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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「じゃあ本番行きましょう。三倉さんの合図でいいので動画まわしてください。そしたら始めまーす」
 十何人も人がいるので全員を一度に撮ろうとすると店のかなり後方へとまわらねばならなかった。画角を決定し、「では行きます」と声を張り上げる。3、2、1のカウントダウンで動画をまわした。ピアノに腰掛けた伊丹が指揮を振るような合図で、音楽が奏でられる――かと思いきやタイミングを誤って音が転んだ。みな笑っている。
「ごめんなさーい、あたしだ!」
「いいよ、もっかい行こう」
「じゃあ行きまーす。いいですかー?」
 再開される音楽。奏でられたのはサックスで、本当に今日はじめて吹いたとは思えない技術で吹き上げる。いや絶対にはじめてじゃないだろ。有名で知っている曲だ。「ラプソディー・イン・ブルー」。
 伊丹のピアノが鳴る。鴇田が言った通りに超絶技巧で、運指が信じられないぐらいに力強く速かった。鴇田のピアノは全ての音を無理なくいちばん気持ちよく鳴らす感じがしていたが、その師匠である伊丹のピアノは音の大きさも強弱も全てが規格外だった。鳴ろうが鳴るまいが構わず鍵盤を叩く。それも猛スピードで。そのピアノに引っ張られてそれぞれの楽器も音に強弱を付けないまま好きに鳴らされる。ピアノがメインの曲だが鳴らしたいと思うところで好きに鳴らすのがこの集まりの特徴らしく、他の楽器が加わることもあった。みながみな、音を鳴らすことに喜びを感じて鳴らしているのが分かる。
 鴇田を見る。一生懸命に弓を動かしていた。ぎこちない動きの隣で紗羽はさすがだった。ピアノの超絶技巧に混じって即興演奏に加わる。挙げ句にはたっぷりとソロを奏でる。
 とんでもないところでトロンボーンは突っ込んでくるし、情感豊かなメロディーライン上でトランペットが音を間違えたりする。鴇田のヴァイオリンだって例外ではなかった。でもとにかく笑って楽しんで、音楽は止まることなく疾走する。
 有名なフレーズで曲はようやくクライマックスを迎える。なんてめちゃくちゃで、なんて楽しい音楽。と、感慨に耽っている暇もなくピアノがリズムを持って鳴らされた。そこにドラムが乗る。いきなりの展開に、だがみな余裕だ。鳴らす音は焦っているのに、音への構えが出来ているというのか。なんで「ラプソディー・イン・ブルー」のあとに「Tiger on San Pedro」なんて鳴るんだよ。かと思ってたら次にはじまったのルパン三世のテーマだし。
 もう笑ってしまった。ビデオカメラに音が入らぬよう忍び笑いをしながら一眼レフを構え、止まらない音楽を楽しみ続けている人たちを夢中で撮る。最終的にみんな大きな音を鳴らして、音楽は止まった。笑っている。笑いながら手を叩き、肩を叩き、握手を交わして歓声をあげる。
「はーい、じゃあ撮りますよー。もっと集まって、こっち見てー」
 楽しい気持ちのまま、集合写真を撮った。


 まだこれから飲みに行くというグループと帰宅する人たちとで別れた。樋口夫妻は車で来ているというので同乗で最寄りの駅まで送ってもらった。駅前のロータリーで下ろしてもらった時、紗羽は鴇田に「アパートまで送ってかなくていいの?」と訊いた。
「うん。三倉さんと遊ぶから」
「みくらさんとねえ」
 紗羽が妙な顔つきでちらりとこちらを見る。口元は笑っているが目が険しい。苦笑するほかなかった。
「変な夜遊びしてないで早く帰りなさいよ。明日は仕事でしょ? みくらさんも程々にね」
 おやすみなさい、と言って去っていく車を見送る。釘を刺されていたたまれない。彼らに対して鴇田がこの関係のことをどこまで語っているのか聞いていないが、一度きちんと問うべきかな、と思う。鴇田が失恋で辛いときに傍にいてくれた人たちだ。
「ええと、いいのかな? 保護者の意見はああだけど」と一応訊いてみる。
「いいですよ。紗羽はああいう顔でからかうだけですから。それにやっぱり腹が減りました。早く三倉さんの飯食いたい」
「分かりました。今夜はちょっとあたたまるものがいいかな? なに食べたい?」
「中華。とろみのついた熱々の」
「はは、いいね。海鮮が安いといいなあ」
 もう少しだけ電車に揺られ、深夜営業しているスーパーで食材を買い込んで暖の部屋へと戻る。部屋に戻るなり鴇田はふーっと長く息をついた。
「すごい会でしたね」と暖はジャケットを脱いで手を洗い、料理の支度に取り掛かる。
「鴇田さん、ヴァイオリンまるきり初心者ってわけじゃないんだ」
「紗羽に何度か教わっているだけです。ピアノの他に楽器やってみようかなって言ったら、ギターとブルースハープとチェロと、なんかまあ色々と勧められたんですけど、ピアノならやっぱりヴァイオリンは相性がいいでしょうとか言われて。楽器も余ってるからって安く譲ってもらって。でもアパートだと弾けないので、個人練習はほとんどしていないです」
「伊丹さんのピアノは凄かったな。あれがあなたのお師匠さんのピアノなんですね」
「あの人は指がよくまわるから、早弾きとか本当に得意なんです。力強くてダイナミックですしね。大学時代もそんな楽曲ばっかり弾いてて、ゆったりとした課題の曲なんかはてんで酷評されたとか」
「同じ楽器弾いてるとは思えなかった。本当、ミュージシャンってのはすごいですね。あそこにいるみんな誰もが素晴らしかった」
「ただ単に音を鳴らすのが好きなだけのやかましい集まりですよ」
 そう言いつつも嬉しそうで、先ほどまで触っていたヴァイオリンをケースから取り出して手入れをはじめた。時折いとおしそうに音を爪弾く。ぽん、ぽん、と飽きず鳴らしているのはいつもピアノで演奏の前に鳴らすあの音が基準で、見慣れぬ姿でも既視感があった。
 先ほどスーパーで買った食材でさっとリクエストの中華(酒の肴になるような八宝菜や麻婆豆腐にスープ)をこしらえ、ニュースを観たかったのでダイニングではなくカウチの前に置いたローテーブルに並べた。鴇田はヴァイオリンを傍によけ、食器を出す手伝いをしてくれる。ニュース番組では今日の昼間の気象現象について解説していた。鴇田が「この辺はそんなに暑くはなかったですよね」と漏らす。
「すごいな。十一月なのに真夏並み」
「これじゃあもう小春日和よりは小夏日和って感じだよな」
 軽いアルコールとともに食事を腹に入れながら、先ほど撮った写真をふたりで見た。みんなが楽しく音楽を奏でている姿は目にも楽しく、先ほどの賑やかさが蘇る。
「これ、記念撮影の他の写真もデータもらえませんか?」と鴇田に訊かれた。
「伊丹さんに渡したらみんなのところにも写真がきっと行くから」
「ああ、いいですよ。あとでUSBに落としてあげる」
 食器は鴇田が片付けを引き受けてくれたので、任せてありがたく風呂に浸かった。入れ替わりで鴇田も風呂を使う。パソコンにデータを落としてメモリに移しながら、暖は本をめくる。最近また読むようになった本で、作家の全集を図書館で借りていた。
 書斎として使う部屋にいたので、鴇田が風呂から上がったことに気づかなかった。扉が開き、「仕事?」と控えめに訊ねられた。首を振って「おいで」と恋人を呼ぶ。
「そういえばと思って読みはじめたんだ。ヘルマン・ヘッセ」
「作家でしたっけ」
「そう。全集を借りて詩から小説からとにかく読んでるんです。そういばゲルトルートにフェーンが出てきたな、と思っていまそこを読み直してて」
「ゲルトルート?」
「邦題は『春の嵐』っていう訳のものが有名ですね」
「ああ、前にコラムに書いてましたね」
 パソコンを閉じ、部屋を出る。カウチに再び腰掛けて暖は本をめくる。鴇田は隅に追いやっていたヴァイオリンを持ち出し、うるさくならないように注意を払いながら音を鳴らしていた。
「春の嵐って、どういう話なんですか?」と楽器に触れながら訊かれた。
「音楽と恋、うーん、哲学かな? の話だよ」
 読む? と訊いて本を渡したが、数行読み進めて難しい顔をされた。
「こういう、改行と行間の少ない文章が苦手で」
「翻訳だしね。翻訳特有のあの小難しさはなんだろうね」暖は笑いながら本を受け取る。
「要約しましょうか」
「お願いします」
「えーとね、主人公のクーンがゲルトルートっていう美しい娘に恋をする話なんだ。クーンは少年期にその時好きだった女の子の気を引きたくて危険なソリ滑りをするんだよ。それで事故に遭って足を動かせなくなってしまう。身体障害者になったんだ」
「はい」
「元々クーンは音楽家を志してヴァイオリンを勉強中だった。事故からますます音楽にのめり込むようになって、作曲をするようになる。それでオムトという男と知り合ってね。オムトはオペラ歌手で魅力的な容姿で歌を歌う、才能に溢れた人物だった。彼とは友人になるんだけど、オムトは女癖が酷くて。クーンはオムトの恋人たちがオムトによって酷い目に遭うのを度々目にする」
「酷い目?」
「暴力。でもオムトはいい男だから、女たちは盲目的にオムトの暴力を許してしまう。このオムトっていう男がまた難しくてね。気分屋で、でもそれが魅力なんだっていう描かれ方をしている」
 鴇田はなんとなく手の中のヴァイオリンを弾(はじ)いた。ぽん、と音が響く。
「クーンがオペラを作曲しているあいだに、ゲルトルートという女性と知り合う。ゲルトルートは美しくて聡明で、クーンの音楽を愛していて、ふたりのあいだには友情が育まれる。けれどクーンの心中はそればかりではなくてね。ゲルトルートを自分のものにしてしまいたいという思いと葛藤する。ここの心の揺れの描写がすごいんだ。クーンはゲルトルートに愛を告白するんだけど、それは拒絶されてしまう。友情と恋情でクーンは揺れる。それで、ゲルトルートがオムトと知り合い、手紙を送っているのを知って、ふたりが男女の仲であることを悟ってしまうんだ」
「……友人と好きな人が、恋仲ってこと?」
「そうだね。それで死を決意して、結果的には父親の死があってクーンは自死をとどまる。オムトとゲルトルートは結婚する。ふたりの結婚のために曲を書いて、クーンは結婚式には出席せず、教会に隠れてふたりを見守るんだ。ドレスを纏った美しいゲルトルートを見て、その隣に歩くのがやはり見目麗しいオムトでよかった、と彼は思う。美しいゲルトルートの隣にいたのが背の曲がった真っ直ぐに歩けない自分だったら彼女をみじめにさせたからと。ここがね、切ないんだ」
 ぽん、と再び鴇田は弦を弾く。だが話は聞きたいようで、「それでどうなるんですか?」と続きを催促した。


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今日の一曲(別窓)

今日のもう一曲(別窓)

さらにもう一曲(別窓)


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a disaster or any gifts



『この湿った風が山脈を越えることで水分が奪われ、乾いた熱風が日本海側の地域に吹き込んで気温が上がる現象をフェーン現象と呼びます。今日のY市ではこのフェーン現象が起こったと見られ、十一月ではありますが気温が三十五度を超えました。他にも日本海側の地域では各地で高温が観測され――』


 店休日ではあるのだが、休みゆえの特別な楽しみを行うのでよかったらと誘われた。昼間からやるという。仕事があるので行けないかも、と言ったのだが、「終わって顔出せたら出してみて。ちょうどいいかも」と言われた。
「ちょうどいい?」
「いちばん美味しいところを味わえるかもしれません。おしまいになってたらふたりで外飲みでもすればいいし。とにかく来てみてください」
 詳細は明かされなかった。ただ、普段店に出入りする一般客は呼んでいないという。そんな内輪の秘密めいた会合に顔なんか出していいものだろうかと思案したが、好奇心に逆らえない性格はいまにはじまったことではない。仕事を終えたのが午後六時過ぎ、それからまっすぐ店に向かう。これから向かう旨のメッセージは送ったが、既読にはならなかった。
 店に着くと案の定クローズの看板が掲げられ、店にはシャッターが下りていた。ただ中でなにかをやっている雰囲気はある。どこから入っていいものやら気後れしてうろうろしていると、背後から「あれ? みくらさん?」と呼び止められた。
 夫婦らしき男女が歩いてくる。男の方はやたらと高身長で明らかに日本人ではなく、女の方は膨らんだ腹をしていて、ふたりは歩調を合わせてゆっくりと歩いてくる。男の方が買い出しと思しき荷物を抱えていた。
「こんばんは。だいぶ大きくなりましたね、お腹。出歩いて大丈夫なんですか?」と女性――樋口紗羽に訊ねる。
「安定期ですから。動けるときは動いとかないと」
「ご夫婦で買い物ですか?」
「外の空気を吸いがてらおつまみやドリンクの買い出しに。あれ? 遠海に呼ばれて来たんですよね?」
 紗羽は店の裏を顎で指した。
「中はもう出来上がっちゃってるんでうるさいですけど、そういうのがお嫌でなければ。今日はこっちが出入り口」
「私なんかが混ざっていいんですかね?」
「遠海の連れなんだから大丈夫ですよ」
 こっち、と手招きされて店の裏口へとまわる。紗羽の夫である樋口ケントが荷物を抱えながらも器用に裏口の扉を開けてくれた。出来上がっているってことは仲間内の飲み会みたいなものだろうかと考えながら入る。中は暖色の明かりが灯り、レコードと共に賑やかな笑い声や話し声が響いていた。
 店内には十二、三人の人出があった。そこへ暖と樋口夫妻が加わる。店の中程でテーブルを好きに使ってスナックやドリンクを手に楽しく話し込んでいた。この人は確かスタッフ、この人はミュージシャン、と知っている顔ばかりだった。ただし客の姿はない。
 鴇田の姿を探す。彼は店の中でも隅の方の席で伊丹と話していた。戻って来た買い出し係に気づき、樋口夫妻はたちまち囲まれてしまった。そこから逃れて鴇田のいるテーブルへと歩く。暖に気づいた鴇田は軽く手を挙げて合図した。
「なんなの、この集いは」と伊丹に頭を下げながら訊ねる。「ちょっと早い忘年会?」
「ちょうどいい時に来ましたねえ」と答えたのは伊丹だった。
「これから今日最後のセッションです。楽器入れ替えで」
「入れ替え?」
「やっぱりみんな音楽が好きで集まってる人たちで、客前でパフォーマンスをするのも楽しいんだけど、内輪の楽しみもあるよねってことでこういう風に楽器持ち寄って年一ぐらいで勝手にセッションを楽しんでたんですけど、そのうちそっちの楽器も楽しそうじゃんってなって、いつの間にかシャッフルでミックスな会になりました。昼間のうちから集まって、楽器決めて練習して、何度かセッションして、次で最後のセッションです。録音もしますよ」
 楽しげな伊丹も飲んでいるようで、手元にビールの缶が空いていた。店は場所を提供しているだけで飲食までは面倒みないらしい。だから樋口夫妻のような買い出し班がいる。
「伊丹さんも今日はピアノを弾きます」と、黙っていた恋人はようやく発言した。
「それは聴いてみたい」
「超絶技巧ですよ」
「ますます楽しみだ。おれ、ここで聴いてるだけでいいのかな?」
「参加してもいいですよ。楽器、色々ありますし」
 ピアノやドラムセットの周囲には様々な楽器が並んでいた。見たことのないものもたくさんある。けれど昼間から集まって練習してまでセッションなのだから、飛び入りで参加するのも躊躇われた。ましてや暖が弾ける楽器はない。小学校のリコーダーでさえ音をうまく出せなかった。
「伊丹さんがピアノ弾いちゃったら、あなたはなにを弾くの?」
 録音機材(と言っても三脚で固定したカメラでムービーを撮影する程度のようだった)の確認に立った伊丹の席にそのまま腰かけ、鴇田に訊ねる。彼は珍しくノンアルコールで、サイダーを飲んでいる。
「ヴァイオリン」
「――え、まじ?」
「そんな上手な演奏は出来ないですよ。これまでに覚えた通りに弾くだけです。アレンジや即興はほんと出来ない」
「えー、でもすごいよ。花形なんじゃないですか?」
「そんなもんじゃないんです。ちなみに紗羽から教わりました。彼女はあの通りのお腹なのでヴァイオリンみたいな小型の楽器の方がいまは鳴らしやすいんだって」
「彼女、ヴァイオリンまで弾けるんだ」
「楽器ならなんでもいけます。ケントはベース」
「おおすごい。なんか似合う気がする」
「あとは普段のボーカルがフルート吹いたり、ドラム叩くスタッフもいますし。トランペッターはトロンボーンだし」
 本当に混ざってやるようで、みな楽しげに楽器の準備をはじめる。ふと暖は思い立ち、職場で使っていた一眼レフを下げたまま「動画の係はやりましょう」とカメラをいじっている伊丹とスタッフに声をかけた。
「ああホント? 助かりますねえ」
「それで最後に記念写真を撮りましょう。この通り、道具はあるので」
「じゃあ三倉さんに全てお任せで。モノクロで撮れます?」
「撮れますよ。セピアでも」
「出来ればモノクロで撮ってください。モノクロの写真がね、なんだか好きなんですよ」
「承りました」
 伊丹はピアノの元へ、一緒にいたスタッフはパーカッションの元へ向かった。めいめい楽器を手にして音を確かめる。鴇田はまだ楽器に慣れないようで、隣でやはりヴァイオリンを持つ紗羽に何度も運指とリズムを確かめていた。その拙い触れ方がなんだか珍しくて微笑ましい。


→ 2


拍手[6回]

intermission




 風の強い日で、乾燥もしているから火災に注意しろと防災無線が鳴っていた。わんわんと風なり無線なりが鳴る中を進み、目的の部屋の玄関をくぐる。鏡を見なくても自分の髪が暴れているのが分かる。手櫛で直す。
 キッチンダイニングを抜けてベランダの窓を閉めた。ほんの少しの外出だからいいかと思って窓を開けて出てしまったのだが、予想外の風の強さに慌てる羽目になった。こんなに晴れてるんだけどなあと思う。空が高くて澄み渡った秋の空だ。だけど風は猛烈に吹き荒れている。あの人、帰って来られるのかな。
 キッチンダイニングの他にふた部屋ある。ひと部屋は寝室で、もうひと部屋は書斎になっている。本を読む習慣が遠海にはあまりないのでよく分からない。でも図鑑を眺めるのは好きで、そういう本も置いてあるからこの部屋は好きだ。
 部屋は人を写す鏡だと誰かが言っていたのを覚えている。だとしたら心から違う人間なのだなと思う。遠海の部屋に本棚はなく、三倉の部屋に電子ピアノはない。どこを見ても本ばっかりの部屋の中で、薄い厚みの冊子を手に取る。見覚えがあったから手に取ったがあるはずだった。緑色の映画のパンフレットは、同じものを遠海も持っている。
 離婚して引っ越しまでして、でもここに置いてあることが嬉しい。ぱらぱらとめくり、本棚に戻した。三倉が使っている机と椅子に腰掛ける。小さな出窓がついており、そこから陽が入る。光に満ちた部屋の外の、家木や街路樹がびゅんびゅんしなっているのが見えた。
『ちゃんと聞こうとずっと思ってた。嫌じゃないですか?』
 数日前、三倉に訊かれたことを思い出す。いまみたいに三倉の書斎で背表紙を眺めていて、洋服のパターン集を見つけて手に取ったときだった。三倉に訊けばそれは前妻の持ち物だったと言い、持ち主はこれを処分しようとしていたというので貰ったのだという。様々なスタイルのパターンの掲載された本で、日本語でもなかった。だが何事にも興味を持つ三倉が引き取る理由も分かった気がした。
『なにが?』
『例えばおれはあなたに度々前妻の話をしてしまう。こうやって彼女のものだったものまで持っています。彼女が縫ったシャツだって着るときはありますし。そういうのが嫌な人は嫌だと思うんですが、あなたは嫌だと言わないし、言わないからおれはますますあなたに甘えてしまっているのかな、と』
『僕が「この本捨てて」と言ってあなたは捨てますか? むしろそういうあなたを僕は嫌いになります』
 そう答えると、三倉はきょとんとした顔をした。
『長年連れ添った人だったんですから、思い出話も共有したものも、全てを忘れて清算してくださいなんて無理な話です。それにあなたが蒼生子さんの悪口ばかり言うのだったら嫌ですけど、普通に懐かしんで話してくれることですよね。僕は誰かと連れ添った経験がこれまでにないので疎いと言えば疎いのでしょうけど、あなたがどういう行動でどういう感情になったかを知りたいと思っています。そこに彼女の存在があるのは、相手があって暮らした日々だったんですから、当然というか、仕方がないというか、……あったことはなかったことにならないんですから、封じ込めて黙される方が不自然だと思います』
『……』
『積極的に話してくださいってわけじゃなくて、でも自然にぽろっと出る思い出話は、聞きたいですよ。本や服に思い入れはあるかもしれないけれどそれが罪であるわけでもないし。ものを大事にするあなたの姿勢の方が僕には好ましいです。それに嫌なら嫌だって言います』
『そうか』
 三倉は本を手に取った。
『あなたが好きですよ』
 洋裁の本を手に、こちらがびっくりするほどのやわらかな笑みで三倉はそう言った。
『繊細だけれど前向きなあなたがどうしたって好きです』
 喜びで心が満ちて遠海は返事をし損なった。明るい秋の昼間にその笑顔はぴったりで、あれがどうしても忘れられない。自分が言わせたなんて信じられないけれど、また言ってくれたらすごく嬉しいと思う。
 この書斎にどんな思い出があるのだろう。本一冊ごとに三倉の過去があり、思考が生じているかと思うと、遠海にとってこの部屋は『興味深い』。興味の深さはきっと深い海溝のように果てを知ることの難しいものだ。そうか、ここは三倉の海なのかな。
 早く帰ってこないかなと思う。誕生日くらい仕事を休もうとか、そういう発想はないらしい。もっとも遠海にだってない。記念日とか心底興味がない。いつ出会ったとか、お付きあいをはじめたとか、キスをしたとか、離婚したとか。
 でも今日はきっと早く帰ってくる。それぐらいは甘えてもいいんだと思う。張り切って料理をすると言っていた。自分の誕生日は自分の好きなものを作って食べたいらしい。
 本が大波みたいに迫っている部屋であの人の帰りを待つ。外は風が唸る。風の音をベースにして机を鍵盤に見立てて指を叩きはじめた。最近好きでよく聴いている曲を頭の中で流し指で再現する。
 あの人を待つ。早く会いたい。それは触れたいと同義で、遠海は知らないうちに微笑んでいる。

End.


次回は11月1日より更新します。


拍手[8回]

『今年の夏はエルニーニョ現象の影響で冷夏が予想されている。エルニーニョ現象とは海水温の上昇のことを指す。これが起きる原因については未解明な事が多いが、一つに「西風バースト」があるのではないかと言われている。赤道付近で強い西風が吹き荒れる日が何日も続く現象だ▼海水温の上昇によって冷夏がもたらされる訳だが、素直に理解し難い。水温が高ければ気温も上昇しているのではないかと思いがちだ。海水温が上昇する事で水蒸気が湧き、雲が発生しやすい気象だと言う理解が必要だ。雲は日光を遮る。すなわち冷夏なのだ▼エルニーニョだからと言って西風バーストがあったかは不明らしい。因果関係がありそうだと言われている。またエルニーニョだからと言って必ずしも日本が冷夏に見舞われる訳でもない。バタフライ効果を連想する。蝶の羽ばたきでハリケーンが起こるかと言う気象学者の演説だ。これが起きたからこうなると予測するのは難しい▼後から振り返ればあれがきっかけだったと言える。結果を見て経過を振り返る事は大切なのだ。それが未来の予測をより精度にする。今のあなたに起きている事を冷静に受け止める。いつ蝶は羽ばたいたのか。西風は吹いたのか。未来の為に立ち止まって考えたい。〈暖〉』


 取材の予定時間を押したので少し慌てた。取材に使う社用車をすっ飛ばしてそのまま店に向かった。途中、電話が鳴る。片耳に差し込んだハンズフリーのイヤフォンから聞こえてきたのは蒼生子の声だった。
『三倉さんのコラム、読んだんです』と言う。
「ありがとう」
『よかったのかわるかったのか私にはまだ判断がつかないんだけど、鴇田さんは西風だったんだなって思いました。西風バースト。マンションのベランダから収集車を三倉さんはよく見ていたけど、あのときもう発生してたのかなって思います。……私もちゃんと振り返るよ。見なかった振りやなかったことにはしない。それだけ直接言いたくなって』
「……わかるよ。ありがとう。あなたに届いてよかった」
 また蝶は羽ばたいているかもしれない、と言い添えようと思ったが、不必要であると思いなおして短い通話を終える。
 到着は十分遅れだった。駐車場に車を押し込み、急いで店の門をくぐる。もう閉まると告知された名店だから予約は無理なんじゃないかと思っていたが、運が良かった。店員に名を告げると座敷席に通される。襖で仕切られたいくつもの座敷の一室は風を通すために縁側に向いた襖を開け放っている。それでも目隠しにと透かし彫りの衝立が立つ、その一室の中に鴇田はいた。座卓にきちんと正座をして三倉を待っている。仕事のときもこういうときも背筋はピンと伸びるのに、ピアノに触れるときと暖に触れるときはその背中が丸まる。どういう訳だろうなと思いながら顔を覗かせると、鴇田はこちらを向いた。
「遅くなってしまって申し訳ない。取材が押して」
「僕は休みなので全然構わないです。今日はちょっと蒸しますね」
「晴れたり曇ったりですからね。もう頼んだ?」
「いえ、連れが来てからとお願いしていて」
 そう言いながら鴇田はメニューをくれた。従業員が用意していった冷茶をぐっと飲み干し、メニューもろくに見ずに「並でいいかな? 特上行く?」と訊く。
「並でいいです。そんなに散財してらんないですし」
「まーね。今月は旅行行っちゃいましたからね。プラス五百円で肝吸いだって。これはつけましょうか。すいません、お願いします」
 渡り廊下を通りがかった従業員を呼び止め、オーダーをかける。これから焼くので時間がかかると言われた。
「その間に中庭の水琴窟触ってていいですか?」と訊ねる。
「どうぞ。そこからつっかけ履いて出てください。ご用意出来たらお呼びしますね」
 にこやかに従業員は去った。今週いっぱいで閉店する店だ。惜しいが仕方がない。
 鴇田と連れ立って歩き、縁側から中庭に出た。軒下に玉砂利を敷いており、その一角に瓶と柄杓がある。雨が降っていれば地中に染みた水が落ちて地中に埋められた瓶が鳴るのだが、雨が降らない日はこうして手で鳴らす。柄杓で瓶の水を掬い、玉砂利の片隅にかけた。水が流れ、少しの時差でコンコンと硬質な音が鳴る。
「――想像してた音と違う」と鴇田は答えた。
「もっとまるい、木琴みたいな音なのかと」
「埋められた瓶の素材にもよるみたいですよ。これは音の反響がいいし、うまいこと埋めてあるか、瓶の素材が特別なのかもしれませんね」
 もっと聞きたいと言って鴇田は柄杓で水をかける。地中で音が鳴る。水をかける。そうやって子どもみたいにいつまでも音で遊んでいる。
「知らなかったなあ」と音の合間に呟いた。「知らないことばっかりだ」
「絶対音感ある人ってこの音はなんの音、って分かるんでしたっけ。鴇田さんはそういうのあるの?」
「ないですね。なんの音かくらいは分かりますけど、瞬間的に分かるようなものではないです。伊丹さんはありますよ。外から聞こえた音をピアノの音階に即座に当てはめられます」
「それは能力だなあ」
「昔、ピアノを習いたての頃に、伊丹さんとそうやって遊んでました。外から聞こえる音に耳をすませて、音階で再現するんです。僕はセンスがあまりなかったですけど、伊丹さんはすごかった」
 鴇田は水をかける。自然と頬が緩んでいることに気づいているのだろうか。好奇心に満ちた優しい笑みを傍らで眺めながら暖も微笑む。店員が呼びに来るまで飽きず繰り返していた。


 店は程よい混雑ぶりで誰もピアニストを気にしている風には見えなかった。けれど暖はずっと耳をそば立てて音を楽しんでいる。カウンター席には暖の他にもうひとり同じ世代ぐらいの男性がいて、彼も静かに酒を飲んでいた。
 鴇田のピアノを聴きながら暖は手帳にアイディアを書き記している。次に書こうと試みているコラムについて。掲載日が不定期なので時事問題を載せにくい。日ごろのアンテナの張り具合となにを考えているかがこういうときに出る。
 ピアノの音が止んでまばらな拍手が起こる。店内はレコードに切り替わった。鴇田がこちらへ来るだろうと予想していた通りに彼はこちらへやって来る。ところが暖ではなく、暖とひとつ席を空けて座っている男の姿を見てすこし表情を変えた。
「春原さん」と鴇田が言い、隣の男が手を挙げた。
「ご無沙汰してます」
「いらしてたんですね」
「こっち方面に配送があったのでついでに様子見にね。ピアノ、調子良さそうですね」
「おかげさまで」
 知人なら迂闊に声などかけない方がいいだろうかと思ってやり取りに無理に加わる事はしなかったのだが、鴇田が「Hにあるピアノ修理工場の方です」とわざわざ教えてくれたので顔を向けた。
「Hですか。遠いところからようこそ、ですね」
「いや、そうでもないです。わりと簡単に行き来出来ますよ。春原と申します」
「ああ、ご挨拶せずすみません。三倉と申します。ローカル紙ですが記者をやっています」
 鴇田を挟んで三人で喋っていたが、喋ると言っても鴇田は相槌を打つ程度で、暖と春原とで初対面らしい会話をした。カウンターの中で伊丹も黙って酒を作っている。鴇田にはジントニックを出す。暖にはオリーブとスナックを追加する。春原はヒューガルデンの瓶をもらっていた。
 やがて店の奥からドラマーがやって来て、「トーミ、行けますか?」と窺う。鴇田は頷いて席を立った。春原に「ゆっくりして行ってください」と声をかけ、暖には目線だけ交わしてピアノの元へ向かう。
 今日は昔の馴染みと久しぶりにセッションをする、と嬉しそうにしていた。ベーシストは産休中だが、ドラマーとは連絡がつくようになったのだ。甘いマスクのドラマーが据え付けのドラムセットに座ると、それだけで客の目がそちらへ向くようだった。スティックでリズムが鳴らされ、ピアノがころころ鳴る。楽しそうに音を出すなと、聴き入るよりは見入ってしまう。
「やー、しっかしよく鳴るなあ」と春原が半ば呆れたような口調で呟いた。
「あんなピアノだとは思わなかった」
「そうなんですか? あ、春原さんがあのピアノの修理を?」
「いえ、中古を買い付けて調整して、ここまで運んだだけです。ええと、ご存知ですかね。この店に元々あったピアノは随分なおばあちゃんで、加えて災害でだめになってしまったんですよね」
「ああ、ちょっとだけ経緯は聞いています」
「そう、それで新しいピアノが欲しいんだけどあのピアニストに合うようなものが欲しいと、かなり無茶な注文をここのオーナーにされた訳です。ピアノって車みたいなものでね。最新の方が燃費もいいしよく走るんです。中古車を気に入って使う人もいますけど、走行の質までは保証出来ませんよっていう感じで」
「なるほど、よく分かる例えですね」
「だから新しく買えばいいと思うんですけど、あえて中古がいいとオーダーされたんです。まあうちはもう新品は扱っていないですから、うち向きって言えばうち向きの依頼ではあったんですけど。探し出せたはいいけどこれ鳴るかなあって思いながら調律しました。とりあえず走るようにはしたけど止まるかもしんないし、って言ったら分かりますか?」
「とても分かりやすい解説です」
 春原はナッツを口にして、「でも心配はいらなかったようです」と言った。
「彼が弾けばピアノはあんなに鳴るんだから。不思議なもんです。ピアノが喜んでいる感じがする。触れ方が違うのかな? 僕がどんなタッチで鳴らしてもあんな音はしなかったですよ」
 そう言って鴇田たちミュージシャンの方を向いたので、暖もそちらを向いた。全く妬けるような触れ方をする。あんなに背中を丸めて、あんなに縋って。
 心拍のような単純さでドラムが鳴る。こぼれ出したメロディーを聞いて春原が「あ、これ好き」と言った。
「Human Natureだ。マイケルはやっぱりどこのどんなアレンジで鳴らしてもいいですよねえ」
「お好きですか?」
「そりゃもう。青春全部これ。映画だって見に行きました」
「この曲ってなにを歌ってるんでしたっけ?」
 そう訊ねると春原は顎に手を当ててから、「人間の質かな?」と答えた。
「理性も欲望も人の本質でしょ、っていう理解です。僕はね」
「なるほど」
 頷いて、またミュージシャンの方を向く。勝手気ままに鳴らされる音。自由なアレンジ。音はうねる。鴇田遠海の表現。触れ方。
 遠浅の海であり、西から激しく吹き付ける風であり、蝶の微かな羽ばたきであるような。


西風バースト End.


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今日の一曲(別窓)


次は30日に更新します。





拍手[7回]

「……めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、この体勢」
「どうして? すごく興奮する……」
 指の腹でぬるぬると尻の奥を探られる。撫でているだけだった指が境界を超えて潜り込んできた。違和感に目を硬く瞑る。滑りを借りて挿入はスムーズで、鴇田の指一本をまるっと飲み込んでしまった。
「……痛い?」と窺われる。
「平気。……でも違和感がすごい。それ、動かして。上下に差し込んだり抜いたりする感じ」
 暖は頼るものがないのが不安で、結局傍にあった予備の枕を抱いた。誰も触れられないような内腑を鴇田には晒しているんだという感慨で、違和感よりは次第に興奮が勝って来た。鴇田にもそれは伝わっているようで、指の動きは滑らかに、暖を窺って出し入れされる。
「緩んできた……ですよね」
「指、増やしてみて……大丈夫だから」
 束ねられた指が新たなるローションを足されて潜り込んでくる。今度は左右にも動かされた。鴇田の指の腹で掻くように暖の内壁の一点を刺激されて、知らずに身体が跳ねた。唐突に強い電流を流し込まれた感じ。半立ちだった性器がいきなり漲って、鴇田の指を内壁は締め上げる。
「――うっ、……んぅ」
「苦しい? 痛かった?」
「違う。これは……まずいな……」
「まずい?」
「あるってことは知ってたんだけど思いのほかまずい。変になる……」
 身体の力を抜こうと試みる。鴇田の指を含まされている部分がひくひくと蠢いているのが分かる。下腹が性感で痛くてたまらなかった。暖は身を捩って枕に縋る。
 反射的に閉じた足を鴇田は広げ直し、また指をあてがう。今度は三本。もう異物感はなく、鴇田の指をスムーズに受け入れている。抜き差しされて、ばらばらに動かされ、暖はもうまともに口を聞けない。
「すごいよ」と鴇田が呟いた。「三倉さん、入れていい?」
 引き抜かれた指を惜しんで、閉じても閉じきらないような感覚がした。枕を脇に退けて、暖は「いいよ」と答える。
「おいで。……おれも早く欲しい、」
 鴇田は頷き、自身の性器にローションを足して数度扱いた。その先端をぴたりと最奥に押しつける。鴇田の欲望が内壁をずり上げて進んでくる感覚にくらくらした。一点をこすりながら暖の奥へ奥へとじわじわと進んでくる。半分差し込んでとどまり、もう半分を一息に押し込まれる。呼吸が詰まって目の前に火花が散った。回路がショートして激しく痙攣する。信じられない快楽が身体を一瞬にして駆け巡った。まるで落雷だったかのように。
 瞬間的に鴇田をきつく締め上げた。整わない呼吸では、いま起きたことを理解するのに時間がかかった。お互いに荒く息を吐いて、暖は奥にじわりと温かいものが注がれた感覚を味わう。
「……すいません」と鴇田は謝った。「入れただけなんですけど、その、……」
 鴇田が身体を倒して暖を覗き込む。頬を撫でられ、目尻に指を当てられ、涙がこぼれていたことに気づかされた。
「痛い?」
「違う。……おれも多分、いった」
「え? 本当?」
「分かんないけど、出た感じがある……」
 鴇田は身体の間にある暖の性器を確かめた。緩い硬さのそこから腹に体液が散っているのを確認したらしく、指で掬って口にした。やめろと言いたかったがいまさらだ。
「そっか。気持ちいいですか?」
「いい。……まだ出来るならして。これじゃまだ入り口だ」
「動かしていい?」
「いいよ……」
 硬さを取り戻した鴇田の性器が腹の内側をこすり上げる。たまらず暖は嬌声をあげた。足が引きつってうまく動かせないけど、もっともっとと鴇田を求めてしっかりと腰に絡ませる。単調に前後運動するだけだった鴇田は次第に感覚を覚え、ぎりぎりまで引き抜いたり、奥へ一気に押し込んだり、ゆるゆると浅く動かしたりと、暖の反応を窺いながらありとあらゆる動かし方で暖を翻弄する。
「ここ……」
 抜けかかった性器をまた潜らせ、浅い箇所でぐりぐりと押しつけるように動かす。性器が勝手に漲る一点を完全に把握して、そこを攻められた。
「あっ、……あ、やだ、そこっ……」
「ここをこうすると、三倉さんは気持ちがいい」
「あっ……うぅ、んっ、んっ」
 揺さぶられて、暖はもはや喘ぐことしか出来ない。一番いいところを絶え間なく刺激されて、身体の表裏が入れ替わるような快感が常に満ちている。ふと鴇田が身体を起こし、つながった箇所をじっとりと見つめた。指でふちをなぞられ、それすらぞくぞくした。
「……あんま見るな、」
「なんで? あんたの中にいるんだなって、あんたはそれで気持ちがいいんだなって、よく分かる」
「気持ちわるくない?」
「気持ちがいい」
「そっか」
 鴇田に手を伸ばす。求めに応じて鴇田は顔を寄せて来た。キスをする。前も後ろもどこもかしこも鴇田でいっぱいにされていて、しかし不思議と飽和することなく、常に枯渇している。だから求める。
「じゃあ見て。いっぱい触って。……おれとセックスしてるんだって、思い知ってよ」
 がぶりと噛み付くようにキスをされた。注挿の動きが激しくなる。舌を絡ませながら、苦しくて喘ぐ。またキスをする。声が漏れる。
 もうぐずぐずに溶けて、鴇田の肌なのか自分の肌なのか境目の判別がつかない。ただ単純に気持ちがよくて、それはもっと気持ちよくなれる確信があって、どんどん突き詰めていく。
 鴇田は長い性器を夢中で暖に擦り付ける。それを締め上げて、暖も鴇田の肩を掴んで間断なく叫び続ける。いい、とか、もっとして、とか。沸点が近い。
「あっ、鴇田さん、もう、んっ」
「……っ、出る、」
「ん、あ、ああっ――」
 一番奥の、もうこれ以上いけないという場所まで突き上げて、鴇田は射精した。内壁を濡らされる喜びで暖もふたりの間で腹を汚す。痙攣が止まらず、もう薄いのにいくらでも出せそうで、それは怖くなるほどの凄絶な歓喜だった。


 鴇田の上に対面で重なり、うっとりとキスをしているさなかだった。また雨が降り出したようで、窓ガラスを叩く雨音がした。あ、と鴇田が唇を離す。ベッドサイドに設置されている電子時計を見て、「十二時まわった」と呟く。
「今日、誕生日なんです」と言われて驚いた。
「――えっ?」
「旅行の最終日に歳取るなって思ってて、それきり忘れてた」
「言ってくれよ……いや、訊かなかったおれも悪いですけど。プレゼントなんにも用意してないよ」
「貰ってるよ」
「あげた覚えはないですよ」
「好きな人と一緒にいる誕生日ははじめてだなと思ってる。だから、充分」
 戯れに腰を揺すられて、暖は性感に呻く。
「いくつになったんだっけ」と訊いた。
「二十九です」
「若いな」
「そうでもないんだけど。西川や日瀧の方がずっと若いし」
「遅れちゃうけど、なにかプレゼントさせてな」
「別にいいんですけど、……じゃあ、楽しみにしてます。あんたのときもプレゼントさせてください」
「楽しみだな。まだ先だけど。……リクエストある?」
「欲しいもの?」
「うん」
「んー、特には。……あ、安いのでいいので、カメラを持ってみたい」
 意外なリクエストだ。どうして、と訊ねる
「あんたみたいに色々撮ってみるの、楽しそうだと思ったから。スマホのカメラでもいいんですけどね」
「そっか。考えてみるよ」
 くすくすと笑って、またくちづける。鴇田の耳を甘噛みし、見つめあって、鴇田は枕を背に後ろに倒れた。
「動いてください。あんたのリズムを知りたい」
「……じゃあ、見ててね」
「うん」
 官能の宿った目が暖に向けられ、頼りなさを感じながらも腰を動かした。不器用に、ぎこちなく。いいところに当たると腰が砕け、手が滑って姿勢を保っていられなくなる。もう何度出して出されたか分からないものが卑猥な音を立て、鴇田の性器を伝い落ちる。
 鴇田に抱き留められ、身体の位置を反転して暖はシーツに沈む。まだ性感はいくらでも膨れる。もっと出来る。もっとしたい。もっと触りたい。
「旅が終わっちゃうな」と鴇田が呟く。ぱたっと鴇田の汗が頬に落ち、それを掬って舐めた。海のような塩辛さが舌に残る。海なのだろう。この男は、海。
「……キスしてください」
「うん……」
 また舌を絡ませる。手も足もどこまでも絡みもつれあう、こうやっていつまでも触れていたいと切実に欲を訴えながら相手に没頭する。


 カーテンの外側がうっすらと明るくなりはじめたころ、ようやくお互いを手放す気になって、寝転んだ鴇田が言った。
「これを怖がってしない選択をしなくてよかった」
 暖は散々声をあげ、眠気が身体に満ちている。それでも鴇田の声を、発言を、漏らすまいと必死で聞く。
「触れることはやっぱり抵抗があるし、この先も拒んだり受け入れたりの繰り返しかもしれない臆病者だけど、そのたびにいまみたいな選択をしたい。あなたに触れられたらいつ死んでもいいぐらい思ってたけど、違いますね。いつまでも、何度だって触りたい」
「……」
「ずっと前に、何度だって生きたいって言ったあなたの気持ちがようやく分かった。僕も何回だって生まれなおしたいです。喜びだから」
 よかった、と呟いたが、掠れて音にならなかった。けれど恋人の耳には届いたと思う。抱きしめあってチェックアウトの時間ぎりぎりまで寝倒した。



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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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