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身長は思うようには伸びなかった。
晩通孝(ばん みちたか)は十四歳で自分の限界を見た。身体測定の結果に目を通し、溜息をつく。そこに記されたグラフは入学当時から少しずつ伸びていたのだが、ついに止まり、定規で引かれた線はただの横棒になっていた。下降しないだけ正常だという程度。
通孝の父も、祖父も、背はあまり高くない。だから自分が高身長になる夢は早くから諦めていたとはいえ、せめて165cmまで伸びたかったな、と通孝は溜息をつく。グラフに記された身長は161cm。あまりにも小さい。だがもうこれ以上伸びたりはしないだろう。
野球部の齊藤は入学当時は一番前に立っていた程のチビだったのに、今では通孝を超している。剣道部の秦も、陸上部の前田もそうだ。運動部の方が伸びがいいんだろうかとも思ったが、吹奏楽部の竹中もぐんと背が伸びて、チューバなんて大きな楽器を吹きこなしている。生徒会書記の須田。あいつは特に部活動なんてしていないのに背が高くて羨ましい。
あとはあいつ。同じクラスの岩永直生(いわなが なおき)。
二学年から三学年に進級する際に、クラス替えがあった。そこで通孝は初めて岩永直生と接点が出来た。一学年だった頃にはあまり覚えがないのだが、二学年が終わる頃には直生はわりと有名人になっていた。とにかく背が高いのだ。先に挙げた野球部のうんたらとか吹奏楽部のどうたらとか、そやつらよりも更に高い。拳ひとつかふたつ分くらいはゆうに越えるだろう。
だったら自分と比べてしまうとどれだけ違うのか。知るのが恐ろしい。拳ひとつかふたつ分くらいこちらにくれないだろうか。そうなったら平均化して、悩みがいくつも解消しそうだ。
通孝の所属するクラス――三年二組、の名簿は「あ」の生徒がおらず、「い」で始まる。「いわなが」なので彼がいちばん前だった。座席のいちばん前を学年でいちばん背の高い奴が座るのだ。新しく担任になった鳥飼(とりかい)という若い女性教諭は、新年度が始まって最初の学活の時間、教室に入るやいなや、ふ、と笑った。笑って、「直生さん、さすがですね」と声をかけた。あれは教師の間でも直生の高身長が知れているということなのだろう。
中学三年生という学年。義務教育課程の最終学年であり、大抵の者は受験生という身分になる。試験の結果と普段の素行がいよいよ重要視されてくる。学年順位がどうとか、課外活動での評価がああとか。そんなことよりも通孝はとにかく身体測定の結果の方が残念でならない。こんなところで止まりたくないのに、入学したときからの僅かな伸びは、とうとう通孝から消えた。
結果の記された用紙を鞄に仕舞い、部室に行く。放課後、まだ新入生の部活動勧誘期間中なので、ぶかぶかの制服を着た一年生が校舎のあちこちでうろうろしていた。うちの部活の見学に来る物好きが今年はどれくらいるのかなどと思いながら、一応「部長」なので、通孝は部室として使う理科室へと歩いて行く。
なんで山岳部が理科室なんだか。ふ、と通孝は心の中で笑う。理科室は天文部の部室でもある。というより、天文部が先に理科室を使って部活動を行っていたのに、後から出来た山岳部が間借りみたいな形で理科室を使っている。どちらも校外活動が主な部なので衝突しあわないだけだ。
どちらの部も顧問が同じなのだ。橋本という理科教諭は天文部だけの顧問だったのだが、登山が趣味で、よく機材を抱えて星の写真を撮りがてらの一泊二日の登山に出掛けている。歴代の天文部は「星の観察」と称して橋本引率の下に登山をさせられていたという。そのことを通孝はよく知っていた。どれくらい詳しいかというと、この中学校に入る前から知っていたほどだ。
通孝の家は、K高地に山荘を開いている。祖父が開き、今は父が経営の中心だ。K高地に山荘があるだけで家族が暮らす家はこの街にある。だが当然、K高地の山荘に行き来がないわけではなかった。
その山荘に橋本はよく出入りしていた。客として来ていた橋本は土日のみ接客に連れ出される晩家の長男とも自然と面識が出来、さらにその長男が今度入学する学校が自らが勤務する学校だと分かったときには、えらく嬉しい顔をして「よし!」と手を打った。「じゃあ山岳部を創設しよう!」と。「天文部で山登るのも良かったんだけどな、さすがに重たい機材持って高山というのも限界があってな」と言う。そんな私的な理由から、通孝の入学と同時に山岳同好会が出来、橋本の勧誘が上手かったおかげで部員も増えていつの間にか部活動として認められてしまった。
今年も新入部員が入るんだろうか。新入部員よりも、山に興味を持った教員らがハイハイと自ら率先して顧問に就きたがることの方が問題だ。山岳部の部員は現在五人だが、顧問は橋本を含め七人いる。主顧問が橋本で副顧問がその他の六人。教員らのサークル活動という体もあり、名を連ねてはいないが校長まで校外活動に付いてくる事もある。一部の人間に非常に人気の高い部で、おそらく家を継ぐ事になる身としては将来性の高さに安心すべきなのだが、そう呑気にも笑いたくない。通孝の性質はどちらかと言えばあまのじゃくだ。
理科室の扉をガラリと開けると、体操着に着替えた部員らが「部長」と手を振った。紅一点・二年の伏見が近寄ってきて、「あたしたちこれから走ってきますんで」といつもの練習メニューをいくつか挙げる。
「新入生来てないの?」
「今日は来てないです。でも、部長に用事のあるような人は来てます」
「え?」
通孝は周りを見渡す。体操着姿の山岳部員の他には、教室の半分を使って天文部がわらわらと群れているだけだと思っていた。
伏見が「部長来ましたよー」とその群れに声を掛けると、中からひとり、男子学生がスッと立ち上がった。
その上背を見て、通孝は用件のある人間が誰なのかを瞬時に悟る。大きいとはいえ、床に膝を突いて仲間と群れている分には背は目立たず、少年の大きさも紛れてしまうのだのその時理解した。
立ち上がった岩永直生は、天文部に「ありがとう」と手を振り、真っ直ぐに通孝の元へやって来た。伏見が「じゃ、行ってきまーす」と他の部員を伴って教室を出て行く。
対峙した直生を見て、やはり大きいな、と改めて思い、自分の背の小ささに劣等感を抱く。ここまで違うと滑稽だ。晩は僅かに目を逸らす。
「晩くんが部長だったって知らなかった」と直生は言った。
「晩、でいいよ。それか通孝」
「じゃあ、晩。おれは」
「岩永直生だろ。同じクラスになった奴のことなら分かるよ。とりわけ岩永くんって有名人だし」
そう言うと直生は照れくさそうに頭の後ろをカリカリと掻いたが、「おれも岩永、か、直生、でいいよ」と言った。
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