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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 部屋の片隅に積んだ衣装ケースの中身を探っている星(せい)の後ろ姿を、すっかりぬるくなったコーヒーを飲みながらただぼんやりと眺めていた。白いTシャツと黒いボクサーパンツという恰好で、見慣れたそれにいちいち心が動いたり興奮したりはせず、ああまだ悩んでら、と思う程度だった。二の腕に出来た引っかき傷が少し痛々しい。星は乾燥肌で、特に冬場はこういう引っかき傷をよく作る。掻いてはいけないと本人もよく承知でいて、でも寝ている間に好きに掻いてつくってしまう。
 星の方向を向いた際にスツールがきいと音を立て、星が振り返った。星のことを見ている一國(いちくに)を見て、「なに着ればいいと思う?」と聞いた。
「出かけんの?」
「本屋行ってそのままカフェ、いつものコース」
「Tシャツじゃだめなの、ボーダーの」
「寒そうだからさ」
 簡単でシンプルな服装を好む男で、コットン地のボーダーTシャツは数枚色を変えて持っているぐらいの気に入りだ。普段は会社員で、スーツを着ている。休日ぐらいは楽をしながらも洒落たい気持ちがよく現れていると思う。実際、星はそういう恰好がちょうどいい。
「アウターを厚いのにすりゃいいんじゃないの。あの、中綿のモッズとか」
「あれ重たくて肩凝るんだよね。あ、そうだイチ。イチのニット貸してくれ、こげ茶のやつ」
「いいけど、洗濯して乾いてたっけな」
 一國が言うが早いか星はすぐにベランダへとつながる隣の部屋へ行ってしまった。やがて「さみ、」と言いながら戻ってくる。一國が好んでよく着ているシェットランドセーターを手に、「これにはこのパンツだな」と着る物を決めてようやく着替え始める。
 悩めば長く、だが決めたら早いのが星だ。コートまできちんと着こみ、じゃあ行ってくると去ろうとする背中に一國は「待って」と声をかけた。
「僕も行く」
「仕事は?」
「今日はもういいや」
 一國は在宅でグラフィックデザイナーの職を持っている。今日は市内に新しくオープン予定の花屋のフライヤーデザインに取りかかっていたが、星が出かけると聞いて一気に集中力が切れた。自由業、時間の調整は自分次第だ。
「本の発売日だし」
「ふうん」
「五分待って、顔だけ洗ってくるから」
「うん」
 たとえばこれが付き合いはじめの頃だったら、「うわ嬉しい」という顔ではにかんだだろう。それともはじめからこんなにそっけない奴だったっけな、と洗面所で顔と服装のチェックをしながら考える。もう昔のことで忘れてしまった。忘れるぐらいの年数を、星と一緒に過ごしている。



 星と一國が気に入っている本屋は駅より少し離れた場所にある。品ぞろえが良く、カフェが併設されていて、立地のおかげでさほど混雑する店でもないからだ。星は漫画の新刊を、一國はデザイン関連の季刊誌と小説を二冊買ってカフェに移動した。二人とも甘党で、ここに来ると絶対に甘ったるいドリンクをラージサイズで注文する。今日の注文も二人同じに、はちみつのたっぷりかかったカフェラテを。
 席に向かい合い、しばらく無言でお互いの手元に用意した本をむさぼっていた。星は漫画が楽しいらしく、家にいる時と同じように表情をくるくると変えながらページを繰っている。そんな星と自分の姿を客観視して思わず周囲を気にしたが、誰も二人に注目している人間などいやしないのだ。そりゃそうだよな、男二人で歩いてりゃみなホモだなんて思うもんか。少し前なら神経質に気にした事柄が今では平気で、思ったことすらじきに忘れる。雑誌をめくっていた一國は、尊敬している建築家のインタビュー記事を見つけて、すぐに夢中になってしまった。星といることもどうでもよくなるぐらいに。
 そのうち漫画を読み終えて退屈し出した星が、一國にちょっかいを出し始めた。どこかへ消えたな、と思うとすぐに戻って来て、本屋の文具コーナーで購入したと思われるメモ帳になにかを書きこんで、一國が読みふけっている雑誌の一ページへほいと紙片を滑り込ませてくる。
『その本おもしろい?』
 口では訊かずにわざわざこんなことをして遊ぶ星に、少々のうざったさを感じつつも一國は応じる。星の寄越したメモ帳の一枚に、日頃持ち歩いているペンで言葉を書き足す。
『おもしろいよ』
 星はにやりと笑い、またそこへ文字を足す。
『表紙の絵、見たことあると思ったら夏に展示会してた人の絵だよね』
 そうだったっけか、と表紙を見返す。そういえばいつか百貨店のギャラリースペースで展示会をしていたのを、やはり星と歩いていて見かけた。思い出した。
 星はさらに言葉を足す。一國も返してやる。
『あした会社行きたくない』
『文句言わずに通え』
『イチ、まじめ。休んでいいよ、ぐらい言っていいんじゃねえ?』
『稼ぎは大事だから』
『わかってるよ!』
『明日の弁当なにがいい』
『元気でるやつ。肉がいいなー』
『帰りに買い物』
『OK』
 つらつらと重ねて書いているうちに、星は絵を描きだした。趣味の範囲を出ない、個性的で下手の部類の、しょうもない落書きだ。なにに感化されたのか、いきなりロケットを描く。そこにみかん。ネコ、吹き出しを描いて「のんびり寝てたいにゃー」の文字。今日は出かけるまでの半日をそうして過ごしていたくせにまだ寝たいか。
 ―と、口に出して言ったら、まるでそれがゲームオーバーだったかのように星は声を立てて吹き出した。
「だって寒いんだもん。鍋で熱燗で飲みてー、飲んで酔っ払って気持ち良くなって寝てー」
 一國もつられて笑った。鍋、いいな。だから帰ろうということになり、上着を着て席を立つ。



 買い物の帰りに星がいきなり「あ」と呟いた。目線の先は暮れきった空だ。視力のわるい一國には見えないなにかを見つけたか。「人工衛星」と星が言うので、一國は思わず「どこ?」と積極的に空へ目を凝らした。
「あそこ、西の空よりちょっと北寄りに明るい星がすーっと動いてんの、わかる? 左から右に」
「わかる。え、あれが衛星?」
「この時間、まだあの辺は太陽光が当たって反射してるんだな。人工衛星自体は発光してねえもん。あんなにはっきりしてんのは俺も久々に見た」
 星の言う通りに、一等星並みに眩しい星がゆっくりと動いている。流れ星よりもずっと遅く、目で追える速度で。人工衛星なんて意識したことがなかった、と言うと、星は「俺しょっちゅう探してるよ」と言った。
「webで予測見てこの辺通るかなーとか、見てる」
「知らなかった」
「一國は空に興味なさすぎ」
「あれぐらいゆっくりだったら願い事三回余裕で唱えられるな」
「流れ星じゃねえって」
「空で光ってればなんでも星に見える」
 天体に興味を持ったことのない一國と違って、星は(その名の通りに)好きで望遠鏡まで持っている。今度星を見せてもらおうかな、と初めて思った。もう七年も一緒に暮らしているのに、なんでいまさら、と言われるかもしれないが。人工衛星をすぐに見つけられる星に、なんだかくすぐられた。
「なに唱えるの」
 星が聞いた。
「お願いごと」
 いまさら、と再び思う。星とずっと一緒にいられますようにとか、星が僕に飽きたりしませんように、などという恋愛の上澄みだけをすくったような願いは一國にはない。すぐに思い浮かぶような鮮烈で切実な望みはなかった。本当にひとつも思い浮かばなかった。
 七年も暮らして来て、星とはすっぱいのもあまいのもにがいのも経験してきた。男同士で好き合って暮らすことを悩んだり、苦に思ったりその分の大きな喜びがあったり、星が笑うたびに嬉しくなったり淋しく悲しくなったり、なんて純粋な動悸は、いつしか普通の心音と変わらなくなった。超えてきてしまったから、いまある日々は退屈で当たり前で平凡だ。きっとこの街の誰にもありふれて存在している。
「星は?」
「新しいデジカメがほしい! かな」
「じゃあ僕は洗濯機をいい加減に乾燥機付きに変えたい、かな」
「所帯じみてんなー」
「あ、衛星見えなくなりそう」
 山の際に差し掛かって消えてしまいそうな衛星に、慌てて「洗濯機洗濯機洗濯機」と唱えた。星が盛大に笑い、「買ってやるから」と一國の肩を叩いた。「人工衛星がそんな願い背負ってまわってるなんて思わなかったよ」とも言う。
「流れ星も人工衛星ぐらいの速度で落ちてくれたら世界中の人間の願いが叶うのにな」
「叶わないから願うんだろ」
「星ってロマンチストなんだかリアリストなんだか時々わかんなくなるよ」
「え、嘘だろ? 七年暮らしてて?」
「いやそんなもんだろ」
 星のことがすべてわかりたい、と思っていた付き合い当初と比べれば、いまはなんてもどかしい感情なのだろうか。だが一國は満足している。星のことが全部分かってしまったら、それはひどくつまらないと思うからだ。
 こうして言い合える誰かが星で良かった。退屈を共有できる関係が星であることが、一國の満ちた日々にしみじみとしみる。
 願い事を急いで三度唱えなくてもいい毎日。いま願うとしたら、明日もどうか同じような一日を。


end.






拍手[73回]

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konさま(拍手コメント)
あけましておめでとうございます。
言い切り型の一文に思わずにやりとしてしまいました(笑)
今年は当分は「花と群青」一色になりそうですが、どうかお付き合いをお願いしますね。楽しんで頂けるよう頑張ります。
ご挨拶をありがとうございましたw
粟津原栗子 2014/01/02(Thu)07:43:52 編集
nさま(拍手コメント)
あけましておめでとうございます。

基本的には読み逃げで構わないのがブログだと思っているので、コメントの有無はご配慮結構ですよ。こうしてnさんが「お」と思った時にコメントを頂けて、それで十分だと思っています。
人工衛星ネタ、いつかどこかでやりたいと思っていました。先日とてもきれいに見えたので念願かなってようやく出しました。物語自体はなんの変哲もない日常のお話ですが、私はこれぐらいが好きです。

「花と群青」に関してもありがとうございます。透馬くんは本当に難産な子で…考えてみれば一昨年秋ぐらいからずっと構想しているお話なので、さっさと幸せになってほしいもんですが、お話これからです。再開は1月15日の予定です。(予定です。)どうぞおつきあいを。
拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2014/01/02(Thu)07:51:42 編集
kukonomiさま(拍手コメント)
はじめまして。読んでくださってありがとうございますw
こういう、恋愛をした先にあるお話ってあんまり書いたことなかったなあと思いこのようなお話になりました。誰にでもあるんじゃないかと思っています。いつも「せつない」と言われるお話ばかりなので、1年のはじめぐらいはのんびりしようかとw
ほんわかしてくださって嬉しいです。
拍手・コメントありがとうございました。またぜひ!
粟津原栗子 2014/01/03(Fri)07:09:17 編集
無題
 何着ればいいと思う? とか、わざわざ聞いちゃうところが、かわいすぎて、PCの前で悶えました…。

 ちなみに私は、星がとってもよく見えるド田舎に住んでいるくせに、星に全然興味がないという、残念な女です。
如月久美子 URL 2014/01/03(Fri)19:33:15 編集
Re:如月久美子さま
読んでくださってありがとうございますw

> 何着ればいいと思う? とか、わざわざ聞いちゃうところが、かわいすぎて、PCの前で悶えました…。

着るものぐらい自分で決めろよとつっこみたくなりますがそこはあえて(笑)
この2人は誰にでもありうるごく平凡な関係の2人だと思っています。日常が書きたくてこんなお話になりました。
(元旦早々地味、という意見は無視です、無視)

> ちなみに私は、星がとってもよく見えるド田舎に住んでいるくせに、星に全然興味がないという、残念な女です。

私もド田舎在住ですよー(笑)でも視力が悪いので星の輝きに感動することもなく、詳しくもありません。残念!笑
人工衛星ネタはいつかやろうやろうと思っていてようやく出しました。ですがこれが限界ですw

コメントありがとうございました!
お体大事になさってくださいよー
【2014/01/04 07:19】
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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