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「……あの、あの件に関して、……そのあと文化祭があったり、おれは受験だったりで、なにがどうなったのかうやむやなんです。いつの間にかそういう噂はみんなしなくなってたし、赤城先生もいなくなってたし、……結局、写真をばらまいたやつが誰だったかとか、分かったんですか?」
「はは」
赤城は可笑しそうに笑った。奇妙な反応を訝しんでいると、「学校側には僕の退職でうやむやにさせたけど」と赤城が続ける。
「犯人は判明してる。報告はしてないけどね」
「え? 誰?」
「これは青沼絡みだった。青沼を好きだって子が、どうしても青沼を諦めきれなくてストーキングしてるうちに僕と青沼との関係を知って、あんな風にネットに載せたみたいだよ。ほら、きみも青沼と噂になったこと、あったね。あれもその子の辺りからだ」
「……そこまで特定できたんですか」
「うん。アヤが特定した」
「柾木先生?」これには驚く。
「僕には友達って数えるぐらいしかいないんだけど、アヤにはたくさんいるってこと。アヤの大学時代の同期でね、デザイン科に仲の良かったやつがいるんだ。グラフィックをやってるぐらいで、パソコンには精通している。そういう人の知人にまあ、情報処理系に詳しい人も多くてね。頼み込んで特定してもらった。そこらへん疎い僕らとは全然違ってさ。そんなに難しくはなかったみたいだよ」
「……そこまで分かったんなら、」
「青沼を好いてる子。青沼の中学校からの同級生だって。きみらと同じ年齢ってわけだね。調べていくうちに色々と家庭事情が複雑なのも分かったし、本人もだいぶ不安定な性格をしているようだった。そこまでして追い詰めたい相手じゃない。問題化もしたくなかった。だから学校側には説明しなかったし、学校の方もそこまで追うつもりはなかったね。あくまでも問題になったのは、僕と青沼の関係だ」
「……」
「このことは青沼には言ってないんだ。黙っててね。言うときっとまた、寄せる、とかなんとか言って気にするから」
車は大通りを抜けて、家が連なる細かい道に入っていた。いくつも路地を曲がって、車は空き地に停車した。空き地の隣には用水路が流れており、その上に茶色っぽい塗装をした鉄筋コンクリートの橋がかかっていた。その橋を渡ると民家を訪ねるようにできている。民家の住人が渡した橋なんだろう。
橋の上には植木がいくつか並んでいた。橋の先の家には季節を終えたつるばらが生い茂り、玄関を夏の容赦ない日差しから守っている。郵便受けに「柾木」と古い字で記してあった。
「ここですか?」
「うん。アヤの生家。もっとも、アヤの両親はアヤのお姉さん一家に呼ばれてカナダに移住した。ここにはもうアヤしか住んでない」
「……立派ってか、雰囲気のある家ですね。これだけでもう、写真に撮りたいです」
「撮っちゃえば?」
くすくすと笑いながら赤城は荷物をぶら下げて橋を渡る。玄関の引き戸の鍵は開いていた。「アヤーっ、上がるよー」とサンダルを脱いで屋内へと進んでしまったので、慌てて慈朗も追いかけた。
古い家だった。玄関の靴箱の上のレース編みの敷物だとか、家の奥まで見通せないようにするための衝立だとか、古いものがいまでもきちんと使われていて、生活感が漂う。いい家だと思った。こんないい家に住んでいるんだったらもっと早くに教えてほしかった、と意味のないことを考えた。
柾木は廊下の奥、台所の隣の六畳間に布団を敷いて横になっていた。「ここ、本当は客間なんだけどね」と赤城がよく知っている口ぶりで言う。「アヤの部屋は二階にちゃんとあるんだよ。でもこの時期この部屋がいちばん涼しいから、アヤはここで寝てるんだ」
枕元に盆が置かれ、その上に眼鏡と薬と水差し、グラスが置いてあった。ひとり暮らしだと言うが、ペットボトル飲料で楽をするようなことはしない。暮らしを丁寧に築く、柾木の生活には美徳があった。
「……なんでいるんだ、おまえ」
柾木を覗き込んでいると、目も開けないのに慈朗に気付いた柾木がそう言った。
「今日、受験終わりました。報告に」
「どうだった?」
「緊張した。……でも、面接練習のおかげか、おれが話したいと思うことは話せたし、面接官の先生たちも熱心に聞いてくれました」
「そうか。おつかれ」
薄目をあけて、柾木が手をそっと持ちあげた。夏でも色の白い腕が、慈朗の額へと伸びる。くしゃりと前髪に触れ、また布団の上に戻される。ほんの少しの接触に、やたらと心臓が跳ねた。
←(21)
→(23)
「はは」
赤城は可笑しそうに笑った。奇妙な反応を訝しんでいると、「学校側には僕の退職でうやむやにさせたけど」と赤城が続ける。
「犯人は判明してる。報告はしてないけどね」
「え? 誰?」
「これは青沼絡みだった。青沼を好きだって子が、どうしても青沼を諦めきれなくてストーキングしてるうちに僕と青沼との関係を知って、あんな風にネットに載せたみたいだよ。ほら、きみも青沼と噂になったこと、あったね。あれもその子の辺りからだ」
「……そこまで特定できたんですか」
「うん。アヤが特定した」
「柾木先生?」これには驚く。
「僕には友達って数えるぐらいしかいないんだけど、アヤにはたくさんいるってこと。アヤの大学時代の同期でね、デザイン科に仲の良かったやつがいるんだ。グラフィックをやってるぐらいで、パソコンには精通している。そういう人の知人にまあ、情報処理系に詳しい人も多くてね。頼み込んで特定してもらった。そこらへん疎い僕らとは全然違ってさ。そんなに難しくはなかったみたいだよ」
「……そこまで分かったんなら、」
「青沼を好いてる子。青沼の中学校からの同級生だって。きみらと同じ年齢ってわけだね。調べていくうちに色々と家庭事情が複雑なのも分かったし、本人もだいぶ不安定な性格をしているようだった。そこまでして追い詰めたい相手じゃない。問題化もしたくなかった。だから学校側には説明しなかったし、学校の方もそこまで追うつもりはなかったね。あくまでも問題になったのは、僕と青沼の関係だ」
「……」
「このことは青沼には言ってないんだ。黙っててね。言うときっとまた、寄せる、とかなんとか言って気にするから」
車は大通りを抜けて、家が連なる細かい道に入っていた。いくつも路地を曲がって、車は空き地に停車した。空き地の隣には用水路が流れており、その上に茶色っぽい塗装をした鉄筋コンクリートの橋がかかっていた。その橋を渡ると民家を訪ねるようにできている。民家の住人が渡した橋なんだろう。
橋の上には植木がいくつか並んでいた。橋の先の家には季節を終えたつるばらが生い茂り、玄関を夏の容赦ない日差しから守っている。郵便受けに「柾木」と古い字で記してあった。
「ここですか?」
「うん。アヤの生家。もっとも、アヤの両親はアヤのお姉さん一家に呼ばれてカナダに移住した。ここにはもうアヤしか住んでない」
「……立派ってか、雰囲気のある家ですね。これだけでもう、写真に撮りたいです」
「撮っちゃえば?」
くすくすと笑いながら赤城は荷物をぶら下げて橋を渡る。玄関の引き戸の鍵は開いていた。「アヤーっ、上がるよー」とサンダルを脱いで屋内へと進んでしまったので、慌てて慈朗も追いかけた。
古い家だった。玄関の靴箱の上のレース編みの敷物だとか、家の奥まで見通せないようにするための衝立だとか、古いものがいまでもきちんと使われていて、生活感が漂う。いい家だと思った。こんないい家に住んでいるんだったらもっと早くに教えてほしかった、と意味のないことを考えた。
柾木は廊下の奥、台所の隣の六畳間に布団を敷いて横になっていた。「ここ、本当は客間なんだけどね」と赤城がよく知っている口ぶりで言う。「アヤの部屋は二階にちゃんとあるんだよ。でもこの時期この部屋がいちばん涼しいから、アヤはここで寝てるんだ」
枕元に盆が置かれ、その上に眼鏡と薬と水差し、グラスが置いてあった。ひとり暮らしだと言うが、ペットボトル飲料で楽をするようなことはしない。暮らしを丁寧に築く、柾木の生活には美徳があった。
「……なんでいるんだ、おまえ」
柾木を覗き込んでいると、目も開けないのに慈朗に気付いた柾木がそう言った。
「今日、受験終わりました。報告に」
「どうだった?」
「緊張した。……でも、面接練習のおかげか、おれが話したいと思うことは話せたし、面接官の先生たちも熱心に聞いてくれました」
「そうか。おつかれ」
薄目をあけて、柾木が手をそっと持ちあげた。夏でも色の白い腕が、慈朗の額へと伸びる。くしゃりと前髪に触れ、また布団の上に戻される。ほんの少しの接触に、やたらと心臓が跳ねた。
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文化祭が過ぎ、いよいよ受験一辺倒になった。学校はまもなく夏休みに突入した。文化祭前の教職員による一件以降、校内で赤城を見ることはなくなった。ニュースにはならなかったが、それなりの処分があったのだろうと推測する。
受験は夏休み中に行われるので、夏休み期間でも受験が終わらぬうちは様々な先生を捕まえては面接の練習を頼み込んだ。そしていよいよ受験の前日、遅刻になっては怖いからという理由でS美近くのホテルに向かった。ビジネスホテルだったがひとりでこんなところに泊まるのは初めてで、明日は面接ということもあってかなり緊張した。翌日はなんとか受験を終え、帰途につく。家族には終わったことを告げ、最寄り駅まで着いたら連絡するという話にして、電車に長いこと揺られた。
車内で少しばかり眠って、夢を見た。先ほどまで慈朗を質問攻めにした試験官の顔のような、柾木のような、青沼のような、なんだかいろんな人がやたらごちゃごちゃと出てくる夢だった。それでも目が覚めるとすっきりしていた。降りるべき駅で降りる。いつもと降りる駅が違うのは、路線が違うからだった。違う駅、というところになんだか興味がわき、家族には「ちょっと散歩してから帰る」と連絡をした。
駅前の大通りをぶらぶらと歩く。一泊分の荷物が重くて、コインロッカーにでも預ければよかったかなと後悔したが、すぐにどうでもよくなった。久しぶりにカメラを構え、街の並木をきょろきょろと見渡す。電線、カラス、覆い繁って濃い影を落とす街路樹。学校に近い駅よりは利用する人間は少ないのだが、その分静かで、印象は悪くなかった。
パン、と隣からクラクションを鳴らされて驚く。赤色のころんとまるい車の運転席に座っていたのは、赤城だった。以前と変わらぬ穏やかな顔で「こんなところで珍しいね」と言う。
「制服姿ってことは、学校へ行ってたの?」
「いや、受験でした。終わって、……」
そう告げると、赤城ははっと驚きの表情を見せ、それから照れくさそうに「だめだな、忘れてた」と言った。
「S美映像科のAO入試だったね、そういえば。どうだったか、アヤには報告した?」
「あ、」言われてみればまだしていなかった。
「ちょうどいいや、乗りなよ。これからアヤんちに行くところだったんだ」
「え、柾木先生のとこ?」
「うん。アヤね、いま夏風邪ひいて寝込んでんの。あいつさ、いつも夏がだめでね。この時期絶対に寝込むんだ」
「……」
そう言われると、なんとも奇妙な気持ちになった。赤城が柾木のことを「アヤ」と呼ぶことが、なんとなく嫌に思えた。つい「行きます」と意地を張りそうになり、待て、と助手席のドアに伸ばしかけた手を止めた。
「いや、でも、……その、赤城先生と青沼の件もあったし、ええと、……おれが柾木先生の家を赤城先生の車で個人的に訪ねるのは、まずくないですか……?」
と言うと、赤城はきょとんとした後に豪快に笑った。
「なんの問題があるの。僕と青沼みたいにさ、そういう事実があるならまずいかもしんない。でもきみはただ、進路指導の先生にお見舞いがてら受験の報告をしに行くだけだ。まあ、僕の件で周囲がうるさくなってるのは事実だけど、理由があるんだから、問題ない」
「……」
「それにね、僕は一学期付けで学校を退職してるんだ。もうきみたちの先生でもなんでもない。僕に関して言えば、そういうしがらみはないよ」
「えっ? 辞めたんですか?」
「うん。辞めた。元々、いい先生ではなかったし、未練もないよ。まあ、乗りなよ」
そこまで言われると断る理由も思いつかず、慈朗はちいさな車に乗り込んだ。後部座席にはなにやら荷物が詰め込まれている。座席の下にビニール袋からはみ出した中身が見えた。スポーツドリンクやゼリーは柾木への見舞いだろうかと察した。
「先生、先生を辞めたのって、……青沼とのことですか」
尋ねずにはいられない質問だった。前を向いたまま赤城は「うーん」と唸る。
「まあ、きっかけはそうなるね。けど、遅かれ早かれ僕は教員を辞めるつもりだった」
「青沼は知ってるんですよね? 青沼とは、どうなっちゃうんですか?」
「こらえるだけだよ」
赤城の答えは淡々としていた。
「こらえて、年月が経つのを待つだけ。僕らは出会いのタイミングがちょっと早かった。いつかいろんなことがきちんと消化できる時期が来て、そのときまで青沼が僕を想ってくれていたら、きっと一緒になる。青沼の心が離れていたら、もう会わない。そういうもんだ」
「そんなの、……青沼は納得しませんよ、絶対に、」
「でも、話しあう時間はなかった。あの、青沼のお母さんのことを思うと、僕の我を通せない。そういうつもりはなくても、傷は、つけてしまった。たくさんの、いろんな人にね」
柾木に叫んでいた青沼の母親のことを思い出した。確かにそうかもしれない、だが慈朗も納得は出来ない。
←(20)
→(22)
「柾木先生?」
「ええ、この件に関して、私は無関係ではありますが、青沼の進路指導という立場でもありまして、青沼個人から話を聞いています」
その発言で周囲が一気にざわついた。柾木はそのざわつきが収まってから、発言する。
「私が青沼より聞いた話では、赤城先生に絵を教わりに行っていた、ということです。青沼はいまS美術大学に進学希望を出しており、先ほども担任の並木(なみき)先生が仰った通り、美術系の予備校にも通っています。赤城先生はS美の出身者でもありますから、青沼にとっては憧れの先輩といった風です。青沼の予備校が終わった時間に赤城先生のアパートへ向かい、絵の指導を受けていた、とのことです」
堂々たる発言だった。でも、とか、だって、とか、周囲はまたざわめく。しかし柾木が「このことは社会科の唐沢(からさわ)先生や同じく国語科の田山(たやま)先生もご存知だと聞いています」と発言したことで、どういうことだと唐沢や田山の方へ周囲の視線が向く。
これに関しては田山が答えた。国語科の教務主任を務める中年の教員だった。
「ええ、聞いていますよ。赤城先生からも相談を受けましてね。S美に進学希望を出している生徒がいますが、個人的に絵の指導をすることはまずいでしょうか、とね。柾木先生も進路指導で手一杯の様子ですし、いいと思いますよ、力になってあげてください、とそのとき僕は発言しましたが、ちょっと浅い答えだったなと後悔しています。学校の放課後に空き教室でというならともかく、赤城先生のアパートでというのは、まずかったですね。赤城先生の配慮が足りなかったかな」
「唐沢先生も、同じことを?」
「そうですね。僕は赤城先生とはプライベートでも付き合いがありまして、その際にそのような話を聞きました」
職員室がやたらと騒がしくなり始める。柾木の発言で流れが変わったばかりでなく、ふたりも協力者が現れた。これは柾木が手をまわしたのだろうなと察しがついた。つまり、「共犯者」を作ったのだ。
(……そんなら別におれ、関係ないのにな。共犯者とか言って……)
「それでは、その話が本当だとすれば、その、青沼と赤城先生に不純な動機はない、と」
と、場が収まりかけたときに、「違います」とはっきり通る声で否定が入った。真ん中らへんに座らされている赤城がようやく口をひらく。
「僕は青沼くんの進路を応援しています。そのことは事実です。が、この写真が出回り、写真から受けるイメージ通りに、僕らには関係があります。さっきから仰る、不純な動機、というやつです」
不思議と職員室は静かになった。慈朗はとっさに柾木の顔を見る。険しい顔がもっと険しくなっており、苦虫を嚙み潰したようだった。声は届かなかったが、口の動きで「ばかが」と呟いたのが分かった。
「不純とはどういうことですか?」と他の教員が赤城を責める。
「そもそも不純、という言葉には当てはまりません。僕らはそういう動機で生半可な付き合いをしているわけではありません」
「だが、赤城先生のアパートに通う仲、ということは」
「僕は青沼くんを好いています。青沼くんも僕を好いてくれています。だから一緒にいたいと思うし、話したいと思う。それがいけないことだというのは、教師と生徒という間柄である点で、処罰の対象であることは認識しています」
「どこまで行ってるんですか」
口を挟んできたのは、それまで黙っていた教育委員会の人間だった。
「純愛ならいい、という問題ではありませんよ。青沼くんと、どこまでしているんですか?」
「プライベートですのでお答えしたくはありません。このようにたくさんの人間がいる場所ですから、なおさら」
「あなたに拒否権はありません。答えなさい、と言っているんです!」
いよいよ剣呑な雰囲気に包まれた職員室内で、不意に柾木が立ちあがった。室内をつかつかと進み、慈朗たちの潜んでいる窓へとやって来る。がらりと半開きの窓をしっかりと開けて、あっさり慈朗たちは見つかってしまった。
「先生、あの」焦って声が上擦る。
「おまえら、文化祭の準備か?」
「あの、」
「戻りなさい。これ以上は大人の話で、相当えぐい。おまえたちには聞かせない」
柾木と目が合う。おそろしい形相で、しかし眼鏡の奥の瞳に疲れが滲んでいた。
「行きなさい」
そういうなり、柾木は窓をぴしゃりと閉めた。見つかってしまった動揺と、柾木はそれに気づいていた動揺と、まだ話を聞いていたかった後悔とがごちゃ混ぜになる。「ひとまず行こうぜ」と野木に引っ張られ、部室への道をだるく進む。
「……どーなんのかな、」と野木が呟いた。
「わかんない」
「なんか文化祭どころじゃねーよな……」
「……でも、」
すっかりぬるくなったジュースの缶を握りしめる。
「おれたちは、無関係で、……どうしようもできないんだ」
「……今日のこと、青沼に話すのか?」
「いや、」息を吸って吐く。当事者ではないのに涙の気配で喉奥が痛かった。
「……言ってもどうこうできない。赤城先生が認めてるから、……」
これほどの無力感たらなかった。
←(19)
→(21)
「ええ、この件に関して、私は無関係ではありますが、青沼の進路指導という立場でもありまして、青沼個人から話を聞いています」
その発言で周囲が一気にざわついた。柾木はそのざわつきが収まってから、発言する。
「私が青沼より聞いた話では、赤城先生に絵を教わりに行っていた、ということです。青沼はいまS美術大学に進学希望を出しており、先ほども担任の並木(なみき)先生が仰った通り、美術系の予備校にも通っています。赤城先生はS美の出身者でもありますから、青沼にとっては憧れの先輩といった風です。青沼の予備校が終わった時間に赤城先生のアパートへ向かい、絵の指導を受けていた、とのことです」
堂々たる発言だった。でも、とか、だって、とか、周囲はまたざわめく。しかし柾木が「このことは社会科の唐沢(からさわ)先生や同じく国語科の田山(たやま)先生もご存知だと聞いています」と発言したことで、どういうことだと唐沢や田山の方へ周囲の視線が向く。
これに関しては田山が答えた。国語科の教務主任を務める中年の教員だった。
「ええ、聞いていますよ。赤城先生からも相談を受けましてね。S美に進学希望を出している生徒がいますが、個人的に絵の指導をすることはまずいでしょうか、とね。柾木先生も進路指導で手一杯の様子ですし、いいと思いますよ、力になってあげてください、とそのとき僕は発言しましたが、ちょっと浅い答えだったなと後悔しています。学校の放課後に空き教室でというならともかく、赤城先生のアパートでというのは、まずかったですね。赤城先生の配慮が足りなかったかな」
「唐沢先生も、同じことを?」
「そうですね。僕は赤城先生とはプライベートでも付き合いがありまして、その際にそのような話を聞きました」
職員室がやたらと騒がしくなり始める。柾木の発言で流れが変わったばかりでなく、ふたりも協力者が現れた。これは柾木が手をまわしたのだろうなと察しがついた。つまり、「共犯者」を作ったのだ。
(……そんなら別におれ、関係ないのにな。共犯者とか言って……)
「それでは、その話が本当だとすれば、その、青沼と赤城先生に不純な動機はない、と」
と、場が収まりかけたときに、「違います」とはっきり通る声で否定が入った。真ん中らへんに座らされている赤城がようやく口をひらく。
「僕は青沼くんの進路を応援しています。そのことは事実です。が、この写真が出回り、写真から受けるイメージ通りに、僕らには関係があります。さっきから仰る、不純な動機、というやつです」
不思議と職員室は静かになった。慈朗はとっさに柾木の顔を見る。険しい顔がもっと険しくなっており、苦虫を嚙み潰したようだった。声は届かなかったが、口の動きで「ばかが」と呟いたのが分かった。
「不純とはどういうことですか?」と他の教員が赤城を責める。
「そもそも不純、という言葉には当てはまりません。僕らはそういう動機で生半可な付き合いをしているわけではありません」
「だが、赤城先生のアパートに通う仲、ということは」
「僕は青沼くんを好いています。青沼くんも僕を好いてくれています。だから一緒にいたいと思うし、話したいと思う。それがいけないことだというのは、教師と生徒という間柄である点で、処罰の対象であることは認識しています」
「どこまで行ってるんですか」
口を挟んできたのは、それまで黙っていた教育委員会の人間だった。
「純愛ならいい、という問題ではありませんよ。青沼くんと、どこまでしているんですか?」
「プライベートですのでお答えしたくはありません。このようにたくさんの人間がいる場所ですから、なおさら」
「あなたに拒否権はありません。答えなさい、と言っているんです!」
いよいよ剣呑な雰囲気に包まれた職員室内で、不意に柾木が立ちあがった。室内をつかつかと進み、慈朗たちの潜んでいる窓へとやって来る。がらりと半開きの窓をしっかりと開けて、あっさり慈朗たちは見つかってしまった。
「先生、あの」焦って声が上擦る。
「おまえら、文化祭の準備か?」
「あの、」
「戻りなさい。これ以上は大人の話で、相当えぐい。おまえたちには聞かせない」
柾木と目が合う。おそろしい形相で、しかし眼鏡の奥の瞳に疲れが滲んでいた。
「行きなさい」
そういうなり、柾木は窓をぴしゃりと閉めた。見つかってしまった動揺と、柾木はそれに気づいていた動揺と、まだ話を聞いていたかった後悔とがごちゃ混ぜになる。「ひとまず行こうぜ」と野木に引っ張られ、部室への道をだるく進む。
「……どーなんのかな、」と野木が呟いた。
「わかんない」
「なんか文化祭どころじゃねーよな……」
「……でも、」
すっかりぬるくなったジュースの缶を握りしめる。
「おれたちは、無関係で、……どうしようもできないんだ」
「……今日のこと、青沼に話すのか?」
「いや、」息を吸って吐く。当事者ではないのに涙の気配で喉奥が痛かった。
「……言ってもどうこうできない。赤城先生が認めてるから、……」
これほどの無力感たらなかった。
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翌日雨は上がった。文化祭の準備期間ということで普段の土曜日よりも生徒が校内を歩いていたが、教員はもっといるように感じた。文化祭の準備もあるだろうが、教員はあらかた出勤している様子で、それはきっと赤城と青沼の件についてだと察しがついた。臨時の職員会議でもあるのだろう。
写真部が実際に展示室として使う教室の下見に、野木と行った。どんなふうに展示をするか、パーテーションは生徒会から借りる手筈で、机と椅子は下げて、フックは、受付は、白布や暗幕は、というような話をした。大方確認し終え、途中で自販機に寄ってジュースを買い、部室へと戻る。その途中で通りかかった教室から、教員が数名出てくる。あまり顔の見たことのない教師ばかりだったが、間に挟まれるように赤城が同席しているのを見つけた。一瞬、赤城と目が合ったのだ。疲労しきっている青沼とは逆に、こちらは妙にさっぱりしているように思えた。
「赤城先生じゃん」ぼそりと野木が言った。
「知ってる? 赤城」
「おれ、現国の教科担任が赤城先生だから。こないだから休んでて、……あー、よくないよな、」
「ん?」
「……青沼と噂になってるだろ」
野木の声は低かったが、よく聞こえた。
「……うん、聞いた」
「おまえの手前で言うのよくないと思うんだけど、……本当にごめん、って最初に謝っとくけど」
「なんだよ、」
「やっぱ青沼って、よくないんじゃねえの、」
「……」
「青沼がらみでこういうのもう何度目だよって、――あ、怒った?」
いきなりすたすたと歩きはじめた慈朗に、野木が不安そうな声をかける。だが慈朗は無視をする。野木はついて来たので、買ったばかりの冷たいジュースを投げた。
「ごめん、って。どこ行くん」
「野次馬」
「え?」
「おまえのこと、別に怒ったわけじゃない。そのジュースやるから先に部室戻ってろよ。おれは赤城先生の野次馬してくっから」
「おい、」
いったんは足を止めた野木だったが、後から「おれも行くわ」と言ってついて来た。
「おれも野次馬するわ。ひとりよりいいよ、多分」
「……ふたりの方が見つかりやすいだろ、」
「なんかああいうの、まるで警察ドラマとかでよくある、尋問? だよな」
と、前方を進んでいく数人の教師を見ながら野木が漏らす。その通りだと慈朗も思うし、その通りのことをしているのかもしれない。
(あ)
教師たちに後をつけているのがばれないよう、適度に距離を取って背中を追いかける。
(そうか、赤城。髪切ったんだ。だからさっぱりしてるように見えたんだ)
それだけか? と思う。
前を行く教員らがたどり着いた先は職員室だった。途中、玄関でスーツを着た誰かをふたりほど招きいれており、彼らが校外の人間であることは察しがついた。仕組みはよく分からないが、教育委員会などから出向してきた可能性がある。先ほどまで行われていたのが尋問なら、これから行われることが裁判のようなものでないかと想像して、身震いした。青沼は知っているのだろうか。いまどこにいるのだろうか。自宅謹慎でも命じられていないといいけど、と考えているうちに赤城らは職員室に入って行った。扉がきっちり閉まったことを確認して、野木と忍び足で職員室の前までやって来る。職員室は、校内からだと扉が一か所しかない。ここを通らないと入室出来ない、という仕組みになっている。ならば聞き耳を立てるのは外しかないだろう。先日の落雷以降、校内の空調機能があまりよくなく、こんな時期でもあるので、至る教室で窓を開け放っている。昇降口から外へまわると案の定、職員室の窓もところどころで開いているのを発見した。ちょうどカーテンの陰に隠れるようにして、開いた窓から姿が見えないように中の様子を窺う。
常勤の教師はあらかた揃っているようだった。時間から少し遅れましたが、と前置きして、老年のベテラン教師が声を発した。「これから職員会議を始めます。えー、ね、休日なのに出勤いただいてご苦労様です。皆さんもすでにご存知だと思いますが、改めて今日の会議の概要を説明してもらいます」と老年教師が言い、それを受けて立ちあがったのは三年Bクラスの担任だった。青沼の担任だ。
「やっぱ青沼と赤城先生のことだな」と野木がぼそぼそと喋る。それを聞きつつ慈朗は職員室の中を可能な限りでぐるりと見まわした。隅の椅子に柾木が腰かけているのを発見する。表情は険しいが、いつも通りともいえる。
青沼の担任がことの経緯を述べる。うちのクラスの生徒・青沼恵士が国語科の赤城先生と個人的に親しくしているという報告を受けてまずは情報の発生源となっているネットの掲示板を見たこと。そこには赤城のアパートへ入っていく青沼の姿が確認できたこと。時間は深夜であること、これはごく最近撮られた写真であること等々を述べた。
「この学校にその件に関して電話で問い合わせがあったり、あるいはいたずら電話が増えたり、またインターネット上の書きこみも一時期よりは静かになったとはいえ、生徒の大部分に噂が広まりつつあり、騒ぎが沈静化しないこと。これは青沼とご家族にもかかわってくる問題だと思い、先日、青沼の親御さんに来ていただいて事実関係と学校側の方向性などを確認しました。えー、青沼に関しては、あいまいな返答しかありませんでした。ゆえに青沼からは明確には確認できておりません。おそらく母親の手前、話せなかった、という風にも取れましたので、青沼個人との面談が再度必要であると考えております」
「今日、青沼くんは?」
「まだしっかりと事実の裏を取れたわけではありませんので……学校へ来させたり、或いは自宅にとどまるように命じたり、ということはしていません。ただ、不要な外出は控えるようにとは言ってあります。いつも通りの土日であれば、彼は部活にも所属しておりませんし、文化祭のクラス準備からも外れております。美大予備校に行っているかと思います」
「動向は把握できていないのですね?」
「そうです……ですが学校や私からの連絡はすぐに取るようにとは言ってあります」
担任は汗を拭いつつ着席する。続いて発言したのは、先ほど赤城と共に教室から出て来た中年の女性教諭だった。
「では私の方から、赤城先生側から受けた報告をいたします。先ほど赤城先生に事実関係を確認したところ、この写真の通りのことはあったとのことでした。つまり、青沼くんが深夜に赤城先生のアパートを個人的に訪ねたことは間違いがないと。なぜその写真が撮られたのか、犯人も含めて特定はできていませんが、青沼という生徒の中学時代の事件のことを考えると、その絡みの可能性も捨てきれておりません。ご存知ない先生のために補足説明をいたしますと、青沼くんは中学二年生の当時、教育実習生とやはり似たような噂になっています。そのときも写真が出回ったそうですが、現在ネット上でそれらは確認できません」
「それはその教育実習生との間に不純交遊があった、と?」
「そうです。これは青沼くんの出身校に確認しました」
その場で手が挙がった。先ほど玄関先で迎え入れられたスーツの来客だった。
「えー、県教委の菅沼(すがぬま)です。青沼恵士くんと赤城先生の話についてはあらかた聞きました。私が確認したいのは、赤城先生と青沼くんの事実関係が本当にあったかどうかです。こんな時代でまだ述べますが、そうは言っても同性同士です。このふたりが性的関係にある、という可能性も考えますが、ただ遊びに行っただけ、というような軽率な行動の方も頭に入れるべきだと思います。ましてや青沼くんは母子家庭だと言いますし、やはり家庭の方にも問題があったのでは、と。そこはどうなんですか、赤城先生」
と話を振られたが、赤城は黙って着席しているだけだった。今回の件で不思議なのは、赤城が驚くほど冷静でいる点だ。変に疲弊したり、取り乱したりという姿を見せない。
「赤城先生、どうなんですか」
老年の教諭が赤城に発言を促す。するとそこで手が挙がり、驚いたことにそれは柾木だった。
←(18)
→(20)
ごめん、と青沼は母親に謝る。ちょっと友達のところに行ってた、と言うが、母親の方はあまり聞いていないようだった。車を降りた柾木がふたりの元へ近寄る。「学校で進路指導をしております、美術科の柾木と言います。こんな時間で申し訳ありません」と母親に頭を下げた。
柾木の姿を見るなり母親は震えだした。「まさかこの人?」と青沼に詰め寄る。「この人がそうなの? あんたと噂になってる教師ってのは」と青ざめた顔で青沼の二の腕を掴んだ。
「――違う、母さん、この人は違う、」
「この人は? は、ってことはやっぱり事実なのね? 学校の先生と出来てるって、……それもまた、男」
「母さん、落ち着いて、話を」
「話? なんの話を聞くの? もううんざりよ! 学校へ行くたびに学生だの先生だのと噂になって、……前のときを忘れたの? 中学のときよ。あのときも写真が出回って、変質者とか、とにかく周囲に大迷惑をおかけして、」
「母さん、」
「お父さんと別れたのもそれが原因だった! 人の目が耐えられないって言って、男に好かれる息子が気持ち悪いって……恵士、あなたどれだけ私を苦しめたら気が済むの!? うんざりよ、うんざり! 変な人ばっかり寄せて……!」
切れ切れに会話は車内にいても聞こえて来た。聞くに堪えない内容だった。こんなにも青沼は追い詰められている。それも、本人の意思とは全く無関係だ。周囲も巻き込まれている。ふつふつと湧き上がるのは、怒りの感情だった。
「――とにかく、今夜は遅いですので、こうして青沼くんも戻ったことですし、身体を休ませてください」と柾木はふたりに告げた。母親がはっとして柾木を向く。
「すみません、送っていただいたんですよね。こんな時間まで、……本当に申し訳ありません。まだ、当分ご迷惑は……」
「そのことはまた、明日以降に考えましょう。休むことは大切です。今夜は、これで」
「誠に申し訳ございません、……」
と、青沼の母親が深々と頭を下げる。いえ、こちらこそ至らない点が、と言いつつ柾木も頭を下げ、青沼には「眠れなくても休めよ」と言い残して親子から離れた。ライトバンの運転席に乗り込み、ふーっと息を吐く。雨で濡れた眼鏡を雑に拭い、「おまえも帰るぞ」と言って車を発進させた。
「雨森、おまえ」
ウインカーを出しながら柾木が呟く。
「文化祭もある、受験もある。本来ならこの件からは手を引けって、言うんだろうけどな。とりわけおまえはこの件に関して無関係だし」
「……ですがそう言われて納得はしません。とばっちりは受けてるし」
「とばっちり?」
「青沼が、この写真撮ったのおれじゃないかって……」
「それは、……確かにとばっちりだな、最悪の」
そこでまた柾木はふーっと息をついた。信号待ちでハンドルに体重を預ける格好でいる。
「雨森」
車が改めて発進したところで柾木が前を向いたまま言った。
「おまえ、おれがこれからすること、黙ってろよ」
「――え?」
「共犯者になれって言ってんだ。……好きだろ、共犯者」
冗談めかして言ったが、それは冗談ではなかったらしい。柾木はひどく難しい顔でハンドルを握っていた。
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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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