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村上の家、とりわけ寝室としてつかっている部屋の壁に、村上はべたべたと写真を貼っている。撮ったものを上からどんどん重ねて貼るから、下にある写真がもう見えない。どれもこれも空の写真で、しかし青ばかりでなく、濃い闇に浮かぶ白い月から朝焼けの黄金まで、色彩は様々だ。ここへ来てから三崎はよく、空にぽかりと浮かぶ夢を見るようになった。夢見心地の声音を村上がくれるおかげだが、眠る前に見る残像、すなわち空の写真の数々も、夢の要因だろうと思う。
休日、その写真をおもむろに村上が剥がし始めた。三崎は思わず「剥がしちゃうの?」と声をあげる。
村上は意外そうな顔で「なんて声だよ、あんた」と振り向いた。
「写真、どうするの?」
「どうもこうも、ただ整理するだけだよ」
「捨てちゃわない?」
「いい加減に古いのは捨てるかもなあ。ここに引っ越してからずっと貼り溜めてるから、もう六年? 七年になるか」
糊の弱いマスキングテープだけで、よく七年ももったと思う。村上は乱雑に写真を剥がしては段ボール箱に突っ込んでいく。三崎はそれを丁寧に拾い出し、マスキングテープを慎重に剥がして、一枚一枚を眺めながら重ねていった。
どれも空の写真、空、空、空。よくもまあ飽きないものだ。と思っていると、下の地層が暴かれるにつれて、他の写真も出てきた。古びて誰もいないメリーゴーラウンド、動物園入口で風船を売る人、スニーカーを履いた足、雨で濡れたアスファルト。
露出が合ってなくて白飛びしている。いま、色鮮やかな空の写真を撮る村上とはまた、違う意識で撮っていたようだ。それを三崎は微笑ましく思いながら眺める。カメラに、朗読に、ネコとの暮らし。本を読むぐらいしか趣味のない三崎にとって、村上はとかく多芸に映る。
一番古い層に辿りついたと思う。幾重にもかさなった写真を慎重にめくると、金髪の村上自身が出てきて驚いた。壁にもたれ膝を立て、煙草を吸っている。細い目はしっかりとカメラを捉え、口元は煙草で見えないとはいえ、気だるげな表情にずきっと来た。
自分で撮ったものかとも一瞬考えたが、被写体に人を選んで来なかった村上がセルフポートレイトを撮るとは思えなかった。誰かが撮ったものだろう。誰だろうな、カメラをねめつけてはいるが、村上の表情は優しい。親しい誰か……考えをめぐらせながらそれを眺めていると、気付いた村上が「おっと」と言って写真をひったくった。
「――ずいぶんと昔のが出てきたな」
「……それ、何年前?」
「高校卒業したてだよ。卒業したからもう校則なんざ関係ねえと思って、金髪にしたんだ」
「それで煙草も?」
「まあな」
「……もう一回見せて」
手を差し出すと、村上はしぶしぶ写真を寄越した。三崎は写真を眺める。よっぽどくつろいだ時でないと、この表情は撮れないと思う。いい写真だ。ずっと眺めていたい――そこまで村上が気を許した誰かが、撮った。
「誰が撮ったの?」と訊くと、想像通りに、しばらくの沈黙が出来た。
「――昔の恋人」
「男? 女?」語気が荒くなり、なんだか追及しているみたいな言い方になった。
「男」
「その人もカメラやってたの?」
「いや、おれの勝手に持ち出して遊んでただけだよ。うざったいぐらい撮られて、全部処分したと思ったんだけどな。まだ残ってたか」
ち、と村上は舌打ちをした。それから三崎の手元から写真を引き抜くと、「捨てるから」と言った。
「えっ?」
「面白くないだろ。別に。前の恋人が撮った写真とかさ」
「いやだ、おれこれ欲しい。おれが持ってたい。だめ?」
「なんで……」
と言いかけて、村上は観念したように「分かったよ」と言った。「あんたが強情なのは知ってる。持ってけばいいさ」
「おれにもう用はない」
「……その、恋人だった人のこと、訊いていい?」
「いやだ、思い出すといらつくから」
「どうして?」
「ろくな思い出がねえ。子どもみたいにわがままなやつで、自分勝手で、振り回された」
そう言いながら苛々してきたらしい、村上はまた舌打ちをした。言葉こそ乱暴だが性格は穏やか、と言える村上には、珍しい態度だった。三崎は写真を手に、「ごめん」と言う。
「あんたが謝ることじゃないさ。別れてせいせいした相手、ってこと」
もうこれ以上は訊くな、というふうに、村上は立ちあがった。「コーヒー入れるけど飲むか」と訊かれて、三崎は頷く。台所へ向かう背中を見送ってから、改めて写真を眺めた。あまり長いこと見惚れて眺めているとまた取りあげられそうだったので、ほどほどにして、それを鞄の中に入れていた文庫本に挟み込んだ。
*
図書館の入る施設はいくつかの団体が入る複合施設で、周辺施設よりも背が高い。晴れたある日、三崎は屋上で食事を取った。文庫本を片手に、サンドイッチを頬張る。と、挟み込んだまま忘れていた写真が出てきた。煙草を吸っている、金髪の、いまよりも若い村上。
三崎はそれを眺める。村上の元・恋人が撮った写真。村上はよく思っていない風だったが、写真は事実を語る。どれだけ村上が彼に心をゆるし、愛おしんでいたのかを、よく表していた。
この写真を見ていると、この目が、姿勢が、思いが、三崎に向けられたものだと勘違いしそうになる。この写真の村上はそうじゃない。カメラを向けた、三崎の知らない誰かを愛していた。
黒々とした嫉妬の雲が、心の中に立ちこめる。それでも写真を手放す気になれない。魅力とはこのことを言うのだろう。感情が込められている。破り捨てたいような気持ちと、大切に持っていたい気持ちとが混じりあって、どうしていいのか分からずに、ただ茫然と見尽くすしかない写真。
風が吹き、三崎の手元をさらった。風に煽られて、写真が飛ぶ。一瞬の出来事だった。
「あっ」
思わず声をあげて写真を追ったが、空高く舞い上がった写真は、そのまま屋上を超えて街へ放たれた。その紙片を目で追いながら、三崎は安堵していたし、残念にも思った。もうこれでは拾いようがない。十八歳の村上を、あの一瞬を見ることは叶わない。
眩い金髪で三崎でない誰かを愛していた村上は、永遠に封印されてしまった。
三崎はしばらくフェンスの際で街を見下ろしていたが、諦めて、ベンチに戻った。サンドイッチを齧り直しながら、三崎は考える。写真を撮ろう。村上と、写真を撮ろう。三崎だってコンパクトデジタルカメラぐらい持っている。それで、三崎と村上のふたりの写真を撮ろう。
村上は嫌がるかもしれない。案外、笑って許容するかもしれない。どちらだろう。どちらでもいい。写真を撮ろう。
End.
三崎と村上:
この夜が明けたら
うららかに春の光が降ってくる
春と煙草
傷
写真を剥くことで村上の心の軌跡を遡っていく過程がとても刺激的で、金髪の村上の姿に、三崎と同じようにどきりとしました。
この話を読んでいたら、少し眼が潤んでしまいました。三崎の気持ちも、三崎の心を慮り昔を思い出して苛ついてしまう村上の複雑な気持ちも、どちらも切なくて愛しい。この話は、歳を重ねれば重ねるほど、心に沁みるような気がします。
でも、もっともっと年を重ねれば、穏やかに笑って受け止められるようになるのかもしれませんね。だって、三崎が前向きで爽やかだから。
あちこちにメッセージいただいて、嬉しいですw
>何といっていいのか・・・ ズキリと心に刺さる、けれどそのくせ甘く爽やかな話でした。
>写真を剥くことで村上の心の軌跡を遡っていく過程がとても刺激的で、金髪の村上の姿に、三崎と同じようにどきりとしました。
村上には少し荒れていた時代があったんじゃないかと想像しています。常識の範囲内での、人の好い荒れ方だったんじゃないかと思いますが。そのときの金髪だろうと思われます。
知っている人が知らない姿で写っている写真というものは、本当に驚きます。私は小心者なので、人の写真を見ることは結構ドキドキします。
>この話を読んでいたら、少し眼が潤んでしまいました。三崎の気持ちも、三崎の心を慮り昔を思い出して苛ついてしまう村上の複雑な気持ちも、どちらも切なくて愛しい。この話は、歳を重ねれば重ねるほど、心に沁みるような気がします。
>でも、もっともっと年を重ねれば、穏やかに笑って受け止められるようになるのかもしれませんね。だって、三崎が前向きで爽やかだから。
書き手としてとても嬉しいお言葉です、ありがとうございます。
このお話の色は前向きな方向へ設定していて、嫉妬で苦しい、とか、昔を思い出して複雑な心境に駆られる、よりは現在を大切に想う気持ちへ持って行こうと決めていました。爽やかに終わらせたい、と思って書いたものです。
どうせ書くのならば、誰かの心に留まり、何度か読み返してもらえるような物語を、とはいつも思います。Beiさんにとってこのお話がそういうものであればいいな、と心から思います。
拍手、コメント、本当にありがとうございました!
栗子
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