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「夜鷹、カード届いた。ありがとう」
電話口でそう告げると、夜鷹は『いつも通りだろ』と冷笑した。
「いや、海外からクリスマスカードをもらったのがはじめてだったから、なんか嬉しくて。この星の写真、本当にすごいな」
『湖のほとりから見える星で、観光名所だとよ』
「夜鷹も見た?」
『おれは氷河の方が楽しかったけどね』
「そっちは夏なんだっけ」
『そう。だからクリスマス感がない。明るくて暑くて賑やかなクリスマスだよ』
冬休みを利用して南半球に短期留学に行っている夜鷹との電話は、長く話せるものではなかったけれど、嬉しかった。
実家からかけると母親の視線が刺さるので、駅前に設置された国際通話の可能な公衆電話からかけていた。寒くて凍えるが、夜鷹の声が耳に吹き込まれてそこだけ熱い。
「でもこうやって話してると、夜鷹がどこにいても変わんない」
そう言うと、夜鷹は不機嫌そうに『あ?』と返事をした。
「東京にいても、南半球に行ってても、離れてることには変わりないから」
『じゃあ月にいても火星にいても変わんねえってことだな』
「そうかもしれない」
傍にいないから、意味がない。
「夜鷹」
淋しい、と口にしかけて、とどまる。同じ日本の中にいても感じるこの感情が、もっと離れるいまの距離を超えるわけがない。怖くて言える台詞ではなかった。
「……早く大学生になりたい」
『あと二年ちょっと頑張れ』
「ロケット乗ったら宇宙に出られるまで十分かかんないんだよ。二年あったら火星に行って帰って来られる」
『じゃあ火星まで往復して』
ププ、と雑音が入る。
『旅の終着地点で落ち会おうぜ、青』
ブーとブザーが鳴り、電話は切れた。
電話口でそう告げると、夜鷹は『いつも通りだろ』と冷笑した。
「いや、海外からクリスマスカードをもらったのがはじめてだったから、なんか嬉しくて。この星の写真、本当にすごいな」
『湖のほとりから見える星で、観光名所だとよ』
「夜鷹も見た?」
『おれは氷河の方が楽しかったけどね』
「そっちは夏なんだっけ」
『そう。だからクリスマス感がない。明るくて暑くて賑やかなクリスマスだよ』
冬休みを利用して南半球に短期留学に行っている夜鷹との電話は、長く話せるものではなかったけれど、嬉しかった。
実家からかけると母親の視線が刺さるので、駅前に設置された国際通話の可能な公衆電話からかけていた。寒くて凍えるが、夜鷹の声が耳に吹き込まれてそこだけ熱い。
「でもこうやって話してると、夜鷹がどこにいても変わんない」
そう言うと、夜鷹は不機嫌そうに『あ?』と返事をした。
「東京にいても、南半球に行ってても、離れてることには変わりないから」
『じゃあ月にいても火星にいても変わんねえってことだな』
「そうかもしれない」
傍にいないから、意味がない。
「夜鷹」
淋しい、と口にしかけて、とどまる。同じ日本の中にいても感じるこの感情が、もっと離れるいまの距離を超えるわけがない。怖くて言える台詞ではなかった。
「……早く大学生になりたい」
『あと二年ちょっと頑張れ』
「ロケット乗ったら宇宙に出られるまで十分かかんないんだよ。二年あったら火星に行って帰って来られる」
『じゃあ火星まで往復して』
ププ、と雑音が入る。
『旅の終着地点で落ち会おうぜ、青』
ブーとブザーが鳴り、電話は切れた。
朝のぼやけた光がカーテンの隙間から差し込んでいた。青の隣で眠る夜鷹の、眼鏡を外した寝顔を眺める。髪の分け目が崩れていくらか若く見えた。銃創をなぞってから肩先までしっかりと毛布をかけてやってベッドから抜け出る。冷気を感じて慌てて服を着た。暖房を入れ、朝食の支度を簡単に済ませて、日課のランニングに出る。
街は年末で、早朝でも人がせかせかと行き来をする。とはいえどこも仕事納めを迎えているようで、あからさまなスーツ姿は見かけなくなった。一定のスピードを保つことを心がけて小一時間ばかり走り、マンションに戻る。夜鷹は起きて、洗い髪のまま青がボトルに用意した紅茶を飲んでいた。
「morning」
「髪、ちゃんと乾かせ」
滴が毛先に溜まる髪をタオルで拭う。首筋に垂れた水気も拭き取る。夜鷹の着ていたのは今日青が着ようと思って出しておいたネイビーのセーターで、夜鷹にはややオーバーサイズだった。苦笑する。
青もシャワーを浴び、別の着替えを引っ張り出してダイニングに戻る。向かい合って朝食を取りながら、「今日どうする?」と夜鷹に訊ねる。
「実家帰るか? 大晦日だし」
「おまえと一緒でいいよ」
「買い出しで終わるぞ」
「買い出しが終われば?」
「掃除はあらかた済んでるから、寝正月の準備だな」
「いいプランじゃないか。さっさと買い出し済まして飲んだくれようぜ。クリスマスに飲まなかったワインが残ってる」
そう言って夜鷹は両面焼きの目玉焼きの半分を口に放り込んだ。青もスープを口にする。
夜鷹の黒い髪、黒い眼鏡、黒い目。日焼けを知っているはずなのにいつも白い肌。青が着るはずだった青いセーター。手首の骨。指先に嵌まる黒っぽいリング。昨夜、青が誤って引っ掻いた手の甲のみみず腫れ。何度も噛み付いた喉から肩。舌先で辿った身体の盛り上がり、あるいは窪み。
火星までの距離を何往復も繰り返して、ようやく夜鷹は青の傍にいる。また行ってしまう日は来るが、それでも青の元へ戻ってくる。
繰り返し夜鷹は出掛け、戻る。青のいるところへ帰る。
青はその度安堵し、やすらぎ、悲しみ、淋しがり、自棄になり、孤独を味わう。
それを何度も何度も、分かっていながら突きつけられる。夜鷹に言わせればこれは青だけの痛みであり、青だけが味わえる特権だ。
青が青として生きているからこそ感じることの出来る唯一無二の絶望には、どこか淡い光が灯っていて、青は噛み締めて縋る。
「買い出し、なに買うんだ」と夜鷹は訊いた。
「正月に困らない程度の食料と酒。あと年越し蕎麦。餅はいいんだけど、小さい松飾りは買おうと思ってる」
「うにと蟹とあわびと伊勢海老とA5ランクの和牛も買って」
「おまえも金を出せ」
「あとローション終わっただろ、昨夜」
「人の話を聞いてくれ」
「除夜の鐘聞きながらやりまくる予定だからないと困る」
「煩悩吹き消されたら夜鷹とセックスなんかできないよ」
「お、なんだやる気あんじゃん」
向かいから伸びた夜鷹の足が膝の上にためらいなく乗る。行儀の悪い爪先を手で払う。
「朝だから」とたしなめるも、向かいの男はにやにやと笑うだけだ。
「紅白の勝敗賭けて、負けた方がボトムになるってのは?」
「賭けない」
「じゃあ顔射できる」
「夜鷹、朝だから」
「アダルトグッズ買ってみるのは?」
「夜鷹」
「上品ぶったってやることやってんだからいまさらだよ、青」
返す言葉がなくて黙る。
「おまえのことだから二年参り行きます、とか言いそうだったんだがな」
「混雑が嫌で初詣はいつも三が日をずらして行くんだ」
「ああ、おまえらしい。混んでるから行かないっていう選択をしない辺りが非常に」
「おれはおれでしかいられないらしいからな。夜鷹の理論だと」
「おれの理論じゃねえ。この世の物理だ」
食後の紅茶を飲んで、夜鷹は息をついた。
「来年の願い事は?」
にやりと笑って訊かれるから、「健康」と言葉を濁した。もうだいぶ、思う通りに結構叶ったとは言わないでおく。
end.
← 中編
あと数日更新します。
街は年末で、早朝でも人がせかせかと行き来をする。とはいえどこも仕事納めを迎えているようで、あからさまなスーツ姿は見かけなくなった。一定のスピードを保つことを心がけて小一時間ばかり走り、マンションに戻る。夜鷹は起きて、洗い髪のまま青がボトルに用意した紅茶を飲んでいた。
「morning」
「髪、ちゃんと乾かせ」
滴が毛先に溜まる髪をタオルで拭う。首筋に垂れた水気も拭き取る。夜鷹の着ていたのは今日青が着ようと思って出しておいたネイビーのセーターで、夜鷹にはややオーバーサイズだった。苦笑する。
青もシャワーを浴び、別の着替えを引っ張り出してダイニングに戻る。向かい合って朝食を取りながら、「今日どうする?」と夜鷹に訊ねる。
「実家帰るか? 大晦日だし」
「おまえと一緒でいいよ」
「買い出しで終わるぞ」
「買い出しが終われば?」
「掃除はあらかた済んでるから、寝正月の準備だな」
「いいプランじゃないか。さっさと買い出し済まして飲んだくれようぜ。クリスマスに飲まなかったワインが残ってる」
そう言って夜鷹は両面焼きの目玉焼きの半分を口に放り込んだ。青もスープを口にする。
夜鷹の黒い髪、黒い眼鏡、黒い目。日焼けを知っているはずなのにいつも白い肌。青が着るはずだった青いセーター。手首の骨。指先に嵌まる黒っぽいリング。昨夜、青が誤って引っ掻いた手の甲のみみず腫れ。何度も噛み付いた喉から肩。舌先で辿った身体の盛り上がり、あるいは窪み。
火星までの距離を何往復も繰り返して、ようやく夜鷹は青の傍にいる。また行ってしまう日は来るが、それでも青の元へ戻ってくる。
繰り返し夜鷹は出掛け、戻る。青のいるところへ帰る。
青はその度安堵し、やすらぎ、悲しみ、淋しがり、自棄になり、孤独を味わう。
それを何度も何度も、分かっていながら突きつけられる。夜鷹に言わせればこれは青だけの痛みであり、青だけが味わえる特権だ。
青が青として生きているからこそ感じることの出来る唯一無二の絶望には、どこか淡い光が灯っていて、青は噛み締めて縋る。
「買い出し、なに買うんだ」と夜鷹は訊いた。
「正月に困らない程度の食料と酒。あと年越し蕎麦。餅はいいんだけど、小さい松飾りは買おうと思ってる」
「うにと蟹とあわびと伊勢海老とA5ランクの和牛も買って」
「おまえも金を出せ」
「あとローション終わっただろ、昨夜」
「人の話を聞いてくれ」
「除夜の鐘聞きながらやりまくる予定だからないと困る」
「煩悩吹き消されたら夜鷹とセックスなんかできないよ」
「お、なんだやる気あんじゃん」
向かいから伸びた夜鷹の足が膝の上にためらいなく乗る。行儀の悪い爪先を手で払う。
「朝だから」とたしなめるも、向かいの男はにやにやと笑うだけだ。
「紅白の勝敗賭けて、負けた方がボトムになるってのは?」
「賭けない」
「じゃあ顔射できる」
「夜鷹、朝だから」
「アダルトグッズ買ってみるのは?」
「夜鷹」
「上品ぶったってやることやってんだからいまさらだよ、青」
返す言葉がなくて黙る。
「おまえのことだから二年参り行きます、とか言いそうだったんだがな」
「混雑が嫌で初詣はいつも三が日をずらして行くんだ」
「ああ、おまえらしい。混んでるから行かないっていう選択をしない辺りが非常に」
「おれはおれでしかいられないらしいからな。夜鷹の理論だと」
「おれの理論じゃねえ。この世の物理だ」
食後の紅茶を飲んで、夜鷹は息をついた。
「来年の願い事は?」
にやりと笑って訊かれるから、「健康」と言葉を濁した。もうだいぶ、思う通りに結構叶ったとは言わないでおく。
end.
← 中編
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寒いような気がして身体を縮こめる。と、頭の下にしているものが蠢いた気がして驚いて目を開ける。開けた目に飛び込んできたのは片手にタブレットを持ってなにかに読みふけっている夜鷹の顔だった。青に気づき、「よぉ、お目覚めか?」とにやりと笑った。
「夜鷹? いつ帰って来た?」
「一昨日から帰国してるだろ」
「違う。さっきおじさんと買い出しに行くって出てって」
「とっくに済んだけど。おまえ、よく寝てて全然起きなかったな。親父とおふくろは出ちまった」
「もうそんな時間か?」
時計を確認しようと起き上がりかけ、タブレットの背面で軽く小突かれて大人しく元の体勢に戻る。クリスマス休暇で帰国した夜鷹に会いに、昨夜から夜鷹の実家に来ていた。間もなく居住をイタリアに移す予定の夜鷹の両親は、買い出しに出かけた後にクリスマスコンサートに出かけるのだと昼間話していたことを思い出す。混声合唱とパイプオルガンのコンサートで、開演は夜七時。夜鷹たちが買い出しに出かける際に眠いから休んでいると言って夜鷹の部屋のベッドに横になったのが午後二時過ぎだったと記憶している。春からはここに暮らす予定の気安い家とは言え、人の家で眠りすぎだ。
「疲れてるんだろ。休みなんだから寝てな」と夜鷹はタブレットにまた視線を戻した。
「……全く気づかなかった」
「なにが?」
「サービス」
目を閉じ、夜鷹の腹に頭を擦り付けるように揺らす。夜鷹のベッドに横になり、夜鷹の使う枕を下にしていたはずだった。だがいま青の頭が乗っているのは、夜鷹の膝の上だ。
いつの間に夜鷹がやって来て、青に膝枕なんかしてくれたのか、全く記憶にない。普通、頭の位置を動かされたら起きるだろう。起きなくても気づきそうな気はする。
夜鷹は空いている方の手で青の額を覆い、髪を梳く。「プレゼントの間違いだ」とタブレットから目を離さぬまま言った。
「クリスマスだから?」
「あんまりにもよく寝てるいい子だったもんでついな」
「夢見てた。中二の冬の夢」
「夢精でもして慌てた夢か」
「なに読んでる?」
「最近出た論文。読んでやろうか」
「英語? 英訳?」
「either will do」
「また寝そうだな……」
「おまえ、会話のコントロールができてないよ。もうちょっとで読み終わるからいい子にしてな」
ぽん、ぽん、と目元を手ですっぽりと覆われた。目蓋の上に硬いものが当たっている。青がプレゼントした指輪を嵌めている左手。
「悪い子にプレゼントは?」と訊ねる。夜鷹の手を外した。
「――あとちょっとだから寝てろって」
「眠いんだけど寝たくない……セックスがしたい、」
「寝てるいい子のお顔にぶっかけてやるよ」
「夜鷹ぁ」
「てかさ」
夜鷹は面倒くさそうにタブレットを置き、眉間を揉んだ。
「そのうち親父たち帰ってくるから」
「分かってる。悪い子だからごねてるだけだ」
「明日また仕事だろ」
青の髪をといて、夜鷹は珍しくいたわる口調だった。
「眠い時は寝とけよ。昨夜だって親父たちいない隙にやろうとしておまえ無理だったじゃん。疲れて眠すぎて」
「仕事納めまで毎年こんな感じなんだけど、今年はいろんなもののしわ寄せがぎゅっと年末に、圧縮されて、密度が」
ふあ、とあくびが出た。
「そういう時もある。気にすんな。休暇は年始まで取った。おまえだってじきに正月休みだろ」
「夜鷹、このセーターって大学の頃に着てなかった?」
「さすが眠いだけあるな。さっきから行方知れずになってるぞ、話が」
青は身体を丸め、夜鷹の腰に腕を巻きつけてぎゅっとしがみつく。
「夜鷹と飲むつもりでスパークリングワインとチーズを用意してた」
「クリスマスだから?」
「クリスマスだから」
「あとでおれが飲んどいてやるから心配すんな」
「腹減った、けど、眠い……したい、」
「素直な欲求まみれのいい子だね」
頭を撫でられる。夜鷹の腰に顔を押しつけたまま、うっとりと目を閉じる。眠りが耳元でシャンシャンと鳴っている。眠ったら冬の夜鷹は夢になりそうで嫌だ。でもそもそもこれも夢なのかもしれない。
だって夜鷹とまともに過ごした冬など、大学時代の数える程度でしかないから。
夜鷹のまとっているセーターからは古い羊毛の匂いがした。やっぱりそうだな、と大学時代を思い出す。ものがいいからと、父親からのお下がりである臙脂色のこのセーターを着ていた青年期の夜鷹。
よく似合っていた。
← 前編
→ 後編
a song of cold morning
「さぁむ!」
屋内で準備体操を済ませ、いつものトレーニングメニューである校外マラソンに入る直前、智美が大きな声を出した。一際強い風が吹いたときで、ジャージの上着を羽織っているとは言え、皆が凍えていた。もっと身体が温まればましになるが、それでもこの時期の身体の動かしはじめ、特に屋外での練習は、辛い。
幼なじみの背を軽く叩き、「さっさと走ってあったまろう」と言ったが、寒さの大嫌いな智美は校舎の二階へと目を向けた。音楽室のある棟で、様々な楽器の音が漏れ聞こえている。
「屋内のやつらはいいよなー」とぼやく。
「吹奏楽部のことか?」
「うーん、文化部全般」
「掛け持ちでもする? あ、声楽部で男子部員募集してたよな。部長の子が声かけてて」
「あー、秋の文化祭で三年が抜けたから、混声が女声になっちゃったって喚いてたな」
校舎から視線を外し、陸上部の部長に戻す。これから学校の周囲を走るのでばらけて走るな、車には気を付けろ、歩行者にも気を付けろ、といったお決まりの注意事項を述べている。
「だめだよおれ、音痴だもん。文化部って声楽だろ? 吹部だろ? 美術部と、あとなんかあった?」
「文化部に限らなくても屋内スポーツに転向すんのは? 剣道部とかさ、胴着がもこもこしてるし、武装するし、あったかそうじゃん」
「だめ。真冬の剣道場であいつら素足だから」
「ああ、そうか。じゃあシューズ必須の、バスケ部とか、バレー部とか」
「せいちゃんならどっちもいけそうだけど、おれちびっこだしなあ」
智美は自分の背を気にした。青と並ぶと智美の背は青の肩までしかない。青が伸びすぎただけで智美は標準的な身長なのだが、気にしている。
(夏の夜鷹はもう少し小さかった。背、伸びたかな)
走りながら、青は回想する。今年のサマースクールはA県で行われたものに参加した。二週間弱を濃密に過ごしたが、夏はとうに終わってしまっていて、どんなにじれったくても電話か手紙程度でしか交流できない。自由のきかない中学二年生という年齢が恨めしい。いや、夜鷹はかなり自由っぽいけどな。
早く夏休みが来ればいい。冬の夜鷹を知らないままで、クリスマスなんか来てもちっとも面白くない。
走り込んで身体は温まっても、指先はかじかんでいた。隣で智美は自身の指に息を吹きかけた。白い吐息が身体の後ろへと流れる。
「あーっ、さみっ。耳切れそう。なんで練習中の手袋も耳当ても帽子も禁止なんだよ、この部っ」
「それ言ったら学校の校風がそうだろ。男子の頭髪は眉毛の上何センチとかさ。陸部なんかまだぬるい方だって。野球部なんかやばいよな。頭丸刈りだし、お礼清掃とか言って裸足で廊下の雑巾掛けしてるよ」
「ああ、野球部はやべえよな。部活の最後に絶対に大声で校歌歌うし」
「あれ聴いて野球部からは勧誘しないって、声楽部の部長が宣言してた」
陸上部ははじめのストレッチと校外ランニングだけメニューを同じにして、あとは個別の練習メニューになる。ランニングの最後はなんとなく皆ペースを上げて猛ダッシュで走り切る。校舎の門をくぐる寸前、近くの交差点で信号待ちをしている学ラン姿の背中を見てぎくりとした。黒縁の眼鏡の弦が見えて、夜鷹に少し似ていた。
「でも野球部は女マネがいてかわいいからそこはうらやまっ!」
叫びながら智美は敷地内へと飛び込んだ。ぜいぜいと荒く息を吐き、肩をぐるぐるとまわしながら「あったまったぁー」と空を向く。
「うお、さみぃと思ったら」
北風に乗ってちらちらと舞うものがあった。青も空を見上げる。
「今年はホワイトクリスマスになっかなー?」
「トモは今年の冬休みもスキー行くの?」
「おう、行く。いとこの家からスキー場近いし。せいちゃんは、あー、冬はないんだっけ。その、なんとかスクール」
「ないことないけど、夏休みより講座数はないな。冬休みって短いし」
「どっか行かねえの?」
「うーん、母さんがあんまりいい顔しないんだ」
「おばさん厳しそうだもんなあ」
幼なじみはけらけらと軽く笑った。白い歯が見えた。
「行くならどこ行きたい?」
「え?」
「冬休みにさ。行きてえとことか。やってみたいこととか」
そこで号令がかかって集合になり、会話は止まった。これから個別のメニューになるので、智美とも場所が離れる。
行きたいところなんか、ひとつしか思い浮かばなかった。東京へ。夜鷹の暮らす街へ。夜鷹の顔を見て、直接声を聞いて、隣り合った席で真剣に学習したり、あるいは口悪く笑われたり。
「じゃあ、せいちゃんあとで。帰りにコンビニ寄ろうぜ。肉まん気分」
「いいよ」
手を振って智美はグラウンドの端へと歩いて行った。短距離選手の智美はスタートダッシュの練習をするし、中・長距離選手の青はこれからフォームを直しつつひたすら走り込む。
青は空を見上げる。鈍い灰色の雲が重い。夜鷹、東京の空っていまどうなってる? 雪っていつ降る?
いまなにしてる?
夜鷹。
→ 中編
「さぁむ!」
屋内で準備体操を済ませ、いつものトレーニングメニューである校外マラソンに入る直前、智美が大きな声を出した。一際強い風が吹いたときで、ジャージの上着を羽織っているとは言え、皆が凍えていた。もっと身体が温まればましになるが、それでもこの時期の身体の動かしはじめ、特に屋外での練習は、辛い。
幼なじみの背を軽く叩き、「さっさと走ってあったまろう」と言ったが、寒さの大嫌いな智美は校舎の二階へと目を向けた。音楽室のある棟で、様々な楽器の音が漏れ聞こえている。
「屋内のやつらはいいよなー」とぼやく。
「吹奏楽部のことか?」
「うーん、文化部全般」
「掛け持ちでもする? あ、声楽部で男子部員募集してたよな。部長の子が声かけてて」
「あー、秋の文化祭で三年が抜けたから、混声が女声になっちゃったって喚いてたな」
校舎から視線を外し、陸上部の部長に戻す。これから学校の周囲を走るのでばらけて走るな、車には気を付けろ、歩行者にも気を付けろ、といったお決まりの注意事項を述べている。
「だめだよおれ、音痴だもん。文化部って声楽だろ? 吹部だろ? 美術部と、あとなんかあった?」
「文化部に限らなくても屋内スポーツに転向すんのは? 剣道部とかさ、胴着がもこもこしてるし、武装するし、あったかそうじゃん」
「だめ。真冬の剣道場であいつら素足だから」
「ああ、そうか。じゃあシューズ必須の、バスケ部とか、バレー部とか」
「せいちゃんならどっちもいけそうだけど、おれちびっこだしなあ」
智美は自分の背を気にした。青と並ぶと智美の背は青の肩までしかない。青が伸びすぎただけで智美は標準的な身長なのだが、気にしている。
(夏の夜鷹はもう少し小さかった。背、伸びたかな)
走りながら、青は回想する。今年のサマースクールはA県で行われたものに参加した。二週間弱を濃密に過ごしたが、夏はとうに終わってしまっていて、どんなにじれったくても電話か手紙程度でしか交流できない。自由のきかない中学二年生という年齢が恨めしい。いや、夜鷹はかなり自由っぽいけどな。
早く夏休みが来ればいい。冬の夜鷹を知らないままで、クリスマスなんか来てもちっとも面白くない。
走り込んで身体は温まっても、指先はかじかんでいた。隣で智美は自身の指に息を吹きかけた。白い吐息が身体の後ろへと流れる。
「あーっ、さみっ。耳切れそう。なんで練習中の手袋も耳当ても帽子も禁止なんだよ、この部っ」
「それ言ったら学校の校風がそうだろ。男子の頭髪は眉毛の上何センチとかさ。陸部なんかまだぬるい方だって。野球部なんかやばいよな。頭丸刈りだし、お礼清掃とか言って裸足で廊下の雑巾掛けしてるよ」
「ああ、野球部はやべえよな。部活の最後に絶対に大声で校歌歌うし」
「あれ聴いて野球部からは勧誘しないって、声楽部の部長が宣言してた」
陸上部ははじめのストレッチと校外ランニングだけメニューを同じにして、あとは個別の練習メニューになる。ランニングの最後はなんとなく皆ペースを上げて猛ダッシュで走り切る。校舎の門をくぐる寸前、近くの交差点で信号待ちをしている学ラン姿の背中を見てぎくりとした。黒縁の眼鏡の弦が見えて、夜鷹に少し似ていた。
「でも野球部は女マネがいてかわいいからそこはうらやまっ!」
叫びながら智美は敷地内へと飛び込んだ。ぜいぜいと荒く息を吐き、肩をぐるぐるとまわしながら「あったまったぁー」と空を向く。
「うお、さみぃと思ったら」
北風に乗ってちらちらと舞うものがあった。青も空を見上げる。
「今年はホワイトクリスマスになっかなー?」
「トモは今年の冬休みもスキー行くの?」
「おう、行く。いとこの家からスキー場近いし。せいちゃんは、あー、冬はないんだっけ。その、なんとかスクール」
「ないことないけど、夏休みより講座数はないな。冬休みって短いし」
「どっか行かねえの?」
「うーん、母さんがあんまりいい顔しないんだ」
「おばさん厳しそうだもんなあ」
幼なじみはけらけらと軽く笑った。白い歯が見えた。
「行くならどこ行きたい?」
「え?」
「冬休みにさ。行きてえとことか。やってみたいこととか」
そこで号令がかかって集合になり、会話は止まった。これから個別のメニューになるので、智美とも場所が離れる。
行きたいところなんか、ひとつしか思い浮かばなかった。東京へ。夜鷹の暮らす街へ。夜鷹の顔を見て、直接声を聞いて、隣り合った席で真剣に学習したり、あるいは口悪く笑われたり。
「じゃあ、せいちゃんあとで。帰りにコンビニ寄ろうぜ。肉まん気分」
「いいよ」
手を振って智美はグラウンドの端へと歩いて行った。短距離選手の智美はスタートダッシュの練習をするし、中・長距離選手の青はこれからフォームを直しつつひたすら走り込む。
青は空を見上げる。鈍い灰色の雲が重い。夜鷹、東京の空っていまどうなってる? 雪っていつ降る?
いまなにしてる?
夜鷹。
→ 中編
「ん、なに……」
「おれ、相続することにしたから」
「……なにを?」
「東京の実家。春から空き家になるからな。こないだ実家にちょっと寄った時に親父にどうするかと訊かれた。おれの拠点がこっちにないなら家も処分するんだが残しておくなら相続しろと言われて、そうすることにした」
「でもおまえ、こっちにいないんだろ?」
「だからおまえが住めばいい。いまのマンションより金かかんなくて広いぞ」
「――」
「家は管理しないと傷みが早い。おまえが住んだらおれも楽だ」
思いがけない提案に息を呑んで言葉を忘れていると、夜鷹に「重い」と文句を言われた。横に転がる。大人の男二人が寝転んでまだ余るベッドで、青はそっと笑った。
「some ideaってことはまだあるのか」
「浅野の金、だいぶ余るだろ」
「ここの会計がいくらするのかをおれはいまだに確認してないけどな」
夜鷹は天井に向かって腕を突き出した。左手を広げる。なにも嵌まらない日焼け知らずの手は、いつ見ても地質学者のそれと思えない。
「指輪買ってくれ」と言った。
「ダミー、なくしたから」
「結婚指輪?」
「嵌めてると面倒がなくて楽でな」
「遊びまくっておいてどの口が言うんだか」
「この口」
夜鷹は笑い、青に重なってキスをしてきた。
「この際だからペアリング、とかだせえことは考えるなよ。そもそもおまえは浅野のときだってしてなかった」
「装飾品の類はどうもね」
「だからおまえはいいだろ。とにかくおれに指輪を買え。それっぽければなんでもいい」
「安物だとおまえはアレルギーを起こすから、きちんとしたのじゃないと」
「含めて任せる」
「分かった。指輪な」
夜鷹の左手の薬指を撫で、またキスをした。キスをしているうちに夜鷹が乗り掛かってきて、性器をすり合わせる。腰が揺れる。
再び夜鷹の中に入り込むまで、そう時間はかからなかった。
「おれ、相続することにしたから」
「……なにを?」
「東京の実家。春から空き家になるからな。こないだ実家にちょっと寄った時に親父にどうするかと訊かれた。おれの拠点がこっちにないなら家も処分するんだが残しておくなら相続しろと言われて、そうすることにした」
「でもおまえ、こっちにいないんだろ?」
「だからおまえが住めばいい。いまのマンションより金かかんなくて広いぞ」
「――」
「家は管理しないと傷みが早い。おまえが住んだらおれも楽だ」
思いがけない提案に息を呑んで言葉を忘れていると、夜鷹に「重い」と文句を言われた。横に転がる。大人の男二人が寝転んでまだ余るベッドで、青はそっと笑った。
「some ideaってことはまだあるのか」
「浅野の金、だいぶ余るだろ」
「ここの会計がいくらするのかをおれはいまだに確認してないけどな」
夜鷹は天井に向かって腕を突き出した。左手を広げる。なにも嵌まらない日焼け知らずの手は、いつ見ても地質学者のそれと思えない。
「指輪買ってくれ」と言った。
「ダミー、なくしたから」
「結婚指輪?」
「嵌めてると面倒がなくて楽でな」
「遊びまくっておいてどの口が言うんだか」
「この口」
夜鷹は笑い、青に重なってキスをしてきた。
「この際だからペアリング、とかだせえことは考えるなよ。そもそもおまえは浅野のときだってしてなかった」
「装飾品の類はどうもね」
「だからおまえはいいだろ。とにかくおれに指輪を買え。それっぽければなんでもいい」
「安物だとおまえはアレルギーを起こすから、きちんとしたのじゃないと」
「含めて任せる」
「分かった。指輪な」
夜鷹の左手の薬指を撫で、またキスをした。キスをしているうちに夜鷹が乗り掛かってきて、性器をすり合わせる。腰が揺れる。
再び夜鷹の中に入り込むまで、そう時間はかからなかった。
風呂の中から朝焼けってはじめて見たな、と思った。夜鷹と散々抱き合って、また風呂に行こうと言って、露天の湯船から日の出を見た。雲が多く出ていたので太陽を直接見たわけではなかったが、白々と明けていく空は夏のものだと思った。
風呂に浸かる少し前、ベッドの中でまどろむような冴えたような時間を過ごしていた時、夜鷹がぽつんとこぼした。
「夜明け前が一番暗い」
「……なんだっけ、それ、」
「苦しいことは最後の最後に待ってるって意味。これで帰宅したら、おれはこの国を出る準備に入る」
「……」
「だがその後は好転する。夜明けだからな」
それを思い出しながら、夜鷹を抱いて湯船から夜明けを見た。
風呂に浸かる少し前、ベッドの中でまどろむような冴えたような時間を過ごしていた時、夜鷹がぽつんとこぼした。
「夜明け前が一番暗い」
「……なんだっけ、それ、」
「苦しいことは最後の最後に待ってるって意味。これで帰宅したら、おれはこの国を出る準備に入る」
「……」
「だがその後は好転する。夜明けだからな」
それを思い出しながら、夜鷹を抱いて湯船から夜明けを見た。
空港内の、出国ゲートより手前にあるジュエリー店で夜鷹の指輪を買った。浅野の家から受け取った金の残金は全て寄付に回しており、だから夜鷹の指輪は青の金で買ったものだ。それぐらいしたっていいだろうと思うようにした。夜鷹はどちらでも良さそうに(というよりは、どうでも良さそうに)ただ青に頷いていたが、青が選び出したタンタルの黒味がかかった指輪を気に入ったようで、その場で嵌めて機嫌よく口笛を鳴らした。細かく槌目のついたデザインで、石はないが、色味の独特さで目を惹く。なにより色白の夜鷹の指にコントラストがついてよく映えた。
青が買ってやったものだから、免税もへったくれもなかった。はっきり言ってこんなに高価な贈り物をしたことがない。だが金を惜しいとは思わなかった。青が夜鷹に贈る愛情と友好の品だ。
チェックインを済ませ、機内持ち込みの荷物だけになった夜鷹と隣り合って歩く。次はいつ戻るのか訊ねたが「さあね」の返答。「でも手続きもあるし、じきに戻るだろうよ」と夜鷹は笑った。
「相続の?」
「ああ。ひとまず当分は本体勤務が決まったしな」
「なら治安はそんなに不安はないか」
「それでも銃所持の認められる国だけどな」
笑えない話を愉快そうに笑って、夜鷹は出国ゲートの前で止まった。
夜鷹の真っ黒い目が、青を上から下までまんべんなく見つめ、顔に止まる。目を合わせる。夜鷹は笑っていた。こうやって何度も目を合わせてきた。その方が口にするよりはるかにいろんなことを伝え合っている気がする。
たとえば夜鷹だって淋しいと思う感情のこととか。青と離れる選択を百パーセントで望み切っているわけではないことぐらいは、分かる。
好きに生きていると言う夜鷹は、好きにしか生きられないからそう生きている。嵌まれば楽しいだろうが、反動は大きく、嵌まらなければ辛いだろう。けれど夜鷹はそれを口にせず、好きに生きると軽く口にして暮らしている。それは青にはない器用さだが、裏返せば不器用にも思える。
それでも夜鷹は行く。ぐんぐん飛んで星になってもまだ飛ぶだろう。昼も夜も好きに、夜鷹の思うように飛んでいく。
それを青は見送る。軌道は弧を描き、青のいるところに夜鷹はまたやってくる。青の思うように、欠けて削げた部分を夜鷹は埋める。イミテーションかもしれない。けれど夜鷹が埋めるから、青は満足する。
それはどのような喜びであるか。新しく壮絶な淋しさを生むか。青は知っている。
「じゃあ元気でやんな」
そう言って手をあげ、夜鷹はゲートをくぐって行ってしまった。左手に嵌まった指輪が鈍く光って青は目を細める。
帰宅すると宅配便の不在伝票が差さっていた。ドライバーズコールのナンバーにかける。夜間の再配達で荷物を受け取った。重量のある長い箱を手渡される。
頼んだ覚えのない荷物の送り主は夜鷹で、箱には見覚えがあって受け取ってしまった。包装を解くといつか青が大事にしていた天体望遠鏡の最新モデルが出てくる。箱の内側に封筒が貼り付けられていた。破ると中から鍵と、大昔に青が夜鷹に買ってやったポストカードが出てきた。
『親は了承済み。挨拶には行けよ。次はクリスマス頃。夜鷹』
天体望遠鏡のボディには、すでに夜鷹の手が入っていた。青の生まれの星座の落書き。せっかく最新型なのに、なんにも変わんないな、と青はひっそりと笑う。小学三年生の夏休み、はじめてのサマースクール。真っ黒い髪と、大きな黒いフレームの眼鏡と、真っ黒い目で、青の隣に座っていた口の悪い賢しい少年。
ありありと蘇る思い出。少年だった頃。戻らない日々とこれからの日々のこと。
もしくはいまこうしてひとりでいる自分自身のこと。いま機内でダウンライトだけ灯して目を開けている夜鷹のこと。ああそうか、飛行機は夜を飛んでいる。境界線を超えて朝を迎えても飛ぶ。
鍵の形をなぞりキーケースの内側に収めると、青は望遠鏡を抱え、空を見上げるためにベランダへ出た。
青が買ってやったものだから、免税もへったくれもなかった。はっきり言ってこんなに高価な贈り物をしたことがない。だが金を惜しいとは思わなかった。青が夜鷹に贈る愛情と友好の品だ。
チェックインを済ませ、機内持ち込みの荷物だけになった夜鷹と隣り合って歩く。次はいつ戻るのか訊ねたが「さあね」の返答。「でも手続きもあるし、じきに戻るだろうよ」と夜鷹は笑った。
「相続の?」
「ああ。ひとまず当分は本体勤務が決まったしな」
「なら治安はそんなに不安はないか」
「それでも銃所持の認められる国だけどな」
笑えない話を愉快そうに笑って、夜鷹は出国ゲートの前で止まった。
夜鷹の真っ黒い目が、青を上から下までまんべんなく見つめ、顔に止まる。目を合わせる。夜鷹は笑っていた。こうやって何度も目を合わせてきた。その方が口にするよりはるかにいろんなことを伝え合っている気がする。
たとえば夜鷹だって淋しいと思う感情のこととか。青と離れる選択を百パーセントで望み切っているわけではないことぐらいは、分かる。
好きに生きていると言う夜鷹は、好きにしか生きられないからそう生きている。嵌まれば楽しいだろうが、反動は大きく、嵌まらなければ辛いだろう。けれど夜鷹はそれを口にせず、好きに生きると軽く口にして暮らしている。それは青にはない器用さだが、裏返せば不器用にも思える。
それでも夜鷹は行く。ぐんぐん飛んで星になってもまだ飛ぶだろう。昼も夜も好きに、夜鷹の思うように飛んでいく。
それを青は見送る。軌道は弧を描き、青のいるところに夜鷹はまたやってくる。青の思うように、欠けて削げた部分を夜鷹は埋める。イミテーションかもしれない。けれど夜鷹が埋めるから、青は満足する。
それはどのような喜びであるか。新しく壮絶な淋しさを生むか。青は知っている。
「じゃあ元気でやんな」
そう言って手をあげ、夜鷹はゲートをくぐって行ってしまった。左手に嵌まった指輪が鈍く光って青は目を細める。
帰宅すると宅配便の不在伝票が差さっていた。ドライバーズコールのナンバーにかける。夜間の再配達で荷物を受け取った。重量のある長い箱を手渡される。
頼んだ覚えのない荷物の送り主は夜鷹で、箱には見覚えがあって受け取ってしまった。包装を解くといつか青が大事にしていた天体望遠鏡の最新モデルが出てくる。箱の内側に封筒が貼り付けられていた。破ると中から鍵と、大昔に青が夜鷹に買ってやったポストカードが出てきた。
『親は了承済み。挨拶には行けよ。次はクリスマス頃。夜鷹』
天体望遠鏡のボディには、すでに夜鷹の手が入っていた。青の生まれの星座の落書き。せっかく最新型なのに、なんにも変わんないな、と青はひっそりと笑う。小学三年生の夏休み、はじめてのサマースクール。真っ黒い髪と、大きな黒いフレームの眼鏡と、真っ黒い目で、青の隣に座っていた口の悪い賢しい少年。
ありありと蘇る思い出。少年だった頃。戻らない日々とこれからの日々のこと。
もしくはいまこうしてひとりでいる自分自身のこと。いま機内でダウンライトだけ灯して目を開けている夜鷹のこと。ああそうか、飛行機は夜を飛んでいる。境界線を超えて朝を迎えても飛ぶ。
鍵の形をなぞりキーケースの内側に収めると、青は望遠鏡を抱え、空を見上げるためにベランダへ出た。
「そんなんだから浅野とセックスレスに陥ったんじゃねえのか?」
「コメントは控えるよ」
「もっと雑に扱っていい。やわな作りじゃねえんだし」
「でもここの本来の用途は違うからな。おれが怖い」
「穴があれば突っ込んでみたくなるのは男の生理なんじゃねえの? おれ、ガキの頃に粘土細工に興奮して突っ込んでみたことがある。筒状に作ってな。石粉粘土だったから滑らかで冷たくてオナニーには刺激的だった」
「例が特殊すぎる」
「早くほぐして入れろよ。Please see the heaven…」
おねだりとは程遠い不遜さでも、夜鷹の頼みなら断るつもりはどこにもない。青はローションをさらに足し、指を増やしてそこを擦る。
「あ」と夜鷹のあげた嬌声と身体のこわばりで、快楽のありかを知る。そこを攻め立てると夜鷹の性器はみるみる漲り、先端から透明な体液が滲んだ。それをべろりと舐め、舐めながら背後に指を突き立てる。夜鷹は我を忘れた風で、髪を振り乱して快楽に没頭する。自身の胸の尖りまでいじるので、そこに青も指を伸ばして摘み、捏ねて勃起を促す。
「入れろよ……」と夜鷹が溶けた眼差しで懇願した。自身の性器に手を伸ばし、緩く擦って青を待っている。
「待って、ゴム」
「スキンは嫌いだから用意してない」
「好き嫌いで判断する代物じゃないだろ、あれは」
「入れろよ、青。なんにも纏うな……」
懇願されて胸よりは腰に痺れが走った。青だって早く入りたい。腰を掴み、閉じかかった夜鷹の最奥に性器を当てがった。加減せず一気に突き入れる。夜鷹の嬌声は尾を引き、身体を大きくのけぞらせた。生ぬるく腹のあいだが濡れた。入れられて射精したのだ。
夜鷹は荒く息を吐く。やわらかくなった性器を絞るように扱くと、先端からまだ蜜が溢れて、夜鷹は悶えた。
緊張から弛緩した身体を抱え、膝の上に乗せた。貫くような体勢に夜鷹は声をあげたが、それでも馴染むと、微笑んで青を見下ろした。
「……好きだな、上に乗せるのが」頬をなぞられる。
「重さが安心するんだ」
「おれが突っ込んで奥歯がちがち言わせてやろうか」
「おれが勃たなくなったらそうしてくれ。……性欲っていつまで続くんだろう」
「いつまで?」
唇を遊ぶようになぞる指が止まった。
「いつまでおまえとセックスできるのか、本気で危惧してるんだ。もういい歳だから」
「勃たなくても愛してるから心配すんな」
「こうなるならもっと早くこうしてればよかったって後悔してるよ」
「普通でいたかったんだからしょうがない。悩む時間って無駄じゃねえんだよ。ぐだぐだ考えるなら行動しろ、っていう場合もあるけどな」
夜鷹の唇が押しつけられ、応じてキスをする。夜鷹のこういうところが好きだと思う。青が悩んだ時間を無駄だと言わないところ。あのときこうしていればよかった、と言わないところ。
過去行ったことの結果でいまがある。過去は常に「いま」の積み重ねであり、「いま」を夜鷹は最善に、いちばん大事にしている。過去を悔いなければ、未来を夢見ない。本当は青よりはるかに真面目で堅実な性格だ。
夜鷹がこういう性質でなかったら、好きになっただろうか。判断は難しく、青は悩み考える。けれどその迷いや思考さえも肯定されているから、青はずっと参っている。夜鷹に惹かれない選択肢は、過去どこをどう遡って修正しても、きっとあり得ない。
「……またごちゃごちゃと余計なことを考えているだろう」
指摘されて、青は自然に微笑んだ。
「実感がないんだ。おまえみたいには現実を直視できなくて」
「それがおまえの処世術だったからな。試しに噛んでやろうか」
「どこを噛むんだ。小指?」
「世代じゃねえだろうが。……なあ、青、」
「分かってる。大丈夫だよ、夜鷹」
曖昧な台詞を口にして、夜鷹の頬に触れる。そのままキスを交わしながら反対側へ押し倒した。背中をシーツに縫いとめて腰を動かすと、くぐもった声が漏れた。張り詰めた性器が押し迫る内壁に絞られて下半身が溶けそうになり、もっと、もっとと求めて腰を動かす。
そのうち苦しくてキスも出来なくなり、ただ放出の快楽を求めて夜鷹を穿つ。夜鷹は鳴く。鼓膜から脳髄が溶け出そうな声を注ぎ込まれ、青も沸点が近い。
横抱えにすると、夜鷹の肩の傷が晒された。青はそこに舌を這わせる。怖くて噛みつけないけれど、歯を当てると夜鷹の内部はますます蠢く。肉棒をしゃぶる内壁が青を快楽で離さないから、青は傷を知らずのうちに噛んでいる。
「あっ、ああっ……――青っ」
青が二度目の放出をするより先に、夜鷹が大きく痙攣した。精液が吐き出され、内部が熱くとろける。構う余裕もなく青は一際大きく腰を引き、大きく穿った。これ以上奥まで行けない奥の奥で、なにも遮られずに思いきり射精する。
汗でぬめる身体で手が滑り、夜鷹の上に倒れ込んだ。濡れた性器が抜け、吐き出した精液が白く溢れる。
夜鷹を下に潰したまま息を整えていると、夜鷹は青の髪を梳き、耳に直接「I have some idea」と囁いた。
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「コメントは控えるよ」
「もっと雑に扱っていい。やわな作りじゃねえんだし」
「でもここの本来の用途は違うからな。おれが怖い」
「穴があれば突っ込んでみたくなるのは男の生理なんじゃねえの? おれ、ガキの頃に粘土細工に興奮して突っ込んでみたことがある。筒状に作ってな。石粉粘土だったから滑らかで冷たくてオナニーには刺激的だった」
「例が特殊すぎる」
「早くほぐして入れろよ。Please see the heaven…」
おねだりとは程遠い不遜さでも、夜鷹の頼みなら断るつもりはどこにもない。青はローションをさらに足し、指を増やしてそこを擦る。
「あ」と夜鷹のあげた嬌声と身体のこわばりで、快楽のありかを知る。そこを攻め立てると夜鷹の性器はみるみる漲り、先端から透明な体液が滲んだ。それをべろりと舐め、舐めながら背後に指を突き立てる。夜鷹は我を忘れた風で、髪を振り乱して快楽に没頭する。自身の胸の尖りまでいじるので、そこに青も指を伸ばして摘み、捏ねて勃起を促す。
「入れろよ……」と夜鷹が溶けた眼差しで懇願した。自身の性器に手を伸ばし、緩く擦って青を待っている。
「待って、ゴム」
「スキンは嫌いだから用意してない」
「好き嫌いで判断する代物じゃないだろ、あれは」
「入れろよ、青。なんにも纏うな……」
懇願されて胸よりは腰に痺れが走った。青だって早く入りたい。腰を掴み、閉じかかった夜鷹の最奥に性器を当てがった。加減せず一気に突き入れる。夜鷹の嬌声は尾を引き、身体を大きくのけぞらせた。生ぬるく腹のあいだが濡れた。入れられて射精したのだ。
夜鷹は荒く息を吐く。やわらかくなった性器を絞るように扱くと、先端からまだ蜜が溢れて、夜鷹は悶えた。
緊張から弛緩した身体を抱え、膝の上に乗せた。貫くような体勢に夜鷹は声をあげたが、それでも馴染むと、微笑んで青を見下ろした。
「……好きだな、上に乗せるのが」頬をなぞられる。
「重さが安心するんだ」
「おれが突っ込んで奥歯がちがち言わせてやろうか」
「おれが勃たなくなったらそうしてくれ。……性欲っていつまで続くんだろう」
「いつまで?」
唇を遊ぶようになぞる指が止まった。
「いつまでおまえとセックスできるのか、本気で危惧してるんだ。もういい歳だから」
「勃たなくても愛してるから心配すんな」
「こうなるならもっと早くこうしてればよかったって後悔してるよ」
「普通でいたかったんだからしょうがない。悩む時間って無駄じゃねえんだよ。ぐだぐだ考えるなら行動しろ、っていう場合もあるけどな」
夜鷹の唇が押しつけられ、応じてキスをする。夜鷹のこういうところが好きだと思う。青が悩んだ時間を無駄だと言わないところ。あのときこうしていればよかった、と言わないところ。
過去行ったことの結果でいまがある。過去は常に「いま」の積み重ねであり、「いま」を夜鷹は最善に、いちばん大事にしている。過去を悔いなければ、未来を夢見ない。本当は青よりはるかに真面目で堅実な性格だ。
夜鷹がこういう性質でなかったら、好きになっただろうか。判断は難しく、青は悩み考える。けれどその迷いや思考さえも肯定されているから、青はずっと参っている。夜鷹に惹かれない選択肢は、過去どこをどう遡って修正しても、きっとあり得ない。
「……またごちゃごちゃと余計なことを考えているだろう」
指摘されて、青は自然に微笑んだ。
「実感がないんだ。おまえみたいには現実を直視できなくて」
「それがおまえの処世術だったからな。試しに噛んでやろうか」
「どこを噛むんだ。小指?」
「世代じゃねえだろうが。……なあ、青、」
「分かってる。大丈夫だよ、夜鷹」
曖昧な台詞を口にして、夜鷹の頬に触れる。そのままキスを交わしながら反対側へ押し倒した。背中をシーツに縫いとめて腰を動かすと、くぐもった声が漏れた。張り詰めた性器が押し迫る内壁に絞られて下半身が溶けそうになり、もっと、もっとと求めて腰を動かす。
そのうち苦しくてキスも出来なくなり、ただ放出の快楽を求めて夜鷹を穿つ。夜鷹は鳴く。鼓膜から脳髄が溶け出そうな声を注ぎ込まれ、青も沸点が近い。
横抱えにすると、夜鷹の肩の傷が晒された。青はそこに舌を這わせる。怖くて噛みつけないけれど、歯を当てると夜鷹の内部はますます蠢く。肉棒をしゃぶる内壁が青を快楽で離さないから、青は傷を知らずのうちに噛んでいる。
「あっ、ああっ……――青っ」
青が二度目の放出をするより先に、夜鷹が大きく痙攣した。精液が吐き出され、内部が熱くとろける。構う余裕もなく青は一際大きく腰を引き、大きく穿った。これ以上奥まで行けない奥の奥で、なにも遮られずに思いきり射精する。
汗でぬめる身体で手が滑り、夜鷹の上に倒れ込んだ。濡れた性器が抜け、吐き出した精液が白く溢れる。
夜鷹を下に潰したまま息を整えていると、夜鷹は青の髪を梳き、耳に直接「I have some idea」と囁いた。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
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