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2.松田
七嶋がなにも言わなかったので、気付くのが遅れた。放課後の化学室で小規模の爆発が起きた。実験中の事故だった。
松田の不在時に化学部の生徒が新入部員向けに行ったデモンストレーションで、実験自体は小学校でも行われるぐらいに基礎的なものであったが、規模が大きかった。光が散り、試験官が割れ、衝撃に驚いた生徒が尻もちをついて手首を捻挫した。大きく音が響いたため、放課後の校内はしばし混乱した。
外出していた松田の代わりに監督をしていたのが新任の七嶋だったが、彼の過失ではなかった。実験に手馴れた生徒が独断で行ったものであり、七嶋が気付いて止めに入った直後に爆発事故が起きた。七嶋の対応そのものは良かった。生徒に異常がないか確かめ、上に報告し、怪我を負った生徒を養護教諭に頼んで病院に向かわせた。松田への報告もスムーズだった。手際の良さに感心さえした。
翌日になって「病院へ行くので出勤が遅れます」と連絡が入り、ようやく発覚した。発光に右目を焼いたのは七嶋だった。捻挫の生徒など放り、自分こそが真っ先に病院へかかるべきだったのに、言わなかった。
昼までには出勤するという話だったが、七嶋はなかなかやって来なかった。昼過ぎに事務へ電話が入り、欠勤となった。電話によれば、急激な視力低下で頭痛がひどいとのことだ。病院からは戻ったという話なので、見舞いも兼ね事情を訊くために仕事帰りに松田は七嶋の住むアパートへ向かった。
正直面倒臭かった。月終わりの週末に挙式を控えている松田にとって、これ以上の仕事は増えてほしくなかった。とっとと終わらせてしまいたいが、怪我人が相手ではそうもいかない。下手をすると失明していたんじゃないか。事故の重さに肝が冷えた。
インターフォンを鳴らし名乗ると、すぐに扉が開いた。右目に白い眼帯が痛々しい姿で、七嶋が立っていた。丸襟のセーターを着ていたが、こんな時期なので袖は捲っている。普段はシャツの襟で隠れている首筋の張った肌は瑞々しく、普段の落ち着きが落ち着きだけに、そうかまだ二十代もまんなかに届いていないのだ、と今更ながら実感した。
「――すみません、わざわざ」
「いいんだ、ついでだしな。七嶋さん、メシ食った?」
「まだ。頭痛で、今日はいいかと」
「ほうか。ま、これは明日の朝にでも食べたらいいから。ちょっと、あがらせて」
途中で買い求めた弁当を七嶋に押し付け、狭い三和土で靴を脱いだ。単身者向けのアパートは一部屋しかなく、狭い。それでも七嶋がきちんと片づけているおかげで広く感じた。
松田は自分にも弁当をひとつ買い求めてあった。ここで食べるつもりはなかったが、「食べながらで構わない」と七嶋が言うのでそうした。「――で、なにがなんだって」白米に箸を突っ込みながら訊ねる。
「目、大丈夫なんか」
「頭痛がひどいだけです。眼帯が大げさに見えますが、急にぼやけているのが気持ち悪くてつけているだけで」
「なんでもっと早く言わなんだ」
「時間が経てば戻ると思いました」
病院の診断と事故の詳しい経緯を聞いた。視力を落としていると言うのに、七嶋の態度は淡々としていて重みがなかった。頭痛を感じるのは松田の方だ。責任者として、これからやらねばならないことが山ほどある。
「ま、目ぇ慣れるまでもうちょっと休んどき」弁当をすべて腹に収め終え、一服もして、松田は言った。「上には俺から言っとく。遅いのに悪かったな」
これで帰るつもりでいたのに、「昨日はどうでしたか」と七嶋が唐突に言った。浮かせかけた腰をまた落とした。
「なにが?」
「披露宴の打ち合わせで少し出る、というお話でしたから。今回のことでご迷惑をおかけした上にお式にも影響が出ては、非常に申し訳ない」
「それは大丈夫だから、気にしないでいいさ。こっちこそすまなんだ。目ぇ、」
「はい、」
「けっこう、大事なことだぞ。多分あとから色んな不都合がやって来るから、…まあ、その時は頼って、ぜんぶ一人でやらんと、な」
「はい」
松田先生は優しいですね、と七嶋は言った。少しだけ言葉に温みを感じて、なぜだか松田はうろたえた。たとえ松田が不在だったとしても事故は事故、今回のことは重い。視力を落としたとあっては罪悪感があった。七嶋が松田を優しいと思うのならば、そのせいだ。
立ち上がり、今度こそ部屋を出た。あまり部屋に長くいたくなかった。七嶋は男を抱ける男だと耳にしたことがある。ただでさえ気まずい思いがこちらにはあるのに、こんな部屋に二人きりでいたら、意識する。アブノーマルな男は分からない。
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