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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 バター、砂糖、小麦粉に、卵。牛乳、チョコレート、ナッツに、シナモン。生クリーム、クリームチーズ、レモン、リキュール、ココアパウダー。バナナ、グレープフルーツ、りんご、栗。
 なんかそういうものを一気に買い込む。重たいから、免許を取得して以降は車をつかうようになった。そして前日までに片付けておいた冷蔵庫やオーブンをフルにつかって、一日じゅう菓子作りに明け暮れる。ガトーショコラ、アイスボックスクッキー、アップルパイ、栗の甘露煮、バナナブレッド。
 散々出てくる菓子を消費するのは大人もそうだったけれど、主には子どもたちだった。要するに姉や兄の子どもたち。私の甥っ子や姪っ子たち。まだ年若い叔父のことを彼らは「ゆうちゃん」と呼んだ。ゆうちゃんこれ食べていいの? ゆうちゃんお菓子まだ? ゆうちゃん、ゆうちゃん、ゆうちゃん。
 長兄の末っ子のヒロは、当時まだ小学生だった。幼なじみのテンちゃんという子とよく遊んでいて、ふたりはいつも一緒だった。そしておやつをねだりに来るのもまた、ふたり一緒だった。
 ――ゆうちゃん、おれとテンちゃんにお菓子ちょうだい。
 ばかみたいに一日通して菓子を作るのは、私にとってストレス発散の意味あいだった。それを食べることまではあまりセットで考えていなかった。ただ自分が手を動かした結果、世にも魅力的なきらきらしたあまいものが出来あがる、ということが、快感だったのだ。
 ――ゆうちゃん、今日はなに?
 あれから十年経って、私はとっくに家を出た。三十路かあ、と自分の年齢を顧みて苦笑いする。道理で色々と億劫になったものだ。先生はそれでも私を「若い若い、これから」とおっしゃるけれど、そうは言ってもさ、と思う。
 家を出て以降まったく会わなかったヒロと、十年ぶりに再会することになった。ちっちゃくて足元をうろちょろしていたのが大学受験だというのだから、年月っておそろしいよね。

 ◇

 先生は、大学で教鞭を取っておられる。
 食の細い方で、痩身で、形容するなら「長い」だと思う。手足も、身長も、上下に長い。厚みのない身体は、夏でも長袖をお召しになる。秋ならベストが足されて、冬ならセーターが重なる。春はジャケットを着ておられることが多い。
 食事の一切を、先生が作られる。私は手出しをしても、食器を出すとか、下げるとか、その程度だ。先生の作る料理は、とても美味しい。和食が中心で、質素で淡白だけれど静かにひたひたと私を満たす。おかげで私は先生と暮らしはじめてから健康診断に引っかかったことがない。
 一昨年の冬に庭の土をおこして、ちいさな畑を作った。家庭菜園の類を出ないけれど、これは私がやりたくてやっている。私の仕事は在宅のイラストレーターだ。机やモニターに向かうことが多いので、こうやって庭に出る機会は、私を頑固な肩こりから解放してくれる。
 収穫した野菜を、先生はとても丁寧に食事に仕立ててくださる。今年はミニトマトの出来が良くて、たくさん取れた。先生はそれを夏の日差しに当てて乾かし、上手に貯蔵した。それらが冬のこの時期でもたまに食卓にのぼることがあるから、私はとても満足する。
 その日の晩ご飯の一品に上がったのは、ドライトマトを千切りの生姜とだし醤油、ごま油で和えた一品だった。
「これ、美味しいですね。お酒が欲しくなります」
「遊(ゆう)さんが夏に収穫したトマトですよ。お酒、飲みますか?」と先生はゆったり訊ねられる。
「いえ、僕はすぐ寝てしまいますから」
「明日も忙しいのですか?」
「甥っ子がうちに来たいと言っていて、その前に片付けたい締め切りがどうしてもあるので」
 あ、これ先生にちゃんと伝えてなかった。私は先生の淹れてくださった昆布茶をひと口飲んで、「すみません、相談なんですけど」と申し出る。
「僕の田舎にいる甥っ子が、この冬は大学受験なんです。こっちの大学を受けたいそうです。公立と私立と受けるみたいなんですけど、試験のあいだ面倒見てくれないかと、兄からお願いされてまして」
「そんなに大きな甥ごさんがいたんですね」
「僕は兄や姉とは歳が離れているので、年ごろの甥っ子や姪っ子はたくさんいるんですよ」
 先生は、ふふ、とほっくり笑った。
「僕はかまいませんよ。ここはきみの家でもあるんですから。和室がひと間あいてましたね。そこなんか、いいんじゃないでしょうか。居間と離れますから、静かに勉強に励めるでしょう」
「ありがとうございます。じゃあ。兄に連絡しておきます」
 そう言いつつ、スマートフォンを握る指が止まった。
「あー、でも、でも先生。やっぱり甥っ子を預かるのは、ちょっと」
「問題がありますか?」
「僕がここで古い一軒家で暮らしている、ということは、家族には伝えてあります。でもそこに先生がいらっしゃる、先生と暮らしている、ということは、伝えていませんから」
 先生も昆布茶をひと口飲んで、息をついた。
「そうですね。僕もきちんと挨拶にお伺いしていません。しなければ、と思うことを、僕はあえて置いてますので」
「……」
「本来なら遊さんと暮らしていることを、きちんとご報告に上がらなければなりません。それを僕の勝手で放棄しています。このことで遊さんが心苦しい思いをしているのと分かっていながら、です。分かっていて、……この歳になるとどうしても、若いころのような踏ん切りはつきませんね」
 きみに不満はありますね、と、先生は私を正面から見て静かにおっしゃった。その通りでもあるし、けれどそんなに先生がおっしゃるほど気にすることでもない、と、私は首を横に振る。
「僕はもう、三十路です。することのいちいちに親の許可の必要な年齢ではありません。家を出て、自立して生活しているわけですから。その僕がどこで誰と暮らしていても、文句をいうような親や兄弟でもないです」
 先生は、かつて結婚されている時期があった。学生結婚だったと聞いている。お子さんもいらっしゃる。けれどその結婚生活は、先生いわく「お互いのだらしなさで」崩れたそうだ。過去の結婚生活について私はあれこれを先生に訊ねたことはない。先生がご自分から語られる範疇でしか知らない。けれど先生があまりその生活を快く思っていなくて、かつ、心理的な傷であるかのような顔をされるのが、辛かった。
 先生は、ご自分のことを語るときに、たまに「きみのような若い子にいい年齢の者が手出しして」と苦しそうにおっしゃることがある。
 いま、私と先生は、とても穏やかに、充足して暮らしている。それだけで充分ではないかと私は思っている。こんな生活を、たとえば私と同年代のほかの人間が、得られているものだろうか? 私は充分すぎるほど幸福だ。だから先生のおっしゃるようにはけじめをつけなくてもいいと思っているし、「手出し」は心苦しく思ってほしくないなと思っている。
「どうしますか?」と先生は訊ねられた。
「遊さんが決めていい話です。断るのも、しばらく僕だけホテル住まいするのも、遊さんが考えるようにしてください」
「先生を追い出してまで甥っ子預かるなんて、嫌に決まってます。兄には同居人がいることを伝えます。それでもいいならおいで、という話で、いいですか?」
「もちろん構いませんよ」
 先生はそっと笑みをつくり、「食べましょうか」と食事の続きを促した。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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