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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 家庭科準備室の駒川羊介(こまがわようすけ)を訪ねると、準備室内にいた駒川含む四人の教諭すべてがそれぞれの机で黙々と編み物をしていた。
「――あ、あのー、駒川先生……」非常に声をかけにくい。
「はい、はい。ここの段のこま編みだけ終わらさせてくださいそしたら話を聞きます」
 と駒川は編地から目を離さずに答えた。駒川の向かいにいた中年の女性教諭が「駒川先生のこま編み」と呟き、それを合図に他の三人が吹き出した。晴(はれる)にはその意味がちっとも分からない。なんだ、コマアミ。フェルマータやスタッカートと言ってくれた方がまだ分かるのに。
 駒川の隣の席の若い女性教諭が気を利かせて「お入りください」と、扉をあけたまま突っ立っている晴に入室を促した。
「先日から我が家庭科準備室メンバーは編み物部を結成したんです」
「編み物、ですか。なにを編んでいるんですか?」
「立川先生はサマーベスト、鈴木先生はドイリー、私がショールで駒川先生はカンカン帽です」
「――はあ」
 なんのことやら、である。すると間もなく駒川が「編めた!」と叫ぶので、駒川の机の元に寄った。机の上には糸(だと思う。なにかの繊維のかたまりにも見える)と鋏、金色の編み棒に、編みかけの編地と本が広がっていた。本に記されている記号はまったく読み取れなかったが(楽譜の方がずっとたやすく読める)、写真の女性がかぶっているのは、麦わら帽子だった。
「え、これを編んでいるんですか?」
「そうですよ」
「麦わら帽子って編めるんですか?」
「麦わらじゃないですけど、編めますよ。こういうね、ちょっと特殊な糸つかって、ぐるぐるっと編んでいけば」
「……駒川先生がかぶるんですか?」
「それもいいですけど、これは子ども用です」
 と駒川が言うと、駒川の斜め向かいに座っていた、この部屋のメンバーでは二番目に若い女性教諭が、「お子さんの誕生日プレゼントにするって約束しちゃったんですよねー」と口を挟んだ。
「あ、お子さん。……女の子と男の子、どちらの誕生日ですか?」
「女の子の方です」
「誕生日はいつ」
「四月二十五日。さてすみませんね、野山先生の用事をお聞きしましょうね」
 駒川はにこっと笑い、「島根ユリカの件ですか?」と訊いた。
「あ、そうです。昨日ぼくのところにやって来て、やっぱり実技を見てほしい、と」
「O大の幼児教育コースね。あそこは二次試験で面接と実技やりますからね。過去の課題曲、訊きました?」
「あ、はい。島根さんは中学までピアノやってた、というので、……そんなに難しくはないと思います。幼児教育ですし」
「矢野はどうです? H音大って、正直行けるもんなんですか?」
「レベルは高いですが、ひょっとすれば指定校推薦枠で行けるかもしれません。昨年、H音大にはうちからひとり推薦で出ていますが、彼女の評価が良いみたいで。矢野くん、評価点いいですしね」
「推薦っていうと、実技と面接ですか」
「そこはぼく見ますんで」
「助かります。芸術系の進路はねえ、どうしても専門科の先生にお願いするしかないんですよねえ」
「家庭科もそうじゃないですか」
「いやー、僕は編み物出来てもピアノ弾けないからね? ありがたいねえ」
 という言い方がしみじみと年寄りくさかったので、晴は思わず吹いた。駒川は同い年だ。どうも他の科と違って家庭科は、やわらかいというか、のどかというか、ものごとの受け止め方が楽観的だ。
 家庭科唯一の男性教諭である駒川は三学年ひとクラスの担任であり、こんな物言いをするが、進路指導に熱心だ。同じ高校に勤めだして三年目、同い年というだけあって気が知れていて、何度か飲みに行ったこともある、良き同僚だ。生徒や同僚らと出来るだけかかわりを持たないで来た晴だが、駒川とはなんとなく、公私ともに付き合いがある。
「ところでイメチェンしたんですね」と駒川が話題を変えた。
「え、ぼくですか?」
「そう、あなたです。髪切って、パーマでも当てました?」
「いえ、髪を切っただけです。この長さにすると、癖毛が出てしまって」
「いい感じにスタイルチェンジしましたね。似合っていますよ。ねえ?」
 と、部屋の女性教諭に同意を求めて、彼女らも笑って頷いた。「顔のかたちが良いのが分かりますねえ」「少し色入れたらもっといいんじゃないですか?」「素敵」と口々に言われ、晴は照れた。
「野山先生ってずっと同じ髪型だったから、短くすると新鮮ですね。襟足とか」
「どこ見てんですか、もう」と女性教諭のひとりが突っ込む。
「なにか心境の変化でもありましたか?」
 駒川は晴を見あげて、またにこりと笑った。晴はごまかしきれないのを感じながら、他の教諭の手前、「春なので」と答えた。
「新学期ですから」
「そうですねえ」
「では、ぼくはこれで」
 去り際、駒川に「また飲みましょう」と誘われた。軽く頷いて、家庭科準備室を出る。
 校庭が見えた。いま桜はちょうど散り際で、ひらひらと白い花びらを風に扇がせている。


 ◇


 新入生がやって来るたびに約束を思い出してはずきりと痛んでいた胸は、今年こそ痛まないだろうと思っていたのに、まだひりひりした。三月に完璧な失恋をして、それは潔い失恋だったのに、未練というものは厄介だ。長年にわたって沁みついた癖や反射かもしれなかった。
 三月以降の晴の行動と来たら、忙しかった。住居を無理に移し、携帯電話を新規で契約し直した。髪を切り、ついでに眼鏡のフレームも変えた。外見も含めて変化があれば、胸の痛みは薄れると思ったのだ。
 髪を切ったらすっきりと涼しく、視界が明るくなった。同時に、晴はついに観念した。自分はこの先、人と添うことはないだろう。ひとりで生き、ひとりの人生を全うする。誰かを想うことで心に引っかき傷をつくるのはもう金輪際ごめんだと思ったし、それでも人の傍が良い、と思う気持ちに諦めもついた。ああ、じゃあほら、ネコでもイヌでも飼おうかな。そんな気分でいる。
 砕かれた希望、期待、あたらしい覚悟。それでやってゆけると、晴はかたくなに信じ込んでいる。


 ◇


 数日後、今度は駒川の方から音楽準備室にやって来た。ちょうど部活動の指導を終えて、生徒を帰した後だった。「うちのクラスの生徒の進路について、ちょっと」という。
「ほら、軽音部の園田。このあいだようやく進路調査票を提出しましてね。音楽系の専門学校へ行きたいと、言いだしたんです」
「専門、と言ってもピンからキリまでありますから。……どこを希望してます?」
「K音楽専門学校です」
「Kなら確か資料揃ってますよ。何年か前に、ひとり進学してますね」
「あいつは素行がまあ悪くてね。家庭環境が――」
 音楽室内にある学校案内のファイルなどをめくりながら、駒川と話した。駒川の喋り方はやわらかく、穏やかで優しいが、芯がある。頑なな意思も感じる。こういう喋り方、あの子もしたな、と過去のことを思い出す。まだ胸は痛む。まだ思い出す。
 ついぼうっとしてしまったらしい。駒川に「野山先生?」と指摘され、はっとした。
「――あ、すみません。ちょっと、」
「なにか変化がありましたよね、野山さん」
 と駒川は言った。
「いつか話した彼?」
 的確に言いあてられ、ぎくりとした。沈黙は肯定だ。
 駒川とは、かなり腹を割って話をしている。晴は駒川の離婚の詳細を知っている。ふたりの子どもの親権を駒川に預けてまで駒川の元妻がしたかったことは、女性としての自立だった。自由に働きたいから、という理由で駒川ら夫婦は別れた。「それぞれに色んな道があるんだよねえ」と自分に言い聞かすように語った駒川の、いつかの夜の酔った表情を、はっきりと覚えている。
 そして晴はゲイであることを打ち明けた。秘密には秘密で返そう、という等価交換の思いがどこかで働いたのかもしれない。過ちを犯して付きあった生徒がいたこと、彼をいまでも待っていることを、駒川には告白した。やはり自分も酔っていたのだ。駒川は驚いたふうだったが、「色んな道、色んな道」としみじみ言った。その遠い表情もまた、覚えている。
 ここまであからさまに知れてしまっては、駒川にはきちんと言うべきだろう、と思い、口をひらいた。けれどなにも言えず、晴は口をつぐむ。それを何度か繰り返していると、駒川は「ぶっ」と吹き出した。
 ぴんと張り詰めていた空気がぐっと緩む。
「すみませんね、笑っちゃって。いやでも野山さん、面白くて」
「……うまく言えなくて、……すみません」
「いやー、僕も立ち入ったこと突っ込んじゃってすみません。――野山さん、今度の日曜日あいてます?」
 唐突に訊かれ、晴は顔をあげた。
「うちの子の誕生日会をやるんです。よければうち来ません? 飲んでいいですよ。なんなら泊まって行っても」
「……あいてます。でも、」
「じゃあ、おいでください。僕、腕によりをかけて料理つくりますから、野山さんはケーキを買ってきてください」
「……」
「十二時からはじめますよ」
 ね、と駒川は念押しした。その言い方がまるで子どもに言い含めるようなあまい言い方だったので、晴はなんだか恥ずかしくなった。はい、と頷くと、駒川はにこりと笑った。
「子どもが好きなのは、駅前商店街『ジゼル』のショートケーキです。下の子は、チョコレートケーキ」
「ジゼルのショートケーキとチョコレートケーキ、ですね」
「僕とあなたの分も忘れずに」
「……駒川先生はなにがお好きなんですか」
「僕はムース系が好きだな。野山さんは?」
「プリンが」
「ああ、いいですね。プリンも好きですよ」
 じゃあ日曜日に、と言って、軽やかに駒川はいなくなった。


→ 後編



晴の失恋:晴れて幕引きの青



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Lさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
Lさんにご指摘いただいて、改めて「晴れて~」を読み直しました。「恋があける」と書いたのは、私が晴に描いていた恋愛に「幕」というイメージがあったからでした。ステージで下ろしたり上げたり引かれたりする「幕」です。悩んだ一文でしたので、着目いただけて非常に嬉しいです。
晴の新たな幕あけになるかどうか、本日後編を更新いたしますのでよろしくお願いしますね。
ちなみに家庭科準備室の様子を書いている時が一番楽しかったです(笑)高校生だったころ、好きだった準備室は多々ありましたが、家庭科準備室も好きでしたw
というわけで本日もまたよろしくお願いいたします。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2015/03/27(Fri)07:41:23 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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