬉しいことばかりだ。本当に大好きだ。一生この人といられますように、というシンプルな願いしか見当たらない。
いつか飽きるんだろうか。いまはなにがあっても手放す気になれないこの人を、足で蹴飛ばしてみたくなったり、顔も見たくない日が、来るんだろうか。
幸福に飽きる日が来るんだろうか。でもそれは、いま考えなくてもいい。そんな時間があったらいまを味わっていたい。瑛佑が、透馬を見ている。
「――だからさ、瑛佑さん。知ってるでしょ、おれにとっての『誕生日』の概念を」
「透馬がいちばん嬉しいと思うことをする日だろ。すれば、いいじゃん」
「瑛佑さん、どーんとすげえもの贈られちゃうかもしれないんですよ」
「透馬、またおれになにかプレゼント考えてんの?」
「いや、ノープランですけども。ほしいものあります?」
「ふ、」
違うだろ、と瑛佑は突っ込んで、笑った。あ、いい顔をするなと思う。続けて「透馬の誕生日っておれにとっても楽しい日だよ」と言われて、一瞬、吐いた息を吸い忘れた。
言った本人も思わぬ響きに照れ臭くなったのか、耳を掻く。
「――ひとまず明日、面接がんばれよ」
「はい。あ、あの、」
「ん?」
「……今夜はもう少し、話をしていても?」
「……トークテーマは?」
「来たるべきおれの生誕祭に向けて?」
「はは」
瑛佑の声色が跳ねあがる。普段、あまり声を出さない人だから、こういうところにいちいち心臓が高鳴って、おかしくなる。
外は雨にかわった。雨音は部屋へと忍んでくるが、二人のあいだは暖かい。
End.
「……その顔だめだって……、――っ、」
銜え込むと、黙った。片手でシーツを握り、もう片方の手は瑛佑の髪をいじり出す。男なんか相手にしたことがないので、いま施していることはすべて透馬を手本としている。裏側を辿り、まるみをねぶり、先の抉れを舌先で突く。透馬が瑛佑にしてくれる時は、全部をすっぽりと銜え込んで圧をかける、という手練れたことまでしてくれるのだが、それをするにはまだ経験や勇気が足りない。舌で弄って軽く食む、ぐらいが精一杯だが、透馬は目を閉じて浸ってくれている。
そっと薄目をあけ、快感に酔いしれた瞳で「瑛佑さん」と呼んだ。
「おれもしたい。させて」
そう言って瑛佑の腰の方へ顔を寄せてくる。勃起を瑛佑の口元へあてがったまま、互い違いとなる格好だ。透馬の腿に頭を乗せるとちょうどよく、濡れる先端にしゃぶりつく。
「――瑛佑さん、べたべただよ」
瑛佑の下着に出来た染みを、透馬は嬉しそうに報告した。普段からよく喋るのは承知だが、セックスにまで口数が多いのは恥ずかしい。瑛佑が無口な性分だから余計にそう感じるのかもしれない。
下着の上から舌を這わせてくる。直接的にはなかなか触れてこないのが、じれったくてもどかしい。刺激がほしくて尻が勝手に動く。下着が濡れてゆくだけで、張りついてくる布地が窮屈。
「……透馬、ちゃんと触れ……」
「――うわ、」
喋ると、口の傍にある透馬の勃起からじわりと蜜がにじんだ。
「いま、夢の通りだったよ」
言わせたくせに。
「ちゃんとします、ね……」
下着をずらされて、焦らされっぱなしの勃起が勢いよく飛び出したのが分かった。そこからは透馬の猛攻がはじまる。ありとあらゆる技で瑛佑を追い詰め、ぎりぎりのところでくちびるを離す。尻たぶをぐいと掴まれ、蜜をこぼす中心どころか渡りから奥まで舐められて、透馬に施すことが難しくなった。
這いまわる舌に、身体がびくびくと攣る。触れてゆく先からそこらが溶けてかたちを失くしてしまいそうだった。久々に触られるからなのか、透馬が巧いからなのか。透馬から与えられることはすべて瑛佑を気持ち良くすると、身体にしっかりと教え込まれてしまったからなのか。
いつの間にか体勢が入れ替わり、尻を高く持ち上げた姿勢ですべてを透馬にさらしていた。シャツも下着も透馬の手で取り去られている。透馬はシャツだけを着ていたが、暑い、と言って自分で脱いだ。
ぬかりなく用意されていたローションを、透馬の手を介して垂らされる。先程まで透馬が散々舐めまわしていたせいで、長いこと閉じていたはずの後腔は緩みかけている。そこを指で探られ、伺いたてるように中に一本入れられて、腰が跳ねた。
「――あっ」
「……痛……くない、よね。苦しい?」
痺れて動けなくなっている身体にどうにか力を込めて、首を横に振る。背後でほっと息を吐く気配、同時に「もう少し」と言って指が奥までぐうっと入り込んできた。
一本まるまる飲みこまされて、自然と締め付けてしまう。それでも透馬が指を出し入れしたり空いた手で太腿や尻を撫でてくるうちに、はじめの違和感が薄れ、緩む。ローションがさらに足され、指の数も増える。三本まとめて出し入れされる頃には前も後ろもどろどろで、膝がふるえて体勢を保っていられなかった。
「シーツに垂れてる」
前をゆっくりと扱いて、透馬が言った。その刺激にまた身を捩る。
「瑛佑さん、気持ちよさそう」
「……気持ちいいんだよ……」
「……おれのせい?」
頷くと、透馬は心底あまい顔をした。すべて透馬が教えたことだから、透馬に責任を取ってもらわねば困る。ひくりと蠢く背後は、指だけで到底満足し得るものではなかった。透馬、と名前を呼ぶ。早くほしい。
瑛佑の背後に覆いかぶさると、耳に直接「すきです」を吹き込まれた。身体中に鳥肌が立つ。
先端だけを瑛佑の窄まりにひっかけておいて、なかなか入れようとしない。少しだけ腰を押し進めて、引く、を繰り返す。切羽詰って懇願するのは透馬の思いどおりなのだと分かっていて、そうせざるを得なかった。はやく、と普段の自分からは想像できないほどのみっともない声が出た。
「……おれが、ほしい?」
「しつこい……っ」分かり切っているだろう。
「すいません。おれも余裕ぶってる場合じゃないよ……」
紡ぎだされる言葉のひとつひとつが、耳にあまい。崩れそうな腰をぐっと掴むと、透馬はようやく腰を強く押し付けた。
「――ああっ……あっ、」
「……っ、瑛佑さんっ、」
だっこ、と言って透馬は瑛佑の腕を後ろに引いた。自由のきかない足をなんとか踏んばらせて、そのまま透馬の胸に背板を預けた。座した透馬の上でつながっている状態だ。思わぬ深い場所まで透馬が届いて、心臓が口から押し出されてしまうような気になる。
「あ…あ、」
「……瑛佑さん」
顔をのけぞらせて内部の圧迫を味わっていると、透馬の手で横を向かされてキスをされた。舌を絡ませ合い、歯列をしごく。口蓋に舌が届くと腰まで痺れが走って、透馬が握りこんでいる勃起がたらりと蜜をこぼした。
「ん、」とひとつ呻いて、透馬はくちびるを離す。「瑛佑さん、色っぽい。かわいい」
「まだいっちゃだめだよ」
「な……んで」
「ゆっくりしたい」
それは瑛佑も賛成なのだが、下半身の事情はそうもゆかなかった。さっきから先走りをこぼしっぱなしで、自分の下半身がどんな状態になっているのか目の当たりにするのが怖くて目をそらし続けている有様。ぴちゃぴちゃと音を立てながらキスをするのと、ゆるく腰をゆすられるのと、先走りを広げるようにじっくりと瑛佑のものを撫でる透馬の指とで、瑛佑はどんどん追い上げられる。
たわむれに透馬の先端がかすめた場所に、射精感を募らせるまでもなくあっけなくいってしまった。内部が絞られて透馬もたまらなかったのか、続けざまに奥へ熱いものが流れ込む感触がして、身をふるわせた。
ぐったりと透馬に寄りかかっていると、透馬も後ろへ倒れ込んだ。「いっちゃった」と惜しむ声。荒い呼吸のまま「でも、まだ」と言って瑛佑の身体を横にした。
つながったまま横向きに二人で転がって、またキスをする。「ほんとうにきもちいい」と透馬がこぼした通り、どこを触られてなにをして動いても、気持ちが良かった。足を大きく開いて透馬に絡ませ、ゆるゆると腰を動かしているうちに瑛佑のものも透馬のものも完全にかたくなった。横向きだと苦しい思いをせずにつながれるのが嬉しい。透馬の手は自由に動き、瑛佑のあちこちを撫でる。
くちびるを離した透馬は、瑛佑のうなじに吸い付いた。噛まれ、ちくりとした痛みは全身を駆け抜ける。なにをされたのか分かって、途端に顔から火が出そうなぐらい恥ずかしくなった。
「……見えるところ、」
「見えないよ、多分」
あやうげな言い分に、ふ、と吹き出す。確かに制服の襟に隠れるか隠れないかの、ぎりぎりを吸われた。思わぬタイミングで人目にさらされることもあるだろう、位置。
「おれのものだ、って言っちゃっていいんだよね」
背後からぎゅうと瑛佑を抱きしめて、透馬が言う。その不安げな台詞に、透馬の手を上から握る。
ただただひたすらにあまいセックスで透馬の不安が消えてなくなりますようにと願わずにいられない。こんなに触れ合ってあますところなく見せて、大丈夫だと何度言い聞かせたら信じ込んでくれるだろう。
せつなく絞られる胸は透馬のせいだ。握っている手にさらに力を込める。痛い、と透馬が訴えるまでこめる。
「いいよ……すきに、言え」
透馬が触れている胸の上、心臓をじかに撫でるように答える。透馬は驚いた顔をして、すぐにせつなそうに表情を歪めた。
「おれも言うから」
「……おれにも痕、つけて」
「どこがいい?」
「瑛佑さんが『好きだ』って、思ってるとこ」
なら透馬の横顔が一番好きだが、頬につけるわけにはゆかない。選ぶふりをして透馬の身体をじっくりと眺めるのは、なかなか良かった。結局、透馬につけられた場所と同じところにした。首筋にかかる髪を分けてキスをすると、透馬は「はは」と照れ笑いをする。
それから、長いキスをした。舐めあっているうちに我慢ならなくなって腰を揺すり、また透馬が瑛佑に入り込んできて、くったりと力の入らぬ身体を好きにされた。
シングルベッドふたつ、ばんざい、と言いながら透馬は瑛佑のベッドに潜りこんだ。なにがいいって、汗だの唾液だのローションだの精液だのでぐしゃぐしゃに濡れたベッドをとりあえず捨てて、乾いたベッドで眠れることだ。そういう意図はなかったな、と喜ぶ透馬に苦笑しつつ、タオルを放って瑛佑もベッドに潜りこむ。二人ともシャワーを浴びた後で、つめたいシーツがさっぱりと肌に心地よい。難があるとすれば男二人と飼い猫一匹にはシングルは狭すぎる、という点。夏場なら多分一緒に眠らない。
セックスのまま眠りこんでも良かったのだが、ちゃんとシャワーを浴びてリセットしたのは二人とも明日仕事があるからだ。さすがに眠って休まなければ、と時計を確認する。もう早朝に近い時間だ。窓の外はひやりと冷え込んでいるらしく、閉じたカーテンを超えて冷気がすうっと肌を撫でる。
「瑛佑さん」と話しかける透馬に、「もう眠い」と答える。
「……少しだけ、」
「ん?」
「おれがじいさんになったら、っていう話していいですか?」
こわごわと、でも真面目に言うので、くるりと身体をまわして透馬に向き合った。
「おれ、瑛佑さんよりも貧弱なもやしだから先に足腰立たなくなると思う」
「……いきなりなんだよ」
「……そういう限界が来ても、一緒にいたい、っていう意味です」
瑛佑の手を取り、自分の心臓の上へと導く。透馬の願いと同時に、迷いも分かる。勇気を出して言ってくれたことに、胸の内側がぼわりと暖かくなる。
瑛佑の頭の中では、まだ鈴が鳴り転がっている。透馬の歌声が幸福を呼んでいる。
「介護になるのは面倒だから、透馬はいまのうちに歩かないとな」
髪を梳いてそう言うと、透馬は瞳をきょとんとさせた後、顔を歪めた。泣きそうなのと嫌そうなのと笑い出しそうなのがごちゃまぜになって、複雑だ。
「今度の休日にN岳の開山祭があって、秀実と行く約束なんだ。透馬も行こう」
「え、無理です。ヒデくんと瑛佑さんと一緒なんて。もうちょっと初心者向けにしましょう、公園一周とか」
「Nなんてバスターミナルがすぐだからちょっとしか歩かないよ。行こう」
「いやいや、」
「おんもにでたい、って散々歌ってたじゃないか」
そう笑うと、透馬も吹き出した。「確かに歌いましたけど」
「Nならまだ寒いだろうけど、ふもとじゃ桜がいいころあいじゃないかな」
「桜……」
「透馬、春だよ」
そうだ、春なのだ。長くつめたい冬の終わり、すべて溶け、ほころぶ春。
スケッチブック持って行っていいかな、と言った恋人に笑ってやると、笑顔を瑛佑に返してくれた。笑い合い、ふと思いついて、瑛佑は透馬に子守唄を求めてみた。
「え」と笑い顔のままかたまる。
「さっきあれだけ歌ってたじゃないか」
「あんなの鼻歌ですよ。それにおれ、うまくないし」
「さっきのあれが良かったからリクエストしてるんだ」
「えー……照れる……」
「なあ、透馬」
すると透馬は、瑛佑に向こうを向くように促した。歌ってやるからあっちを向け、という意味か。素直に従うと、同時に腰の下に腕が差しこまれる。背後から抱え込まれる格好は先ほどもしていたが、服がまとわりつくとまた感じる肌の伝わり方も違う。
透馬の少し低めの体温が、徐々に伝わってくる。腹の上で手をつなぐと、透馬は瑛佑のうなじに額を押し付けて、恥ずかしそうに歌い始める。
はーるよこい はーやくこい
あーるきはじめた みーちゃんが
とん、とん、と節に合わせて上下する手指。歌が終われば、またうたってくれた。瑛佑が眠るために、ほとんど囁き声の、掠れた透馬の音で。
瑛佑にとっての、幸福を呼ぶ鈴。
心地よさが目の前に大きく広がる。出勤で慌ただしくなるまで、しばらく眠りについた。
End.
←中編
寝室としてつかう部屋にベッドはふたつだ。いきなりダブルベッドでも良かったのだが透馬が照れ、「きっとひとりで寝たいと思う時もあるじゃないすか」と主張し、考えの末に揃いのベッドを二つ購入した。なにも一緒に眠るだけがカップルではないし、透馬の眠りの浅さも考慮した結果だ。ひとりぶんのスペースをきちんと確保した方が寝やすいというから、いざ困ったら(なにに困るんだかよく分からないが)その時考えることにして、ベッドは分けた。これは遠慮なんかじゃない、ときちんと確認をして。
自分のベッドに寝転んだ透馬は、なにやら絵を描くのに夢中になっている。ボールペンでぐりぐりと丸をつなげて描いていたかと思えば、そこに色鉛筆で好きに色を塗り出す。テキスタイルのパターンのような、抽象的なかたちの方が描くのを得意とするらしいことも最近知った。絵を見せてもらったのがつい先日だからだ。
撫でていた飼い猫は膝の上にそのまま、透馬を眺める。まだ歌を口ずさんでいる。「その歌さ、」と声をかけると、素の顔で透馬はこちらを向いた。
「春よ来い?」
「だっけ、タイトル」
「いやおれもろくに分かんないでテキトー歌ってますけど」
「まあいいや、それな。透馬のことみたいだな」
そう言うと、どこが? という顔をしてはじめから歌いだした。はーるよこい、はーやくこい。あーるきはじめたみーちゃんが。
「ちーちゃんでしたっけ?」
「知らないけど、そこ」
「みーちゃん?」
「歩き始めた、ってところが、この春の透馬にぴったりくるような気がしてさ」
就職先を決めて働き出した。こだわっていた家と恋と決別した代わりに、瑛佑と暮らすことを選んでくれた。変化は誰が見ても手に取るように分かる。透馬はいま、いっせいに芽吹き出した春の樹木だ。
笑っていた顔はふと、泣き出しそうにきゅ、と歪んだ。
「そう、すかね」
「うん、そう思うよ」
「――でもおれだと、あるきはじめたとうちゃんが、になっちゃう」
「ふ、」
「要介護の徘徊老人の歌になっちゃいませんか」
言葉遊びが楽しくてつい笑った。透馬も笑った。歌詞を自分の名に置き換えてまた歌いだす。今夜はいつまでさえずっているつもりだろう。
おんもにでたいとまっている、まで歌って、ふあ、とあくびをした。
「――瑛佑さん」
「ん?」
ひらいていたスケッチブックを閉じてヘッドボードへ置くので寝るのかと思いきや、透馬は半分かけていた布団を軽く持ち上げた。
「こっち、来ませんか」
「……」
「……来ませんか?」
ためらいがちな声色に、わずかな戸惑いが含まれているのを感じ取る。勇気を出して言った台詞だと分かる。うん、と頷き、飼い猫を残してベッドを抜け出た。ベッドに立ちあがりそのまま透馬のベッドへ足を踏み込むと、思いのほか沈むスプリングに透馬が驚いて声をあげた。
「瑛佑さん、大胆」
「思い切りが大事」
「ちょっと、夢の通りだったかも」
「え?」
「おねだり、じゃないけど、大胆に踏み込んでくれるところが」
その体勢のまま、透馬の膝の上に載せられる。寝る前だったから二人とも薄着で、綿地越しに下半身が触れ合って芯にぽっと火がともされたと感じた。
「この時期っていいですよね」と透馬が言った。
「なに?」
「長袖のTシャツにパンツ一枚ってそそるなあって思って」
「ばか」
「半そでTシャツにパンツでも、パンツ一枚でも、全裸でも、まあなに着てたって着てなくたってそそるんすけど」
「大概だろ、それ」
「……久しぶり、すね」
うつむき、瑛佑の胸に額を押し付けて透馬は呟く。
透馬がFから戻って来てから引越しまで透馬はずっと瑛佑の部屋で暮らしたわけだが、完全に仲直りですぐさま元通り、というわけにはいかなかった。まず透馬は生活に馴染むことに対してずっと緊張していたし、その緊張をほぐすだけでもだいぶ時間を要した。瑛佑の方にだってわだかまりがあった。一度は大嘘ついて逃げられたのだ。しかも未遂とはいえ浮気を試みた事実があって、それは透馬の複雑な臆病さが原因だと分かっているのだけれど、簡単に許しきれるほど器も大きくはない。
微妙に触れられないまま、瑛佑の部屋では手狭だからと部屋を探す方へと流れ、透馬も就職活動をはじめて気が逸れた。正直、部屋を探したり就活を応援したりする生活はありがたかった。そうやって少しずつ間を詰めて、ようやく現状だ。
透馬の髪をゆっくりと撫でる。透馬が顔を上げたことが、キスの合図になった。こわごわと触れてくる癖は変わらない。一度目はノック、二度目は靴を揃えてお邪魔します、三度目にようやく上がりこんで本題に、と手順を踏まねば積極になれない透馬のキスのやり方が好きだ。真面目に愛されていると分かって。
キスに夢中になり、そればかり繰り返していた。透馬の手は上から下へと瑛佑の背筋を絶えず撫で、性器はボクサーパンツの布地越しに重ねたままだ。淡い性感を確かなものへと育てるように、ゆらゆらと腰を動かしながらキスをする。
透馬の手がシャツの下へ伸びる。腰を撫でさすり、胸へ、すでにとがっている乳首を指の腹でつまみ、つぶす。透馬の背に手をまわしながら、は、と息を吐いた。その吐息に透馬も嬉しそうに息を吐く。
「どこまでしていいですか」と訊かれた。はじめから全部やり直すかのように聞く。瑛佑がやめろと言えば、お互いの腰のあいだで膨らんでいるものを放置してでも中断するつもりか? 好きなだけどうぞ、という台詞は脳内に浮かんだだけで言わなかった。その代わりに透馬の手を制し、透馬の膝から降りる。
「――瑛佑さん?」
「してやる」
腰元へ屈み、やわらかな布地を押し上げている塊を取り出す。べろりと先端を舐めると透馬は息を詰め、その様子を窺いたくて上目づかいに透馬を見やると、目が合った。手の中の勃起がぐんと嵩増す。素直な反応に笑ってやると、透馬はますます困った顔をした。
← 前編
→ 後編
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |