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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「じゃあ本番行きましょう。三倉さんの合図でいいので動画まわしてください。そしたら始めまーす」
 十何人も人がいるので全員を一度に撮ろうとすると店のかなり後方へとまわらねばならなかった。画角を決定し、「では行きます」と声を張り上げる。3、2、1のカウントダウンで動画をまわした。ピアノに腰掛けた伊丹が指揮を振るような合図で、音楽が奏でられる――かと思いきやタイミングを誤って音が転んだ。みな笑っている。
「ごめんなさーい、あたしだ!」
「いいよ、もっかい行こう」
「じゃあ行きまーす。いいですかー?」
 再開される音楽。奏でられたのはサックスで、本当に今日はじめて吹いたとは思えない技術で吹き上げる。いや絶対にはじめてじゃないだろ。有名で知っている曲だ。「ラプソディー・イン・ブルー」。
 伊丹のピアノが鳴る。鴇田が言った通りに超絶技巧で、運指が信じられないぐらいに力強く速かった。鴇田のピアノは全ての音を無理なくいちばん気持ちよく鳴らす感じがしていたが、その師匠である伊丹のピアノは音の大きさも強弱も全てが規格外だった。鳴ろうが鳴るまいが構わず鍵盤を叩く。それも猛スピードで。そのピアノに引っ張られてそれぞれの楽器も音に強弱を付けないまま好きに鳴らされる。ピアノがメインの曲だが鳴らしたいと思うところで好きに鳴らすのがこの集まりの特徴らしく、他の楽器が加わることもあった。みながみな、音を鳴らすことに喜びを感じて鳴らしているのが分かる。
 鴇田を見る。一生懸命に弓を動かしていた。ぎこちない動きの隣で紗羽はさすがだった。ピアノの超絶技巧に混じって即興演奏に加わる。挙げ句にはたっぷりとソロを奏でる。
 とんでもないところでトロンボーンは突っ込んでくるし、情感豊かなメロディーライン上でトランペットが音を間違えたりする。鴇田のヴァイオリンだって例外ではなかった。でもとにかく笑って楽しんで、音楽は止まることなく疾走する。
 有名なフレーズで曲はようやくクライマックスを迎える。なんてめちゃくちゃで、なんて楽しい音楽。と、感慨に耽っている暇もなくピアノがリズムを持って鳴らされた。そこにドラムが乗る。いきなりの展開に、だがみな余裕だ。鳴らす音は焦っているのに、音への構えが出来ているというのか。なんで「ラプソディー・イン・ブルー」のあとに「Tiger on San Pedro」なんて鳴るんだよ。かと思ってたら次にはじまったのルパン三世のテーマだし。
 もう笑ってしまった。ビデオカメラに音が入らぬよう忍び笑いをしながら一眼レフを構え、止まらない音楽を楽しみ続けている人たちを夢中で撮る。最終的にみんな大きな音を鳴らして、音楽は止まった。笑っている。笑いながら手を叩き、肩を叩き、握手を交わして歓声をあげる。
「はーい、じゃあ撮りますよー。もっと集まって、こっち見てー」
 楽しい気持ちのまま、集合写真を撮った。


 まだこれから飲みに行くというグループと帰宅する人たちとで別れた。樋口夫妻は車で来ているというので同乗で最寄りの駅まで送ってもらった。駅前のロータリーで下ろしてもらった時、紗羽は鴇田に「アパートまで送ってかなくていいの?」と訊いた。
「うん。三倉さんと遊ぶから」
「みくらさんとねえ」
 紗羽が妙な顔つきでちらりとこちらを見る。口元は笑っているが目が険しい。苦笑するほかなかった。
「変な夜遊びしてないで早く帰りなさいよ。明日は仕事でしょ? みくらさんも程々にね」
 おやすみなさい、と言って去っていく車を見送る。釘を刺されていたたまれない。彼らに対して鴇田がこの関係のことをどこまで語っているのか聞いていないが、一度きちんと問うべきかな、と思う。鴇田が失恋で辛いときに傍にいてくれた人たちだ。
「ええと、いいのかな? 保護者の意見はああだけど」と一応訊いてみる。
「いいですよ。紗羽はああいう顔でからかうだけですから。それにやっぱり腹が減りました。早く三倉さんの飯食いたい」
「分かりました。今夜はちょっとあたたまるものがいいかな? なに食べたい?」
「中華。とろみのついた熱々の」
「はは、いいね。海鮮が安いといいなあ」
 もう少しだけ電車に揺られ、深夜営業しているスーパーで食材を買い込んで暖の部屋へと戻る。部屋に戻るなり鴇田はふーっと長く息をついた。
「すごい会でしたね」と暖はジャケットを脱いで手を洗い、料理の支度に取り掛かる。
「鴇田さん、ヴァイオリンまるきり初心者ってわけじゃないんだ」
「紗羽に何度か教わっているだけです。ピアノの他に楽器やってみようかなって言ったら、ギターとブルースハープとチェロと、なんかまあ色々と勧められたんですけど、ピアノならやっぱりヴァイオリンは相性がいいでしょうとか言われて。楽器も余ってるからって安く譲ってもらって。でもアパートだと弾けないので、個人練習はほとんどしていないです」
「伊丹さんのピアノは凄かったな。あれがあなたのお師匠さんのピアノなんですね」
「あの人は指がよくまわるから、早弾きとか本当に得意なんです。力強くてダイナミックですしね。大学時代もそんな楽曲ばっかり弾いてて、ゆったりとした課題の曲なんかはてんで酷評されたとか」
「同じ楽器弾いてるとは思えなかった。本当、ミュージシャンってのはすごいですね。あそこにいるみんな誰もが素晴らしかった」
「ただ単に音を鳴らすのが好きなだけのやかましい集まりですよ」
 そう言いつつも嬉しそうで、先ほどまで触っていたヴァイオリンをケースから取り出して手入れをはじめた。時折いとおしそうに音を爪弾く。ぽん、ぽん、と飽きず鳴らしているのはいつもピアノで演奏の前に鳴らすあの音が基準で、見慣れぬ姿でも既視感があった。
 先ほどスーパーで買った食材でさっとリクエストの中華(酒の肴になるような八宝菜や麻婆豆腐にスープ)をこしらえ、ニュースを観たかったのでダイニングではなくカウチの前に置いたローテーブルに並べた。鴇田はヴァイオリンを傍によけ、食器を出す手伝いをしてくれる。ニュース番組では今日の昼間の気象現象について解説していた。鴇田が「この辺はそんなに暑くはなかったですよね」と漏らす。
「すごいな。十一月なのに真夏並み」
「これじゃあもう小春日和よりは小夏日和って感じだよな」
 軽いアルコールとともに食事を腹に入れながら、先ほど撮った写真をふたりで見た。みんなが楽しく音楽を奏でている姿は目にも楽しく、先ほどの賑やかさが蘇る。
「これ、記念撮影の他の写真もデータもらえませんか?」と鴇田に訊かれた。
「伊丹さんに渡したらみんなのところにも写真がきっと行くから」
「ああ、いいですよ。あとでUSBに落としてあげる」
 食器は鴇田が片付けを引き受けてくれたので、任せてありがたく風呂に浸かった。入れ替わりで鴇田も風呂を使う。パソコンにデータを落としてメモリに移しながら、暖は本をめくる。最近また読むようになった本で、作家の全集を図書館で借りていた。
 書斎として使う部屋にいたので、鴇田が風呂から上がったことに気づかなかった。扉が開き、「仕事?」と控えめに訊ねられた。首を振って「おいで」と恋人を呼ぶ。
「そういえばと思って読みはじめたんだ。ヘルマン・ヘッセ」
「作家でしたっけ」
「そう。全集を借りて詩から小説からとにかく読んでるんです。そういばゲルトルートにフェーンが出てきたな、と思っていまそこを読み直してて」
「ゲルトルート?」
「邦題は『春の嵐』っていう訳のものが有名ですね」
「ああ、前にコラムに書いてましたね」
 パソコンを閉じ、部屋を出る。カウチに再び腰掛けて暖は本をめくる。鴇田は隅に追いやっていたヴァイオリンを持ち出し、うるさくならないように注意を払いながら音を鳴らしていた。
「春の嵐って、どういう話なんですか?」と楽器に触れながら訊かれた。
「音楽と恋、うーん、哲学かな? の話だよ」
 読む? と訊いて本を渡したが、数行読み進めて難しい顔をされた。
「こういう、改行と行間の少ない文章が苦手で」
「翻訳だしね。翻訳特有のあの小難しさはなんだろうね」暖は笑いながら本を受け取る。
「要約しましょうか」
「お願いします」
「えーとね、主人公のクーンがゲルトルートっていう美しい娘に恋をする話なんだ。クーンは少年期にその時好きだった女の子の気を引きたくて危険なソリ滑りをするんだよ。それで事故に遭って足を動かせなくなってしまう。身体障害者になったんだ」
「はい」
「元々クーンは音楽家を志してヴァイオリンを勉強中だった。事故からますます音楽にのめり込むようになって、作曲をするようになる。それでオムトという男と知り合ってね。オムトはオペラ歌手で魅力的な容姿で歌を歌う、才能に溢れた人物だった。彼とは友人になるんだけど、オムトは女癖が酷くて。クーンはオムトの恋人たちがオムトによって酷い目に遭うのを度々目にする」
「酷い目?」
「暴力。でもオムトはいい男だから、女たちは盲目的にオムトの暴力を許してしまう。このオムトっていう男がまた難しくてね。気分屋で、でもそれが魅力なんだっていう描かれ方をしている」
 鴇田はなんとなく手の中のヴァイオリンを弾(はじ)いた。ぽん、と音が響く。
「クーンがオペラを作曲しているあいだに、ゲルトルートという女性と知り合う。ゲルトルートは美しくて聡明で、クーンの音楽を愛していて、ふたりのあいだには友情が育まれる。けれどクーンの心中はそればかりではなくてね。ゲルトルートを自分のものにしてしまいたいという思いと葛藤する。ここの心の揺れの描写がすごいんだ。クーンはゲルトルートに愛を告白するんだけど、それは拒絶されてしまう。友情と恋情でクーンは揺れる。それで、ゲルトルートがオムトと知り合い、手紙を送っているのを知って、ふたりが男女の仲であることを悟ってしまうんだ」
「……友人と好きな人が、恋仲ってこと?」
「そうだね。それで死を決意して、結果的には父親の死があってクーンは自死をとどまる。オムトとゲルトルートは結婚する。ふたりの結婚のために曲を書いて、クーンは結婚式には出席せず、教会に隠れてふたりを見守るんだ。ドレスを纏った美しいゲルトルートを見て、その隣に歩くのがやはり見目麗しいオムトでよかった、と彼は思う。美しいゲルトルートの隣にいたのが背の曲がった真っ直ぐに歩けない自分だったら彼女をみじめにさせたからと。ここがね、切ないんだ」
 ぽん、と再び鴇田は弦を弾く。だが話は聞きたいようで、「それでどうなるんですか?」と続きを催促した。


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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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