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1.篠宮


 七嶋は右目が悪いらしい。眼鏡の度が片方だけ強いんだ、と誰かが言っていた。レンズ越しに見える輪郭の歪みで分かるものらしいが、それを確かめようと思うほど七嶋に興味がない。
 俺たち二年Bクラスの副担任で、生物の担当だ。神経質で真面目でなんの面白みもない。にこりとも笑わないし、気配が薄い。授業は単調、つまらない。
 きちんとプレスしたシャツに紺色のベスト、ネクタイは常にきっちり締める。たまに白衣。髪は後ろへ撫でるように整えてあり、まだ三十代だという話だが、ふけて見えた。黒縁の眼鏡がまた笑えた。なにを考えているか全く分からない宇宙人。向こうも俺たちのことはそう思っていただろう。
 後ろの席の女子が「七嶋って死体にしか興奮しないんだってよ」と笑っていた。七嶋には色んな噂がある。駅前で出た変質者は七嶋だったとか、夜な夜な生物室で標本を作っているとか。右目は自分でくりぬいて解剖に使ってしまったとか、ホルマリン漬けにして自宅に飾ってあるのだとか。
 そういう危険な噂の似合う教師だ。どれも根も葉もないデマだと分かっていて、俺たちは噂をした。楽しいからだ。
 その七嶋に俺はいま呼び出されている。生物準備室の椅子に腰かけ、成績簿をめくる七嶋の神経質そうな横顔を、何の喜びもないのに眺めている。
「篠宮」七嶋が俺を呼んだ。こんな噂の立つ男でも一応は教師だ。声が通る。名前を呼ばれると背筋が緊張して、伸びる。
「こういうことをされると、さすがに屈辱だ」
「……」
「生物に限って点数が悪いとはね。いつも寝ているな。ぼくの授業はつまらないか」
 七嶋が先日のテストの答案を僕に差し出した。かろうじて名前だけ書いて提出した、努力のかけらもない答案用紙だ。今回のテストはすべての教科で復習範囲が広く、生物までは手をつけなかった。七嶋のことだから、赤点でも一回の補習を受ければ落第にはしないだろうと見当をつけていた。
 他教科の成績はそれなりに良かった。特に今回は英語の出来がよく、あと3点で学年トップと並んだ。勉強が嫌いなわけではない。生物の成績が悪いのは、七嶋がつまらないからだ。
 はあ、と俺は気のない返事をした。「つまらないです。興味がありません」
「興味のあるなしに関わらず、やっていかなければならない」
「七嶋先生と同じです。先生が学校とか生徒に興味がないのと同じように、俺も生物には興味ないんです」
 七嶋がファイルから顔を上げた。眼鏡のレンズが反射して、ますます表情が分かりにくくなる。
「――なかなか見ているじゃないか。寝てると思ったのに」
「……分かるしそんくらい。ねえ、先生。学校とか仕事とか、人生とか生活とか社会とか、つまんなくない?」
「つまらなくはないな」
「つまんなさそうに見える。から、俺もつまんない」
 喧嘩を売っているつもりはなくとも、言葉が口から飛び出た瞬間に思わぬ棘が現れた。七嶋はこんなことで逆切れするような教師でもないはずだが、それでも一応、「すいませんでした」と謝っておく。
 面倒事は嫌いだ。こういうことは大人しくしおらしい態度でさっさと済ませるのがいい。次は頑張ります、と頭を下げて帰ろうとしたら、七嶋は「まだ終わっていない」と俺を呼び止めた。
 ファイルを閉じ、眼鏡を外し、ふーっと長く息を吐いた。眉間を揉む。
「つまらなく見える態度で接したことは、ぼくが悪かった。確かに面倒臭い。勉強のやる気のない生徒の指導なんて特に」
 仕返しのように七嶋は喋り出した。「でも、つまらなくはないよ」七嶋は顔を上げる。
 眼鏡を外した顔は、普段よりもずっと若かった。目がすきとおって見えた。
「ぼくは毎日楽しいよ。思いがけないことが起きたり、些細なことに喜びを感じられる。きみらの年齢よりもずっと許されることが多くなったから、楽しみが増えた」
「はあ、」
「大人になって良かったと思う。きみらの世代は窮屈だからな。でもその世代の楽しみは分かる。だから早く大人になれなんてことは言わないが」
 初めて七嶋と目が合った。瞳は鋭く、迫力がある。思わず身体が引いた。
「そんな若いうちから要領よくやって社会とか生活とか考えていると、ぼくの歳になる頃きみはもう人生に退屈し切っている」
 そう言って、七嶋は口端をわずかに上げた。言い切られたことに俺はたじろいだ。こんな強い発言が出来る教師だったろうか。こんなに根気強く俺たちコドモに向き合おうとする人間だったろうか。俺たちと同じく、厄介ごとは嫌いだったんじゃないのか。
 補習の日程を告げ、七嶋は帰宅を許した。準備室から去る間際、もう一度七嶋の顔を見ると目が合った。
「ぼくは美術部だった」と七嶋が言った。
「高校の頃。毎日夢中で過ごしたな。楽しかった」
「……」
「暗くなる前に帰りなさい。さようなら」
「さようなら、」
 有無を言わさず準備室から追い出された。廊下を歩いていると、落ち着かなくなった。七嶋はアレ、笑ったんだ。喋った。眼鏡を外した。
 同時にとても悔しくなった。なに一人で熱くなってんだよ、だせぇ。そう悪態をつきながらも、七嶋の台詞や表情を繰り返し思い出した。



 夏休みに入ってすぐ、たった一日で補習は終わった。
 くそ暑い中わざわざ学校へ出向いたのに、七嶋が用意した補習はプリント一枚だ。提出し終わった者から帰って良し、と黒板に書いてあり、内容はめちゃくちゃ難しかった。悪意を感じ、同時に笑えた。意地の悪い顔をしながらこれを作成したに違いない。なにがなんでも空欄はすべて埋めてやった。
 夏休みも折り返しの八月中旬、新幹線のホームで七嶋を見た。
 大きな肩掛けの鞄を背負い、いつもよりラフな格好で新幹線を待っていた。前髪は降りているし、ポロシャツのボタンは二つとも外れている。ネイビーのチノパンは爽やかで若々しく、似合う似合わないよりもそんな色の服を持っていたことが驚きだった。
袖から伸びる腕は白く、引き締まっていた。痩せ形のイメージがあったが意外とそうではなかったらしい。俺たちの世代とは違う、大人の筋肉のつき方だと思った。
 俺はと言えば新幹線でやって来る叔母を迎えに来ただけだったので、切符は持っていなかった。叔母が来るより先に七嶋を見つけてしまい、じっと見ていた。学校で会ったらこの件で話しかけられるかもしれない。先日の一件で七嶋に興味が沸いていた。ひょっとすれば応えてくれるかもしれない、期待があった。
 七嶋は立ったまま文庫本に目を落とし、俺には一向に気付かなかった。
 眼鏡をしていない横顔は、通った鼻筋がはっきりわかった。睫毛まで見える。ぱし、ぱしと瞬きをする、その右目の視力の真相が気になった。ひょっとして俺は七嶋の右側にいるから気付かれないのか、と思いつく。
 向こうへまわろうとした時、列車が到着して、人波が動いた。叔母が乗って来たはずの新幹線に、降車客の後、七嶋のいた列も動き出す。歩き出してから七嶋がふとこちらを向いた。
 目が合うと同時に、七嶋は笑った。目元にかかった前髪が風で揺れる。
 唇に人差し指を当て、しい、の仕草をした。笑うと目尻が下がり、きつい顔が和らいだ。瞬間、心臓が強く鋭く痛む。痛みを痛みと思わないうちに俺は走り出していた。
 だが急に腕を引かれ、すぐに止まった。叔母が俺を見つけて「良かった見つけたわ」と安堵の表情で立っている。振り返ると新幹線は動き出していた。もう追いかけられない。
 この新幹線の行き先は東京だ。七嶋はどこへ行くんだろう。あんな楽しそうな顔で、なにをしに行ったんだろう。
 夏休みが終わって学校で会えても、この件は問えない気がした。七嶋にすら告げず、内緒にしたかった。


End.


→ 2(松田)





関連:「+18」


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Beiさま(拍手コメント)
こんにちは。ご無沙汰しております。
いつもありがとうございます!!!

タイトル、悩んで「七色」とつけましたが、一方から見ると暗い色に見えても一方からでは鮮やかだったり、薄かったり、という、色んな面があって一人の人間なんですよ、の意味合いです。虹色、の方がイメージ近いでしょうか?
七嶋の七にあやかっただけで、証人は七人も出てきません。が、七人の口から語られる七嶋、これ面白い!アイディアいただきます!
そして、七嶋くんが東京へ行く謎も、そのうち判明いたしますのでどうぞお楽しみに。
しばらくお付き合いくださいね。

4年、というとBeiさんとのお付き合い(?)もそんな月日になるのですね。しみじみしてしまいます。5年目の時にはシャンペンでもあけましょうか(笑)
そんなこんなでこれからもよろしくお願いいたします。
粟津原栗子 2013/07/21(Sun)08:37:23 編集
プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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