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土はスカスカで乾いていた方が水を含む、といつか早が言っていたことを思い出した。
異国の言語もそういうものかな、と暁登は思う。飢えていた方が吸収する。いままで乾いてひび割れていた場所にひとたび水が落ちれば、それをあっという間に吸い込まれる。乾く前に次の水が欲しい。欲しい、欲しいと切実に欲しがっていたら、雨水は猛烈なスコールとなって暁登に降り注いだ。
いくら乾いていたとはいえ、ある程度の容量しか含むことは出来ない。そこへまだ水が注がれるなら、飽和する。いまの自分は多分そこにいるんだと暁登は想像した。飽和すれば、溢れ出す。どこへ溢れるのか。――体の内側に言語を留めておけなくなったのだ。つまり、言葉として勝手にこぼれる。
塩谷くん、と呼ばれて我に返る。昼過ぎにメールで届いた原稿を読みふけっていて時間を忘れていた。気付けば三時をまわっており、事務の川名がコーヒーを入れたカップを手に傍らにいた。
「休憩しましょうって社長が」
「――あ、悪い、集中して全然気付かなかった」
「何回も呼んだのに」
「ごめん。ありがとう」
カップを受け取ると菓子もまわってきた。個包装のそれの中身はレーズンとクリームを挟んだビスケットのようだ。今夜は樹生に会うので持っていってやろうかと考えて、やめた。包装を剥がしてビスケットを齧る。
「あ、美味い」
誰に聞かれても聞かれていなくてもどうでもいいようなひとり言のつもりだったが、隣の椅子に移動してきた川名が「でしょう?」と嬉しそうに答えた。
「お土産なんだから、それ」
「ああ、新婚旅行の。北海道だっけ」
「そう」
「せっかくなら海外に行けばよかったのに」
「いいんだよ、新婚旅行なんだから。見知らぬ海外行ってなにも分かんなくて苛ついて喧嘩したなんて思い出作るより、絶対にアタリだと分かってる場所で楽しい気分でいた方が」
そう言って川名はころころと笑う。カップを持つ手が揺れて、川名の左手薬指にはまった結婚指輪の存在を意識した。
川名柚葉(かわな ゆずは)は暁登の中学校時代の同級生だった。三年間同じクラスで、臨海学校やら修学旅行などの野外活動時に同じ班で行動もしたのでわりとよく覚えていた。高校から違ったが、暁登の再就職先であるこの「詩烏出版」に事務として雇われていて、再会となった。そしてこの冬の終わりに入籍し、隙を見て新婚旅行に行ったのがつい先週のことだ。
結婚したのだから姓が変わったのだが、本人は「手続きが面倒だから」と言って職場では当分は旧姓で通すという。かつての同級生同士、あれやこれやの全てを知っている訳ではないが、気心は知れている。成長期のお互いを知っているというだけだが、いちから説明しなくていい分、楽だ。気安く話せる人がひとりでもいると違うものだな、と暁登は川名の存在をありがたく思っている。
熱心になに読んでたの、と机に据え付けのデスクトップパソコンを川名が覗き込んでくる。暁登は椅子を下げてモニターを見やすいようにしてやった。
「――ああ、メイ先生の?」
「うん。原稿の翻訳。さっき届いて」
ふたりが勤めるこの詩烏出版は、絵本や図鑑、地域に関する本の出版がメインだが、海外の作家の本を翻訳して出すこともしている。国もジャンルも様々で、担当者が「この本」「この作家」と思ったものを見つけてはいち早く連絡を取り、出版にこぎつける。暁登はこのいわゆる「海外部門」に採用されているので、作家とのやり取りも他言語を使うことが多かった。
もっとも、作品の翻訳はプロに依頼している。暁登はただ仲介をして、編集をするだけだ。それでもやりがいを感じている。アルバイトで採用された身だが、留学の面倒を見てもらったばかりかその後正社員として雇ってもらえた時は、本当に嬉しかった。
いま暁登が担当しているのは、台湾出身の作家の書いた詩集だ。作家自身は親日家で、日本語に堪能なのでメールや電話のやり取りは苦労しない。ただ、原稿は中国語で書いている。受け取った原稿を翻訳家に渡し、その訳が戻ってきたところだった。
この作家は詩烏出版からすでに二冊、本を出している。今回は三作目だ。センシティブに見えて強かな詩は、地味ながらもじわじわと販売数を伸ばしている。今回の出版を心待ちにしているファンもいる。
翻訳家が示してきた日本語訳を読んでいると、原詩に目を通してみたい気持ちになった。これは毎回、どの国のどの作家に対しても思う。ウインドウをひらき直して中国語の詩と日本語訳とを比べて読んでいた。だから暁登のデスクトップにはいまいくつかの窓が開いていた。
今回は恋の歌が多い。作者がそういう恋をしているのかと錯覚するようだ。三作目にして、これは大きく当たるだろうな、という予感がしていた。ついのめり込んで読んでしまった自分がいるのだから、きっとそうだ。
川名が「これ知ってる」というので驚いて隣を振り返った。
「知ってる?」
「うん」
「え、それってちょっと」既に発表されているのだとしたら、大きな問題だ。
「ああ、そういうことじゃないの。この文章を読んだことがある、ってことじゃなくて、この表現を知ってる、ってこと。ここの意味が分かる、ってことかな。よく使う言い回しだから」
「そういうこと」単純にほっとする。
「川名さん、中国語が出来るんだ?」
「出来るってほど出来るわけじゃないよ。大学時の第二外国語で選択してただけ。ただまあ、こんな会社の事務とかしてますからねえ。言葉や言語に全く興味がないわけじゃないのよ」
「それもそうか」
「そうそう」
どこ、と彼女が「知ってる」と言った箇所を訊ねた。川名はマウスを動かし、その部分だけくるくるとデスクトップ上に円を描いた。
「なんて読むの?」
「xiǎng」
「あ? なに?」
「ふふ。この漢字は、xiǎng。ここはね、――」
そう言って川名は詩の一節を流暢に発音した。
→ 2
暁登が留学先から帰ってきたその後の話。
「秘密」番外編もこれでいったんラストの予定です。(5話ほど。)
最後までお付き合いください。
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甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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