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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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透馬と瑛佑 ②


 おおきくなったらなんにでもなれるよ。幼稚舎の先生がそう言ったから、本当になんにでもなれるんだと思っていた。たとえば他の動物とか。なれるのだったら、透馬はゾウかキリンになってみたかった。その頃、祖父母に連れられて動物園に行って、大きな動物に、とても憧れたのだ。
 初等部に進学する頃にはさすがにそれはない、と気付き始めた。透馬の将来は決まり切っていて、それに抗いたくて、でも臆病で怖くて、あの頃からすでに透馬は精一杯だった。過密なスケジュール、躾と教育。ストレスでいっぱいで、パンクした。再び将来の夢を見るようになったのは、伯父の家に住み、元美大生の羽村が隣に越してきた、高校生の頃だ。
 職人に憧れた。なにかものをつくる仕事に就いてみたくて、羽村の家に転がる美術雑誌やインテリア誌を読み漁った。そこでデザイナーという仕事を知り、やってみたい、と思うようになった。
 その夢はいま、透馬のすぐ傍までやって来ている。再就職で家具メーカーの事務職に就いた。事務なのだが、これが楽しい。夢の傍で働いているかと思うと幸福だし、社内で仲良くなったデザイナーもいて、そういう彼らと交流が増えた。話を聞くだけでも刺激的で、意欲が湧いてくるのだ。
 目指すなら、早いうちがいい、と言われた。二十九歳という年齢を考えると遅すぎて、諦めるべきなのかもしれない。だが透馬はいまを楽しんでいる。事務も楽しい、でも夢も叶えてみたい。このもどかしさが楽しいだなんて、もっと若いうちはきっと思わなかった。
 眠る前の時間を至福としている。この時間は絵を描く、と決めている。ふんふんと鼻歌を歌いながら、瑛佑からもらった色鉛筆でぐりぐりとクロッキー帳に描きつける。それは花の絵だったり、抽象パターンの組み合わせだったり、瑛佑の襟足のスケッチだったりと、様々だ。
 眠る前の瑛佑はといえば、居間か寝室のどちらかで、雑誌や新聞をめくっている。大抵は洋雑誌か英字新聞だ。こういうのを難なく読めるぐらい、瑛佑の英語スキルは高い。「もう一か国語覚えたい」と言っていた。関係するのかどうか、母親の貴和子は、語学大学で英語を教えている。
 海外には一度しか行ったことのない透馬からすれば、感心、の一言だ。そういえば瑛佑はなにになりたかったと言うんだろう。飼い猫を撫でながらなにか英語のタイトルの小説(瑛佑いわく、ミステリーらしいが)を読む瑛佑に、そっと声をかけた。
「なに?」
「ちいさい頃、なにかなりたいものってありました?」
「唐突だな」
「思いついたんで」
 うーん、と真面目に唸ってくれた。「ちいさい頃は、警察官に憧れたかな」
「あ、制服とか似合いそうすね」
「そういうものに憧れるよな。警察官、消防士、医者。そう言うやつが周りにも多かったと思うよ」
 瑛佑の言う通りだと思う。男は単純だから、分かりやすいものに憧れる。その点、キリンになりたかった自分はちょっと変わっていたというか、ずれていたというか。瑛佑に言うと笑われそうだから、先まわりして話を進めた。
「もうちょっと大きくなってからは、なにになりたかった? たとえば高校生の頃、進路を考える頃とか」
「透馬、進路に悩んでる? いま」
「そんな裏を読まなくていいすよ。興味です、興味。瑛佑さんのことならなんでも知りたい」
 そう言うと、瑛佑はふっと笑った。嬉しそうに、満足げに、少し照れ臭そうに。透馬も笑う。本心だから、瑛佑には隠さない。
「ツアーコンダクター」と、平たい発音で、少し耳慣れない言葉が飛び出てきた。
「旅行の添乗員?」
「そう。旅行会社に入りたかった。あちこち行けていいな、って」
「いまホテル勤めのきっかけは?」
「学生の頃、一度だけ贅沢して泊まったホテルのフロントマンがかっこよかった。慣れないアジア人に、丁寧な英語つかって案内してさ。憧れたんだ。単純な話」
 瑛佑らしいな、と思った。ツアーコンダクターか。透馬には絶対に思い浮かばない職業で、憧れもない。けれど、得意の語学を生かしてあちこちを飛び回る瑛佑の姿は、格好良く思えた。声がよく通るから、一人も取り残すことなくきちんと引率してみせるのだろう。
「瑛佑さんは、海外って何度も行ってるんすよね」
「そうだな」
「留学もしてるし」
「透馬は?」
「ちっちゃい頃、カナダに、一度だけ。覚えていません」
「カナダもいい国だよな」
「行ったんだ?」
「留学中に、仲間と貧乏旅行」
 一体、瑛佑のパスポートはどうなっているのだろう。透馬はと言えば、パスポートはちいさい頃に取得して期限切れになって以降、持っていない。あれ、有効期限って三年だっけ五年だっけ? 大人は長いんだっけ? どこへ行ったら発行になるんだろう? それぐらい、なじみがない。
 行こうか、と瑛佑が言った。猫を追い払い、ベッドに横になり、透馬を見遣る。
「――え?」
「そうだよ、旅行しよう、透馬」
 JRのPR文みたいな文句であっさりと言われた。
「海外、すか?」
「国内でもいいよ。どこでも」
「おれ、パスポート持ってないですし、英語はできないし、金かかりますよ」
「いまから取得すればいいし、言葉はどうにかなるし、金はこれから貯めて行けばいいじゃん」
 一緒に行こう、と言われて、腹の奥がむずむずした。嬉しかった。そうか、旅行。いいな、瑛佑とならどこでも。
 Fじゃない場所に、出かけるのだ、瑛佑と一緒に。
「――行きたい」
「決まりな」
「どこ行くか、おれが決めていいんすか?」
「勿論」
 ベッドを這い出て、寝転ぶ瑛佑の背に覆いかぶさった。温かい。もう日中は暑いと言える陽気でも、こんなに人肌は安心する。
 笑うと、瑛佑も笑った。くつくつと一通り笑った後、そういえば、と言葉を変えるので、背中に顔を押し付けたまま「なに?」と訊いた。
「透馬はちいさい頃、なにになりたかったんだ」
「――」
「ん、ひょっとして嫌な話だった?」
「……いや、」
 笑い話になりますから。と、心の中で呟いて、しばらく瑛佑の背中で笑っていた。話そうかどうしようか迷うが、きっと話す。瑛佑が訊くから。


End.



拍手[80回]

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日野と高坂



 幼い頃なんとなく夢をみていた光景があって、それは高坂と誰かのほかに、犬がいるのだった。中型の茶色か白い犬。つまり、犬が飼えるぐらいの間取りの家をほしいと思っていたのだろうし(高坂は一家四人でアパート住まいだった)、自分は子どもを持たないのだろうとその頃から予感していたのだろうし。
 そんな夢は歳を経るごとに見なくなり、それどころかつい数年前までは一人がいいと言い切って日野を遠ざけたのだから、いまとなっては「そういえば」の範疇だ。思い出しても、もう広く庭のある家も犬もほしいと思わなくなった。日野が隣にいる、それだけでいい。
 大体犬、って。なんで憧れたかな、と幼い頃の自分に苦笑する。高坂は生物を飼ったことがないし、興味もない。吠えてうるさい、という理由で、よその家につながれている飼い犬たちのことをあまり好ましく思っていない。そういえば瑛佑はネコを飼っていたんだよな、と友人のことを思った。秋ごろ、一方的に振られたかなんだかで恋人と別れ、春にまたよりを戻したとかなんとかで……情報が曖昧だから断定して言えないのだが、女が抱けるのだからそのまま別れときゃよかったのに、と、思わないでもない。
 数度しか会ったことのない、瑛佑の恋人のことも思い出す。青井透馬は、つらくないだろうか? もし日野と別れることになったらおそらく自分は、日野を追いかけない。その時点で人生を終わらせたい。今回のことはなにが原因か知らないが、青井透馬は一度は故郷へ帰ったと聞く。戻ってまで瑛佑とやり直したいなにかがあっただろうか。そんなに愛してしまって、瑛佑が女の方を向いてしまったら、その時こそ青井透馬は壊れてしまわないか。
 犬、から青井透馬の心情にまで想像が及んで、はたと我にかえった。休日、日野といつものカフェに来ている。手元にひらいている小説に家と犬の描写があったからこそ思い浮かんだ光景と想像だった。隣、日野は腕組みをして陽だまりのなか目を閉じている。(おそらく眠っている。)
 日野の眠っている姿を見るのは、気持ちがいい。特に高坂好みの青いシャツなんか着て眠っていてくれていると、うっとりと何時間でも眺めていられる。今日日野が着ているシャツはネイビーブルーで、白いボタンがちょうどよくアクセントになっている。日野は肌が白いからよく映える。眺めていたいが、時計を確認するとカフェに入って三時間は過ぎていた。日野の袖をついと引っ張る。
 日野の深い呼吸が一瞬とまる。
「夏人、」
「――ああ」と日野は大きく伸びをする。「寝てた」
「そろそろ出よう。昼時で、店が混んできた」
「これからどこ行く?」
「場所変えてめし食うか」
「家でなにか作ろうか?」
「じゃあ、スーパー寄ろう」
 ふ、と日野が高坂を見て微笑んだ。「なに?」
「とけそうだ」
「なにが?」
「こういう些細なことがしあわせで、融けそう」
 行こうか、と日野は立ち上がる。高坂も頷いて、椅子を引く。


 店を出てスーパーへ寄りつく前に、少し散歩をした。春の住宅街は平日だけあって静かだった。大きな家、吠える犬。先ほど思い出したことを反芻しながら日野と歩くのは、なんだか不思議な気分だった。感覚が昔に戻っているのに、日野と歩く事実はいま。
 並んで歩く道を、わざと歩をゆるめて、日野より遅れてみる。わずかな歩幅のずれに気付かない日野とゆっくりと距離が出来る。青い背中が高坂の視界の中で、少しずつ小さくなってゆく。高坂は目を細める。
 本当にこれはおれのものなのか。分かっているくせに、きちんと確認したくなる時が来る。たとえば今日なら、日野が高坂に振り向くまでの秒数をはかる。十九歳の日野と出会った時は、まさかこんな日が来るとは予想しなかった。先のことは分からない。このまま高坂がこの道から離脱しても、日野が気付かない日が来るんじゃないか、などと。
 そういうことが怖かったから、一人がいいと思っていたのだ。日野と添う日々を選んだからと言って、不安が全解消されるわけではなかった。元が恋愛に対して臆病だ。女を愛せていたらまた違っただろうと思うと、余計に。
 日野は振り向かない。ものの秒数にたまらなくなり、高坂から日野を呼んだ。
「――夏、」
 ん? と日野が振り返る。
「あそこの家、屋根に飛行機の模型が引っかかってる」
「あ、本当だ」
「小さい子でもいんのかな」
「取れなくなっちゃったんだろうな」
 高坂の元まで戻って来た日野は、えい、と空中のなにかを掴むかのように、大きく伸び上がった。伸びた拍子に衣類が上にひきつれて、なめらかなかわき腹が一瞬だけあらわになる。
「なにしたの?」
「こうやって飛行機つかめないかと思って」
「無理だろ、いくらおまえが身長高くても」
「そうだね」
 日野は、高坂の目を見て微笑む。きっと先ほど行った高坂の些細でくだらない事柄を、見透かしている。今度こそ離れない、という意思で、高坂の隣へぴったりと寄り添う。
「――今日もまたなにか色々と考えてるんだろ」
「……」
「しょうがない人だな」
 そっと伸びてきた手は、高坂の右手をやさしく掴んで、離れる。一瞬の体温に、高坂はひどく安心して、でも同時に、胸が締め付けられる。まだ日野に恋をしている。


 スーパーマーケットではなく、百貨店の地下に据えられた生鮮食品店を選んだ。少し変わったチーズや肉を日野が「買いたい」と言ったからだ。高坂も、中に入っている酒のコーナーの品ぞろえに興味があった。その前に、また寄り道。エスカレーターを何階分もあがって、ベビー用品を扱う売り場に足を向けた。高坂の姉・尚子の息子が、あと少しで一歳の誕生日を迎える。
 なにか贈ろうか、という話だけで、具体的なものは選び出さなかった。ベビー用品近くのステーショナリーの売り場で、知っている顔を発見した。瑛佑だった。
 真剣な顔でなにか四角い箱を手に取って見つめている。高坂たちに気付くと無表情のまま軽く頭を下げた。ふたりで近寄る。
「なにやってんだ?」
 と、瑛佑の手元を覗き見る。瑛佑が手にしているのは、厚紙のボックスに本のように収められた色鉛筆のセットだった。青い色ばかりがグラデーションに、三十色。
 中身を抜き出して確かめていたらしい。瑛佑が色鉛筆に興味を持つなんてえらく珍しい。野外スケッチでもはじめる気になったのだろうかと理由を問えば、「いや、おれも見つけたのは偶然で」と言う。
「見つけたら、透馬に買って行ってやろうかな、という気になって」
「……」そういえば、絵を描くのだと前に瑛佑から聞いた。
「もう持ってるかもしれないし、色鉛筆はつかわないかもしれない。聞いてみなきゃ分かんないな、と考えていたんですが、もういいや。すいません、これ」
 と店員を呼んで、あっさりと購入を決めてしまった。たかが色鉛筆、だが五千円もしていてびっくりした。同じシリーズで、赤や黄色、緑やモノトーンといった系統も出ているらしい。すべてそろえたら万単位になる。
 青い色だけ、というところがいかにも、青井透馬へのプレゼントらしかった。
 この後瑛佑も家に来るかと誘ったが、今日は実家へ顔を出す用事があると言う。だが地下フロアでの買い物までは共に済ませた。ふたりが買い込む品々を見て「やっぱ行きてえ」と言うので、用事が済んだら来る話になった。そうして瑛佑とは別れる。
「思った事喋っていいか?」
 と帰る道々で日野に尋ねる。日野は小首を傾げてちいさく頷いた。
「おれ、正直、青井透馬のこと、あんまりよく思ってないていうか、瑛佑に恋なんてさ、やめときゃいいのにって思ってたんだけど、わるくなかった」
「わるく?」
「ていうか、良かった、と思った。ちゃんと瑛佑と想いあってんだなあって。さっきの、青い色鉛筆」
「ああ、」
「ああいうもの、とっさに贈れちゃう仲なんだな。――夏人にも買ってやろうか?」
 そう言うと、日野はふわりと笑った。「おれはつかわないよ」と答える。
「色、綺麗だったね。今度見せてもらおう」
「後で瑛佑から連絡来たら、青井透馬も来るように言おうか。そうだ、夏。小さい頃、なんか動物飼ってたか?」
 唐突な質問に、日野は「ええ?」と訝しげな声をあげた。
「犬、いたけど」
「へえ」
「なんでいきなりそんな話?」
「いや、犬、と青井透馬、がおれの中じゃいま結びついてるから」
「犬っぽい、ってこと」
「違うんだけど、説明は、難しい」
 どちらも高坂が見た幻想のようでいて、片方は今日の瑛佑の一件でくっきりと実体化した。それがなぜだかとてつもなく嬉しくて、日野に知らせたいのに、知らせないでいいとも思う。
 そういう日々だ。


End.



拍手[76回]

新花と透馬



 川澄の知人の作家のトークイベントに招かれたから、と言って新花と川澄が揃って上京したのが四月。イベントは夜からで、その前に新花が「買い物につきあって」と言うから透馬も同行した。川澄は昔勤めていた出版社に顔を出し、そのまま友人と会ってくると言い、開場時刻となる十八時半まではそれぞれに過ごす予定らしい。
 イベントに「透馬も来る?」と誘われたが、本を読まないおかげでその作家のことを知らず、行っても会話に置いていかれるのだろうと思ったから断った。それに、新居に越してからまだ荷解きをすべて終えていない。必要最低限のものは封を開けて収めるべき場所に収めたが、たとえば画材や雑誌や衣類の一部は、依然段ボールに詰めたままだ。やることがないわけじゃないのだ。
 新花は、こちらへ来たら絶対に寄りたいお茶屋さんがあるのだと言う。中国茶を扱う店舗で、二階がティールームになっている。一階でお茶を選んだあと、二人で二階へのぼった。徹底的に女性をターゲットとした店で、茶の種類が豊富だから軽食のメニューはないのかと思えば、そこは新花が気に入る店で、ちゃんと食事も出来るようになっていた。新花は東方美人を、透馬は凍頂烏龍茶を選び出し、あとは粥なり飲茶なり角煮なりを取って昼食とした。窓際のカウンター席で、休日で混雑する大通りを見下ろせた。
 中国茶、という特殊性からか、さほど人がいなくてのんびりくつろげる、いい店だった。ただし新花がいるから来られる店で、ひとまず男性客は透馬以外に見当たらない。瑛佑と来ようかな、という気にはなれなかった。出された茶器のこだわり方には関心を持ったけれども。
 料理が運ばれてきて、各々箸をつける。唐突に新花が「わたし、真城のことはあまり好きじゃないの」と言うから、口にしかけたスープをまた置く羽目になった。
「……いきなりなんだよ、新花ちゃん」
 どうせなら食事の後にすべきだ、こんな話は。だが新花は続ける。
「柄沢と一緒だからなんとなく付き合いがあるけど、気が合う訳じゃないのよ、決して。ましてや味方でもない」
「……伯父さんと、なんか、あったの」
「なんかっていうほどなんかあったわけじゃくて。ほらあの人、なにもできないじゃない」
 なにも、と言われて、透馬はなんとなく頷いた。綺麗な字は書けるけれど、食事は一切つくらない。病弱で、頼りになる大人、というわけにはいかなかった。生命維持に直結する事柄(たとえば食事や健康な肉体、運動)がことごとく苦手だ。そういう意味で「飾り」で生きている人で、新花の言う「なにもできないじゃない」の言葉がわかる。
「イギリスでも柄沢に頼りきりだったし、いまも柄沢がいないと死んじゃうんじゃないかっていう生活してる」
 先日、柄沢の家の庭で花見をしたのだと言う。研究室の学生の混じった、新入生歓迎を兼ねた花見だ。Fは寒い土地なので、この辺りより桜が咲くのがずっと遅い。
「ひとりで影薄くして、家の中に閉じこもってるわけ。いくら学生がいるからってさ、人嫌いも真城の場合はただのわがままよね。柄沢もマメに世話なんか焼いちゃって。わたし、自立しない大人が嫌い」
 新花らしい口調でずばずばと言う。透馬は苦笑しきりだった。新花の言葉に「とりあえず食おうよ」と言って、ようやくスープを匙ですくう。
 確かに学生連中なんかが押し寄せたら嫌がって家から出て来なさそうだな、と綾のことを思う。はかない、というよりは新花の言う通り「わがまま」なんだろう。一緒に暮らしていた時も、考えてみれば、そうだった。一人では危うい人。それでも透馬と暮らしていても、かたくなに暁永のことを想い続けていた。
 一方で直情的な人だったから、淋しいと思ったからこそ透馬といることを選んだのだろうし、あの生活が続けば、いつかは透馬の望むかたちになっただろう。と考えて、ぞっと背筋がつめたくなった。Fでの、あの絶望的な暮らしを良しとしていた自分は、一体なにに酔っていたんだろう。あのままふたりでいて、あかるい未来はなかった。
 つい箸を置いて、考えにふけってしまった。頬杖をついて黙考をはじめた透馬の背中に、新花の手が触れる。
「ごめん、話が変な方に向いちゃった。ちがうのよ、真城への愚痴を言いたいんじゃなくて」
 ぱんぱん、とそのまま背を叩かれる。
「だから透馬は、いまの暮らしを選んで正解、って言いたかったのよ。わたしはね、透馬が好きなら仕方ないと思って真城と透馬を見てきたけど、うまくいってほしいとは思ってなかった。―いまは違うの。心からうれしい。引越しおめでとう」
 新花はにこりと笑った。そのあまくやわらかい笑みに、綾に支配されかかった心がゆるむ。女の人っていいなと、なんだか唐突に思った。母性本能とやらが備わっているせいかあちこちやわらかく出来ていて、あまえたくなるところが。
 無性に瑛佑の顔が見たい。そう思いながら食事を再開する。新花はよく食べるので、ぼんやりとしていると皿がなくなる。飲茶が美味しかったので、追加でオーダーした。それからデザートも頼む。食後の贅沢まで楽しめるのだから、新花のつきあいでも透馬は満足だ。
 食後、引越し祝いを買ってあげる、と言われ、言葉に甘えることにした。
「なにがいい?」
「うーん」
 しかしいざ訊かれるとすんなりと思い浮かばない。必要なものはおおかた揃えてしまったし、持ち合わせで間に合ってもいる。この間まであったらいいなと思っていたほうろう引きの鉄鍋は、瑛佑が買ってくれた。
「今度Fの美味しいもんでも送ってよ」
「あら、じゃあ今日はいいの?」
 腕時計を見て、「時間まだあるんだけど」と言う。時間があるなら、と街を歩いてみる。長蛇の列のチョコレート専門店、切りっぱなしのデザインが売りの革製品の店、チューリップとばらがひらく花屋、あめ色のつまさきが揃った靴屋。覗いてみたが、ウインドーショッピングの程度でどれもひらめかない。
「じゃあ、ケーキ買って」
 これもまた人が並ぶ洋菓子屋を指して新花に言うと、人混みに嫌そうな顔をしたが、お祝いだしね、と列に並んだ。
 フランスで菓子修行したというパティシエが帰国して出した一号店で、最近、テレビや雑誌で紹介されているのをよく見る。見た目が華やかで、好きなのだ。三十分並んで、角型のチョコレートケーキをホールで買ってもらった。細工が細かく、散らされた金粉がチョコレートのダークブラウンにきらきらと光っている。ふたりで食べきれるのか不安になるような大きさのケーキだ。嬉しかった。
 待ち合わせた場所で川澄と合流し、軽くコーヒーを飲んで、別れた。またね、と新花が手を振る。透馬も振り返してやる。
 帰宅すると瑛佑はすでに帰宅しており、カウチでうたたねをしていた。ケーキをキッチンのステンレス台に置いて、そっと近寄る。
 床に膝をつき、瑛佑の顔を覗き込む。すう、すう、と一定のリズムで刻まれる寝息、閉じた目蓋、眉の生え際。しばらく見つめてから、そっと触れてみる。肩に、剥き出した首筋に手をひたりと当てると、瑛佑はふっと目を覚ました。
 近い位置にあった顔に、驚いた風だった。だがまだ眠いのか、目を閉じる。寝返りをうち目をこすりながら「おかえり」と瑛佑は言った。
「――新花さん、元気か?」
「元気げんき。ケーキ買ってもらいました」
「そうか」
「引越しおめでとう、って」
 もう少し顔を近付けて、瑛佑と額を合わせる。ちかくで見る目は、穏やかでやさしかった。瞳に透馬が映っている。きっと自分の瞳にも、瑛佑が映っているのだろう。
「三十分も並んで買ったケーキです」
「うん」
「あと今日は、お茶買って来たんです。中国茶の店に行って――」
 額を合わせながら、しばらく話をする。瑛佑はじっと聞いている。笑ったとき、それが合図だったかのように、キスをした。


End.



拍手[78回]

透馬と瑛佑



 だるそうに寝返りを打ちながら「のどかわいた」と瑛佑が言うから、透馬はそのまま台所へ向かった。着替えている途中だったのを、瑛佑のために部屋を出てゆく。冷やしておいた炭酸水とグラスを取って、また寝室へ戻る。戻った途端に湿気た濃いにおいがして、ちょっと笑えた。
 炭酸水の入った瓶を瑛佑の頬に押し付けてやると、瑛佑は微笑み、「ありがとうな」と言った。事後の火照った身体に、ぴりぴりと棘のある刺激は心地いいのだろう。喉を鳴らして美味しそうに飲む。羨ましくなり、透馬ももらった。
 今日のセックスの最初の主導権は瑛佑にあった。たまにそういう夜がある。瑛佑が「させて」と言う夜で、身体の隅から隅まで瑛佑のくちびるや指でたどられる。されるまで分からなかったが、瑛佑のやり方は、淡白でいて、大胆だ。大きくひろげられたり、丹念に嬲られたり、強くつかんでこすられたりする。性感を引き出すのがうまく、汗でびっしょりになる。いままでこんなセックスを誰かとしていたんだな、と思うとシンプルに嫉妬する。そりゃ気持ちが良かっただろうと、過去、瑛佑の腕の中で喘いだ顔も見たこともない女たちのことをぼやりと思う。
 そういうことを考えてしまうから、余計に瑛佑を組み敷きたいのかもしれない。こんな顔を、声をさせているのはおれだけなんだ、という自負がほしい。瑛佑からすれば「冗談じゃない」ということかもしれないが、その辺り、瑛佑にはまるっきり偏りがない。透馬がしたいと言えば「いいよ」と言ってくれた。瑛佑をいいように扱っている風で、甘えているのはいつだって透馬の方だ。
 それがひっくりかえる。瑛佑の目が「したくてたまらない」とばかりに光ると、ぞくぞくする。妖しく色めきだつ気配に身をふるわせながら、瑛佑に身体をそっくり委ねる。こういう極限があることをいままで知らなかった。なにもかもを投げ出せて、そこにはなんの痛みもなく、ただただ性の喜びだけがある、瑛佑だけが透馬に見せられる世界。
 瑛佑の手で頂点を見て、見たあとは、今度は透馬の番だった。できるだけ長くじれったく。「お返し」というわけではないけれど、触られると触りたい気持ちがふくらむ。瑛佑の切羽詰った声が聞きたくなり、早くと懇願する顔が見たくなる。必要とされたい。爪を立てても怒らずむしろ微笑んでくれたしなやかな身体をとことん甘やかし、その傷を舐めてまた高みへゆく。
 そりゃ、のども渇くだろう。はじめたの何時だっけ? と思い返すのも面倒なぐらいに脳の髄までしびれている。瑛佑と交替に炭酸水を飲んで、ベッドとベッドの間に据え付けたナイトテーブルに置かれた時計を覗きみる。時間、午前零時。
 先ほどからさあさあと響いているのは雨音だ。最中に気付いたけれど、二人で顔を上げて窓の外を見合って、また目を合わせて、キスをしただけだった。やわらかい雨で、気付かず眠ってしまえるぐらいのボリュームで街を濡らす。先程、キッチンの窓から少しだけ覗いてみた空は透馬の目には晴れ空と変わらぬ紺色で、でも確かに雨のにおいがした。
「明日晴れるかな」と呟くと、瑛佑は「うーん」と唸った。
「ま、大丈夫じゃないかな、」
「天気予報、昼過ぎから雨あがる風でしたね。式が一時からだから、ギリギリ?」
「秀実のことだから、きっと雨も負けて天気になるよ」
 明日は秀実の結婚式だ。瑛佑、透馬ともども出席するが、一方は新郎の親族として、一方は友人としての出席なので、出発の時間が少々異なる。聞いた話によれば席順も少し離れているようで、完全に一緒というわけにはいかないようだった。まあ、どちらでもよい。同じ場所から出発できて、同じ場所に帰って来られる。瑛佑の着るスーツも透馬の着るスーツも、今日の夕方一緒に準備をした。
「そういえば昨日ヒデくんからメール来て」
「うん?」
「みずくさいぞーって」
「――ああ、」
「メールのすぐ後、電話かかってきて。えーすけから聞いてようやく納得したぞって。おれただのルームシェアだと思ってたから超びっくりしたしていうか話せよ大事なことはこのやろうーって」
 秀実の口調を真似て話すと、瑛佑は寝転んだまま笑った。
「……瑛佑さん、ヒデくんにゆったんすね」
「黙っているのも不自然になってきたからさ。要するに、バレたんだ」
 昨日、瑛佑と秀実は揃って休みを取って、秀実の買い物に付き合っていたと聞く。そこで瑛佑が秀実に二人の仲を話したらしい。驚いた秀実から即連絡が来た。怒りながら喜んでいて、淋しがってもいて、楽しんでもいた。様々な感情が素直に出る、秀実らしい電話を受けた。
 だめだったか、と瑛佑が訊く。透馬は首を横に振る。それを訊ねたいのは透馬の方だ。普通に女性とつきあえる瑛佑の現在の恋人が男です、なんて、長いつきあいの友人でも言うのはかなり勇気を要しただろうに。
 首を振った透馬を見て、瑛佑は満足げに笑った。
「もう、どこにも障害なしだ」
「……」
「かあさんにも言っちゃったし、秀実にも話した。高坂さんや夏人はとっくに知ってるし…透馬の方は、新花さんていうとびきりの味方がいるし」
「……おれ、母さんにもすきな人と暮らすって言って出てきちゃいました」
「はは」
 充実の息を吐いて、瑛佑は「言っちゃったなあ」とこぼした。その言い方に、胸がしぼられた。本当に、もうどこにも障害はない。誰の目を気にすることなく暮らせて、こうやって愛せて、穏やかでやさしい時間が透馬の胸の中にふわりと座っている。
 急にFでのことを思い出した。あの、胸が痞えながらも、綾と暮らした日々。話すつもりはなかったのに、「伯父さんといた時は」と口にしていた。衣擦れの音で、瑛佑が寝返りを打ってこちらを向いたのが分かる。
「――くるしかった。おれね、本当にばかだと思うけど、……伯父さんとあのまま一生あすこで暮らせるって本気で思ってたんだ」
 瑛佑は喋らない。頷いたかもしれないが、お互いのベッドに横たわりながら話をしているだけでは、相手の様子を事細かく知ることは難しかった。
「伯父と甥っていう理由で、誰にも深く知れることなく暮らせると思った。でも、なんだろう、いつも心細くて不安で。作っためしぶん投げて庭の花蹴散らかして、伯父さんに乱暴したくなるような…そういう狂気じみたことを思うことが何度もあったよ」
「……」
「でもそういうのひっくるめて一生暮らしていけるって、信じてた」
 あの痛みが、息苦しさが胸によみがえってくる。それに比べればいまはなんとゆるやかな幸福が透馬にあるのか。瑛佑に恋をしなければ分からなかった。自分はせつなくて一瞬たりとも輝かない時間のことしか知らなかったのだと。
 くつろぐという言葉の本意や、安心の意味するところをきちんと教えてもらった。「本当によかったなあ」と秀実に言われたことが重なる。
「すいません、暗くなっちゃいましたね。もう寝――」
「透馬、そっち行っていい?」
 と、瑛佑が訊いた。「それか、こっち来るか?」
 セックスをしたのは瑛佑のベッドで、いま瑛佑は、事後そのままの姿でシーツに沈んでいる。一瞬だけ迷って、透馬は「来てください」と言って瑛佑をベッドに招き入れた。裸の瑛佑が飛び込んでくる。すぐさま身体に腕を絡ませて、泣きそうになっていた顔を瑛佑の首筋に埋めた。
 強く抱きしめ、息を吐く。瑛佑の張った肌や熱い体温が心地よくて、本当に好きで、爆発する愛しさが身体の内側に抑えきれない。
 痛いぐらいだったはずだが、瑛佑は黙ってされるままになり、透馬の背をゆるゆると撫でてくれた。
「――透馬の母さんってどんな人?」
 不意に訊ねられ、触れた吐息に肩がびくりと引き攣れた。
「美人、ぽい。新花さんが、透馬の横顔はお母さんに似たんだって、」
「……でも、フツーのおばちゃんすよ。社長夫人である程度は身なりに金使えるってだけで。貴和子さんの方が、綺麗です」
「綺麗、っていうんじゃないだろう、あの人は」
「美意識が高くて、きちんとした持論があって、格好いい。おれもあんな人になりたいな」
「勘弁して――そうだおれ、透馬の横顔見るのが好きなんだ」
 唐突に言われて、呼吸が詰まった。近くで目を合わせると、瑛佑ははにかみながら「――って言っちゃった」と答える。言うつもりはなかった、という風に。
「……はじめて聞いちゃいました」
「透馬のおしゃべりがうつった」
 ふ、と瑛佑が笑う。無口な人が、透馬を安心させるために、喋ってくれている。背をゆるゆると撫でる手が心地いい。
「透馬の家族さ、いつか会わせて、な」
「……いつか……はい」
「うん」
 深い息をついて、瑛佑は目を閉じた。このまま眠るようだ。透馬はすこしのあいだ、目をあけていた。絡ませ合った足先からあたたかく、目の前で規則正しく上下しはじめる静かな寝息や触れる髪先や、動きがにぶくなってやがて動かなくなる手や、瑛佑が眠りに落ちる間際のひとつひとつを感じながめていた。
「……明日、晴れますよね」
 返事はない。深い吐息が肌を掠める。やがて透馬も目を閉じた、眠るために、明日のために。


End.






拍手[94回]

秀実と瑛佑




 お目当てのアクセサリーを無事に手に入れて、秀実は満面の笑みで隣を歩いている。ピンクゴールドのピアスで、チョウをかたどったものだ。石のはまらないシンプルなピアスだがこれぐらいが日常使いにいいのだと言う。秀実から彼女の「梢ちゃん」へ渡す大事なプレゼントだ。
 今週末、結婚式を迎える。皆の前で婚姻届を書き、その日のうちに提出をし、ハネムーンへと旅立つ予定だ。行先はハワイ。今日買ったプレゼントはそこで渡してやるのだ。結婚してくれてありがとう、という気持ちと、「梢ちゃん」の大学卒業祝いと、四月に迎えていても「お式でお金がかかるから」とごく質素に済ませた誕生日祝いを――諸々を兼ねた、要するに秀実があげたいから渡すプレゼントだ。
 独身最後の休日は瑛佑と遊びたい、と言うから合わせて休みを取った。単に買い物につきあっただけで、揃って女性物ばかりを扱うジュエリー店へ入るのはかなり気恥ずかしかったが、秀実は気にしない。店員を巻き込み、あれやこれやと散々悩んだ末に選び出したピアスに、瑛佑の感想は正直「ほっとした」だった。このままもう一時間粘られた上に次の店へ、などと言われていたらおそらく先に帰っていた。
 店を出れば二時をまわっていたから、ランチタイム営業の関係ないファミリーレストランへ入った。本当は焼肉屋へ入って飲もうという話だったが、「焼き肉ってプレゼントににおいうつりそうだからやっぱナシ」と言う。いやまあ、だったらどこかのコインロッカーに預けるか家に一度戻って置いてくるかした方がいいと思うけどな、と思ったが言わなかった。心の中では秀実が選び出した「ボリュームビーフステーキ 三種のソース添え」に関して大いに突っ込みを入れている。――バターと脂とソースのにおいがすごそうだ。
「買えてよかったー」と食事が来るのを待つ間に秀実がしみじみとこぼした。
「えーすけいて良かったよ。おれひとりじゃ決まらんかった」
「そうか」黙って見ていただけだけれど。
 煮え切らない秀実の背中を押したのは、店員だ。良心的な彼女のおかげでなんとか決まった。
「いやー、昔からえーすけといると決断できるんだ。今日のところは奢るから、たくさん食え、な」
「そんなに大盤振る舞いでもつのか?」
「いやー、まあ、金はかかるな、うん」
 結婚を具体的に考えたことがないから、秀実の費用は正直想像がつかなかった。瑛佑の考えている額の倍も何十倍もかかったりするのだろうか。透馬との引っ越しだってあれこれかかったもんな、と春先の出来事を思い返してみる。ふたりで暮らせる部屋を探すだけでけっこう大変で、家具もある程度を揃えたから余計に。
 だがその甲斐あって、いまは毎日が楽しい。
 透馬が歌いながら料理している背中なんか見ていると、微笑ましくなる。これを手にしたんだ、という実感がこみあげて、後ろからいたずらしたいような、見守っていたいような、複雑なもどかしさが生まれ、心の中が透馬でいっぱいになる。やはり引っ越して正解だった。毎日家に帰るのが楽しみだ。こんな嬉しいことはない。
 店員が「鶏南蛮定食のお客様」と品を差し出して来て、我に返った。ちいさく手を挙げるのと、秀実が「あっちね」と瑛佑を指すのとが同時だった。店員は笑顔で応対し、また戻ってゆく。
「先食うよ」
「おう」
 三種のソース添えステーキの方が焼けるのが遅いらしい。食べ始めた瑛佑を、だが秀実はじっと見ている。食べにくくなり、瑛佑は顔を上げた。
「なに?」
「うん、」
「なんだってば」
「いやーさ、トーマ元気かなって」
「え?」
「え?」
 どきりとして、言葉に詰まった。微妙にすれ違った会話に秀実もかたまっている。
 引っ越したことは、秀実も知っている。引っ越す、とは話した。ただ透馬と暮らし始めたことは伝えていない。それよりも秀実は自分の結婚披露宴のことで手一杯で、たまに話す機会があっても、自分のことばかり喋っていた。いつものことだな、と思いつつ、いつ話そうかタイミングを見出せていない状況が続いている。
 この場で透馬の話題がのぼったのだから、話すべきだろうか。付き合っている、ということを? いまさらながらにどっと汗が出てきた。鶏肉に手を付けられぬまま箸が止まる。
 また店員がやって来て、秀実の注文を置いて行った。「肉、きたー」と喜ぶ秀実に、正直ほっとした。いやでも、いま言わないでいつ言うんだろう。
 迷っている瑛佑を怪訝に思ったのか、秀実は「どうしたー」と笑顔を瑛佑に向けた。
「――あ、いや」
「鶏、まずい? それともおれのほしい?」
「違う。鶏は、多分うまい」
「おれに半分ちょうだいよ」
「いやだね」
 慌てて食事をかきこむ。染み出た油は少々しつこかったが、それなりの味だった。食べている間に、秀実は器用に喋った。今日のプレゼントをどう渡すか、その作戦について。結婚式当日の不安について。楽しみについて。
 結局、店を出ても瑛佑は迷っていた。満腹で思考がうすれる。もうどうでもいいか、と思っていたところで通りがかった花屋を見て、秀実がぽろっと「トーマに買って行ってやれば?」とこぼした。
 この時ほど俊敏に人の顔を振り向いたことはなかったと思う。「え?」と言う秀実に、瑛佑も「え?」で返した。秀実の表情には、なんのうらおもてもなかった。
「――だって一緒に暮らしてるんだろ?」
「……」
「え、違ったっけ?」
「……あってる」
「だよなー、えーすけ言わねえんだもん。言えってんだなー」
 そこまで言われたらもう、隠すのもおかしいだろう。瑛佑は腹を決めた。「悪かった。透馬と、暮らしてるよ」
「そっかー、楽しそうでいいなー」
「うん、まあ」――恥ずかしい。
「トーマ、どう?」
 どう? と聞いてくる真意がうまくつかめないのだが、つきあっている感想を聞いているのだろうと思った。こみあげる照れを隠しながら、「かわいいよ」と答える。そう、かわいい。暮らし始めての率直な感想だ。機嫌がいいとうたい出すところも、遊び好きなところも、思いつめて甘えたくなっても言えないところも。少し幼い感じが透馬はいい。
「え?」と秀実がかたまった。
「ん?」
「かわいい?」
「かわいいっていうか…まあ、綺麗な男だな、と思う時も、あるけど」
「え?」
「え?」噛みあっていない気がしてきた。
「――まさかえーすけ、トーマが、好き?」
「――――」
 瞬間、全部理解した。理解するのと「好き?」の響きに顔が火照るのが同時で、それは秀実にも確実に知られてしまった。つまり秀実は、言葉通り「一緒に暮らしている」のだと思い込んでいて、恋人として付き合っている、とは思っていなかったのだ。日本語って微妙だ。主語を省略できるからいつの間にか暗黙の了解でものごとがすすむ。
 沈黙と、瑛佑の照れとで、秀実もまた悟ったらしい。口をぽかんと大きくあけて、「えええーー」と道のど真ん中で叫んだ。
「ちょ、秀、うるさい」
「え、嘘っ! えーすけってそうだったの? っつかそれ、片想い? じゃねえか、一緒に暮らしてるってことは、両想い? トーマとつきあってんの?」
「秀、ボリューム、」
「えーおれまったく知らんかったし! 言えよ! トーマも隠してんなよな!!」
 騒ぎ立てて、最終的には怒りへ持って行って、秀実は終息した。ばしんばしんと背を叩かれ、痛いったらありゃしない。うるさい秀実を置いて帰ろうと本気で思ったから、歩みを早めた。秀実も追いかけてきて、二人してほぼ全速力で駅へと駆ける。
「逃げんなよ、えーすけ!」
「おまえがうるさいからだろ……」
「あーびっくりした。あーびっくりした、びっくりしたあ」
 駅の改札、人の出入りが激しければもう、二人の会話に注目する人間はいなさそうだった。コインロッカーの前でようやく一息つく。秀実がでも「あはは」と楽しそうに笑うから、ああ言っても大丈夫だと、思った。
「透馬とつきあってるよ」
「ほおー」
 にやにやと秀実は笑っている。その顔が見ていられず、目を閉じて、三回息を吸い吐きした。
「ていうかいつからだよ、」
「……去年の春先ぐらい」
「げえ、一年以上前じゃん! なんでゆわなかったんだよ!!」
「色々あったんだって……」
 瑛佑の首に腕を伸ばし、おそらくはスリーパーホールドを決めようとする秀実をなんとか払いのけ、かわす。「楽しそうだな、おい」と言うから、そこは素直に「楽しいよ」と言ってやった。
 かわしてもかわしても何度も腕を伸ばしてくる秀実に根負けして、ついには肩を組まれた。
「まー、よかったなー。トーマ一時期いなくなっちゃったし、辛そうだったから心配してたんだよなー」
「……」
「そっか、そーなんだな。おれ、ちっとも嫌じゃないからな、えーすけ。むしろ応援する。これからもよろしくな」
 一方的にそう言って、秀実は腕を解いた。改札を指差し、「ボーリングでも行く?」と笑う。眩しいものを見たように、瑛佑は目を細くした。ああ、秀実だ。なんでも許容する、バカでハッピーで愛すべき、単細胞の義理の弟、親友。
 下を向いて感動をごまかしながら、「そうだな」と瑛佑は頷いた。
「あ、新しく出来たジム行く? ボルダリング出来るってとこ」
「今日は準備がない」
「借りりゃいいだろ。見るだけでもさ、行ってみようぜ。ここから二駅ぐらいだし」
「まあ、いいよ」
 ぱん、と肩を叩かれる。笑っている秀実の隣に並んで改札へと歩き出した。



End.




拍手[75回]

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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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