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つめたい風を頬に受けながら透馬は歩いていた。枯野原の中にずっと続く道を、マフラーに顔を半分も埋めて早歩きで行く。学生服の密な生地を細い針の一本一本で刺すように北風が身体に浸みこんでゆく。
本来ならば自転車通学が認められる距離にあるのをわざわざ歩いているのは、ヘルメットの着用義務があるせいだ。校章入りのヘルメットなんてめちゃくちゃださいものを、この辺りの中学生は律儀に被って登下校する。今までいた学校では自転車通学の生徒自体が少数で、ヘルメットをかぶって登下校せずとも親か親の手配した迎えがあり、もしくは電車やバスで通えた。ないなんて、あり得ない。なんて田舎。苛立っているのは、寒さのせいだけではなかった。
ほっぺた赤くして、量販店で親が購入したぺらっぺらのウインドブレーカー程度の防寒で強がり、人が通れば必ず挨拶をする。方言でまくしたて、コンビニどころか自販機での買い食いも規制され、健全でのびやかにあれとする校風――そうとしか言えない、に抗いもせず事実その通りに育ってしまう、なにもない田舎。透馬はこれらが気に入らなかった。
もっとも、都会の私立校に通えずこんな場所に転校せざるを得なかったのは自分である。期待に応えられなかったふがいなさ、プレッシャーからの解放、心細さ。透馬を苛立たせているのはそういう様々な要因からだった。
家まで走ったとして、まだ七・八分はかかる道のりだ。この地区は果樹園が多いが、いま透馬が歩く畑の一本道は売地でなにも植えられていない。農業を続けられなくなった農家が空き地にしていたところに、少し前まではどこかの建設会社が重機や建築資材を置いていたが、いなくなった。はびこった草木は枯れ、電柱だけが続く、くすんだトーンの淋しい一本道だ。
そうだ、淋しくてたまらない。
透馬は父親とどうしてもうまくゆかなかった。アオイ化学工業の社長子息、透馬の将来は生まれた時から決まっていた。上に立つ人間として恥じぬようにあらゆる教育を受けたが、それらはまだ我慢出来た。頑張ると母親がご褒美をくれる。偉いわねよく出来たわねと頭を撫で、美味しいおやつが出て、好きなものを買ってもらえた。ただそれが嬉しくて、嫌な英会話もそろばんもスイミングもヴァイオリンもなんとかこなせた。
父親はおそらく透馬が、というよりは子どもが嫌いなんだろう。もしくは人間自体が。
どんなに頑張っても父親からは褒められることがなかった。父親にとって百点を取れなければ透馬に存在の意味はなく、九十点なら「なぜできない」と責められる。声が太くよく通る人間で、怒ると耳にびいんと響くのが怖かった。岩のような顔つきは透馬にとっては鬼だ。
父親に刃向おうとすれば、暴力になる。言葉では勝てないからだ。だが暴力を振る舞うには透馬は優しすぎた。ものに八つ当たりも出来ないまま、透馬の選んだ道は不登校だ。部屋に閉じこもり、日がなベッドで過ごし、夜だけふらっと外へ出た。繁華街、色んな人間が通る。営業を始める飲み屋、酔っぱらったサラリーマン、風俗の呼び込み、腕を組んで歩くカップル。一通り眺め、コンビニで漫画雑誌を立ち読みし、明け方頃帰宅する。そしてまた眠る。日々はこの繰り返しになった。
透馬の通う学校は初等科から大学までエスカレーター式に進学できる私立校で、要するに金持ちの良い子が多かった。育ちの良い彼らの中で、透馬は浮いた。不登校児童をなんとかすべく担任や養護教諭、果てはスクールカウンセラーまで出てきたが、透馬は学校へ通う気になれなかった。だからと言って家に居場所もない。いられるのは父親が仕事で出かける時間帯の自室だけだ。困り果てた母親が、ついに父親に対して強気に出た。
『透馬を私の実家へ預けましょう』
母・誓子(ちかこ)の実家には誓子の父親と兄だけが暮らす。F県の、ずいぶんと田舎にある。父親は反対したが、その頃より透馬のふたつ違いの妹の彩湖(さいこ)の利発さや素直さに才を認めたらしく、透馬からの関心が薄れた。最終的には「すきにしろ」で「おまえはだめなやつだ」だった。そうして透馬は秋、F県へ引っ越した。
こちらへ来てから、いいことなんかひとつもない。
父親のいない代わりに、出歩くべく街もない。学校も友達も皆遠い。母親も祖母もいない。いるのは無口な伯父と、病院と家との往復を繰り返す老いた祖父だけだ。
伯父―真城綾(ましろりょう)の考えていることは未だに分からない。言葉数が少なく、あっても抑揚なく喋り、常に険しい顔をしている。整った顔立ちでそうされるので、ひどくつめたい印象がある。
気軽に声をかけにくいのに加え、先日、母が昔つかっていたという岩絵の具の小瓶を割って以来ますます気まずい。ベッドで眠る間際に少し見るだけのつもりで部屋に持ち帰ろうとして割ったそれを、綾はひどく咎めた。ガラスが危ないと言って触らせてもくれなかった。
苛々して淋しい。心臓にまで北風が突き通っているかと思えるほどだった。だがここで帰らないわけにはいかない。友人はまだそれほど親しくないし、周囲にはなにもなく、暖を取る場所もない。風がびゅうびゅうと吹きすさぶ中を一晩過ごすなど、ありえない。だから帰るしかないのだ。
みゃあ、とちいさな鳴き声を風の音にまぎれて聞いた。透馬は足を止める。耳を澄ますと今度は先ほどよりもはっきりと声が聞こえた。すぐ傍の空き地に段ボール箱が放置されているのが見えた。
疑い深く、そっと近寄る。中にはちいさなネコがみっつ入っていて、ふたつはもうぐったりと動かず、残ったひとつがもぞもぞと身体をふるわせて鳴いていた。
そっと手を伸ばす。ぐにゃりとやわらかいそれは、しかししっとりと温かい。透馬の手は冷え切っていて、もはや感覚がなかった。それでもちいさいものの体温が知れた。触れた瞬間に手放せないと確信した。
―連れて帰りたい。
こんな寒い中を、こんなか弱いものを置いて帰れる人間が信じられない。怖い、と思いながらも触れた残りの二匹ははっきり分かるほど冷たかった。胸がぎゅっと絞られて痛い。縞模様の一匹を胸に抱くと、それは透馬の手に爪を立てて生きる力を伝えてきた。
置いて帰れるわけがなかった。しかし連れて帰っても、綾に素直に申告する気になれない。いつものつめたい顔で「置いてきなさい」ぐらい平気でいいそうだ――そう考えて、透馬の結論は「言わない」ことだった。綾には内緒で飼う。家の物置に入れておけばきっと大丈夫だ、と安易に考えた。
動物を飼ったことはない。触れた経験と言えば、学校で飼育していたウサギと鯉の餌やりぐらいだ。温めたらいいのかなにを食べさせたらいいのか、分からなくて怖い。でもこのちいさくてあたたかなものを守ってやりたい、とただそれだけを思っていた。
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