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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 翌日、先生は私とヒロの分までお弁当を作ってから出勤された。私とヒロは車に乗り、ヒロの受験予定の大学の下見へ向かう。会場を確認し、当日の移動手段も確認する。あらかた済んだところでヒロが「ちょっと入らねえ?」とレトロな看板の喫茶店を指差し、私は同意した。
 ヒロはチョコレートパフェとカフェオレを、私は紅茶とモンブランのケーキセットを頼んだ。ヒロは「やっぱりあまいの食うんじゃん」と笑った。
「やっぱりあれ? センセイが嫌いっていうから作らねえし食わねえの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、……先生があそこまではっきりとあまいものを拒絶されるのは、昨夜はじめて見たし」
「そうなの?」
 じゃあなんで? という顔をした。
「んん……やっぱり食べてくれる人がいないから、かな。僕だけの分を作るよりはこうやって外で食べた方が早いし」
「外じゃ食うんだ」
「そもそも先生とはあまり外食をしない。一緒に出掛けたりをあんまりしないからかな。先生ご自身もそういうのは好みじゃないみたいだし。僕はほら、仕事で打ち合わせとかあると外に出る。そういうときに食べたり、買い物ついでに商店街で買い食いしたり、かな」
 ヒロはしばらく黙ってパフェを食べていたが、ややあって「目が怖かった」と言った。
「め?」
「嫌悪感、って言ったときの、センセイの目。怖いってか、暗いってか。すげえ目すんだと思ったから、あんまり話も突っ込めなかった」
「……だね」
「でもさー、ゆうちゃんのお菓子また食いてえなあー」
 もう最後の方になってチョコレートソースとクリームでぐずぐずになったフレークを突っつきながらヒロは言う。
「テンちゃんもそう言ってた。また食いたいね、って」
「テンちゃん、元気なのか?」
「ん、……なんていうかさ。幼なじみでも、高三で、卒業だから、……」
 しんみり言って、ヒロはカフェオレを飲み干す。せっつかれてケーキセットを食べ終え、家に戻ってヒロはまた勉強すべく部屋にこもった。
 その日の夕飯は、炊き込みご飯と豚汁だった。どうやら先生は若いヒロのために懸命に腹持ちするものを、と考えてメニューを組んでいる様子だ。このメニューなら副菜はついてもせいぜいが漬物ぐらいなのだが、今夜の先生はほかにだし巻き卵と身欠きにしんの甘露煮まで作って出された。そんなに作ったらエンゲル係数だだ上がりしちゃいますよ、と言ったら、先生は微笑んで「滞在費までいただいてしまっているので、これぐらいは」とおっしゃる。
「大学まで無事に行けそうですか」と食事をしながらお訊ねになられた。
「あ、行けそうです。駅まで出られればバスで一本でした。天気予報見ても、変な天気にもならなさそうですし」
「それはよかったです。けれど天候悪化などの場合は、僕や遊さんを頼ってくださいね」
「三日後が第一志望で、その二日後が第二志望だっけ?」
「うん。そこまで受けたらおれ、うち戻るから。卒業式出て前期の結果見て、だめなら後期にかけてまた来るけど、いい?」
「前期で受かってても住むところ探しに来なきゃだろ? いいよ、いつでもおいで」
「あんがと。おかわりもらっていいすか」
 その日も、翌日も、翌々日も、ヒロは旺盛な食欲を見せ、先生は笑っていらした。
 数日して、第一志望も第二志望も試験を受け終え、あとは帰るだけ、となったヒロに、どうせ来たならあと一日ぐらいは滞在を延長したらどうですか、と先生はおっしゃった。郊外へ出るとちょっと大きな湖があり、そのふもとには有名な大きな神社があるのだ。観光にどうですか、と先生も自身で車を出す気でいらっしゃる。ヒロも嬉しいようで、「じゃあそうします」と言って滞在延長の旨を実家に連絡していた。
 外出の日は、ちょっと曇っていて雪が降りそうな天気だった。三人でゆっくりと朝食を済ませ、のんびりと出かける。ここの神社は天満宮で、梅の花がひらひらしていた。「知ってたら試験前に来たのに」とヒロは笑い、授与所でお守りをふたつ買っていた。
 寒かったので、近くの甘味処に入った。先生は甘酒を頼み、私とヒロは団子の皿を分けることにして抹茶も頼んだ。
「誰あてにお守りを買われたんですか?」と先生がヒロに訊ねられた。
「絵馬も熱心に書かれてましたね」
「ああー、えーと。……交通安全とか、学業成就とか、厄除けとか、……なんかそんなのです。幼なじみに」
 それを聞いて私はすぐにテンちゃんのことだと理解したが、知るはずもない先生は「仲がいいんですね」とおっしゃった。
 ヒロは、「いいなんてもんじゃないです」と抹茶の碗をまるく握って答える。
「おれ、そいつのこと大好きなんです。で、そいつもおれのことがめちゃくちゃ好きで」
 なんのためらいもなく、ヒロは言葉をつむぐ。まっすぐでひたむきな愛情が身体の隅々にまで満ちているような発言だった。
「ちっちゃいころからずっと一緒で、ずっと好き。でもこの春、おれたちは学校を卒業します。おれは予定通りなら家を出るし、あいつも同じなんです。進路が分かれます。しかもあいつの進路先はニューヨーク。留学するんですよ」
「それは、……ずいぶんと離れることになるんですね」
「物理的な距離が離れると、生活も離れるだろうなってぐらいは、想像つくんです。でもいまは無料で海外の人間とやりとりする方法なんかいくらでもあるし。大したことないよってお互い笑ってるんですけど、……笑って前向いてこうやって、言ってるんですけど」
 ヒロの言い口に、私も先生も気軽なおしゃべりからは遠ざかってしまっていた。
「身体が離れることがどういうことなのか、わかんないんです。ずっと一緒だったから。一緒にゆうちゃんのお菓子おいしーね、ドーナツ食べたいねとかって言ってた距離に、いられなくなる。会いたいと思うときに会えなくて、触りたいと思うときに触れなくなるのは、……いま想像がついてない状態でも気が遠くなるのに、実際に離れてしまったら、どうなるんだろ。おれたち、それでも笑ってられんのかな」
「……」
「いままでは春先は先輩とか後輩とか同級生とかを見送るだけだったんです。でもそれもけっこう痛かった。それで今年、いちばん近いやつと離れるってなって、……憂鬱になりますよね。だからこうやって、神頼みっす」
 先生は甘酒を口にして、「幼なじみさんは、いつ出国されるんですか?」と訊ねられた。
「卒業式終わってすぐです。向こうで語学プログラム受けるから早めに行きたいって言ってて」
「そうですか」
「ま、これでおれは受験済んだんで。明日には実家戻るし、そしたら会い倒します」
「引き留めたようで申し訳なかったですね」
「いいえ?」
 ヒロはようやく顔を上げて、にやっと笑った。
「ゆうちゃん元気だったよって言ってやれば、あいつも嬉しいと思います。ゆうちゃんとセンセイと出かけた話もできるから」
 言い切って、ヒロは残りの抹茶を飲み干し、やっぱりばか丁寧に「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

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 ヒロは到着して家を案内したのちすぐに、用意した一室にこもった。勉強にとことん集中したいらしい。だから私はヒロを放って、自分の仕事をこなした。この古い家には壁掛けの古い時計があり、それがボーン、ボーン、と六つの鐘を打ち鳴らして顔をあげた。夕方六時、普段なら先生が戻られる時間だ。
 ヒロの部屋を覗くと、彼は電話中だった。
「ちょうどいいや、ゆうちゃん。親父だから、代わって」
 そう言ってスマートフォンを渡される。長兄とは先日話したばかりなのでこちらは特に用事がないのだが、とにかく息子を頼む、という話と、滞在費の足しにといくらか持たせたから受け取ってくれ、という話と、土産に自家製の干物があるからそれは早めに食べてくれ、という話だった。
「お、さばのみりん干し。こっちはするめいかか。よく作ったね?」と紙袋の中身を甥と改める。
「ばあちゃんがこういうの張り切って作るからさ。干物作るなら冬がいいとか聞くとすぐやる」
「おふくろらしいな」
 笑っていると先生が「楽しそうですね」と帰宅された。
「おかえりなさい。ええと、今日からしばらくの、甥です」
「あ、はじめまして、……ゆうちゃんの甥の、博高(ひろたか)と言います」
「ヒロ、こちらが同居人の、名鳥(なとり)先生」
「先生?」
 ヒロは疑問符をつけて先生を見た。先生は笑っていらした。
「僕は別に遊さんの先生をやっていたわけではありませんが、大学教授なんて仕事をしていますので、先生、と呼ばれてしまっています」
「いや、先生は先生ですよ。なんていうのか、僕の人生の」
「そう言っていただけるほどの実績があるわけではないんですけどねえ」
 先生はマフラーを外しながら、「食事は僕が担当しています」とヒロに告げた。
「今日の分はこれから作ります。若い人が来るから、と思って材料をちょっと買い足して来ました。博高さん、の、食事は僕らと同じで構いませんか?」
「大丈夫です。すごく助かります。おれ、手伝わなくてもいいんですか?」
「遊さんにはいつも食器の上げ下げだけしてもらっていまして、基本的には僕がひとりで作ります。好きなんですよね、ひとりで作業するのが。考え事をしながら作るせいもあるかもしれません。今夜は鶏の水炊きにしようと思うのですが、どうですか?」
「めちゃくちゃ食いますよ、おれ」
「よかった。作りがいがありますね。いまから準備して、七時過ぎに呼べると思いますよ」
「ヒロ、そのあいだに風呂入ったら?」と私は口を挟む。
「じゃあ、そうさせてもらいます。なにからなにまですみません」
「夕飯のときに、きみのこれからのスケジュールを聞かせてもらいましょうか。僕らが手助けできることもあるだろうから」
 そうおっしゃって先生は書斎へと下がった。私はヒロにバスタオルや石鹸を出してやる。
 ヒロは、ふう、と息をつき、「ゆうちゃん、大学の先生と一緒に暮らしてるんだな」とびっくりした顔を隠さなかった。
「もしかしておれが受ける大学の人?」
「いや、聞いた話だと違う大学だよ」
「ゆうちゃんどういう経緯で知りあって、こうなったの? 歳も離れてるでしょ?」
「先生に訊いて。先生が話していいと思ったら、話してくれると思うから」
 甥っ子を風呂に押し込み、台所へ向かった。先生は鶏肉やねぎの他に、茶碗と箸も買い足していて、それらを洗っておられた。
「水炊きというよりは、寄せ鍋になりますかねえ」と冷蔵庫から出した具材をあれこれ見て思案なさっている。
「あ、うちの母が作ったという干物があるんです。甥っ子が持ってきてくれて。さばのみりん干しと、するめいかの干物。自家製だから早めに食べてくれ、と」
「それは嬉しい。ではそれは、明日の朝食と、昼ごはんのおかずにしましょうか」
 その夜、先生は鍋のほかにほうれん草の胡麻和えや高野豆腐の卵とじなどの副菜も準備し、鍋の締めに朝の残りの玄米を入れて雑炊にしてくださった。
 若い人の食欲はすさまじいものなのだなあ、と思わざるを得ないほど、ヒロの食べる量はすさまじかった。先生よりも私は食べる方だが、彼はその倍は食べたのではないかと思えるほどだった。
「あー、うまかったー。腹いっぱい」とお茶をすすって彼は天井を仰ぐ。
「これなら夜食とかいらねえや。でもあまいもんは欲しくなるな」
「あまいもの、お好きですか?」と先生が訊ねられる。
「食後の別腹、ですかね。勉強してると脳に栄養ほしいし。おれがまだこーんなちっちゃかったころ」
 ヒロは背の高さを手で示してみせた。
「たまに、爆発するみたいにゆうちゃんが大量のお菓子を作ってくれて。それを親とか兄弟とかいとことか友達とか、みんなでいっせいに食べる日がありました。あれが懐かしくて、むしょうに欲しくなるときがあります」
「遊さんが、お菓子ですか」先生は私の顔を見た。
「すごかったですよ。量も、種類も豊富で。スイーツバイキングみたいだった。チョコレートのケーキとか、シュークリームとか、さくらんぼのパイとか、チーズケーキ、プリン、おれと友達はクッキーとドーナツがお気に入りでした」
 喋っているうちに「食いたくなってきたな」とヒロはひとりごちる。
「ここにはあまいものがないんですよねえ。僕も遊さんも食べないから、……そう思ってたけど、遊さんはご自分で作るほど好きだということですか?」
「昔の話ですよ。ストレス発散で手の込むもの作ってたんです。お菓子づくりって、工作と似てますから。工作は作っても置き場に困りますけど、お菓子なら消費してもらえます」
 なんだか言い訳みたいになってしまった。
「食後のデザートが欲しければ買ってきましょうか?」と先生はおっしゃる。
「いや、いいすよ。それに欲しくなったら自分でコンビニでも行きます。そのー、ナトリ先生はあまいものはあんまり好きじゃないんですか?」
「そうですね」
 先生はそっと視線を下げた。
「嫌悪感、に近いです」
「そうすか」
 ヒロは手をあわせて「本当にごちそうさまでした」とあいさつした。

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 食事を終えると、先生は書斎に籠られる。日ごろからたくさんの書物を読み解かれる方だが、食後にゆっくりとご自分のお好きな本をお読みになる時間が、とても大事である様子だ。私はその時間、食卓を片づけたり、今日の作業が残っていればそれを片づけたり、あるいは風呂に浸かったりと、やはり自分の時間に充てている。そしてころあいを見計らい、書斎の扉をそっとノックする。
 先生は眼鏡を下げ、「もうそんな時間か」と頷かれる。
 布団は、私が準備する。ふたり分の布団を和室に敷いて、冬なら湯たんぽであたためておくし、夏なら縁側の窓を放って風を通しておく。いまは冬なので、前者だ。先生は肩を揉んでらしたので、布団にうつぶせに寝かせ、その上にかぶさった。マッサージを施す。
 デスクワークなのはお互いで、先生も私を寝かせて腰などを揉んでくださる。先生の硬くて細い指は、とても気持ちがいい。私はうっとりと目を閉じ、寝かけてしまう。先生がそっと布団を被せて、電灯を消すまで、私はうつらうつらとしていた。
 布団に入って、しばし目をあける。
「……さっき兄に連絡したら、むしろその同居人て人に迷惑にならないかと恐縮してました。だから甥っ子呼んで、いいですよね」
「僕は一向に構いません。遊さんの決定で」
「あ、でも甥っ子来たらこうやっておんなじ部屋で寝ているのはだめですね?」
「うーん」
 暗い部屋の中で、先生はそっと笑った。
「僕の書斎にはソファがありますので、僕はしばらくそこで寝ましょう」
「すみません、あれは先生の仮眠用なのに」
「仮眠用だからと仮眠しかできないわけではないですから。甥っ子さんは、いつ来ますか?」
「ええと」
 私は充電器に繋がれたスマートフォンを出して、日付を確認する。
「地元で大学共通テスト受けて、結果見てこっち来るみたいです。学校は自由登校だからって。一月の終わりぐらいからでしょうか」
「じゃあもうすぐですね。何学部を受けるんですか?」
「家政部だそうです。家庭科の先生か、管理栄養士の資格を取りたいみたいで」
「それはまたきみと毛色が違いますね」
「いえ、根っこはおんなじですよ。手先を動かすのが好きなんです」
「なるほど」
 なにか頷いて、先生の手が布団の中に潜り込んできた。
「締め切り前の遊さんには酷ですか?」とじかに腹に触れながらおっしゃる。
「甥っ子が来たらしばらく自由にはなりません。それに僕も先生に触りたいです」
「こっちへ来ますか? そっちへ行きますか?」
「……そっちへ行きます」
 布団を抜け出る際に、浴衣の帯をほどいた。室内の寒さで鳥肌がいっせいに立つ。先生は布団を持ちあげて私を迎え入れ、組み敷いて、上に重なった。私も先生の浴衣の帯を引っ張ってほどく。
 先生の、普段は穏やかな目が、こういう夜だけ夜行の獣のように光る。その発光が、私の胸をざわざわとくすぐる。
 先生は硬く細い指で、やっぱり私を、丁寧になぞるように愛してくださった。先生がたまに飲まれる日本酒、あんな感じで含福を味わうべくして啜られる。


「ゆうちゃーん」
 駅舎でボストンバッグぶら下げて、久々に会った甥っ子はなにもかもが規格外だった。
 厚みも背もしっかりとたくわえて、伸びやかな身体をダウンジャケットの下に隠している。高校生男子ってこうだったかな? と自分を思い返してもうまく思い出せない。短く切り揃えた襟足に、マフラーをぐるぐる巻いて、白い息を吐いて、「うわ、まじでゆうちゃんだ」と人懐こく笑った。
「これ、親父から。迷惑かけるなよって、色々持たされた」
 そう言って大きな紙袋を突き出す。中には菓子折や地元の名産などが詰め込まれているようだった。
 ヒロを車の助手席に乗せ、発進する。受験の塩梅を訊ねると、彼は「多分、いける」と答えた。
「家政科ってそんなに倍率高いわけじゃないし。共通テスト受けた感じでは手応えあったから」
「これで前期試験は?」
「第一志望は筆記試験やるだけ。第二志望の方は面接があるけどね」
「受かったらこっちでどうすんの?」
「下宿かな。寮でもいいけど。安く済む方法がいいから、アパートじゃない方法がいいかなって」
 んあー、とヒロは大きく伸びをした。ここまでの長距離移動をほぐす。
「部屋、ひとつあけといたからさ。好きにつかっていいよ。ストーブと布団は入れといた。座卓だけど、机もある。いやじゃなければ食事も一緒にどうぞって、先生、……同居人も言ってる」
「ああ、ゆうちゃんありがとな。同居人ってさ、ルームシェアとか、そういう友達? それとも同棲?」
「……それを答えてキミはどうするのさ」
「いや、心構えが違うと思ったからさ」
 それから窓の外を見て、「なんかいい街だな」と言った。
「こじんまりしてるけど、ほこほこしてて賑やか」
「暮らすには不便ないよ」
「あ、焼き芋売ってる」
「あそこの商店街にいつも出してる焼き芋屋さんは美味しいよ」
「芋よりさ、おれ、またあれ食いたいな。ゆうちゃんの爆弾投下おやつタイム」
 そんな名称がついていたっけと、私は驚いてしまった。
「ケーキからクッキーからゼリーからドーナツまでなんでもあった。あれだけ大量のおやつタイムがさ、ゆうちゃん出てったあとは食えてないから。受験ひと段落したらやってよ」
 そう言われて、私は苦笑した。
「お菓子、こっち来てからは全然作ってないよ。というか、いまの人と暮らしはじめてからは全く」
「え、まじで?」
「食べる人がいなくなったからかなあ。僕は基本ひとりで在宅だし、同居人も食の細い人だし」
「ああ、そっか」
 納得した、という風に、ヒロは頷いた。
「てことはやっぱり同居人って、ゆうちゃんのいい人なんだ」
 ギャ、と急ブレーキを踏んだのは、歩行者の横断待ちに気づいたからだった。
「ごめん、」
「いや、ヘーキ」
「そういえばテンちゃんって元気? まだ一緒に遊んでる?」
「えーと」
 甥っ子は歯切れ悪く、「おれも早く免許取りてえな」と答えた。

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 バター、砂糖、小麦粉に、卵。牛乳、チョコレート、ナッツに、シナモン。生クリーム、クリームチーズ、レモン、リキュール、ココアパウダー。バナナ、グレープフルーツ、りんご、栗。
 なんかそういうものを一気に買い込む。重たいから、免許を取得して以降は車をつかうようになった。そして前日までに片付けておいた冷蔵庫やオーブンをフルにつかって、一日じゅう菓子作りに明け暮れる。ガトーショコラ、アイスボックスクッキー、アップルパイ、栗の甘露煮、バナナブレッド。
 散々出てくる菓子を消費するのは大人もそうだったけれど、主には子どもたちだった。要するに姉や兄の子どもたち。私の甥っ子や姪っ子たち。まだ年若い叔父のことを彼らは「ゆうちゃん」と呼んだ。ゆうちゃんこれ食べていいの? ゆうちゃんお菓子まだ? ゆうちゃん、ゆうちゃん、ゆうちゃん。
 長兄の末っ子のヒロは、当時まだ小学生だった。幼なじみのテンちゃんという子とよく遊んでいて、ふたりはいつも一緒だった。そしておやつをねだりに来るのもまた、ふたり一緒だった。
 ――ゆうちゃん、おれとテンちゃんにお菓子ちょうだい。
 ばかみたいに一日通して菓子を作るのは、私にとってストレス発散の意味あいだった。それを食べることまではあまりセットで考えていなかった。ただ自分が手を動かした結果、世にも魅力的なきらきらしたあまいものが出来あがる、ということが、快感だったのだ。
 ――ゆうちゃん、今日はなに?
 あれから十年経って、私はとっくに家を出た。三十路かあ、と自分の年齢を顧みて苦笑いする。道理で色々と億劫になったものだ。先生はそれでも私を「若い若い、これから」とおっしゃるけれど、そうは言ってもさ、と思う。
 家を出て以降まったく会わなかったヒロと、十年ぶりに再会することになった。ちっちゃくて足元をうろちょろしていたのが大学受験だというのだから、年月っておそろしいよね。

 ◇

 先生は、大学で教鞭を取っておられる。
 食の細い方で、痩身で、形容するなら「長い」だと思う。手足も、身長も、上下に長い。厚みのない身体は、夏でも長袖をお召しになる。秋ならベストが足されて、冬ならセーターが重なる。春はジャケットを着ておられることが多い。
 食事の一切を、先生が作られる。私は手出しをしても、食器を出すとか、下げるとか、その程度だ。先生の作る料理は、とても美味しい。和食が中心で、質素で淡白だけれど静かにひたひたと私を満たす。おかげで私は先生と暮らしはじめてから健康診断に引っかかったことがない。
 一昨年の冬に庭の土をおこして、ちいさな畑を作った。家庭菜園の類を出ないけれど、これは私がやりたくてやっている。私の仕事は在宅のイラストレーターだ。机やモニターに向かうことが多いので、こうやって庭に出る機会は、私を頑固な肩こりから解放してくれる。
 収穫した野菜を、先生はとても丁寧に食事に仕立ててくださる。今年はミニトマトの出来が良くて、たくさん取れた。先生はそれを夏の日差しに当てて乾かし、上手に貯蔵した。それらが冬のこの時期でもたまに食卓にのぼることがあるから、私はとても満足する。
 その日の晩ご飯の一品に上がったのは、ドライトマトを千切りの生姜とだし醤油、ごま油で和えた一品だった。
「これ、美味しいですね。お酒が欲しくなります」
「遊(ゆう)さんが夏に収穫したトマトですよ。お酒、飲みますか?」と先生はゆったり訊ねられる。
「いえ、僕はすぐ寝てしまいますから」
「明日も忙しいのですか?」
「甥っ子がうちに来たいと言っていて、その前に片付けたい締め切りがどうしてもあるので」
 あ、これ先生にちゃんと伝えてなかった。私は先生の淹れてくださった昆布茶をひと口飲んで、「すみません、相談なんですけど」と申し出る。
「僕の田舎にいる甥っ子が、この冬は大学受験なんです。こっちの大学を受けたいそうです。公立と私立と受けるみたいなんですけど、試験のあいだ面倒見てくれないかと、兄からお願いされてまして」
「そんなに大きな甥ごさんがいたんですね」
「僕は兄や姉とは歳が離れているので、年ごろの甥っ子や姪っ子はたくさんいるんですよ」
 先生は、ふふ、とほっくり笑った。
「僕はかまいませんよ。ここはきみの家でもあるんですから。和室がひと間あいてましたね。そこなんか、いいんじゃないでしょうか。居間と離れますから、静かに勉強に励めるでしょう」
「ありがとうございます。じゃあ。兄に連絡しておきます」
 そう言いつつ、スマートフォンを握る指が止まった。
「あー、でも、でも先生。やっぱり甥っ子を預かるのは、ちょっと」
「問題がありますか?」
「僕がここで古い一軒家で暮らしている、ということは、家族には伝えてあります。でもそこに先生がいらっしゃる、先生と暮らしている、ということは、伝えていませんから」
 先生も昆布茶をひと口飲んで、息をついた。
「そうですね。僕もきちんと挨拶にお伺いしていません。しなければ、と思うことを、僕はあえて置いてますので」
「……」
「本来なら遊さんと暮らしていることを、きちんとご報告に上がらなければなりません。それを僕の勝手で放棄しています。このことで遊さんが心苦しい思いをしているのと分かっていながら、です。分かっていて、……この歳になるとどうしても、若いころのような踏ん切りはつきませんね」
 きみに不満はありますね、と、先生は私を正面から見て静かにおっしゃった。その通りでもあるし、けれどそんなに先生がおっしゃるほど気にすることでもない、と、私は首を横に振る。
「僕はもう、三十路です。することのいちいちに親の許可の必要な年齢ではありません。家を出て、自立して生活しているわけですから。その僕がどこで誰と暮らしていても、文句をいうような親や兄弟でもないです」
 先生は、かつて結婚されている時期があった。学生結婚だったと聞いている。お子さんもいらっしゃる。けれどその結婚生活は、先生いわく「お互いのだらしなさで」崩れたそうだ。過去の結婚生活について私はあれこれを先生に訊ねたことはない。先生がご自分から語られる範疇でしか知らない。けれど先生があまりその生活を快く思っていなくて、かつ、心理的な傷であるかのような顔をされるのが、辛かった。
 先生は、ご自分のことを語るときに、たまに「きみのような若い子にいい年齢の者が手出しして」と苦しそうにおっしゃることがある。
 いま、私と先生は、とても穏やかに、充足して暮らしている。それだけで充分ではないかと私は思っている。こんな生活を、たとえば私と同年代のほかの人間が、得られているものだろうか? 私は充分すぎるほど幸福だ。だから先生のおっしゃるようにはけじめをつけなくてもいいと思っているし、「手出し」は心苦しく思ってほしくないなと思っている。
「どうしますか?」と先生は訊ねられた。
「遊さんが決めていい話です。断るのも、しばらく僕だけホテル住まいするのも、遊さんが考えるようにしてください」
「先生を追い出してまで甥っ子預かるなんて、嫌に決まってます。兄には同居人がいることを伝えます。それでもいいならおいで、という話で、いいですか?」
「もちろん構いませんよ」
 先生はそっと笑みをつくり、「食べましょうか」と食事の続きを促した。

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 八束の視線と発言に気づいた静穏が、「ああ」と顔を寄せた。
「昨日まで塗装をしていたから、塗料が染み込んじゃったんだな。嵐から使わなくなった古い油絵具をたくさん譲ってもらって」
「油絵具、を塗装に、ということ?」
「見る?」
 手を取りなおされ、引っ張られて倉庫の作業スペースへと進む。藍川の元から帰って来て以降ゆっくりとだが彫刻の制作を進められるようになった静穏の作業スペースは、前とは違い、「整然と」していたものが「雑然と」するようになった。道具の類は片付けるが、作品も構想のスケッチも素材もあらゆるものが置かれたり貼られたりしている。前のように整理整頓されたスペースでこじんまりと作業をしていた静穏も好きだったが、いまのようにものの溢れるスペースもとても好きだと思う。
 そこには一体の彫刻があった。材質は木。男性とも女性とも表せない実物大の人物像で、とても薄い衣類を身にまとい、それが風に翻っている。髪もなびき、その髪や手はごく薄い昆虫の羽根に変化していた。そしてその彫刻は、足元から胸のあたりまでが、青とも緑ともつかぬ複雑な色あいに染まっている。色はぼかすように淡いが、そのはかなさが美しい彫刻だった。
 その彫刻からは、あの匂いが漂っている。
「確かにこの匂いだ。この彫刻と同じ匂いを嗅いだんだ。なんだろう、って」
「もうちょっと色あいは変わって来ると思う。塗って擦り込んだばっかりだから。乾けば匂いもだいぶとれるはず。でもよっぽど古い絵の具だったらしくて、絞り出したら顔料と油が分離していたから大変だった」
「……彫刻の塗装に、油絵具を使うのか……」
「使うよ。だって木製の食器に椿油とかくるみ油とかオリーブオイルを塗ったりして手入れするだろう。食品に合うようにそういう油を使ってるだけで、くちにしないから油絵具でも問題ない。むしろいい色合いに仕上がるよ」
 塗装に使ったと思われるぼろ布が彫刻の足元にまとめられていた。それをひとつ取る。昨夜散々嗅いだから、静穏との行為を思い出すような仄暗い官能の匂いになってしまった。芸術にとって不埒だと思いながら、こっそり笑う。
「先方からの返事待ちって、この作品?」
「とか、この辺りの。そろそろまとめて見に来ると思うんだけど、日程調整中らしい」
「展示だろ? 今度はどこでやるんだ?」
「来る?」
「どこだって行くよ。個展? 画廊? 美術館?」
「…………ギャラリーでグループ展、予定では」
「へえ。どこだ?」
 静穏は答えずに作業台の上で書類をいじっている。その背中に「どこだよ」と問いを重ねると、す、と一枚のポストカードが差し出された。
 それは日本語でもなく、英語でもなかった。
「ミュンヘンのギャラリーで、日本人作家の合同展をやる、そういう企画なんだ。それに参加、出来るんだと思う。それを送ってくれたのは、そこのギャラリーのオーナーだよ。おれの作品を見てぜひ、と書いてある……らしい。おれは読めない」
「ミュンヘン、……」
「日本の画廊挟んで向こうの人も視察に来たいと言ってるとかで、だから日程調整に時間がかかってる。八束さ、本当にミュンヘンまで行く?」
 静穏は髪をがりがりと掻いた。照れ隠しだと分かる。耳を引っ張って顔をこちらに向けさせると、目元は緩んでいて、柔和な顔があった。
 この人は行くんだ、と分かった。
「そのまま久しぶりにあっちの色々まわってこようと思ってて。ドイツは学生時代以来だな。まあ、展示が決まれば、の話だけど」
「行く」
「え?」
「僕も行く。無理やり行く。全行程を一緒には難しいかもしれないけど。案内しろよ、あっちの『色々』」
「本当に?」
「僕はパスポートの申請しなおしだ。期限が切れてる。早急にやろう」
「まだ決まってないよ」
 居住スペースまで戻って来て、コーヒーを入れなおして飲んだ。
「――あ、あと」
「ん?」
「決まれば、ミュンヘンには『八束』のどれかもつれてくと思う」
「――ふっ」
 静穏の言う「八束」とは、八束をモデルに制作した作品だ。もういくつかあって、シリーズ化してしまっているので、コレクターの手元に渡ったものもある。静穏はこのシリーズを「ファンタジスタ」と題した。
 一体は、八束が所有している。静穏がはじめて作った八束の裸像は、八束が身体をまるめて横たわっているもので、それは置き場所の都合で、この倉庫の一室でいまも寝ていることだろう。
 静穏の手で新しく産まれ直して、静かに眠っているはずだ。
「じゃあ僕は有休をまるっと消化する日のためにいまはばりばり働こう」
「うん」
「さっきの作品のタイトルは?」
 風のなびく、静穏らしい緻密で繊細な像だった。静穏はそっと笑い、「羽化」と答えた。
「うまれなおすこと」
 そう、添えた。

end.


← 中編


番外編まで含めてお付き合いをいただきありがとうございました。
明日は更新をお休みして、三月から短編をいくつか更新しますので、また遊びにいらしてください。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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