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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 八束の視線と発言に気づいた静穏が、「ああ」と顔を寄せた。
「昨日まで塗装をしていたから、塗料が染み込んじゃったんだな。嵐から使わなくなった古い油絵具をたくさん譲ってもらって」
「油絵具、を塗装に、ということ?」
「見る?」
 手を取りなおされ、引っ張られて倉庫の作業スペースへと進む。藍川の元から帰って来て以降ゆっくりとだが彫刻の制作を進められるようになった静穏の作業スペースは、前とは違い、「整然と」していたものが「雑然と」するようになった。道具の類は片付けるが、作品も構想のスケッチも素材もあらゆるものが置かれたり貼られたりしている。前のように整理整頓されたスペースでこじんまりと作業をしていた静穏も好きだったが、いまのようにものの溢れるスペースもとても好きだと思う。
 そこには一体の彫刻があった。材質は木。男性とも女性とも表せない実物大の人物像で、とても薄い衣類を身にまとい、それが風に翻っている。髪もなびき、その髪や手はごく薄い昆虫の羽根に変化していた。そしてその彫刻は、足元から胸のあたりまでが、青とも緑ともつかぬ複雑な色あいに染まっている。色はぼかすように淡いが、そのはかなさが美しい彫刻だった。
 その彫刻からは、あの匂いが漂っている。
「確かにこの匂いだ。この彫刻と同じ匂いを嗅いだんだ。なんだろう、って」
「もうちょっと色あいは変わって来ると思う。塗って擦り込んだばっかりだから。乾けば匂いもだいぶとれるはず。でもよっぽど古い絵の具だったらしくて、絞り出したら顔料と油が分離していたから大変だった」
「……彫刻の塗装に、油絵具を使うのか……」
「使うよ。だって木製の食器に椿油とかくるみ油とかオリーブオイルを塗ったりして手入れするだろう。食品に合うようにそういう油を使ってるだけで、くちにしないから油絵具でも問題ない。むしろいい色合いに仕上がるよ」
 塗装に使ったと思われるぼろ布が彫刻の足元にまとめられていた。それをひとつ取る。昨夜散々嗅いだから、静穏との行為を思い出すような仄暗い官能の匂いになってしまった。芸術にとって不埒だと思いながら、こっそり笑う。
「先方からの返事待ちって、この作品?」
「とか、この辺りの。そろそろまとめて見に来ると思うんだけど、日程調整中らしい」
「展示だろ? 今度はどこでやるんだ?」
「来る?」
「どこだって行くよ。個展? 画廊? 美術館?」
「…………ギャラリーでグループ展、予定では」
「へえ。どこだ?」
 静穏は答えずに作業台の上で書類をいじっている。その背中に「どこだよ」と問いを重ねると、す、と一枚のポストカードが差し出された。
 それは日本語でもなく、英語でもなかった。
「ミュンヘンのギャラリーで、日本人作家の合同展をやる、そういう企画なんだ。それに参加、出来るんだと思う。それを送ってくれたのは、そこのギャラリーのオーナーだよ。おれの作品を見てぜひ、と書いてある……らしい。おれは読めない」
「ミュンヘン、……」
「日本の画廊挟んで向こうの人も視察に来たいと言ってるとかで、だから日程調整に時間がかかってる。八束さ、本当にミュンヘンまで行く?」
 静穏は髪をがりがりと掻いた。照れ隠しだと分かる。耳を引っ張って顔をこちらに向けさせると、目元は緩んでいて、柔和な顔があった。
 この人は行くんだ、と分かった。
「そのまま久しぶりにあっちの色々まわってこようと思ってて。ドイツは学生時代以来だな。まあ、展示が決まれば、の話だけど」
「行く」
「え?」
「僕も行く。無理やり行く。全行程を一緒には難しいかもしれないけど。案内しろよ、あっちの『色々』」
「本当に?」
「僕はパスポートの申請しなおしだ。期限が切れてる。早急にやろう」
「まだ決まってないよ」
 居住スペースまで戻って来て、コーヒーを入れなおして飲んだ。
「――あ、あと」
「ん?」
「決まれば、ミュンヘンには『八束』のどれかもつれてくと思う」
「――ふっ」
 静穏の言う「八束」とは、八束をモデルに制作した作品だ。もういくつかあって、シリーズ化してしまっているので、コレクターの手元に渡ったものもある。静穏はこのシリーズを「ファンタジスタ」と題した。
 一体は、八束が所有している。静穏がはじめて作った八束の裸像は、八束が身体をまるめて横たわっているもので、それは置き場所の都合で、この倉庫の一室でいまも寝ていることだろう。
 静穏の手で新しく産まれ直して、静かに眠っているはずだ。
「じゃあ僕は有休をまるっと消化する日のためにいまはばりばり働こう」
「うん」
「さっきの作品のタイトルは?」
 風のなびく、静穏らしい緻密で繊細な像だった。静穏はそっと笑い、「羽化」と答えた。
「うまれなおすこと」
 そう、添えた。

end.


← 中編


番外編まで含めてお付き合いをいただきありがとうございました。
明日は更新をお休みして、三月から短編をいくつか更新しますので、また遊びにいらしてください。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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