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「寝ちゃった?」と訊くと、駒川は「寝ちゃいました」と答えた。
「――なんだ、プリン買って来たのにな」
「明日みんなで食べましょう。――野山さん、こっち、こっち」
と、リビングに晴を手招く。足音をたてぬようそっと床板を踏み、廊下を進む。リビングの手前にある子ども部屋を覗くと確かに、奏と颯介は布団を跳ね飛ばしてすうすうと眠りについていた。
リビングのテーブルの上には、駒川がつくった簡単なつまみと酒類が並んでいた。
「おいしそう」
「野山さん、なにか食べました?」
「いや、全然。だから腹減っちゃって」
「すぐ酒でいいですか?」
「あとでごはんも食べたいです」
「はい」
グラスは、冷えていた。蒸したおしぼりも出てくる。駒川のこういうところのまめさが家庭科教師でマイホームパパたる所以だろうかと思う。晴にはまねできない芸当だ。
冷えたグラスに、冷えたビールを注いでもらった。晴も注ぎかえして、静かに杯を合わせる。
「――今週もお疲れ様でした」
「――はい、お疲れ様でした」
内臓へと落ちていくビールは、ひどく沁みた。
*
対話の結果、駒川と晴は付きあうことになった。駒川は晴のことを「気になる人だと思っていた」と言い、晴は失恋したばかりで淋しくて、人恋しかった。ひとりで頑張ると決めた一方で本当は誰かにめちゃくちゃ愛されてみたいと思っていた。気持ちの向きが一致したので、付きあいましょうか、と駒川に言われた。もちろん、まるごと鵜呑みには出来なかった。駒川は女性の方が好きだろうし、子どもまでいる。無理をしてまで男と付きあう必要は、どこにもなんにもない。
晴からすれば、女性に走れる男などもうごめんだ、というのも正直なところだ。ライバルがこの世のすべてのものになる。誰に嫉妬を抱いていいのかもう分からない。だったら同じ性癖の男を探してくる方がまだ、心が穏やかな気がする。
駒川はそんな晴に「じゃあ僕のことはどうでもいい?」と訊き返した。
「……」
「違いますよね。野山さんって、かなり? 結構? 僕のことを好いてくれている、と僕は思う」
駒川の言葉に、晴は不承不承頷いた。耳まで熱い。駒川は「僕もですよ」と朗らかに言う。
「慎重に、ゆっくり、焦らず、のんびり。そういう恋をしませんか。僕と、あなたで」
それはもう最高の口説き文句で、酸欠になるぐらいくらくらした。
*
以来、土曜日の夜に駒川宅を訪れて泊まって行く、という日が続いている。付きあいはじめて三週間、「同僚」から「恋人」への道のりを、二十分の一ほど歩んだ、という感じだ。
つまりほとんど進展していない。
駒川宅で駒川のつくった美味しいごはんを食べ、酒を飲み、夜は健全に眠る。朝は駒川の子どもらに起こされた。昼ごはんまで目一杯遊び、昼食を共にしたら、そこで帰る。駒川も晴も翌日からの仕事に向けた準備があるのだ。駒川宅を去る時は、駒川親子三人で見送ってくれるが、この時がいちばん淋しいし、残念に思うし、少しだけほっとする。
きっとまだ駒川自身も晴にどういう接し方をしていいのか分からないのだ、と考える。晴だって分からない。晴は、あまりにも初恋が長すぎた。たった一度の恋を十年引きずったのだ。恋愛経験が貧しく、おそらく疎い。
リビングで飲んでいると、駒川が「あ、そうそう」と言って席を立ちあがった。そのまま部屋を出て行ってしまう。晴は駒川まで消えたリビングを、ぐるっと見渡す。隅にまとめられたおもちゃ、シールの貼られた本に、壁にかけられた子ども用の上着や帽子。ごちゃごちゃと生活のにおいがただよって、それは晴の家には決してない温みで、晴は不思議に思う。本当に駒川と付きあっているのかな? 実感がないのは、付きあいはじめて数週間、という時間のせいだけではないように思う。
ふ、とため息をつく。この先を進んでいいのかこのままがいいのか、よく分からない。分からないことだらけだ――と思いながらビールを飲んでいると、駒川が戻ってきた。
「――これ、これ」
「え?」
「野山さん、はい、どうぞ」
そう言って駒川は、手にしていた若葉色の帽子を、晴にかぶせた。きゅ、きゅ、とつばを引っ張って位置を調節する。「あ、似合いますね」と晴をまじまじと見て言うので、とても、とても照れた。
「サイズいかがですか?」
「ちょうどいい、と思います。……なんで、帽子?」
晴はかぶせられた帽子を脱いで、手に取って眺めた。裏地もきちんとついているが、タグがない。まさかと思い「作ったんですか?」と訊くと、駒川は素直に「はい」と頷いた。
「いやあね、ずっと気になっていたんですよ」
「え?」
「うちへ来るのに、バスと徒歩でいらっしゃるでしょう。もう日差しも強いってのに、なんにもかぶらないで来るのはきつくないかな、って。これから夏で、熱中症にでもなったら困りますからね。特に野山さんがお帰りになる時間は、昼日中ですから」
「……それで縫ったんですか?」
「息子の手提げ袋を直さなきゃならなかったので、ついでです、ついで」
「そんなに簡単にできるものですか」
「あなたがバイエルを弾けるのと、きっと同じですよ」
駒川はにこりと笑った。「ぼくはピアノを習っていたけど、結局三か月も続かなかったな」と言う。
「結構苦労したんですよ。特に、頭囲を測るにあたって」
「あ、そういえばよくサイズをご存知だな、って……測ったんですか?」
「測りました。野山さんが寝ているあいだに、こう、そっと枕を外してね」
こうやって、と駒川はジェスチャーで示す。眠っているあいだ。無防備なところを駒川に触れられていたと分かって、急に頬が火照り出した。
「お、起きてるときにしてください」
「内緒にしておきたかったんです。それで、びっくりさせようと思って」
いたずらっこの笑みを浮かべて、さも満足げに駒川は息を吐いた。
「……びっくり、しました」
「良かった。大成功ですね」
「嬉しいです。ありがとうございます。……でもあの、今度から眠っているところは勘弁してください」
「嫌でしたか?」
「せっかく、……触れてもらったのにぼくは寝ていた、だなんて、」
そこまで言いかけて、あ、気持ち悪く思われないかな、と思った。口をつぐんだ晴に、駒川はふ、と吹き出した。
「じゃあ触りなおしましょう」
「……」
「まず、手から」
そう言って駒川は、晴の手を取る。遠慮するでもなく大胆に、しかし丁寧に、手を握ってくる。晴は手のひらに一瞬で汗をかき、それが駒川に伝わってしまったことが、恥ずかしかった。
「気持ちいいですか?」と駒川が訊いた。
「は、……恥ずかしい、です」
「ん……いいですよね、こういう、心許ない感じ」
晴は座りが悪くなり、身じろぐ。触れているうちに、汗ばんでいるのは晴の手だけではないことも分かってきた。駒川の指は、晴の知らない感触がした。骨ばっていて、ざらついていて、湿っていて、熱い。
晴は目を閉じて、うつむく。そうでないととても人の体温に耐え切れないように思えたのだ。頬や、耳が赤くなっているのが、きっと駒川にはばれている。ふ、と駒川の吐息が、晴の前髪に触れた。額にキスが落ちたのだ。
晴はびっくりして、慌てて顔をあげた。キスをした張本人は、「はは」と照れ笑いしている。駒川の頬もまた赤くなっていて。晴はこの恋が、自分のものだけではないことを知る。
「――驚きすぎ、野山さん」
と駒川は言った。晴はなんだか鼻の奥がつうんとして、泣きそうになった。駒川の照れ笑いを見たから。なんて幸福なんだろうかと思ったから。
まばたきをして、涙を誤魔化す。晴はそのまま、駒川の唇に自分の唇を押し付けた。
至近距離で駒川は目を大きく見開いたが、「ふふ」と吐息を漏らすと、自ら唇を押し付け返す。
「どうしましょうね、今夜は」
しばらく唇を押し付けあい、離れて、駒川は楽しそうに呟いた。唇同士は離れても、まだ手は繋いだままだ。
晴は答える代わりに、ぎゅっと手に力を込めた。
End.
晴の失恋:晴れて幕引きの青
晴と駒川:まばゆく光る
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