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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「クーンは作曲家としての名声を得ていくんだけど、オムトとゲルトルートの婚姻はうまく続かなかった。オムトは次第に酒に溺れるようになる。ゲルトルートは実家に戻ってきてね。それでも彼を愛しているから、ちょっと離れるだけだと言い張る。クーンはオムトに会いにいく。ふたりでとびきりはしゃいで、その翌日にオムトは自殺する」
「……」
「ゲルトルートはオムトの葬儀で涙を見せなかった。徹底して強く美しい女性として描かれるんだよ。クーンは友人を失い、ゲルトルートに純粋な恋をしたまま……そんな話」
 鴇田は黙った。ヴァイオリンをケースに仕舞う。仕舞いながら「難しいですね」と言った。
「そんなに純粋な気持ちのままで人を好きになれない。好きになった人が友人と結婚してしまったら僕はやりきれないと思う。……違うか。あんたに当てこするわけじゃないけど、僕はやりきれなかった」
「……いい。あなたに辛い思いをさせたのは事実だから」
「謝ってほしいわけじゃないですからね。……でも、だからやっぱり、それでも友情を保とうとした主人公はたまらないだろうし、やりきれないですね」
「うん。おれもそう思う。……彼は音楽に救われている、と思っておれは読みました。音楽があるからゲルトルートへの恋を友情に出来たし、オムトとも友情でいられた。音楽はいいねっていう雑な感想になってしまうのは避けたいけれど、やはりその人の精神に豊かに流れるものだと思う。――オムトの言だけど、人生は老いた方が豊かになる、というようなことを言っていて」
「若い方が辛いってこと?」
「焦ってろくなことがない、というようなことかな。余裕がない。オムトは老いる前に自死を選ぶのだけど、クーンはちゃんと老いて、母親とか、友人の妹とか、いろんな人の死を看取る。そのときクーンもオムトの言葉を回想するんだ。それで、終わる」
「どっちがいいのかなんて、分からないですよ」
「そうだね。若くして死ねば惜しまれることが多いけれど、その人それぞれに寿命はあるから。まあ、死ぬ時に苦しくなければいいなってぐらいをおれは思うかな」
「面白そうですね」
「ん?」
 なにに対して言われているのかが分からず、鴇田を見る。
「本。僕もやっぱり読んでみようかな」
「いいと思いますよ。いろんな訳も出ていて、こういう全集じゃない方が読みやすいと思う。良さそうなのを探しておきましょうか」
「うん。ありがとう」
 鴇田は頷いた。時計を見ると午後十一時をまわろうかという時間だった。
「あなたは明日仕事だったね。いつまでも喋ってないで休もうか」
「あんたも仕事ですか?」
「うん。でもおれはあなたほど早くはないからね」
「泊まってっていい?」
「聞くなそんな野暮なこと」
 リビングの電気を消し、隣室に移る。ここへ越してきたばかりのころはベッドはなく、床に直に布団を敷いて寝ていた。鴇田とこうなったからダブルベッドを買おうか、という考えもあった。けれど現状、ベッドを運び込む手間を惜しんで結局は床に布団を敷いて眠っている。シングルの布団を二組敷く旅館スタイル。でもベッドから落ちずに隣へ移動できるからわりと気に入っている。
 スタンドの明かりだけを灯して、部屋の電灯は消す。揃ってそれぞれの布団に潜ったが、すこしして鴇田が「そっち行っていい?」と訊いてきた。
「歓迎」
 布団の上掛けを持ち上げると、鴇田が隣へ潜り込んでくる。鴇田には触れることがどうしても怖くて抵抗のある時と、無性に触れたくてたまらなくなる時とがあるようで、今日は後者だったな、と嬉しく思う。普段の生活に触れ合いが全くないわけではないけれど、鴇田のコンディションを誤るとお互いに面白くない思いをすることだけは分かったから、出来るだけ飢えは素直に伝えて、その上で了解します、出来ません、というようなやりとりをするようになった。鴇田はこの「むらっ気」を嫌に思っているようだが、いつでもウェルカムで触れられるより暖はこの状況を楽しんでいる。暖を大事に思いながら苦悩する鴇田を、ひとりで悩ませるよりはずっといい。飢えを伝えて叶えられない時は淋しいと思うし身体も辛いが、それでも鴇田はその時出来る最大限で暖を許す。その許容が暖には優しい。
 鴇田は暖の身体を抱くと、首筋に顔を埋めた。今日は徹底して触れたいバージョンらしい。シャツの襟首から鼻先を突っ込み、ちらりと舐める。ぞくぞくして声が出た。
「鴇田さんって、そういえば」
 髪を梳きながら呼ぶと鴇田は首筋に頬をくっつけたまま「なに?」と答えた。
「クラシックも弾けるんですよね」
「入口はそこでしたから。もっとも歌謡曲も唱歌もカントリーミュージックも、好きならなんでもですけど」
「モーツァルト弾ける?」
「モーツァルトのなにを?」
「なんだろ? おれもクラシックに明るいわけじゃないんだけど、なにか。なんでも」
「モーツァルトは色々と有名な曲がありますよ。どうして?」
 そう訊かれたので暖は目を閉じたまま笑った。
「『ゲルトルート』にたびたび出てくるから」
「さっきの小説?」
「うん。曲じゃないけど、文言がね」
 鴇田はしばらく考え、身体を起こした。布団を剥ぎ、暖をうつ伏せに寝転がすと、シャツをたくし上げて背中をあらわにさせた。
「なに?」
「弾くので当ててください」
「モーツァルトを?」
「うん」
 とん、と鴇田の指が力強く背中の一点に落ちる。指の腹で思いのほか強い音が鳴った気がした。実際には肌を弾かれているだけなのだけど、鴇田から受けるいつどんな愛撫よりも心臓に迫って苦しくて、下腹部がずきりと痛んだ。
 トン、ト、トン、と独特のリズムが背中で踊る。刻まれたリズムで瞬間的に閃くものがあった。
「知ってるけど曲名が出てこない。ラー、ララー、ララララララー、てやつ」
「当たり」頭上で微笑むような吐息の音がした。指は強弱をつけながらリズミカルに落とされる。
「アイネクライネナハトムジーク。第一楽章、アレグロ」
「ああ、それ。どういう意味?」
「小夜曲、だそうです。ちいさな夜の曲」
「いまみたいな?」
「かもしれません」
 左手で素早くリズムを刻まれ、尾骶骨の辺りが怪しくなる。うつぶせにされているのが惜しかった。仰向けで腹の上で演奏されていたら演奏に夢中になる鴇田の表情をよくよく眺めることが出来たかな、と。もっとも自分の顔まで見られるのは恥ずかしいからこのままでいいか。
 音の鳴らない背を叩かれて、暖は自身が鳴らす喉の音やなまめかしい吐息の方が聞こえてしまうんじゃないかと気が気ではなかった。鴇田は構わないのかひたすら指を落とす。彼の中に響いているだろう音楽のことを想像し、出来る限りで同調を試みた。しばらくして指は止まり、続いて「第二問」と言って別のリズムが叩かれた。
 はじめは単純だった。右手も左手もとてもシンプル。けれど急に曲でも変わったのかと思うぐらいに指が跳ね回り、冗談でなく声が出た。指はぱちぱちと暖の肌を情熱的に跳ねる。かと思いきや大人しくなり、とはいえ左手が凄まじい運指で背骨を伝い下りる。なんの曲を鳴らされているのか分からず、指の腹で押されても、爪先で弾かれても、なにをされても感じてしまうのは大いに問題だった。
「分かんない」漏れ出そうになる声を押し隠して平常のふりで喋る。
「知ってるはずですよ。きらきら星」
「え? ホント?」確かに知っている。
「指の動きだけ追ってたら想像つきませんか? きらきら星変奏曲っていう曲です。いろんなバリエーションのきらきら星の曲」
「これもモーツァルト?」
「僕の記憶が正しければ」
 指は止まらず、散々跳ね回っては暖の肌を粟立たせる。もう変化は悟られているような気がして、鴇田の指から剥がれるように身体を転がして無理に音楽を止めた。仰向けになると下になっていた箇所に風が通って、すうすうと涼しく感じた。鴇田と目が合う。演奏を途中で止められて不満そうだった。


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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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