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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 春山登山の日はあっという間にやって来た。
 天候が心配されたが、当日はよく晴れた。暑くなりそうだと予感させる陽の光だった。通孝は父親と共に家を出て、集合場所になっている学校に向かう。バスを借りており、学校からはそれに乗って登山口まで移動するのだ。
 参加者は二十人程になった。山岳部が七人でうち二人が新入部員だ。そこに顧問・副顧問の教員らがわらわらとくっつく。山岳部に関係ない者はそのほとんどが教員だった。山岳部以外の生徒は直生と、天文部員から数名。教員の中には当然のように校長も混ざっていた。
 集合場所に着くと、既に人が集まっていた。長身なので直生の姿はすぐに確認出来た。その傍らには担任の鳥飼がいて、ふたりは何やら談笑している。通孝の姿を認めると直生は手を上げ、鳥飼は軽く会釈をした。ふたりの傍に寄る。
「おはようございます」と挨拶をしあう。鳥飼は通孝の背後にいた父親に「担任の鳥飼です」と深く頭を下げた。四月の下旬に担任と生徒、保護者の懇談会があったのだが、通孝の父親は山荘が忙しいと言って母親に出席を任せていた。よってふたりは初対面ということになる。
 父親はにこりと笑った。
「息子がお世話になっております」
「今日はよろしくお願いします」
「ええ、楽しい登山にしましょうね。準備体操は念入りに」
「はい」
 やり取りをするふたりを見てなんとなく面映ゆいような気でいると、直生がこっそりと耳打ちしてきた。「お父さん、晩に似てるな」
「逆だ、逆。僕が父さんに似てんの」
「耳の形がそっくりだ。あと体格も」
「身長の伸び悩みの理由も納得するだろ?」
 自虐的にそう言うと、直生は「ホントだ」とくすくす笑った。
「岩永はどうなの? 父親に似てるとか母親に似てるとか」
「分かんないな。とりあえず母さんにはあんまり似てないみたい。母さんはおれのことを父親似だって言う。けど、おれは父さんの顔を見たことがないから知らない。見たことはあるんだろうけど、小さい頃の話だから覚えてないんだ」
 唐突な告白に通孝はギョッとする。
 直生は続けた。
「おれは、父親似。だから母さんから嫌われちゃう」
「……どういうこと、」
「母さんは父さんが好きでたまらないって話。だからおれを見てると辛いんだって。うちは母子家庭なんだ。父さんは戦争で片足なくして、それでろくに働けなくて酒に溺れるようになって、依存して、死んだ」
 思いがけず重たい話だった。通孝はどうしてよいのか、狼狽える。だが直生はどこかで起きている遠い事象でも説明するかのように淡々と事実を述べる。
「父さんと母さんはお見合い結婚だったけど、ふたりともお互いの事が大好きだったみたい。結果的に父さんは体と精神を壊して死んじゃって、母さんはすごく淋しい。父さんが死んだとき、後を追うんじゃないかとひやひやしたぐらいで、……おれを見ると辛い顔して、急に抱きしめてきたり、叩いたりするから、あんまり家にいないようにしてるんだ、おれは」
 だからほぼ初対面の通孝の家にもやって来たのだろうかと、ぼんやりと思った。
「だから将来おれに嫁さんが来てくれたら、あったかい家にしたいな。子どもを食っちゃわないような、家に帰りたくないような家がいい」
「……そうだね」
 としか言いようがなかった。
 岩永直生という少年の境遇を知って、通孝の胸は暗く塞ぐ。憂鬱になるような大事な秘密をなぜこの少年は通孝になど話すのか。直生は「この話は内緒にしてて」と念を押した。言われなくても喋り散らして愉しむ趣味は通孝にはなかった。
「――じゃあ、うちに来てるといいよ」
 と言うと、直生は無防備な顔をこちらに向けた。
「もう少し季節が進んだらさ、うちの実家じゃなくて、山荘の方にも来いよ。夏休みとかどうせ僕は山荘の手伝いに駆り出されるから、岩永も。うまくやれば小遣い稼ぎになるよ」
「……ありがとう」
 直生はどこか痛々しい笑みを見せた。


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 その日の放課後、通孝は初めて直生と下校を共にした。直生が「これは重要で、緊急の問題」と大真面目に言ったからで、かつ「橋本先生には内緒」だと言う。ひとまず橋本には「春山登山に他の部活動の生徒でも参加できるかどうか」だけを確認しておいた。橋本はあっさりと了承する。いわく「美術部なら鳥飼先生も参加されるからな」とのことで、「スケッチでもすればいいじゃないか」と、持ち前の「あらゆる分野を絡める」思考を堂々と展開した。
 直生の話を聞ける場所をあれこれ考えて結局は通孝の家に上げてしまうことにした。空き地や公園では陽が暮れるとまだ肌寒い。図書館ではお喋りなど出来ない。喫茶店に入る金はなかったし、あったとして下校途中の買い食い、飲食店への生徒のみでの立ち寄りは校則で禁止されていた。直生は「うちに来てもいいけど」とは言ったがそこには何か躊躇いが含まれていたので、通孝が「僕のうちの方が近いみたいだし」と適当に理由をつけて直生と帰宅した。
 K高地の山荘は通年で営業しているわけではない。冬季は閉鎖する。三月頃に従業員を募って山荘に向かい、住み込みで働かせながら営業再開の準備をして、四月より客を迎える。今は営業が始まったばかりの頃で、よって晩家はなんとなく慌ただしい。祖父と父親は山荘へ行きっぱなしだし、普段、平日は割と家にいる母も、この時期は山荘と家とを行ったり来たりしている。家事は通孝と小学生の妹・志津(しづ)が祖母の指導の下に分担で行っている。
「せっかくだからめしでも食ってって」と言うと、「それは申し訳ないよ」と直生は言った。通孝は「いいんだよ、別に」と軽くあしらう。
「めしは僕や妹が作るんだけどさ。多めに作った方が料理って美味い気がするんだよね。だから食ってって。人が多い方がばあちゃんも喜ぶし」
「……」
「あー、だったらこうしよう。岩永はさ、頭がいいんだろ? 学年で指折りに入るって聞いた。僕は国語や社会がいまいちわかんないんだよね。こないだのテストもそうだったんだけど、単語が滑るっていうか、頭に入ってこないんだ。そういうコツとか知ってそうだから、ついでに教えてくれたらありがたい」
 と言うと、直生は「分かった」と言って丁寧に頭を下げた。「ありがとう、お邪魔します」
 家では祖母が洗濯物の片付けと風呂の支度を、妹が宿題をやっている最中だった。祖母と妹は急に現れた客にあからさまに驚く。それは直生が長身であるからで、祖母など「いまの子はこんなに大きいのねえ」と言うのだから思わず直生と顔を見あわせてしまった。
「僕だっていまの子だよ。夕飯食べてくけどいいよね」
「もちろんさね。今日はお隣さんから鶏肉をおすそ分け頂いたから、お肉をたくさん食べていくといい」
「え、お隣さん、鶏を絞めちゃったってこと?」
 隣家はこの辺でも有数の農家で、家も大きければ庭も広い。その広い庭に鶏を飼い、卵を採っていた。
「なんかねえ、産んだ卵を自分で食べるようになっちゃったから、絞めたんだって」答えたのは志津だった。
「檻が狭すぎたのかなって、おばさん言ってたよ」
「ああ、」
「卵の味を一度覚えるとね、執拗に繰り返すって言うからねえ」
 と祖母はしみじみと言い、直生に茶を出してくれた。
 だが直生はぼんやりと立ったままだ。
「――岩永、どうした?」
「あ、いや、」
 声をかけるとようやく返事をした。
「……親が子どもを食べるんだ、と思って」
 小さな声でぽつんとそう、言った。
 その日、通孝が用意したのは親子丼と味噌汁と青菜のおひたし、祖母の漬けた漬物、というごく一般的な献立だったが、直生は体の大きさに見合わずあまり食は進まなかったようだ。日頃の食事量をあまりよく知らないのであくまでも推測だが、成長期の少年が食べるにしてはあまりにも少ない、と通孝は感じた。もしかすると祖母よりも食べなかったかもしれないと思うぐらいだった。見ていた祖母は直生が遠慮したとでも思ったのか「もっとあがっていいんだよ」としきりに勧めたが、直生は曖昧に笑ってひたすら茶をすすっていた。
 食事を終えて、二階にある自室に直生を伴って下がる。部屋に入ってから通孝は「ごめん」と謝った。直生はきょとんと目を丸くする。
「僕は家が家で、あまり人見知りをしない性質だからこう、……初対面の人でも一緒にめしとか、平気なんだけど、岩永はそうじゃなかったかな、って」
「あ、いや」
「同じ学年だったけど、同じクラスになったのは最近で、自己紹介したのも今日だったもんな。それで家まで連れて来ちゃって、緊張させた?」
「緊張は、ええと、……少し、そう、少しはしたよ」
 直生はしどろもどろに答える。
「けど、別におれは、晩に対して警戒していたってことではないし。そう、ちょっと……びっくりしただけ」
「何に?」
「んー……まあ、色々だよ。色々なことに。おれの家とは随分と違うなって、そう思っただけ」
 長い手足を上手に折りたたんで、直生は狭い部屋に体を収める。それを見て通孝は昆虫を連想した。カマキリやバッタなんかはこんな風に鎌や肢を備えているものだと。
 通孝もその傍に座った。
「――で、なんだっけ。重要で緊急の問題」
「ああ、……いや、先に今日の宿題でもやろうか」
 と言うので、通孝は「え?」と聞き返した。
「教えてほしいって言ってたろ、勉強」
「そうだけど、それは」
 あくまでも通孝の家に招く建前だ。話があると言っておきながらいざ話せと促すと渋る。よっぽど言いにくいことなのだろうか。直生の言動がいまいちよく分からない。
 それを指摘すると、彼は「正直に言うと」と申し訳なさそうな顔をした。
「話す気がなくなっちゃった」
「……緊急の問題なんだろ?」
「緊急だけど、心の問題でもあるから」
 そう意味深に言い、鞄から教科書や鉛筆を取り出す。なんだろうな、と通孝は考えるが、よく分からない。だが初対面に等しい間柄であるので、今日はこんなところなのかな、とも思う。
 直生が取り出したノートとノートの間に、見慣れた紙が挟まっているのを見つけた。それは通孝の鞄の中にも入っている。個人の身体測定の記録表だった。
「それ」と言うと、直生は「ん?」と顔をあげた。ノートの間から記録表をつまみ上げながら「見ていい?」と訊ねると、直生はぼんやりと「いいよ」と答えた。
 記録表は数値を書き込むほかに、グラフにもなっている。直生のグラフはグラフに収まりきらずにはみだし、その急激に右斜め上にあがる線を見て通孝は文字通り目を丸くした。
「188㎝?」
「うん。これでも伸び方がおさまって来た方」
「なんかまだ伸びそうな気がしちゃうね、このグラフだと」
 180㎝を超える身長であることがもう驚きで、さらに190㎝に届こうかという結果には、ただただ羨むばかりだ。
「僕は岩永の身長を分けてもらえたらってずっと思ってたよ」
 自分の記録表を見せながら直生にそう言うと、直生は苦笑した。
「おれは晩の方が羨ましいよ」
「そうかなあ」
「いい家に育っているんだろうなって勝手に思ってたけど、……本当にそうみたいだし」
 そうしてその夜は直生から教わりながら宿題を進め、終えると直生は帰って行った。それだけだったが、それだけでもふたりでつるむ日が、それからずっと続くようになった。


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「じゃあ、とりあえず岩永」
「晩、って格好いいよな」
「変わってるだけだ」
「名簿見て一瞬、日本人じゃないのかなって思った」
「生憎、純国産品なんだ」
 笑ってみせると、直生も笑う。大きく表情が動いた訳ではなかったが、岩永直生という少年をよく表す穏やかな笑顔だった。
 直生の背後でひとつの机に屯していた天文部員が各々で散り始めた。通孝は「あれ」と指差す。直生も背後を振り向いた。「混ざって何やってたの?」
「星見せてもらってた」
「星? 写真のこと」
「そう。雑誌の写真と星座盤見比べながら星座の話を聞いてたよ」
 だったら直生の用事は天文部で事足りたのではないのか。そう言おうとしたら、先に「本当は橋本先生に用事があった」と言われた。
「橋本? いま職員会だと思うけど」
「うん、職員会の前にそう言われた。でも終わったら話聞くから、それまで晩に相手してもらえ、って」
「なんで僕なんだよ」
「山の話が聞きたかったんだ」
 と、直生はやわらかく笑った。
「鳥飼先生が、星と山と写真と石の話が聞きたいなら橋本先生だ、って言ってたよ」
「鳥飼? うちの担任の鳥飼が?」
「うん。――晩は先生を呼び捨てるんだな」
 直生は楽しそうに笑い、それから「今度、山岳部主催で春山登山するんだろ」と質問を変えて寄越した。
「あー。主催ってかな、先生達がハイキングしたいだけだよ。山岳部員と顧問の先生と、あとは教員の中から希望者募って、てやつ。おれの親父が山の案内も出来るからって、会の名前としては『晩さんと行く春山登山』てな感じでさ。今度、五月の休みの時だよ」
 企画は橋本の発案だった。登山というよりはハイキングで、山岳部というよりはワンダーフォーゲル部の方だと思っている。本格的な機材を背負って何日も山に登れる橋本にしてはぬるい企画だが、「新入部員連れて行くならまずはこんなとこからだろ」と言われれば、そうだな、とは思った。
 直生は酷く真面目な顔で、「部活が違う奴でも参加出来る?」と聞いてきた。
「あー、橋本に聞かなきゃ分かんないかな。でも初級の山歩きだからいいと思う。なに、岩永も登りたいの、」
「うん。鳥飼先生も参加するって聞いたから」
「岩永、何部なの、」
「美術部。鳥飼先生が顧問だよ」
 それを聞いてなるほど、と思った。鳥飼からは新学期が始まる前から指導を受けていたのだ。部員として。だから親しい。
「もっともおれ、絵は描けないけどね」と言う。
「見るのは好きだから、鳥飼先生に色んな展覧会の情報聞いたり、画集を紹介してもらって図書館で眺めたりしてる」
「ふうん。いいと思うよ」
 隣の理科準備室から扉が開いて閉まる音がしたので「橋本が帰ってきたかも」と直生に教える。
「ハイキング、行けるか聞けばいいよ」
 と、直生を伴って理科準備室へと足を向けると、直生は不意に晩の腕を軽く引いた。
 その触れ方に思わず心臓が跳ねた。
「――聞かないの?」
「えーと」
 直生はしばらく黙ったが、やがて「おれがハイキングに参加したいって言ったのは、鳥飼先生が行くって言ってたからで」
 喋りながら直生は狼狽えている。右手で髪をくしゃくしゃにかき回しながら言葉を探しているようだったが、意を決したのか通孝の目に視線を合わせてきた。
「――協力してほしいんだ、晩には」
「なにを?」
「橋本先生が鳥飼先生に手出ししないように」
「え?」
「おれの見立てだけど、橋本先生は鳥飼先生のことが気になってるみたいだから」
 通孝にはその台詞の意味するところをいまいち図りかねた。


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 身長は思うようには伸びなかった。
 晩通孝(ばん みちたか)は十四歳で自分の限界を見た。身体測定の結果に目を通し、溜息をつく。そこに記されたグラフは入学当時から少しずつ伸びていたのだが、ついに止まり、定規で引かれた線はただの横棒になっていた。下降しないだけ正常だという程度。
 通孝の父も、祖父も、背はあまり高くない。だから自分が高身長になる夢は早くから諦めていたとはいえ、せめて165cmまで伸びたかったな、と通孝は溜息をつく。グラフに記された身長は161cm。あまりにも小さい。だがもうこれ以上伸びたりはしないだろう。
 野球部の齊藤は入学当時は一番前に立っていた程のチビだったのに、今では通孝を超している。剣道部の秦も、陸上部の前田もそうだ。運動部の方が伸びがいいんだろうかとも思ったが、吹奏楽部の竹中もぐんと背が伸びて、チューバなんて大きな楽器を吹きこなしている。生徒会書記の須田。あいつは特に部活動なんてしていないのに背が高くて羨ましい。
 あとはあいつ。同じクラスの岩永直生(いわなが なおき)。
 二学年から三学年に進級する際に、クラス替えがあった。そこで通孝は初めて岩永直生と接点が出来た。一学年だった頃にはあまり覚えがないのだが、二学年が終わる頃には直生はわりと有名人になっていた。とにかく背が高いのだ。先に挙げた野球部のうんたらとか吹奏楽部のどうたらとか、そやつらよりも更に高い。拳ひとつかふたつ分くらいはゆうに越えるだろう。
 だったら自分と比べてしまうとどれだけ違うのか。知るのが恐ろしい。拳ひとつかふたつ分くらいこちらにくれないだろうか。そうなったら平均化して、悩みがいくつも解消しそうだ。
 通孝の所属するクラス――三年二組、の名簿は「あ」の生徒がおらず、「い」で始まる。「いわなが」なので彼がいちばん前だった。座席のいちばん前を学年でいちばん背の高い奴が座るのだ。新しく担任になった鳥飼(とりかい)という若い女性教諭は、新年度が始まって最初の学活の時間、教室に入るやいなや、ふ、と笑った。笑って、「直生さん、さすがですね」と声をかけた。あれは教師の間でも直生の高身長が知れているということなのだろう。
 中学三年生という学年。義務教育課程の最終学年であり、大抵の者は受験生という身分になる。試験の結果と普段の素行がいよいよ重要視されてくる。学年順位がどうとか、課外活動での評価がああとか。そんなことよりも通孝はとにかく身体測定の結果の方が残念でならない。こんなところで止まりたくないのに、入学したときからの僅かな伸びは、とうとう通孝から消えた。
 結果の記された用紙を鞄に仕舞い、部室に行く。放課後、まだ新入生の部活動勧誘期間中なので、ぶかぶかの制服を着た一年生が校舎のあちこちでうろうろしていた。うちの部活の見学に来る物好きが今年はどれくらいるのかなどと思いながら、一応「部長」なので、通孝は部室として使う理科室へと歩いて行く。
 なんで山岳部が理科室なんだか。ふ、と通孝は心の中で笑う。理科室は天文部の部室でもある。というより、天文部が先に理科室を使って部活動を行っていたのに、後から出来た山岳部が間借りみたいな形で理科室を使っている。どちらも校外活動が主な部なので衝突しあわないだけだ。
 どちらの部も顧問が同じなのだ。橋本という理科教諭は天文部だけの顧問だったのだが、登山が趣味で、よく機材を抱えて星の写真を撮りがてらの一泊二日の登山に出掛けている。歴代の天文部は「星の観察」と称して橋本引率の下に登山をさせられていたという。そのことを通孝はよく知っていた。どれくらい詳しいかというと、この中学校に入る前から知っていたほどだ。
 通孝の家は、K高地に山荘を開いている。祖父が開き、今は父が経営の中心だ。K高地に山荘があるだけで家族が暮らす家はこの街にある。だが当然、K高地の山荘に行き来がないわけではなかった。
 その山荘に橋本はよく出入りしていた。客として来ていた橋本は土日のみ接客に連れ出される晩家の長男とも自然と面識が出来、さらにその長男が今度入学する学校が自らが勤務する学校だと分かったときには、えらく嬉しい顔をして「よし!」と手を打った。「じゃあ山岳部を創設しよう!」と。「天文部で山登るのも良かったんだけどな、さすがに重たい機材持って高山というのも限界があってな」と言う。そんな私的な理由から、通孝の入学と同時に山岳同好会が出来、橋本の勧誘が上手かったおかげで部員も増えていつの間にか部活動として認められてしまった。
 今年も新入部員が入るんだろうか。新入部員よりも、山に興味を持った教員らがハイハイと自ら率先して顧問に就きたがることの方が問題だ。山岳部の部員は現在五人だが、顧問は橋本を含め七人いる。主顧問が橋本で副顧問がその他の六人。教員らのサークル活動という体もあり、名を連ねてはいないが校長まで校外活動に付いてくる事もある。一部の人間に非常に人気の高い部で、おそらく家を継ぐ事になる身としては将来性の高さに安心すべきなのだが、そう呑気にも笑いたくない。通孝の性質はどちらかと言えばあまのじゃくだ。
 理科室の扉をガラリと開けると、体操着に着替えた部員らが「部長」と手を振った。紅一点・二年の伏見が近寄ってきて、「あたしたちこれから走ってきますんで」といつもの練習メニューをいくつか挙げる。
「新入生来てないの?」
「今日は来てないです。でも、部長に用事のあるような人は来てます」
「え?」
 通孝は周りを見渡す。体操着姿の山岳部員の他には、教室の半分を使って天文部がわらわらと群れているだけだと思っていた。
 伏見が「部長来ましたよー」とその群れに声を掛けると、中からひとり、男子学生がスッと立ち上がった。
 その上背を見て、通孝は用件のある人間が誰なのかを瞬時に悟る。大きいとはいえ、床に膝を突いて仲間と群れている分には背は目立たず、少年の大きさも紛れてしまうのだのその時理解した。
 立ち上がった岩永直生は、天文部に「ありがとう」と手を振り、真っ直ぐに通孝の元へやって来た。伏見が「じゃ、行ってきまーす」と他の部員を伴って教室を出て行く。
 対峙した直生を見て、やはり大きいな、と改めて思い、自分の背の小ささに劣等感を抱く。ここまで違うと滑稽だ。晩は僅かに目を逸らす。
「晩くんが部長だったって知らなかった」と直生は言った。
「晩、でいいよ。それか通孝」
「じゃあ、晩。おれは」
「岩永直生だろ。同じクラスになった奴のことなら分かるよ。とりわけ岩永くんって有名人だし」
 そう言うと直生は照れくさそうに頭の後ろをカリカリと掻いたが、「おれも岩永、か、直生、でいいよ」と言った。


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「雄大、お疲れ。慰労会終わったか?」
「いや、抜けて来た」
「いいのかよ、今日いちばんの主役がさ」
「いいんだよ。ここ座っていい?」
 雄大、と呼ばれた青年が仁科の隣に座る。樹生はふたりのやり取りを眺めていたが、仁科が改めて「速水雄大(はやみ ゆうだい)」と青年を紹介したので、頭を下げた。
「今日走ってた張本人」
「すげー速かった人」
「そう。今日は区間新記録でびりっけつから三位に返り咲いたんだよ」
「え、まじですごい」
 パチパチと拍手をすると、速水は照れるでもなくごく自然に「ありがとう」と答えた。今日どのくらい走ったのか分からないが、疲れを感じさせない物言いに若さを感じる。だが年齢を聞いて驚いてしまった。樹生より年上だったからだ。
「えー、嘘でしょう? 絶対にまだ二十代ですって」
「変わんないんだよな、こいつ。怖いぐらい」
「でも現役でいることはそろそろやめるよ」
「……おまえ、そういう進退の話を、おいそれとするんじゃないよ」
 仁科は速水をたしなめる。樹生はふたりの会話についていけなかったが、速水の左手薬指はまった指輪を見て、同じだ、と分かった。
 揃いの指輪をつけている。
(仁科さんが異動になったときの理由、客からしつこいクレームがあったせいだって聞いた)
 速水は仁科から割り箸をもらうと、仁科が口をつけていたカレイの煮つけを食べ、「美味いな」と言って同じものを単品で注文した。それからソフトドリンクも。
(「仁科朗はゲイだから配達をさせるな。気持ち悪い。」確か、そういうクレームだった)
 仁科と速水、ふたりでいる姿は、こんなにもありきたりで、自然だ。ふたりともくつろいでいる。
(この人が、そのクレームの原因か)
 そしてすとんと納得する。仁科は確かに転勤になったが、ちゃんと年月を経ていまに至っている。
 ふたりで至っている。


 帰宅すると部屋の中に暁登がいて驚いた。テレビを見ている。ちょうどローカルニュースが放映されている時間で、昼間の市町村対抗駅伝の様子を放映していた。
「おかえり」と暁登はテレビを見たまま言った。
「早先生がおかず作りすぎちゃったからって、弁当に詰めてくれたから持って来た。明日温め直してどうぞって」
「さんきゅ」
 暁登は熱心にニュース番組を見ている。そこには速水雄大の力走する姿もあった。綺麗なフォームで、しなやかな筋肉を動かして速攻で駆け抜ける。
「この人、陸上の元・日本代表なんだって」と暁登は画面を注視しながら言った。
「なんか格好いいよな。フォームが綺麗で軽やかで、人ってこんな風に走れるんだなって思っちゃう。見惚れる」
「うん、格好良かったよ」
「え? 見たの?」
「ん、」
 イエスともノーともつかない返事で、樹生はテレビを消す。「あ?」と暁登が顔を上げた。その体を思い切り抱きしめる。
 きっと痛いだろうと想像しながらも容赦せず抱きしめながら床に押し倒す。
「おい、」
「他の男に夢中になってるなんて面白くないからとにかくやらせて」
「ちょ、意味が」
 じたばたと抵抗する体を抑え込み、うるさい口を口で塞ぐ。舌を絡ませると抵抗は収まったが、隙をついて背中を拳で思いきり叩かれた。
「いって、」
「なにがっついてんだ、ばか」
「うるさい」
「はあ?」
「いいからやらせろ」
「なにが『やらせろ』だ、こら、樹生!」
 床に転がり、力と力で苦戦しながらも、互いの境界を埋めていく。昼間見た、速水雄大の加速していくスピード。あんなふうにふたりで落っこちる。


End.


← 中編



7月12日19時追記:
明日も更新の予定でいましたがちょっと諸々間にあっていません。
次回、7月14日(土)より再開したいと思います。よろしくお願いします。



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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