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綾と暁永
幼馴染という間柄で、お互いのことはなんでも知れている。いまさらこいつがこういう性格で好きこのみはこうなんだとか、新しい発見を日常で感じることはない。誕生日はいつ、血液型はなに、好きな食べ物はあれで嫌いな食べ物はこれ。綾は暁永のことを訊かれればなんでも答えられるし、暁永だって同じだろう。忘れていることはたくさんありそうだけれども。
長いこと身の内にくすぶらせ続けてきた初恋は、ある日突然叶った。それは綾が長いこと待ち望んでいた瞬間で、でもその日がやって来たら、単純な喜びひとつだけではなかった。ずっと暁永の日に焼けた腕の中にいる自分を想像していたというのに、暁永に手をつけられると分かった夜は、申し訳なさでいっぱいになった。誰に対して? 甥に対して。淋しいからと都合よく傍に置いた透馬のことを急に思い出した。暁永についてようやくイギリスまでやって来た夜だったのに。
急に気持ちの整理なんかつかないよな、と暁永は言い、そっと背を向ける背中を慌てて引き戻した。綾の迷いまで知られてしまっているのなら、もう隠すことはなにひとつない。歳を取り、張りなく痩せた身体に舌打ちをしたくなりながらも、綾からシャツのボタンを外した。全部脱いで暁永に見せる。発音よく実に感慨深く、暁永は「daring」と言った。
「……日本人だろ」
「いやあ、海外生活長いからな。つい出ちゃうんだ」
「うそくさい」
「待たせたな、綾」
そう言われると、こみあげるものがあった。じわりと滲む視界が嫌で目元に手を寄せると、その手は暁永に掴みとられた。親指の付け根にくちびるを寄せ、手首の内側の骨の浮き出た部分を甘噛みされた。髭が当たってくすぐったく感じたが、それ以上に恋焦がれた男にそうされている事実が、綾を高ぶらせた。
新しい涙は、いよいよ結ばれるのだ、という感動からではなかった。あけすけに言うならば、溢れかえる性感から。暁永のくちびるが肘の内側までのぼった時、それ以上は身体を保っていられずに、綾はベッドへ深く沈み込んだ。
暁永もシャツを脱ぎ捨て、綾にのしかかってくる。
「待たせてわるかった」
「……もういいよ」
ここまでかかった年月のことを、それ以上は話さなかった。下手に蒸し返してまた機会を逃すのだけは避けたかったし、気まずい空気になる前に先を読んで回避する術は備わっていた。歳を取ることは、きっと悪いことだけじゃない。若い身体で抱き合いたかった思いもないわけじゃないが、いとしい人に裸体で触れ合っている事実は、感電死しそうなぐらいの衝撃をもたらした。
スローなセックスをした。イギリスでの初めての夜、長旅の労は置いてやさしく丁寧に触れあった。はじめに思い出した透馬のことは一瞬で、あとは忘れた。どうしているかだなんて、考える方が無理だった。
夜半、雨音で目が覚めた。ずっと頭痛がしていたから降るのだという予感はあったが、何時から降り出します、なんて天気読みが出来るほど精巧なつくりでもない。降り出した雨は弱々しく、そんな微細な音でも聞き漏らさず起きてしまう自分の繊細さに、いつもながらに呆れる。
隣の布団は空だった。時計を見る、午前一時半。まだ起きているのかと思いつつ、起き上がる。水を飲むために台所へ向かった。床木はきしきしと音を立て、雨音と不思議と調和する。
結局、二年で日本へ戻って来た。日本、というよりも、Fへ。イギリスは綾に本当に合わなかった。頭のやわらかなうちに英単語のひとつでも覚えておけば良かったのか。新しいものへの拒絶は自分で想像していた以上に大きく、イギリスでの綾はただひたすらに無口で引きこもりだった。暮らしているうちに分かり始めた英語はしかし聞くだけで、発音はしない。暁永がいなければ出かけることはしなかったし、当然、仕事もしなかった。家にいてたまに庭に出て、暁永のコレクションである花々をスケッチブックに描きつける日々。
それでいいよ、と暁永は言ったが、負担は大きかったに違いない。再び転勤の話がやって来た時、暁永は相談もせずに帰国を決めた。日本のめしは美味いだろうな、と言いながら頬を撫でられ、自分がそれほど痩せきってしまったことに気付いた。
帰国して古い馴染みと顔を合わせ、Fの空気を吸って、しみじみと自分はFの人間なんだと思い知った。若いうちに暁永と結ばれていても、ここを離れられなかったに違いない。そのまま壊れて青臭い勢いのままにうまくいっていなかったかもしれないと、狭い自分を思い返す。
いまは季節がめぐり、春だ。また筆耕の仕事を少しずつ受け入れ始めた。これが出来る喜びと、あとどれくらいこうして暮らすのか、という漠然とした不安とが織り交ざって、日々はやすらかに過ぎる。綾は、いま死んでもいいと思っている。暁永とFで暮らしているから。
蛇口をひねり、コップに水を汲んで、飲む。一口、二口と口にしていると、大きなあくびをしながら暁永が台所へやって来た。
「綾」
「まだ仕事か」
「いや、もう寝る。綾の顔をちゃんと見ておくのは、久々だと思ってさ」
ここ数日、暁永は出張に出かけて留守をしていた。帰宅したのは昨日の深夜で、綾は先に就寝していた。朝起きると、すでに大学へ出かけていた。そんな風にしてすれ違って、暁永の言う通りに顔を合わせたのは約五日ぶりだった。
暁永の出張中、少し体調を崩していた。医者に行こうかどうしようか思案していた矢先に暁永は帰宅して、すれ違いの中でも綾のために食事を用意してくれていた。暁永いわく「野生の勘」は、綾に対してとても敏感だ。一時期はそれもなくなったと絶望しかけていたから、いま綾の元に向けられた愛情はより一層の感動を綾にもたらす。
暁永の手がそっと綾の額に伸びた。熱くて力強く、綾は目を閉じる。
「元気か、綾」
「――少し、」
「眠れない?」
「眠りづらい」
「まだだるいか」
暁永の問いに、首を振った。大したことじゃない。でも甘えたい。心細いが、ひとりでやりこなせる程度。これをどう頑張っても、暁永に上手に説明できる気がしない。
「明日は教室の初回だから、緊張しているのかもしれない」
つてを頼りに、また教室をひらけることになった。場所は、しばらくは区の公民館を借りる。手習いのひとつとしてどうかと講師申請すれば、ぜひお願いしますと快い返事があった。
「おれももう寝るよ。一緒にやすもう。――そうだ、昼間」
そう言って暁永はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。部屋着のズボンにそれを持ち歩くとは考えられなかったから、綾の起きた気配に、本当はこれを目的としていたのかもしれない。
画面を眺めながら、「誓子から。透馬が引っ越した、って」と暁永が嬉しそうに言う。
透馬。その名を聞いて、ああそうか透馬か、と思った。正直、いまの生活に透馬の存在はいらなかった。伯父と甥、かつては共に暮らし愛した仲であるが、透馬のことなど思い出しもしなければ、考えもしなかった。
引っ越した、ということは、あの家を出たということだ。訪れたことはないが、妹の嫁ぎ先にあまりいい印象を抱いてはいない。青井という男が嫌いだ。そこまで考えて、ようやく透馬にとっても居辛い場所だったのだと思い至った。
「すきな人と暮らすからって言って、出て行ったらしい」
暁永が見せてくれた画面には、確かに誓子と暁永のやり取りが記されていた。一通り眺め、暁永に返す。綾はこの手の類の機器を持っていないから、つかい方がよく分からない。対して暁永は若い世代との交流が必須のせいか、とても詳しい。正反対だ。
どうして一緒にいられるのだろう、と目の前の暁永を見て思った。思いが通じるまでが長かったせいか、疑い深い。この先も続くなんて信じられないから、やっぱりしあわせないまのうちに死んでしまいたい。満ちているから、いま終わっていい。
「よかったよなあ、透馬」と言った暁永の台詞は、半分ぐらいは聞いていなかった。
「――綾、なんか思いつめてる?」
問いかけられ、我に返った。
「いや、……やっぱりまだ調子、よくないのかもな」
「そうだな。寝ようか」
「ああ」
さっきまで熱心にいじっていたスマートフォンをすぐそこのテーブルへ放ると、暁永は手を握ってきた。ほっと息をつく。幼馴染だから、という理由だけでなく、暁永にはすべて理解されている。身体も、思考も、不安と安寧で完結されたFでの静かな日々をうっとうしく思いながらも愛している綾のことは全部。
揃って並ぶ布団に潜りこんだが、暁永が手を伸ばしたので、布団から手を出してまた握り合った。
「綾、おれたちはなあ、えらく元気なじいさんになるんだよ」
眠る間際に、暁永が言った。
「あのじいさんたち長生きですね、もういくつですか? ってぐらいまで、生きる」
「やだ、無理。ぼくはもたない」
「ずーっと手ぇつないで寝る仲だぜ。あと二十年? 三十年? 百年でも二百年でもなんでもいいや。とにかくいまから退屈してんなよ、綾」
「……」
「ようやく、これからだろ」
暁永の手に力がこもる。ぎゅうっと握られ、その手を綾は目元へうごかした。頬ずりをするように、いとしさが伝わるように。
本当は、信じていたい。死ぬ瞬間まで暁永が添える人生を。
「――明日、暇?」
声のボリュームを間違って、はじめの「あ」だけが大きく響いた。
「暇じゃないけど、夜はいる」
「じゃあ明日の夜、して、暁永」
「おお」
大げさでなく、暁永は驚いた声をあげた。少し期待も混じっている。「今夜じゃなくて?」
「……もう遅いだろ……」
「――ふうん、楽しみだな」
手を握ったまま、暁永は布団から這い出て顔を寄せてきた。軽く、キス。「明日はうなぎでも取るか」と言いながら離れていく身体に軽口をたたいて、目を閉じる。
頭痛はいつの間にか収まった。雨はじきにやむ。
End.
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