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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 ふう、と森尾が長い息を吐いたことで我にかえった。「ぬいぐるみじゃねえぞ」と言われ、長いこと力を込めて森尾を抱きしめていた自分に気付く。組んだ腕に痕が残るほどだった。それをほどき、森尾の背中から一歩退く。
 畳の上に正座をして、手をついて頭を下げた。「僕をここに置いてください」
「だめだな、帰れ」
「置いてください」
「嫌なこった」
「先生、」
「二・三日だったら置いてやる。それ以上はだめだ。帰れ」
 にべもない口調だった。森尾はまたコップに口をつける。
「てめえにゃてめえの居場所があんだろ。おれにはおれの居場所だ。実家に帰ろうがニューヨークに帰ろうがどっちだっていいが、ここはだめだ。――帰れ」
「……じゃあ、二・三日はいてもいいんですね」
「この雨風の中外へ出す気もしねえ。今夜はもう、寝ろ」
 しっし、と森尾は手を振った。部屋の隅には、森尾が寝起きしている布団がある。作業場に二間つかっているから寝食はともにこの部屋で行っているのだ。
「風呂、まだ熱いだろ。濡れねずみなんとかして、寝ちまえ」
 こういう優しいところにも惹かれている。悔しく思いながらも、あと三日は、と数えて居間を出た。


 三日のうちの二日間はなにもしなかった。森尾もまた、なにもしなかった。元からコンスタントに絵を描く人間ではなかった。気が乗れば、描く。乗らなければ遊んでいる。努力家ではなく、天才肌だった。もっともそれは鶯も同じで、つまり二人は似ているのだ。
 ただ家に閉じこもり、寝転んでテレビを見ている森尾の傍で、なんとなく紙にらくがきを描きつけている程度。腹が減れば近所の総菜屋へ向かって好きなものを買ってくる。眠くなれば寝る。嵐の去った街は春の賑やかさで、うららかな日差しを浴びながら眠るのはいい気分だった。
 布団はひとつしかなかったから、一緒に寝た。寝ている鶯が邪魔なら森尾は蹴飛ばしたし、森尾が同じく邪魔だったら、鶯も遠慮なく同じことをした。毛布はかろうじて二枚あったから別々につかえたが、なくてもきっと支障なかった。傍に森尾のいることは、とても温かいことだった。
 三日目、ちょっと、と言って森尾は鶯を外へ連れ出した。「車返しに行くからつきあえ」と言い、連れだって向かった先は森尾のお得意先で友人の住職の元だった。咲いたしだれ桜は、先日の嵐のおかげでものの見事に散っていた。花びらを片づけもしない。森尾は車をぐいぐいと走らせ、山中の寺をよく知った顔で裏へまわりこむ。
 この寺の見事な点と言えば、山が深すぎて庭が自由だということだ。
 滅多に人が入らず、手入れもいい加減なので、庭はのびのびと春を謳歌している。森尾はこの庭が好きだ。地元だから鶯も小さい頃からこの寺のことを知っているが、森尾の元で学び始めてからは、写生会と言ってしょっちゅうここへ連れ出された。花でも、木でも、鳥でも、山門でも、なんでも描けと言われたし、描いている森尾を見た。この庭を描いて高校生の美術コンクールで優秀賞を取ったこともある。
「僕から電話を受けて軽トラ借りたんですか?」と訊けば、森尾は「んなわけねえだろ」と呆れた口調で鶯を見た。
「納品があったから借りて、そのままになってた。軽トラなんかろくに使わねえくせに催促してきやがって、あのなまぐさ坊主め」
「なるほど」
 いつも通り、という訳だ。
 森尾が絵の納品があるたびに軽トラックを借りていることは前から変わらない。相変わらず仲が良さそうだと、鶯は嬉しい気持ちになる。こんな口調だから森尾には近所の人間が懐かない。森尾を一人にしないここの住職には、感謝してもしきれぬ思いがある。
 微笑んだ鶯を見て、森尾は「その顔、やめろ」と言った。
「わらうな」
「笑っていません。仲が良くて嬉しいだけです」
「おまえのその上から目線? ちっともかわいくねえからな」
「かわいげ、って出したくて出るもんなんでしょうか。だったら僕は、先生に対してはいつでも出したいと思っているんですが」
「よく言うよ、出て行って十年音沙汰なしで」
 台詞を意外に思って立ち止まっている間に、森尾は庫裏の中へ入ってしまった。おおいなまぐさ、いるか、と大声で言う。出てきた住職夫人は「今日は法事で」というようなことを森尾に説明し、鍵を受け取っていた。
 「せっかくだから庭見て帰ろうや」と森尾に言われ、春の庭をゆっくりと散策した。
 住職が趣味で集めた山野草が、庭のあちこちにある。まだフクジュソウが咲いていて、背を高くたかくしていた。スミレとカタクリが群れていた。ニリンソウの白い花弁にそっと触れてみたりする。
 森尾はいつの間にかスケッチブックを手にし、鉛筆をすべらせている。鶯もまた同じことをした。やがて二人の距離は、それぞれの興味へと移り、離れる。森尾とは片時も離れたくないと思っているのに、絵を描いている間だけは、おなじものを見ていなくても平気だと思えてしまえるから不思議だ。
 とんとんと肩を叩かれた時、鶯はコブシの花を見上げて描いている最中だった。とても優しい目つきで、森尾が背後に立っていた。「日が暮れる、帰ろうぜ」
 帰りはバスで帰宅した。車中、無言で過ごす。いつもの総菜屋で夕飯を選んで帰宅すると、森尾は「今日で最後だ」と言った。
「どこへも行きたくありません。ここへ置いてください」
「だめだ」
「どうして」
「どうしても」
「どうして」
「――似ているだろう、俺たち」
 いつもの罵り言葉で返されると思っていた返答が真面目で、鶯は面食らった。「え?」
「都合いいところがよく似てる」
「都合いいって、なにが?」
「すきな時にすきなことをする、って意味だ。おまえ、口じゃぽんぽんと帰りたくないだの側にいたいだの言うけど、絵の前に立ってみろよ。すぐ俺なんかどうでも良くなるだろう」
「なりませんよ」
「なるだろ」
 はあ、とあからさまに分かるため息をつかれた。森尾の言う通りである。ひとたび絵に夢中になってしまえば、今日みたいに、森尾を忘れることは簡単だ。――だから十年も連絡をせずに帰っても来なかった。
「すさむぜ、俺とお前が一緒になんかなったら。どっちも家事なんかしないから、家は簡単に破れ家になるだろうし、制作が一緒になったら地獄だろうな。女房的にお前が俺に尽くしてくれるんだったら置いておこうかって考えるけど、もしくは逆、ってのも考えるけど、――まあ無理だ。俺とお前だからな。自分の求めに対しては、素直すぎる」
 つまり欲に素直だということだ。鶯はうつむく。
 好きな事を貫き通すためには、平凡ではいられない。森尾は人に対して乱暴であることで絵の道を貫いているし、鶯もまた、似たようなものだ。本当はひどく冷酷な自分のことをよく知っている。冷たい個所はとことんつめたい。いまのところ、鶯が興味あるのは森尾と絵のことだけなのだ。
 しかし、「だからなんですか?」と鶯は答えた。真っ直ぐに森尾を見つめる。
「欲求に素直だから? 似ているからだめですか? 僕も先生も、お互いに欲求のありどころが消えたら飽きるから? そんなこともう、分かっていることですよ。僕が十五のころから変わらない」
「……」
「僕は十五歳のあのころから、先生が好きです。それはいまでも続いています。明日は分かりませんけど、いま、好きです。先生だって同じでしょう。求めの方向がいま噛みあっていて、なにがだめ、なんですか」
「よく喋るな」
 言うなり森尾は鶯の唇を塞いできた。
「うるさい」
 長いキスの後に、森尾はそう言った。
「……先生が言わせたんです」
「あー、そうだな。気が変わった。ちくしょう。やるぞ鶯、ほら」
 とんと肩を押され、鶯は簡単に布団の上に転んだ。敷きっぱなしになっている、平たい布団だ。森尾はシャツを脱ぎ、鶯にのしかかってきた。上に重なると、またキスをされる。
 今度は舌を絡め取られ、吸われ、くらくらした。目を閉じて夢中になる。
「――どうやってお前を帰そうか考えてたのに、俺の三日分の悩みを返せよ」
「僕は十五の時からずっと先生を想っているので、もうかれこれ十三年になります。たったこれだけのキスで帳消しになんかなりません」
「俺だって同じさ、鶯」
 鶯が着ているシャツを胸までまくり上げ、中途半端に露わになった胸の先に森尾がくちづけた。
「――十三年か」
 こぼした吐息がじかに肌にふれて、鶯はいっせいに鳥肌を立てる。


 出会ってから十三年、離れた十年、再会して三日。
 魂の求めに身体は応じて、鶯と森尾の境をうしなわせた。



End.


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拍手コメントでお名前のなかった方
読んでくださってありがとうございます。
ここではあえてお返事をしないでおきますので、まとまりましたらぜひ、ご感想をお寄せください。お待ちしておりますw
粟津原栗子 2015/04/22(Wed)07:29:10 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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